人間牧場

〇1万時間の法則

 私は若い頃ある頂点を極めた人から、「1万時間の法則」という言葉を聞きました。最初はその意味が何のことか分かりませんでしたが、人は誰でも1日に3時間自分の思うことに没頭して修行をすれば、一人前の人間になれるというのです。1日に3時間を1年365日で乗すると3時間×365日=1095時間、これを10年続けると約1万時間なのです。
 私の少年時代を振り返れば、何かにつけ長続きせず飽き易い性格は生まれつきで、治らないと思っていましたが、その話を聞いてから、私にでも1日3時間くらいならできるかも知れないと思うようになりました。「1日3時間コツコツ積み重ねる」をモットーにし始めたことの最たるものは、自分が発想して整備に関わったシーサイド公園の人工砂浜清掃でした。「赤字になったらどうするのか!」「黒いボールペンで書きます」と、議会で答弁した武勇伝もあって、後に引けない不退転の決意もあって、早朝1日3時間の人工砂浜やミニ水族館水槽掃除は、その後12年間続きましたが、今にして思えば私にとって「1万時間の法則」は一人前になり得たかどうかは別にして、大きな収穫だったようです。

 私は人に比べるとそんなに劣ってはいないけど、そんなに秀でた人間でもなく、いわゆる普通の人間なのです。ゆえに何もしなかったら普通の人間として普通の人生を終るのです。でも私は「1万時間の法則」をコツコツとやれば成果が出て、人がどう思おうとやる前の自分とは違った、少しばかり輝ける人生を送れているのですから、特に若い人に「1万時間の法則」の大切さを、「凡事徹底」として教えてあげたいと思うのです。
 その一つに「毎日ハガキを3枚書く」ことや、「毎日2本のブログを書く」という私の実践も含まれています。広島向島に住む半田さんから教わった、毎日3枚のハガキ書きはもう27年になるし、娘婿に勧められて始めた、毎日2本のブログ書きも8年目に入りました。私は算数が不得意ですが、机の横に置いている電卓を時々叩いてみると、ハガキもブログもこれは「1万時間の法則」にまるでピッタリで、私の人生の証明書のようになっているのです。

 とりあえず1日3時間、とりあえず1ヶ月、とりあえず1年と気楽な気持ちで始め、それを続けていれば習慣化し、あっという間に10年間で1万時間が達成され、自分の人生を豊かなもとなるのです。これほど充実した日々を過ごしている私ですが、最近気力と体力のズレが生じていることに気がつき始めました。何でもない道端の石ころにけつまづいて転げたり、踏み台でバランスを崩したりするようになりました。何とか現状を維持するだけでなく体力をアップできないかと考え、とりあえず1日1万歩を目標に裏山道を歩き始めました。これもこれから「1万時間の法則」まで続けようと思っています。
 私の携帯電話についている万歩計が歩数履歴を記録できるので、この1年ほぼ毎日、私の歩いた歩数は、昨日も今日も1万歩を刻んでいるようです。時々携帯電話を忘れて、正確に記録できないこともありますが、これもご愛嬌でしょう。

  「なるほどと 一万時間の 法則を 考えながら 今日もそれぞれ」

  「一万歩 効果覿面 体力が 少し回復 してきたようだ」

  「さあ今日も 歩け歩けと 言い聞かせ いい汗書いて 食事も美味い」

  「歩くのが 楽しくなりて 浮き浮きと 今日も元気に 一万歩強」

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人間牧場

〇今年は家庭菜園の大根が豊作です

 初雪や初氷から大雪と、冬ならではの寒い話題が全国各地の仲間から届いて、このままだと来週には次の寒波がホワイトクリスマスを演出してくれそうな、予感すらさせてくれる今日この頃です。西の国四国の瀬戸内海側に住んでいると、雪は子どもころからの憧れですが、北国の人にはウインタースポーツを楽しむこともできましょうが、日々に暮らしにはやはりお荷物のような感じもするのです。
 昨日も寒い一日でした。こんな日はコタツに入ってコタツ番をするのが一番と、94歳の親父は「寒い・寒い」を連発しながら、まるで亀のように首をすくめて一日中部屋の中で過ごしています。私も今年の仕事を粗方終えて、差し迫った急ぎの用事は年賀状作成くらいなので、手をつけたいものの、印刷に回した年賀状がまだ届かないので、鷹を食っているところです。

