人間牧場

〇春の足音

 瀬戸内海に面しているとはいいながら、外洋性の強い西瀬戸伊予灘に面しているわが町は、冬の間は北西の風が吹き荒れて、漁船は漁にも出られず、深い眠りについていましたが、この2~3日家を留守にして帰って見ると、早朝に港を出る漁船のエンジン音遠くで聞こえたり、何だか春の気配を強く感じるようになっていました。昨日は朝から雨模様の天気ながら、春の雨はどことなく優しく降ったり止んだりって感じで、何処へ行きでもなく、何をするでもなく出張上がりの一日をのんびり過ごしました。

沢山生えた椎茸
沢山生えた椎茸

 裏庭の杉木立に置いている大洲田処の亀本さんから貰った椎茸の原木には、無数の椎茸が春を待ち焦がれたように芽吹いています。既にわが家の孫たちはそのことに気付いて、カゴを持って裏庭に行き、椎茸の収穫を楽しんでいるようで、さも自分が栽培しているような気分になっているのでしょうか?、「半分あげる!!」とお裾分けをいただき、「ありがとう」と妻は孫にお礼を言って、料理に使って楽しんでいます。ふと昨年5月に原木に植林して人間牧場に置いている、椎茸の様子が気になり始めました。近々観察に出かけてみようと思っています。

マルチを掛けたジャガイモ畑
マルチを掛けたジャガイモ畑

 昨日は濡れるほどの雨でもなかったので、家の横の畑に出て、残っているジャガイモ植えをやりました。畝を立ててジャガイモを土中に埋め、籾殻を振りかけてその周辺に、ジャガイモ用の肥料と牛糞をたっぷり置き、黒いマルチビニールを張り、土を被せて一丁上がりです。キタアカリと出島、それに少し足りなかった所へ、自家用に倉庫にしまっていた男爵の芽が出たものも足しましたが、今年もかなり沢山の種芋を順調に植え込みました。11月に植えたタマネギは冬の寒さで殆ど成長していないのに、遅れてこの頃植えるジャガイモは約3ヶ月でタマネギを追い越し、5月末には掘れるのですから効率のいい作物です。

 よく見ると庭にうっすら雑草の緑が見え始めました。冬が長かっただけに春は待ち遠しいのですが、伸びる雑草のことを思うと少し憂鬱になります。今年も除草剤を使わないという私の方針に変りがないため、雑草と戦わなければなりません。それをしんどいとか嫌だと思うと田舎暮らしは灰色になりますが、そのくり返しが田舎の良さだと思うと、少しワクワクしてくるのです。裏山の道沿いには早くも目の覚めるような若草色のカタクリユリの葉っぱが顔を出しています。小鳥のさえずりも心なしか浮かれているように聴こえました。

  「そこここの どこかで春が 生まれてる どこかウキウキ 雨が降っても」

  「雑草と 今年も戦 やる予定 田舎暮らしは だから楽しい」

  「椎茸を 僕が採ったと 孫自慢 お裾分けして 夫婦いただく」

  「年取れば やることないと 言うけれど 俺にゃいっぱい あり過ぎ困る」

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人間牧場

〇ラジオ番組「そば焼酎雲海提供『人・歌・心』」

 今は多分このラジオ番組はないだろうと思いますが、もう記憶にないほど、その時期さえ忘れているこの番組に、私はゲストとして出演したことがあります。案内役はご存知「♭あなた~お前~」で始まる、歌謡曲「二輪草」を歌っている、大阪出身の人気歌手川中美幸さんでした。南海放送のスタジオで、天井から吊るした大きなマイクを真ん

偶然訪ねた雲海酒造蔵元
偶然訪ねた雲海酒造蔵元

中にして、短い時間ながら問われるまま熱弁をふるったものでした。

 川中美幸さんは、私の肩書きが「地方公務員」「役場職員」だったこともあり、それ程の期待もなかったでしょうし、箱に入った肩苦しい人間に違いないと思って、対談集録に望まれたようですが、意外や意外な饒舌に舌を巻き、時間を越えてお互い大笑いしながら話し込みました。別れ際、「あなた本当に公務員?」と尋ねられたのでアドリブで、「はい私は公務員は公務員でも好夢員です!!」とやり返し、お別れしました。この時以来私は「好夢員」という言葉を自分の代名詞のように使っていますが、最近この言葉を高知県馬路村の親友木下さんが盛んに使っているようです。(大笑い)

