人間牧場

〇ナウマンゾウの化石展示

先日漁師をしているおじさんから、ナウマンゾウの化石や鹿の角化石を何点かいただきました。一目見ただけでは「これ何?」と思うほどですが、漁師さんは底引き網にかかったこれらの化石を目敏く見つけ時々持ち帰るのです。いただいた化石をたわしで丹念に水洗いして、10日ほど東屋の隅に陰干しして水気を取りました。

上手くできた展示台

そろそろ展示品に加えようと、昨日は木材の端材を使って展示台を作りました。不器用ながらもメジャーで採寸したり端材を適当な長さに鋸で切り、金槌で釘を打ち組み立てました。1時間ほどで出来上がり、ナウマンゾウの足の骨化石2点と、鹿の角化石5点を行儀よく入れてみましたが、思ったほどの出来栄えでした。

早速今日にでも、家の横の海の資料館「海舟館」の展示室に展示をしようと思っています。

 

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人間牧場

〇有害鳥獣の被害甚大

 わが家には自宅に隣接して1反程度の菜園と果樹園があり、その世話は親父が亡くなってから私がほとんど一人でやっています。人間牧場の管理などを含めると老いの身には少々ハードで、特に今年のように外反母趾の手術で長期入院世余儀なくされると、これまで早め早めをモットーに追いかけていた雑草の処理が追い付かなくなり、連日足をかばいながらその処理に悪戦苦闘しています。

熟れ始めたブルーベリー
漁網

 草がはびこると有害鳥獣の行動範囲が広がり、カラス、ハクビシン、モグラなどがわがもの顔で畑に侵入し、実り始めたトマトやスイカ、トウモロコシを食べ始めるのです。その都度網を張ったり、テープを張ったりして脅して見せますが、こちらのそういう心情を察して、有害鳥獣の害はむしろ拡大傾向にあるようで、昨日は色づき始めたブルーベリーをカワセミのような鳥が数匹狙っているのを目撃しました。

網かけしたブルーベリー

 昨年はブルーベリーの実をことごとく食べられ悔しい思いをしたので、今年は何とかと思い、倉庫から漁網を取り出し、大きなブルーベリーの木にスッポリ被せてみましたが、今日にでも残りの木に同じように漁網を被せたいと思っています。動物の餌を作っているような錯覚さえするほど被害は甚大ですが、諦めることなくイタチごっこを繰り返さなければなりません。難儀な話です。(大笑い)

「今年は 雑草はびこり 追いかける つもりが毎日 追いかけられて」

「雑草が 生えると自然 勘違い 有害鳥獣 わがもの顔に」

「昨年は 全て食べられ 今年も 予兆見られて 網を被せる」

「餌作る 故に有害 鳥獣が 集まるのです 止めるも選択肢」

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人間牧場

〇カブト虫の季節がやって来ました

 私の息子は先日まで庭で150鉢もの朝顔を育て度肝を抜きましたが、その朝顔も商業施設町家へ移動展示して、わが家の庭にはグリーンカーテン用に植えた朝顔のみが残って、つるは天に向かって伸び、花を咲かせ始めています。代りにの早い息子は植物に続いて今度はカブトムシやクワガタなどの動物です。

カブトムシの幼虫
網囲いの養殖場
成虫になったカブトムシ

 今年の冬畑の隅に設えた養殖場では、このところ毎日のようにカブトムシの幼虫が羽化して成虫となり、私が作った金網囲いに這い出して来るようになりました。昨年までは遠い人間牧場まで毎朝のように足を運んでいましたが、今年からその苦労をすることもなく、息子は毎朝の見回りやカブト虫集めをやっているようです。

 目標は雄雌それぞれ150匹だそうですが、クヌギ林で集めている自然界のものも含めて、かなり厳しいようです。7月末の土日には町家やクラフトの里で、今年も子どもたちにプレゼントできるよう頑張っているようです。子どもが子どもなら親も親で、いつの間にか私もその片棒を担がされ、親バカならぬバカ親ぶりを発揮しています。

「夏が来た 朝顔続き カブトムシ 仕事しながら バカ息子だな」

「いつの間に 巻き込まれたか 分からぬが 親バカならぬ バカ親私」

「養殖場 幼虫羽化し 成虫に 立派な角の カブトムシ 這い出す」

「暑い夏 今年もあれこれ わが息子 忙しそうに やっております」

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人間牧場

◯今頃あの人はどうしているだろう?

