shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年8月20日

○家の周りの草刈り

 わが家の敷地は家庭菜園を含めると660坪もありべらぼうに広く、地元の人からは狭い土地柄もあって「いいですねえ。お宅は土地が広くて羨ましい」といわれています。確かに狭いより広いに越したことはないのですが、若い頃とは違って広いということが少々重荷になりつつあります。贅沢な悩みなのでしょうが、有に200メートルはある細長い地形には畦畔と称する斜面があって、隣の敷地と境界をなしているのですが、この草刈りがまた大変な重労働なのです。毎日草を刈ってるお百姓さんならこの程度の草は朝飯前なのでしょうが、夏の暑さもあってまさに汗だくだくなのです。昨日と今日の二日間、といっても昨日午前中3時間、今日午後1時間半をかけて、今年3回目の草刈りをやりました。お陰さまで家の周りがまるで散発をしたようにすっきりとして、「うん綺麗になった」と自画自賛するほど綺麗になりました。

 昔なら炎天下の草刈りで一汗かいてシャワーを浴び、「ビールをぐい」と行きたいところですが、酒を飲まなくなった私はシャワーを浴びて「麦茶をぐい」程度なのです。ビールを飲んでた昔を懐かしく思い出すのですが、酒を止めて6年も経つと体内からアルコール分が完全に消えているため、もう一度飲んでみたいという気持ちには不思議とならないのです。

 家の周りの草刈りは4月に1回、6月に1回、8月に1回、10月に1回の年4回やりますが、自分の都合と父親の助言が優先されます。草が伸びてくると几帳面な性格の父親はそれとなく私に「家の周りの草が伸びた。もうそろそろ刈らんといかん」などといいながら家の裏のドハ草を鎌で少し刈るデモンストレーションをやって私を促すのです。若い頃はそんな親父の言葉や行動が何とも嫌で、言われれば言われるほどまるでアマノジャクを決め込んだものでした。しかしそんなアマノジャク的な元気も今は失せて、自分の家を守る当然の仕事として草刈りをするようになりました。今回は草丈が比較的短いなと思いつつ草刈機のエンジンをふかし作業を進めました。前回何時草を刈ったのか記憶にありませんが、今日は台風の去った後の吹き返しのような生ぬるい南風の吹く中でいい汗をかきました。

 何年か前双海町の海外派遣研修事業の団長としてオーストラリア・ニュージーランドへ研修生を引率して行きました。ニュージーランドではホームスティをしましたが、何処までも広がる牧草の中にこんもりとした緑の森があって、その中にポツンと一軒まるで絵に書いたような家がありその家に泊めてもらいました。中庭には芝が植えられご主人が芝刈り機で芝を刈るのが日課だと言っていました。わが家もそれを見習って少し裏庭に芝を植えてみましたが、芝どころか芝の中に雑草がはびこって結局は失敗に終わってしまい、芝をはがして今は小砂利を敷き詰めています。理想と現実は違うと実感したものでしたが、ニュージーランドのご主人のようではないにしても、生える草を恨んだり何で私がこの草を刈らなければならないのか腹立たしく思ったりすることなく、草刈りを日課にするような優雅な心を持ちたいものです。

 親父が船を下りた70歳から88歳になる今日まで、家を守る作業の殆どは親父の仕事として位置づけられ、親父も元気の源としてその作業に誇りと生きがいを持ち続けてきました。その親父も「来年はもう」などと弱音を吐くようになり、その作業の量が少しずつ私に移りつつあると実感するようになりました。庭木の剪定も中庭の草引きも大変と思えば大変です。優雅な気持ちでとまではいかなくても思いを持って親父に近づきたいと思っています。

  「草を刈る ただそれだけの 仕事だが 俺もそろそろ 腹を決めねば」

  「田舎ゆえ 空気は美味いし 水だって 自慢の裏に 草刈る義務も」

  「散髪を したよに綺麗 わが屋敷 草刈り後の 美しきかな」

  「年金を 貰える意味は 後がない それに収入 なくなる日々だ」

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