わが家の家庭菜園大根畑
わが家の家庭菜園大根畑

 昨日はそんな気まぐれもあって、寒いながらも思い切って漬物用の大根引きをしました。わが家では毎年大量の大根を作ります。大根はおでんの具材、大根サラダ、漬物、すり大根などにして食べますが、いずれも食事の脇役ながら、結構毎日食べるのです。いつもは捨てる大根の葉っぱも、鉄分が豊富な食材とあって、時には煮物に加えたり、なめしご飯に使ったり、漬物にしたりしながら食卓に上らせてくれますが、最近は大根の葉っぱを2~3枚朝飲む果物ジュースに混ぜると、これがもうグリーン色の飛び切り美味しいジュースになるのです。
 昨年は大根が不作だったので、今年は牛糞を畑にすきこむ等して、丹念に土作りと中耕をした結果、満足の行く程好い大根ができたようです。

水洗いした大根
水洗いした大根

 昨日は妻から頼まれた漬物用の大根を、とりあえず畑の中から18本選んで引き抜きました。昨日のコンニャクイモ掘りで少し腰に張りを感じているので、慎重に引き抜き洗い場まで運びました。水洗いした真っ白な青首大根は6本ずつ束ね、畑の隅の手すりに持って行き、3本ずつ振り分けて天日干ししました。昨日はあいにく時折時雨ましたが、3~4日するとしんなりして漬物用になるのです。後は妻に任せて漬物樽に漬け込み、新年早々から沢庵として食卓に上がるので今から大いに楽しみです。
 大根を干し終わったところで、ついでに7本、少し大きめの大根を引き抜き水洗いをしました。これはシーサイドのじゃこ天の店で働くおばちゃんたちへの、お裾分け用なのです。おばちゃんたちは漁家なので野菜に憧れていて、時折持って行ってあげて喜ばれています。昨日も大層喜んでいただき、お土産に鯛めしとつみれを貰い恐縮してしまいました。

天日干しした大根
天日干しした大根
お裾分けした大根
お裾分けした大根

私は自分の芸名やペンネームに、「大根心」という名前を持っています。故に大根には特別の思い入れがあって、「大根のことなら任せて」と言わんばかりの博学を自認しています。「大根心」の芸名で人間牧場では高座にあがって落伍を演じたり、創作落伍のネタ本「夕日徒然草」は5冊も自著本として出版しているのです。
 まあ今のところ大根役者のそしりを免れませんが、そのうち修行を積んで真打ちになろうと意気込んでいます。昨晩こともあろうか落伍をしている夢を見ました。夕日徒然草の出版を記念した落伍ライブを開催したところ、大勢の人がやって来て、おひねりが乱れ飛ぶ会場で、いい気になって落伍を演じている夢です。ところが152話全てを演じなければならないため冷や汗を出したり、買ってくれたネタ本にサインを求められたりして、大慌てして夢から覚めたのです。パジャマはうなされた汗でびっしょり濡れていて、一緒に寝ている妻が心配するほどでした。これも正夢にして出版記念落伍ライブでも計画しようかと、性懲りもなく考えました。

  「寒いけど 大根引いて 水洗い 天日に干して 漬物用に」

  「大根を 洗っておばちゃん お裾分け まるで私の 大根足ねと」

  「大根が 美味しい季節 なりました 煮物生もの 手当たり次第」

  「芸名に 大根心と つけるほど 好物にして 殆ど毎日」

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〇わが家のガーデニング

 「お父さん、暇ができたら家を周りを花で飾るようにしたいね」とは、妻の長年の口癖です。しかしお互い暇がありそうなこの歳になっても、相変わらずの急がしさで、妻の念願は当分の間叶えられそうにもないようです。それでも妻は忙しい合間を縫って、玄関先に置いたプランターに、冬から春の花と、夏から秋の花をそれなりに植えて楽しんでいるようです。時折その手助けを頼まれると、「忙しい」と私に断わられ、折角植えた草花も親父に「見苦しい」と引き抜かれて、やり場のない憤慨の言葉を何度聞いたことでしょう。まあ夫婦や家族は思い通りにならないこともあり、こんなものだと諦めているに違いないのです。

飾られた玄関先右の葉牡丹
飾られた玄関先右の葉牡丹
玄関左の葉牡丹
玄関左の葉牡丹

 一昨日、伊予市三谷に住む親友の水口マリ子さんから、「もうそろそろおいでんか」と誘いの電話がありました。水口マリ子さんは稲や野菜の苗物を手広く生産販売する農家ですが、ひょんなことから気心知れたお友だちとなり、夏野菜の苗物、冬野菜の苗物を毎年決まったようにお裾分けいただいているのです。お陰様でわが家の家庭菜園は人も羨む、有り余るほどの野菜を植え、私たち家族の健康維持に大いに役立っているのですから、私にとっては「太陽のお母さん」といったところなのです。
 年末になると葉牡丹の寄せ植えが毎年届くのですが、この2~3年は私が頂きに参上するのです。水口マリ子さんには今年も秋の始め頃、大量に黒豆の枝豆をいただき、皆さんにお裾分けして喜んでいただきましたが、この時期になると炊いた黒豆をお裾分けしてもらうのです。

