人間牧場

〇味は上々のぜんざい

 私は青年団に入団して以来もう半世紀、50年も地域づくりに関わって来ました。独身時代は漁師をしていたので、私の身の回りの世話はもっぱら母親でしたが、26歳の時結婚してからは、妻におんぶに抱っこの状態で、格好よく言えば亭主関白ですが、妻から言わせれば最も手間のかかる駄目亭主なのです。私はこれまで公民館に勤めていたときも、21世紀えひめニューフロンティアグループで活動していた時も、仕事でまちづくりをやった時も、また退職後の10年間もただただ妻に迷惑をかけて生きてきました。

 昨日の夕方、「明日の子ども体験塾で、寒い時期なのでぜんざいでもして子どもたちに食べさせてやりたい」と、仕事から帰った妻に言いました。妻は食後の後片付けを終えると、早速小豆を洗って鍋を火に掛け、小豆を煮始めました。時折鳴るタイマーのブザーを頼りに、見ていたテレビを中断して台所へ出向き、小豆の茹で加減を見ていたようです。今朝ジョギングから帰ると妻は朝食の準備をしながら、ぜんざいの準備をしてくれていました。砂糖で味付けをした後味見をさせられましたが、中々のお味のようです。、中に入れるお餅や、子どもたちに食べさせるかき餅をナイロン袋に入れて、「さあどうぞ」と言わんばかりの準備をしてくれました。

 一事が万事このように、私が何の不自由もなく「あうん」の呼吸で地域づくりができるのも妻のお陰と、面と向って口では言いませんが大感謝の気持ちいっぱいです。幸い私のブログを妻は読むことは殆どないので、「我妻を誉めるのは一の馬鹿」と言われようとも、その馬鹿になりきって妻に感謝をしたいと思います。
 さて、ぜんざい作りですが、妻は手馴れたもので美味しいぜんざいが今朝出来上がりました。中に入れるお餅は正月用に作ったお餅を水餅にして保存しているので、今朝人数分数えて車に積み込みました。また自家用に作っているかき餅も多分子どもたちにとってはご馳走に違いありません。親父を特老のデイサービスに送って、早速出発です。

  「寒い時期 ゆえにぜんざい どうだろう 早速妻は 小豆を茹でる」

  「我妻を 誉める旦那は 一の馬鹿 言われてもいい 私あるのは」

  「ここだけの 話とばかり ブログ書く 内緒の話 あのねのねです」

  「今時の 子どもぜんざい 食べれるか? 寒い時には これが一番」

 

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人間牧場

愛用の度合いが深まりつつあるタブレット端末
愛用の度合いが深まりつつあるタブレット端末

〇少しだけ進化

 人間には得て不得手というものがあります。私は学校でパソコンを習っていない昭和19年生まれの古い人間ゆえ、使いこなせないことを歳のせいにして逃げていて、何かにつけて腰が引けているようです。ゆえに殆ど上達もせずに、メールのやり取りとブログや原稿を書ける程度でお茶を濁しています。私はパソコンと高齢者向けのようなガラ系携帯電話を使っていますが、急速に広まったスマートフォンにも少し興味があって、使ってみたいと思うようになったものの、聞けば毎月の使用料がかなりお高いようで、年金暮らしの私には経済的な理由もあり、左程必要性もないことから、諦めていました。

 ところが昨年、このことが娘婿との会話で話題となり、電話機能は今までどおりの携帯電話に頼るのであれば、月々千円強の費用でスマートフォンやパソコン機能を使えるという優れものの、タブレット端末を手に入れることにしました。しかし誤作動による故障を気遣う先入観が働き、最初は中々使いこなせずにいたものの、facebookをやるにはどうしてもタブレットを使いこなさなければならず、最近になって少しずついじくり始めました。私はしょっちゅう県内外へ講演に出かけますが、船や電車に乗って移動中の手持ち無沙汰を紛らわせるため、使ってみるとこれが病み付きのようになって、今では愛用の木になるカバンに忍ばせ、持ち歩くようになりました。

 タブレットはパソコン機能が全て使えて、とても便利です。タブレットについているカメラ機能もデジカメより深度があり、ブログを通してパソコンに取り込むことも出来るようになったので、何かと便利になりました。これを進化というのなら私はこの半年で、少しだけ進化したようだと、手前味噌ながら一人喜んでいます。
 これまでパソコンでしか出来なかった、メールのやり取りやfacebookもタブレットで出来るようになり、仲間とのデジタル交流も頻繁になって、楽しい日々を過ごしています。しかしふと、「私がパソコンやタブレットに要する一日の時間はどのくらいだろう?」と考えると、少し自省ブレーキを踏まねばならないようです。

