shin-1さんの日記

○南の島に雪が降る

 子どもの頃の記憶で定かではありませんが、昔私たちの町には何軒かの映画館がありました。子どもにとって映画館は夢の世界でしたから、よく見に行きました。しかし子どもに全ての映画を見せることは教育上よくないと、映画を撰んで文部省推薦の「24の瞳」や「ビルマの竪琴」などを見せてもらいました。

 ある日「南の島に雪が降る」という映画を見ました。南方の島に兵隊さんが戦争に行きましたが、度重なる戦闘やマナリアで兵隊さんが死んでゆくのです。死ぬ時に望郷の念にかられお母さんや兄弟を思い出すシーンには瞼をぬらしたものです。そんな中死を間近にひかえた兵隊さんが雪を見て死にたいと言うのです。

仲間はその願いを叶えてやろうと舞台を作り天井から紙ふぶきを降らせました。兵隊さんはその吹雪の中で自分のふるさとを思い出し死んでゆくのです。

 数日前、研修で訪れた沖縄県石垣島で「石垣青年会」の事例発表を聞きました。かつて私たちが若いごろ、日本全国には沢山の青年団や青年会、4Hクラブなどがありましたが、青年団などはもう死語に近い存在です。そんな中今でもりっぱに活動を続けている石垣青年会の活動には頭が下がりました。

 文化祭や伝統行事の伝承活動はどの地域でもやっていますが、私が注目したのはクリスマスの頃にやった高さ5メートルの氷灯篭づくりや雪を降らせるイベントでした。若者は時として突拍子もないことを考えそれをいとも簡単に行動に移します。南の島には雪は降りません。だから降らそうと金もないのに発想し、神戸から降雪機を借りて本当に雪を降らせてしまったのです。時節柄北陸や東北の方には申し訳ないと、イベントを諦め今回は募金を集め豪雪見舞金を送った心根の優しさも持ち合わせている彼らの話は、夕日で町おこしをした私たちの20数年前とよく似ている話です。

 南の島に雪を降らせた青年会のイベントは大受けで1万人もの人が集まり、子どもたちは夢と感動を青年とともに味わったそうです。石垣島は他の島のような人口減少もなく、むしろ人口が増加しているそうです。そして都会からやって来た若者が青年会に入り地元青年と一緒に青年活動をしているそうですが、羨ましい限りです。イベントにはまだまだ改良の余地があるとお見受けしましたが、これも青年の力で大きな乗り越えて欲しいものです。「金がなければ知恵を出せ、知恵が出なけりゃ汗を出せ、汗も出なけりゃ辞表出せ」と日ごろから言っている私としては、石垣青年会のパワーに大きな拍手を送ります。また石垣青年会の事例は全国各地で紹介したいものです。

  「かつて見た映画そのまま雪降らす石垣青年褒めてやりたい」

  「よく聞いた人は石垣人は城石垣青年人は石垣」

  「島おこし発祥の地訪ねたる心洗われ決意新たに」

  「非常識やってしまえば常識に青年たちの勇気に拍手」

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○石垣島に何しに行ったかって?

 まちづくり人やまちづくり団体の更なる発展を図るために「地域づくり団体全国研修交流会」が毎年日本各地を巡回して行われています。第23回目となる今年は沖縄が当番県で、沖縄県内各地で17もの分科会が持たれましたが、石垣島会場はそのしんがり17番目の会場となっていたのです。日本で一番南に位置する遠い会場だけに参加者も果たしてと主催者は心配されたようですが、石垣島の魅力に惹かれて集まったのは30人の定員に対し25人でした。

 「日本最南端の石垣島に育つ薬草から健康を知る」分科会は、「みぢかな薬草を利用した健康で活力ある地域づくり(医食同源)」「健康で人が元気・まちが元気・島も元気」をテーマに、薬草・ハーブ文化をはぐくむ会が主管しました。

 石垣島は暖かい気候と豊かな自然、伝統文化に育まれた日本最南端の島です。灼熱の太陽を浴びたたくましい生命力溢れた薬草がみぢかに生育し、自然の恵みと優れた芸能、長寿の島が島民の誇りです。先人たちは生活の知恵として薬草・ハーブを様々な料理や薬用に用いて、暮らしに潤いを求めてきました。健康で活力ある地域づくりから、医食同源を求め、収穫体験、講話、薬草の伝統食づくりを通して、見て、触れて、食べて、楽しみながら健康について考える集会でした。