 私はこれまで色々な町や村を、私のトレードマークである木になるカバンを引っ提げて、日本全国を旅しました。「呼ばれないと行けない」訳ですから、私に何らかの期待を持っていたことは事実です。私もその期待に応えようと日常の活動で成果を出すため、一生懸命励み、それらを物語にしました。

 私の熱弁は過疎や高齢化、産業不振に悩む聞く人の心を動かしたものと思われ、時にはわが町やわが家までやって来て交流へと発展しました。あれから何年経ったでしょうか?。あの町や村はその後どうなり、あの人たちはその後どんな思いで過ごしているのでしょう?。今回大分県や島根県を久しぶりに訪ね、見覚えのある町や村を通る度に、訪ねた町や村、出会った顔々が思い出されてなりませんでした。

 私は最近新型コロナの影響もあって県外には出れにくいものの県内を中心に、かつて出会った地域づくり人を訪ねる小さな旅を始めています。いきなりは余りにも失礼なので、連絡をして出かけるようにしていますが、私の来訪を喜び、昔の思い出話に花を咲かせるものの、私と同年代の人ながら既に第2線を退いている人が殆どで、今もなお元気です活動している私を羨ましく思っているようでした。これからも許す限りポジテイブに生きながら出会いを重ねたいと思っています。

「若かりし 頃に出会った 人たちは 今頃どうして いるのだろうか?」

「燃えた人 今は見る影 なくなりて ひっそり生きる 少し寂しい」

「燃えている 私の姿 羨まし 言ってくれるが 自分は諦め」

「まあいいか これでいいのだ それぞれに それなり生きて 一生終える」

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人間牧場

◯大分県・島根県を一泊二日で巡る旅(その1)

昨年愛媛県で開かれる予定だった公民館の全国大会が、東京オリンピックと同じように新型コロナの影響で一年延期されました。そのメイン行事の一つであるインタビューダイアローグのインタビュアーを頼まれているので、登壇予定の大分県大分市川添公民館の赤峯さん、島根県益田市豊かな暮らしラボラトリーの檜垣さん、愛媛県八幡浜市川之石の菊池さんを訪ね、現地で打ち合わせをすることになりました。

愛媛も大分も島根も現在はコロナも落ち着いていて、この時期を選び、県教委の係長さんと県公連の局長さんの3人で車移動となりましたが、強行過ぎて日程的に難しくなり、川之石公民館の菊池さんは県内でもあるので後日となりました。それでも昨日の朝5時わがが家へ立ち寄ってもらい、三崎半島と佐賀関を結ぶ午前7時30分のフェリーに乗船し豊後水道を渡りました。

佐賀関の港で親友である渡邉さんと立ち話程度でしたが嬉しい出会いを重ねることができました。晴耕雨読の日々を過ごしている彼が作ったという桃までいただき恐縮でした。9時30分から私の作成したシナリオに沿って約1時間余打ち合わせを行いましたが、青少年の健全育成など特徴ある現地ならではの活動の話を聞き、いい打ち合わせができました。

「コロナにて 一年延期 されたけど 全国大会 準備着々」

「手間暇を かけて準備の 討論会 私作った シナリオ基に」

「三県を またいで車 移動する この手間隙が 成功導く」

「公民館 基本は現場 主義故に 知恵の集積 次第に増えて」

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人間牧場

〇大相撲名古屋場所

 新型コロナの影響で、年3場所の地方開催ができず、両国国技館での開催を余儀なくされていましたが、ワクチン接種も進んで今場所は名古屋での開催が決まり、まだ入場者数は制限があるものの昨日名古屋場所の初日を迎えました。

