人間牧場

〇息子と二人で注連縄飾りを飾りました

 大晦日の昨日はあいにく雨の一日でした。その雨の中合羽も着ずに早朝7時、下灘で漁師をしている伯父さんに頼んでおいた、ブリを受け取りに出かけました。丸々太ったいかにも美味しそうなブリは、多少異なりましたが5キロ級で、発泡スチロールの白いトロ箱に氷とともに入れられていました。途中の従兄弟や兄弟の家に、親父からのお歳暮だと伝えて送り届け、一端自宅へ帰って長男息子と合流、つり道具屋ジャンプの自動販売機で小売を買い求め、松前や松山の知人友人宅まで手渡しで届け、自宅へ帰ったのは11時近くになっていました。

 妻も昨日から仕事休みで、餅つきという大仕事が待っているため、私がブリの調理作業をしている間に餅つきの準備をして、そそくさと出かけて行きました。低気圧と前線の影響で雨は一向に止む気配はなく、私も注連縄に使う裏白シダを確保していないため、天を仰いで様子を伺っていましたが、少し小降りの雨の中を、傘を差して裏山へ入りました。ぬかるんだシダ山は長靴を履いているものの、足を滑らせそうで心もとない感じがしましたが、僅かの時間で50枚ほどのウラジロを採集し、玄関を飾る注連縄用の小さな青竹も確保しました。

お鏡餅
カブスを乗せたお鏡餅

 そのうち妻から、餅がつき上がったから取りに来るよう携帯が入り、取って帰った餅と田作り、イワシと米粒を奉書で包み、赤白の水引で格好良く結びました。五穀豊穣と家内安全を願って作った、奉書包みとウラジロやカブスを注連縄とともに結びつけ、長男息子と一緒に玄関先や水神様、神棚、トイレや風呂場、車、煙会所、海舟館などに餅と一緒に供えました。
 妻が準備してくれたオサンボウについたばかりのお鏡餅を乗せ、田作り、吊るし柿、勝栗などの縁起物を加えて、2階の床の間に飾り正月飾りは夕方頃全て整いました。

 

息子と二人正月飾り
息子と二人正月飾り

 正月飾りを息子とつくりながら色々な話をしました。私はサンデー毎日といいながら、年中県内外を忙しく出歩いているし、たまに家にいても煙会所や人間牧場へ訪ねて来る人たちの対応で家を開けることが多く、設計事務所に勤める息子も40歳になって仕事も忙しそうで、仕事を終えて家に帰る時間は殆ど毎日、夜9時から10時くらいになり、たまの休みも所属している建築士会の活動や、伊予市のまちづくりに関わっているため、同居していても中々まともに顔を合わせて話すことが少ないのです。「来年は僕が注連縄を作ろうか」と、殊勝なことを言ってくれましたが、遅きに失した注連縄作りを、来年こそは息子に伝授したいと思っています。

 

 

  「雨の中 正月飾りを 親子にて 世間話を しながら作る」

  「田舎では まだまだ古い 慣習を 親から子ども 子から孫へと」

  「気がつけば 私も歳は 若くない 早くしないと 伝えきれない」

  「嗚呼今日で 辰年終わり 巳年なる 時の流れの 早さ驚く」

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人間牧場

〇人間牧場の大掃除

 人間牧場が完成したのは今から7年余り前の2005年(平成17年)でした。以来多くの人が、道も狭くてまるで隠れ家のような人間牧場へ、遊びや研修に足を運んでくれました。芳名録に名前を書いてもらったりカウントこそしていませんが、少なくとも5年前に発行した落伍ネタ本「夕日徒然草・地の書」が一年で千部完売したところを見ると、年間千人もの人が足を運んでいる計算になるのですから、これはもう予想をはるかに超える大きな大きな驚きです。
 たまに私の留守中にやって来る人もいますが、私は来客のその都度人間牧場へやって行き、対応に追われるのですが、自宅から約10キロ、しかも殆どが山道とあって、どんなに近道をして急いでも15分、広い道をゆっくり迂回すると20分かかるので、往復小1時間といったところです。私は人間牧場を造ったのを機に4WDの軽四トラックを妻に頼んで購入してもらいました。4WDのトラックだと滅多に降ることのない少々の雪やぬかるんだ山道でも平気で走ることができ、何かにつけて便利です。