 妻の寝ている朝4時から6時までは、自宅にいればパソコンの前に座ってブログを書いています。また家の書斎が私の事務所のようなものなので、パソコンで原稿を書く時間や、メールのチェックにもかなりの時間を費やしています。「パソコンを使い過ぎると目が悪くなる」と言われていますが、ただ今のところ七十歳になったというのに、まだ裸眼で新聞が読め、老眼メガネのご厄介にもならず暮らしています。私はどちらかというとアウトドアー派な人間なので、家庭菜園や人間牧場での農作業に加え、一日1万歩の目標をほぼ毎日達成しているので、バランスの取れた歳相応の健全健康な暮らしをしていると自負をしています。だがもう少し進化してみようと思っている今日この頃です。

  「この一年 少し進化を していると 自分満足 これでいいのだ」

  「パソコンの 前で過ごして いる時間 多く少々 気にはなってる」

  「タブレット 使いこなせる ようになる も少し時間 いるかも知れぬ」

  「何につけ 夢中になるは 悪い癖 自制ブレーキ アクセル間違う」

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人間牧場

〇確定申告の季節

 私は10年前に役場を退職してから自称サンデー毎日の無職です。電信柱を見ても郵便ポストを見てもいつもペコペコしなければならず、口答えも出来ない公務員生活から足を洗い、早く自由の身になりたいと思っていたので、有り難いことに再就職の話もいただきましたが、それらを丁重に断わって自由人の道を選びました。ゆえに主な収入は65歳からお上からいただいている年金なので、いわゆる自称貧乏人なのですが、妻のパート稼ぎなどを加えると食えないほどではなく、首をくくることもなく10年間何とか食いつなぐことが出来ました。

今年も確定申告しました
今年も確定申告しました

 私は地域づくりの仕事に長く関わってきたこともあって、退職後県内外のあちらこちらから講演依頼の、仕事でない仕事のオファーがかかって出かけ、何がしかのお礼金をいただくため、毎年この時期になると税務署から、確定申告をするようにと関係書類が送られてきます。同時に出かけた先々から送られてきた支払い調書と、昨年のスケジュール表を付け合せて一覧表を作ります。収入相手先、金額に加え旅費も書き加えますが、今はインターネットという優れもののお陰で、瞬時に旅費も計算できて書き込むことができるのです。

 この一覧表を作りながら毎年思うことがあります。いただく講師料は10パーセント税金を前もって源泉徴収されていますが、旅費まで源泉徴収されているのです。旅費は本来実費が必要なのに10パーセント引かれると足らなくなってしまうのです。些細な費用なので目くじらを立てるほどではありませんが、不思議といえば不思議です。
 出来上がった一覧表や支払い調書を税に詳しい友人に手伝ってもらい、確定申告を仕上げて捺印し、今日は郵便投函したいと思っていますが、税のしくみを知らない私には、毎年この作業が終ると、やっと肩の荷が下りた感じがするのです。

 この確定申告を元に税金が組み立てられるようなので、とりあえず年々減り続けるであろう夫婦の年金暮らしのあり方をしっかりと考え、細々ながら心豊かに生きて行こうと思っています。経済は老後の暮らしの大きな柱です。でも例え収入が少なくても、心の豊かさだけはしっかりと持っていればいい人生であり続けるのです。
 さて今年はどんなハラハラ・ドキドキ・ジーンが待っていることでしょう。

  「毎年の ことだがこの時期 来る度に 確定申告 用紙に記入」

  「収入は 少ないけれど 生き方を 見失わずに 豊かに生きる」

  「旅費にまで 税金かかり 首かしげ 今年も結果 還付ありそう」

  「税金を 払えることは 凄いこと 思い今年も 大いに働く」

 

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人間牧場

〇お別れの会

 昨日は若嫁のお父さんが亡くなり、家族全員が家を留守にしました。年末から年始にかけて病院に入院して治療に当たっていましたが、家族の願いも空しく21日に帰らぬ人となりました。自らのコーヒーハウスで開いたお別れ会の受付でいただいたお礼状に、次のような文章が載っていて、涙を誘いました。