白鵬の取り組み

 大相撲が好きな私は、テレビ観戦ながら夕方4時から今のテレビの前に座って、存分に楽しみました。今場所はこの一年間怪我で全休していた白鵬が進退をかけて出場したり、照ノ富士の横砂挑戦と、話題も豊富で、ひいきの力士が出る度に応援を続けました。

 声を出しての応援ができず、拍手しかできませんがやはり地方場所特有の雰囲気もあって、このままコロナが終息し、九州場所も博多で開いて欲しいと願っています。白鵬が勝ち上位陣安泰の上々の滑り出しでした。

「大相撲 名古屋で開催 2年ぶり 話題も豊富 楽しみながら」

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人間牧場

〇珍客の隅田さんご夫妻わが家へ来訪

 昨日わが家へ、珍客と呼ぶにふさわしいお二人がやって来ました。3年前までの4年間双海地区公民館に勤務していた隅田さんと、最近結婚した素敵な女性でした。隅田さんは4年間主に子ども教室を担当し、私が子ども教室の実行委員長をしていることもあって、足繁くわが家にやって来て、私設公民館煙会所や東屋、私の書斎などで、色々なお話をして行事を行いました。

幸せそうな隅田さんご夫妻

 前任の赤石さんも、後任の出海さんも、頻度の差こそあれみんな熱心にわが家へ通ってくれ、いまもひんぱんに出会っています。隅田さんはその後の人事異動で本庁へ帰られましたが、風の噂によると最近結婚したそうで、コロナ禍で結婚披露宴にも参加することができず、気になっていましたが、何はともあれ素敵な女性と出会い結婚ができたことはこの上ない喜びです。

 隅田さんの相手の女性は気さくな方で、約1時間煙会所の囲炉裏を囲んで楽しいお話をすることができました。この上は二人仲良く幸せな家庭を築いて欲しいと願っています。時折一緒に活動した知人や友人か、ら隅田さんが結婚した話が話題になるものの、実態を全く知らなかったので、お二人の了解を得てツーショットの写真を撮らせてもらいました。お幸せに・・・。

「元公民館 主事さん結婚 したという 風の噂を 聞いてはいたが」

「珍客と 呼ぶにふさわしい 隅田さん パートナー連れて わが家へ来訪」

「嬉しいね 幸せそうな 二人見て これから先も 幸せ家庭を」

「了解を 得たので 写真ツーショット みんなにお披露目 自慢の奥さん」

 

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人間牧場

〇左足のその後

 外反母趾の手術後2日欠間の入院を経て、6月2日に退院し約1ヶ月が経ちました。傷も癒え、骨の痛みも殆どなく、順調に回復しているように見えますが、左足首は相変わらず腫れが残って、防護のために履いた短めの靴下のゴムの跡がくっきりついて、いつになったら治るのか少し疑心暗鬼といったところです。

 それでも歩いて5分の所にあるたけます診療所へ月曜日と金曜日の週2回、処置に出かける折、前もって左足をシャワーしてシャボンをつけたカーゼで丹念に洗い、ほてった足を乾いたバスタオルで綺麗に拭きとり、選択した靴下を履いて病院に直行し、先生に防水フィルムとガーゼ交換をしてもらい、ものの4~5分の処置で帰って来るので、大助かりです。

 今は杖なし歩行の訓練をやっていて、朝の散歩は杖こそ持って出かけていますが、靴の履き脱ぎの時以外は使うこともなく、嬉しいことに両足歩行ができるようになりました。散歩の途中出会う人からも「お元気そうになって何よりです」とお褒めの言葉をいただいて、少し嬉しくなっています。さあもう少しの辛抱です。焦らず焦って気長に気短に・・・。心は乱れます。