黙々と窓拭き掃除をする浜田さん
黙々と窓拭き掃除をする浜田さん

昨日は年輪塾生1号と呼んでいる浜田久男さんから、「年末なので人間牧場の大掃除をしよう」と、有難い申し出がありました。浜田さんは人間牧場ができてからおこがましくも私の門下生となり、以来殆ど毎年少なくとも年に2回は、私たち二人が「修行」と呼んでいる掃除にやって来るのです。故に浜田さんは人間牧場、特に水平線の家の掃除を、何処に掃除道具やワックスがあって、何処を掃除したらいいのか熟知していて、私と阿吽の呼吸なのです。
 昨日は倉庫と板間の掃除、それに倉庫に積んである「夕日徒然草の整理をしました。特に自著本の整理はしっかりやっておかないと、本の販売収益で電気代や汲み取り料、草刈り費用などを賄わなければならないし、販売の収益が次の自著本出版の原資となるので、粗方の残部を調べたり、取り出しやすいよう念入りに整理をしました。

 

掃除が終って二人仲良く記念撮影
掃除が終って二人仲良く記念撮影

 その後二手に分かれて窓拭きです。浜田さんはメインのスライド窓を、私はかまど小屋の窓を手分けして拭きました。お陰様ですっかり今年の汚れを落とし綺麗になりました。床の掃除や片づけをして4時過ぎに掃除を終わり下山、わが家で妻の入れてくれたお茶を飲みながら解散しました。
 私と浜田さんが「修行」と呼んでいる掃除は修行の基本中の基本です。掃除も1万時間の法則で毎日やればその道を極めることができるのです。これは私がシーサイド公園の砂浜や水族館の水槽を毎日3時間、12年間続けた実践からの学びで実証済みなのです。掃除は自分のためにすることは勿論ですが、目に見えないやがて来る人のためでもあるし、折角造った有形の物を大事に長く遣うことでもあるのです。来年はどんな人がどんな思いで人間牧場へ訪ねてくるのでしょう。今からワクワクします。
 今日は注連縄とお鏡を神棚に供えに再び人間牧場へ行き、今年一年の総括と感謝の祈りを捧げ、締めくくりたいと思っています。

  「沢山の 人それぞれが やって来て 今年も盛況 顔々浮かぶ」

  「修行だと 勝手に決めて 大掃除 友と二人で 一年の垢」

  「押入れに 積んだ自著本 積み直し 今年もこれで 勝負をかける」

  「拭き掃除 窓の向うは 冬景色 二人しみじみ 記念撮影」

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人間牧場

〇来年のカレンダー

 来年といっても後3日もすればやって来る、2013年(平成24年)は、一体どんな年になるのだろうと、手元に届いたWriting  Carendar に、既に決まっているスケジュール予定を、真新しいページに黒いボールペンで書き込みながら、めくってみました。ちなみに赤い数字の日曜日52日と祭日15日、それに土曜日51日を合わせると、普通のサラリーマンは118日も休みがあるのです。一年365日なので、日・祭日+土曜日を合わせた118日に正月休み2日、年末休み3日を足して差し引くと、実質働く日数は242日で、おおよそ3分の1、つまり3日に2日働いて1日休みという、夢のような日々が待っているのですから、サラリーマンや公務員は不景気風で給料が安いと不平不満を言うことを、少し慎まなければならないようです。

