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〇私のとっておきなウォーキングパラダイス

 私は健康な体調を維持するため、毎日1万歩を歩くことを目標にして殆んど毎日、忙しい合間を縫って歩いていますが、忙しいが故にその目標を毎日達成するのは中々難しいようです。それでも目標を作ると気になる私の性格がそうするのか、それなりに毎日歩数を伸ばしているのです。
 私の歩数の管理はズボンのポケットに忍ばせた、携帯電話についている歩数計で読み取ることができ、しかもその歩数が毎日記録されるという優れものなので、歩数が足らない時は極力遠回りをして歩いて見たりしていますが、一万歩はあくまでも目安なので、何が何でもという悲壮感はなく、むしろ歩くことを楽しむ方に重きを置いているため、時にはポケットにデジカメを入れて、道端に咲く草花の写真を撮ったり、出会う近所の人と立ち止まって会話をしたりしているのです。

双海中学校へ通じる裏道

 私が私の「ウォーキングパラダイス」と名前をつけているコースは、自宅~双海中学~山坂道頂上~自宅で、平道あり坂道あり、舗装道あり、土道あり、林ありとかなり起伏に富んでいて、特に頂上付近までの坂道や頂上付近を十回登ったり降りたりするコースは少しきつく、この時期でも少し汗ばむほどの運動量が必要です。夏の暑い頃には大汗をかき、それが原因で汗疹ができたりしましたが、帰宅後シャワーを浴びたりしてその問題も解決しました。今の時期は寒くて手が少しかじかむほどですが、大汗をかくこともなく一人黙々とウォーキングを楽しんでいます。
 かつてこの道沿いはみかん園だったのですが、持ち主が杉と桧を植えたため、すっかり昼なお暗い林となって直射日光は当たらず、むしろ森林浴をしながら歩ける道なのです。

少し急な坂道

 この道を利用する人は殆んど皆無のため、私専用のウォーキングコースのようなものなので、考えようによっては、「何と贅沢なんだろう」と時々思うため、まさに私にとっては「ウォーキングパラダイス」という名前がピッタリなのです。
 この道は時々出没するイノシシが、餌のミミズを求めて道の傍でのたうった痕跡を見つけたりしますが、出会ったことはこの10年間で1度きりなので、そんなに危険でもありませんが野鳥のさえずりや、この頃になると落ち葉が道に降り積もり、カサカサと音を立てれる場所もあり、野菊やツワブキ、ホタルブクロ、露草、ヒメシャガなどの季節の花々も楽しめることもあって、とにかく気に入っているのです。

金色の道

 数日前雨風を伴った、かなり強い北西の風が吹きました。私はあいにく栃木県へ出張して留守でしたが、このコースにある桧の林を揺るがしたため、桧の葉っぱが沢山落ちてまるで金色の道のように見えました。ご存知のように杉や桧は常緑樹ですが、常緑樹であっても成長の過程で、古い葉っぱは黄色くなってこの時期落ちることを始めて実感

頂上付近の狭い土道

しました。人や車が通らない山道に、黄色い桧の黄色い葉っぱが降り積もった姿はまさに金色の道のようで、驚いてしまいました。
 私の体調維持と基礎体力をつけてくれる「ウォーキングパラダイス」は、これから先も体力と体調の許す限り利用して、当面の目標である1日1万歩を目指し大いに楽しもうと思っています。間もなく夜がしらじら明け始めました。そろそろ着替えて出発しようと思っています。

