shin-1さんの日記

○県境の町は愛媛で一番東京に近い町

 いつも思うのですが、愛媛県内の過疎地に行くと決まったように「こんな僻地まで来ていただき恐縮です」とあいさつされます。確かに愛媛県は東西に細長い県ですので県庁所在地からだと、いくら高速道路が整備されているからといっても愛南町の旧一本松だと3時間もかかるし、伊方町の旧三崎町でも2時間、また橋が架かからなかったしまなみ海道沿いの島々へは、更に更に時間を要します。ですから自分たちの住んでいる所を僻地だと思っているのだと思います。しかしそれは心の負い目であって、もっと自信を持って自分たちの町に生きなければならないのではないかと思うのです。

 今日はしまなみ海道を通って今治市の旧上浦町の高齢者フェスティバルの記念講演に招かれ、朝立ちで出かけました。しまなみ海道沿線はもう春の装いで吹く風に磯の香が漂い、日本一のつり橋を渡って行きました。少し時間があったので旧吉海町のバラ公園に立ち寄ってみました。シーズンオフということもあって公園周辺に人影は殆どなく、バラ公園の管理をしている女性が数人黙々と作業をしていました。バラの芽は芽吹きはじめており、女性の方に聞くとこの公園内には6500本ものバラがあるそうですが、毎日こうした丹精があるからこそ5月の美しい花があるのだと、むしろ花を見たより感激しました。今年のゴールデンウィーク後には、しまなみ海道もいよいよ全通するとのこと、尾道への所要時間は20分も短縮されて便利になるそうなのですが、吉海のバラ公園にとって全通は通過する町になるだけに手放しでは喜べないのではないかと心を痛めました。

 旧上浦町には広島県瀬戸田町、いやもう尾道市と合併をしたので旧瀬戸田町と言うべきでしょうが、愛媛と広島を結ぶ立派な橋が架かり、その袂に道の駅があります。この道の駅の創業時には随分と深いかかわりを持ちました。当時の産業課長だった吉田さんと計って色々と知恵を出しました。当時は開通景気も重なって凄い人でしたが、今は往時ほどの勢いはなくひっそりした雰囲気でした。

 今日の集会は文化勲章受章者の村上三島記念館でありました。嬉しい事にかつて県議会の重鎮であった先田先生が面会に来ていただきました。在職中、一介の役場職員だった私に何かと目と声ををかけてもらった大恩の人ですが、わざわざのお運びに恐縮してしまいました。また良く酒を飲みよく夢を語った富士見園社長の鶴岡元議員さんも楽屋へ面会に来られ、嬉しい出会いでした。

 会場は約500人の熱気でムンムンでした。お年寄りのパワーは凄いと思いました。しかし残念な事にどの役員さんからも「こんな僻地まで」と謙遜でしょうが言葉が出ました。私は「ここは僻地ではありません。松山より東京に近いので、松山の方が僻地ですね」と笑って反論しました。私は思うのです。旧上浦町のような穏やかな地域で人生の終わりを迎えれることの幸せを・・・・・。皆さんもそう思いませんか。私は自分の地域が僻地だとは一遍も思ったことはありません。今は人間牧場も作り、むしろ田舎を見せびらかせて暮らしています。水は美味い。空気は美味い。食べ物も美味い。人を気遣う最高のコミュニケーションがある。こんな天国のような所で生きれることは最高の贅沢なのです。自分の暮らしの素晴らしさは外に出ないと中々分らないものです。私の90分の話はその事に大半を費やしましたが、さて心の扉は開いたかどうか・・・。

  「こんなとこ 僻地僻地と 言うけれど 何処が僻地か 東京近いぞ」

  「幸せな 日々の暮らしが あるとても この上何を 求めたがるか」

  「ハーモニカ 吹けばいきなり 歌いだす 体感音楽 心に染みて」

  「花束を 講演お礼に 渡されて すっかり揚がり 時計忘れた」  

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shin-1さんの日記

○ワープロに再び命

 妻の勤めている医院ではパソコンが使われていますが、妻は何故かマニュアル通りの使い方しかできないので、パソコンの使い方を知りません。ですから文章も打てないのです。今年からこの医院もさらにパソコンを充実するそうで、練習するように先生からお話があったとのことでした。早速キーボードの特訓をしたいと、もう2年間も使っていないワープロ書院を持ち出して電池を交換し打ち始めました。「私のパソコンで練習したら」と言ったのですが、私の大切な情報を滅茶苦茶にしては大変と、昨夜ワープロで練習を始めました。私が自分の書斎で仕事をいていると「お父さん」「お父さん」と隣の部屋から声がするのです。「お前のお父さんではない」とその都度部屋を移動するのですが、最後はうるさくなって険悪なムードになりました。

