人間牧場

〇10年後の自分への手紙

 何年か前ある所である人から、「若松さん、10年後の自分に手紙を出しませんか!!」と言われました。その時は深い意味も考えず、「ああいいですよ」と了承し、その場で10年後の自分への手紙を書き、お金を払って依頼主に託しました。多分費用は千円程度だったと記憶していますが、その後何年も経っているので、そのことすらすっかり忘れていました。

 ところがところがです。先日私宛の手紙の中に見覚えのある私の字で、しかも差出人が私というあの時書いた「10年後の手紙」が私の元へ届いたのです。ハサミで丁寧に切り、中から手紙とともに10年前の懐かしい匂いも取り出し、「拝啓若松進一様」で始まる自分への手紙を読み返しました。書いたのは今から10年前の双海町役場を退職して間もない平成18年でした。

 文面には「退職して自由人となったからには、もとともっとやりたいことをいっぱいやって、楽しく暮らしたい」とか、「夢に描いている人間牧場構想を完成させたい」とか、「とにかく健康でいたい」「これまで苦労をかけた妻を楽にさせてやりたい」などと書いていました。振り返れば10年という時の流れはあっという間だったような気がしまが、「これまで苦労をかけた妻を楽にさせてやれなかった」ことを除けば、まあパーフェクトといった感じです。

 ある人に聞けば「10年後の手紙」で男性が書くのは妻のことが一番多いそうですが、女性が書くことで一番多いのは「10年後も美しく輝いて生きていたい」という自分のことだそうです。男性と女性のこの落差が何を意味するのかは分りませんが、できることなら71歳になったのを機に、もう一度「10年後の自分への手紙」を書いて見ようと思いました。

  「宛先も 差出人も 自分という 世にも不思議な 手紙が届く」

  「ピンときた あああの時の 手紙だと 10年経って やっと手元へ」

  「妻に楽 除けば全て パーフェクト そこが問題 妻には内緒」

  「もう一度 10年あとの 自分宛 手紙を書こう 何を書こうか」

   

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人間牧場

〇21世紀えひめニューフロンティアグループの総会

 昨日は私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの、年に一度の総会でした。例年だと総会は、この数年今治に住むメンバー河上和夫さんの自宅を借りて泊り込みで総会をしていましたが、河上さんが少し体調を崩しているようなので、私の人間牧場を使うことになりました。総会といっても出席者は僅か8人、しかも8人の中の1人が急に来れなくなり、7人だけの開催となりました。

DSCN2510 私は11時からの開会なので、9時30分に自宅を出てじゃこ天のお店に頼んで作ってもらった昼食弁当を受け取り、人間牧場へ10時20分に到着し、早速薪ストーブに火を入れました。マッチ一本で火をつける裏技を身につけているので、難なく火がつき、暫くするとストーブに乗せたヤカンも、シューシューと音を立ててお湯が沸き始めました。玄関先を箒で掃き清め、板間は掃除機をかけて綺麗に掃除をしていると、一行全員が10分前に集まりました。

 ストーブの周りに車座に座布団が敷かれ、暖を取りながら私の代表あいさつに続き事業報告や会計報告、予算案や事業計画案などが報告され、原案の通り承認されました。21世紀えひめニューフロンティアグループは結成が昭和56年なので、今年で35年を迎えています。逆算すれば私が36歳の時に始めているのですから、色々ありましたがよくもまあ長く続いているものです。結成時の3つの約束、①今やれる青春、②社会への揺さぶり、③一年一事業こそ少し色あせていますが、まあそれなりの満足です。

 ストーブを囲み、弁当を食べながら積もる話をしましたが、メンバーである愛南町内海の北原さんは64歳になるというのに、4月から群馬県にある大学に2年間遊学するようだし、みんな何とか元気で健康寿命を謳歌しているようです。かく言う私がグループの最長老で71歳、でも負けず劣らずみんな元気で頑張ってくれています。今年もまた世界遺産を巡る旅も続けようと約束し、午後2時頃散会しました。皆さんには息子が瓶詰めしてくれた蜂蜜を少しながらお土産に差し上げました。

  「一年に 一度のグループ 総会を 今年は人間 牧場開催」

  「赤々と 燃えるストーブ 囲みつつ 積もる話を 楽しく話す」

  「千円の 豪華弁当 味噌汁を つけて美味しく いただきました」

  「今年も 世界遺産を 巡る旅 楽しみにして 頑張りましょう」

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人間牧場

〇ペットボトルの水やお茶は何故腐りにくい?