  「一万歩 歩く目標 立て歩く 山坂少し 汗かく毎日」

  「ウォーキング パラダイスなんて 名をつけた 私専用 何て幸せ」

  「体調と 体力維持を 目的に ポケット携帯 使って歩数」

  「金色の 道と思しき 山道は 桧葉落ちて 行くてに伸びる」

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〇自家製コロッケ作り

 季節が晩秋から初冬へと移るのを実感するのは、時折強く吹く北寄りの季節風です。晩秋には北東の風がよく吹きます。私たちの地方では北東の風のことを、漁師用語で「くだりの風」と呼んでいます。昔から「くだりの風と夫婦喧嘩は宵に凪ぐ」といわれていて、朝陸から海に向かって吹く「あらせ」が止むと、くだりの風が吹き始め、夕方までまで強く吹いたくだりの風は夕方になると、まるで夫婦喧嘩のようにピタリと止むのです。そんなことを雨が降るまで繰り返すのですが、雨の降った後冬の訪れを告げるように吹くのが地元で「西」と呼ばれる季節風です。先日も雨を伴った西風が吹いて、わが家の柿の木はいっぺんに葉を落として裸同然になってしまいました。木の枝に残った取り残しの柿の実が、まるで木守柿のようになって、時折やって来るモズの餌食となっているのです。

 昨日は息子と親父と私の3人で、庭に積った落ち葉を掃除しました。熊手や箒を使ってかき集め、それをキャリーに入れて畑の隅の焼却炉へ運び焚き火をしました。雨に濡れていたものもあって煙がたなびきましたが、集めていた天ぷら油の古いのをかけてやると、火は勢いを増しすっかり綺麗に処分ができました。
 その後倉庫に囲っているサツマイモを取り出し、妻に素焼きの焼き芋器で焼き芋を焼いてもらいました。いやあ実に美味しく焼きあがり、家族全員で食べましたが、その後わが家ではおならの大合唱になって、大笑いをしました。これもささやかな家族の団欒でしょうか。
 わが家の廊下の片隅に北海道の友人から送られてきたジャガイモが置かれています。腐ったり芽が出ないようにするために冷たい場所に置いているつもりなのですが、冷たい場所と言っても北海道の気候とは全然違うため、ジャガイモの芽が既に動いていて、早く食べないといけないため、思い切ってコロッケを作ることにしました。

 妻がジャガイモを洗って茹でて皮を剥き、つぶして炒めたひき肉と混ぜて俵状の団子を作り、小麦粉をまぶしました。私はそれを溶き玉子で濡らしパン粉をつけながら、形を整えて俵上にするだけなのですが、これが柔らかいため意外と難しく、自分の不器用さや日ごろ料理を手伝っていないことを悔やみました。それでも30分ほど手伝って、何とか下準備ができました。裏のガス台で揚げるのは若嫁の役割です。妻が作ったトンカツと鶏のから揚げ、タマネギやニンジンの野菜かき揚げ天ぷら等多彩な揚げ物が、若嫁の手によって次々と揚げられましたが、私も自分が少しだけ手伝った揚げ立ちの熱々コロッケを、2個もつまみ食いさせてもらいました。いやあ絶品でした。揚げ物類は揚げたてが一番美味しいと聞いていましたが、家族全員がつまみ食いでお腹がいっぱいになりました。

 ほんの束の間の日曜日、しかも示し合わせたようにみんなが休みなので、泊まりに来ていた外孫の尚樹を含めて家族水入らずの一家団欒でした。妻は揚げたコロッケはタッパに入れて、子どもたちや近所にお裾分けをしたり、冷凍保存したようですが、解凍してレンジで暖めれば熱々のコロッケが当分楽しめそうです。
 「男子厨房に入るべからず」の古い時代に育った私は亭主関白で、皿洗いや後片付けも、ましてや魚の粗調理以外は殆んどしない私にとって、コロッケ作りに参加したのは初めてでしたが、中々面白かったというのが感想です。妻も大いに喜び次もまた宜しくと言われましたが、やはり料理は妻の作ったものに限ると少しお世辞をいい、今後も余り手出しをしないつもりでいます。