 人間の記憶なんて当てにならぬもので、あれほど使っていたワープロも2年間もブランクがあると「さてどうだったか」と思うほど、操作を忘れているのです。操作をしながら思い出すのですがこれが中々思い出せないほど私の頭は退化の一途を辿っております。

 ワープロを打ちながらふと思いました。ワープロに打ち込んだハガキ通信は果たしてどうなっているのだろうと・・・・・。そうです。私はこのワープロ書院で確かに一年365日のつれづれをハガキ通信として世に送り出しました。ですからどこかにあのフロッピーが残っているはずなのです。今のように別仕立てのプリンターがある訳ではないのでプリントするには感熱紙かプリンターリボンが必要です。そんなものも処分してなくなっているので、早い機会に印刷し、何冊かの手作り本を作っておきたいと思いました。

 そんなこともあって古いワープロのフロッピーを書棚の置くから探し当て画面に出してみると確かに記録は残っていました。嬉しくなりましたが印字できず今回は見るだけとなってしまいました。でもワープロも偉いです。2年間も書斎の隅で埃にかぶって見向きもされなかったのに、ちゃんとご主人様のことを記憶しているのですから。もう電子ゴミと思っていたワープロに再び命を吹き込み、もうひと働きしてもらいたいと、丁寧に妻は掃除をしてくれました。人間の、いや私のエゴがここにも見え隠れしました。

  「部屋の隅 埃を被って 出番なく やがて消えゆく 俺と同じか」

  「ワープロの 感熱・リボン 探したが 何処にあるやら 行き方知らず」

  「早いうち ハガキ通信 一冊の 本にしたいと 願っています」

  「この歳で いえいえパソコン 歳でなく 頭と体で 誰でもできる」  

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shin-1さんの日記

○みかんが美味しい季節です

 わが家のあちこちを探して見ますとみかんのオフシーズンなのに沢山のかんきつ類に囲まれて暮らしていることが分ります。まずレモン、コーヒーの飲めない私はもっぱらレモンを少し厚めに切ってレモンティ、しかも少し見栄えは悪いが無農薬なので安心して飲めます。先日も御荘牡蠣が届きましたので酒蒸にしてレモンを垂らしました。もうたまりませんで、次男などは牡蠣を7個もお代わりしました。(私は正直な話余り好きではないのですが、料理の腕前がよい妻の手前美味しいと言って食べます。私たちのところでは「カブス」という酢を取るのがありますが、これは鍋物には最高です。名前からしてカ・ブス」と女性の顔(おっと失礼)を連想しますが、なかなかどおして水炊きにはこれと唐辛子がないといけません。レモンもカブスもわが家の菜園の隅にちゃんと植えられています。

 昨日妻が金柑を貰ってきてシロップ煮を作っていました。マーマレードやユズの皮などの保存食品に加え何故か酢橘も冷蔵庫の隅に残っています。このように料理や食べ物に彩を沿えてくれるのもかんきつ類なのです。(わが家の金柑の木は椿さんで買って植えたのですが、何故かご主人様に似て野良木で未だにろくな実を成らせてくれません)。

 雑柑類が美味しい季節になりました。つい最近は流行り廃りが激しくセトカだのハルミだのよう覚えませんが、ネーブル、ポンカン、八朔、伊予蜜柑など家の中にゴロゴロしていて、やはりみかん所なのでしょうか近所の人が何かにつけて届けてくれるのです。晩生(おくて)と称するみかんも今は最高に美味しいです。そして極めつけは三崎町(現伊方町)の塩崎さんが毎年この頃になると届けてくれる清見タンゴールです。切って食卓に出すのですがこれが果汁が乗って美味しいですね。先日の飲み会で手土産として貰いましたが、孫に送ったためもうなくなりそうです。

 一昨日地元の方にお願いして伊予蜜柑10キロ入りを10箱、全国の知人友人に出荷しました。早速お礼の電話やはがきが届いていますが、粉雪舞い散る北海道へも2箱送りました。夏に夕張メロン、秋にはジャガイモを送ってもらった返礼です。