あと三枚となった書斎の日めくりカレンダー
あと三枚となった書斎の日めくりカレンダー

私は35年間地方公務員をやって来ましたが、晩年は少し給料が上がったものの、その殆どは安月給に甘んじてきました。それでも親父から教わった「お金は入るを計りで出るを考えよ」を実践し、例え安月給であっても生活設計に基づいて家を建て、4人の子育てをそれなりにやって来ました。故に貯金残高はそれ程ないものの、借金もなく老後を迎えることが出来たのです。
 私は仕事柄退職後も色々な場所で講演などを頼まれ出かけますが、経歴がそうするのか役場や市役所の職員研修などが多いようで、その度に親方日の丸、護送船団とでもいうべき居眠り研修をする淀んだ空気に活を入れるため、「あなたの時給はなんぼ?」という問いかけをします。殆どの人にその意識はなく戸惑うばかりです。例えば25万円の給料を貰っている人は1ヶ月20日働くとすれば日給は1万2千5百円となります。これを1日8時間労働で時給換算すると、時給は1千5百62.5円となるのです。これには昼食時間も煙草やお茶を飲んでいる休息時間も含まれているのですから、これはもう天国です。厚生労働省が毎年決める最低賃金からすれば倍の値段ですから、これは頭に鉢巻を締め腕をまくって、もっと働かなければならないのです。

 来年のカレンダーの話がとんでもない方向に行ってしまいましたが、この年末も色々な方から息子と私に、色々なカレンダーをいただきました。その中からお気に入りのものを選び、それぞれの部屋に今日にでも飾ろうと思っていますが、今年は残念ながら毎年使ってきた大きな日めくりカレンダーは届かなかったので、小さい日めくりで我慢しようと思っています。
 加齢ゆえもうそろそろ講演依頼などないだろうと鷹を食っていましたが、早くも県内外から講演依頼が目白押しで、来年も忙しい日々が続きそうです。既に行きたかったものの行ったこともない、長崎県壱岐での講演予定も組み込まれ、六十代最後の年もいい予感が立ち込めようとしています。

  「あと三日 日めくり薄く なりにけり カレンダー見つ 思い巡らす」

  「来年は いいことありそう 思いつつ 休み日数え 何処へ行こうか」

  「今年も いい年だった ありがとう 役目を終えた カレンダー外す」

  「一年の 三分の二は お休みか いやいや俺は サンデー毎日」 

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人間牧場

〇注連飾り作り

「もう幾つ寝るとお正月・・・・・」と指折り数えて正月の来るのを待った少年の頃と違い、「もう幾つ寝るとまた一つ歳をとるのか・・・・・」と、「正月は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」の初老を迎えています。それでも正月は年間を通じ私たちの暮らしの中では年初めの行事として主役を務める、大事な大事な節目なのです。
 さて田舎に住んでいるわが家では、遅ればせながら正月を迎える準備が妻の手によって着々と進んでいます。その最たるものは何といっても大掃除と餅つきとおせち料理作り、それに注連飾り作りです。大掃除はさて置いて、最近は餅つき、おせち料理、注連飾りの三つを自分の家で作らず、売っているものを買って済ませる家庭が増えてきました。お餅もおせちも自宅で造るとなると手間で厄介なものです。特に餅つきとなるともち米や餅つき道具(蒸し器・臼・杵・もろぶた)などが必要なため、まず現代人の暮らしでは望むべきもないのです。それらの道具を持っているわが家でさえ、この10年ほどは生活改善グループに入って活動している妻の友人と一緒に、シーサイド公園の加工場へもち米を持ち込んで、妻が共同でついてもらっているのです。

今年も立派な注連縄ができました
今年も立派な注連縄ができました

 昨日は天気は良かったものの今年一番の冷え込みで、車のフロントガラスの前面が凍るほどの寒さでしたが、妻は少し風邪気味ながらもち米を30キロ近くも冷水で洗い、ポリバケツにかしていました。私も妻から頼まれていたもろぶたを水で洗い、外の東屋へ陰干ししたり、玄米もち米を農協のコイン精米所で白米にしたりと、それなりの手助けをしました。
 昨日の私の大仕事は注連縄作りでした。親父が前日にそぐってくれていた稲藁を煙会所へ持ち込み、ストーブで暖を取りながら一人黙々作りました。私は子どものころ親父から注連縄の作り方を教えてもらっているので、わが家がこの地に引っ越して来た30歳の頃からずっと、下手糞ながらもう40年近くも作り続けているのです。私が作る注連縄は4種類です。オタマジャクシと呼ぶ小さな注連縄飾りは仏様や水神様、倉庫や車などに備えるため15個作ります。オタマジャクシで縄ないの感を取り戻すと、隠居玄関用の少し大きめなオタマジャクシを作り、本宅玄関用の暖簾型注連縄、それに神様棚用のエビを作るのです。

