人間牧場

〇地域包括支援センターでの講演

DSCN2638DSCN2637 昨日は愛媛県身体障害者福祉センターへ出かけ、地域包括支援センターからの依頼で介護支援者に講演をしました。いつもは何げなくお話をするのですが、高齢者に「人生で最も航海していることは何ですか?」と訪ねたら7割の高齢者が殆ど同じ回答をしたという、ネットで紹介されていた「人生を終える時に後悔する20の項目」についてお話をしました。

 20の項目は次のとおりです。
 ①他人がどう思うか気にしなければよかった。
 ②幸せをもっと噛みしめて生きるべきだった。
 ③もっと他人のために尽くせばよかった。
 ④くよくよ悩まなければよかった。
 ⑤家族ともっと時間を過ごせばよかった。

 ⑥もっと人に優しい言葉をかけていればよかった。
 ⑦あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった。
 ⑧もっと時間があればよかった。
 ⑨もっと思いきって冒険をすればよかった。
 ⑩自分を大切にすればよかった。

 ⑪他人の言うことよりも自分の直感を信じればよかった。
 ⑫もっと旅をすればよかった。
 ⑬もっと沢山の恋愛をすればよかった。
 ⑭もっと一瞬一瞬を大事に過ごせばよかった。
 ⑮子どもたちに好きなことをさせてやればよかった。

 ⑯言い争いなどしなければよかった。
 ⑰もっと自分の情熱に従うべきだった。
 ⑱もっと自分のために頑張ればよかった。
 ⑲もっと自分の本音を言うべきだった。
 ⑳もっと目標を達成すればよかった。

 最期に人生で最も後悔していることは「チャレンジしなかったこと」と言っているようです。味わい深い言葉だと話しながら、介護支援者自身がこうした反省のないような人生をどう送るか持論を述べ、高齢者に寄り添って欲しいと話しました。

  「高齢者 介護支援を する人に まず自らが 襟を正せと」

  「人生を 振り返る時 遅過ぎる それでも寄り添い 残り火焚いて」

  「項目を 読みつつ一つ 二つあり 反省しきり まあまあ人生」

  「年寄りに 寄り添い生きる 人たちに 私の言葉 聞こえたかどうか?」

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人間牧場

〇孫の嘔吐下痢症

 わが家は昨年7月に親父が亡くなってから、私たち夫婦、息子夫婦、孫2人の6人家族が同じ屋根の下で暮らしています。大家族の一番の特典は、何といっても助け合いと将来への安心感です。助け合いは随所に見られ、長男息子は毎朝それぞれの部屋に置いている灯油ストーブに給油したり、家の一階と二階にあるトイレをしっかりと綺麗に掃除をしてくれる他、私のパソコン不具合対応や乗り物チケット手配、読みたい本のアマゾン購入、蜂蜜精製とまあかゆい所へ手の届くような手助けです。

 姑である妻と若嫁の人間関係もすこぶるよく、それぞれ別々のダイニングを持っているので、家の中でのお裾分けが日常的に行なわれ、まあいい感じで日々を暮らしています。私の家庭内での役割は風呂にお湯を張る程度ですが、家にいる時は働きに出ている若い夫婦の代役として、夕方になると孫二人の出迎えを担当していて、これも同居ならではの助け合いなのです。同居で一番は将来への不安が少ないことです。若いと思っていた私たち夫婦も、既に70歳の域になりましたが、まだ足腰は丈夫だと思いつつ、健康的不安は歳とともに増えてくるのです。

 同居で一番困るのは、孫たちが風邪などの流行病を外から持ち込んで帰ることです。一昨日孫奏心が嘔吐下痢症にかかり、寝れない夜を過ごしたようですが、嘔吐下痢症は早速若嫁が発症し、昨日は孫希心にまでうつりました。幸いまだ息子と私たち夫婦にはうつっていませんが、手洗いとうがいはしているものの、少々不安です。子どもの回復力は早く、ぐったりしていた孫奏心は点滴のお陰で早くもたった一日休んだだけで、元気を回復したようですが、孫希心はひょっとしたら学校を休まなければならないかも知れません。まあみんなが助け合い、みんなが病気にかかるのも一蓮托生だと諦めています。

