shin-1さんの日記

○21世紀えひめニューフロンティアグループという民間団体

 私たち20人ほどの仲間が20年余り前に組織した、何とも長ったらしい名前の民間ボランティア団体です。これまで無人島に子どもたちを連れて行ったり、丸木舟を作って瀬戸内海を航海したり、様々な活動を20年余り続けてきました。目標にしていた20年間の活動を終えたのを機に、これまた20年もの長きに渡って続けてきた代表の座を、当時事務局長だった大野哲治さんに譲り、一線から退いていたのですが、先日代表への復帰を打診されました。退職によって暇が出来たからとの認識かも知れません。しかし私にその気はなく固辞しました。

 「今やれる青春」というグループの20年をまとめた本を執筆出版することを条件に止めたのですから、次の世代への交代は当然と思い、彼らの活動をじっと見つめてきました。グループを統率するリーダーには様々な能力が要求されます。特に先見性や判断力、それに統率力、ネットワーク力とフットワーク力など数えればきりがないほどありますが、中でも行動力は自分の気力がないと出来ない話です。

 今はインターネットの普及によって情報が溢れる時代です。そしてその情報の恩恵によってみんな知識人になりました。でも知識を知恵に変えなければ何の価値もありません。知っていること(知識)と使いこなすこと(知恵)は違うのです。例えば「里山が危ない」ということは知っていても、じゃあ「どうしよう」と行動する人は少ないのです。「夕日が美しい」と海沿いに面した人は言いますが、じゃあ「その夕日をどう生かす」か行動する人は中々見当たりません。「夕日が美しい」と言う人に「それがどうしたの」と言ってやります。

 「人間牧場」も「里山が危ない」や「子どもたちに夢を」「自立する人間を作ろう」などなどの実践なのです。行動には時として失敗はよくあります。後で「ああしとけばよかった」などと反省することもしばしばです。私のように前もってみんなに公表してから始めるのは、プレッシャーがかかってもっと大変です。でも成果が上がると効果抜群です。人間は「自分というもうひとりの自分と戦わなければなりません。そのことが生きてる証なのです。失敗の暗いトンネルを抜けると慶びは一入です。

 「人間牧場」にやって来る人は誰もが「こんなセカンドハウスが欲しい」と言います。でも手に入れようとはしません。やるかやらないかは大きな違いです。

 朝から説教じみた話になりましたが、「人間牧場」は決して説教の場所ではないことを付け加えておきます。昨日フロンティアグループの仲間が結婚式に駆けつけてくれましたが、みんな歳をとりました。そうです。みんな歳をとるのですよ。

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shin-1さんの日記

○弟の里帰り

 奈良大和郡山市に住む弟が、息子の結婚式出席のため久しぶりに帰郷しました。娘・息子も結婚によって自立した弟は奥さん(義理の妹)と二人で帰ってきたのですが、息子が帰るとあって親父は何時になく明るく、何時になく元気なこのところの一週間でした。もうお目出度やお悔やみしか帰らない息子に会うのは、「わしの死に目かも」とついつい弱気の発言をしていた親父とは同じ人間とは思えない張り切りようです。

 親父はいつも弟のことを気にかけています。高校を卒業するとすぐに大阪へ就職した弟はが、双海町というふるさとで過ごしたのは僅か17年です。都会の雑踏に身をゆだねた時間は2倍以上の40年にもなるのですから、無理もない話しです。

 最近その弟が、奥さんのふるさと和歌山県古座に新居を構えました。勿論大和郡山市に家は建てているのですが、老後はそこで好きな釣り三昧をしながら暮らそうと思っているらしく、私の「人間牧場」によく似た生き方だと思わず苦笑いしてしまいました。

 私は兄弟5人の長男です。長男が後をとらなければならない理由は民法上今はありません。しかし私は生まれたときから長男教育を受けて育ちました。だから親父の面倒も別に苦になりません。幸い弟以外は双海町に住んで仲のよい兄弟関係を作っています。その陰には妻の気配りがあることも承知し感謝しています。最近無性に弟や兄弟のことが気になるのもやはり年をとったせいなのでしょう。