  「少しだけ 手伝いコロッケ 作ったと 胸張りながら つまみ食いする」

  「秋終り 冬連れ北の 風が吹く 柿の木衣 脱ぎ捨て寒そう」

  「木守柿 モズがちゃっかり お裾分け 残りの一つ 私がいただく」

  「冬間近か 少し憂鬱 寒いのは やはり苦手だ 親父と私」

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〇鳥取県湯梨浜町まではさすがに遠いねえ

 昨日は少し早立ちで鳥取県湯梨浜町へ講演に出かけました。今年湯梨浜町へは全国大会で宿泊した時を含めると、これで3回目なので、土地勘も知った顔も随分できて、行く車の中でその人たちの顔々を思い出しながら出かけました。昨日は低気圧と前線の影響で予想だと午後からの雨が、出発する頃には強風を伴ってかなり強く降っていました。家を出る時妻が、「スピードを出さないようにくれぐれも安全運転で」と、いつものように注意をしてくれましたが、そんなこともあって少し自重気味なスピードで、伊予インター~瀬戸大橋~湯原インター~三朝~湯梨浜と、片道約350キロを走りました。講演は午後1時30分からなのですが、昼食を誘われていたので、11時過ぎに会場であるアロハホールへ迷うことなく到着しました。

 この日は東伯郡婦人会の、防災をテーマにした研修会で、50人ほどの人が集まり、午前中は郡内3町村の防災担当者の話を聞いたり、LPガスの取り扱い等を勉強していたようでした。やがて昼食に誘われましたが、昼食はアルファー米の試食でした。アルファー米とは防災のための非常保存食で、具材を入れお湯を加えて蒸らすだけで食べれるのです。アルファー米のことは知っていましたが、食べるのは初めてなので私も興味深々でした。用意された手作りおかずと一緒に食べましたが、中々の味でした。これ以外にも非常用の乾パンも貰いましたが、試食した非常食の量が多くて乾パンは味見をせず持ち帰りました。

 湯梨浜町の町長さんが仕事の都合で少し遅れて来たため、私の講演の時間も少し遅れて始まりました。参加した皆さんの帰りのこともあるので、「終る時間を守ります」と宣言し、「防災とまちづくり」について1時間25分間喋りました。会見東伯郡婦人会長さんからこの話をいただいた時、防災に関する話はできないとお断わりをしましたが、懇願されて引き受けることにしたのです。
 私自身、①二度にわたり台風大雨災害で裏山が崩れた苦い体験があることや、②高校生の時宇和島水産高校遊学中に川が逆流するチリ沖地震津波を目の当たりにしたこと、③東日本大震災で被災した宮城県気仙沼の畠山さんや一関室根公民館の金森さんから聞いたことなど、これまでの様々な防災・被災体験を基に、命の大切さや備えの大切さ、助け合いの大切さをお話させてもらいました。

 山陰といえば何年か前、島根県雲南市吉田町吉田公民館で講演中、とても大きな地震に遭遇したことを思い出します。とっさの出来事だったので私の話は中断せざるを得なく、会場を埋めた参加者もただじっとして大きな揺れが収まるのを待ちました。今考えると避難しなければならなかったと思うのですが、当時の防災知識は、主催者も私もそこまで手も気も回らなかったようで、揺れが収まると再び講演を開始しました。さあそれからが大変で、公共交通機関は完全にストップし、家や職場に電話しても不通で、そのうちあちらこちらから災害情報が入り始め、事の重大さに気付いたのでした。

 運よくわが町わが家では災害もなく1日遅れての家路となりました。そんな話にまちづくりの話を交え楽しく話をして再び350キロの夕闇迫る道を帰りました。往復700キロ、往復8時間はさすがに少し疲れましたが、快い余韻が残りました。ところで今回はハワイならぬ羽合です。また瀬戸内海を渡ったのである意味海外旅行です。しかも会場がハワイホールとは、これまた親父ギャグに使えそうな出来事でした。(会場には知人の男性も数人駆けつけ、また青年の船の古い友人中井さんの奥さんが手土産まで持参して訪ねて来てくれました。感謝感謝でした。)

