shin-1さんの日記

○三代続かぬ

 私たちの地方に「親難儀 子楽 孫ほいと」という言葉があります。親が折角難儀をして汗水たらし作った身代も、苦労を知らない子の代になると親のような苦労はさせたくないと汗水の現場から遠ざけ勉学を志ざすよう都会へ送り、結局は家業のいろはも分らぬまま人任せで身代を潰し、孫の代は元の木阿弥どころか親の作った借金の返済に追われるという3代の物語がこの言葉には込められているのです。そんな目線で私たちの周りの家々を見てみると確かに思い当たる節が幾つもあるようです。

 私たちの子どもの頃までは、勉強をしたり上級学校へ進むのはお金持ちのすることとなっていました。長男は農家や漁家では何のためらいもなく親の跡を継がせ、次男以下の子どもはまるで口減らしのように奉公に出されたり集団就職をしました。そんな羨ましくも思えたお金持ちのお坊っやまやお嬢ちゃまは果たしてどうなったか、身の回りを見渡し指折り数えて見るのですが、それ程の出世もせず、それ程人が羨むような人生を過ごしていないばかりか、むしろ難儀をしている人が多いことに気付き、ああ昔の人はいいことを言うなあと改めて思いました。

 徳川家康は初代の家康から二代目の秀忠、三代目の家光までの三代で徳川300年の基礎を築きました。三代は名君といわれましたが、それは例外中の例外で初代家康が「人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し急ぐべからず・・・・・」の心訓を持って人の生き方を律しました。しかし時が経てば五代将軍綱吉のように「生類哀れみの令」などを出して人間より犬を大事にしたり、御三家の権力争いや大奥のしがらみに混乱もしました。これも長い目で見れば私たちの地方の言葉に似ている現象なのです。

 わが家は私で四代目だと聞かされました。初代から三代目の親父までは赤貧洗うがごとき貧乏だったと聞きます。「貧乏は決して恥ずべきことではない」と、むしろ一途に生きた前三代の先祖を尊敬している四代目の私なのです。今日の新聞に面白い川柳が載っていました。「貧乏な頃も誇れる成功者」というものです。時々テレビに出て成功者が貧乏なな時代を懐かしんで波乱万丈を語っている姿は、むしろ拍手を送りたいくらいです。

 さて若松家の四代目の私は名君になりうるか、まあ若松家なんてちっぽけな財産もない家ですから、身代全部潰してもたかが知れております。でも私は前三代目よりはましな努力をしてましな人生を、いわば若松家のワンランクアップ、格上げに貢献したいものです。さらに私の息子である長男にもその気風は受け継がせて行きたいと常々思っているのですが、息子やいかに・・・・・・・・。

  「四代目 少しは家に 貢献し 次の息子に バトンタッチを」

  「貧乏の 家に生まれて ラッキーだ 潰す身代 無いのですから」

  「親よりも 勝れる宝 何がある 器用努力 全て負けてる」

  「基礎土台 家を建てたる ご先祖に 俺は中身を 息子知恵出す」  

 

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shin-1さんの日記

○風呂敷がブームの兆し

 私は大の風呂敷愛用者でした。「でした」というのは過去形ですが、かつては何処へ行くのにも風呂敷包みを小脇に抱えていました。ところがある日、いえある日というよりは15年前のやはりある日、鳥取市で行われた中国四国キーパーソンの集いにコメンテーターとして参加しました。いわゆる村おこし仕掛け人の集まりです。集まった人は一言居士の変わり者ばかりでしたが、そこへコメンテーターとして呼ばれたのですから私も相当変わり者だと思うのです。

 その時鳥取の一青年から「風呂敷を持ったら田舎者に見える」と言われました。また酒席で「風呂敷包みを持つと東京ぼん太に似ている」と言うのです。(この話を理解できる人・東京本他を知ってる人・あなたはもう古いし賞味期限の切れ掛かった人です)。

