人間牧場

〇もしも私が〇〇なら・・・・

 若い頃、職場の課長さんを見て、「もしも私が課長になったなら」、「こんなことをしたい」と思ったものでした。以来課長になったり、教育長になったり、客員教授ながら大学の先生も経験し、やりたかったことを思いを込めて実践してきました。

 「もしも私が〇〇なら・・・・」の中に、縁起でもない「死んだら・・・」という問いかけがあります。私はこれまで祖母や父母、義兄弟姉妹、叔父叔母など身近な人を黄泉の国へ送ってきました。年齢を重ねるほどに自分の「もしも私が死んだなら・・・」という言葉が、現実味を帯びて身近になりつつあることを実感しています。

 一昨日姉の夫が82歳で亡くなりました。新型コロナの影響で縮小を余儀なくされた家族葬の通夜・葬儀の段取りを姉に頼まれて手伝いながら、私自身が死んだことを想定して、悲喜こもごもの2~3日を過ごしています。今日は午前8時30分から納棺、10時から葬儀なので、妻と二人で出かけることにしていますが、一度ゆっくり「もしも若松進一が死んだなら・・・」なんて馬鹿げたことを真剣に考えてみたいと思っています。

「もし私 〇〇ならば 何とする 若い頃から 考え巡らせ」

「〇〇に 死んだらという 文字入れる 縁起でもない 妻に怒られ」

「歳重ね そろそろ〇〇 自覚する 身近な人の 死を見ていつも」

「人生は 長いようだが 短いと 最近思う 終わり近づく」

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人間牧場

〇義兄が亡くなりました

 日付が7月18日から19日に替わった寝入りばな、近所に住む姉から、「先ほど主人が息を引き取った」と訃報電話が入りました。姉夫婦は目と鼻の先500mほどの所に住んでいますが、昨年末頃から肺疾患を患い自宅療養をしていましたが、最近は食欲も進まず診療所の先生に往診してもらっていました。

肺疾患の容体は日増しに重くなり、入院も考えました自宅を離れたくないという義兄の思いを尊重して、酸素チューブ管を鼻に取り付け、姉や看護師資格を持つ孫娘、それに管理栄養士の娘も加わって、まるで病院まがいの療養を続けていました。4~5日前見舞いに出かけた時はベッドで寝ていたので、起こすこともできずその時が生きていた最後の様子でした。

 義兄は双海町内奥東の農家に生まれました。若い頃町内の自動車修理工場に勤めた経験を活かして、双海モータースという自動車修理工場を創業して姉と従業員の3人でつつましやかに経営していましたが、工場を引き継ぐ後継者もいないことから70歳を機に工場をたたみ、余勢をかって老後生活を送り、大好きだったゴルフにも足繁く通い、ホールインワンも経験するなど楽しそうでしたが、肺を患ってからは生気を失なっていました。

 義兄は「本名福岡悟」なので、近所の人から「サーにい」と呼ばれていました。父親の福岡嘉四郎さんは101歳まで生きた名物じいさんでしたが、子どもは何故か短命で、弟も姉2人も既に亡くなっていて、私たち姉の兄弟5人はまだどうにか健在なので、身内が途切れるなどどこか寂しい晩年でした。今朝3時半まで今晩の通夜、明日の葬儀に向けて妻と二人で細かい打ち合わせ差配を行い、帰宅して床に就きましたが中々寝付かれず、いつものように朝4時過ぎに目が覚めました。

「寝入りばな 姉から電話 義兄逝く 早速妻と 弔問手伝い」

「あれこれと 年上ゆえに 頼りされ 差配しながら 思い出語る」

「肺疾患 鼻には酸素 チューブ管 食欲なくなり 体力落ちて」

「『サーにい』と みんなに慕われ 人の好い 義兄天国 召されて悲しい」   

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人間牧場

〇まさきいいとこ見つけ隊の総会

 昨日は隣町松前町のいいとこ見つけ隊の総会が松前町総合福祉センターであり出かけました。行きがかり上深いご縁をいただいて顧問という肩書をつけられているので、特にこの2~3年は役員会にも度々出席し、子ども夢会議などに深く関わっています。

 昨日は総会ということもあり岡本松前町長さんも出席され、祝辞を述べられましたが、松前町は歴史上の人物義農作兵衛に特化したまちづくりや、ホッケー公園を活かしたオリンピック支援を計画中であることが話題に上りました。