 注連縄を作りながら、はてさてこの技術は次の世代にどう伝えればいいのか、心配になりました。男の子3人が小さい頃は遊び半分で一緒に作っていましたが、技を伝授するまでには至らず、子どもが成人してからは子どもたちも忙しく、それどころではないようで、息子と同居をし始めたこの機会に伝授しようと思っていますが、残念ながら私一代で終りそうな雲行きです。
 注連縄作り作業は約2時間ほどで終りました。今年も私の労作はもろぶたに納めて煙会所に借り置きしています。一夜飾りにならぬよう30日には裏山に取りに行くウラジロや青竹、カブスなどを使って正月飾りをしたいと思っていますが、私の大仕事と思っていた注連縄作りも無事終ってほっと一息つきました。
 今日はウラジロを取りに行こうと思っていましたが、早くも朝からあいにくの雨のようで、明日に延期となりました。正月まで今日を含めて後4日です。子どものころのように指折り数えはしませんが、今年の余韻を楽しみながら大掃除をして正月を待ちたいと思います。

  「わが家では 注連縄飾り 今もなお 私手作り 縁起担いで」

  「注連縄を 作る技術も 息子には 伝授すべなし 私一代」

  「隣住む おじさん今は 注連縄を ホームセンター 買ってそれでも」

  「注連縄を 自分で作る 故なのか 今年も縁起 悪くなかった」

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人間牧場

〇いただいた小さなカードからの学び

 このところ毎週日曜日、きちんとした身なりの紳士淑女が3~4人、連れだって街中を歩いている姿を見かけます。最初は「はて、見知らぬ人だが何をする人たちだろう?」と首を傾げていましたが、その人たちがわが家のチャイムを鳴らし、「お話を聞いて下さい」と言われて納得しました。私はキリスト教信者でもないし、わが町にはキリスト教教会もないので、「エホバ」と言われてもまったくその実態は知らないのですが、訪問した人たちは「エホバの証人」と名乗って薄っぺらい雑誌を私に手渡し、「少し話を聞いて下さい」と言われました。いささか教育に関心のある私は、立ち話のような形でじっと聞いていましたが、言うことにも一利あって少し納得しました。その人たちは私が興味を示したと勘違いしたのか、「又来ます」と言って帰えられました。

 いただいたクリスマスカードのような小さなカードには、次のような言葉が書かれていました。
 人生が短いように思えるのはなぜですか。150年生きるカメもいれば、樹齢3000年という木もあります。それに比べると、人間の寿命は非常に短いと思います。それでも人間の命は、カメや樹木の命よりはるかに有意義なものとなり得ます。神は人間を音楽やスポーツ、食事、学習、旅行、人と会うことなどを楽しむ能力のある者として創造し、人間の心に、いつまでも生きていたいという欲求を置かれました。
 「神はすべてのものをその時にかなって美しく造られた。定めのない時をさえ彼らの心に置き、まことの神の行なわれた業を、人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた。」
                                                                                                                           伝道の書3:11

 私は凡人なので最後の神についての話の真実は分かりませんが、カードに書いている「人生とは」、「動植物の寿命と人間の寿命の違いとは」、人間の生きる意味とは」などについては、まったく同感だと納得し、特定の宗教は関わっていませんが、私の心の中には「宗教心」のようなものがあることを、ほんの少しだけ感じました。
 わが人間牧場の水平線の家に、高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株が置かれています。千本山で150年も年輪を刻んで生き続けてきた切り株を見る度に、人間の寿命は長生きしても、たかだか100年なのにと思い、短いが故にしっかり生きねばと決意を新たにするのです。
 たった一枚のカードにも生きるヒントはあるし、偶然出会った人や、いつも一緒に暮らしている家族にだって、悩める老い羊は色々な気付きをさせられて日々を生きているのです。私はこれからも「楽しむ能力」を更に研きたいと思っています。

