shin-1さんの日記

〇里山遊び(その3)

 私としては一生懸命農作業をしているように思っているのですが、農業をしている人から見ると私のやってることは里山遊びのようだとよく言われます。だって朝が早いといっても牧場で仕事を始めるのはせいぜい8時30分か9時頃なのです。お百姓さんは涼しいうちにひと仕事、涼しくなってひと仕事するのですから、これはもう半端ではありません。今は一年中で一番昼が長いので、その気になれば朝5時から働けます。また夕方7時半までは明るいようです。朝は遅くてゆっくり、昼もゆっくり、夕方は早く仕事を終えるようでは百姓とはいえないようです。

 私のように鐘にならない遊びの百姓は楽しいが、金を儲けなければならない農業はしんどいです。病害虫にやられようが、有害鳥獣に襲われようが、収穫がゼロでも仕方がないとプロセスを楽しむだけなら健康的でいいです。でも収穫物を金にするためにはたとえそれが自分の意に沿わなくても農薬も化学肥料も使わなければならないのです。里山などと遊び半分で農業をやっている私には、逆の楽しみもあって、昨日は草刈りの途中で畑に沢山生えているフキを3束も採って、帰りに漁協女性部のじゃこ天のお店へ持っていってあげました。おばちゃんたちは大層喜び、お礼につみれを2パックもいただきました。また今日は昼まで人間牧場へ通じる道沿いの草を刈って帰りにフキを1束じゃこ天の隣の鮮魚店のおばちゃんに差し上げたところ、お寿司やイカの照り焼きをいただきました。物々交換です。丁度運よく孫たちが遊びに来ていて、たこ焼きやじゃこ天などに大喜びでした。

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 私の里山遊びのスタイルは、つばの狭い麦藁帽子と地下足袋、それに軍手です。これは人間牧場を始めた頃から変わらぬスタイルです。麦わら帽子は2代目ですが、地下足袋はもう6年間も使っているのにまだ傷んでいません。今日は梅雨の晴れ間で蒸し暑く、昼間での草刈り作業でたっぷり汗をかきました。熱中症にならないように、水平線の家の冷蔵庫に冷やしているお茶やアクエリアスを小まめにとっていい汗をかきました。

 井上登さんに接木をしてもらった栗の木ですが、残念ながらカラスの餌食になってしまい、かろうじて一本だけ成功し、新芽が早くも伸び始めているようです。カラスの餌食にあって接木ができなかった台木からも新芽が伸び始めていましたが、接木した芽を育てるには台木の新芽を摘み取らなければなりません。

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 今日は、昨日フキの皮をはいであく抜きのために軽く茹でて水で晒しているフキを使って、妻に佃煮を炊いてもらいます。今年二回目ですが前回も上手く炊けたので、今回もお茶漬けのお供としてせいぜい楽しみ、近所へおすそ分けしたいと思っています。

 今年は季節が10日ほど遅れているといわれています。例年だと5月末から6月はじめにかけて青梅を採取するのですが、人間牧場の青梅の採集は忙しいながら来週あたりにやろうと思っていますが、天気が気になり、梅の木の鋭い棘が気になっています。


  「お裾分け まるで物々 交換の ようだと笑い 品々貰う」

  「接木した 栗をカラスが 啄ばんで 僅か一本 何とか残る」

  「半日の 作業堪える 体力で 何とか牧場 守っているが」

  「今日あたり フキの佃煮 作ろうと 皮むき茹でて 準備万端」

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〇里山の自然(その2)

 私にとって人間牧場は、自宅から10km余り、時間にして15分ほどしか離れていませんが、場所的にも非日常的な異空間で、人里離れた里山を体験・体感できる場所なのです。今頃は子育ての季節でしょうか生まれたばかりの雛を連れたキジがそこら辺を歩き回り、何という虫かは分かりませんがクマ蜂に似た蜂が何匹もミツバチの巣箱周辺を飛びまわっています。昨日は草刈りの手を休めて虫取り網で飛んでいるこの虫を、ミツバチの天敵だと思えるので捕らえたりして過ごしました。実に長閑でミツバチの巣箱は沢山の働き蜂が出入りして活発に動き回っているようです。