昨日は学びのコミュニティ研究会の廻し人(インタビューダイアローグのインタビュアー」を頼まれて、参加者50人弱のステージに、パネラー3人とともにステージに上がりました。肩書きや名前を知らせる張り紙もないということは、参加者が私やパネラーの名前を知っているのだろうと、「私の名前や顔を知っている人手を挙げて下さい」と言ったら、殆どの人の手が挙がりました。長年やっていると私もそれなりに覚えてもらっていることを実感しました。

昨日いただいたミネラルウォーター
昨日いただいたミネラルウォーター

 いつ頃からこうなったのかよく覚えていませんが、最近はどこへ行ってもペットボトル入りのお茶や水がつきもので、昨日も壇上に上がっている人の座っている机の上には「四国カルスト天然水」と書かれたペットボトル入りのミネラルウォーターが置かれていました。ファシリテーターなのでタイムキーパーもも務めなければならず、水を飲む暇もなくキャップを開けただけで、90分があっという間に終りましたが、キャップを開けた水は自分が処理するのが常識なので、そのまま木のカバンに入れて持ち帰りました。

 今日昨日の整理と記録のつもりでブログにを書きながら、持ち帰ったペットボトルの説明書きを見ると、「四国カルスト(細石)の間から湧き出してくる弱アルカリイオン水で、加熱処理していない天然の湧き水です」と書かれていました。普通天然の水やお茶は汲んで置いておくと腐るのに何故腐らないのか?、いつも疑問に思っています。「衛生的に処理している」といえばそれまでだし、特にお茶などは沢山の茶葉をブレンドして作られていて、だのに僅か100円ほどで出来て売っている不思議も、私たちはそのことに何の疑問も持たず飲んでいるのです。

 ペットボトルのお茶が出回ったお陰で、お茶汲みは女性の仕事と長い間決め付けていた日本の社会では、ペットボトルのお茶が女性の差別解消に大いに役に立ったと喜ぶ反面、自宅で主人が奥さんに「おーいお茶」と言うと、暖かいお茶ではなくペットボトルに入った「お~いお茶」が出てくるのだそうです。夫婦で温かいお茶を飲みながら団欒する姿も段々少なくなりつつあるようです。「ペットボトルの水やお茶は何故腐りにくいの?」、そんな疑問を持っているのは私一人でしょうか。

 「壇上に 上がって机 置かれてる ミネラルウォーター なぜに腐らぬ?」

 「今の世は 水とお茶さえ 買って飲む 時代変わった 私は古い」

 「おーいお茶 奥さん『はいはい』 言いながら ペットボトルの お~いお茶出す」

 「お茶汲みは 女性の仕事と 言われてた ペットボトルが 女性解放」 

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人間牧場

〇日本ラン「キンリョウヘン」をいただく

 数日前野村町に住む私のミツバチ飼育のお師匠さんである井上登さんから、「近々野村町へ講演に来るそうな。その折花芽の見えた日本ラン『キンリョウヘン』を会場へ持参するのでお持ち帰り下さい」とパソコンにメールが入りました。井上さんは私より多少年上ですが、都会暮らしが長かったせいかセンスもよく、また東京農大出身だけあって博学で、色々と学ぶことの多い実直は人です。

車のトランクに入れて持ち帰った日本ラン
車のトランクに入れて持ち帰った日本ラン
キンリョウヘンとシンピジウム・ミスマフェット
キンリョウヘンとシンピジウム・ミスマフェット

 私が井上さん出会ったのはそんなに古くはありません。多分地域づくり人養成講座の懇親交流会で出合い、蜜蜂を飼って蜂蜜を採りたいと話を持ちかけ、既に養蜂をしていた井上さんに懇願して指導を頼みました。以来私は井上さんをミツバチの師匠と仰ぎ、今も色々なご指導をいただいているのです。私の養蜂もどきがここまでやれているのは井上さんのお蔭なのです。

