人間牧場

〇あれから4年が経ちました(その1)

 今から4年前の平成20年11月14日と15日の両日、愛媛県において第26回地域づくり団体全公研修交流会が開催されました。色々な大会に関わり携わってきた私の長い人生において、この大会は実行委員長という重責を担っていたこともあって、忘れられない大会でした。手元にしまっている参加者募集の案内パンフレット、当日の大会資料、そして100ページに及ぶ報告書の3冊の印刷物を見る度に、過ぎ去った懐かしい日々が思い出されるのです。その中でも報告書の冒頭に総括のような形で私の書いたあいさつ文が掲載されていて、懐かしさ一入です。

当時私が奉公句所の冒頭に書いたあいさつ文

 茨城から愛媛へ、愛媛から佐賀へ、佐賀から青森へ、青森から熊本へ、熊本から鳥取へと大会のバトンはタッチされる予定でしたが、熊本が東日本大震災の被災を理由に中止したため、バトンを受けるはずの鳥取は大いに翻弄され、大いに混乱したようでしたが、空中分解しそうになりながらも岡崎会長さんや私を招いて昨年プレシンポをやり、何とか踏みとどまって鳥取大会の開催に漕ぎつけたのです。そんな義理もあって、長年の親友福田京子さんが実行委員長ということもあって、愛媛県から17人の参加者が瀬戸内海を渡り、中国山地を超えて参加しました。私は松本さんと浜田さんの3人で出かけました。

 28日の昼前に出発した私たちは、途中で昼食を取ったり、国宝の投入れ堂を見学したりしながら、初秋の鳥取路を楽しみ、前夜祭が予定されている鳥取駅前のホテルへ5時過ぎに到着しました。このホテルは1年前にプレシンポのあった場所なので、勝手知ったる雰囲気で意気揚々と乗り込みました。私も長い間地域づくりに関わってきているので、知人や友人、顔見知りの人たちも多く、行く先々で立ち話の輪が広がりました。
 いきなり知人が、「若松さん、電光掲示板は?」とのリクエストを受け、カバンの中に忍ばせていた電光掲示板を取り出して胸につけたところ、たちまち人気急上昇で、すっかり話題をさらいました。そういえば電光掲示板を使い始めたのは、愛媛大会からだったのです。

 

ずらり並んだ料理

 

前夜祭会場で美女に囲まれた私

 午後6時前夜祭は始まりました。メインステージの脇には鳥取県の海の幸や山の幸が沢山並び、私たちが直ぐ横のテーブルに陣取っていたこともあって、地域活性化センターの理事長さんや、鳥取県の要人も沢山ご挨拶に見えられ、また電光掲示板につられて名刺交換の人が列をなし、一箱用意した名刺は殆んどなくなってしまいました。酒を飲まない私は間隙を縫って大いにおご馳走をいただきました。郷土芸能やあいさつなどであっという間に2時間交流会は終わり、私たち愛媛県の一行は車で15分ほどの所にある羽合温泉羽衣というホテルへ入りました。

  「4年前 書いたあいさつ 読み返す 懐かしき日々 昨日のように」

  「一箱の 名刺なくなる 人気ぶり 電光掲示を 胸点け歩く」

  「何処行くの? ハワイ(羽合)旅行と 笑わせる 鳥取県に ハワイあるとは」

  「知り人が こんなに多い 驚きぬ 人生楽し ワハハのワハハ」

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人間牧場

〇蜂蜜採集やっと終る(その3)

 ミツバチの巣箱から蜂蜜の詰まった巣板を取り出して、大きなポリ容器の樽に回収するのに1日、巣板を細かくちぎってポリ容器で作った採蜜器に入れて、家庭用サウナに入れたり出したりしながら、蜂蜜を採集するのに2日間、合計3日間を費やした蜂蜜採集作業が昨日の夕方やっと終りました。サウナの中で流下した蜂蜜は、近所の酒屋さんからいただいてレッテルを剥がし内外を綺麗に洗い、水気を切った一升瓶に細かい管のようなビニールホースでジョウゴとこしきを通して流し込み、一杯になると取り出すのですが、その度に一升瓶の数が増えて行くのが何ともワクワクするもので、結果的には豊作というのか大漁や大量というのでしょうか、9本を越えました。息子が今回の採蜜のためホームセンターから買って来た遠心分離型の水切り器は、結局息子の仕事が忙しかったようで、実験程度にしか使えませんでしたが、来年はやはり遠心分離機を買いたいものだと、新たな意欲に胸が膨らんでいるのです。