 私は風呂敷の効用について薀蓄を傾けました。風呂敷は大は大、小は小として包めること、風呂敷は日本の伝統が生んだ最高の持ち物であること、買い物袋万能、使い捨て美徳は結果的に環境を破壊していること、風呂敷は頬かむりにもなるしスカーフにもなるし、時には包帯にもなることなどの効用を挙げながら話をしましたが、彼は聞く耳を持たずカバンを持つことを私に勧め、結果的には今の愛用している木になるカバンへと話は続くのですが、風呂敷の効果は想像にお任せいたします。

 「風呂敷がブームの兆し」と表題に書きましたが、最近小池百合子環境大臣が風呂敷愛用運動を提唱したものですから、一気に日本全体に広がりました。さすが顔のいい人や肩書きのいい人は違いますね。私が風呂敷愛用運動を提唱したのはもう30年も前のことです。田舎の若造の言うこことなど一笑に付されました。でも元祖や本家があるのなら私はれっきとした元祖で本家なのですから、小池大臣様そのことをくれぐれもお忘れなきよう願います。

 私たちは殆ど毎日毎日来る日も来る日もお店へ買い物に出かけます。その度に化石燃料で作られたビニール製の福利に入れて我が家へ帰るのです。あの薄っぺらいビニール袋は何気なく使っていますが居ちまい2円か3円します。大きいのになると5円を越えるものだってあります。これはお店のサービス品ですがこのビニール袋も枚数がかさむと大きな費用となります。結果的には商品にこの値段が必要経費として上乗せられて商品が高くなるのです。そればかりか家へ持ち込まれたビニール袋はやがてゴミとなり清掃センターまで収集車で運ばれ焼却処分されるのです。

 環境大臣の目の付け所は正しいのですが、これが大臣の任期中の人気中だから困るのです。大臣の任期は長くて2年です。どんないい考えでも次の人が出ればあっさり衣替えです。ゆとりや生きる力がいいと文部科学大臣が言うと次の大臣はそれを否定するように学力といいます。結局は国や県に踊らされた国民は「あの話は一体なんだったのだろう」と思わんばかりに終息してしまうのです。

 「文部科学省と農林水産省の言うことの反対をしたら上手くいく」と極論されるように、お上の威光は案外上手く行くものではありません。せめて大臣が大臣でなくなっても風呂敷の効用は是非広めて欲しいと思います」。そうしないと折角風呂敷ブームにあやかろうとした人たちが泣くことになるのです。これは決して大風呂敷な話ではありません。

  「風呂敷の 二枚や三枚 家にある 何故に使わぬ 古くはないのに」

  「大きいね あなたの話は 大風呂敷 包みかねます も少し小さく」

  「風呂敷が 良いと大臣 言ったから 流行り病が 日本全土へ」

  「風呂敷は 田舎者の 代名詞 それじゃあ俺は 都会人だな」 

  

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shin-1さんの日記

○みんなが言いよる

 昨日の夜は新旧の組長さんを集めてわが灘町自治会の総会がありました。この一年お世話になった組長さんには有難う、これからお世話になるであろう新組長さんにはよろしくといった意味も込めての総会でしたが、人の集まりも会がダブって行けないと事前通告のあった一人を除き全員が集合し、時間もNHKばりの7時きっかりに始まりました。私の口から言うと自慢しているように聞こえますが、いや自慢しているのです。時間が守れ人の集まりが100パーセントなんて会は滅多にお目にかかれるものではありませんから、私はこの自治会は凄いと改めて思いました。

 総会は事業報告・決算報告・監査報告・事業計画・予算を審議、こちらの説明がよかったのか異議を挟むものは殆どなく議事は約40分で終了しました。このような集会は滅多にないので、その他の項目で懸案の天一稲荷神社の建築問題と機構改革に伴う地域事務所の縮小問題、自治会の防災問題、不燃物の収集問題について約10分間区長としての考えを述べ、意見は懇親会で出すように言って食談に入りました。最近は世相を反映して女性の組長さんもいて、弁当折り詰めを持ってさっさと引き上げる人もいるので、多少盛り上がりには欠けましたが、それでもあちらで話に花が咲きました。