 明日は弟を「人間牧場」へ連れてゆきます。子供時代の思い出を共有しているだけに、しっかりと「人間牧場」からの原風景を目の奥に焼き付けて帰って欲しいと思っています。

 鮭が川を上るように人々の心は何故かふるさとを目指します。いつまでも心の中にふるさとを感じ続けて欲しいものです。

 余談ですが「人間牧場」の設計者が今日結婚しました。メチャメチャ緊張した息子の姿を頼もしく思いました。幸せを願っています。あーそれから父親のあいさつで「娘よ」という曲を何とハーモニカで吹きました。大きな拍手をいただきました。娘を嫁に出す相手の家族を思いやっての気配りのつもりでした。

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○時計のリズム

 この一週間に東京3回、和歌山1回の県外出張(講演なので仕事と言えるかどうか)で、ふるさとを留守にしました。3月末で仕事をやめて、のんびりゆっくり暮らそうと思って「人間牧場」を思いついたのに、これでは思ったことが出来ないと少々あせっています。

 そんなこともあって一週間ぶりに「人間牧場」へ少しワクワクの気持ちで出かけました。東京では「狭い日本そんなに急いで何処へ行く」てな感じだったのに、ススキを揺らすふるさとの秋風はゆったりと流れて、「ああ私は生きてる」って感じですが、ちょっとオーバーかな?。

 それにしても先日のホスピタリティー「地域のもてなしと観光シンポジウム」は、僅か30分弱の出番のために、一泊二日の東京での拘束ですから、ホスピタリティどころかもやもやの気持ちで帰ってきました。(本音は短いながら言いたいことはちゃんと言ったつもりですけど・・・・・・。

 つい最近「時計のリズム」なるものを考えます。世界中の人々には、みんな同じ「時計のリズム」が与えられているのに、都会と田舎では、また都会の人と私では、さらに私と今年88歳になった父とではまるで「時計のリズム」が違うのです。さらにさらに我が家と「人間牧場」で過ごす「時計のリズム」とでは大きな違いがあるのです。どちらがよいとはいえませんが、田舎者の私にはやはり都会の速いペースよりゆっくりペースの方が性に会っているようです。

 それにしても我が家には時計が沢山あることに今気がつきました。私の部屋だけでもパソコン、携帯電話、置時計、腕時計の4つもありますし、居間に4つ、台所に2つ、寝室に2つあります。その時計は何故か全部微妙に時間がずれていますが、みなその場所その場所の暮らしの中に組み込まれている用です。

 私の時計は私の「時計のリズム」で動けばいいと思うと少し、気持ちが楽になります。現役時代は人や社会や集会の「時計のリズム」に合わせて生きてきました。これからは出来るだけ私の「時計のリズム」で生きて意向と思っています。

 「人間牧場」の「時計のリズム」を早く体内に埋め込みたいものです。

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○「水平線の家」設計者の結婚

 「水平線の家」を設計した建築家が明日結婚します。といってもわが息子の結婚なので別にブログに書き込むほどのニュースではないのですが、お目出度いことなので少しだけ述べておきます。

 子どもと親の関係は今も昔も変わってはならないものなのですが、つい最近はその親子関係が少しずつ崩れつつあります。親は子どものことを思って言ったつもりでも、子どもからすればうるさい説教にしか写りません。特に父親と息子の関係はお互いが男性であるがゆえに、理性のぶつかりあいがしばしばです。自分の人生を振り返ってみても、同じように父親に反感反目して成長し、自分の息子が大きくなってやっと父親の気持ちが分かるような年代になりました。

 「人間牧場」の構想を思いついたとき、思い切って息子に話し、建築家を志していることもあって、息子に設計を依頼しました。結果的にはいらぬ衝突が随分増えましたが、同じ話題で話し合ったり汗をかくことが多くなり、親子関係が随分スムースになりました。嬉しいことですし、これからも話の出来る親子関係を保ってゆきたいと思っています。