採集した9升の蜂蜜

 昨日と一昨日、蜂蜜採集のあれやこれやを、私のブログで(その1)、(その2)として記事を書いてアップしたのを読んで、早速巣板の採集の指導や協力をしてもらった井上登さんから、スムシ対策についてメールが入り、また高知県馬路村の山岡さんが作った巣箱を、仲介していただいた馬路村の木下さんから携帯メールが入るなど、内野席からも反響をいただきました。井上登さんはこれまでの養蜂飼育でも、一日の採蜜では経験したことのない量だったそうで、勿論私もこの3日間は興奮の連続だったように思うのです。
 目標としていた5年目で5升という夢は、私が日ごろ口癖のように言っている「夢はドリームではなくターゲットである」を実践した形で、目標の数字を大幅に超える成果に満足していますが、それもこれも井上さんの指導協力と、何といってもミツバチたちの地道な働きの賜物であり、井上さんとミツバチさんに厚く御礼をいいたいと思っています。

 この採集した蜂蜜は、これから息子の手によって水分を飛ばしたりろ過をして不純物を取り除き、小さな瓶に詰めてレッテルを貼り、「人間牧場のはちみつ」として加工し、大いに活用したいと思っています。今年は天候の状態や蜜源となる花が多かったのか、原因は定かではありませんが、スムシの被害にも余り会わず、採蜜時に蜂に刺されることもなく(実は向うスネをちょっと刺されましたが、大事には至りませんでした)終了することが出来ました。傍で一部始終を見ていた妻の関心事は、蜂蜜の多さではなく実は蜂に刺されると、抵抗力が弱るという話を聞いているので、そのことが心配の種のようです。
 今年は採集した次期が良かったのか、ミツバチがおとなしくて犠牲にしたミツバチも少なく、巣板を取り出して空になった巣箱に、無事収まっているようなので、冬の寒さがやって来るまでに、このまま順調に冬越しの準備をして種蜂となっ、て来年につなげて欲しいと願っています。

  「五年目に 五升を目指し 始めたが 九升超えた 成果満足」

  「コツコツと 働き蜂が 蓄えた 蜂蜜横取り 心が痛む」

  「尊徳の 教えそのまま 逆らわず 逆らい生きる これも人生」

  「一升瓶 並べてみれば 凄いなあ しみじみ感心 親子三人」

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人間牧場

〇蜂蜜採集作業順調(その2)

 蜂蜜採集の作業を毎年指導しながら手伝ってくれている西予市野村町の井上登さんから、「ミツバチの巣板はほおっておくと、スムシが大量に発生するので冷蔵庫へ入れた方はいい」と、今朝忠告のメールが届いていました。蜂蜜採集作業中もそんな話を聞いたような気がするので、さてどうしたものかと思案しています。この近くで私の顔の利く大型冷蔵庫のある場所はどこだろうと考えましたが、思い当たるのは漁協の冷蔵庫くらいです。昨日の夕方にも時間を割いてわが家の脱衣場に置いてある家庭用サウナで、巣板を小さく切ってステンレス製のザルに入れ、高知県馬路村の木下さんに教わった、ぼかし作り用のプラスチックバケツに入れ、ナイロンパイプで流下させて、一升瓶に垂らすという方法で強制採集を試みていますが、今日の朝からやれば今日中に採集作業が粗方終るかも知れないので、冷蔵庫保存はやらなくてもいいのかも知れませんが、それには今日の夜の集会や明日から鳥取へ遠出する計画なので、急がねばなりません。