 「区長の説明した市の機構改革についてじゃが、わしは腹が立って仕方がない。今の市長は何を考えているのかのう。合併の責任者だったのだから分っているはずじゃが、総合支所をただの支所にして6課を2課にするとは何事じゃあ。それでなくとも何の説明もなく水道代は上がるし固定資産税は上がるし、おらは腹が立って仕方がない。このことはみんなが言いよる。市会議員は何をしよるんじゃろか。」と息巻くのです。

私が「みんなって誰ぜ」とやり返すと「みんなはみんなじゃあ」と返ってきました。私は再び「みんなみんな言うけど、みんなが誰か分らなかったら市長さんや議員さんに、あんたらの意見はわしゃあようつながん」と言ったのです。酒を飲まない私は素面、向こうは周りの人に「のう、お前もそうじゃろが。おらの意見が間違っとるか?}と同調を求め、その渦は酒の勢いで段々大きくなりました。「それじゃあ市長さんと議員さんを呼んで市政懇談会でも開くきん、みんな来てくれるかい」「そりゃええことよ、みんな来らい」「みんなというがみんなとは誰ぞな」「みんなじゃあ」とまあ延々と「みんな」論が続きました。

 区長は民意の集約と民意を市政に反映することもしなければなりません。議員さんのように一般質問をできる訳ではありませんから、市政懇談会などを開いて直接もの申すことは可能です。みんなが言うように市政懇談会でも開きましょうか。ただし私の言う「みんな」は新旧組長会に出席した60人の中で聞いたある一部分の人の話です。でも一部分の話でもそれは大切にしたい「みんな」の意見でした。

  「みんな言う みんなは誰か 尋ねたら みんなはみんな 果てなくみんな」

  「選挙から 一年経つのに 市長さん 一度も顔を 見せない何故に」

  「改革は 誰のためだと 訪ねたら 市民のためと 口先言うが」

  「役場前 ゴーストタウンの兆しあり 機構改革 追い討ちかけて」

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shin-1さんの日記

○万歩計からブログへ

 昨日は夜自治会の総会があるので、朝から資料を作ったり役場へコピー印刷をしに行ったりと朝から忙しい一日でした。夕方4時過ぎ一段落ついて夜の会合まで間があるので、久しぶりに裏山を散歩しました。急な坂道を登ってゆくと外気はまだまだ寒いものの汗ばむほどでした。周りの木々も随分新芽が膨らんでいよいよ春が来たなあと思いました。昨年の今頃は退職に当って体力をつけようと、朝な夕なこの坂道を急ぎ足で上り下りしたものです。携帯電話についた万歩計を1万歩以上にするのが日課であったような気がします。その甲斐あって体力も徐々に回復して3月・4月とも毎日1万歩を軽く越えた記録を見るのもこれまた楽しみの一つでした。

 数ヶ月して9月のある日、大学で教鞭をとっている娘婿からブログを勧められてから、私の暮らしの中から万歩計の存在が少しずつ遠のき、代わってブログの存在が大きくなり始めました。そして最近では万歩計の存在すらすっかり忘れていたのです。今日山道を歩きながら呼吸が少し荒いのに気付き万歩計を見ました。歩きながら履歴を見ると昨日もその前の日も6千歩程度なのです。この半年のブログに熱中しし過ぎていたなあと深く反省をしました。しかしそのことを悔いているのではなく、むしろブログによって随分充実した日々が送れことを感謝しながら、これからは万歩計の存在にも心を配りたいと思いました。

 人は何かに夢中になると周りが見えなくなると言われます。何事にも凝り性な私にその言葉はピッタリで、特にブログの魅力に取り付かれたような私がこの歳になって全てを完璧にこなすことはできないのですから、せめて高い所から鳥瞰する目を持って暮らしたいと思いました。