P1070263 昨日宮崎県綾町へ講演で出かけた折、焼酎「いいとも」や蕎麦焼酎「雲海」で有名な雲海酒造綾蔵へ、昼食に立ち寄りました。ふとわが頭の中のカンピューターが動き始め、「雲海酒造・川中みゆき・ラジオ番組・好夢員」を思い出させてくれました。あの時ラジオ放送が終ると南海放送から、私の出演したラジオの集録テープが送られてきましたが、捨ててないのでどこかに終っているものの、探すことも出来ませんが、近いうちに探し当ててCDにでもして、保存したいと思っていまが、集録テープさえもう時代遅れになった昨今ゆえ、私も古い時代の人間になったものです。

  「その昔 雲海酒造 提供の ラジオ番組 川中美幸」

  「面白い 饒舌話 舌を巻く あんた本当に 公務員なの?」

  「偶然に 雲海酒造 蔵元を 訪ね私の 昔ありあり」

  「収録の 録音テープ 今時は 時代遅れで 再生できず」

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shin1さんの日記

○久しぶりの綾町

 私がまちづくりに関わった若い頃の綾町は、照葉樹林の町として全国的に有名でした。ゆえに愛媛からも沢山の地域づくり人が綾町を訪ねているようです。特にその後六選を果たされた郷田町長さんは、懐かしい人なのです。昨日夜初めてお目にかかった前田穰町長さんは前町長さんを上回る7選と聞き、その他選ぶりに大いに驚きました。    綾町はユネスコのエコパークに登録された日本最大規模の照葉樹林を有する町で、県都宮崎市に隣接しているため人口も微増のようで、何とも羨ましい町でした。最近建設した中学校も木造校舎で、わが町の翠小学校も視察して参考にしたとのことでこれまた驚きました。 今日は生涯学習推進綾町公民館大会と綾町社会福祉大会、加えて青少年健全育成町民大会、公民館ブロック別セミナー合同という凄い大会の基調講演です。500人の参加者を前に、フンドシならぬパンツの紐をしっかり締めて、しっかりと話したいと思います。(このブログ記事は午前4時に起床して、宿泊したホテルで書きました)。

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人間牧場

〇散髪で男前を上げました

 私は殆ど毎月1回程度、近所の散髪屋へ出かけて散髪をします。この習慣はもう50年近くも続いていますが、最近になってその間隔が少しずつ間延びして、妻から「もうそろそろ散髪しないと」と注意される始末です。そういえば前回は年末押し迫ったクリスマス頃散髪したなと思い出し、明くる日の今日から、宮崎県綾町へ講演に出かける予定もあるので、散髪に出かけました。

 散髪屋へ入ると、いつものように散髪をするため、「どうぞ」と奥さんに促され、椅子に座って鏡に向かいました。「今回は少し伸びましたね」とご主人は言いながら、バリカンで襟足から刈り始めました。その後近況や噂話をしながら櫛を使ってハサミで刈り込み、カミソリを当ててもらい、洗髪して50分間の散髪を終えました。いつも思うことですが、散髪は何と気持ちがいいのでしょう。僅か50分ながら髪を切ったり髭を剃ったりする間はいつも夢心地で、時には浅い眠りにつくことだってあり、思わずハッとするのです。

P1070244 また散髪屋と風呂屋は噂話のたまり場というように、ドブ板の話から新聞を賑わす国内外の話題まで、色々な話をご主人や奥さんを交えて話すのです。役場に勤めていたころは近所の話題にも事欠きませんでしたが、退職した今はそんな話にもついつい疎くなり、「へえ~」「知らなかった」というご近所の話もいっぱいあり、思わず笑ってしまうのです。全てを鵜呑みにすることはできませんが、近所世情に疎くなったということは、それだけ自分の行動範囲が狭くなったことだと、納得実感しました。