珍しい半夏生の花

 lineを使っていいとこ見つけ隊の活動はつぶさに見ていますが、私がこの3ヶ月ほど外反母趾の手術で、戦線離脱を余儀なくされていたことを皆さんもよく知っていて、有難いお見舞いの言葉を沢山いただきました。会場には役員の喜安さん宅に咲いたという珍しい半夏生の花が活けられ、午後からは新型コロナのワクチン接種会場となる会場で、熱のこもったぎろんがなされ素敵な半日を過ごしました。

「隣町 いいとこ見つけ隊 案内が あって総会 参加しました」

「半夏生 珍しい花 真ん中に 活けて涼しい 素敵な会場」

「顧問だと 聞いてびっくり これからも 出来る限りの 参加約束」

「足故障 みんな知ってて 口々に お見舞いねぎらい 立ち話にて」

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人間牧場

〇小さな新聞投稿記事

 わが家は代々海に出て魚を捕って生計を立てる漁家でした。私も若い頃7年間漁師をしましたが、体調を崩して漁師を続けることができななくなり、地元の役場に勤めたため私の代で漁家ではなくなりましたが、家の横に海の資料館「海舟館」を造るなど漁家時代の足跡が今も色濃く残っていて、むしろ漁家でも残らないであろう漁家の暮らしが息づいています。

 わが家の祖父母は貧乏ながら12人の子どもを産み育てました。父母も5人の子どもを産み育てましたが、私の叔母に当たる3人(1人は他界)は文学少女の真似事のように、文字書きが好きで、12番目の叔母は、時々愛媛新聞の門欄やてかがみに自分の書いた文章を投稿していて、いつも感心しながら読んだり、それらの記事をスクラップしています。

てかがみに載った叔母の文章

 4日前の新聞のてかがみ欄に「幼なじみ」という叔母の味わい深い記事か載りました。私の母は若い頃下灘漁協婦人部の部長をしていました。母も文章書きが好きで、母の書いた主張が認められ、東京で開かれた全国大会で発表したのですから凄いことです。私が書いた第14回NHK青年の主張の原稿を基に発表して県代表になったのも、ひょっとしたらそんな母親の影響だったのかも知れません。

 私は物書きというにはほど遠い存在ですが、それでも日々の暮らしの中で感じる出来事を思いつくまま文章にしています。叔母がそうであるように日々の暮らしの中で感じることを文字を連ね文章にして、不特定多数の人に読んでもらう、これもまた楽しい生き方です。

「新聞の 見落としそうな 記事見つけ 叔母の投稿 切り抜きました」

「学歴も ないけどどこで 学んだか 叔母の文章 なるほど感心」

「母や叔母 文章書きが 好きでした 遺伝でしょうか 私も好きです」

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人間牧場

〇山仕事のお試しテスト

 昨日は仕事も一段落していたので、「余り無理をしないように」と注意を促す妻に弁当を作ってもらい、人間牧場へ見回りに出かけました。スモモの収穫以来出かけていなかった人間牧場の周辺は、繁殖力の旺盛な夏草に覆われていました。

6月ころアジサイは満開で綺麗でした
草刈り機で強剪定した無残な姿のアジサイ

 進入路の両側の草だけでも刈ろうと思い立ち、草刈機を回していると公民館の森田館長さんと出海主事さんが、芋畑の見回りにやって来ましたが、草刈りの途中だったので続行しました。その後花の時機を終えたウッドデッキ下のアジサイの花をどうするか思案しました。いつもの年だと剪定ハサミで花柄を一つずつ摘み取るのですがそれも叶わず、草刈り機に新しいチップソーの替え刃を付けて、粗調理ながら草刈り機で剪定を始めました。

 替え刃の威力は大したもので、切れ味鋭く花柄を落とし、少し強剪定気味に切り落としました。道に落ちた剪定クズを熊手で掃き集めて掃除をしましたが、お陰ですっかり綺麗に剪定をすることができました。

 暑いこの時期の山仕事は大汗が出て、着ている作業着は出た汗で搾る程濡れましたが、熱中症にならないよう小まめに水分補給をしました。山仕事の楽しみは昼休みの弁当です。昨日の残り物程度の粗末な弁当ですが、ウッドデッキの木陰で、眼下に広がる眺望を独り占めしながら食べ、20分ほどの午睡も楽しみました。