 宮本常一の生き方を書いた佐野眞一はその著書の中で宮本常一が知らない地方を旅する時必ずやることは、その土地が一望できる場所に登って粗方の土地勘を鳥瞰で頭に入れてから歩いたそうです。そうすれば余り迷うことなく効果的に歩けるのだそうです。この話はまさに今の自分に必要なものの見方かもしれません。

 今のところ体調もすこぶるよく、ぎっくり腰もこの半年病まずに済みました。健康だからこそ疎かになっている健康について少し気を配りたいものです。いよいよ退職2年目の挑戦が始まります。今年の目標はクォリティライフ、質の高い生き方をしたいと願っています。

 昨日山でオニグイの芽(タラの芽)を見つけました。ある人から教わったように棒で途中を叩くと芽がポロリ、お陰でイガで怪我することもなくタラの芽を3個収穫、今晩は懇親会で料理が出るため春旬の賞味は明日にお預けです。

  「ブログ書く そのことばかり 熱中し 万歩計など すっかり忘れ」

  「鳥の目で 見れば今俺 虫の目だ 鳥になったり 虫になったり」

  「タラの芽を ゴツンと叩き 落とす技 俺は天才 誰かの受け売り」

  「健康に なった途端に また忘れ 不規則暮らし 元に戻して」

 

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shin-1さんの日記

○妻がパソコンを始めました

 毎日あくせくと働く妻にとって、「そんな余裕はありません」と思っていたパソコンですが、職場でパソコンをいじくる必要に迫られたとかで、急遽パソコンを習うことになりました。最初は使い古しのワープロで練習していたのですが埒が明かず、ついには私の古いパソコンを居間の台の上に置いて練習する事になったのです。しかも何たることか私の指導の下にです。正直言って私も人に教えるような基礎的なことは何一つ学んでいないので、「文章が打てたらいいわい」くらいな軽い気持ちで始めたようです。ところがところが最初からつまずき、今日は始めてから間もないこともあって「お父さんこれはどうするの」「お父さんあれはどうするの」とうるさくて適いません。「お前のお父さんではない」と言ってやりたいのですが、私がパソコンを始めた頃もそうだったと思い起こしてその都度手取り足取りの指導です。しかし世の中は変わったものです。私の妻が、そして私がパソコンをいらう時代になったのですから・・・・・・。

 ところで妻がパソコンを習うと言い出してふと不安になったことがあります。それは私が大ぴらに書いているブログに妻の悪口を随分書いているのがいつかはバレるということです。まあ私のブログを読めるようになるにはそれなりの修行が必要でしょうから、当分の間は取り越し苦労かもしれません。でも少し心を入れ替えて妻への美辞麗句も考えねばならないでしょう。

 妻に渡したパソコンはウインドウズ98です。私のパソコンはウインドウズXPで私の方が進化をしています。間もなくウインドウズの新しいソフトが売り出される予定だったそうですが度重なるウイルスの進入に対応するため年末まで延期されるということをニュースで聞きました。私には関係のない出来事かも知れませんが、妻のパソコンを見て時代の流れと進化の早さを実感しました。

 妻は家計簿をつけています。ノートに線を引き書いているのですが、一度パソコンで家計簿を付けたらと勧めたことがありましたが、長年やっていることだし領収証のつづりの関係もあるのでと、考えを変えませんでした。今日その話をしたら「やってみようかしら」なんて話をしていました。わが家は農業簿記をやる必要のないものですから、暮らしにパソコンを利用しなくても別に困りませんでした。そのことで対応が遅れたことを少々悔やんでいます。でもこれからでも遅くはありません。しっかりと勉強して目に見える家計のやりくりをして欲しいのです。もしも、なんてことは考えたくありませんが、もしも妻に何かが起こったら私の家は何が何処にあるかさっぱり分らないのです。せめてデーターに出来るものはしておくように妻と話しました。

「お父さーん。ちょっと来て」。向こうの居間からまた妻の催促です。「何ぞー、わしは忙しいので今は手が離せない」。当分の間はこんなイライラ会話が続くことでしょう。わが家は長閑です。