 散髪をすると、いくら男前の悪い私でも、それなりに男前が上がります。3400円もお金を掛けるのですから、それぐらいな効果がないといけないと、頭を撫でるのです。切り落とした髪の毛は何ミリグラム程度なのに、何故か頭が軽くなったような気がします。加えて散髪をすると襟元が涼しくなるばかりか、寒さが一段と身に染みて寒く感じます。ゆえに昨日はジョギングの時愛用している毛糸の帽子を被っ、一日を過ごしました。

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人間牧場

〇ゴボウ作りは厄介

幕板を使ったゴボウの苗床
幕板を使ったゴボウの苗床

 昨日は厄介なゴボウ掘りをやり、大汗をかきましたが、そのついでにこれまで使っていた幕板を再利用して、畑の隅の適当な場所を選び、苗床を作る作業をしました。日曜大工の要領でまず幕板を立てる床掘りを、土を真ん中に寄せ集めながら進めましたが、ゴボウ堀りでかなりのエネルギーを消耗していたので、少しきつく感じました。その後大小6枚の幕板組み合わせ、水平や垂直を目通ししながら、余り見苦しくない程度に釘でお互いを固定しました。

P1070238 幕板の周囲に土を盛ったり、幕板が土の重みで動かないよう算木を打って固定すると、今度は土入れ作業です。他の場所から土を移動することができない場所なので、畑の隅の土を鍬で掘ったり、スコップで跳ね上げたりして、やっとの思いで夕方5時頃一連の作業を終え、苗床作りを完了しました。古い幕板や古い釘を再利用して作ったため、多少いびつな感じは、腕の悪さも手伝って否めませんが、今日にでももう少し土を入れて、土が雨で落ち着けばゴボウの種を播こうと思っています。

 家庭菜園での農作業は、中耕、草取りなどかなりしんどい作業が多くて大変ですが、作る喜び、収穫する喜び、食べる喜び、差し上げる喜びなどなどがあるので、我を忘れてやっています。ただ我を忘れ過ぎて、昨日のように足腰が痛くなるほどやってしまうこともあるので要注意です。
 このところ、タブレット端末を手に入れ、使い方を練習するつもりでカリフラワーやブロッコリーを写真に撮って、facebookにアップしたところ、面白い写真が撮れそうな予感がしているので、これから畑をテーマに野菜の成長写真を撮ってみようかと思い始め、新たな興味が湧いて来ました。年寄りの冷や水にならぬよう気をつけます。

  「掘り易く するため幕板 囲い込み ゴボウ苗床 これで完璧」

  「出来栄えは 60点だが 不器用を 自認していて これで納得」

  「立春を 過ぎて菜園 農作業 背中を押され あれやこれやと」

  「今年は 菜園野菜 タブレット 使って写真 facebookuで」

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人間牧場

〇里山歩きを楽しむ

 私は小さい頃から海の町で育ったので海も大好きですが、それと同じように山歩きも大好きで、暇さえあれば家の近くの里山を、一人でウォーキングしています。一日の歩く歩数の目標を1万歩と決めていると、何かにつけて歩かないと、目標の一万歩は達成できないから、止むに止まれぬ事情で歩き回っていますが、裏山に杉や桧の木立の森があったり、季節感漂う雑木林の踏みつけ路があるのも嬉しい環境です。

 杉や桧の森、雑木林にはアロマセラピーや森林浴効果がるといわれていますが、この季節は足元に落ち葉が沢山落ちていて、落ち葉を踏みしめる「カサカサ」という音や、遠く近くで鳴く野鳥の声も聞こえ、心が落ち着くようです。私が歩いている里山は殆ど人が通らない路なので少し荒れ模様ですが、私が毎日や時々歩くようになって、特に雑木林には踏みつけ路状態の路が出来、いい雰囲気で散策を楽しむことができています。

 山道のあちこちには、早咲きや遅咲きの花も咲いています。昨日は遅咲きの水仙の花、早咲きの野イチゴの花を見つけ、手持ちして出かけたタブレットで写真に撮りました。少し足を伸ばして八景山に通じる道を登ると、長い灘町鉄橋の見える場所に出ました。この場所は双海10景に数えられる素敵なカメラアングルなので、2~3枚パチリ狙いました。人間はいつの間にか、グローバルな考えや、ものの見方に目と心が行っていますが、「幸せの青い鳥」のように、ローカルな足元を見つめることも大事だとしみじみ思いました。