 ミツバチを飼う者にとって、ミツバチを誘引するために使う日本ランの一種であるキンリョウヘンは、とても貴重なもので、キンリョウヘンの花がなければ養蜂も成り立たないくらいです。井上さんは毎年分鉢の時期になると、キンリョウヘンの切り花を持って人間牧場へやって来ます。最近は私も少し馴れて蜜蝋塗りや蜂蜜採集はどうにか一人で出来るようになりましたが、井上さんからいただいたキンリョウヘンも10鉢ほどに分株して育てているものの、まだ花芽をつけるところまでには至っていないのです。

 昨日井上さんはキンリョウヘンとシンピジゥム・ミスマフェット合計5鉢を、手土産に持参して、私の車のトランクに入れてくれました。5鉢とも既にバルブの横に大きな花芽が覗いていて、さすがだと思いました。昨年も花芽のついたものを2鉢いただき、ダイニングで大事に育て、少し早めの蜂の誘引に成功しましたが、今年も朝夕加温するダイニングの台の下に置いて、大事に育てたいと思っています。ミツバチと触れ合う春はもう直ぐです。楽しみがまた増えました。

  「ミツバチの 誘引使う 日本ラン 師匠に貰い わが家嫁入り」

  「日本ラン フェロモン出して 蜂誘う 不思議植物 ホスピタリーかも」

  「早速に ダイニング入れ キンリョウヘン 今日から毎日 しっかり育て」

  「寒いけど 蜜蜂遊ぶ 春近し 思い出す度 どこかウキウキ」 

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人間牧場

〇大根の首切り

 冬は大根の美味しい季節です。わが家では家庭菜園で青首大根と聖護院大根を作っていますが、今年は聖護院大根は発芽したものの、害虫に食われて全滅したため、青首大根のみとなり、その青首大根も春の訪れとともに、いよいよ終わりに近づいてきたようです。もう少し大根を長く楽しむ手立てとして、毎年この時期になるとわが家では、大根の首切りをやります。

首切りした大根
首切りした大根

 「首切り」とは何とも物騒な表現ですが、このまま葉っぱを残しておくと大根は、種保存の原則で花を咲かせて種を結ぶのです。花を咲かせるために大根は根の部分の養分を使うため、花を咲かせると大根は筋だけ残り食用にならなくなってしまうのです。そのため葉っぱが養分を吸われないよう葉っぱの付け根から切り落としてしまいます。こうすればこれから約1ヶ月間は大根を楽しむことができるのです。

 来月初旬の日曜日には菜の花ウォークが開かれます。閏住の菜の花畑の直ぐ近くに「くじら」というお店を、私の妹が開いていますが、毎年菜の花ウォークには大きな鍋でおでんを炊いて販売して好評を得ていますが、その具材にわが家の大根を提供しています。今年も頼まれているので、首を切らなければならず、今朝はウォーキングから帰って直ぐに畑に入り、片っ端から首を切り落しました。

 首を切られた大根畑は殺風景でどこか寒々としていますが、これも春待ち、冬名残りの風情です。先人は偉いもので、こうした生活の知恵をしっかりと持って生きてきたのです。わが家は上灘川に沿った谷筋にあるため、冬は太陽が殆ど当たりませんが、春分の日を迎えるこの時期になると、裏山の端の方から太陽が覗き始め、春が近づいたことを実感するのです。今年の冬は寒さ一入で、春が来るのが待ちどうしいこの頃です。

  「春間近か 青首大根 首を切る これも大事な 春待ち仕事」

  「首を切る 縁起が悪い 呼び名だが こうしておけば まだまだ楽しめ」

  「大根は なくてはならない 冬食材 あれやこれやと 調理して食べ」

  「太陽が やっと畑に 射すように なって季節の 動くを知りて」

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人間牧場

〇念願のビニールハウス建設準備

 家の横にある家庭菜園の中に小さくてもいい、ビニールハウスを建てたいと常々思っていました。偶然にも昨年末シーサイド公園に商談でやって来ていた、農材スーパー松田の息子さんとじゃこ天のお店で出会い、その話をしたところ資材10万円+ビニール張り3万円程度で出来ると、口頭見積もり説明を受けたので、早速年末に私がハウスを建てたいと思っている場所に設置が可能かどうか見に来てもらいました。