ポリ容器に入れられた蜂蜜巣板

 蜂蜜採集作業は手間のかかる作業で、これほど手間がかかるとは思ってもいませんでした。5年前には蜂蜜採集作業は8月中に行なっていたので、炎天下でプラスチックバケツに黒いゴミ袋をスッポリ被せ、太陽の熱で蜂蜜が巣板から自然に垂れるのを待ちました。しかしこの方法だと巣板についている生きたミツバチに加え、付近から飛んでくるミツバチが沢山群がり、時には手先をミツバチに刺されたりする、ハプニングにも見舞われたのです。
 3年前に息子の提案で家庭用サウナを使ってからは、温度をかけるため巣板に溜まっている蜂蜜が面白いように流下して、一升瓶の中にジョウゴとステンレス製の網目を通して蜂蜜が溜まるのです。

家庭用サウナ内で流下する蜂蜜採集風景

 今年は指導や手助けに来られた井上さんも驚くほどの収穫がありました。人間牧場で採集したポリ容器一つで4升5合もの採蜜したので、昨日から始めた家の裏山で採集したポリ容器分も多少見劣りがするものの、低く見積もっても4升近くはあるものと思われるのです。
 蜂蜜を採集したり保存するのには、一升瓶が一番のようで、私はこの日のために近くの木村酒屋さんに出かけて一週間前、一升瓶を7本いただいて帰りました。水に漬けてレッテルを丁寧に剥がし、レッテルの糊をワイヤタワシで綺麗に取りました。そして中に残ったアルコール分を水洗いし、逆さまにして水分を抜き天日に干して水分を完全に抜くのです。

 妻が「7本もどうするの?」と不思議がっていましたが、これも5年間培った経験で、巣箱の入り具合を見れば7升の収穫があるだろうという直感なのでした。この直感はズバリ的中しました。多分もう1本か2本を今朝にでも用意せねば対応できないと嬉しい悲鳴を上げています。採蜜した蜂蜜は一升瓶に入れられて台所の食卓の上にこれ見よがしに並べて、余熱を取っていますが、次第に増えていく一升瓶の数を見ながらほくそ笑んで一人余韻を楽しんでいるのです。
 今朝も夜が明けると早速朝のうちに採蜜作業に取り掛かり、今日で粗方の作業を終りたいと思っています。

  「家庭用 サウナ使って 蜂蜜を 一升瓶に 垂らす荒業」

  「ミツバチが せっせと貯めた 蜂蜜を 私横取り 心傷むが」

  「台所 食卓上に 増えて行く 一升瓶を 眺め満足」

  「今年の 目標五升 有に超え 八升超える 蜂蜜嬉し」

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人間牧場

○今年も蜂蜜採集始まる(その1)

 裏山にミョウガが出て、柿の木の根元に真っ赤な彼岸花が咲く頃になると、ナツメの木に登りナツメをとって食べたことや、脚長バチに追いかけられて刺された少年の頃のことが、つい昨日のことのように毎年懐かしく思い出されるのです。と同時に裏山4箱、人間牧場4箱に入った日本ミツバチのことを思い、そろそろ蜂蜜採集の時期だと思うのです。10日程前ミツバチの師匠である西予市野村町の井上登さんから、「そろそろどうだ。蜂蜜採集の日が決まれば手伝いに行くから」と有り難い一報がメールで入っていたものの、私のスケジュールが立て込んでいたり、健康診断結果のちょっとした騒動で、まったく予想がつかず、すっかり連絡が遅れていました。気になりながら様子を伺っていましたが、思い切って井上さんとメールで連絡を取りあえず決行することにしました。

人間牧場ウッドデッキでの採蜜作業

 私が井上さんの指導や馬路村の木下さんの世話でいただいた、巣箱を使って養蜂といえるかどうか分からない養蜂を始めてから、早いもので今年で5年目を迎えました。その間ミツバチの入居に一喜一憂したり、ミツバチに何度も刺されたりしながら、今日を迎えているのです。最初は巣箱3つから始めた養蜂も、今では8箱とその数を増やし、1年目1升、2年目2升・・・・、5年目5升を目標に掲げてその目標どおりの成果を上げて、4年目の昨年は5升5合の蜂蜜を収穫することが出来たのです。これも偏に「ミツバチ飼育は愛情一番」と教えてくれた、井上師匠のお陰だと感謝しながら今年も最初の目標どおり5年目5升を目論んでいるのです。井上さんは約束どおり10時に人間牧場へ軽四トラックに採密の七つ道具を積んでやって来ました。今年は人間牧場の近所に住んでいる西嶋さんも、向学のつもりでギャラリー参加をしてくれました。