  「里山を 一人のんびり 歩く見る 季節の移ろい そこここ感じ」

  「道端に 遅咲き早咲き あれこれの 花が見てよと 言いつ咲いてる」

  「雑木の 林分け入り 踏みつける いつの間にやら 一本の路」

  「春ですよ 小鳥の声も 何処となく 弾んで聞こえ 幸せ感じ」 

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shin1さんの日記

〇久しぶりの休日
 久しぶりの温泉 今日は祝日、建国記念の日です。サンデー毎日の私にとっては、祝日も祭日も日曜日もあまり関係がありませんが、日曜日しか休みのない妻にとって休日は、あれやこれやとやりたいことがあり、また買い物など楽しみなようです。  先日大分に住む友人の奥さんが急逝したという風の便りが届き、同年代の少し早い旅立ちに、少し心が痛んだ矢先でもあるので、今日は親父をディサービスに送ってから、「温泉にでも行こうか」と相談がまとまり、星ヶ丘温泉に出かけました。のんびりゆっくり温泉を楽しみ、身も心もすっかりリフレッシュすることができました。

 私は退職したあとも何かと忙しく、妻にはこれくらいのサービスしかしてやれませんが、妻が退職したらのんびり旅行でもと思っているものの、在宅で親父の介護をしている実情を考えるとそれも難しく、長男の嫁に嫁いだゆえの悲劇を思わざるを得ないのです。それでも妻は、「今日一日楽しかった」と、とても喜んでくれました。 大分の友人は二人暮しでしたので、奥さんが亡くなり一人になって「寂しい」と吐露していましたが、もし私が同じ境遇になったらどうしようと、自分自身に置き換えながら困惑した一日でした。

 人間は悲しいかな、自分で命を断たない限り夫婦一緒に死ぬことはできません。14年前母が亡くなるまで、親父は大正生まれの古い人間ゆえ亭主関白で、炊事や洗濯、掃除といった家事はまったくできず、全て母親がやっていて心配しましたが、親父はその後自立して家事全般を見事にこなしてくれました。さすがに年老いた最近は妻の手助けがなければならなくなりましたが、もし私が親父と同じような境遇になったら、とてもじゃないが親父のような自立は出来ないと思うのです。反面親父にさえ出来たのだから私にだって、出来ない事はないと鷹を食っていますが、世の中そんなに上手く行くかどうか・・・・。昨日今日少し心配な二日間でした。

  「久しぶり 妻と二人で 温泉へ のんびりゆっくり 休日楽しむ」

  「もし妻に 何かあったら どうしよう 親友奥さん 風の便りで」

  「関白な 親父でさえも 独り立ち 私にだって 強がるけれど」

  「少しだけ 優しくなった 私見て 何があったの? 気持ちが悪い」

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人間牧場

〇年寄りの冷や水

 年寄りが歳も考えず無謀なことをすることを、「年寄りの冷や水」と昔から言われています。昨日連合海区調整委員会が山口県柳井市であり、他の委員さんと一緒に出かけましたが、道すがらのフェリー往復5時間の旅は、かなりのんびりしていて、手持ちのタブレット端末をいじったり、本を読んだり、委員さんと雑談に耽ったりして時を過ごしました。
 私が健康法のひとつとして、毎朝ジョギングをしていると話をすると、「それを年寄りの冷や水というのだ」と笑われてしまいました。

 「70歳の私が毎朝ジョギングをすることが年寄りの冷や水だったら、あんたたちは年寄りの温く水だ」と反論し、大いに盛り上がりましたが、「冷や水」について少し考えてみました。私は1週間に一回程度体のケアーと称して、松山の温泉に行きます。行くといっても所用のついでに立ち寄る程度なのですが、最近の温浴施設はサウナが充実していて、行けば必ずサウナに入ります。入った後この寒いのに冷水風呂に入ります。心臓にはよくないはずですが、冷水をかぶりとスッキリして気持ちがよく、むしろ健康のためには適度な、こうしたショックは必要だという人もいますが、どちらが正しいのか分りません。