 妻も子どももみかん類が好きで、のべつまくなく食べているので、みかんの頃になると手が黄疸のように黄色くなっています。お陰さまで少し太っていますが、これはみかんのせいではありません。食べ方が問題なのです。「朝フル」の話をしてやりますが、一向に乗ってきません。大河内さんや清水さんの話をいつかの機会に聞かせたいと思っています。

 わが家の菜園で冬を過ごしたものに甘夏があります。今年は寒さで随分実が落ちましたが、それでも越冬し甘みを蓄えて出番を待っています。摘み取ると腐るので、わが家では初夏の頃までこのまま置いて食用やおすそ分け用にします。木のためには早く取った方がよいのでしょうが、まあ大目に見てください。

 こうしてみると、わが家の暮らしにとってかんきつ類は大きな役割を担っていることに気がつきます。これだけでも一冊の本ができるくらいですね。

  「今朝みかん 昼伊予蜜柑 夜清見 明日はネーブル 夏夏みかん」

  「金柑を 煮詰めて作る 喉薬 風邪気味父に お粥とともに」

  「不思議だな 高接ぎすれば 違う実が 同じ木だのに 何故になるのか」

  「今の子は 蜜柑を食べぬと ぼやく人 作っているのに 喰わないのだから」

 

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shin-1さんの日記

○Eメールで毎日が楽しいです

 私はパソコンが大の苦手です。ですから今までパソコン通信などは使わずもっぱらハガキ通信が主流でした。ですから最近になって仲間内の会合ではパソコンの話題になると、私は蚊帳の外的な孤独を感じていました。これは不味いと思ってみても、パソコンへの投資能力やパソコンの知識を持ち合わせていなかったので、ジレンマの日々が続いていたのです。職場のパソコンを使ってあれやこれやと文章を書いたり、仕事に必要なメールのやり取りぐらいだったのですが、仕事を辞めてからはその道も断たれてしまったため、このまま逃げたら駄目だと思うようになり、思い切ってパソコンに挑戦しました。息子と共謀して無線電話回線を引いて、とりあえずインターネットができる体制までは持っていったのですが、これがまた右往左往の連続で、息子に面倒くさがられながらもどうにかインターネットで連絡が取れるようになり、娘婿の協力でホームページやEメールアドレスも用意され、さらに昨年9月からはブログの書き込みもできるようになり、苦手克服と相成りました。しかしまだブログに写真を取り込んだり編集をする技術は伴ってないので、それが只今の悩みの種なのです。

 先日清水さんの紹介でいーネットのメーリングリストに名前を連ねることを許可されましたので、30人くらいのメール友ができ、傍観的ながら皆さんのメールを読んだりメールのやり取りをしているのです。たまたままちづくりサロンがあって多くのメル友が参加していましたので、最近では話題も共有できるようになり、パソコンを開けるのが毎日楽しみです。「パソコンは相手が見えないから誹謗中傷的な勝手なことを書くもの」という先入観は払拭され、こちらの意見も書き込んでいます。最近は2.3日家を空けているとメールが溜ってその処理に時間がかかる程です。

 私のパソコンにはこうしたメル友の他に業務用とでも言おうか、仕事のやり取りの情報も沢山入ってきます。今日も名古屋から原稿の校正のための原稿が添付されていたことを見過ごし、締め切りが過ぎたブーイングが電話でありました。メールは余程的確に処理しないと見忘れや処理忘れ、添付開き忘れが多く、まだまだ私のパソコン能力は幼稚園程度なのです。

 自分の自由時間の中でパソコンの前に座る時間も次第に多くなりました。今は指定でも毎日一時間はパソコンの前に座っていますし、仕事の能率も随分上がったような気がしています。何はともあれパソコンが苦手や苦痛であった一年前のスランプからは完全に脱皮したことをご報告します。「偉いぞ進ちゃん」なーんて言葉が返ってきそうです。

  「逃げてたら 追いかけられる そう思い パソコンマスター 今は楽しく」

  「メル友の 顔も知らぬに メール打つ 知ったかぶりが いいではないか」

  「スラッシュや ドットコロンと 言われても 言葉通じぬ あんたは古い」

  「メル届き 八十歳とは 驚いた 飛んでるばーちゃん きっと長生き」

  