 一昨日いただいた黒豆は、既にわが家の食卓に上って、夫婦2人で味わって食べています。年末にはおせち料理用の黒豆を作ってあげるという約束を取り付け、葉牡丹の寄せ植えを4鉢いただいて帰りました。帰ると早速玄関先のプランターを除けて飾りましたが、葉牡丹はとても豪華で、正月飾りに相応しい彩りを添えています。裏のプランターに植えている妹から貰ったという桜草の苗も、順調に育って早くも花芽が顔を覗かせているようなので、一つ加えて彩を添えました。
 妻が希望する「暇ができたらガーデニングを楽しみたい」は、早くも埋まりつつある来年のカレンダーを見ると無理かも知れませんが、暮らしに彩を添えるガーデニングは、私が若い頃一時盆栽に凝った経験を活かしつつ、早速今年の年末から始めようと思っています。私の理想は「花に囲まれて暮らしたい」ですから・・・・。

  「黒豆と 葉牡丹取りに 来ないかと お誘い受けて 言葉に甘え」

  「いただいた 黒豆美味い おせちにも 予約を入れて いただき帰る」

  「葉牡丹の 寄せ植え貰い 持ち帰り 玄関先に 飾りしみじみ」

  「わが家では 既に玄関 正月が 来たような気分 心浮き浮き」 

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〇手の平に止まったメジロ

 昨日の天気予報では曇りマークでしたが、「所によって雨」が的中したのか午前中、少し強めの雨が降りました。私は余程の暴風雨でない限り、幾ら雨が降っていても長靴に傘の出で立ちで、家にいれば毎日散歩に出かけるのです。私がウォーキングパラダイスと名付けている裏山の坂道は、周囲に杉やヒノキの木立の中なので、風もなく人にも会わず比較的穏やかな雰囲気で歩けるのです。それでもズボンとジャンバーが少し濡れ、ヒートテックの下着のために汗をかいてしまい、着替える羽目になりました。
 朝の散歩で私の携帯に内蔵されている万歩計の歩数は約7千歩でした。少し物足りなさを感じていたので、一仕事を終えた夕方午後4時ころ、雨が上がったのをいいことに再び同じウォーキングパラダイスの道を歩きました。頂上付近の未舗装踏みつけ道を行ったり来たり10回程度して道を下ると、野鳥のメジロが私の直ぐ目の前のシャシャ木に止まりました。私も立ち止まり、手の指を差し出して口笛を吹くと、何とこともあろうか、私の手にメジロが止まりました。驚いたのなんのって、これはもう奇跡に近い出来事でした。

手の中でうずくまるメジロ
手の中でうずくまるメジロ
指先に止まったメジロ
指先に止まったメジロ

 私はそっと両手でメジロを包み込み、メジロの温もりを手の平で感じながら、少し自慢がしたくて自宅まで連れて帰りました。自宅に帰ると丁度息子嫁が孫2人を保育園から連れて帰ったところだったので、孫たちはもう大騒ぎです。早速虫籠を取り出して中へ入れて観察することにしました。最初は驚いてバタバタ羽根を動かしていたメジロも観念したのかおとなしくなって、孫たちの視線を集めていましたが、「野鳥を飼いたい」という孫たちに、「お母さんメジロが迎えに来ているから放してやろう」と納得させ、庭に出て虫籠から放してやりました。最初は庭をヨチヨチ歩きしていましたが、孫たちに追われ、そのうち何処かへ飛び立ったようでした。今朝孫たち2人は起きて着替えると直ぐに、庭に出てメジロを探していたようですが、何処にも見当たらず私の所へやって来てメジロのことを聞き返していました。