  「三~四人 連れだちわが家 訪問す 立ち話にて カード渡され」

  「人間は たかだか百年 しか生きぬ 短い故に 生き方問われ」

  「百分の 六十八を 生きてきた 残った余命 三十二年」

  「人生を 楽しむ能力 磨きつつ 残った寿命 楽しく生きる」 

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人間牧場

〇若いっていいねえ

 私は若い駆け出しのころ、地元の双海町中央公民館に13年間も勤務しました。私は青年団と漁師という過激な活動と労働で体調を崩し、25歳で地方公務員になった変わり者です。故に出世等端から思わず、どうせなら社会教育を一生の仕事にしたいと真剣に思い、更にどうせなら日本一の公民館主事になりたいと、情熱を傾けて仕事をしました。
 当時は私のような公民館馬鹿、社会教育馬鹿が県内外には沢山いて、お互いが切磋琢磨したり同志の会を立ち上げて、夢や希望を語り合ったものでした。長浜の菊地さん、内子の亀田さんたちと私は「煙仲間」という主事集団をつくり、大いに気を吐きましたが、相次いで県内には宇和島に麦集団、越智今治に海武士集団ができ、静岡や埼玉と交流する等暴れまくっていました。

 そんな活動が認められて私は、愛媛県公民館連絡協議会の主事部会長になり、今は亡き長浜の菊地さんとともにタッグをみ、6年間も県公連の運営に関わり、今も続いて発行いる機関紙伊予路の改革等に取り組んできたのです。しかしあれ程固く誓った刎頚の契りも時が経つと色あせ、多くの仲間は異動や退職という人生の転換期を上手く乗り切れず、埋もれ木のような余生を送っている姿は、何とも哀れな感じさえするのです。
 人はどうであれ、私にとって煙仲間や刎頚の契りは、しっかりと心の中に息づいていて、地域社会や公民館への恩返しとして今も、多分死ぬまで社会教育活動をやろうと心に決めて生きているのです。
 2年前私たちがかつて燃えたような、気心を持った公民館主事さんたちに出会いました。そもそもの発端は3・11東日本大震災時に起こった福島第一原発事故で、放射能汚染されて苦しむ福島の子どもたちを、何とか安全な愛媛へ連れて来て遊ばせたいという軽い乗りだったようですが、その夢は次第に現実味を帯びてきたのです。

子どもたちの交流風景
子どもたちの交流風景

 何人かの公民館主事さんたちが、「福島キッズ絆プロジェクト」を立ち上げ、昨年福島から子どもたちを招き大きな感動を与えました。今年も続けようという話になりましたが、熱しやすく覚めやすい社会風潮は彼らの行く手を大きく阻みました。それでも「やりたい」「続けたい」という思いが上回り、今年も3日前から双海町も30人の子どもを受け入れ、ボランティアや心ある人たちの支援を受けて、プログラムが進行しているのです。
 昨日は児童数20人の小さな翠小学校、で福島キッズとの交流会が持たれました。あいにく寒い一日でしたが、体育館での交流会やオープンホールでの給食食事交流などに楽しいひと時を過ごしていました。何よりも嬉しかったのは、伊予市の教育長さんが参加して激励のあいさつをしてくれたこと、冬休み間近な終業式の日なのに、快く交流を受け入れてくれた校長先生など、プロジェクト推進メンバーたちの心に大きな勇気を与えてくれたのです。

 公民館には①始める活動、②続ける活動、③高める活動、④止める活動がありますが、今年の絆プロジェクトは②の続ける活動であると同時に、③の高める活動でもあるのです。目的や目標を達成すれば、④終る活動へと導かなければなりませんが、絆プロジェクトを立ち上げた公民館主事さんたちの「志」だけは、止める活動に導いて欲しくなく、むしろつながった「志」を一生の宝物として、大いに今後の活動に生かして欲しいと願っています。