  「最近は すっかり鳥取 愛されて 何度来たのか 指折り数え」

  「往復で 車のメーター 700キロ 思えば遠くへ 行ったもんだな」

  「防災は 門外ですと 言いつつも 新たなテーマ 挑戦しつつ」

  「手土産に 美味しいケチャップ 友持ちて 訪ねてくれる 有り難きこと」

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〇ひとまず3ヶ月はOKのお墨付き

 昨日は2ヶ月に一回の健康診察の日でした。前回予約していたCT検査を受けるため、朝飯を抜いて予約時間が9時30分なので、少し早めの8時に自宅を出発しました。昨日は金曜日とあって県立中央病院のロビーはかなり混んでいるようでした。早速機械受付に診察券を挿入して、診察カードの発行を受け受付項目に沿ってまず血液検査です。私の検査順番は131番でした。しばらくすると中へ呼び込まれ血液検査をするのですが、私は注射が大の苦手で、注射の度に身構えるせいでしょうか、この日もゴムバンドで腕を締め付けても、血管が中々浮いて来ませんでした。この日は血液検査のその後にCT検査をするため増量剤を入れるため、「大きな動脈は取っておきましょう」と看護婦さんはあえて小さな血管へ注射針を差し込んだため、かえって痛くて時間がかかってしまいましたが、何とか無事終えCT検査窓口へ向かいました。

 予約の9時30分より30分も早かったのですが、到着順番なので早速中へ入り診察着に着替えました。腕の血管に再び注射針が入れられ、増量剤の大きな注射器を持たされましたが、相変わらずの小心者ゆえそれがどれほどなものなのか見ることもできずCTの診察台に乗りました。「はーい、息を止めて、そのまま」などという検査技師の言葉にしたがって、まるでSF映画に出てくるような輪の中を体が行ったり来たりしました。増量剤が体内に入ると説明どおり体が急激に熱くなり、少し気分が悪い感じがしましたが、それも束の間直ぐに診察は終わりました。再び着替えて一般受付で主治医の診察受付を済ませて診察を待ちました。

 顔見知りの人が何人か声をかけてくれました。その度に「何しにきたの」「何処が悪いの」などの質問をされ答えるのです。その中に1年半前に舌癌で手術をした人に出会いました。口内炎と思っていたのに舌癌と聞いた時はショックだったようですが、幸い手術もうまく行って少々言葉を話すのに聞き取れない部分もありましたが、生活には支障がないと喜んでいました。ふとその人が「若しあんたが舌癌になったらどうなるのだろう」と言われました。確かに私のように話すことをなれわいとしている者にとってはそれは青天の霹靂なのかも知れないと、少しショックを受けました。

 とりあえず、診察の結果は血液検査もCT検査も異常がなかったようで一安心です。これで3ヵ月後の健康診断まで安心で、正月は気分よく迎えれそうです。増量剤のせいでしょうか、体調に少し違和感を感じながら病院を出ましたが、そのうち元通りに治りました。
 (これから旅に出ますので、ブログ記事は途中ですがひとまずこれで・・・・)

  「血液と CT検査 とりあえず 何事もなく ホッと一息」

  「少年の 頃から注射 大嫌い 歳をとっても 一向治らず」

  「看護婦の 暖かい手で わが腕を やわら擦られ 胸がドキドキ」

  「若松さん そんなに喋ると 舌癌に なるかも知れない 言われて絶句」

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〇いっぷく亭での講演

 昨日は講演先の栃木県から帰郷して間もなく、身支度を整え直して伊予市内にあるいっぷく亭へ出かけました。商業協同組合の徳本さんから、「一年に春夏秋冬と4回、皆さんの前で講演して欲しい」と頼まれたのは一年前のことです。同じ人を相手に四回も講演するほど、ネタが豊富な訳でもありませんが、「まあ4回ぐらいなら何とか」と気安く引き受けたものの、さてどうしようかと忙しさにかまけて、毎回講演の準備も殆んどしないまま、思いつくままに話を続けてきました。今回も当日まで栃木県へ出張していたこともあって、まったく準備もできていませんでした。出かける時妻から、「今日は何について講演するの?」と問われ、ふと我に返ってしまいました。

講演前のざわめき

いっぷく亭で講演すると、毎回何がしかのお礼をいただくのも気になっていたので、最後くらいはお返しがしたいと思っていたものですから、出掛けの急な思いつきで、最近自費出版した「夕日徒然草・空の書」を皆さんに差し上げようと思いました。私はこれまで自費出版した本を、人に差し上げることは余程でない限りしていません。というのも地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と連番で出版した本は、販売した費用を回収しないと、次の本を自費出版できないからなのです。目論見どおり資金を回収し、5年間で何とか最終章空の書の出版まで漕ぎつけたのです。それでも今回だけは別だと決断し、参加が予想される人数を30人くらいと予想し、車に積んで出かけました。