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 今は、♭卯の花の匂う垣根に 不如帰早もき鳴きて しのびねもらす 夏はきぬ♭と歌に歌われている卯の花が白い花をつけて満開なのです。普通は草刈機で刈り取ってしまう雑木ですが、あまりの美しさに目を奪われ、刈り取るのを辞めて見とれてしまいました。

 野の花はバラや百合のような派手さはありませんが、清楚で控え目で見ていても飽きがきません。紫の露草も野バラの花でさえも一輪挿しに挿して楽しみたいようないとおしさがあるのです。これぞ里山の楽しみ方なのでしょうが、これらの雑草はほおっておいたら地上を覆ってしまうので、草刈の対象物として葬り去られるのです。

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 今は野いちごの季節で、草刈機の前の草むらの至る所に真っ赤な野いちごがあります。草刈りの手を休めて草の中に入り、つわぶきの葉っぱを枝木で止め、円錐形の入れ物を作って野いちごを入れると、もうそれは里山を楽しむ楽しい遊びに変身するのです。また細く延びた箒草のような草を結んでのイチゴを串刺しにして遊んだ昔が懐かしくなって遊んで見ましたが、これも楽しいものです。フキの葉っぱを手で丸めて空間を作り、上から思い切り叩くと「パーン」という音が出るのも面白い遊びです。

 里山での遊びの思い出は少年の頃へといざなってくれるのです。

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 畑の隅でサンキラの葉っぱを見つけました。私はこの葉っぱのことをばっぽの葉と呼んでいます。ばっぽとは饅頭の総称で、初夏のこの季節になるとばっぽの葉っぱを取って帰り、母が小麦粉や米粉をこねて餡子をいっぱい入れた蒸し饅頭を造ってくれました。イースト菌の代用に化成ソーダーを入れて膨らした蒸し饅頭はとてつもなく美味しく、蒸す木から吹き出る蒸気が運ぶ匂いを嗅ぐのは至福の時でした。

 今はくじらという小さな海産物屋を営む妹が、店で手造り販売しているので時々お裾分けをいただきますが、妹も母親譲りの味をちゃんと守って作っているようです。今日あたりばっぽの葉っぱを取ってきて妻に蒸し饅頭を作って欲しいと思っていますが、里山はこのように楽しさの宝庫なのです。


  「里山は 遊びや食の 宝庫なり 至る所に 遊びや食が」

  「人知れず 咲いている花 美しく 思わず見とれ 刈り取る忘れ」

  「野いちごを ツワブキ葉っぱ 入れ遊ぶ 真っ赤な色が 一際綺麗」

  「この頃に なると母親 作ってた ばっぽの葉っぱ 蒸し饅頭乗せ」


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〇里山の自然(その1)

 最近里山という言葉をよく耳にします。私たちの暮らしから自然が遠のいたため、人間性回帰の意味を込めて里山の大切さが叫ばれているからかも知れません。私流に考えれば里山とは人間が暮らしている近くにある自然のことで、そこには植物や動物も共生しているのです。かつて里山は私たちの暮らしにとって薪や木炭などのエネルギーを確保する場所であったり、家の屋根を葺く茅を確保したり、時には竹などの建築・工芸資材を確保する場所であったりと、極めて重要な場所でした。ところがガスや石油の普及によって薪や木炭が不要になり、屋根も新建材になって茅が不要となったりして、里山は不必要な場所となったのです。当然里山は荒れ、荒れた土地にはイノシシや熊、猿、鹿などが出没し、里山を超えて人間の暮らしのエリアにまで動物が入って来て、過疎や高齢化、少子化による限界集落が増えたため、里山近くに暮らしている人たちはえらい難儀をして暮らさなければならなくなったのです。

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(餌を加えたカワセミが)逃げもせず屋根の上で夕日に映えて)

 季節は巡りて早くも走りの早生ビワが出回り始まりましたが、農山村地帯に行くと時折「ドーン」と耳を劈くような音に一瞬驚くのです。この音はビワ畑に出没するカラスを威嚇するためのものですが、農家の人に話を聞くと、この音も最近は馴れてずる賢いカラスには焼け石に水といった感じだそうで、収穫間近な美味しいものから食べられてしまうと頭を抱えていました。

