人間牧場

〇2001年2月10日

玉井さんから送られてきた手紙
玉井さんから送られてきた手紙

 先日私の大先輩の玉井恭介さんからお手紙をいただきました。玉井さんは絵も書けるマルチ人間で、時々こうしてお便りをいただきますが、手紙には筆まめな玉井さんらしい文章の他、様々なえひめ丸に関する資料のコピーが添えられていました。中には始めて聞くようなえひめ丸事故の顛末話もあって、興味を引かれ一気に読みました。

宇和島水産高校の前庭に立つ慰霊碑
宇和島水産高校の前庭に立つ慰霊碑

 私にとって2001年2月10日は一生涯忘れられない日です。もう15年も前の出来事なので、普通の人は2月10日と言われても、思い出すことさえ出来ないようですが、私の母校愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、アメリカ海軍の原子力潜水艦とハワイ沖で衝突して沈没し、尊い9人の命が失われたのです。

えひめ丸事故の顛末
えひめ丸事故の顛末

 あの日私は、「昇る夕日でまちづくり」という自著本の出版記念パーティを、南海放送本町会館でやるべく、会場に飾る菜の花を摘みに、近くの特養施設夕なぎ荘の近くへ出かけていました。車に二抱えほど菜の花を摘んで自宅に戻り、竹を切って作った花立てに玄関先で差し込んでいると、近所に住んでいる姉悦子が息せき切ってやって来て、「えひめ丸がハワイ沖で沈没したというニュースをテレビでしている」というのです。

 直ぐに家の中に入りテレビをつけると、現場の生々しい様子が画面に映し出されていました。高校3年生の時初代愛媛丸に乗って珊瑚海まで遠洋航海に出た時のことが昨日のことのように頭を過ぎり、立っていられなほどの衝撃を受けました。250人ほどの知人友人を迎えて出版記念パーティーをする予定でしたが、その中にはマスコミ関係者も多数いて、取材や対応のため止む無く欠席の連絡も相次ぎましたが、止める訳にも行かず気持ちの整理もつかぬまま、パーティは予定通り行ないました。

 明くる日朝イチで、混乱している宇和島水産高校へ弔問に訪れ、玄関先に飾っている航跡をつないだ4隻の歴代愛媛丸(えひめ丸)を悲しい思いで見ました。あれから15年、私の大先輩である玉井さんの努力で学校とハワイに慰霊碑が建立され、鎮魂歌もできましたが、15年の時の流れは風化してはならないと言いつつ、そっとしておいて欲しいという関係者の思いもあって、一時代の終わりを感じる今日この頃です。それでも私は2月10日のことを一生心に刻んで生きることでしょう。

 「寒い冬 2月10日が 来る度に 思い出したく ないけど思う」

 「愛媛丸 よりにもよって 私の 出版記念 重なる奇遇」

 「先輩の くれた手紙に 色々な 顛末秘話が そっと添えられ」

 「一時代 終った感じ するけれど 心に刻み 決して忘れじ」

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