 主管した薬草・ハーブ文化をはぐくむ会は、薬用植物を活かしたまちづくりをテーマとして、市民ぐるみで健康づくり、モノづくり、人づくり、環境づくり活動を展開し、市民との協働による地域おこしを目的に平成15年に設立された新しい団体です。幅広い年齢層からなる120人の会員で構成し、定期的に講演会、講座、実習、自生地めぐり、視察研修などを開催しています。また地域団体との情報交換、地域行事への参加協力を通して、健康づくり、地域づくりに取り組み、薬草見本園を活用して生涯教育、環境学習など、薬草文化の創造に努めている団体です。

 今回の分科会では豊かな自然や伝統文化に触れたりしましたが、自生地めぐりと収穫体験、健康講話と活動発表、薬草の料理教室という三つが大きなポイントでした。

 自生地めぐりと収穫体験は市内を車で巡り、薬草の自生状況をつぶさに見て回りましたが、薬草の島だけあって、その気になって見れば何処にでも薬草が生えていますし、いい着眼点だと思いました。最近話題のウコンの収穫作業体験もグリーンツーリズムの新しいテーマとして参考になりました。

 健康講話は健康福祉センター医師城所望先生の楽しい講話でした。この話は別仕立てで書きたいと思います。石垣青年会、石垣市食生活改善推進員協議会、薬草・ハーブ文化をはぐくむ会のの事例発表も大変素晴らしいものがありました。私が最も注目したのは石垣青年会の発表でした。地域づくりの現場で若者の参加は限りなくゼロに近くなっています。ましてや青年の活動発表など余り聞きませんが、この青年会の活動は目を見張るような内容でした。南の島がゆえに雪は降らないそうですが、そのことを逆手にとって雪を降らせるイベントで一万人を集めたエピソードは、子どもの頃に映画で見た「南の島に雪が降る」とダブって楽しかったです。このことについても別仕立てで書きます。

 薬草の料理教室は、えっ、こんなものが食べられるの?てな感じでしたが、エプロンをかけ自分で料理してみると、これが以外と楽しいのです。これもこれからのグリーンツーリズムのメニューとして参考になりました。

 総じて、「健康とは何か」、「生きることとは何か」「地域づくりとは何か」を感じさせられた2泊3日の研修でした。それぞれの研修にキラリ光る隠し味があり、大きな薬効がありました。医食同源という言葉の重みを感じさせられました。

  「建築士肩身の狭い職だけど建に人偏健康築く」

  「道端の雑草何と薬草だこれを活かせば長生きゲット」

  「牛肉に変わるご馳走食べました薬膳つくりお腹快調」

  「ヨモギとて無駄にはしない島の人足元見ればあれも薬に」

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○石垣島へ行って来ました

 松山空港から大阪空港を経由して沖縄那覇、石垣島と今回の旅は飛行機に乗り続けること片道約4時間という外国行きにも匹敵するような長い長い空の旅でした。だからこそ感動の旅だったのかも知れません。「全国地域づくり団体交流集会」と銘打った集会に愛媛県から参加したのは私を含め4人のメンバーでした。私のように10回以上も沖縄を訪ねている者にとって沖縄は、左程珍しい場所ではありませんが、同行した者の中には初めて沖縄へ足を踏み入れる者もいて、人それぞれの感じ方があったようです。私などは沖縄がまだ本土に復帰していないパスポートのいる時代に、鹿児島から船に乗って一昼夜近くもかかって沖縄入りしているのですから、当然の話です。でも私にとって今回の旅の目的地である第17分科会が開催される石垣島は長年の憧れの島でもあるのでときめきは彼らと同じかも知れませんね。

 冷蔵庫の中に入ったような寒さの中の愛媛県を出発したのは4日前の2月9日でした。松山から直行便が出ているのですが週に3日しか飛んでいないし、時間的に合わないものですから、3名は大阪経由、1人は福岡経由となりました。全大会が那覇であるので、遅れないように前の日から入り、首里城や国際通りなど事前に仲間が丹念に調べていた日程と目的に沿ってモミジのような裏と表の研修をしました。