演台机を飾った鈴なりの柿の枝

 ところが集まった人数は五十人近くで、差し上げようと思って持参した夕日徒然草が足らなくなり、すっかり恥をかいてしまいました。それでも「隣近所の席通しで見てください」とお願いし、早速いっぷく亭満席札止めの中で、落伍調講演は5分前に始まりました。昨日は「夕日徒然草・空の書」をまるで読み聞かせのように読みながら、注釈をつけて話しました。空の書には30話+2話=32話が納められています。とりあえず片っ端から少し早口で読み始めましたが、落伍のネタ本なので皆さんには大いに笑っていただき、自分で言うのもおこがましいのですが、今回のテーマ「生きる力」も、前回のテーマ「笑いの力」と違った出来栄えのようで、反応は最高に良かったと思いました。

 講演が終わりやれやれこれで徳本さんとの約束が果たせたと思いきや、皆さんから「もう一回残っている」とリクエストがあったのです。空の書はまだ半分も読み解いていないので、「それでは宜しければ次もやりますか!。徳本さんとその辺を相談してください」と言ってお暇しました。
 それにしてもいっぷく亭での私の話が、こうも受けるとは思っても見ませんでした。ファンが増え私の話を楽しみにして来ていただくことは、嬉しいことに違いはありませんが、これも中々骨の折れる仕事なのです。そんなわがままな思いに浸りつつ余韻を楽しんでいます。

  「同じ場所 同じ人前 四回も 話す度胸は 読経みたいで」

  「いい話 だった次回も 楽しみに している旨の 葉書届いて」

  「今回は お返ししよう そう思い 自著本提げて 乗り込みました」

  「もう一回 来てお話を して下さい 燃え尽きたのに 火種残して」

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〇妻の作ってくれる料理がやはり一番です

 外に出る機会が多くなると、ついつい疎かになるのが食事です。私は昔から外食が嫌いなため、少々遅くなっても家に帰って食べたり、食事の門限を9時までにしているため、時には夕食を抜かすことだってあるのです。そんな無頓着な私を気遣って、妻はあれこれと気配りをしてくれるため、私の食生活はすこぶる健康にいい物を、食べていると思えるのです。最近は例えば一丁30円などといった信じ難い値段の豆腐が、しかも健康に良いものを売るはずのドラッグストアーで、客寄せのために売っているのですから、驚きです。
 私も妻も口に入れて食べるものだけは、身体にいいものをということを基本原則にしているため、買うものは少々お高いのですが、それでも野菜は自分で作り、魚は貰ったもので極力済ませるため、わが家のエンゲル係数はそんなに高くはないと思うのです。

 栃木県へ出張していたので、今夕3日ぶりにわが家の食卓を妻と二人で囲みました。妻は3日前に何を食べ、昨日は何を食べ、今日は何を食べたか私に細かく聞いて、何食かを抜いたことを告げると驚きながら、それらを補充するような形で食卓に、色々な料理を並べてくれましたが、日ごろ食べているものでも、久しぶりに食べるとどこか新鮮で、おご馳走のような気がしました。
 昨日の昼、出張先の栃木県で、豪華なお弁当を用意してもらい味わって食べました。担当の方が「味は濃いくありませんでしたか?」と優しく聞かれました。確かに関西地方に住む私たちからすれば、関東地方の味は少し濃いいような感じがすることは確かです。夕食に東京で食べた蕎麦の汁も濃い口醤油を使っているため違和感を感じたし、食事の後少し喉の乾きを覚えました。