  「その歳で いえいえ歳ではありません パソコン習う 今が適期と」

  「家計簿も パソコン対応 しなければ 今日の覚悟は いつまで続く」

  「パソコンを 習うと俺の ブログ読み 夫婦喧嘩の 基になるかも」

  「メル友の 女性が増えて にんまりと 何で笑うの 妻には内緒」

 

 

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shin-1さんの日記

○捨てる勇気

 61年間も生きていると、身の回りには病気や贅肉も含め色々なものが蓄積されています。勿論その中には長い時間をかけて培った人間関係や財産までも含まれているのですが、人間は得てして苦労をして手に入れたものは捨て難く、むしろ守ろうとするものです。それは動物的本能と呼ぶもので、動物が自分の産み育てた子供を外的から守ろうとする仕草や手に入れた獲物を相手に取られないように囲い込むことも動物本来のDNAがなすことなのでしょう。動物の一種である人間もこれと同じような行動をとるのは、天下りしてなお現職の頃の影響力を誇示しようとするお役人の姿を見れば明らかで、私たちの目から見ると哀れすら感じます。

 「捨てる勇気」は中々持てないものです。役職も権力もそれなりの魅力があって、ひれ伏すような態度をとる周りの状況に慣れてくるとその快感が増幅し、次第に胸を張る人を私は何人も見てきました。「あんな人にはなりたくない」と思っていても、いざ自分がその地位になりと同じような行動をとるのも悲しいかな人間の嵯峨なのでしょう。

 このところ毎日のように地元新聞では○○市人事異動の名前がこれでもかと言わんばかりに新聞紙上を賑わせています。役所に勤めた経験のある私のような者は虫眼鏡を片手に詳しく人の異動を目で追うのですが、普通の人にとってはなんら関係のないこれらの異動をこうも大きく取り扱う必要があるのか、疑問を感じずにはいられません。普通の考えだと「よくもこんなことで新聞を買ってもらうな」「もっと載せることがあるのでは」「新聞をつくる人の怠慢では」なんて勘ぐるのです。これは明らかに新聞の馴れ合いで、前例踏襲、「捨てる勇気」がないからだと思います。

 かく言う私だって「捨てる勇気」を持つには大変苦労しました。自分がつくったと自負する「夕日」などは、自負や想いの丈が高いだけに常に未練がつきまとい、さいなまれたりもしました。でも「捨てる勇気」を持とうと努力したお陰で随分楽になり、今では捨てた身軽さが新たなチャレンジへと変化して充実した人生を送っています。

 世の中にはたとえそれが煩わしくても家族のように捨ててはならないものもいっぱいあります。「捨てる勇気」には「捨てるものの見極め」が必要なのです。捨ててから「しもうた。捨てるんではなかった」t悔やむものもたくさんあります。でもその時は違う拾い方をして大事に育てればよいのです。

 捨てて捨てて捨てまくったこの一年、さて私には何が残っているのでしょうか。残った捨て難きものの発見もまた意味があるのかも知れません。世の中は+か-、白か黒、入力と出力、絶えずバランスを保つように出来ています。捨てた分だけ入力の容量が増えました。さあどんどん入力します。

  「捨てた分 入る容量 増えました 退職区切り つけて新鮮」

  「前例が 無駄な結果を 生んでいる 気がつき直せ 勇気ふるって」

  「地元紙の エゴがそこここ 見え隠れ これも大事と 見栄を張るけど」

  「捨ててみて 気付く値打ちは こんなもの いいじゃないかよ 素顔で生きろ」 

  

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shin-1さんの日記

○桜の足踏み

 数日前に開花宣言が出された桜ですが、私の町の桜は県下の開花速報に比べると毎年4~5日遅れて咲くようです。毎年「何でだろう」と考える私の浅知恵によると私たちの町は海に面していて、冬になると北西の季節風が吹くのです。この風は半端ではなく松山などへ行くとそよ風程度だのに、双海町へ帰ってみると木々を揺らすほどの風が吹いているのを何度も経験しました。多分東シナ海の風が関門海峡を越えて周防灘、伊予灘と通りながら増幅するのではないかと思われます。この季節風が桜の樹に当り花芽の殻を乾燥させて硬くする桜の冬眠本能なのでしょう。