 那覇にある首里城の入り口にはヒカン桜が早くも満開で、早い春の訪れを感じさせました。それでも沖縄は日本全体の寒波の影響か例年になく寒いようで、この日もふるさとの寒さから考えれば何てことは無いのですが、やはり寒いと首をすぼめていました。

 久しぶりに訪れた那覇は飛行場から首里までモノレールが走り、すっかり様変わりをしている様子でした。しかし数日前に政府が発表した有効求人倍率は愛知県の1.5倍に対し僅か0.4と全国ワーストを記録するなど、季節や県民性の陽気さに比べ置かれている状況は未だ厳しい状況のようでした。乗り合わせたタクシーの初乗り代金は450円と私たちの地域の560円に比べるとかなり低いようでした。

 先月成人式で荒れた国際通りは何事も無かったかのようで、全国から来たであろう修学旅行とおぼしき高校生が短いスカートで町中を闊歩していました。夕闇迫る裏通りに入ると三味線の音色に合わせて哀調を帯びた沖縄民謡が聞こえ、泡盛の匂いが漂ってくるようで、酒を飲まない私でさえ旅情をかき立てました。

 明くる日は午前中の空き時間を利用して3時間のオプショナルツアーを組みタクシーで南部戦跡見学に出掛けました。かつて訪ねた本土復帰間近な摩文仁が丘は政府の手によって表面は立派な公園に生まれ変わっていました。多分森総理の時代に沖縄で開かれた先進国首脳会議の会場としてのしつらえがこんな立派な公園を造ったのでしょうが、沖縄県民にとって基地問題は戦後60年も経っているというのに、未だ解決していないようで残念でなりません。戦跡を無邪気にソフトクリームをなめながら見学する高校生の姿が何か空しく思えました。これも時の流れなのでしょうか。

  「超ミニの娘ソフトをなめながら戦跡巡る気持ち分らぬ」

  「沖縄のイメージ一変モノレール上から那覇を悟空の如きに」

  「本土では雪のちらつく日々続く沖縄桜春の装い」

  「初乗りの金額安いタクシーで戦跡巡る旅に出る」

 

 

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○三軒のお店

 昨晩は三軒のお店へ行きました。これも大事な文化研究の研修なのですが、お酒の飲めない私としてはもっぱら食べることに専念しました。一軒目は大東ソバを食べに食堂のような所でこだわりのそばを食べました。麺食いの私としては、ちょっと物足りない感じもしましたが、それでもうどんに似た食感やスープの味は大東島の香が口いっぱいに広がって美味しかったです。

 2軒目の店は食通が通うこじんまりとした飲み屋でした。止まり木に座ってさまざまな今まで61年生きてて食べたこともない沖縄の海と山の幸を堪能しました。海ぶどうと沖縄の豆腐は門田さんなどお変わりするほどです。沖縄の食べ物は自然食品がふんだんに取り入れられてご馳走でした。特に豆腐は木綿豆腐で驚くほど硬く、塩辛などを薬味として乗せて味わうのですが、豆腐には口うるさい私の舌をうならせるものでした。

 3軒の店は沖縄民謡の店でした。三味線の音色につられ思わず夏川さんの「涙そうそう」を熱唱してしまいました。それにしても沖縄の人は三味線と太鼓が鳴り出すと立ち上がってみんな踊るのです。その様子は四国徳島の阿波踊りに似ていまして、私も思わず踊ったら、『お客さんおじょうず」とお世辞を言われ有頂天、おかげ様で少し体が張ってます。

 沖縄の店は何処へ行っても近頃の日本人が忘れている何か郷愁のようなものを感じます。人なつっこい正確がそうするのか、時々何を言っているのか分らない方言で喋るのですが、これがまた田舎者の私にはピッタリで、会話が弾みました。そしてその会話に弾みをつけたのはやはり泡盛といわれる沖縄独特の酒でした。カウンターの後ろには名前さえも覚え切れないほどの泡盛が並べられ、試飲と称して古酒10年なんてラベルの貼ったアルコール度数45度以上の泡盛が注がれ、飲むほどに酔うほどに分ったような顔をして泡盛談義は熱を帯びてゆくのです。