 人間の健康は、運動も休養も必要ですが、何といっても三度三度の食事が大切です。私のように妻が作る人、私は食べる人の住み分けができている亭主関白だと、妻の作ったものを身体にいいと信じて食べるので、妻は余計食事の事を考えなければならないようです。そんな夫婦の共通点は毎朝リンキャベ、つまりリンゴとキャベツを必ず食べることです。今日は昼の食事からだったので、この3日間リンキャベを食べていませんが、明日も2ヶ月に一度の健康診断でCT検査をするため、朝食を抜かなければならず、リンキャベ復帰は明後日になりそうです。
 目も眼鏡をかけず裸眼で新聞が読め、頭もまだ白髪がなく、歯も自分の歯で食べれるのは、やはり妻の食事のお陰だと、今夕も少し歯の浮くような言葉で誉めてやりました。妻は喜んでいたようです。
 そういえば、今日はボージョレヌーボの解禁日のようです。酒もタバコもコーヒーも飲まない私に、そんな話は無関係のようです、私は一体何を楽しみに生きているのでしょうか。「酒も飲まずタバコも飲まず、博打も女もやらず100まで生きた馬鹿がいる」。どうやら私も・・・・。 

  「三日ぶり 妻の料理を 誉め食べる 妻は喜び 家庭円満」

  「関東と 関西違う 味付けに 少し戸惑い わが家に帰る」

  「明日の朝 食事をせずに 病院へ いつも気になる 結果どうなる」

  「リンキャベを 早く食べたい 思いつつ 今日はワインの 解禁ニュース」

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〇ブログ書きの休日予告

 私は退職後殆んど毎日、朝夕の寸暇を惜しむように、ブログを書いています。人間には①始める活動、②続ける活動、③高める活動、④止める活動がありますが、もう一つ休む活動もあるのです。始めたことが習慣化するようになると、休むことに罪悪感のようなものを感じるものですから、これまでは極力無理をしてでも続けてきました。その結果続けられたし高められたと思うのです。しかし休むことによって今まで見えなかったり感じたりしなかったことが見えてくるかもしれないとという淡い期待を持って、今は躊躇せず休むようにしていますが、習慣とは恐ろしいものでどこか気になって仕方がないのです。

 今日から少し遠目の栃木県宇都宮市へ講演旅行に出かけます。したがって明日は終日家を留守にすることから、ブログ記事を書くのは久しぶりにお休みとします。最近は宿泊先のホテルにインターネット用のパソコンが置かれていたり、移動用のパソコンがあるにはあるのですが、そこまで凝る必要もないので、明日は伸び伸びとお休みを楽しみたいものです。
 毎日書斎の机に置かれたパソコンに向かって、私のペースでだいたい朝1時間、夜1時間ブログを書いていますが、その2時間を休むだけですから、その分しっかりとデジカメで写真を撮り、ブログのネタを取材したいと思っています。

 そろそろ出かけます。帰りは15日の夕方です。

 

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〇子ども体験塾の下見紀行(その1)

 昨日の午後急な思いつきで、私が実行委員長を務めている子ども体験塾12月行事の下見に、公民館の赤石さんと久保さんの3人で出かけました。昼食を終えホッと一息ついた13時30分に、公用車で自宅まで迎えに来ていただき、早速車内で色々な打ち合わせをしながら、出発起点となるコミセンまで行き、そこから車のメーターをゼロにして、歩くであろう下灘・大洲間の県道や農道を走りながら、ポイント毎に綿密なキロ数を記録して行きました。目的地は朝が峠を経て大洲市旧田処小学校ですが、私たちが子どものころ遠足で歩いた大貫道は、歩行者利用の激減で既に通れず、草木に埋もれているため今回はその殆んどは、県道を歩かなければなりません。故に15キロの距離をいかに縮めるかがポイントなのです。

今が盛りの矢落川沿線の紅葉
見事な黄金色に色づいたイチョウ

 子ども体験塾には40人の子どもがいますが、中には小学校1年生の子もいるので、8キロが限界のような気がするため、起点を内子と大洲の枝分かれにすることにしました。ここまでは当日ご父兄に無理を言って、連れて来てもらおうという話になりました。集合場所に予定しようとしている場所は、道幅もかなり広く最適との判断です。ここから朝が峠まで3キロ、朝が峠から双海町の最後の集落法師を経て、矢落川沿いに約5キロ歩くと目的地の旧田処小学校という大まかな目算です。
 下見をした県道沿いは今が紅葉の真っ盛りで、目が覚めるような紅葉に目を奪われ、時折車を止め戸外に出て、持参のデジカメや携帯で写真に収めながら秋の風情を楽しみました。