 それにしても私の日々の暮らしなど、何の変哲もないように見えますが、予期せぬ面白いことがあるものです。メジロに聞いた訳ではありませんが、察するに私を木に見誤ったのでしょうか、それとも私の口笛を母鳥か仲間の鳥の鳴き声と聞き違えたのでしょうか、無防備にも私の手に止まりました。昔聞いた童話ですが、良寛さんという偉いお坊さんが庭に来た雀と、戯れ遊ぶという話を聞きました。良寛さんという自我を超越した高僧ともなると、動物と話すこともできたのでしょうが、私のように我欲と煩悩の塊のような人間に、メジロが心許すはずはないと思いながら、メジロさえも木の小枝と見間違うほど隙だらけの自分だとネガティブに考えるのか、いやいや私も自然の一部とメジロさえ見紛う自然体になったとポジティブに考えるか、後者だと自分を納得させながら、まあ降って湧いた他愛のない話にニンマリしているところです。

  「飛んで来た メジロが一羽 指先に 止まりバタバタ 小枝と間違う」

  「良寛に なった気分で 話しかけ メジロ一羽を 手に持ち帰る」

  「手を丸め 野鳥温もり 感じつつ 母鳴き声を 辺りに探す」

  「あのメジロ 何処へ行ったと 問う孫に 母ちゃん迎えに 来たと説明」

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人間牧場

〇第2回ジョン万次郎塾が人間牧場で開かれました(その1の②)

 

薪ストーブで暖を取りながらの学習風景
薪ストーブで暖を取りながらの学習風景

 ・開国前後の日本にとって、万次郎の知識は、必要であり中心であったと思われます。そうした中万次郎に関わった人間関係、関連した人物像(敵?、味方?)について教えて下さい。また開国後万次郎は、自由なアメリカへ戻る(?)ことは考えなかったのでしょうか。(永井さん)
 ・河田小龍との出会いが運命的な出会いで、開国へ向けての大きな影響があったにも拘わらず、紀略の原稿を見たことで、絶縁したと言われているが、その真相は?写本ができたことで、広まりますよね。(和田さん)
 ・前回、土佐清水市の記念館を見学した際、気がつかなかったかも知れないですが、日本へ帰国された地元土佐及び土佐清水で活動され後世に残されたものはありますか?。(鎌田さん)
 ・人生に、すごいドラマがあって、日本にも影響大となる人材なのに、坂本龍馬のようには、人に知られてないように思ってるのですが、何故なんでしょう。(青木さん)

 ・捕鯨船ジョン・ホーランド号は捕鯨だけをやっていたんでしょうか?。アヘン、茶、綿、鉱物、人身売買、武器などの貿易に携わった可能性は考えられますか?。(兵頭さん)
 ・土佐清水市に「ウエルカムジョン万次郎の会」という組織があり、ジョン万スピリットのもと「サバーガー」などを開発したりしながら地域おこしに取り組んでいるそうです。その他に、どのような活動を行っているか知っている範囲で教えて下さい。(松本小番頭さん)
 ・伊予から土佐に帰る途中に「おおスザンナ」を歌ったようですが、どこで、誰と、どのように歌ったのか教えて下さい。また河田小龍に「おおスザンナ」を英語で教えたようですが、どのような英語の歌詞だったんでしょうか。(清水塾頭さん)

冒頭スクリーンで紹介された私の質問
冒頭スクリーンで紹介された私の質問

 さて私の質問ですが、私は次のような質問を、質問のまとめ役となった清水塾頭に送りました。
 ・万次郎が漁に出て漂流したのは1841年、私も122年後の1963年(昭和38年)の1月、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸に乗船して、遠洋航海からの帰路途中、伊豆半島沖で大時化に遭い死を覚悟しました。万次郎の人生は漂流によって漁師になる宿命からが運命に変わりました。私もこの航海が宿命を運命に変えるきっかけになったような気がするのです。万次郎の「運命と宿命」についてみんなで議論したいと思います(若松塾長)
 講師の青野さんはまず私の質問に軽く触れながら、ジョン万次郎の「もし〇〇が〇〇でなかったら?」を考えると、宿命と運命は違う道へと進む訳なので、皆さんの質問全てに当てはまるので・・・と前置きして皆さんの質問一つ一つを取り上げながら、丁寧に指導をしていただきました。ブログ画面の都合で解説解答の全てを書くことが出来ないので、解説解答は、参加した人のみぞ知る特権的学びとしたいと思います。
 当日私は、昼食準備と午後の持ちつき準備のため、暇を見ての学習となったことが悔やまれてなりません。これも塾長の仕事だと諦めていますが、私にとっても参加した20人余りの塾生にとっても、次の学習につながる広くて深いいい学習となりました。
 世間を揺るがした衆議院議員選挙で参加できないながら、的確な資料を塾生にメール配信し続けてくれた愛南町の脇田さんと遠路はるばる人間牧場へ訪れ指導いただいた青野さんに厚くお礼を申し上げます。