 3軒の店を出る度にお足代を勘定し財布を開けるのですが、物価が安いと感じました。松山辺りだと飲み代は普通一軒5千円くらい、沖縄では3千円程度でした。その安さが「もう一軒」と進んで3軒の梯子酒となっなったので、結局は昨晩の飲み代は〆て1万円也といったところでしょうか。それでも旅の楽しみとしては安い交遊でしたし、愛媛県といえば沖縄では決してメジャーな地域ではないだけに、ちゃっかりと名刺を配り、ちゃっかりと宣伝をしまくりました。一週間後に再び沖縄へ行くので時間があればまたこの3軒全てとはゆきませんが立ち寄って見たいものです。

  「酒を飲み方言語って箸進め今宵沖縄最後は歌で」

  「口開けたハブが私を見つめてる泡盛瓶の不思議なるかな」

  「お願いし蛇味線弾いてみたもののまるで雑音耳をふさがれ」

  「路地裏に響く蛇味線太鼓の音リズム取るよに思わず手足が」

 

 

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shin-1さんの日記

○沖縄から発信

 私もいよいよ情報通になったものです。只今滞在先沖縄のホテルのロビーからブログに書き込みをしています。今朝起きて同行の清水さんと談笑中、「沖縄からブログを書いてはどうか」と提案があり、出発間際だというのにブログに挑戦しました。ところがパスワードを忘れ娘婿の岡本先生に電話を入れて教えてもらい、やっとメールが書き込める画面が出てきたのは出発30分前でした。

 ですから出発間際で大変急いで立ったままあせってブログを書き込んでいるのです。でもこれが沖縄で書いた記念のブログ記事だと思うとワクワクして思うような文章が書けません。ましてや同行の三人が後ろから眺めているような視線を感じての操作なので、やたらと誤字脱字が出て、私を悩ませています。

 沖縄は只今どんよりと曇っております。天気予報だと50パーセントの降水確立だとテレビがいっていました。昨日は同行の門田真一さんや兵頭さんと世界遺産に登録されている首里城へ見学に行ったり、兵頭さんが開発した穴場を丹念に訪ね、ホテルに帰ったのは時計の針が12時を回っていました。ウーロン茶で呑み助の3人の相手をするのですから、私も大したものです。

 沖縄の夜は実に楽しいです。今回の旅はさした役割があるでもなく全国の人たちとの交流が目的ですから、いわば自由な旅です。自由とは嬉しいものです。二週間後にはまた沖縄へ講演に来る予定ですので、ぎっと広くなった沖縄の情報をもっともっと広げたいと追っています。

 これから私たちは武道館で開かれる全体会に出席して、念願の石垣島へ飛びます。私はこれで沖縄へは10回以上来ていますが、今回の旅はゆっくりリズムで私の今の暮らしにフィットしています。

 お迎えのタクシーが来たようです。「さあ出発だ」と言っています。只今浪人中でお土産は買えませんがお土産話は沢山持って帰ります。

  「ロビーにて立ってパソコンブログ打つ旅立ち間近な急ぎ心で」

  「泡盛を何故か青森勘違い北と南でお酒とりんご」

  「ホテルにもランクあるはずじゃあ俺はどんなランクでこの宿泊まる」

  「お父さん今何処天気矢継ぎ早携帯電話無事を確かめ」

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shin-1さんの日記

○私は大阪かな?

 先週は日本の三大都市といわれる大阪・名古屋・東京を相次いで無造作に訪ねました。どの街も日本を代表するとじふするだけあって個性があり、中々素晴らしいと思いました。あなたならどの街が好きですか。多分この大都市以外に住む日本人の殆どは東京を選ぶのでしょうが、私はやはり関西人でしょうか、新幹線に乗っても大阪が近づくにつれて屋並みに何か郷愁間を覚えるのです。

 駅に降り立ち耳に入ってくる言葉のイントネーションも何となく日ごろ聞いている耳障りで優しく聞こえるのです。「おはよう」「は「おはようさん」などと標準語とは違っていますが温か味を覚えます。多分日本全国が標準語を話すようになって、東京の言葉が当たり前になったからかも知れませんね。日々の暮らしに生き続けているコミュニケーションの源である言葉は断然大阪だと思います。

 東京でうどんを食べるとまずおつゆの黒いのに面食らいます。麺を食べて面食らうとは落語の洒落のようですが、関西風の澄んだスープに慣れているとどす黒い辛目のスープは何とも気になるし、第一食事後に喉が渇くのを覚えます。濃いのは色だけでなく塩分の濃度も多少高めなのでしょう。特に味噌汁は赤だし余り好きではありません。最初飲んだ時は「これ食べれるの」と思った程でした。