田処集落の道端で見つけた鶏頭の花に目を奪われました
ほたるが自宅から観察できる親友西田和子さんのお宅

 下灘を出て30分ほどで旧田処小学校に到着しました。この場所にある活性化センターという体育館は、何度も講演会や交流会に来ているので、懐かしく周辺を散策し、近くにある親友西田和子さんのお宅を訪ねました。急な私の訪問に驚いた様子でしたが、運よく在宅中だったので、今回の計画のあらましを玄関先で、立ち話のような形でお話し協力を求めました。願わくば12月8日の当日は、昼食会場として活性化センターをお借りしたいし、当日少しここら辺のお話をしてもらおうと思っているのです。この件に関しても快諾をいただき西田さん宅を後にしました。

  「目の覚める ような紅葉に 目と心 奪われ矢落 川沿い歩く」

  「この道を 昔遠足 歩いたが 余りに遠い 記憶おぼろげ」

  「遠くまで 行かずも紅葉 楽しめる 近々妻を 連れて来たいと」

  「そこここに 友人がいて 助かると 急な来訪 嫌がりもせず」

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〇遠い情報は知っていても近い情報を知らない

 熱狂したアメリカ大統領選挙も、オバマが接戦の末ロムニー候補を破り再選されました。プロ野球では読売巨人軍がセリーグ、日本シリーズを連覇して日本一になりました。また日馬富士が2場所連続全勝優勝して第70代目の横綱となり、その大相撲一年納めの九州場所も昨日開幕しました。最近は平成の大合併で再編された県下の首長・議員の選挙も軒並み行なわれ、当選や落選の一報が入る度に、ごひいきや支援の人間模様もあって一喜一憂しています。特に年輪塾のメンバーである友人の首長選落選は、友人や家族のことを思うと、何もしてあげれなかっただけに心が痛んでなりません。願わくば新しい方向に向かって力強く生きて欲しいと願っています。

 私が会長をしている公友会の副会長であった菊地邦求さんが、昨年のこの頃不慮の事故で亡くなったため、副会長が欠員となっていて、総会で鬼北町の西村司郎さんに後任をお願いすることで、会長一人を取り付けていたので、昨晩彼の元へ電話を入れました。彼の話によると3年前にリタイアしてから好きな釣り三昧な暮らしをしていたようですが、最近週に3日程度アルバイトに行くようになったと近況を話してくれました。彼は数年前内臓を患いましたが、術後の回復も順調で大好きな酒も復活したようで何よりですが、快く私の申し出を聞いて副会長就任を引き受けてくれ、何はともあれホッとしました。

 西村司郎さんに菊地邦求さんの事故や葬儀のことを話すと、その話は初めて聞いたと驚いていました。遠い海の向こうアメリカの、縁もゆかりもないオバマ大統領のことは毎日のように情報が入るのに、僅か100キロ以内の鬼北町に住む仲間が、仲間の死さえ知らなかったことを思うにつけ、遠くが近く近くが遠い情報の切なさを垣間見るのです。
 先日私のブログで紹介した、目と鼻の先の離島に住んでいる友人のご主人の訃報もこれと同じで、私の元へ風の噂として辿り着いたのは約半年後でした。

 便利さや情報化社会の中に生きていると、こんなミスマッチは日常茶飯事で、近所はもとより、同じ敷地内の隠居に住むに親父の様子でさえ、この一週間まったく知らずに過ごすことだってあるのです。私たちの暮らしは車やインターネットの普及で随分便利になり、遠い情報を手に入れれるようになりましたが、歩くことを忘れたり、顔を見て言葉を交わし合うことの大切さを忘れてしまったようです。
 車もインターネットもさして必要のない老域に差しかかりつつある私も、これからはそのことに配慮しながら、歩いたり顔を見ながら会話するような、穏やかな余生を送りたいと思っています。