「手術後の 足の具合も 良くなって 昨日はお試し テストのつもり」

「無理するな みんな口々 言うけれど 結局誰も 助けてくれぬ」

「山弁を 持って牧場 山仕事 お昼休みも 楽しみ一つ」

「草刈り機 新品替え刃 取り付けて アジサイ畑 剪定作業」

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人間牧場

〇私は不運を幸運にする男です

 私のこの3ヶ月は、外反母趾の手術や入院、転院やリハビリ等々に悩殺された日々した。外反母趾の足が痛く手術をするかどうか長年悩み続けていましたが、外反母趾の症状が先祖からの遺伝も多少あると聞いたり、親指が人差し指の上に乗り上げている症状がかなり重症であると医師に聞くと、自分の不運を嘆かざるを得ませんでした。ましてや大学付属病院での手術を決断したものの、手術希望者が込み合ったりコロナ禍で手術自粛も重なり、手術日が半年後の8月6日の予約となって、気分的に益々落ち込みました。

 しかし世の中は捨てものではなく、どこの誰かは知りませんが先行予約していた患者さんが、手術のための心電図検査に引っかかり、全身麻酔ができないので手術キャンセルとなったようです。経過観察で受診中にその一報が入り、4月15日入院16日手術を即決で勧められ、その日の内に手術のための精密検査を行いOKとなったのです。手術は親指の根元を切断してボルトで繋ぐという3時間ほどの一見荒業でしたが無事成功し、何とか第一関門を乗り切りました。

 しかしその後が大変で、抜糸後ギブスで巻かれ、身動きが取れない状態が続き転院後の転院先でのリハビリや、環境の変化に体がついて行かず、退院後の今も体調の変化に悩まされ続けていますが、今週の月曜日の診断で傷口も完全に癒え、レントゲン検査の結果も良好で、やっと不運の長いトンネルから抜け出すことができました。今にして思えばこの3ヶ月の不運はこれから先来るであろう幸運のプロローグであったような気もするのです。

 私はこれまで、色々な病気の不運を幸運に変えて生きてきました。漁師をしていたのに病気で公務員に転身したり、C型肝炎もハーボニ―という新薬の90日投与で体内からウイルスが消えました。この3ヶ月もそうした思いもあって、ピンチをチャンスに変えるべく様々な思いを巡らせながら、病院でしかできない実践を試みてきました。3ヶ月の入院で自分のこれまでの人生観が変わる程の経験を積んだお陰で、これからの自分の老後の生き方に大きな示唆を与えられたような感じです。私は不運を幸運に変えれる男です。(大笑い)

「3ヶ月 前は不運を 少しだけ 嘆いていたが それでも強く」

「突然に 不運が幸運 なりにけり 手術もそれなり 成功治め」

「3ヶ月 体調ズタズタ だったけど やっとトンネル 抜けれた感じ」

「この私 不運を幸運 変えれたと 自信を持って これから先も」 

 

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人間牧場

〇水分補給用の魔法瓶

 「夏は暑いから熱中症にならぬよう、水分補給を小まめにしてね」と、家庭菜園で畑仕事に時折夢中になる私のために、妻は少し大きめの魔法瓶に冷えた水に氷を沢山いれて、勝手口の隅に毎朝置いてくれています。

妻が用意してくれている水分補給用の魔法瓶

 東屋の柱に掛けた野良時計を見ながら、汗をかいた体を冷やすように飲む冷水は何にも代えがたいご馳走で、お陰様にて勝手口から汚れた作業着で台所へ入り冷蔵庫を開けることもなく、作業用の長靴を履いたままのままのどを潤すことができるのです。

 塩分補強用にと塩飴も2~3個用意してくれていますが、飴をなめると口の中が粘るので、殆ど舐めることはありません。昨日は梅雨明け間近を思わせるような蒸々した暑さでしたが、久し振りにトマト畑には入り手入れをしたり、熟れたトマトを収穫しましたが、作業着は搾る程の大汗で濡れました。いよいよ夏本番です。熱中症要注意です。

「熱中症 ならぬようにと 妻配慮 魔法瓶にて 喉を潤す」

「日中は 農作業など しないよう きつく言われて いるにはいるが」

「梅雨明けも 間近な気配 昨日今日 作業着汗が 搾るほど出る」

「足具合 少し良くなり 調子乗る みんな警告 有難きかな」

 

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人間牧場

〇菜園に蜜蜂風車

 このところ足繁く雨が降るので、家庭菜園には中々入りづらいのですが、それでも暇を見つけ菜園には入り草と格闘を続けています。まだ左氏が少し不自由でしゃがみ込めないので、主に草削り用の鍬で対応しています。


孫奏心が作ってくれた蜜蜂風車、いかほどの効果があるのでしょう?