蜂蜜が詰まっている巣箱の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年は空がどんより曇っていたこともあって、蜂の様子が比較的落ち着いていたので、巣箱をウッドデッキまで運び、別の箱を重ねることもせずに、いきなりプラスのドライバーで天板を止めているネジを慎重に外し、井上さんが細いワイヤーで天板と巣を切り離しました。巣箱を逆さま斜めにして、細長い専用のノミで切り取り、8段ある巣を次々と取り出して、太いポリ容器に毛刷毛でミツバチをそっと追い払いながら入れて行きました。最初の2箱は持ち上げると手に重さが伝わるほど重量感があり、期待通り蜂蜜が溜まっていましたが、期待していた重箱型の巣箱もお墓の上の巣箱も、殆んど採集できませんでした。それでもポリ容器に満杯で、4升はあるかもと淡い期待を持ちました。

 潮路という国道沿いのレストランで軽い昼食を食べ、わが家まで戻り裏山の三つの箱を、同じような方法で採集しましたが、ここでもポリ容器に満杯の収穫がありました。ここでも同じような方法で、今年はミツバチの犠牲を最小限度に抑えることができました。今年こそは刺されまいと思っていましたが、終りかけた頃右足の脛に軽い痛みが走り一刺し刺されたものの、妻の作ったジュウヤク焼酎を塗ったお陰で腫れることもなく大事に至りませんでした。
 明くる日から簡単なポリ容器の水切り道具で、蜂蜜を採取しようとする長男息子と、家庭用サウナに持ち込んで強制的に蜂蜜を採集する私の協働作業が始まりましたが、息子も私もスケジュールが中々合わず、少し絞っただけでその殆んどをまだ未処理のままなのです。楽しみがあると思えばいいのでしょうが、息子は早速インターネットで小瓶を注文し、既に瓶詰に心は行っているようです。

  「目標は 五年目五升 掲げたが 相手が蜂ゆえ そちら任せで」

  「今年も 師匠手助け やって来て 段取り作業 ぬかることなく」

  「可哀想 折角集めた 蜂蜜を 人間様が 横取りするとは」

  「お師匠に 親子二人が 加わって 採蜜作業 今年も楽しく」

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人間牧場

○愛媛大学農学部集中講義始まる

 第1講義  8時30分~10時00分(90分)
 第2講義 10時30分~12時00分(90分)
 第3講義 12時50分~14時20分(90分)
 第4講義 14時40分~16時10分(90分)
 これが愛媛大学農学部での集中講義の日程です。しかも午前・午後一日4回の講義が9月24日と25日の2日間続くのですから、これはもう余程体力と能力がないとできないのです。能力はさて置いて体力には自信があるので、今年も昨年に引き続いての講義となりました。受講者は学部生2~3回生21人が対象なのですが、その中の4人は、愛南町にある水産学科の教室と農学部43演習室をテレビで結んでの受講という、今まで経験したことのない授業形態でした。

 朝のラッシュにかからないよう、妻に作ってもらった愛妻弁当と水筒を積み込み午前7時に自宅を出て、松山市樽味の農学部キャンバスに向かいました。何年か前客員教授に就任した折、研究室までいただいて、2年間通った大学なので、そこそこ飲み込めているつもりだし、当時の集中講義は1日4コマを4日間こなす荒業でしたが、さすがに今はそこまでの体力はないのです。
 今回の学生は昨年私の「地域活性化論Ⅰ」を受講していて、今回のテーマは「地域活性化論Ⅱ」の講義です。今月に入って暇を見つけて作成した45枚に上るレジメは、前もって担当の笠松先生の元へ送付していて、昨日は人数分だけ印刷されて会場に持ち込まれていました。