 「ともに歩んだ幸せな日々をありがとう」
 二十八歳の時に始めたコーヒーハウス「珈人(かじん)」。何事も究極を求めコーヒーについてももちろんこだわり・・・・。そして夫をよく知る常連の皆様と心通わせ親しんで頂きました。最近追究していたのは、写真だったでしょうか。野山を歩きながら美しい風景にシャッターを切っておりました。年に数回撮影旅行に出かけるのが珈人では唯一の連休。お気に入りの北海道や長野へ夫婦で出かけ、雄大な山々をカメラにおさめて満足げな表情をしていたものです。また娘二人の家族と、時に自身の姉も加わって賑やかな時間を過ごすことも楽しみのひとつでした。私の手料理でもてなし笑みを寄せ合った思い出は、夫の胸にもしっかりと刻まれているでしょう。昨年夏に体調を崩してからは、辛い思いもしたはずです。それでも夫は前を向いて歩みを求めてまいりました。早すぎる別れに涙がこぼれますが、今は溢れる感謝を込めて逝く背を見送ります。夫木原高明は平成二十七年二月二十一日、満六十四歳にて実り多き生涯に幕をおろしました。最後に、店を愛し夫とふれあい、お力添え下さった多くの皆様へ、感謝申し上げますとともに、今後とも変わらぬお付き合いを賜りますようお願いいたします。本日はご多用中お集まりいただき、誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚くお礼申し上げます。

 お別れの会会場となったコーヒーハウスには入りきれない人で溢れ、故人が撮影した写真が沢山飾られていました。故人をしのぶスナップ写真がテレビ画面に流れていましたが、人混みで全てを見ることは出来ませんでしたが、わが家の2人の孫も若嫁やわが息子ともども度々登場して、私の知らない一面を垣間見ました。友人の弔辞や孫希心の「おじいちゃん遊んでくれてありがとう」も短い言葉ゆえに胸に堪え涙が止まりませんでした。春一番を待つように逝ったお父さんに合掌、合掌、合掌の、悲しい涙に暮れた一日でした。

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〇購入した新品チェンソー

 人間牧場を造ってから、私の暮らしはそれまでより一層アウトドアー派になりました。ゆえに鎌・鋸・鍬・鉞・鍋・釜・金槌・鋏・鉋・ノミなどの金偏道具は勿論のこと、草刈機やチェンソーなど、私にとっては重装備という物まで、ありとあらゆる道具類が増えて、置き場に困るほどです。人間牧場にも自宅にもそれぞれ倉庫があって、それらの道具類をしまっていますが、物覚えの悪くなった私には余にも煩雑で、使う時が来る度に「はて?どこへ置いたかな?」と、探すことから始めなければならない有様です。

購入した4万7千円ほどの新品チェンソー
購入した4万7千円ほどの新品チェンソー

 それらの殆どは親父が長年使ってきた道具類を、私がそっくり受け継いでいますが、親父は常々「道具類は使った後、使った元の場所へ戻す」ことを、口やかましく私に教えていました。また「倉庫を見ればその人の性格が分かる」とバックヤードの整理整頓を常に心がけ、見事な暮らしをしていました。この歳になってやっと親父の言っていた、やっていたことの意味が遅蒔きながら分るのです。
 さてそれらの道具類の中にチェンソーがあります。台風の大雨で裏山が崩れ、その後片付け最中に使っていたチェンソーが跳ねて、足を大怪我した忌まわしい事故に出会っているだけに、チェンソーの思い出は思い出したくありませんが、それでも人間牧場でかまどやピザ釜、五右衛門風呂、それに薪ストーブを使っているので、その薪を作るためには、どうしてもチェンソーは必要なのです。

 そんなこともあって、チェンソーを二台持っていましたが、一昨年一台を焼きつかせてしまい、心細く思っていました。幸い先日開かれた21世紀えひめニューフォロンティアグループの総会で、チェンソーの購入が認められたので、早速永井農機具店に出かけて見積もり商談し、購入することになりました。先日農機具店から連絡が入り、チェンソーを受け取って会計の佐々木さんに支払いを頼みました。
 新品のチェンソーはいかにも切れそうな風格です。早速少し遅れ気味ですが、クヌギの木を2~3本調達して、かまどの下にインテリア風に収納している薪を入れ替えようと思いますが、くれぐれもチェンソーの使い方を誤らないよう慎重にやりたいと思っています。

  「チェンソーを 見る度悪夢 思い出す 向こう脛切り 入院散々」

  「チェンソーは アウトドアーな 活動に 絶対必要 二台目ゲット」

  「チェンソーは くれぐれ用心 して使え 肝に銘じて まざまざ見つめ」

  「さあ始動 春一番が 吹いたから 忙しくなる 今年もやろう」

 