 「大家族 お互い持てる 力出し 助け合いつつ 日々を暮らして」

 「将来の 安心感は 抜群で これぞ田舎の 良さと認識」

 「嘔吐下痢 芋づる式に うつり行く 時間の問題 今に爺婆」

 「歳とって 小さいながら 役立ち感 あるが生きがい 嬉しいことだ」 

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人間牧場

〇ジャガイモ植えの畝立て

 伊予路に春を呼ぶ椿神社の祭礼は、毎年一年で一番寒い旧暦の1月7日~9日までの3日間です。前日に春一番が吹いて初日の日曜日こそ暖かかったものの、8日も9日もジンクスどおりの寒さでした。毎年椿さんが終るとジャガイモを植える準備に取り掛かりますが、この寒さなので家庭菜園はもう少し様子を見ようと思っています。それでも人間牧場でのジャガイモ植えは、今度の日曜日に予定されているので、昨日急な思いつきで公民館の宮本館長さんと二人で、午後から人間牧場へ畝立てに出かけました。

DSCN2633DSCN2635DSCN2636 昨日は小雪を伴ったみぞれがぱらつくあいにくの荒れた天気でしたが、早速芋畑に入り平鍬で畝立てをしました。宮本さんは奥大栄の農家の出身だし元農協職員なので、こうした農作業は得意で、私が2畝立てる間に広い方の畑に7畝も立てる凄さで、1時間も経たないあっという間に作業を終えました。この畑は既に私が雑草取りや小石を拾う畝立て前の作業を行っていて、思った以上にスムーズに作業が進みました。今度の日曜日には子どもたちと一緒にジャガイモを植える予定です。

 人間牧場でのジャガイモ栽培は早くも5年近くが経ちました。他の作物に比べジャガイモは約3ヶ月で収穫できる利点があります。立てた畝に穴を掘り、肥料を入れた上にジャガイモを埋め込み、その上に黒いビニールシートを被せるマルチ栽培を予定していますが、外気温が上がり始めると一気に芽を吹き、ビニールシートを新芽が押上げるのです。押上げた場所を手探りして、カッターでシートを切って穴を開け新芽を地上に出すのです。5月の終わりに来年度のふるさと体験塾の開講が予定されていて、その折ジャガイモ堀りとサツマイモ植えを同時にやるのです。

 1年の巡りは早く、間もなく草木が芽を吹く待ち遠しい春を迎えます。6年生は卒業してジュニアリーダーとなり、新しい1年生が入ってきます。今年もどんなドラマが展開されるのでしょうか。楽しみです。

  「小雪舞う 人間牧場 芋畑 たった二人で 畝立て作業」

  「馴れている 鍬の腕前 二人とも あっという間に 作業を終える」

  「日曜日 ジャガイモ植えて マルチ掛け 五月収穫 春は駆け足」

  「さあこれで 準備完了 子どもらの 歓声間近か ワクワクしつつ」

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人間牧場

〇猫に小判の展示品

 シーサイド公園の中庭にモアイ像3体とともに、一隻の丸木舟が展示されています。いずれも夕日のミュージアムを造る時、私がイメージを膨らませてアイデアを出し、モアイ像は石の産地香川県安治の若手石材グループに金がないから安くと懇願して造ってもらいました。三体のモアイ像は一番北寄りに沈む夏至の日、真西に沈む春分秋分の日、一番西寄りに沈む冬至の日をそれぞれが向いて建っている夕日の守り神です。