 今回の授業組み立ては、「地域活性化に必要なもの」というサブタイトルをつけ次の8本8コマの柱立てを考えました。
 A、人づくり
 B、ものづくり
 C、ハードづくり
 D、情報・話題づくり
 E、ビジネスづくり
 F、地域づくり
 G、自己実現づくり
 H、夢づくり

教壇の前に置かれた魚眼レンズのカメラ

 

私の講義の様子と愛南教室の様子がテレビで同時中継されました

 昨日は導入部分の講義に少し時間をかけ過ぎて、A~Cまでの話で終ってしまいましたが、学生たちは皆さん夏休みにも関わらず元気で、熱心に受講してくれました。少しの時間を割いて議論もしましたが、愛南教室の学生とのテレビ画面と音声を使った議論も、それなりにかみ合って、まあ第一日目の講義は自己満足度80点といったところでした。講義が終って自宅へ帰ったのは午後5時半ころでしたが、狭いといいながら広い教室で、マイクも使わない自声でのレクチャーはかなり喉に負担がかかって、少し嗄れているようでしたが、今朝は元に復元しているようなので、今日も元気に出かけようと思っています。

  「一日に 六時間もの 講義する 声少し嗄れ だけど元気に」

  「さあ今日も 昨日と同じ 六時間 学生相手 パワーを貰う」

  「大学の 教壇立って 俺如き 人間何を 話せばいいか」

  「ああ今日も 恥の上塗り しに出かけ 持てる力で アプローチする」

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人間牧場

○地元小学校の運動会に出かけました

 愛媛県内の各地では、秋の訪れとともに運動会が行なわれています。昔から遠足や運動会といった屋外の催し物には、何故か雨がつきもので、主催者や主役となる子どもたちを一喜一憂させるのです。昔は天気予報の精度が、今ほど正確的でなかったので、運動会の前の日になると日和見の確かな、漁師さんに聞きに行ったりしていましたが、今は雨雲の動きまで瞬時に携帯電話の画面で見えるので、昨日のように前夜かなりの量の雨が降っても、少し時間を遅らせて開催することが可能なのです。

由並小学校の運動会

 昨日は私が学校評議員をしている由並小学校から運動会の案内があり、午前中単車で出かけました。子どもの数が減ったといいながら由並小学校はまだ100人近くいて、子どもも先生もはつらつとして、どこか活力のようなものを感じました。周りのテントの中も家族が沢山見学にやって来ていて、今では滅多に会わない顔馴染みの人と、挨拶や立ち話をしたりしながら、テントの下の末席で出されたお茶をいただきながら見学させてもらいました。出演している子どもたちの中には、子ども体験塾に作家をしている顔馴染みもいて、手を振ったり声をかけたりしてくれました。

 少しずつ天気も上向きに回復し、初秋の青空に万国旗がはためく姿は、これぞ日本の運動会といったところです。運動会で思い出すのはテントの下の筵の上に座って、昼休みに食べた弁当の味でした。母ちゃんが朝早く起きて作ってくれた手作りの弁当の味は、今でも淡い思い出として残っているのです。最近はこの弁当事情にも異変が起こっていて、弁当を作る親が少なくなって、コンビニ弁当で済ませる親が増えているという話を聞きました。今は弁当も安く手に入る時代だし、子どもも大好きなファーストフードのようなものが入っている、バラエティーに富んだ弁当の方がリクエストが多いと聞きましたが、親の手抜きもいいとこです。

 ちょっと気になるのは校門の外に用意された喫煙場所でたむろしてタバコを吸う、お母さんの数の多さです。女性がタバコを吸ってはいけないという法律はどこにもありませんが、少し厚化粧した母親がネイルした指にタバコを絡ませて吸う姿から、母親の強さや優しさのようなものは感じませんでした。校門の外で見た母親の姿が家庭内にもあるのでしょうから、毎日接する子どもたちは大きくなって、母親のどんなイメージを思い出すのか、他人事ながら少し心配しましたが、これも現代の時の流れでしょうか。