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shin-1さんの日記

○石の上にも3年

 愛媛大学の非常勤講師をお引き受けして今年で丸三年を終えました。長いようでも短いようでもありましたが、今日幾つかの提出書類を大学に持っていって一応の区切りをつけました。最初はドギマギした大学の仕事もどうにか飲み込めて今は少しゆとりが出てきた感じです。非常勤講師は毎年契約更新ですから成果が出なかったり失敗すると声はかかりません。先日担当の先生からメールで来年もとのお誘いがあり、今日偶然にも大学から非常勤講師就任の承諾依頼書が送られて来ました。今晩妻と相談して決めたいと思いますが、断る理由もないので、大学生が卒業するのが4年だと思って引き受けたいと思っています。さて妻はどう言うでしょうか。学生の皆さんに「学びの感想」というレポートを書いて提出してもらいましたが、この一年前期30時間、後期30時間、計60時間の受講感想は概ね良好で、特にフィールドワークで県内市町を調査のために訪れたことは印象に残っているようです。

 私自身も若い学生との交流で随分学ばせてもらいました。今の若者がどんな意識を持ちどんな行動をとるのか興味があり研究もしたかったので積極的に学生と情報交換をしました。また学生が考えるまちづくりについては「えひめ地域政策研究センター」の機関紙「舞たうん」に、二回連続でその成果を掲載してもらいましたし、研究員の皆さんと学生の話し合いの場も持てました。

 私のゼミには今年は26人の学生が参加し「地域振興とまちづくり」というテーマで様々な切り口から講義を試みましたが、一年間の学習を経て学生が提出した「私の感がえる地域振興とまちづくり」には、A4i一枚の短い文章ながら踏み込んだ意見が随所に見られました。

 大学は最早先生から講義を受けるだけの時代は終わったように思います。講義は勿論大切ですが、私たちのような社会人の経験から生まれた論理を聞いたり見たりしながら主体的にどう学習ができるか、そして願わくば大学と社会の間の大きな壁を取っ払って、いかに社会貢献できるかが試されているようにも感じました。学生たちには「たのくるしい」という私が作った造語を最初に贈りましたが、はて楽しくも苦しくもあったでしょうか。 さてさて来年はどんな教え方をしようか、思案中です。

  「大学へ 三年通って 教えたり 知識増えたと 感謝レポート」

  「たのくるし そんな造語の 学び終え また新しき 学生たちと」

  「優良可 顔と名前と レポートで 点数つける 首をひねりて」

  「春始め 冬終わりの 授業する 学生衣 春から冬へ」   

 

 

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shin-1さんの日記

○私立中学校が人気です

 現在日本の中学校は義務教育ですから、殆どの子どもが地元の中学校に試験や選抜もなく通うことが半ば通例になっています。ところがつい最近ではそうした当たり前だと思われていたことに変化が起こり始めました。私立の中学校がその勢力を増しつつあるのです。田舎には私立の中学校が殆どないのでピンときませんが、都会では水面下で立派な中学校へ子どもを入れるための激しい親のバトルが繰り広げられているというのです。つまり私立の中学校へ進学するということは小学校6年生になると志望校への受験が待ち構えているのです。そのため子どもたちはうかうか遊ぶこともできず、もう小学校3年生になると塾通いが始まり、ゆっくりした子ども時代など夢のまた夢にになりつつあるようです。

 私たちのように子育てを終わった年代はこんな話を聞いても他人事だと冷めた雰囲気で聞き流しますが、これから子育てをする人たちにとっては他人事ではなく気を揉むことでしょう。

 こうした時代背景には文部科学省が出した「ゆとりの教育」を基軸とした学習指導要領によって学習時間が大幅に短縮され、その結果学力が世界の国々と比較して低くなったという調査結果が発表されたからだという説がありますが、その真偽は定かではありません。最近では中高一貫教育などを推進する各県の動きもあって、ベルトコンベアーに乗り遅れまいとする親の焦りも拍車をかけているようです。

 冷静に考えれば子どもを伸び伸びと育てた方が良いし、最近の青少年を巡る世相からもゆとりは大切だと思うのですが、猫の目とか、風見鶏とか、はたまたあんま膏薬とか悪口を言われるように文部科学省のやることなすこと全てに、良い結果が出ない現状ではこうした混乱も仕方がないことと言わざるを得ない現状です。文部科学大臣が変わる度にこう方針がガラリと変わるようでは、たとえ教育基本法に「国を思う心」を盛り込んだところで国を思う心を持った子どもたちは育たないような気がするのです。

