人間牧場

〇自分との約束

 「自分とは一体何物なのか?」ということを、時々考えることがあります。子どものころからずっと考えているものの、70年経ったのにこの問に対する答えは未だ見つからず、いつも途中で止めてしまうのです。
 先日友人が亡くなりました。その友人は無類の酒好きで、若い頃はお互い盃を交わし大いに飲みましたが、酒が過ぎたのか胃ガンと診断され、胃の全摘手術を受けました。その後永らく止めていたお酒が呑めるようになるほど、順調に回復していましたが、奥さんが気にするほど酒の量が少しずつ増え、奥さんに頼まれて私も注意したものの、「酒が飲めないのなら死んだ方がましだ」とか、「酒で死ぬのなら本望」などと豪語していましたが、その通りになってしまいました。

 友人は胃ガンになった時、奥さんに「もう二度と酒は呑まない」という誓約書まで書いたのに、その約束を破ったのです。私は友人と少し違っていて、「1ヶ月に10日間休肝日を設けて酒を止め、止めた日に千円ずつ貯金を10年間する」と決めました。また胆のう摘出手術をした後、「酒を止める」と公言してしました。結果的には二つの目標を自分自身に強く言い聞かせ実行し、今もその過程にあるのですから、「自分が自分を誉めるは一の馬鹿」と言われても、誉めてやりたい心境なのです。たかがお酒ぐらいの他愛ない話ですが、亡くなった友人と私の違いは一体何なのか、それは自分との向かい方のように思うのです。

 かの有名な吉田松陰が「人間たるもの、自分との約束を破る者が最もくだらぬ」と言っています。確かに亡くなった友人は自分との約束を破ったのですから、「最もくだらぬ」ことに違いはありませんが、夢と現実の狭間に生きながら心が揺れ動き、自分との約束を破るのもまた人間らしい生き方なのかも知れません。
 人生を達観したある人から、「もう一人の自分と対話しながら生きよ」と諭されました。なるほどと頷きつつも、日々の忙しい暮らしに悩殺されて、もう一人の自分の存在等忘れてしまい、ハッと気がつくことが多いのも、私が凡人たる所以でしょうが、人生の佳境に入りつつあるゆえこれからは、もう一人の自分と時々向き合い、話をしながら生きて行きたいと思う今日この頃です。

  「自分とは 一体何?と 問いかける 七十年間 意味も分からず」

  「自分との 約束破る ことなかれ くだらぬことと 先人教え」

  「もう一人 自分という人 あるようだ 禅問答の 奥義近づく」

  「凡人が ゆえに私は これまでも 約束何度 破ったことか」 

 

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