 道頓堀界隈を案内されるままに歩きましたが、列車に乗り込む前に弁当を買い求めましたが大阪は東京に比べ格段に安くて美味いと思いました。弁当を野球に例えるなら阪神タイガースと読売巨人軍くらいの違いです。しかし野球だけはつい最近まで大の巨人フアンでしたが、巨人がふがいないので巨人に不安をいだき、「巨人不安」となってしまいました。

 大阪にもいい所がいっぱいあります。大阪城公園などはもう梅の開花が始まっているのでしょうが、都会のど真ん中にあれほどの梅の花を観賞できる所があるのですから凄いです。先日訪れた古本通りも大阪らしい雰囲気で・・・・・と書いてくると、自分の浅はかな先入観が見えてくるようです。名古屋にも東京にもそれぞれの良さがあるのです。でも没個性、リトル東京、画一化の中で、個性を主張している地域はやはり好きです。私はアンチ東京なのでしょうか。

  「昨日夜大阪弁で電話入る思わずこちらも儲かりまっか」

  「赤出汁と言われて飲んだお味噌汁塩分濃度気になりま舌」

  「大阪の梅を見たさに城訪ねこち吹く風にこの身ゆだねる」

  「大阪を好きというのは身近人おじおばいるからえこひいき」

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shin-1さんの日記

○商店街がなくなる日

 私たちの町もそうですが、全国のどのまちの商店街も「シャッター通り」といわれるように、斜陽化の道をつき進んでいます。私たちの町の商店はシャッターなどのような気の効いたものはありませんから、さじずめ板戸かガラス戸といった所でしょう。それにしても車社会に乗り遅れた結末は哀れなものです。商店は便利さや安さを求めてやって来るお客を見越してどんどん郊外に移転し、そこに新たな商業施設やショッピングセンター、大型点が出店するものですから、まるで砂漠の中にあるラスベガスのような雰囲気です。

 どの街の商店街も何とかしようと知恵と汗を搾り果敢にかつての賑わいを取り戻そうと頑張っては見るのですが、残念ながら僅かの事例を除いて再生不能になっているようです。

 私の町の事例もそうです。町内には小さいながら2つの商店街があって、昭和時代は商工会内部に商店連盟などを持ってスタンプ事業などを行っていました。しかし商店主の高齢化と前述の社会の荒波になすすべもなく、今は町内での買い物とてままならないのです。

 そこで登場したのが「動く商店」ともいうべき車での販売です。町内の人ではないのですが、これをビジネスチャンスだと思ったのでしょうか、ワゴン車にありとあらゆる雑貨や食料品を山ほど積んで、集落を定期的に回っているのです。車に乗れない高齢者の多い山里では、このワゴン車が大もてで次に来る日には前回注文したものまで運ぶサービスぶりで、今やみんなの重要な生活物資供給源となっているのです。

 出張販売はこれだけではありません。お酒も安売りのリカーショップが町外からやって来て注文を受けたり、その配達をしてくれるものですから、安い便利が定着して「余分なアルコールを飲んでしまうと苦笑いしているのです。

 困ったのは地元の酒屋さんです。ビール1箱に千円も違う格差ではどうあがいても勝負は見えていて、酒が売れないとぼやいています。

 こおように、日本の商店街はあと10年、いやあと5年もすれば確実に潰れてしまう危険性をはらんでいるようです。日本の何かが狂いつつあるようで寂しい限りです。そんな中今年は灯油が高いので、自衛策として隣の町へ行ったついでに灯油を買って帰る人が増えたとガソリンスタンドは嘆いています。灯油は自宅まで配達してくれる便利さはあるのですが、価格の面では隣の町の灯油には価格の面で適わず、4缶と5缶が一緒の値段だと当然そちらを撰ぶでしょう。車に乗る人の自衛策も始まってここにも価格破壊の波が押し寄せてきています。