埃を被った親父製作の丸木舟
埃を被った親父製作の丸木舟

 丸木舟は双海町東峰遺跡から出土した3万年前の土器とともに見つかった矢じりが、大分県姫島産黒曜石であったことから、古代人がどのようにして黒曜石を運んだのか立証するため、丸木舟の建造を思いつき、実際に瀬戸内海を航海したものです。今ではダッシュ島として有名になっている由利島まで航海した後、国立大洲青少年交流の家に展示していたものをシーサイド公園まで持ち帰り、親父に頼んで屋根を付け屋外に展示しているのです。

 その時親父に頼んで2隻の丸木舟模型を作りました。一隻はわが家の海の資料館海舟館に展示していますが、もう一隻は夕日のミュージアムの中に展示していました。その後展示を終えた模型は倉庫の片隅に埃を被って忘れ去られようとしていますが、親父に懇願して作ってもらったものだけに、何とか保存したいと思い関係者に打診したところ、元々個人の持ち物の借与だし、何の未練もないようなので引き取ることにしました。

 昨日はシーサイド公園で外国人との懇談があって出かけた折、倉庫に入って少し重い展示ケースごと引き出しました。埃を被っていましたが埃を雑巾で拭くと、まだ何とか展示に耐えれるようなので、近々知人友人数人にお願して、トラックで持ち出し移動しようと思っています。こうした古い展示品も興味のない人にとっては、「猫に小判」といったところです。まあ一時代が終ったと思えば腹も立たず、親父の亡くなった明くる年に里帰りする訳ですから、むしろ喜ぶべき出来事とポジティブに捕らえています。

  「一時代 終った感の 展示品 親父の遺品 思えば思える」

  「展示品 遺跡出土の 矢じりなど 大分姫島 黒曜ロマン」

  「展示品 埃拭えば まだまだと 言ってるようだ 近々移動」

  「展示品 心なければ 猫小判 ただのガラクタ ゴキブリさえも」  

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人間牧場

〇0.01%の積み重ね論理

 歳をとると一年の巡りが早く、しかも日々が何となく過ぎ去るような気がします。そんな胸の内を妻に打ち明けると、「あなたはもう十分働いたので、少しスピードを落として、ゆっくり過ごしたら」と言われ、その度に「ああこのままでいいのか」と思う反面、元気で活躍している同年代の人を見ると、「このままでは駄目だ」という焦燥感も頭を持ち上げ、複雑な気持ちになるのです。

 もう思っても大それたことなど出来ないこの歳ですから、せめて少しだけでも上や前を向いて歩こうと、0,01%の実践を心がけています。1%にも満たない0.01%など取るに足らない数字ですが、これを一年間毎日続けると3.65%も自分の人生が豊かになるのです。ゼロ金利どころかマイナス金利の時代に3.65%の配当は、国債購入配当より高い利率なのですから、これはもう胸を張れる数字なのです。

 さて私の0.01%なるものには一体何があるのでしょう。まず朝4時の起床です。これは私が漁師をしていた頃の習慣が今に続いているもので、早起きは三文の得を地で行っています。毎朝6時に起床する妻とは朝だけでも2時間の開きがあり、これが私の毎日の原動力となっています。朝早く起きるだけならどおってことはありませんが、この2時間にブログを書いたり読書をしたりして過ごすので、書いた記事、読んだ本は0.01%どころか、とてつもない成果を得ているのです。

 私が最近推奨している1・10・100・1000・10000・10万・百万・一千万・一億という実践も、0.01%の成果になりつつあります。この数字の説明は何度かこのブログで説明しているので書きませんが、0.01%の積み重ねの継続は大きな力になりつつあります。利子には単利と複利がありますが、0.01%の積み重ねは複利といったところでしょうか。文系な人はどちらかというと理系が苦手で、数字で説明できないものが沢山ありますが、0.01%の論理は人生の成功論理でもあるようです。