  「飯炊きつ 立ったままにて 話聞く ジョン万塾の 学び本格」

  「万次郎 自分の人生 ダブらせて 漁師宿命 その後運命」

  「知ることに よりて更なる 疑問湧く これぞ学習 更に深みを」

  「若し宇佐に 行かなかったら 万次郎 アメリカ行けず 名も無き漁師」

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人間牧場

〇第二回ジョン万次郎塾が人間牧場で開かれました(その1の①)

 人間牧場今年最後のイベントが昨日行なわれました。12月に入ってからずっと10度を下回り、特に早朝は霜や初氷も観測される等、厳しい寒さが続いていましたが、昨日ばかりは未明に雨が降ったり南西の風が吹いたため、10度を越える暖かさでした。それでも遠来の来客を温かく迎えいたいと思い、まず人間牧場へ到着すると直ぐに、薪ストーブに今年最初の火入れをしました。薪は様々な体験活動プログラムに取り入れた薪割りによって、たっぷり確保されているので、存分に燃やしすっかり温かくなりました。
 人間牧場へ通じる道は、前々日準備に訪れた時、綺麗に掃き清めていましたが、夜来のかなり強い風雨で、車の通行に支障が出るほど落ち葉や小枝が散乱していました。準備の合間を縫って熊手でそれらを、まるでお寺の境内参道を掃除する小僧さんのように、綺麗に掃き清めて掃除しました。これも修行の一つと位置づけているので、大汗をかきながら一人黙々とやりました。

講師のジョン万次郎研究者青野博さん
講師のジョン万次郎研究者青野博さん

 やがて田処の亀本さんと西田さんが一足先に到着し、餅をつく準備やかまどの火入れをしていると、集合時間の10時が近づき、一人二人と参加する塾生が集まって来ました。講師の青野博さんも高知県四万十市の和田さんに連れられて到着しました。
 総勢20人余りの参加者は、水平線の家の板間に座布団を敷いて座り、10時きっかりに年輪塾の学習は始まりました。今回は2回目なので事前に講師への質問を、ネットで募集し講師に送っていたので、かなり密度の濃い学習となったようです。質問の幾つかを紹介しておきます。
 ・様々な事柄にも負けずに日本に帰ろう。深く思い続けた心の要因はどのように育まれたのでしょうか?。(浜田さん)
 ・万次郎が軽い脳溢血かかった後のことが殆ど記録に残っていないが、27年間彼は何をしていたのか?、何を思っていたのか?などを教えていただきたい。(真鍋さん)
 ・隠居(と言っていいのでしょうか?)した後、ぷっつりと記録がなくなっているため、どういった生き方をし、周囲の人々にどういう影響を与えたのかをお聞きしたい。(徳永さん)

 

P1000838P1000837 ・万次郎が帰国後も、アメリカ流から日本流に切り替えることができなかったのは、何故ですか?。(近藤さん)
 ・最近の対韓、対中、対露に対する外交のまずさが大変情けないです。外交はしたたかさと誠実さの微妙なバランス感覚が必要と思います。そこで、万次郎さんだったら対韓、対中、対露にどんな対処をされると予想されますか。あくまでも仮定ですがお教え下さい。(亀本さん)
 ・万次郎が鳥島に到着し、捕鯨船に救助されるまでの4ヶ月間を、仲間5人とともに助け合いながら過ごしたとあるが、水や食料のない無人島で生きることは大変なことであったと思います。普通であれば、仲間同士のいさかいや食料の奪い合いが起きるはずです。これが無かったのならば、余程優れたリーダーがいたか若しくは案外水・食料に恵まれていたのかも・・・・と思われますがその真相や如何?(井上さん)
 ・「多くの理解者に支えられながらも、当時の厳しい身分差別の中で、苦悩することも多く、そのことが、晩年に表舞台から遠のいた理由の一つではないかと察せられますが・・・」その辺りについて、よろしくお願いします。(水本さん)

  「前々日 掃き清めたる 山道も 一夜の風雨 落ち葉積りて」

  「遠き人 何故か早くて 近き人 何故に遅いか 未だ分からぬ」

  「質問の 一つ一つを 丁寧に パソコン打って スクリーン映す」

  「それぞれが 事前質問 届けたる お陰で学び 深まりゆきて」

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人間牧場

〇今年の私の十大ニュース(その⑧・その⑨)