翠小学校の運動会

 少しだけ見学して今度は翠小学校へ出かけました。翠小学校とは縁もゆかりもないのですが、毎年運動会の案内状を送ってくれていて、特に子どもたちの書いた心温まる案内メッセージが心を動かせました。翠小学校は20人にも満たない小さな学校ですが、地区民総出で準備した入場門とトラックの緑が、翠を連想してくれるのです。入場門もトラックラインも山から採集してきた杉の葉っぱが使われているのです。これがまた現役の木造校舎としては愛媛県で一番古い校舎とよく似合うのです。木造校舎と万国旗が醸す雰囲気は、恐らく愛媛県の中でも飛び切り上等な会場設営だと、他人事ながら胸を張るのです。

 行くと来賓の宝探しの演技が始まっていて、参加するよう勧められましたが、固辞してむしろデジカメで雰囲気を撮らせてもらいました。子どもの数は少ないものの先生も子どもも、父兄や地域住民も一体となった運動会で心が温まりましたが、赴任2年目の校長先生も学校の雰囲気にすっかり溶け込んで、頼もしく感じました。いじめが急増し学校のあり方や教育のあり方が社会問題として、クローズアップされていますが、大きいことはいいことだと肥大化路線をとり続け、学校を統廃合していることの反省もすべきではないかと思うのです。学力や部活を重視する中学校は別として、やはり小学校は歩いて行ける距離に置く事が一番、これが私の持論です。

  「運動会 何故か天気が 左右する 空を見上げて 一喜一憂」

  「ぬかるんだ 運動場も 思い出に なると思えば 短も見方か」

  「弁当は コンビニ済ます 親多い これも時代の 流れでしょうか」

  「ネイルした 若い母親 タバコ吸う これも時代の 流れでしょうか」

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人間牧場

○記録して記憶を残す

 昨日の夕方下灘駅にまつわる催しがあり、曇りから小雨に変わる季節の移ろいを感じながら参加したので、フォトに記録して記憶に残そうと思いました。昨日はもう過去となって人々の記憶から消える運命にあるのですが、今が過去になる前に記録すると、記憶は再び蘇るのです。
 私もまだ記憶がはっきりしている間に、下灘駅界隈の秘話や裏話を記録に留めておかなければと思いました。

青春18きっぷフォトグラファー長根広和さんトークライブのチラシ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下灘駅に到着した一両列車

プラットホームのベンチで一個400円の鱧バーガーを食べてくつろぐ人たち

 

 

 

  「文字よりも 写真リアルに 物語る 昨日の思い出 記録に残す」

  「心ある 人たち無人 駅集い あれやこれやと 楽しきことを」

  「ひっそりと 彼岸花咲く 駅前に 二人の女性 カフェを開きぬ」

  「裏話 あるからトーク 面白い 私の秘話も 残しておこう」 

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人間牧場

○ハマチ3本千円の波紋

 私は伊予市双海町上灘灘町という所に住んでいます。農業と漁業以外これといった働き場所はなく、農業を守っているのは主に高齢者で、若い人は外に働きに出かけて平日の昼間は町内にいないのです。漁業は殆んどが専業で、底引き網や船引き網、流し網などで生計を立てています。
 彼岸花の真っ赤な花が咲き始めると、毎年の事ながらサワラ流し網にハマチが大量にかかるのですが、この時期のハマチはまだ小ぶりで脂が乗っていないため、市場ではどちらかというと厄介ものみたいに言われ、どこの市場でもダブついて中々買い手がつかず、安値で取引されているようです。これを大量貧乏というのでしょうが、漁師さんにとって見れば折角漁獲した魚が売れないのでは、燃料高騰のこともあって泣くに泣けない秋を迎えているようです。