 今農家にとって最大の被害相手はイノシシで、昔は食べなかったジャガイモまで食べるというのです。我が家のすぐ隣の人の畑は無防備だったため一夜のうちにイノシシに食べられて全滅したそうです。わが家の家庭菜園は何年か前痛い目に遭ったので、親父が結構頑丈な金網で囲いをしているため今のところの作物の被害はありませんが、今朝裏山に登ってみると、ミツバチの巣箱の周辺が広範囲にわたって掘り返され、のたうった跡が随所に残っていました。

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(イノシシに荒らされた裏山のミツバチの巣箱周辺)


 何故イノシシは裏山に出没するのか、それは里山に餌が少なくなっていること、イノシシは夜行性のため私たち人間様が寝静まった頃に出没する、家の近くの畑にはミミズが沢山いてそれを食べる、雨でぬかるんだ場所でのたうつと、体を覆っている毛にわいた害虫を駆除できるなどが考えられますが、それにしても危機一髪で甘いハチミツのあるミツバチの巣箱を何故襲わないのは、ミツバチに刺されると痛いことを知っているからかも知れません。

 いずれにしてもほんの目と鼻の先にイノシシが出没するなんて、危険極まりません。何年か前には私の町で手負いのイノシシに襲われ人が死んでいるのですから、用心しなければなりません。近くには保育園や学校もあるので、子どもが教われないようにしないと・・・・。


  「里山に イノシシ出没 無残にも 土掘り返されて ミツバチ無害?」

  「里山も この世と同じ 住みづらく なったか鳥獣 再々出没」

  「夜ゆえに 姿も見えず 想像で 大きさ測り 危険感じる」

  「里山が 自然に帰る 今までは 不自然ゆえに 無形法則」


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〇審査会

 若い頃は、表彰審査だの原稿審査だの、時には補助金審査など、私自身が審査対象になっていましたが、さすがにこの歳になるとそういったことは少なく、逆に審査する側になることが多くなりました。昨年・一昨年は西予市地域づくりグランプリの審査委員長として審査をしたり、ここ何年かはえひめ地域政策研究センターのアシスト事業の審査をしたりしているのです。

 昨日は愛媛県の愛と心のネットワーク推進事業の選考委員会が県立図書館で行われ、審査委員長として末席で他の五人とともに審査に加わりました。


 事務局で第一次書類審査を終えた資料が一週間前郵送で手元に届けられ、11NPO団体の提案をひとつひとつ読み取って、問題点を見つけて行くのです。それはいわばあら捜しのようなものですが、県からの助成が正しく使われるためには何人かの複眼でチェックする必要があるからなのです。

 今回の事業はNPOだけが事業をこなすのではなく、県の各部局課が共同事業として組み立てるため、主管課の違憲も聞かなければならないのです。そのため団体に与えられた8分のプレゼンテーション時間と7分の質疑時間を合わせると、かなりの時間真剣に耳を傾け、相手の弱点や強みに対して意見を述べなければならないのです。

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 最近はプレゼンテーションの技術も進んで、パワーポイントを使って分かり易く説明してもらい、大いに助かりましたし、発表をする人たちも各委員の質問に的確に答えてくれました。

 11団体の発表が終ったのは午後4時過ぎでした。その後担当課の意見を2分づつ聞いて質問し、採点表に各項目10点満点で点数を書き込むのですが、その場で点数が集計され採集議論をしました。最終審査が終ったのは午後5時半近くでした。緊張を解かぬようつとめて公平に審査しました。その結果はまとめられて近々知事に報告され決定発表の運びとなるのでしょうが、かなり高額な助成金をいただくであろう団体は大いに発奮して愛媛県の地域づくりを盛り上げて欲しいと願っています。

 審査を終え、緑の濃くなった松山城の城山や堀の内公園を眺めながら県庁第二駐車場まで、他の審査員と雑談しながら歩きました。季節は早6月です。二週間も早く入梅し、先日は台風も日本列島をかすめるなど、東日本大震災以降天気に一喜一憂しながら過ごしている自分を発見しました。

 昨日は菅総理の不信任案が衆議院で否決された最中の審査会でした。菅総理の早い時期の退陣表明もあって、落ち着くべきところへ落ち着いたようですが、小沢さんや鳩山さんたちの猫の目政治に国民が翻弄されたようです。結局は小沢さんは欠席、鳩山さんは反対などなど、訳の分からぬ行動で幕を引いたようですが、今なお避難所生活を強いられたりしている震災の被災者たちにとって、霞ヶ関の茶番劇は何ともお粗末で腹立たしい姿でした。