 昨日松山へ行ったついでに温泉につかりました。温泉はあちらこちらの人が集まりますので、やれ宇和島の桜は満開だとか、松山道後はまだ三分咲きだとか話のネタは桜と甲子園で開かれている高校野球に集中しているようです。

 昨日は昼頃から寒気が流れ込んで日本列島も大荒れ、和歌山県では竜巻が発生し雹まで降ったそうです。東北や北海道は冬に逆戻りして雪が舞っているそうです。海岸の国道沿いに植えられている桜も、やっと冬篭りから目覚めて咲き始めたというのにまるでブルブル震えているように見えました。でも咲き始めると桜は枯れ木に花が咲くという表現がピッタリで一気に花を咲かせます。満開も時間の問題でお節句には綺麗な花の下で花見ができることでしょう。昨年までは桜が咲く季節の移ろいなど忙しくて何処吹く風でしたが、今年は行く春をしっかりと体感したいと密かに思っています。ですから桜の足踏みもさして気にならずむしろ楽しいのです。

 昨日の午前中、地域政策センターの鵜野さんが転任のあいさつ代わりに人間牧場へやって来ました。スライドする窓を開け心地よい風を受けながら二人で2時間程四方山話に花を咲かせました。私設公民館「煙会所」を使っての三十年が終わり、人間牧場の「水平線の家」へのバトンタッチは私自身への挑戦であることや、人間牧場の夢など他愛のない話でしたが、彼の人生もまた私がそうであったように、自分探しの旅ではないかと思いました。彼は本を3冊持参していました。多分水平線の家で読書をしたかったのだろうと思いますが、私の日程の都合でそれも適わず下界に下りて食事を済ませて帰って行きました。僅か2年間で四国中央市へ帰り市の広報を担当するそうです。忙しい仕事が彼を待ち受けていると思いますが、自分を見失うことなく2年間の成果を発揮していい仕事をして欲しいと願っています。

  「風に揺れ 寒そう桜 二三輪 間もなく花の 衣まといぬ」

  「去る人の 背中に受けし 春の風 優しく撫でて 通り過ぎゆく」

  「この花を 六十一回 見て過ごす 後何回か 指折り数え」

  「お茶請けに ピンク可愛いや 桜餅 花より団子 ホーホケキョ」  

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shin-1さんの日記

○まるでお仕置き部屋

 今日出張先から帰ると妻が「お父さん、息子が貰ってきた家庭用サウナ風呂の試運転をしよう」と言うのです。私は講演や宴会、それに帰ってから明日の自治会の総会に備え資料の印刷と、とても慌しい一日だったので、「次にしよう」と断りましたが、どうも次男が私たちがいない間に抜け駆けをしたらしく、妻に「お母さん案外このサウナ気持ちがいいよ」と勧めたらしいのです。妻は先日の友人との北海道旅行で、食べては寝る遊びで2キロ増となったのが余程気になるらしく、さっさとサウナ風呂に電気をつけて入ってしまいました。このサウナには小さな窓が付いていて、窓から覗くと中が分るのですが、外見はまるでお仕置き部屋か独房といった感じで思わず噴出してしまいました。シャツを着て入るので妻のグロテスクな容姿は全然気にもならないのですが、外から「どうだ気分は」と声を掛けると、「お父さんこれは気持ちがいいわい」とべた褒めです。このサウナを息子が貰ってきて家の中へ入れると言った時には、「電気代がいる」だの、「家の中が狭くなる」だのと散々御託を並べていたのですから、どういう心境の変化でしょうか。