少し目を話すとハクビシンやカラスが収穫物を荒らすので、網を張ったり脅しようのテープを張ったりして有害鳥獣と知恵比べをしていますが、その様子を見聞きした小学校6年生の孫奏心が、少しでも役に立とうと思ったのか、蜜蜂の形をした風車を2つ作ってくれました。

 早速息子が畑に設置しましたが、いい具合に風を受け回っているようです。知恵者のカラスやハクビシンにいかほどの効果があるかは分かりませんが、私の言動を慮っての行動だけに、嬉しい限りでした。

 息子は相変わらず朝早く起き、間近に迫ったカブトムシイベントの準備をしていますが、仕事を終えて帰宅後も、東屋に電球を点けて黙々とやっています。家族みんながそれぞれまるで本業がボランティアのようだと苦笑しながら暮らしています。

「このところ 有害鳥獣 被害あり 知恵を絞るが 敵に軍配」

「おじいちゃん 蜜蜂風車 作ったと 孫プレゼント 早速畑に」

「わが息子 私も一緒 本業は ボランティアかと 見まがうほどに」

「このところ 梅雨明け予感 暑くなる 年寄冷や水 熱中症気をつけ」

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人間牧場

〇私の挿し木して育てた苗木

 3年前近所の人に、真っ赤な花の咲く芙蓉の剪定後の枝木を数本いただきました。発泡スチロールのトロ箱底に水抜き用の穴を開け、鹿沼土を敷いて適当な長さに切った枝木を挿し木しました。時期が良かったのか置いた場所が良かったのか、20本ほどの挿し木は全部発根発芽しました。


見事に咲いた真っ赤な芙蓉の花

 一昨年育った苗木を裏庭に地植えしましたが、残った4~5本はあちこちにお嫁に行きました。その一本は松山市角福町に住む次男嫁の実家にも植えられましたが、今年は10日ほど前綺麗な花が咲いたと連絡があり、一昨日子どもたちの家に行った際妻と二人で立ち寄りましたが、この日も見事な花が咲いていて、お父さんやお母さんから大層喜ばれました。

 わが家には私が挿し木から育てたツツジが、細長い家庭菜園と果樹園畔に植えられていて、大きくなったツツジは毎年見事に花の帯を作り楽しませてくれています。今年は花の咲く頃に入院したため、残念ながらツツジの花を見ることができませんでしたが、扶養の花は蕾をいっぱいつけているので、そろそろ咲き始めるものと思われます。真っ赤な花の芙蓉が咲くのが楽しみです。

「3年前 貰った芙蓉の 剪定枝 挿し木をしたら 全て活着」

「挿し木苗 庭に地植えし 昨年は 沢山花咲き 大いに楽しむ」

「息子嫁 実家届けた 苗に花 咲いた知らせを 受けて見に行く」

「わが家には 挿し木増やした 苗植えて 年中花を 楽しんでます」

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〇子ども体験塾底引き網体験(その2)

 海の町・漁業の町といわれる双海町に住んでいる大人でも、魚がどのような方法で漁獲されるのか、見る機会は殆どありません。ましてや漁船に乗って自分の町を沖合いから眺めることもないのです。もし少年少女時代にそんな異空間体験をしていたら、私のような(少し手前味噌)何にでも興味を示す大人になれるかも知れないと、子ども体験塾では学校でも家庭でも地域でも体験できないことを、体験させてやりたちといつも思っています。

 そんな思いから、底引き網の漁船に乗せて、漁師さんが魚を捕る現場を見せてやりたいと、今年も底引き網体験を計画しました。少し船酔い気味の子どももいましたが、網にかかって上がって来た鯛やホウボウなどの様々な魚を見て、子どもたちは興奮気味でした。早速魚市場の水槽付近で魚のさばき方のデモンストレーションが行われ、6~7キロもある大きな鯛や鱧の骨切りを見ることができました。子どもの中には進んで鯛の鱗取りにも挑戦する者もいて、破顔一笑でした。

 本当はこの魚を使って郷土料理をみんなで作り漁村センターで食べるところですが、新型コロナの影響でそれも叶わず、大漁の魚はさばいて均等に分けられ、灘町集会所でスタッフの人に炊いてもらった鯛めしとともに、子どもたちの手土産となりました。私の船に乗った札幌から伊予市へ移住し子どもが翠小学校に通うお母さんとお話をしましたが、とてもいいプログラムで、いい体験ができたことを喜んでいました。

「さっきまで 海で泳いで いた魚 底引き網で 大漁漁獲」

「鯛鱗 鱧の骨切 腕利きの 包丁さばきに みんなうっとり」

「コロナ禍で 料理をしたり 食べたりが 出来ずそれぞれ お土産にして」

「札幌から 移り住んでる お母さん 手さばきミズイカ 刺身で食べる」

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