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〇菜の花裏話

 「旧国鉄の線路の斜面に菜の花を植えたいのですが、許可していただきませんか」と、既にいよ上灘駅も、下灘駅も駅員さんを引き上げて無人化したため、役場でまちづくりを担当していた私は、駅や線路を統括していた松山駅へお願いに行きました。結果は「菜の花は地下茎が甘く、モグラが入って斜面を崩壊させて列車が転覆する恐れがあるから駄目だ!!」と断わられました。おりしも双海町ではまちづくりの一環として、花づくりが盛んになっていた時期でもあったので、「こんなことでたくれていてはまちづくりはできない」と思い、「どうすれば植えられるか」考えた末妙案を思いつきました。

菜の花畑をのんびり走る観光列車伊予灘物語
菜の花畑をのんびり走る観光列車伊予灘物語(今朝の愛媛新聞掲載)

 早速花づくりに取り組んでいたエプロン会議の皆さんを召集し、線路沿いドハの草刈を始めました。田舎のおばちゃんは足が痛い腰が痛いといつも言っていますが、地下足袋を履き草刈機を持たせるとピーンとするので、一気に草を刈り払いました。草が枯れるのを見計らって野焼きをする手はずになっていましたが、運悪く私が上京していた日と重なり、東京の宿舎に一本の電話がかかってきました。明くる日が雨かも知れないと思ったおばちゃんたちは野焼きをしたものの燃え広がって火事になり、通りかかった列車を止めたのです。火付け盗賊改めではありませんが、鉄道公安室の取調べを受けたらしく、電話の声は涙声でした。

 帰庁した私は傷心のおばちゃんたちに、「エプロンにポケットを粗く縫って来るように」と手紙を出しました。やがて集まったおばちゃんの胸ポケットに、ライオンズから貰った菜種の種を入れて、辺りかまわず歩いて種を落としたのです。明くる年の早春、これまで雑草に覆われていたJRのドハに、綺麗な黄色い菜の花が早春の彩りを添えて咲いたのです。「あれほど駄目だと言ったのに、何で種を播いた!!」と激怒されましたが、「あれは野生の花だ」と突っぱね、明くる年もその明くる年も、野生の花を作り続けたのです。今その菜の花は閏住の住民に受け継がれ、予讃線海岸周りの春の風物としてすっかり定着し、多くの観光客を集めているのです。あれほど反対したJRは、菜の花トロッコ列車や観光列車伊予灘物語を走らせて、儲けているのですから笑い話です。

 今朝の愛媛新聞に閏住の菜の花畑の話題が載りました。「ああもうそんな時期になったのか」と、昔の笑い話を懐かしく思い出しています。昨日はシーサイド公園で子どもたちと体験塾をしていましたが、沢山のお客さんが訪れ大賑わいでした。知人友人もかなり多く、その人たちの殆どは、閏住の菜の花を見に行く途中、若しくは帰りの立ち寄り客でした。まさに冬枯れの何もないこの時期には、菜の花は救世主のような気がするのです。3月には菜の花ウォークも予定されていて、菜の花は伊予路に春を呼ぶ使者なのかも知れません。

  「菜の花を 植えてはならぬ 言われたが 種を落として したたかやった」

  「何故植えた お咎め喰らい 言い逃れ 今となっては 伝説じみて」

  「反対を したくせ今は JR トロッコ列車 走らせ儲け」

  「ポケットに 種入れ歩いた 懐かしい 思い出知った 人も少なく」

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〇旧正月に届いた2枚の年賀状

 2日前の2月19日、私の元へ2枚の年賀状が届きました。「えっ、今時年賀状?」と、一瞬戸惑う受けを狙ったのなら大受けですが、一人は山梨県北杜市清里に住む舩木上次さん、もう一人は八幡浜市日土の清水和繁さんです。この二人は自分ではまともだと思っているようですが、春節に沸く中国ならいざ知らず、日本では新暦で正月を迎え、年賀状も新暦正月のあいさつ状なのに、旧暦にこだわって暮らしている生き方は少しまともではないようです。

清水さんからの年賀状
清水さんからの年賀状

 私は退職して以来、家庭菜園で野菜を作っていますが、野菜作りをして思うことは、日本の自然は太陽新暦よりも、月の満ち引きで決める太陰暦の方が理に叶っているということです。野菜の種を播いたり苗を植えたりする農作業は勿論のこと、海で仕事をする漁師さんは旧暦で潮の流れをよまなければ、魚を獲ることはできません。そういう意味から考えると、清水さんも舩木さんも逆にまともな人間かも知れません。