 先日灘町の有線放送を通じて、「ハマチを3本千円で販売しているので、欲しい人は市場まで買いに来てください」と漁師町お馴染みの放送がありました。私は妻に頼まれ嫁に頼まれて、4千円を持ってトラックで買いに出かけました。お金を四千円支払い、3袋貰ったところで漁協女性部長の北風さんが、ハマチ2本とアジを5匹袋に入れてくれました。私はそのまま自宅へ帰りお裾分けの準備をしましたが、どうやらドサクサで1袋いただくのを忘れたようです。まあ済んだことだと諦めて、先日新米を1袋いただいた西岡さんや、日ごろお世話になっている宮栄さんに持って行ってあげましたが、大層喜んでいただきました。
 さあそれからが大変です。わが家の分と嫁から頼まれた分を5匹も、外の調理場で三枚に下ろす作業をしました。まあ大変といっても鱧のように手間のかかる魚でもないので、30分余りで調理を終えました。

 その夜はハマチの刺身、次の日はハマチのづけ丼、明くる日はあら煮とハマチ三昧の日が3日間も続きました。私はどちらかというと青魚タイプの人間なので、西岡さんからいただいた新米のご飯に程好くあって、食欲の秋を大いに満喫しました。
 「ハマチなんて」と人は馬鹿にしますが、天然の新鮮なハマチは下ごしらえさえしっかりすれば、これはもう最高のご馳走なのです。最近妻が作ってくれるづけ丼も有精卵の卵をかけ、もみ海苔や青葉かネギを乗せて山葵を効かすと、外食で食べる海鮮丼など比較にはならないのです。
 せっかく海の町に生きているのですから、せっせと魚を食べて大いに元気になろうと思っています。近々「3本千円」の放送があったら、またハマチ料理を楽しみたいと、今から楽しみにしています。ハマチはモジャコ、ワカナ、ヤズ、ハマチ、ブリと、成長に合わせて名前が変わるいわゆる出世魚です。この魚にあやかることは、もう望むべきもありませんが、大根が大きくなったらブリ大根も美味しいですね。

  「三本で 千円ハマチ 買い求め お裾分けする 山里の人」

  「刺身食べ 次は漬け丼 次の次 アラ煮を食べて 一件落着」

  「青魚 DHCとやら あるという どこか健康 なった気がする」

  「この俺も ハマチあやかり 出世する どころか今は 下降線気味」   

 

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人間牧場

○夕日夕焼けは今が旬です

 私の書斎にあるデジタル目覚まし時計に、内蔵している温度計は只今5時26分、23.0度、湿度62パーセントを表示しています。昨日の朝は前日と打って変わって寒く感じ、散歩の途中で出会う顔見知りの人たちも口々に、「今朝は寒いねえ!」と挨拶を交わしていました。やけっぱちに鳴いていたセミの声もいつしか遠のき、朝夕は虫の声が賑やかに聞こえるようになってきました。
 昨日は私のアメーバブログ「shin-1さんの日記」に体調のことを書き込んだところ、いつも愛読してくれている三崎町の浅野さんから早速心配してメールが届いたり、小番頭松本さんからも「大丈夫?」という電話をいただき、何人かからは直接お見舞いの電話がかかって来ました。病気で転職、胆のう摘出手術、チェンソー事故での大怪我と、これまで怪我や病気という幾つかのハードルを越えてきた百戦錬磨の私なので、病気を侮ってはいけませんが、自分の仕事がついついオーバーワークになっていたことは事実なので、ちょっと立ち止まって自分の生き方を改めるいい機会になったことは事実です。

 

茜色の夕焼け

 昨日久しぶりに綺麗な夕焼けを見ました。妻と二人で夕食をしていると、窓の向こうが少し明るくなっていることに気がつきました。急いで外に出てみると、夕日こそ沈んでいたものの、西の空が赤く焼けていました。急いで部屋に戻りデジカメを持とうとしましたが、肝心のデジカメが手元に見当たらず、結局取るものも取らず、結局手元にあった古いデジカメを持って外に出ました。秋の夕日夕焼けは一年中で一番綺麗だといわれていますが、確かにその気になって見れば茜色に染まった夕焼け空は、どこかほのぼのとして、心安らぐひと時でした。そういえば最近忙しさにかまけて、夕日を見る機会も少なかったと自省しながら、しばらくの間次第に色を変える西の空を眺めていました。