 私たちが中学時代にもこれとよく似た現象が起こり、私たちの同級生のお金持ちや知識人の子どもの何人かは松山の中学校に進学しました。結果はどうであったか見てみると、地元の中学へ行った私たちと左程変わった人生を送っているとは思えず、同級会などに来ても恩師もなく親しい仲間もなく、むしろ肩身の狭い思いをしているように思えてならないのです。

 子どもは親の理論だけでは生きて行けません。子育ては何処を出たかより、何をどうするのか常に子どもの目線で考えてやることが重要です。ましてや少子化で子どもたちは兄弟も地元の友人もいない寂しい思いをして生きていくのですから、せめて中学校くらいはふるさとととの深い関わりの中で育ててやりたいと思うのです。

  「六年で 早くも進学 競馬馬 親は馬券で 大穴狙い」

  「飛びきりの 学校出ても することは 親を立派な 特老預け」

  「子を預け 年寄り預ける この社会 何か狂って いると気付かず」

  「名門の 私立中学 出たという 社会じゃ俺が 一枚上だぞ」

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shin-1さんの日記

○新友にして親友との深友としての付き合い

 昨日の夕方「ごっくん馬路村」で有名な高知県馬路村から木下さんがやって来ました。彼とは昨年12月に「地域の自立を考えるサロン」の打ち合わせを馬路村で開いた時、東谷専務が声を掛けていたので参加していた馬路村役場職員です。人なつっこい彼はたった一夜の出会いで私の新しい友人、つまり新友になったのです。そして今年の2月に開催されたサロンに東谷軍団の一員として来県しちゃっかり親友となり、人間牧場まで押しかけて来ました。そして昨日年度末のこのくそ忙しいのに休暇までとって三度やって来たのです。

 「忙しくて日程が詰まっているから来るな」というと、「いつが空いているのか」、「土日はいっぱい」というと「平日でも休んでいく」と、まあこんな具合に粘られうっやられて昨日の出会いとなりました。彼の本当の目的は馬路村をデザインしている人間を私に会わせたかったそうなのですが、出発直前になってそのデザイナーが風邪をひいてダウンしてしまい、結局は何の目的も果たせぬまま無目的な一人旅でやって来ました。

 せっかくやって来たのですから、飲み会でもと地域政策センターに声を掛けたところ、サロンで知り合った遠来の友を大切にする井石主任さんをはじめ全員が参加してくれました。木下さんも感激でしょうが私も僅か1時間前に声を掛けてもしっかりと対応してくれた研究員の皆さんに心から感激しました。

 「小雪舞う中4時間もかかって大変だったでしょう」と研究員が言うと、「いえいえ大したことではありません。僅か4時間で来るのですから」とはさすが高知のいごっそです。彼はユズですっかり有名になった馬路村を魚梁瀬杉で有名にしたいと思っています。ユズや農協にあらずんば馬路村民ではないという風潮の村で、平気でユズを否定する辺りが私の最も気に入っているところです。人と話をする時彼は必ずメモを取ります。「酒を飲んでいる時にメモをされると場がしらける」と注意をするのですが、彼は私の忠告など何処吹く風です。こんな彼を私は深友といわざるを得なくなってきました。

 昨日は何処かのホームセンターに立ち寄って、清掃道具を買い車にしのばせやって来ました。「明日の朝師匠と一緒にシーサイド公園の清掃をするのだ」と張り切っておりましたが、泊まる場所が松山だったためさすがにそのことは丁重にお断りをしました。

 彼はこの日馬路村温泉の若い林支配人から私宛の手紙を携えていました。彼から届く文面はこれで2度目ですが極太墨字の手紙には、先日出した夕日の絵葉書へのお礼と心情を吐露していて何か温かさを感じました。こうした若い人たちとの付き合いは進友的な想いを感じます。これこそ信友・真友・心友・伸友だと思います。