 まちづくり人である私はこれまで、仕事と称して土日も夜も昼もなく働き家を空けてきました。またまちづくりを息子と真剣に向かい合って話すことも少なかったように思います。

 「人間牧場・水平線の家」建設は、私ども父子にとってラッキーチャンスであったとしみじみ思います。明日は息子の一世一代の晴れ舞台、いい結婚式でありますよう祈っています。

 そういえば気がついてみれば長男の息子はいつの間にか30歳になりました。当分の間親元を離れ二人だけの暮らしが始まるようですが、早いのか遅いのか分かりませんが、丁度よいと思えば丁度よい雛の巣立ちであります。

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shin-1さんの家

○水平線の家に望遠鏡

 長男が子どもの頃に小遣いを貯めて買った望遠鏡が、使われなくなって部屋の隅に置かれているので、思い切って水平線の家へ運ぶことにしました。水平線の家は眺望がよいので望遠鏡で見る必要はないのかも知れませんが、肉眼で見えない部分や星の観察、野鳥の観察だって出来るのではと思っています。

 子どもの頃、この場所で「海の向こうに何があるのだろう」と思い巡らせた空想の世界は、望遠鏡という文明の利器によって、夢から現実へと引き戻されてゆきますが、それもまた現実なのです。

 海側から見ていた山も山側から海を見るとまったく別の世界が広がります。また肉眼マクロから望遠鏡ミクロへ視点が変われば、新しい発見によって発想の転換が生まれます。かつて青年の船でアメリカへ行った時、世界地図の真ん中に日本ではなくアメリカがあったあの驚きが、後の私の発想を変えるのに大いに役立ちました。

 望遠鏡で海を見ると、行き交う地元の漁船や、島々の位置がよく分かります。かつて無人島に挑む少年のつどいなどで20年間も私たちの青春をたぎらせた無人島由利島も、静かなたたずまいを望遠鏡の中に見ることが出来ます。シリーズで「水平線の家望遠鏡物語」でもルポすると面白い世界が広がるのではと思ったりしました。

 今日の新しい発見をひとつ、「海の色は空の色によって変わる」ことを発見しました。抜けるような青い空の日は、真っ青な海が一面に広がりますが、雨の日や曇りの日にはくすんだ灰色の海になります。また夕日が茜色に輝けば海は真赤に染まります。このことを日々の暮らしで考えれば、灰色の心だと見るもの全てが灰色に見えてきます。心は人生を写す鏡かも知れませんね。

 海の色が部分によって変わる時があります。流れる雲が海に写るのですが、昔はこの色と魚影というか魚の群れが似ているため、随分魚見さん(山の上から魚群を発見し漁船に知らせる人)を悩ませたようです。私たち素人にはその区別などつきようもありませんが、目のよい魚見さんは微妙な海面の色で、鰯やサバなど魚種まで見分けたそうです。あっいけない、望遠鏡物語が始まってしまいました。この話の続きはまたあ・と・で・・・・。

 望遠鏡と一緒に双眼鏡も持ってきました。望遠鏡と双眼鏡は水平線の家の備品です。大切に。

 

 

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○ホスピタリティと観光

 東京青山にあるウイメンズプラザで「地域のもてなしの心と観光」のシンポジウムがあり、招かれてパネラーとして参加しました。ひところ観光といえば外国旅行や国内団体旅行などが主でしたが、最近は観光のスタイルも随分変わって、気の合った仲間や家族で旅をすることが多くなりました。

 驚いたことに私が考えていた人間牧場的な考えを、ちゃっかり金にして儲けている人たちがいます。私と同じパネラーとして参加した岐阜県明宝村の民宿の女将石田賀代子さんのパワーには驚かされました。明宝村は知る人ぞ知る女性パワーによるトマトケチャップのふるさとです。その村で民宿を営む10人の女将が連合して村づくりをやっているのです。地産地消なんてものじゃありません。自然食泊という言葉にも初めて出会いました。