  「1よりも 低い0.01 目標に 誰でもできる 誰でもできぬ」

  「0.01 今では金利 より高い 胸張り実践 習慣にする」

  「小さいが 複利計算 できるよう 0.01 大きな成果」

  「何となく 自分の生きがい 見つけたり 残りの人生 少し輝く」

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人間牧場

◯天草ゼリーを作る

 「おばあちゃんが作るもので一番美味しいものは何?」と孫たちに尋ねたら、「天草ゼリー」と返ってきました。天草ゼリーは普通冷蔵庫で冷やして食べる夏の食べ物ですが、年中冷菓を食べる孫たちは冬でも天草ゼリーが大好きなのです。妻は孫たちのリクエストに応え、昨日の夕食後早速思いつき、大きな鍋に天草を適量入れて作り始めました。

IMG_20160213_202825IMG_20160213_202858IMG_20160213_203722 天草は独特の海藻の匂いがするので、孫たちも「あっ、おばあちゃんが天草ゼリーを作っている」と、私たちの台所に集まってその様子を偵察です。天草ゼリー作りは熱湯で危ないため、孫たちを居間に移し、木綿袋で絞る所だけ私も協力し、テーブルの上にアルミ製タッパーを4つ並べ、みかんやパインの缶詰果物を入れたタッパーに、天草液とみかんジュースを混ぜて沸かした液を均等に流し込みました。

 これでokです。後は冷めて固まるのを待つだけです。午後9時頃に作業を終えましたが、今朝は妻が昨晩のうちにちゃんと片付けや処理をしていて、今日の昼食後のデザートに出される予定です。私も天草ゼリーは大好きなので、初夏の頃海に出て天草を採り、晒してたくさん保存しているので、楽しみです。

 「孫たちが リクエストした 天草を 使ってゼリー 作る楽しみ」

 「爺と婆 食事を終えて ガサゴソと 天草ゼリー 手間暇かけて」

 「天草を 沸かして溶かし 流し込む 慣れた手つきで 一丁上り」

 「天草を 使ったゼリー 完璧な 仕上がり満足 孫たち満足」

 

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人間牧場

〇五行歌一月歌会

 先日松山五行歌から一月歌会の報告書が届きました。松山五行歌歌会に所属しながら、まだ一度も歌会に出席した事のない、まるで幽霊会員の私なので、さてどうしたものかと、新しい年を迎え身の振り方を思案しつつ、封書を開けました。今回も出席歌20人、欠席歌14人の作品が紹介されていて、興味深く拝読させてもらいました。

 私の作品は欠席歌中最後尾の14番目でした。あいうえ順とも思えなくもありませんが、、受付順ならば私はいつも締め切る前日、しかも督促対応なので最後尾に乗せてもらっただけでも喜ばなければなりません。他の人の作品と比較するほどの出来でもなく、いつもながらの駄作に〇×△▼・・・って感じですが、ままお遊びのつもりで・・・・。

 私の作品は次のとおりです。
  今年は申年
  六回目の年男
  何かいいこと
  ありそな予感
  いやきっとある

 私の作品に添えられた選者の講評です。  
 ☆六回目の年男というと72歳ですね。4~5行目のフレーズが前向きで気持ちがいいです。言い切っているのが、福を呼び込んでくれそうで楽しくなりました。同じように年女というひともあり、わたしもこのように言い切ってみようという声が。新年にふさわしいめでたい一首となりました。

 ちなみに出席歌一席は紅梅さんの次の一首でした。
  大きめの湯のみに
  熱めのお茶
  両手で包んでゆっくりまわす
  今日の嫌なことは
  これでおしまい

 ちなみに欠席歌一席は不徳竹さんの次の一首でした。
  一年を丸めて
  ぐしゃっと潰して
  屑箱に入れる
  さっぱりした
  すっきりした

  「入会を したけどいつも 不義理して まだ一回も 顔覗かさず」

  「どの歌も みんな正岡 子規のよう 私の歌は いつも見劣り」

  「もう少し 川の流れに 身を委ね 流され行くも いいかも知れぬ」

 

 

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人間牧場

〇孫はアナログ私はデジタル?