 結局「せっかく温度が上がっているのだからあなたも入りなさい」と電気代の節約という言い訳で、私もランニングとパンツという出で立ちにさせられ中に入る羽目になったのです。畳半畳の中の温度計は55度とかなり低めです。ですが妻の入った後だけに僅か8分しかもたずに汗をいっぱいかいて風呂に入りました。「どうお父さん。気持ちいいでしょう」と早くも妻はとりこになった雰囲気でした。やれやれこれからが大変です。

 私の発案でこれからサウナを利用する人(家族)は一回100円をサウナに用意した貯金箱に入れる事にしました。これが今日からサウナの電気代になるという計算です。はたしてどの程度電気代がかさむか、家庭の台所をきりもみしている妻としてはそのことが気にかかるようです。

 早速息子に電話をかけました。「お父さんとお母さんがサウナに入ったのだが、とても気持ちがいい」との報告です。息子は得意満面で「そりゃ麻生よ。僕が貰ったのだから」でした。息子は先日山の五右衛門風呂にも入ったし、今度わが家へ帰ったときは自分も入るからと電話を切りました。ああ似たもの親子の平和で長閑な会話です。

  「友だちが くれたサウナで 汗をかき 痩せたつもりの 妻は鼻歌」

  「サウナ入る 一回百円 小銭入れ 電気代だと 殊勝な考え」

  「窓越しに 妻の容姿に 汗光る ムラムラするより 少しげっそり」

  「わが家では 健康一番 銭二番 三番息子 早く自立を」

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shin-1さんの日記

○自分の脳の活性化法

 人間には様々な能力が潜んでいます。体内で増殖するガンなどもマイナス部分ではあってもある意味での能力だし、私のようにチエンソーで足を切っても自然治癒力に助けられてほぼ元通りに直るのですから凄いと思います。またレントゲンや脳波の検査でも絶対表現できない思考能力など、実に様々な能力があるにもかかわらずその備え付けの能力に気付かぬまま日々の暮らしを営んでいます。

 私のような浅知恵で考えるのですから大したことはありませんが、成功者と失敗者の差は何かと、失敗する度に考えます。私の場合は公務員であったにもかかわらず随分発想を広げその実践をしてきたつもりなのですが、それゆえに成功と失敗を何度も繰り返してきました。

 私が夕日に着目してそれを成功に導いた話を例に考えてみると、私の体内には子どもの頃から見ていた漁村の夕日、宇和島水産高校の練習船愛媛丸で見た夕日、青年の船で旅して見た夕日など様々な夕日にまつわる意識が存在していました。そのことに気付かせてくれたのは、NHKのカメラマンでした。『ここの夕日は綺麗」と言った一言で潜在能力に気がついたのです。

 でもここまでだと普通の人です。私はこれを町の地域資源ととらえ雄飛を売り出すことを考えました。ここまで考えるのも普通の人です。さあこれを夕焼けコンサートに仕組もうと考えた時、私の心に「失敗したらどうしよう」というベーター波が生まれます。このベーター波をアルファー波という実践に移すには私の心の縛りとでもいえるメンタルブロック蓋があるのです。このメンタルブロックを取り除くことこそ成功への第一歩なのです。

 私はこのメンタルブロックなる潜在能力と顕在能力の間にある蓋の存在に気付き始め、そのメンタルブロックを取り外すことに挑んだのです。かくしてメンタルブロックは取り除かれ、コンサートは大成功を収めました。

 誰の体内にも存在するメンタルブロックを取り除くアルファー波は正直いって日ごろの訓練がなければ体内から出てきません。私はこの訓練のために本を読み、人の話を聞き、知らない所を見る訓練、文字を書き、人の前で話し、様々な実践をするという訓練もしています。でももっと大事な脳の訓練はいかに早く本を読み、いかに早く人の話を聞き、いかに早く見るか、またいかに早く文字を書き、いかに早く喋り、いかに早く実践するかといったトレーニングが必要なのです。

 田舎はスローライフの世界です。またつい最近はユックリズムなる風潮が田舎にも広がりつつあります。それはそれとして結構な運動なのですが、自分の脳を活性化させていくためには「早さ」という訓練なしではでき得ないのです。最近流行り始めた速読・速聴なる流れはまさに私が実践している脳波活性化の、あるいは成功に導く第一歩なのです。