  「若い頃 公民館に 生涯を かけよう思った 今も脈々」

  「さて次は どのようにする 戦術を 立て直しつつ スキルアップを」

  「校長や 教育長まで 巻き込んで 大きなうねり しっかり受け止め」

  「活動と 運動違う そのことを わきまえながら これから先も」

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人間牧場

〇妻と二人でデート

 私は子どものころ初めて飲んだコーヒが苦くて不味かったため、それ以来コーヒーを飲みません。「今時コーヒーが飲めないなんて信じられない」「コーヒーはガンに効くというのに?」などと妻からも不思議がられていますが、それでも訳も分からず嫌いなものは嫌いで、根っからの緑茶党を名乗っているのです。
 先日講演先の北海道で知り合った北見市に住む市川恵子さんから、幾種類もの沢山のハーブティが送られてきましたが、最近は妻に頼んでホームセンターで買ってきてもらった耐熱ガラスのお洒落な茶器で、ストーブの上に置いた加湿用のステンレスヤカンのお湯を注ぎ、いただいたハーブティから好みのものを取り出し、気晴らし気休めのティータイムを一人楽しんでいますが、時には紅茶も楽しむものの、相変わらずコーヒーはそのメニューに入っていないのです。

シーサイドのロマンチッククリスマス
シーサイドのロマンチッククリスマス

昨日の夜、急な思いつきで、シーサイド公園イベントホールで開かれているロマンチッククリスマスカフェへ、妻を誘って出かけました。ブライダル業界で仕事をしている戸田さんがクリスマスの二日間だけ臨時に開いているカフェですが、私たちが訪ねた午後7時過ぎには既に若いカップルで満席状態でした。水屋の近くに陣取り、クリスマスツリーや窓に映るイルミネーションの幻想に酔い知れながら、妻はコーヒー、私は紅茶を飲みました。
 もう15年も前にこの総ガラス張りのイベントホール、大きな箱に見立ててリボンをつけたり、山から桧の木を切り出してツリーを飾ったりした時のことを思い出しました。今でこそクリスマスツリーも広く普及していますが、当時は珍しさもあって話題となり大勢の若いカップルが訪れたものでした。

 

クリスマスツリー
クリスマスツリー

 

クリスマスツリーの前で
クリスマスツリーの前で

 私がコーヒーを飲まないため、妻と二人で喫茶店に入った記憶は殆どありません。故に妻にとってはそのことが少々不満らしく、クリスマスカフェに誘うと一も二もなく喜んでくれました。20分ばかり雑談した後外に出ましたが、通路には様々な電飾が施され、道行くカップルも手を組んだりつないだりしていました。妻がいきなり腕を組もうと言い出しました。私は暗闇とは言いながら地元の目もあるし、「恥ずかしいので嫌だ」と言いましたが、妻はかまわず腕を組み駐車場までの200m程の道を歩きました。私は古い時代の人間なので、男女が手をつないだり組んだりすることにはかなりの抵抗があり、躊躇しましたが、妻もこの歳になると大胆だと、年甲斐もなく少しときめきました。
 「若松の進ちゃん夫婦が昨日の夜、シーサイド公園で手を組んで歩きよった」と、噂話が立ちそうな田舎の、犬も食わないクリスマスイブの出来事でした。

  「クリスマス イブは二人で 過ごすもの あやかりカフェで 雑談語る」

  「お父さん 手を組み歩こう いきなりと 顔を赤らめ 悪い気はせぬ」

  「コーヒーも 飲めぬ私は デートなど できぬと諦め 今の今まで」

  「クリスマス ツリー点滅 する光 ガラスに映り まるで幻想」 

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人間牧場

〇人は何故私の所へ集まって来るのでしょう

 このところ私が冬休みモードとなっているのを察知してのことでしょうか、私の元へは頻繁に来客があって、家の横にある私設公民館「煙会所」と海の資料館「海舟館」、家から10キロほど離れた場所にある「人間牧場」の間を、忙しく往復しています。来客の殆どはわが家の位置が分からないため、シーサイド公園で待ち合わせをするのですが、最近は携帯電話で連絡を取り合うため、「今、伊予インターを降りた」とか、「後10分で着きます」とか近況が入るのですが、中にはカーナビでわが家に直接やって来るものの、結局わが家への入り口が分からず迎えに出なかればならない羽目になったりして、何かと造作を煩わせてくれるのです。