 昨日は建国記念の日で、孫たちは学校や保育園が休みとあって、朝から家の中が何かと賑やかでした。そのうち孫二人は息子に連れられて長く伸びた髪を切りに散髪屋や出かけたようですが、息子は帰りに2年生の外孫を連れて帰って来ました。聞けば先週の土曜日が登校日だったので金曜日が振り替え休日で4連休だそうで、わが家へ泊まりに来たようでした。

日記を書く孫尚樹
日記を書く孫尚樹

 息子は帰る途中孫3人を連れて松山城に登ったり、孫たちのリクエストに応えて回転寿司で昼食をしたようでした。ところが夕方になって外孫尚樹の様子がおかしくなり、腹痛を訴えました。松山に住んでいる母親と連絡を取り、少し様子を見ることにしましたが、昨晩は私と妻の布団の間に入らせ寝かせたものの、少し熱も出て冷えピタを張ったり置き薬を飲ませたりして朝を迎えましたが、今のところ熱も下がり快方に向かっているようです。

 この外孫は学校の先生の指導で毎日日記をつけています。これは文字ではなく符号だ思っていた汚かった文字も、毎日日記を書くようになって、見違えるよう綺麗になっていました。何よりも大きな成長が日記を書くことによって、日常の暮らしの中で気付きの部分や言葉の表現力が高まっているようです。私も「shin-1さんの日記」というブログを毎日書いていますが、自分自身では気づかないものの、毎日日記を書いているお陰で、孫と同じように少しだけ成長をしているようです。

 私と孫の根本的な違いは、孫は鉛筆で文字を書き、私はパソコンのキーボードで文字を打っているのです。若い孫がアナログ、年老いた私がデジタルとは間逆な感じもしますが、私はキーボードを打つ速度が幾分か早くなる程度の進歩で、文字が綺麗になることはないのです。ましてやデジタルで文字変換するので、漢字を覚えることもなく、時々変換ミスを見逃してしまうことだってあるのです。孫の日記帳に見習い、私も少し進化しなければならないと、糸口を探していますが、はてさてその糸口は見つかるのでしょうか?。

  「振り替えで 四連休の 孫が来た 毎日日記 書いているよう」

  「年寄りの 私デジタル 幼な孫 どういう訳か アナログ世界」

  「日記帳 書いたお陰で 孫の字が すっかり綺麗 見違えるよう」

  「日記帳 気付きと表現 効果あり 私もブログ 少しは成長」  

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人間牧場

〇2001年2月10日

玉井さんから送られてきた手紙
玉井さんから送られてきた手紙

 先日私の大先輩の玉井恭介さんからお手紙をいただきました。玉井さんは絵も書けるマルチ人間で、時々こうしてお便りをいただきますが、手紙には筆まめな玉井さんらしい文章の他、様々なえひめ丸に関する資料のコピーが添えられていました。中には始めて聞くようなえひめ丸事故の顛末話もあって、興味を引かれ一気に読みました。

宇和島水産高校の前庭に立つ慰霊碑
宇和島水産高校の前庭に立つ慰霊碑

 私にとって2001年2月10日は一生涯忘れられない日です。もう15年も前の出来事なので、普通の人は2月10日と言われても、思い出すことさえ出来ないようですが、私の母校愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、アメリカ海軍の原子力潜水艦とハワイ沖で衝突して沈没し、尊い9人の命が失われたのです。

えひめ丸事故の顛末
えひめ丸事故の顛末

 あの日私は、「昇る夕日でまちづくり」という自著本の出版記念パーティを、南海放送本町会館でやるべく、会場に飾る菜の花を摘みに、近くの特養施設夕なぎ荘の近くへ出かけていました。車に二抱えほど菜の花を摘んで自宅に戻り、竹を切って作った花立てに玄関先で差し込んでいると、近所に住んでいる姉悦子が息せき切ってやって来て、「えひめ丸がハワイ沖で沈没したというニュースをテレビでしている」というのです。