 私たちは原点回帰の癖があります。20年前を懐かしむのもそのためです。原点回帰でゆっくり暮らすと多分ベーター波が脳を支配sるようになります。アルハー波が脳を支配しなければ生きることの意味さえも分らず生きる危険性があるのです。

 赤トンボや夕焼け小焼け、ふるさとといった昔懐かしい歌だけを聴いているとベーター派に脳が支配されます。ビートの効いた若者の音楽を聴くと多分頭が錯覚混乱します。でも聴き続けると体がリズムに乗って動き出します。これこそアルファー波が生まれた瞬間なのです。

 今朝はこ難しい話を書きましたが、一度立ちどまって考えてみてください。

  「ベーターを アルファーに変え 生きてみる 脳が元気に 成功導く」

  「ゆっくりと 生きてる人は ボケてゆく 速度が速く そのうち認知に」

  「若者に 出会うと脳が 刺激され 気分までもが 若くはつらつ」

  「速聴と 速読心に 言い聞かせ やってみなさい 知らない自分が」 

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shin-1さんの日記

 ○幻のポスター見つかる

 一昨日ブログに「青春18キップのキャンペーンポスター一枚行方不明」と書きました。するとこのブログを殆ど毎日読んでくれている伊予市教育委員会双海分室の松本さんが、私が所用で地域事務所へ行った折心当たりの場所を探してくれました。何と何とそのポスターが倉庫の中で見つかったのです。3枚セットのポスターだけに感激でした。早速車で運んでわが書斎にてまじまじと見ていますが、どなたが撮影したのか定かではありませんが、たった一つの名もないに等しい無人駅をこうも表現できるのかと思われるほどに写しているのです。

 最初のポスターのキャッチコピーは「駅に着いた列車から高校生の私が降りてきた」、2枚目は「思わず降りてしまう、という経験をしたことがありますか」3枚目は「拝啓、僕は日本のどこかにいます」です。多分コピーライターが出来上がった写真か現場を見て直感的に感じたことを短い文章にまとめたのでしょうが、短文ながらまさに素晴らしい表現で、青春18キップに相応しいものです。

 私がブログを書き始めたのが昨年9月です。何の予備知識も持たぬまま意の向くままに書いている文章は、正直言って何の目的もありません。でも自分の思っているつれづれがこうして文章になり、知人とのコミュニケーションができることは凄く有難いことなのです。

 松本宏さんはかつて私が教育長時代に一緒に仕事をしました。特に合併前の公民館が合併後しっかりと根を張って生き残れるようにしようと、公民館運営審議会に諮問して答申を出すようお願いしました。彼はしっかりと努力し短い時間ながら精力的に動いて想像以上の答申のとりまとめを行ったのです。合併後も若い職員の指導や自分の考えをしっかりと持って生きてきました。今回の異動で別の部署に異動するそうですが、返す返すも残念です。でも進展地で必ず何かをしてくれるだろうと密かにエールを送っています。

 人間牧場ができたら子供たちを案内したいと話していた矢先でしたが、地域を愛する心を持った数少ない

市役所職員なので、これからも折に触れ人間としての付き合いをしたいものです。ああそうそう彼は高校・大学でらぐびーをやってた凄いラガーマンです。彼の魅力は人間がおおらか、酒は豪快、仕事は緻密です。私と同郷、家も元は漁師というのも何かの縁ですね。

 今回は彼がブログを読んでいたお陰でポスターが見つかりました。感謝しなければなりません。お礼に何か考えなければなりませんね。

  「ポスターに 捜索願 出しました 手配宜しく 見つかり戻る」

  「三枚が セットのポスター サンセット それぞれ違う 味と趣き」

  「この駅で 始まるドラマ 二十年 今では馴染みの 夕焼け小焼け」

  「寅さんが 寝そべるベンチ われも寝て 同じ夢見る えひもせすん」

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