デカデカコンビの米田(左)さんと吉岡(右)さん
デカデカコンビの米田(左)さんと吉岡(右)さん

 チョイトのつもりが話に花が咲き、半日も手間を取られる日もあって、私の年末までのスケジュールに入っている年賀状書きや注連飾り作りの作業が大幅に遅れ、今年も昨年と同じように尻に火がついたような感じのするこの頃なのですが、昨日も今日も明日も来客予定がひっきりなしで、はてさてどうしたものかと、内心迷っています。
 一昨日はみずほ情報総研の吉岡さんが、愛媛大学法文学部の米田先生と一緒にやって来ました。吉岡さんとは過疎坂知り合いで、人間牧場が出来て間もない頃人間牧場で開催した、移動逆手塾の折やって来ていますし、逆手塾30周年の今年6月に開かれた逆手塾でもお会いしましたが、今回は由布院の観光協会事務局長から愛媛大学へ転進した米田先生を誘っての来訪でした。

 聞けば米田先生は法文学部ですから娘婿と同僚で、住んでいる場所も直ぐ近くの道後緑台だそうで、また逆手塾知り合いの熊本大学徳野先生ともご縁が深く、再会の余韻を残しました。自由人となって7年半が過ぎていますが、私設公民館「煙会所」と「人間牧場」という私的施設を造っているお陰で、全国の多くの方々と出会いを深めることができていて、その輪は益々全国に深くなり広がりつつあるようで、老いる暇のない日々が続いています。
 「人でも仕事でも愛する所に集まって来る」が私の持論モットーですが、出会いの場所と機会は今後も益々広がりそうな雲行きです。結局人間は楽しくて値打ちのある所に集まって来るのですから、楽しさと値打ちのレベルアップを図らなければならないと思っています。
 この日は、地域事務所の松本さんも同じ友人として煙会所へ同席してくれました。

  「人は何故 人を求めて うごめくか 理由簡単 楽しい値打ち」

  「冬休み 当て込み人が 訪ね来る 断わる理由 なくて受け入れ」

  「煙会所 人間牧場 行き戻り 手間暇かけて 出会い重ねる」

  「さあ今日は どんな顔して 対峙する 相手に合わせ 好みの顔で」

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人間牧場

〇丸々太った寒ブリが届きました

 前日の夕方、宅配便で宇和島市嘉島に住む宮本正勝さんから立派な寒ブリが2本届きました。毎年この時期になると届く寒ブリを、相手に失礼ながら「もうそろそろ届く頃」と心待ちにしていました。相次いで前日の夕方、下灘の親類漁師の伯父さんから小魚類をいただいたので、昨日は久しぶりに午後の3時間余りを、外の流し台に立って魚の料理をしました。
 まず6キロもある丸々太った寒ブリから始めました。研ぎ澄ました大きな出刃包丁で頭部分を切り落とし、腹を開いて内臓を取り出し、予め用意しておいたポリ袋を内蔵させたバケツの中に残飯として捨てました。ブリは捨てるところが少なく、内臓と尾っぽ、それにエラくらいなものです。

 寒ブリは細長い発泡スチロールのトロ箱に、氷詰めされて送られてくるため魚体は低温状態で、粗調理をするだけで、頭を二つに割る頃には手がかじかんでもどかしいのです。頭は固いので専用にしている金槌で包丁の背中を叩き割り、エラを取り出しました。綺麗に水洗いをして水分を取り、3枚に下ろすのですがDHAとでも言うべき青魚特有の脂分が相当あって、いかにも美味しそうな赤味が顔を覗かせました。頭部分や骨、それにヒハラはブリ大根の材料用として、小切りにしそれぞれタッパに入れ、ラップをかけて冷蔵庫に終いました。
 寒ブリの粗調理は20分程度で片付きましたが、続いて始めた下灘から貰った小魚の下ごしらえは、魚種が柳鯛、チダイ、エソ、ホウボウ、カナガシラ、メッキ、モチハギ、スルメイカと、多岐にわたっていたため、鱗取りや内臓取り出しに2時間も時間がかかってしまいました。