  「新友が いつの間にやら 親友に やがて深友 なるとの予感」

  「まるでハエ 追っても直ぐに やって来る 見上げた根性 そうでなくては」

  「彼を見て 若い自分を 思い出す 転げ傷して それでも前へ」

  「帳面に 几帳面づら メモを取る 今時珍し 阿呆な悪癖」 

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shin-1さんの日記

○テレビのコマーシャル

 毎日毎日よくもまあこんなに報道することがあるなあと思うばかりのニュースが流れては消えて行きます。NHKを除けば民放はたった1パーセントの視聴率に一喜一憂し、時には視聴率を上げるためにやらせまでするのだといいます。何が真実で何が間違いか分らぬ世の中、結局は自分が学習して間違いを見抜くしか正しい道はないのかも知れません。堀江さんの起訴を前に昨日ライブドアの上場廃止が決定しました。株で一儲けと思ってライブドアの株式を買った人は一時700円台だった株式が10円台になる、いわば紙切れ同然の下落に落胆し、被害者の会を設立したそうです。株を買わない私たちからすればそれは想定内のことであり、株を買ったあなたが悪いと思うのですが、儲けてもいないのに儲けたように粉飾した嘘の話を信じて株を買った人の心情も想定外の出来事でよく分るのです。しかし結局は自己責任としかいいようがないのです。

 毎日のテレビ番組の間にサンドウィッチ状に挟まれ流れるコマーシャルも、見る人を意識した一定のルールがあるように思います。若者がテレビを見る時間帯は若い人気者の芸能人を登場させて化粧品や車、それに食べ物などを宣伝します。お昼の奥様族が見る時間帯はみのもんた効果にあやかってテレビショッピングや夕食の準備、それに痩せるため、若さを保つためのコマーシャルが多いようです。あんなものには騙されないと思いつつも、「今がチャンス」「二個買うとお買い得」「あなたも今日から美しく若返る」なんて言われるとついつい財布と心と顔が緩んで、電話注文と相成るんです。最近はインターネット注文も相当増えてバーチャルの世界での事件も多発しています。「お金を振り込んだのに品物が届かない」なんて詐欺は今や常習で、調べてみるとその会社がないことだってあるのです。「ないことだってある」って日本語も中々難しい表現です。

 私もテレビのコマーシャルに一度だけ出ました。朝日ビールの宣伝です。僅か3分の短いものでしたが、一週間余り県内限定で出ました。「おい進ちゃん。お前テレビで流れよるぞ」「あのコマーシャルは出演料はいくらか」「夕日の男が何でアサヒビールの宣伝に出るんぞ」「役場の職員じゃのにあんなテレビに出てええんか」などなど様々な意見が寄せられました。当の本人は至って冷静で、「双海町の夕日がタダで宣伝して貰えるのだから」とやり返しました。結局出演料は40本のビール券でしたが、文句を言った人たちに宿直室で口止めとして飲ませました。「こんなに飲ませてもらって悪いね」の一言。悪いのは酒を飲ませてもらったことではなく、悪口を言ったことだと理解していないようでした。

  「一度だけ テレビに出ました コマーシャル お礼のビール ワイワイガヤガヤ」

  「痩せたいと 思う心に ご用心 痩せるどころか 騙されやつれ」

  「株式を 買わぬ私の 言い分は 買うな危ない いったでしょうが」

  「春来ずも 早くも水着 夏姿 テレビの世界 これが常識」

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shin-1さんの日記

○今日は少し腰と腕が痛い

 菜の花祭りも終わりいよいよ張る本番と思いきや、昨日から一転して北西の季節風が吹き荒れ冬に逆戻りしたような寒さです。もう暖房も要らないだろうとしまった矢先のことなので今朝のわが書斎は寒く、ウインドブレーカーを着込んでのハガキ書きやブログ書き作業となりました。今朝はアメーバブログが早朝5時過ぎまでメンテナンスとかでアクセスできなく、お陰さまで溜ったハガキの返事を10枚も書いてしまいました。

 昨日は本の移動で水平線の家へ行ったのですが、左官さんと大工さんが五右衛門風呂の作業に来ていて、屋根に張る竹の節を抜く作業を頼まれ、一日中その作業に追われました。金槌で半分に割った竹の節を一個ずつ叩いて抜いてゆくのですが、これがまた途方もない数でただひたすら下に向いて作業を進めました。竹の節は硬く、どうしてあの柔らかい食べれるタケノコがこんなんい硬い竹に成長するのだろう、なんて考えながら丁寧に丁寧に外しましたが、この作業中々終わらず昼食をはさんで夕方4時半までかかってしまいました。あいにく昼食を用意していなかったのですが、おやつ代わりに持参していたパンと伊予みかんという軽食で済ませました。左官さんと大工さんはさすがに肉体労働だけあって、愛妻弁当は豪華で温かい味噌汁までついていました。薪ストーブを焚いて3人で談笑しながら食事をしましたが、外の寒さとはうって変わった温かさでついウトウトしました。