  「オバマ勝つ 知ってはいるが 同じ家 住んでる親父 さえも知らずに」

  「顔も見ず 風の噂を聞く耳も 役に立たずに 日々を生きてる」

  「もう少し すれば私も 仲間入り 井戸端会議や ゲートボールに」

  「このところ ネットで遠い ことばかり 近い話を 聞く耳持たず」

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〇公友会秋の勉強会(その1)

 昨年の11月、松山市のチャイナレストラン白魂で開かれた公友会(愛媛県公民館連合会OB会)総会で、計らずも佐伯会長さんの後を受け、三代目の会長に就任してから早くも、何をするでもなかった一年が、あっという間に過ぎ去りました。少し自責の念に駆られながら、傷心の思いで秋の勉強会に出席しましたが、この会としては多い16人も参加することを事務局から聞かされ、少しだけやる気が湧いての勉強会となりました。
 昨日は友輪荘という道後にある福祉関係の施設が会場となりました。前もって相談していた松本宏さんを伊予市内で乗せ、松本さんが手配してくれた花束を田中フラワーで買い求め、11時前に会場に到着しました。既に殆んどの人が集まっていて、受付で会費と参加費を払い会議室に入り、参加予定者が全員揃っていたので早速スタートしました。

楽しかった公友会

 県公蓮の渡邊事務局長から、秋の勉強会なので挨拶を兼ねた、少し長めのお話をと頼まれたので、日ごろ思っている幾つかのことを、アドリブで約30分お話しました。まず一つ目は公友会の在り方です。会員の皆さんが毎年一つずつ歳を重ねるOB会は、既に高齢化しているため、このままだと活力を失なって自然消滅の道を辿るのです。故に新しい若い会員さんを引き入れることが必要で、一人が一人の会員を勧誘することをお願いしました。また自分自身への向かいあいとして、もう歳だなんて思わずお互いが、年に一度くらいは集まって交流しようという気概を持って、生きて欲しいと頼みました。また若い人を中心に公民館10人衆のような、知識と智恵を集約した活動集団を作って、公民館の活性化のお役に立つべきとの構想をお話しました。

 さて公民館は今大きな帰路に立っています。私は今年福井県公蓮、広島県公蓮、福岡県公蓮の研修会や大会に講師として出席しましたが、そこで見聞きしたのは「公民館が極めて危ない」問題に直面して右往左往している姿でした。一つは公民館をなくして、コミュニティセンターに移行しようとしている首長の教育への介入です。特に東日本大震災以降はこのことが顕著で、安心・安全を確保するという名の元に、どんどん公民館が姿を消しているのです。コミセンが悪いというのではなく、首長の教育への介入は何としても阻止しなければなりません。
 また公民館を効果効率という名の元に、指定管理者制度を使って民間に管理託させるという手法も、随分全国では普及してきました。管理委託が悪いのではなく公民館の職員を引き上げて安上がりな貸し館になると、これはもう教育施設としての機能が果たせなくなるのです。公民館は施設の維持管理も大切ですが、組織や機能がなくなると、住民の公教育の権利が奪われてしまうのです。

 この2つの問題は何処へ行っても今日的課題なのに、県公連も全公連も何ら手を打たず思い悩んでいるというのが実態なのです。昨日もこの話しをすると、同席してもらった岸尾県公連会長さんも同感だと賛同していただきましたが、愛媛県内もそろそろ早い機会にその策を打たねば遅きに失し、県公連存亡の危機に貧するのです。
 これらの問題を含めこれまで傍観者だった公友会が、一歩踏み込んで県公連の発展に寄与するため、とりあえず何らかの行動を起こそうと訴え、皆さんの賛同を得ましたが、その前途は問題が問題だけに厳しいようです。
 少し難しい専門的な話になってしまいましたが、私の30分の熱弁は皆さんの心に響いたでしょうか。?

  「久方に 出会う人あり 懐かしく 昔のことが 走馬灯のよう」

  「会長に 就任一年 過ぎ去った 自責の念に 駆られながらも」

  「どうすべき 分かっているが どうするか これがこれから なすべきことだ」

  「来年は 少し楽しみ 減しながら 少し動いて 少し貢献」 

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