舩木上次さんからの年賀状
舩木上次さんからの年賀状

 清水さんは今年で長年務めたJA農協を退職するそうです。私が塾長をしている年輪塾の塾頭として、長年お世話になっていますが、気心知れた清水さんがこれからどんな第二の人生を送るのか、興味のある所です。舩木さんは私と同じ観光カリスマ百選に選ばれている地域おこしの達人です。清里といえば全国に名の知れたリゾート地であり、ポール・ラッシュの教えを守って、野外バレェ等の様々な活躍をしています。

 二人から届いた月遅れの旧暦正月の年賀状は、「人間は人間らしく生きろ」と私に警告しているようで、身が引きしまりました。古希70歳のこの機に及び、人間としてどう生きればいいのか、未だに五里霧中のわが身を恥じていますが、少なくても昨日より今日、今日より明日に希望を持って生きて行きたいと思っています。今日の積み重ねが人生ならば、今日も目いっぱい考え、目いっぱい動いてみようと思い、ハガキをスキャンしました。

  「旧暦の 正月届いた 年賀状 二人共通 変わり者です」

  「人間は 人間らしく 生きねばと 叱咤激励 諭しのハガキ」

  「古希迎え 老い先短い 人生を 疎か生きちゃ いけないようだ」

  「さあ今日も よく考えて 目いっぱい 生きてみようと 朝を迎える」

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〇孫の参観日

 「お父さん、木曜日の午前中空いている?。空いていたら奏心の参観日に行ってくれない!!」とわが家の若嫁に聞かれました。スケジュール表を見ると大丈夫のようなので、こともあろうか母親ならぬ育爺が孫の参観日に出かけることにしました。午前9時30分に上灘保育園に到着すると、孫たちはお買い物ごっこのお店に張り出す、看板を作り始めました。色々な色紙を誰に相談するでもなく思いつくまま張って行くものですから、店の名前を書いた文字など分らないほど貼り付けていました。

 それらの作った看板を2階のホールのそれぞれのお店に張り出し、さあお店屋さんごっこの始まりです。入口に銀行らしきものがあって、手作り紙のお金と買い物袋を貰って、「いらっしゃい、いらっしゃい」とうるさいくらいの呼び込み声が飛び交う中、買い物を楽しませてもらいました。私は金融広報委員会から委嘱を受けた金融広報アドバイザーなので、保育園児や小学校児童の金銭教育に深く広く関わっていますが、こうした買い物ごっこの遊びを通した金銭教育はとても大事で、孫奏心をはじめ多くの園児たちと色々な話をすることができました。

 その後保護者総会があり、分からぬまま若嫁の代理として出席して、決算報告や事業報告を聞きました。驚いたことに来年度の保護者会の会長に、わが家の若嫁が既に内定しているようで、薄々知ってはいたものの、当事者ではないのに年甲斐もなく少し顔が赤らんでしまいました。総会の後は保護者と園児と昼食会が持たれました。小さな座椅子に座って、孫と一緒に給食食事をするのは1年ぶりですが、ワカメ汁もキャロットサラダも、コロッケやデザートも全て美味しく完食しました。孫奏心も今は年中組みですが、来年はいよいよ最後の年長なので、せいぜい出かけて孫との交流を楽しみたいと思います。今では園児たちに「奏心君のおじいちゃん」とすっかり覚えられて、会話を楽しんでいます。

  「保育園 母親欠席 爺代理 買い物ごっこ 付き合わされて」

  「帰宅後も 黄色い声が 耳残る 元気と疲れ 同時いただく」

  「席並べ 給食食べつつ お話を 奏心爺ちゃん 顔覚えられ」

  「あと一年 孫のお陰で 保育園 行ける権利を 有しています」

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〇リーダーとは「人の役に立つ勇者」

 青年団、公民館、まちづくり、ボランティアと、まるで竹の節をつなぐように約50年間、私は様々なふるさと活動に関わってきました。しかも青年団では愛媛県青年団連合会会長や四国四県青年団連絡協議会会長、公民館では愛媛県公民館連合会の主事部会長、まちづくりでは地域振興課長や地域づくり研究会議代表運営委員、ボランティアでは21世紀えひめニューフロンティアグループの代表などなど、いわゆるリーダーとして、それぞれの活動を汗と知恵の力を出して、活動してきたつもりですが、リーダーとは一体どんな人なのでしょう。