 それでもシンクに水を貯め、綺麗に水洗いをしてタッパに入れ、残飯処理を行なって私の仕事は一件落着となりました。そのうち仕事から帰った妻は、冬の時化が続くこれからのために、冷凍保存するものを小分けしながら夕飯の支度に取り掛かっていました。
 昨日の夕食はブリの刺身とブリ大根がメインなので、私は妻に頼まれ家庭菜園から丸々太った、聖護院大根を2個引き抜いて水洗いをしてやりました。そのうちブリ大根の煮える匂いが何処からともなく匂い始め、食欲をそそりました。息子たちにもお裾分けしてやったようですが、孫たちも刺身やブリ大根を美味しそうに食べていました。
 私はもう冬休みモードに入っていますが、妻はまだ年末まで一週間勤めがあるため、私が少し手助けをしてやりたいと、まだ年賀状の片付けもできていないし、注連縄作りだってできていないのに、殊勝なことを考えています。いよいよ年末も押し迫ってきました。

  「寒ブリが 届いて私 粗料理 包丁研いで 妻の手助け」

  「寒ブリが もうそろそろと 期待する 思い通りに 届いてニヤリ」

  「寒ブリの 刺身とともに ブリ大根 食が進みて 大いに満足」

  「子も孫も 美味い美味いと 喜んで 冬の夕餉は 寒ブリ三昧」

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人間牧場

〇人が集まるも去るも心がけ次第

 「人はどんな所に集まるのだろう」と時々思います。若い頃公民館に長年務めたこともあって、人が集まるのには①楽しみ、②仕組み、それに③値打ちだと思い込み、様々なアイディアを思いつき、仕掛けを試みてきました。その結果こんな田舎でもシーサイド公園には年間55万人もの人が集まり、夕焼けコンサートやサンセットロマンチッククリスマスなどのイベントも、それなりの集客を誇り今に至っているのです。また人間牧場もある意味私的で些細な施設とはいえ、年輪塾や体験塾などの「こと」が充実しているためそれなりの人が集まって来ています。どうやら集まる条件は①場所と、②人と、③ことも必要な条件のようです。

 私はいつも町外に出て仕事をしていますが、町内で仕事柄一番よく行くのは、シーサイド公園と地域事務所ですが、それ以外にも商工会やじゃこ天の店、くじらという妹の店にもちょくちょく顔を出し、旧交を温めながら情報収集をしています。その中でちょっと気になることに出くわしました。
 数日前地域事務所に出かけたついでに、商工会に立ち寄りました。商工会といえばかつて私が,観光協会の事務局長をしていた頃は、イベントの打ち合わせをしたり、事務局職員が会計を担当していたこともあって頻繁に出入りをして、時には酒を飲んだりお茶を飲みながら、他愛のない四方山話に花を咲かせた場所なのです。

 ところが商工会がつい最近中山町と合併し、本所機能が中山町へ移ってしまい、男性職員はいるのでしょうが殆ど顔を見たことはなく、女性職員が一人いるものの、町外出身の若い人なので、世間話をしようにもまったくかみ合わないのです。私は商工会とは何の関係もない人間なので、用事もないのに何で来るのか?と言われそうで、ついつい足が遠のいているのです。先日も私が毎年商工会へお願いして毎年いただき使っている、Writinng  Carendarをいただけないかと、お願いに上がりましたが、残念ながら色よい返事をいただきませんでした。
 とっさに悪智恵が働き、愛媛県商工会連合会3Fに入居しているえひめ地域政策研究センター職員にお願いして頼み込み、早速その日の郵便で送ってもらい手に入れ事なきを得ました。

 商工会から帰り際、商工会の中に間借りしているデマンドタクシーの事務局に立ち寄ったところ、二人の女性に愛想よく迎えてもらい、お茶までいただきながら楽しい話に花を咲かせました。人が集まる所と人が去る所の明暗は、どうやら人の心の持ち方にあるようです。人の心は目に見えないだけに中々難しいものです。ふと双海町役場時代に当時の町長さんが、役場職員のモットーにするよう言われていた「人に不快の念を与えない」という言葉が頭を過ぎりました。拳拳服膺肝に銘じたい言葉のようです。私の持論は「人でも仕事でも愛する所へ集まって来る」です。

  「人多く 集まる所 どんなとこ ホットな気分 させる人あり」

  「合併で 集まる場所が 変わったと 実感しつつ 恐る恐ると」

  「お茶でもと 誘ってくれる 人ありて 世間話に 花を咲かせる」

  「人・仕事 愛する所 集まりて そんな理想を これから先も」

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