人間牧場

愛用の度合いが深まりつつあるタブレット端末
愛用の度合いが深まりつつあるタブレット端末

〇少しだけ進化

 人間には得て不得手というものがあります。私は学校でパソコンを習っていない昭和19年生まれの古い人間ゆえ、使いこなせないことを歳のせいにして逃げていて、何かにつけて腰が引けているようです。ゆえに殆ど上達もせずに、メールのやり取りとブログや原稿を書ける程度でお茶を濁しています。私はパソコンと高齢者向けのようなガラ系携帯電話を使っていますが、急速に広まったスマートフォンにも少し興味があって、使ってみたいと思うようになったものの、聞けば毎月の使用料がかなりお高いようで、年金暮らしの私には経済的な理由もあり、左程必要性もないことから、諦めていました。

 ところが昨年、このことが娘婿との会話で話題となり、電話機能は今までどおりの携帯電話に頼るのであれば、月々千円強の費用でスマートフォンやパソコン機能を使えるという優れものの、タブレット端末を手に入れることにしました。しかし誤作動による故障を気遣う先入観が働き、最初は中々使いこなせずにいたものの、facebookをやるにはどうしてもタブレットを使いこなさなければならず、最近になって少しずついじくり始めました。私はしょっちゅう県内外へ講演に出かけますが、船や電車に乗って移動中の手持ち無沙汰を紛らわせるため、使ってみるとこれが病み付きのようになって、今では愛用の木になるカバンに忍ばせ、持ち歩くようになりました。

 タブレットはパソコン機能が全て使えて、とても便利です。タブレットについているカメラ機能もデジカメより深度があり、ブログを通してパソコンに取り込むことも出来るようになったので、何かと便利になりました。これを進化というのなら私はこの半年で、少しだけ進化したようだと、手前味噌ながら一人喜んでいます。
 これまでパソコンでしか出来なかった、メールのやり取りやfacebookもタブレットで出来るようになり、仲間とのデジタル交流も頻繁になって、楽しい日々を過ごしています。しかしふと、「私がパソコンやタブレットに要する一日の時間はどのくらいだろう?」と考えると、少し自省ブレーキを踏まねばならないようです。

 妻の寝ている朝4時から6時までは、自宅にいればパソコンの前に座ってブログを書いています。また家の書斎が私の事務所のようなものなので、パソコンで原稿を書く時間や、メールのチェックにもかなりの時間を費やしています。「パソコンを使い過ぎると目が悪くなる」と言われていますが、ただ今のところ七十歳になったというのに、まだ裸眼で新聞が読め、老眼メガネのご厄介にもならず暮らしています。私はどちらかというとアウトドアー派な人間なので、家庭菜園や人間牧場での農作業に加え、一日1万歩の目標をほぼ毎日達成しているので、バランスの取れた歳相応の健全健康な暮らしをしていると自負をしています。だがもう少し進化してみようと思っている今日この頃です。

  「この一年 少し進化を していると 自分満足 これでいいのだ」

  「パソコンの 前で過ごして いる時間 多く少々 気にはなってる」

  「タブレット 使いこなせる ようになる も少し時間 いるかも知れぬ」

  「何につけ 夢中になるは 悪い癖 自制ブレーキ アクセル間違う」

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