  「わが息子ポリ缶積んで帰り来る差額ちゃっかり懐温め」

  「酒止めて酒代いらなくなったけど酒の金額気になりビックリ」

  「今日休み思うくらいにしんとして人も通らぬ商店さびし」

  「結局は売れぬ買わぬ揃わぬで便利安いに人は流れる」

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shin-1さんの日記

○朝フルで本当に痩せるの

 私の友達に清水さんという人がいます。農協マンながら愛媛政策研究センターに出向して仕事をしています。彼は気象予報士の資格を持っていますが、週末には体の不自由な親父さんに代わって農業を営むなど今時珍しい親孝行な息子なのです。私たちが所属するえひめのまちづくりには色々な人がいますが、彼は今までのどの人とも違った個性を持っており、新人類の部類ではないかと思われます。その一つに「朝フル運動」があります。朝フルーツを食べて元気を回復しようというのです。朝の果物は金と言われるように朝果物を食べることの効果は誰もが認めていますが、それはデザート的な食べ方が一般的です。彼は朝食を果物だけににするのだそうです。「果樹農家だからそんなことを言って果樹を売るためでは?」と揶揄する意見もあるかと思いますが、どうしてどうしてこの運動が最近ブームになりつつあるのです。

 私の知っている人はこの朝フル実践で5キロも痩せたと効果を認めています。この人の話だとダイエットは食べたくても食べれない苦しみを味わうのが普通ですが、朝フルだと朝フルーツを食べるだけで昼も夜も普通の食事をするのに何故か痩せたのだそうです。しかも高かった血圧も正常値になり快眠快食快便この上ないと述懐するのです。最も全ての人が上手く行くとは限りませんし、こんな成功事例は新聞の広告「私は○○でこんなに痩せました」「驚きのパワー」などの宣伝で、薬を売る悪徳商法に見間違われるのでこれ以上は止めますが、果物王国愛媛なら出来る朝フルは持続可能な実践だと思えるのです。

 事実私の知っている清水さんはもっと太っていたように思いましたが、僅か1年余りであのように引き締まった身体になっています。

 「人の言うことは鵜呑みにしてはいけない。しかしいいことは学んで実践する」これが私の持論実践です。私はもう20年も朝はキャベツとリンゴを主食にしてきました。「リンキャベ」なる造語を作ってみんなにその効果を話していますが、「へえー」と感心はしますが実践はしないようです。それが普通の人間の行動だから別に気にもしていませんが、清水さんの朝フルが体にいいのなら、私はもっと前から清水さんの朝フルを実践していることになると、内心一人ほくそえんでいます。

 清水さんという一人の男性と出会っただけで私の理論や実践が少しだけ解明できたように思います。彼が企画したトークサロン「地域の自立とは何か」は、200人を超す申し込みで嬉しい悲鳴だそうです。ごっくん馬路村の東谷さん、葉っぱ戦略の上勝町横石さん、内子の森本さんに私が微妙にからむサロンは2月24日に開かれます。

  「聞きなれぬ朝フル実践二十年風邪も引かぬはリンキャベお陰」

  「痩せたいと思うは女性だけでなく病気のデパート持ってる人も」

  「果物は朝が一番金メダル食べないあなたはメダルも取れず」

  「朝フルの人から元気なメル届く私も負けじと朝ブロ朝風呂」

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shin-1さんの日記

○針と糸

 昨晩のことです。テレビを見ながら妻が針仕事を始めました。看護学校に通っている次男が看護実習ののために必要なエプロンに、自分の作った布文字を縫い付けて欲しいというリクエストに答えての針仕事です。聞けば小児科での実習なので自分の名前とパンが笑っているようなアップりゲで少しでも入院している子供たちと違和感のないような対応がしたいとの願いのようです。

 妻は私より年齢が1歳若いのにもう随分前から老眼鏡を使用しています。だから針仕事の度に私に針と糸を渡して糸を針に通すよう求めるのです。「顔は悪いが目はいい」と冗談を飛ばすほど私は目がよく見えます。さすがについ最近は時刻表の細かい数字は目を細めて見ますが、それでも針の穴に糸が通せるのです。妻が「お父さん素晴らしい」と自分に出来ぬことをやってもらうものですから、針仕事の度に重宝がられるのです。

 今時の若い子の殆どは針仕事が出来ません。息子も少しの間挑戦していたようですが諦めて頼んだのです。妻は昔和裁を習っていただけあって針仕事は得意ですが、それでも針に糸を通す道具に依存しないと針の穴に糸は通らないのです。