 世の中には達人がいっぱいいる。その達人に出会い、異文化ギャップを感じるところにまた己の進化が始まるのです。雨の中での東京出張でしたが、いい出会いの旅でした。

 でも私も負けてはいませんでしたよ。北海道江差町から来ていたパネラーの室谷さんの素晴らしい発表ともまた違った味を出して、参加者から盛んな共感を誘いました。お蔭様で久しぶりに50枚の名刺が無くなってしまいました。木になるカバンに忍ばせている「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」の本も占めて12冊予約が入り、帰ってから早速発送しました。

 忙しさにかまけて、いや自分の性分から講演と本をセットで売るのは謹んでおりましたが、昨日であった人から「本はあなたのバックボーンだから自信を持って売りなさい」と強く言われました。そうかも知れません。

 次に作る本はブログに書いていることを少し充実して、一丁やってみるかなどとまた頭の中に新しい夢がわいてきつつあります。困ったものですね。

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○「人間牧場・水平線の家」に杉板届く

 昨日「水平線の家、」に大きな杉板が届きました。板にしているので何処の山にどのようにして立っていたかは不明ですが、とにかく大きな木で丸太だと二人が手をつなぐほどの大きさです。

 「水平線の家」の材料となる木材を仕入れた親類の木材会社の社長がお祝いに贈ってくれました。

 この分厚い杉板は座卓にでもして使おうかと考え、大工さんに話したら、あっという間にカンナがかけられ、トノコを縫って運び込まれました。

 足はどうすると尋ねられたので、不要なときは邪魔にならないよう丸太を切ってその上に乗せようとアイデアを出しました。その丸太も普通は椅子に変身させたいと思っています。

 いつも思うのですが、これらの木は60年生きて(実際は61年で1つサバを読んでいました)きた私よりはるかに長い年月を自然の猛威の中で年輪を刻んできたのです。偉いもんだと杉板をそっとなでてやりました。

 杉板は上に濡れたコップなどを置くと濡れたところが微妙に変化して美観を損ねますので、木肌を見せてはやりたいのですが、上にビニールシートを乗せなければならないかも知れません。

 この杉板に墨で字を書いてもらおうかとも閃きました。字は「恩」はどうでしょうか。友人に書家がいますので頼んでみます。

 

 

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shin-1さんの日記

 今朝和歌山から帰って見ると、メッセージを添えた花束が我が家に届いていました。

 happy birthday 若松様 おたんじょう日おめでとうございます。これからもますますお元気で

 私達の希望でいて下さい。  緒方・西岡

 と書かれたメッセージを見て胸が熱くなるのを覚えました。緒方さんと西岡さんは去年も一昨年も同じような花束を、縁もゆかりもない私に贈り続けてくれています。昨年はシーサイド公園で視察者を案内中思いがけず花束のプレゼントをいただきましたが、今年は私の退職を知ってか知らずでか分かりませんが、こうして温かい心が届きました。この年になると自分の誕生日すら覚えていません。ましては家族は・・・・。おっと失礼、妻はちゃんと覚えてくれていて、ちゃんと対応してくれました。

 最近は忙しいのですっかり二人のことを忘れていましたが、これを機会にまた交流したいと決意を新たにしたところです。住所録にも記憶させていなかった(実は何かで二人の住所を調べて昨年はお礼のハガキを出したと思うのですが)二人に心から詫びたいと思いました。

 そして素敵なこのお二人を「人間牧場」にご案内したいと思います。そして海を見ながら色々なことを話したいと思っています。お二人はまだ子どもさんも小さく、私のブログを読む暇などないと思い、再び2年分の予定表やメモ帳を探しています。彼女たちの住所を調べてお便りを出すために・・・・・・。

 また明日東京です。ホスピタリティと観光を考えるシンポジウムのパネラーですが、シーサイド公園で出会った花束を届けてくれた二人のことを、「人間牧場」の夢と一緒に、全国から集まった皆さんに話したいと思っています。