「傷も癒え 良くなる気配の 左足 痛みはないが 腫れは変わらず」

「最近は 朝の散歩は 杖なしで 両足歩行 リハビリ訓練」

「週2回 泡立ちシャボン ガーゼつけ シャワー入浴 気持ちいいです」

「早う治れ 心焦るが じらされる 我慢しどころ あざ笑うよう」

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人間牧場

〇久しぶりに見つかった万年筆

 私の周囲の視野から「万年筆」が消えたのはいつの頃からだろうか?。記憶を遡ってみるが、少なくとももう10数年は見たり使ったりしたことがないのです。青春時代は腕時計と万年筆に憧れていて、姉が就職して初任給で最初に私にプレゼントしてくれたのが腕時計と万年筆でした。恋文こそ書かなかったものの以後万年筆は私の大事な持ち物として、存分の働きをしてくれました。

久しぶりに見つかった万年筆

 私が23歳の時、第14回NHK青年の主張に応募した時の原稿もこの万年筆で浄書したもので、見事原稿審査に合格し愛媛県代表になったのも、この万年筆のお陰なのです。そんなこともあって字がまずい自分をカモフラージュするために、何本もの万年筆を買い求め、多い時は4~5本も持っていましたが、その後ワープロやパソコンが普及し始め、肉筆はボールペン万能な世の中になったため、私にとっては忘れられて存在となってしまいました。

 昨日書棚の隅で埃を被った万年筆を一本見つけました。キャップを外し書いてみました。残念ながらインクが固まり文字を書くことは出来ませんでしたが、懐かしさ一入でした。私はハガキを毎日3枚書いていますが、時折風流を愛する仲間から万年筆で書いたと思われるハガキが届きます。私もそろそろそんな風流を楽しめたらと思いつき、書棚を探すとアメリカへ行った時買ったカートリッジ式のパーカー万年筆が見つかり、カートリッジを入れ替え使って友人に手紙を書きました。

 万年筆にはまるで時間が止まったようなセピア色の懐かしい思い出がたくさん残っています。自分の人生において残された時間はそんなに多くはありませんが、今書いている様々な原稿の殆どはパソコンで書いた文字なので、万年筆の肉筆で書いた原稿も悪くはないなあと思いつつ、挑戦を始めてみました。

「探し物 してて見つけた 万年筆 最初は姉が 給料叩いて」

「そう言えば 万年筆で あれやこれ 書いた原稿 全て紛失」

「もう10年 万年筆を 使わずに 過ごしています これから先も」

「万年筆 使って肉文字 遺したい 馬鹿げたことを 早速実行」

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人間牧場

〇機械と人間は使わなければ錆びる

 「機械と人間は使わないと錆びる」とは、働き者だった親父が私によく言い聞かせてくれた言葉です。外反母趾の手術をして3ヶ月が過ぎましたが、その間鍛えに鍛えたつもりの体の筋肉はあっという間に衰え、今は見る影もなく痩せこけています。

 体中の筋肉が補い合って体形を維持していたのでしょうが、それらの筋肉が弱ると首筋や背筋、足腰と今まで痛みやハリを覚えたことのなかった場所が痛み出し、一週間に一回程度整骨院に通ったり、湿布を張って急場をしのいでいます。

 救いは、外反母趾で手術した足の回復は順調で痛みもなく、最近はT字杖をつかなくても歩けるようになって、朝の散歩を楽しんでいます。会う人が「日なち薬」と慰めの言葉をかけてくれますが、一方では、親父の名言「機械と人間んは使わないと錆びる」ので、しっかりと動いて治そうと思っています。

「亡くなった 親父口癖 言っていた 機械と人間 使わにゃ 錆びる」

「体中 あった筋肉 なくなって 見る影もなし 初老の私」

「のんびりと 治せと日なち 薬言う 動いて治す 私の持論」

「二本足 歩けるように なりました 無理は禁物 無理もしないと」

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