家庭菜園へビニールハウスを建てる水糸張り
家庭菜園へビニールハウスを建てる水糸張り

 メジャーで計って仮パイプを打ち込んでもらいましたが、十分可能だとの事でした。早速年末に邪魔になると思われる畑の隅に植えているつつじを剪定したり、シキビの木を動かしました。剪定も木の移植も一人の力では大変でしたが、しっかりと対応して準備万端できたので、一昨日息子さんに電話を入れると、昨日二人が見えられて、メジャーで測りながら水糸を張ってくれました。

 予定している畑にはキャベツやブロッコリー、カリフラワーなどの野菜がまだ沢山植わっていて、特に高菜は今が旬で、毎日色々な料理に使い最盛期を迎えているため、多少惜しい気もしますが、幸いハウスを建てる工事は今月末になりそうなので、野菜は存分に楽しんで収穫できるようです。ハウスを建てる費用は既に妻と相談して確保しているので何とかなりそうですが、はてさて無加温ながらハウスでどんなものを作ればいいのか、これからじっくりと楽しい夢を見たいと思っています。

  「菜園の 横にハウスを 建てたいと 長年の夢 そろそろ実現」

  「水糸を 張りに二人が やって来た 説明受けて 少し緊張」

  「ビニールの ハウスで苗を 育てたい トマトにキューリ それからえ~と」

  「小遣いを 少しずつ貯め また一つ 小さいながら ビニールハウス」

 

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人間牧場

〇今日は節分です

 早いもので、寒い寒いと言いながら明日は立春です。日が暮れるのが随分遅くなったなあと実感するものの、東の空が明るくなるのを見計らってウォーキングに出かけていますが、夜明けはまだまだ遅い感じがします。それでも2月の声を聞くと空の色や空気までも何だか春が近づいたようで、少しウキウキし始めています。今日は節分です。立春、立夏、立秋、立冬の前の日を節分といいますが、節分が一年に4回あることを知っている人は意外と少ないようです。

オニグイ(タラの木)
オニグイ(タラの木)
オニグイに差し込むパリパリ柴
オニグイに差し込むパリパリ柴

 わが家では節分が来ると裏山に出かけて、オニグイ(タラの木)を切って来て、それを20cmほどに小切りし、縦に四等分します。四等分した一本一本に割れ目を入れ、そこへこちらの方言でパリパリ柴と呼んでいる葉っぱを挟み込んで一丁上がりで、造作もなく出来上がりました。出来上がったものを玄関先・神棚・仏壇・道祖神等に供え、また荒神様・水神様・風呂やトイレなどに置いて安全を願って祈るのです。親の代から続いている年中行事なので、「何故?、どうして?」と言われても説明はつきかねますが、まあこれが田舎の風習でしょうか。

玄関先に飾ったオニグイ
玄関先に飾ったオニグイ

 今晩は家族が揃ったら「鬼は外、福は内」などと言って豆まきをしますが、豆をオニグイを置いた場所に供えた後、自分の歳の数だけ豆を食べます。私は71歳なので本当は71粒食べなければなりませんが、10歳を1粒にして7粒+1粒=8粒食べて、無病息災を祈ります。最近はコンビニの幟旗に刺激されて、恵方巻きを食べるようですが、わが家でも妻が用意した巻き寿司を今年の恵方の南南東に向って、豪快に食べようと思っています。気がつけば私たちもいつの間にか、そんな風習に巻き込まれて生きているようです。

  「年四回 ある節分の 春の巻 オニグイ立てて 邪気を払おう」

  「タラの木と パリパリ柴を 採って来て 見よう見真似で 今年も作る」

  「神仏に タラの木供え 手を合わせ 家族の安全 懇ろ祈る」

  「さあ今日は 南南東の 方を向き 巻き寿司一本 豪快食べよう」

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人間牧場

〇人間牧場に桜が咲いた!!