  「審査する 側に回りて あら捜し しているようで 心が痛む」

  「選ばれる ために色々 手を尽くす 工夫ありあり 点数加え」

  「顔見知り なるべく顔を 見ないよう 公平ゆえに 冷たくあしらう」

  「審査表 集計するが だいたいに 同じ評価を しているようだ」

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〇孫とカワセミの巣立ち

 昨日の朝、孫希心を近くの保育園へ連れて行きました。保育園へ行きたくないと泣きわめいた1ヶ月余りが過ぎ、今はそれなりに納得して歌を歌ったりスキップやかけっこをしながら元気に通園するようになって、すっきりした朝を迎えているようです。子どもはこうして少しずつ少しずつ成長して行くのでしょう。

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(すっかり元気になって登園する孫希心)

 昨日の朝のことです。登園するため孫二人と家を出ると、何やら小鳥の声が聞こえるのです。足元近くをよく見ると産毛の生えた小鳥の雛が飛べもせずヨチヨチ歩きをしているのです。声の主はその姿を近くの電線の上から見ているカワセミの親鳥でした。田舎の道といえど車が頻繁に通る車道なので、雛が引かれては大変と、そっと手ですくって草むらへ移動してやりました。雛は何を勘違いしたのか、私を親鳥と思ったのか、雛は私についてくるのです。危険だと感じた親鳥はもう必死で鳴いて見守っていました。やがて雛は草むらへ降りて来た親鳥と何処かへ行ったようでしたが、鳥たちの世界も巣立ちの頃を迎えているようです。


 昨日の夕方孫希心が座敷の障子を破りました。息子たち家族が帰ってくるため私たち夫婦が4月に張り替えて間もない障子なのに、一ヶ所だけ三つも指で穴を開けているのです。障子は破れるものなのでしょうが、願わくば破らない教育をしてやろうと、希心の手を平手で叩き、そして押入れに入れてやりました。泣き叫ぶ孫は「もうしません」と泣いて謝っていました。暗い押入れが余程怖かったのでしょうか、シクシク泣きじゃくりながら私にすり寄ってきました。わが家でも4人の子どもを育てましたが、障子を破った子はいないのです。これも留守を預かる妻の教育だったのかも知れないと、今頃になって思いました。


 今朝は孫希心によって穴を開けられた障子の補修をしてやりたいと思っています。願わくば孫が保育園へ行く前に、孫の目の前で張り替えたいと思って、先日使い残した障子紙と水糊を用意しました。穴の開いた場所をカッターで切り取り、そこだけ張り替えたいと思いますが上手く行くかどうか微妙です。

 それにしても同居を始めて約一ヶ月が経ちました。同居をすると情が移るのでしょうか、二人の孫は日に日に私に心身ともに近づき、今では二人ともよき私の相棒ぶりを発揮しています。朝5時に目を覚ましウロチョロする孫奏心と、やっとわが家の暮らしに慣れかけた希心は、今はわが家の太陽的な存在です。泣いたり笑ったりふざけたり、時には昨日のように叱ったりしますが、一挙手一頭足全てが可愛らしい孫たちの仕草に、私たち夫婦は毎日癒されているのです。


  「まだ産毛 雛が道端 ヨチヨチと 歩く姿に 親鳥ピーピー」

  「五月病 やっと治って 何事も なかったように 孫は通園」

  「悪ふざけ 障子に指で 穴開ける お仕置きのため 押入れ入れる」

  「もうしません 泣きべそかいて お断り お爺は怖い 奴だと思う」

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〇ブンコを見ると血が騒ぐ

 何もできない無能な人を、「無芸大食の大糞たれ」などと、田舎では汚い言葉で悪口を言いますが、私もそれに匹敵するほど無能無芸な男です。歌が上手に歌える訳でもなく、絵も書けず日曜大工なども余り得意な方ではないのです。親の血を引いたのだろうと思いきや、親父は器用で大工道具を持たせたら玄人はだしの仕事ができて、ひょっとして私は親父の子どもではないのかも知れないと、小さい頃には思ったほどでした。