 直ぐに家の中に入りテレビをつけると、現場の生々しい様子が画面に映し出されていました。高校3年生の時初代愛媛丸に乗って珊瑚海まで遠洋航海に出た時のことが昨日のことのように頭を過ぎり、立っていられなほどの衝撃を受けました。250人ほどの知人友人を迎えて出版記念パーティーをする予定でしたが、その中にはマスコミ関係者も多数いて、取材や対応のため止む無く欠席の連絡も相次ぎましたが、止める訳にも行かず気持ちの整理もつかぬまま、パーティは予定通り行ないました。

 明くる日朝イチで、混乱している宇和島水産高校へ弔問に訪れ、玄関先に飾っている航跡をつないだ4隻の歴代愛媛丸(えひめ丸)を悲しい思いで見ました。あれから15年、私の大先輩である玉井さんの努力で学校とハワイに慰霊碑が建立され、鎮魂歌もできましたが、15年の時の流れは風化してはならないと言いつつ、そっとしておいて欲しいという関係者の思いもあって、一時代の終わりを感じる今日この頃です。それでも私は2月10日のことを一生心に刻んで生きることでしょう。

 「寒い冬 2月10日が 来る度に 思い出したく ないけど思う」

 「愛媛丸 よりにもよって 私の 出版記念 重なる奇遇」

 「先輩の くれた手紙に 色々な 顛末秘話が そっと添えられ」

 「一時代 終った感じ するけれど 心に刻み 決して忘れじ」

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人間牧場

〇寒いけれども夕日が綺麗

昨日の夕景
昨日の夕景
夕日に照らされた閏住の菜の花斜面
夕日に照らされた閏住の菜の花斜面

 昨日は北西の強い季節風が吹き荒れ、とても寒く感じる一日でした。夕方親類の叔父さん宅へおでんをお裾分けに出かけました。叔父さん宅は叔母さんが少し認知症を発症して、伊予市内の特養施設へ入所しているので、息子と二人の男所帯なので、時折こうして妻の気配りで惣菜を差し入れしてあげています。本谷付近に差し掛かったところ、パトカーや事故処理車が出動して、どうやら事故処理の最中でした。

白波の立つ時化た海岸
白波の立つ時化た海岸

 事故処理のため片側通行で、警察官が通行車両の整理を行なっていましたが、事故現場を横目に見ながら通ると、車は原型を留めないほど大破していて、事故のすさまじさを垣間見て背筋が寒くなりました。事故に遭った人の安否を気遣いましたが、今朝の朝刊新聞によると、どうやらはみ出し運転していた人はお亡くなりになったようでした。帰りに現場を通ると既にレッカーが到着して事故車を吊り上げていました。

昨日はダルマの夕日でした
昨日はダルマの夕日でした

 昨日は大風で水平線近くの雲が吹き飛ばされたため、夕日もダルマの夕日となっていました。帰り道レストラン魚吉近くの歩道に車を止めて海岸に降り、少し寒い中で一人夕日を観賞したり、たまたま首にぶら提げていたデジカメで夕景を撮りましたが、潮風とともに潮水の飛末が飛び、カメラレンズを濡らすようだったので、早々に引き上げました。3日目のシーサイドでの夕日といい、最近は夕日に関してラッキーが続いているようです。

  「惣菜を 叔父のお家へ お裾分け 交通事故の 現場たまたま」

  「原型を 留めぬほどの 事故現場 背筋に寒さ 追い討ちかける」

  「大荒れの 水平線に 陽が沈む ダルマの夕日 一人観賞」

  「最近は 首にデジカメ ぶら提げて お蔭様にて シャッターチャンス」

 

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