咲き始めた河津桜の花
咲き始めた河津桜の花

 今年は寒波が厳しく、2月になってもまだまだ「春遠からじ」を予感していますが、昨日人間牧場に出かけてみると、早くも3年前に植えた早生系河津桜の芽が伸びて葉っぱが広がり始めていました。よく見ると枝のあちこちに桜の花が咲いているではありませんか。嬉しくなって川津桜の木の下に行き、よくよく見てみると、枝のあちこちに薄ピンクの花が幾つか咲いていました。

河津桜の木
花を咲かせ始めた河津桜の木

 この桜は私が代表を務めている21世紀えひめニューフロンティアグループが、「千本桜の森づくり事業」を行なった折、人間牧場へ標準木として植えたものです。初年度に植えた枝垂桜は5年間で、根元は太ももほどに大きく成長して枝を茂らせ、見上げるほどに大きく育っていて、梢が大風で折れるハプニングもありましたが、去年は私だけでささやかながら花見も行ないました。

すっかり大きくなった標準木の枝垂桜
すっかり大きくなった標準木の枝垂桜

 植物には早咲き系と遅咲き系があります。気あせらしい現代人は何かと早咲きを好み、勿論私も出来ることなら少し早めに春が来たことを実感したいと、河津桜を一本だけ植えていますが、やはり本流の吉野桜には及ぶべきもありません。それでも早咲きの河津桜が花を咲かせ始めたことを素直に喜びたいと思っています。

 早速facebookにアップして、一足早い春の便りを私のfacebook仲間に届けたいと思い、デジカメで写真に撮りました。伊予路に春を呼ぶのは椿さんかも知れませんが、わが町の閏住の菜の花もそろそろ見ごろを迎えようとしています。今年は爆弾低気圧が折角咲いた菜の花の花びらを吹飛ばしてしまい、幾分見劣りしていますが、そのうち挽回してくれることでしょう。2月4日は立春です。

  「牧場に 植えた桜に 花が咲く 春が来たよと 告げてるようだ」

  「早咲きの 河津桜が 咲きました facebookで お裾分けする」

  「立春を 先取りするよう 桜咲く 花を見つけて 心ポカポカ」

  「寒かった 冬を乗り越え 桜咲く 自然は偉い そう思いつつ」

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人間牧場

〇パソコンと私

 早いもので、あっという間に1月が終わり、今日から2月です。1月は正月に暖かい日が続いて暖冬を思わせましたが、大寒頃になると日本列島に次から次へと寒波が押し寄せ、滅多に見ることのない雪まで積って、少し混乱したようです。私は今年申年の歳男なので、今まで以上に性根を据えて日々を過ごそうと、決意を新たにしているお陰で、余り後悔することのない一ヶ月でした。

 でも一週間ほど前から、パソコンの調子が今一で、多少混乱をしています。エプソンのプリンターのインクの出が悪くなり、プリントできなかったり、タブレット端末に親友の冨田さんが自炊して入れてくれた、自著本「夕日徒然草」が不具合で、ただ今使用不能となっています。また底をつきかけた名刺をギノー味噌さんにお願いして、作る作業をする過程で、送ってもらったはずのメールが届かなかったり、清水さんに送ったはずのメールが届いていなかったり、もう散々で多少混乱をしています。

 今朝もパソコンがトラぶり、朝ブログ記事を書くことができず、夕方になってやっと復旧した始末です。妻が「お父さんはパソコンを酷使し過ぎ、壊れるのは当たり前」と手厳しく言われました。パソコンの苦手な私ゆえ、パソコンが故障するとまず自分で治すことは殆ど不可能なので、イライラが募るばかりか、嘆かわしいことですが自分の生活のリズムまで狂ってしまうのです。ふと、大嫌いだったはずのパソコンがこうまで私の暮らしの一部になってしまっていることに驚きながら、2月最初の日をを迎えました。

  「パソコンが 大の苦手な 私だが いつの間にやら 暮らしの一部」

  「最近は どういう訳か パソコンが トラブル続き どうにもならぬ」

  「今朝早く 起きたはいいが パソコン不具合 仕事にならぬ」

  「壊れるは 使い過ぎだと 妻曰く 自分も納得 どうしたものか」

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