 

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shin-1さんの日記

 私の町(双海町)には残念ながら本屋さんが一軒もありません。だからといって生活に困ったりするものではありませんが、心の栄養とも、頭の体操とも考えられる読書は、今や私の暮らしの大切なトレーニングだと思っていますから、松山へ行ったときは必ずといってよいほど本屋に立ち寄りますが、それでも地方都市の車で行ける郊外の本屋では、中々好みの本を探せません。

 昨日和歌山へ行く途中梅田の紀伊国屋へ立ち寄りましたが、自分の探す本に出会う道筋を店員さんに聞かなければならないほど広く、右往左往しました。それでもお目当てのコーナーに行くとこれまた所狭しと並べられた本を見て、また選ぶのに一苦労しました。時間がなかったので、ブログの人間牧場で書いたスモークの作り方の本と、ブログの作り方の本を2冊、それに雑学の本を3冊購入しました。

 あわせて僅か5千円程度の投資でしたが、和歌山までの道すがら乱読にふけり、お蔭様で楽しい旅が出来ました。つい最近はパソコンも一通り揃ったし、これという投資が少なくなったと思った矢先の「人間牧場・水平線の家」へのでっかい投資で、只今アップアップの状態です。

 自分への投資なきところに発展はないと信じて大きな投資をしましたが、資金+人+技=経済だと思えば、「人間牧場・水平線の家」からどんな経済効果が生まれるか楽しみです。

 自由人になって暇が出来たと喜んだ矢先、私が自由人になったということが口コミで全国に広がり、この忙しさ何だろうと思うほどに忙しくなりました。自治会長として秋祭りの準備もしなければならず、当面は「人間牧場」どころではないといった手合いです。

 「人間牧場」へは道が狭いので、うちの母ちゃん専用の軽4アルトで行っていますが、往復22キロで使うガソリンや草刈機用の混合油など、このところの油の値上げは、随分家計にひびくと、嘆きの言葉が聞かれます。「そんなみみっちいこと言いなさんな」と、反論するのですが、無職の私としては昔のような「黙って俺について来い」ともいえず、余り効果がないようです。

 

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shin-1さんの日記

 このところ雑誌や機関紙への原稿依頼が増え、様々な原稿を書いていますが、その中で「文教月報」と「風おこし」、それに「公友会」という雑誌にそれぞれ「人間牧場」のことを書かせてもらいました。いずれの原稿も違ったタッチやテーマで書いているので、余りダブリはありませんが、県内向けですので読者層も広く、様々な意見が寄せられています。またブログのshin-1さんの日記も色々な人に読まれています。

 昨日届いたハガキには、「2~3日内に見学に行くからよろしく連絡待つ」や、広島の大学生から「卒論のテーマにまちづくりを選んでいるので、一度じっくり話が聞きたいので明日出会いたい」などと、いずれも緊急性有りげな様子まで様々な反応ですが、「人間牧場」には誰も興味津々のようです。

 「囲炉裏を作りたい」という記事を見て、早速「囲炉裏に入れる木灰を工面してあげます」と、有難い返事が返ってきました。普通囲炉裏は畳半畳ですが、水平線の家は畳一畳の細長いものです。したがって木灰も相当なものになりますが、登り窯で陶芸をしている人は木灰が大量に出るので処分に困っているので、いくらでも貰えるとのこと、ラッキーな話です。

 本当は囲炉裏に自在鉤をつけたいのですが、息子は囲炉裏の上に手作りの集煙機を取り付け、煙を強制的に外へ出すのだそうです。天井には既に換気扇の一部や誘導煙突パイプの一部が取り付けられ、まるで工場のようです。自分の育てた息子とさえ意見が合わないのですから、他人と意見の一致を見るのは大変なことですね

 あっ、大阪へ行く時間になりました。それではまた明日お会いしましょう。

 

 

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