 昔の女性はお嫁に来る時花嫁修業として、さしすせそを習って嫁いだものです。さは裁縫、しは躾、すは炊事、せは洗濯、そは掃除です。今の若者は共稼ぎなのでむしろ男性がそうした出来ない部分をカバーするようになっているのでしょう。

 出来上がったエプロンを試着した息子は、「うん中々よくできている」と自画自賛しながら母親に「ありがとう。今日は肩をこらせたので肩を揉んであげる」と優しい行動です。次男は高校卒業で自分の決めた会社に就職し8年間働きましたが、「月謝が溜ったので看護学校へ行きたい」と会社を辞めての挑戦でした。5年間も果たして?と思ったのですが、それは取り越し苦労でした。来年一年で国家試験を受けいよいよ卒業です。「ついでにお父さんも揉んであげる」と横になった私を揉んでくれました。嬉しいサービスでした。

 今週から県立中央病院小児科の実習だそうで、朝早くから起きて準備に余念がありません。多分産婦人科での実習は実姉の指導を受けることでしょうが、少しずつ日増しに成長する次男の姿に、針の穴に糸を通すように目を細め見守っています。

  「俺の目は眼鏡なくても針の穴糸を通せる還暦超えても」

  「眼鏡何処妻の口癖聞く度に見える眼に感謝してます」

  「今の子は針さえ持てぬ情けなさ時代は変わるさしすせそかな」

  「肩を揉む息子の体温伝わりて外の寒さも忘れほのぼの」

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○衆議院予算委員会の模様

 私たち庶民にとって国会で交わされる質問と答弁のやり取りは、テレビの国会中継が真昼間のことでもあるから余程関心がないと見ることもなく縁遠いものです。特に政治家といわれる国会議員の先生方はまるでショー化したプロレスを見ているようで、何処までが嘘で何処までが本当か分らず、結局は「予定の時間が来ましたのでこれにて質問は終わります」で幕が引かれるのです。

 今日は車での移動の時間にラジオをひねると予算委員会の舌戦の模様が放送されていました。今回の質問はアメリカ産牛肉の輸入問題、建築の偽装問題、防衛施設庁の談合問題に質問が集中し、福祉や教育といった地味な質問はすっかり陰を潜め、忙しく振舞う大臣もいればあくびをして居眠りする大臣もいるなどさまざまなようでした。

 そんな中小泉さんが首相になってからは質疑やとりわけ答弁が面白く感じるのは私一人ではないのではないでしょうか。小泉首相になるまでの首相は間違っては大変と政府の官僚が鉛筆をなめ知恵を絞って書き上げた答弁書を、朗読しているような味気ないものでした。ところが小泉さんは小泉劇場と言われるように持ち前の奇人変人ぶりを遺憾なく発揮して、時には逸脱したパフォーマンスをするものですから、中々面白く耳が離せません。

 与党の質問は歯が浮くような美辞麗句や自作自演が多いのですが、野党は少しでも選挙に有利な点数を稼ごうと必死に調べて舌戦を挑むのですが、いかんせん勉強不足で小泉さんを引き立たせる道具にしかなっていないようでした。

 政治家の答弁は狐と狸の化かしあいといわれるように、真実は闇の中で聞いていないようなことを何度も回りくどく言って時間を稼いでいるように思えますし、そのことが滑稽で思わず噴出す場面も見られました。

 年金や物価といった国民である私たちの暮らしに直接結びつくローカルな素材でも、グローバルな国家や国際的な意見に摩り替えられるので、聞いていてもさっぱり分らない話も多いようでした。

 いよいよ今年度もあと1ヶ月半で終わり、新しい来年度が始まります。愛媛県では10年来最も低い超緊縮型予算だといっていますし、わが伊予市も合併して1年しか経っていないというのに財政は火の車とか、「俺に任せろ」という知恵もない私ども市民は結局蚊帳の外で、茅の内なる議会の行方を見守るしかないのかも知れません。

  「何処までが本当なのか分らない質問答弁嘘で固めて」

  「もし俺が大臣だったらこんなこと言ってやりたいそんな気持ちに」

  「結局は責任逃れのなすりあい日本の政治知れたものです」

  「東横の社長身障馬鹿にして今日は世間の批判を浴びる」

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