 ⑦8月23日、私は愛媛海区漁業調整委員会の委員に再任されました。4年前委員として愛媛県知事から初めて辞令をいただいた時、正直言って「えっ、何で私が?」と思いました。しかしよくよく考えてみると私と漁業との関係は意外と深いのです。私は漁家の長男として下灘という漁村に生まれました。将来は親父の後を継いで漁師になるものと思っていました。故に愛媛県立宇和島水産高校漁業科に進学し、米原潜と衝突し沈没して世間が騒いだ実習船愛媛丸に乗船して、珊瑚海まで遠洋航海にも行きました。専攻科への進学を控えた矢先、親父がガンで倒れ、私は傷心の思いでふるさとへ帰り、7年間漁師をしたのです。

 漁師をしながら青年団活動にのめり込み、無理がたたって体調を崩し入院中、当時の町長から「役場に入らないか」と誘われ、病気がもとで公務員となったのです。役場に入ってからも漁村の暮らしをよくしていくための活動に明け暮れ、公民館活動や産業課で様々なユニークな活動を展開し、企画調整室や地域振興課ではまちづくりを積極的に行い、特にウォーターフロントといわれるシーサイド公園や、下灘漁港周辺を整備し、海の町双海町の知名度アップに一役買いました。そう振り返れば、海との関係は生まれた時から深いご縁があったようです。今回は再任なので、4年間の見習い期間が終わり、いよいよ少し積極的に漁業の振興発展に一役力を出さねばと思っているところです。

 ⑧9月21日、今年の蜂蜜を収穫しました。5年前趣味で始めた蜜蜂を飼い蜂蜜を採集する活動は、蜂に刺されたり、折角集まった蜜蜂に逃げられたり、紆余曲折もありましたが、1年目1升、2年目2升、3年目3升、4年目4升、5年目5升の目標どおり、1年目1升5合、2年目2升5合、3年目4升、4年目5升5合と着実に実績を上げ、今年は何と目標の倍の9升7号の大収穫でした。長男息子が「お父さん蜜蜂を飼おう」という、何げない一言から養蜂は始まりましたが、師匠と慕う井上登さんの指導もあって、凄い成果でした。凝り性の息子は糖度の純度を上げて小瓶に詰め、オリジナルなラベルまで作って、製品ならぬ商品を作っています。売る気はなく自家消費やお裾分けをして楽しんでいますが、一番喜んでいるのはふんだんに毎日はち密が食べれる妻のようです。冬に向かうこの時期ですが、今のところ種蜂も4箱残っていて、来年が楽しみです。一昨日大風で吹き飛んだ人間牧場の巣箱も、今日は落ち着きを取り戻して、巣箱に出入りしているようで、少し安心しているところです。

  「退職し 値打ちなきかと 思いきや 委員再任 ありがたきかな」

  「えっ何で? 最初はそうも 思ったが 海と俺とは 意外と深い」

  「よき師匠 出会ったお陰 順調に 養蜂活動 成果を上げて」

  「来年も 蜂が集めた 蜂蜜を 横取りすべく 画策練って」  

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人間牧場

〇明日の準備と大掃除

 昨日は明日に迫った年輪塾の準備で、何かと忙しい一日を過ごしました。普通であれば年輪塾の準備は小番頭の松本さんや塾頭の清水さん、それに担当の脇田さんたちがやってくれるのですが、12月16日に衆議院選挙が入ってしまい、前日の選挙準備もあって、忙しそうにしているので、今回は私も働かなければなるまいと自責の念にかられていたのです。年輪塾そのものは講師の手配や資料作り、質問事項など全て事務方にお任せしていますが、当日は昼ご飯と年輪塾が終ると恒例の餅つきをするため、その準備が大変なのです。ご飯や味噌汁の米や具材準備は妻に下請けさせているし、もち米も西岡さんからいただいたり、田処の亀本さんが準備をしてくれるのですが、西岡さんからいただいたもち米を洗ってかすのは妻に頼み、私はセイロや蒸し器、ザル等を水洗いして乾燥させたりしなければならないのです。

ひっくり返り修復した種蜂の巣箱
ツリーハウス下の種蜂はかろうじて残っていました

調理に使う水は専用のポリ容器3つに水道水を満タンに入れ、軽四トラックに積み込みました。これが意外と重くて腰にくるので、腰を痛めないようにそろりそろり荷台に乗せて、動かないようロープで固定しました。ギノー味噌さんからいただいている100gの味噌と、ドレッシングも皆さんに配布予定なので忘れないように積み込み、シートを被せて午後1時にわが家を出発しました。
 昨日は久しぶりの好天に恵まれましたが、人間牧場界隈はこの10日ほど、波状攻撃的に吹き荒れた季節風で、あちらこちらに落ち葉の吹き溜まりができて、まず周辺の掃除から始めました。本当は落ち葉を焼却処分したかったんですが、空気が乾燥しているので火事にでもなったら大変と諦めました。