 私は常々リーダーは「人の上に立つ勝者」より、「人の役に立つ勇者」になるべきと考えています。組織はその大小によらず三角形ピラミッドのような形が、最も安定ししているように見えます。頂点に立つ人の命令や意思が複数の中間リーダーを通じてトップダウンされる姿は、まさに上に立つ勝者の成せる技です。しかしよくよく考えてみれば組織が目的を達成できるのは、勿論リーダーの力も大切ですが、三角形の底辺たる人の存在なくしてはなすことはできないのです。そこで考えられるのがボトムアップという吸い上げ方式ですが、中間リーダーを通じて吸いあがったものは、当然組織にとって都合の良いというふるいに掛けられ、都合の悪いものは届かなくなってしまうのです。

 「人の役に立つ勇者」とは、三角形を逆さまにした逆三角形ピラミッドの考えです。組織を束ねることよりも組織を背負うことに軸足を置くため、リーダーはジョウゴの出口から出てくる声やシグナルを上手く拾うことができるのです。幾つもの組織に加わり幾つもの仕事をこなしてきてきましたが、体力や気力、年齢、社会的情勢を理由に第一線から身を引いたからこそ分る、理想のリーダー像のような気もするのです。もう既にリーダーではなくなって久しい私ですが、私に出来ることは次代を背負うリーダーたちに寄り添いながら、体力や気力、年齢に応じた後押しをすることだと、肝に命じています。真の「人の役に立つ勇者」になるために・・・・。

  「人の上 立つ勝者より 人の役 立つよな勇者 なりたいものだ」

  「三角形 上手く行ってる ようだけど トップダウンじゃ 上に立つだけ」

  「発想を 変えて逆向き 三角形 人に役立つ 勇者になろう」

  「我輩は 真のリーダー なり得たか 反省しきり 遅きに失し」

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人間牧場

〇自分との約束

 「自分とは一体何物なのか?」ということを、時々考えることがあります。子どものころからずっと考えているものの、70年経ったのにこの問に対する答えは未だ見つからず、いつも途中で止めてしまうのです。
 先日友人が亡くなりました。その友人は無類の酒好きで、若い頃はお互い盃を交わし大いに飲みましたが、酒が過ぎたのか胃ガンと診断され、胃の全摘手術を受けました。その後永らく止めていたお酒が呑めるようになるほど、順調に回復していましたが、奥さんが気にするほど酒の量が少しずつ増え、奥さんに頼まれて私も注意したものの、「酒が飲めないのなら死んだ方がましだ」とか、「酒で死ぬのなら本望」などと豪語していましたが、その通りになってしまいました。

 友人は胃ガンになった時、奥さんに「もう二度と酒は呑まない」という誓約書まで書いたのに、その約束を破ったのです。私は友人と少し違っていて、「1ヶ月に10日間休肝日を設けて酒を止め、止めた日に千円ずつ貯金を10年間する」と決めました。また胆のう摘出手術をした後、「酒を止める」と公言してしました。結果的には二つの目標を自分自身に強く言い聞かせ実行し、今もその過程にあるのですから、「自分が自分を誉めるは一の馬鹿」と言われても、誉めてやりたい心境なのです。たかがお酒ぐらいの他愛ない話ですが、亡くなった友人と私の違いは一体何なのか、それは自分との向かい方のように思うのです。

 かの有名な吉田松陰が「人間たるもの、自分との約束を破る者が最もくだらぬ」と言っています。確かに亡くなった友人は自分との約束を破ったのですから、「最もくだらぬ」ことに違いはありませんが、夢と現実の狭間に生きながら心が揺れ動き、自分との約束を破るのもまた人間らしい生き方なのかも知れません。
 人生を達観したある人から、「もう一人の自分と対話しながら生きよ」と諭されました。なるほどと頷きつつも、日々の忙しい暮らしに悩殺されて、もう一人の自分の存在等忘れてしまい、ハッと気がつくことが多いのも、私が凡人たる所以でしょうが、人生の佳境に入りつつあるゆえこれからは、もう一人の自分と時々向き合い、話をしながら生きて行きたいと思う今日この頃です。

  「自分とは 一体何?と 問いかける 七十年間 意味も分からず」

  「自分との 約束破る ことなかれ くだらぬことと 先人教え」

  「もう一人 自分という人 あるようだ 禅問答の 奥義近づく」

  「凡人が ゆえに私は これまでも 約束何度 破ったことか」 

 

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