こんな綺麗な夕日が見えます

 太陽が水平線に沈むまでを夕日といい、水平線に太陽が隠れてからを夕焼けといいますが、夕日もさることながら、夕焼けもまた味があります。特に空の高さを感じる秋の雲を染める夕焼けは絵に書いたようで、表現はどうかと思いますが西方浄土のような気がするのです。
 秋分の日を明日に控えたこの時期は、私が発想して造った恋人岬のモニュメントの穴に、夕日がスッポリ入る絶好の季節なのです。この夕日に憧れて私の友人の大分県佐賀関に住む渡邊又計さんは、写真に撮りにきたほどなのです。春分と秋分は国民の祝日なので、モニュメントに沈む夕日の記念日にしたらと思っていますが、そんな仕掛けをするような気の効いた人はもういないのかも知れません。人が来ないのは不景気や人のせいだと嘆くより、こんなビッグな施設を折角造っているのですから、大いに利用して欲しいものです。

  「見てご覧 夕日夕焼け 今が旬 二人で見れば もっと素敵に」

  「この姿 何故に人々 気が付かぬ 美しきもの 見れば心も」

  「その昔 夕日を金に 目論んだ やる気になれば 金になります」

  「夕焼けの 空を眺めて 句を作る 四季の移ろい 子規になぞらえ」

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人間牧場

○保健師さんの家庭訪問

 昨日は看護師さんや保健師によくよく縁のある日で、前もって連絡を受けていた市役所保健センターの看護師さん3人が、わが家へやって来ました。仕事を終えた午後6時頃なのでプライベートな訪問です。私が現職のころ一緒に役場に勤めていた人なので気心が知れていて、息子嫁も出産前後随分お世話になった間柄なので、息子たちの台所に案内し、お茶を飲みながら妻も交えて楽しいお喋り会となりました。
 看護師さんたちは息子家族と同居するため、わが家をリフォームしたことを知っていて、後学のために一度は見たいと言っていましたが、すっかり綺麗になった台所がすっかり気に入ったようでした。

 台所やトイレ等の水周りをリフォームすると家は見違えるように輝きを増すものです。特に若い人たちが憧れるのは女性であり主婦の城といわれる台所のようです。息子嫁は息子が設計管理したこの台所を相当気に入っていて、3歳と5歳のやんちゃな男の子を抱えながら、掃除や整理整頓もしっかりと行き届き、今のところは人に見てもらっても恥ずかしくない体裁を保っているようです。
 3人の保健婦さんの中でも、一昨年保健師を退職した女性は夫婦ともども古い親友で、わが家とよく似た親と同居の暮らしをしていて、子どもさんも大きくなったので、将来のことを考えているようで、妻と盛んにその辺のことを話し込んでいました。

 わが家が息子家族と同居を始めて早くも1年半が経ちました。同居を始める前に話し合いで決めた、食事は別々もすっかり板について、同じ屋根の下で肩を寄せるように生きれる幸せを、しみじみ噛みしめているのです。特に孫の存在は大きく、外出先から帰ると「お帰り」と元気な声で迎えてくれるし、息子嫁もまた妻と一緒にそれぞれ気を使いながら楽しく暮らしています。
 話は人生の生き方にまで及びました。私は仕事で殆んど家にいない中で、親と同居をして母と祖母を見送った妻の気苦労は、相当なものだったようですが、今の若い人には話しても言葉すら通じないのです。昨日は息子も少し早く帰り、来客中子どもたちを遊ばせてくれていました。
 外から人が来ることはとてもいいことです。人が来ることによって改めて、自分たちの暮らし方や生き方まで整理ができるのです。その意味で3人の看護師さんの来訪に感謝しています。折りしも長野県南牧村の今井さんから、見事な高原野菜ブロッコリーが届いていて、ほんのちょっぴりお裾分けして喜ばれました。

  「保健師の 三人娘 やって来て 家族ぐるみで 話し輪の中」

  「息子嫁 城と思える 台所 カフェオレ入れて 心和ます」

  「ブロッコリー お一つどうぞと お裾分け 南牧村 今年も届く」

  「妻話す 言葉しみじみ 聞きに入る 苦労かけたと 今頃思う」

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