昨日の人間牧場からの眺望は見事でした

 

崖っぷちにひっそりと咲く野菊も見事でした

 ふと気がつくと、ブルーベリー畑の蜜蜂の巣箱がなくなっていました。今度の大風で巣箱の上に乗せた重石毎下の道に吹き飛んで転げ、無残にも蜂の巣が周辺に飛び散っていました。この巣箱は数少ない種蜂用なので心が痛みましたが、早速重箱型の巣箱を拾い集めて修復しましたが、まだ吹き飛んで間がないようで、巣箱の中には種蜂が残っていました。何とか種蜂だけでも残って欲しいと願っています。
 部屋の掃除をしたり、トラックの荷物から荷物を降ろして所定の場所へ置き、やっと一段落したのは4時を過ぎていました。冬の山里の夕暮れはあっという間です。急いで後片付けや戸締りをして人間牧場を後にしました。これで明日の準備は粗方整いました。明日は研いだ米をかまど小屋で炊いたり、具材を入れて味噌汁を私が作らなければなりません。またもち米を蒸したり臼と杵でついたりしますが、手臼は私の役目です。毎年腰に来る厄介な仕事ですが、腰を痛めないよう頑張りたいと思っています。どうやら天気は下り坂で雨のようですが、天に向かってブツブツ言わず、雨の日には雨の日の仕事があると肝に銘じ、頑張りたいと思っています。

  「種蜂の 巣箱強風 転がされ 無残な姿 心痛んで」

  「飯炊きや 持ちつき準備 一苦労 これも私の 修行の一つ」

  「あれこれと 妻に頼んで 準備する 文句も言わず 私の言いなり」

  「飯を炊き 味噌汁作り 餅をつく 明日は忙し 腰痛めぬよう」

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人間牧場

〇大洲市上須戒公民館夜の講演会

 昨日は夜7時から大洲市上須戒公民館で開かれた成人学級へ招かれ出かけました。一年中で夜の最も長い冬至を一週間後に控えたこの頃は、日没が午後5時頃で、わが家を出た五時半にはすっかり夜の帳が降りて、時折時雨れるように降る小雨のためか、道沿いの街灯や民家の明かりもぼんやりかすんで見えました。
 海岸国道から長浜で別れを告げ、八多喜までは肱川に沿って走り、八多喜の駅から右折して、山道に入りましたが、何度か来た道ながら夜のことゆえ間違っては大変と、カーナビを頼りに走りました。二車線が一車線になったりする曲がりくねった道を10分余り走ると、上須戒の家並みが見え、家々を飾るクリスマスのイルミネーションが闇夜に映え、目的地である公民館に到着です。

上須戒公民館の座布団講演会

 事務室に入ると公民館主事さんが、そのうち公民館長さんが私の自著本「昇る夕日でまちづくり」を持ってやって来て、雑談をしながら時間の来るのを待ちました。時間になったので2階の会議室へ案内されましたが、20人ほどの小さな集会と聞いていたものの、この寒空ながら30人近くの人が集まっていました。
 講演が始まる前に参加者とのやり取りがあり、ある女性が「若松さん、あなたがここへ来るのは今回で3回目ですよ」と言われました。「私は2回だと思っていましたが、ところで前2回はどんな話をしたか覚えていますか?」と聞くと、「木のカバンを持って来たことだけしか覚えていませ」と言うのです。「だから私がここへ来る意味があるのです」と、まるで漫談のようなやり取りで、講演が始まる前に会場の雰囲気は最高潮でした。

 冒頭の公民館長さんのあいさつも、私の本を引用されて少し長めでしたし、講演と質疑を含めた持ち時間90分が終って、私にいただいた運営審議会委員長さんの謝辞も、さすが文化的レベルの高いところだと納得させられました。最後はハーモニカ演奏のリクエストまであり、いい雰囲気で締めくくりました。
 講演が終わってから事務所で館長さんと梨の栽培について興味深い話を聞きました。館長さんは観光梨園を経営しているそうですが、新高梨も作っていて、試行錯誤をくり返した結果、年末の贈答用として新高梨を出荷する工夫を編み出したそうです。「少し未完熟な梨を収穫し、低温貯蔵庫に入れて追熟させる方法に辿り着くまでは、折角作った梨を腐らす等、試行錯誤の連続でした」と、瞳を輝かせながら話していましたが、昨日の話には上勝の葉っぱの話や、馬路村のユズ、内子の野菜なの話もしていたので、いい絡み合いだったようです。