 それにしても今朝は、さすがに馴れない作業をしたためか少し腰と手がだるくて痛い感じがしています。多分筋力や体力が落ちているのだろうと自分に言い聞かせていますが、昨晩寝る前に予想していた痛さほどではなかったので安心しました。妻は「若い頃は痛さがあくる日に出るが、歳をとると痛さが3日後に出るから安心はできない」と脅すのです。それでも昨年から人間牧場開拓で鍛えたためでしょうか少しは楽です。

今日はちょっと骨休みといきましょうか。丁度仕上げたい仕事もあるので外にちらつく雪を見ながら家で過ごすことにします。

 しかし自然というのは偉いものですね。たった一日で日本列島全てを10度も温度を下げるのですから・・・・。人間に「日本列島の温度を10度下げなさい」と言われてもそれは不可能というものです。人間は快適さを求めてこんな寒い日でも暖房をして部分的ではありますが春の陽気を作ります。そのためのエネルギーたるや相当なもので、油や電気といったエネルギー源を使って温度を上げるのです。一部分を除いて火鉢と炭はもう私たちの身の回りには残念ながら存在しません。火鉢を知っている私たち世代はもう賞味期限が切れ掛かっているのかも知れませんね。

  「火鉢って 尋ねられたら どう答う こんなまるいの 言って分らず」

  「弁当を 横目で眺め パンを食う これで十分 働き応じて」

  「タケノコが なんでこんなに 強い竹 なるのか分らず 黙と節抜く」

  「あれだけで 足腰痛く なりにけり 老化言われて 十分納得」 

 

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shin-1さんの日記

○山口県美川町からメールが届く

 私は日本全国色々な街のまちづくりについてお手伝いしたり、まちづくり人と深い交流がありますが、今日山口県美川町の藤本美夕紀さんからメールが届きました。藤本さんは名前が美由紀でなく美夕紀とちょっと変わっており、夕日の町の私としては「一目会ったその日から恋の花咲く時もある」なんて感じで、一変に深い仲になりました。深い仲といっても彼女が私の講演会に来ていて、講演会終了後私に質問したというただそれだけなんです。そして私にメールが来たというただそれだけなんです。でもその出会いが感傷的で、もう間もなく岩国市と合併する美川町のまちづくりについてメールのやり取りを通して随分深い仲になったのです。

 美川町では昨日合併を間近に控え閉町記念の式典があったそうです。藤本さんの所属するグループでは同時に開催されたふるさと祭りの餅つきを担当したそうですが、やがて消えゆく美川町という自治体への愛着をメールの端々に感じました。もし岡さんという美川町の課長さんと知り合っていなかったら藤本さんとの出会いも無かったでしょうが、まるでドラマの結末を見るように岡課長さんは今回のまちづくりの仕掛けを見届けるように、定年で30数年の役場生活に別れを告げるのです。岡課長さんとは公民館活動時代に知り合い、わが家にも研修にやって来てお互い酒によって炬燵で雑魚寝をした間柄ですがその几帳面な正確や仕事を最後までやり抜く姿は頭が下がる思いでした。田舎の小さな役場ながらここにも一人の老兵(60歳ですので老兵は失礼かも)が静かに職場を去って行くのです。惜しまれながら・・・・・。

 藤本さんのメールには閉町記念式典での岡課長さんの感慨深げな様子が、一人の女性の目を通してリアルに表現されていました。華やかなスポットとを浴びる訳でもない一役場職員の姿がこれほど印象深く表現されている文章は見たことも読んだこともなく、私の方がウルウルでした。ふと昨年退職した退職当時の自分の姿を思い出し、そのシーンをダブらせていました。一週間前に彼から届いたメールには職場の皆さんと退職記念のミニ旅行を計画し大阪で楽しい一夜を過ごしたと書いていました。

 まちそれぞれ、人それぞれにそれぞれの動きや人生があります。岡課長さんのこれからの人生が幸せでありますように、そして藤本さん、これからの新岩国市美川地区への熱い想いを頼みます。

  「あの町も 歴史閉じるか 寂しいね メール読みつつ ついぞしんみり」

  「一時代 築いた人が ここにいる 縁の下だが 土台となりて」

  「美夕紀さん も少し早く 出会ったら 恋の一つも したであろうに」

  「食卓に 並んだガニメ 食べながら 遠い昔や あの人思う」

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