 歳をとると水分調節が難しいようで、飲み過ぎるとトイレが近くなり、また水分が不足すると血液が凝縮するので水分補給が必要だといわれています。この時期は寒の水といって冷たい水が美味しい季節なので、冷水を楽しんでいますが、水分をどの程度取るかも意見が分かれています。寝る前に必ず水を飲むことを習慣にしている人もいるそうですが、私は寝る前に水を飲まないタイプです。まあ色々言いながら、「冷や水」を意識して余り無理はできませんが、適当な「冷や水」を意識してプレッシャーをかけなければ、老いのスピードは速まるばかりです。さあ今朝も外が明るくなり始めたので「年寄りの冷や水」と言われそうですが、ジョギングに出かけましょうか。

  「年寄りの 冷や水だから 止めとけと 私のジョギング 名指しで批判」

  「サウナ風呂 汗かきその後 水風呂に 年寄り冷や水 止めとけ注意」

  「寝る前に 冷水コップ 一杯を 飲めばいいよと 勧めてくれる」

  「健康を 気遣いながら 色々な 健康法を 教えてくれる」

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shin1さんの日記

○山口県柳井へ
 今日は山口県柳井市で開催される連合海区漁業調整委員会に出席するため、松山市三津浜からフェリーに乗って、他の委員さんや県庁の担当者と一緒に、柳井へと向かっています。三津浜を出港したフェリーは、心配された海の時化もなく、穏やかな瀬戸内海を走っています。私は毎日沖合に浮かぶ周防大島を沖合に見て暮らしていますが、この島はとてつもなく大きく、何度か行ったことはあるものの、いつか一周してみたいと思いながら、未だに実現していないのです。
 今日の会議は午後なので、帰宅は夕方遅くなる予定です。柳井の町並みも今回は、残念ながら素通りとなってしまいそうです。船内放送があって、間もなく周防大島大橋の下をフェリーが通過するようです。

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人間牧場

〇老々介護の日々

 「人は何故老いつつ死に向って生きるのか?」、96歳の親父を老々介護をしているがゆえに、日に日に老いて行く親父の姿を目の当たりにしながら、そんな問いかけを自分自身の心の中でしています。昨日は親父が近くの夕なぎ荘へデイサービスに行く日でした。昨日の朝、町内に住む姉と弟も親父の様子を伺いにやって来て、息子家族も加わって、お迎えの車に乗る親父を賑やかにお見送りしました。潮が引いた後私はいつものように、親父の住んでいる隠居のトイレの掃除をしました。週2回のトイレ掃除は最初少し抵抗を感じていましたが、「修業」だと思い、「親孝行」だと思ってやっていますが、今ではすっかり習慣化し何の抵抗やわだかまりもなくやれるようになりました。

 体が不自由になった親父の世話は、母が亡くなってからこの15年間、主に妻が食事や身の回りの世話を行って来ました。妻は私より年齢が一つ歳下ですが、今も近所の歯科医院へパートで勤めていて、とても働き者です。親父の世話に関しても愚痴も言わず、長男の嫁というだけで続けてくれていますが、さりとて高齢になりつつある妻にこれ以上の負担をかけてはならないと、殊勝にも思っている私も、何か手助けが出来るのでは?と思ってのトイレ掃除行動なのです。不思議なものでトイレ掃除をするようになって、親父の心に少しだけ寄り添えるようになれたことは、何よりも大きな効果でした。

 いいことは分かっていても在宅介護は大変です。ゆえに「老いれば施設」の風潮が強くなり、私の知ってる人たちも施設に入居して老いを暮らしています。親父も一時は「迷惑をかけるから施設へ入りたい」と言っていましたが、今では「この家の畳で死にたい」と言うようになりました。長生きはいいことに違いはありませんが、介護は介護をする側も介護をされる側も、力のいることだとしみじみ思います。どこまで出来るか分かりませんが、親父も私たち夫婦や家族も、もう少し頑張ってみようと思っています。それは27年後にやって来る自分たち夫婦の老いの問題でもあるからです。

  「親父留守 トイレの掃除 黙々と これも修業と 心に言いつ」

  「親孝行 口で言うほど 楽じゃない 妻に感謝し 私も何か」

  「老々の 介護親父が ありがとう たった一言 親子の絆」

  「十五年 親父の食事 世話をする 長男の嫁 頭が下がる」

 

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