 昨日は若い人も何人か見えていて、質問タイムもいつになく活発でした。私の話くらいで地域が元気になるとは思っていませんが、「一度人間牧場を訪ねたい」という若者の言葉に、確かな手応えを感じました。私も人に会い、人に感化を受けて今日まで育ってきたのですから、これからもその橋渡しをして恩を返さなければなりません。「人は人によりて人となる」はけだし名言だと思いながら、元来た道をほのぼのとした気持ちで引き返し、自宅へと急ぎました。謝辞の中で「朝日は希望、夕日は感謝」かもと話された言葉を反芻しながら・・・・・。

  「今回が 三度目ですと 言う婦人 木になるカバン だけを覚えて」

  「前聞いた 話覚えて いないから 私の出番 何度でもある」

  「梨作り 試行錯誤を くり返し やっと日の目を 見たと胸張る」

  「ハーモニカ リクエストあり 朗々と 室内流れ 口ずさみつつ」

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人間牧場

〇私の今年の10大ニュース(その①・②)

 私のスケジュール帳には、人には分からない様々な予定が書き込まれています。それらの予定も殆どが過去となり、思い出の彼方に消えようとしていますが、ナンバーを打っている講演やシンポジウムなど、講師を務めた今年の集会も、あと少しで幕を引きそうです。私のスケジュール帳は妻にとっても、食事や電話での対外問い合わせ等への対応に必要なため、時々勝手に閲覧されていますが、別に秘密にすることもないし、スケジュール帳に書き込まれた結構多い女性の名前を見ても、不審に思ったりときめいたりもしないようです。

 毎日のように届いていた喪中ハガキも少なくなり、昨日はそろそろ自分の年賀状の準備をしなければなるまいと、自分の今年のスケジュール帳をめくってみました。私の年賀状は毎年、「私の十大ニュース」と称して、今年一年間にあった様々な出来事の中から10項目を選び、それを羅列して書き出し印刷するのです。居ながらにして私の活動履歴書と年賀状がセットになるよう仕組んでいるのですが、今年も加わる10項目を日付の早い順に選んでみました。
 ①1月10日と2月5日の両日、雪の降り積もる世界遺産岐阜県白川郷へ相次いで行きました。1月10日は白川村の村長さんと西予市で開かれた過疎シンポで出会い、私の話を聞いた村長さんからラブコールをいただき、講演に出かけました。またその3週間後には私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループの世界遺産を巡る旅で、奇しくも同じ場所へ観光旅行に出かけました。合掌造り民宿に泊まったりライトアップされた集落を見た思い出は忘れることができません。

 ②3月3日、佐呂間漁協の招きで、今年一番北の町北海道へ出かけました。船木耕二さんや井田貴子さんなど旧友にも逢えたし、網走では流氷の上にも乗ったし、完全結氷した佐呂間湖には度肝を抜かれました。今年の冬はやけに寒いと感じますが、それでも私たちの住む四国・愛媛県・伊予市・双海町ではまだ日中の気温は10度前後です。北海道の宿舎で経験した氷点下15度の世界は、まるで冷凍庫の中に入っているようでした。そういえばこの旅の途中、カバンの中に忍ばせて持参した二本のハーモニカと、二宮金次郎の銅像が女満別空港の手荷物検査で引っかかり、思わぬ騒動になったことも忘れられない思い出です。

 ①と②の旅は厳寒の雪や氷に閉ざされた厳しい冬でした。春・夏・秋を越え、一年ぶりに再び巡ってきた冬の寒さの中で、訪ねた町や出会った人たちは、どんな風情や暮らしをしているのだろうと思いを馳せています。それにしても私は寒いといっても、それ程の寒さでもない所に住める幸せを実感しています。真冬ながら間もなく水仙や菜の花が咲く温かさは、寒さが苦手な私にとって、これはもう何よりも嬉しいことなのです。先日佐呂間町の井田貴子さんからカキとホタテ、鵡川町の菅原春巳さんからシシャモが届きました。また北見市の北川恵子さんからハーブ茶も沢山届き、お裾分けをして美味しくいただきました。

  「もうそんな 時期になったか 大慌て 年賀状書く 準備おさおさ」

  「私にも ささやかながら ニュースあり スケジュール帳 めくり思い出」

  「寒かった 雪と氷に 閉ざされた 北国思い 思わずブルブル」

  「もう一度 行って見たいと 思い出す 今度は妻と 二人仲良く」

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