 その私がひょんなことから3年前ミツバチを飼い始め、今ではその虜になっているのですから世の中は分からないものです。ミツバチに詳しい西予市野村町山奥組の井上登さんに自分勝手に弟子入りして、最初2つから始めたニホンミツバチの巣箱を九州宮崎県の山ではブンコというのだそうですが、今ではそのブンコが8つまで増え、その内の7つまでにミツバチが入居して、ミツバチの飼育に現を抜かすほどではありませんが、妻が驚くほど夢中になっているのです。

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 師匠の井上登さんから、ミツバチは愛情があれば人を刺すことはないと教わり始めたものの、残念ながらミツバチに対する愛情不足で毎年4~5回は刺され、難儀をしていますが、これも修行と思って頑張っているのです。お陰様で初年度は4升、2年目の昨年度は3升7合のハチミツを採取して、ミツバチを飼っている人から羨ましがられていますが、今年は家の裏庭と人間牧場に越冬組みがいるので、それ以上の成果を期待しながら、毎日楽しみにブンコを眺めているのです。

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 幸いなことに裏山に置いたブンコのひとつは、わが書斎から観察が出来るような場所に設置しているため、朝起きて外が明るくなると気になって、朝の挨拶代わりに眺めているのです。わが家は代々漁師なので、風の人、海の人、狩人の地が流れているのか、ブンコを見ると血が騒ぐのです。毎朝自分で採集して息子が小瓶に小分けしてくれたハチミツを、パンに塗って妻と二人で食べるのですが、これがまた飛び切り美味しいご馳走なのです。

 今年も師匠の指導を受けてハチミツの採集を梅雨明け頃に行いたちと密かに考えていますが、今年こそは愛情を持ってミツバチに接し、防備も完全にして刺されないよう細心の注意を払いたいと思っています。今年も既に一回薬指を刺されたので用心しなければなりません。

 今のところブンコに出入りするミツバチの数も予想以上に多く、ブンコを見るともういても立ってもいられないのです。

  「この三年 何度ミツバチ 刺されたか それでも果敢 養蜂楽し」

  「生態を 知らぬがゆえに 魅力あり 甘さと危険 隣合わせて」

  「今頃は ブンコの中で ブンブンと 羽音賑やか 蜂の巣作業」

  「修行した お陰軒先 蜂球を 両手で救い ブンコに移す」

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〇早い入梅

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 今年は10日も早い入梅に加え、時ならぬ台風の接近で、身も心も少し湿りがちのようで、かなり雨が降ったものの幸い私たちの身の回りでは土砂崩れもなかったようで、ホッと一安心しています。しかし雨が上がっても家庭菜園の畑の土は水を含んでいるため耕すこともできず、さてどうしたものかと思案していました。しかし人間牧場で土曜日に行ったイモヅル植えで残ったイモヅルの処理を何とかしなければならず、思い切って畑へ入りその準備をしました。

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 今年の春にツルナシインゲンの種を蒔きましたが、しこし早かったのと、鳥に蒔いた種を殆んど食べられてしまったため、生えなかった畝を使って草を削り、クロイマルチ用のビニールを敷いて、その上をカッターで切って1列15本、4列で約60本のイモヅルを植えました。

 昨日は曇っていても雨も降らずまずまずの天気でしたが、農作業をすると汗をかきました。2つの畝に4列植えたので残りの1畝にはツルナシインゲンの種を蒔こうと思っています。

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 先日人間牧場のロケ風呂を沸かそうと思ったところ、灯油タンクとボイラーをつなぐ燃料パイプが破れて、燃料が殆んど空になっていたので、地元の水道屋さんの手を煩わせるほどの修理でもないので、水道屋さんに出かけてつなぎに使うゴム管を購入しようとしましたが、残念ながらそうしたゴム管は安全上の理由から今は使われなくなっているそうで、古いものを探してもらいやっと10センチほどのゴム管を見つけてもらいました。
 昨日は夕方人間牧場へ出かけて、自分で修理を試みました。ペンチやドライバーを使って古いゴム管を外し、中古ながら新しいものに交換して何とか無事修理を終えました。これで当分の間は風呂も沸くようで一安心です。今度は雑石工事も終わったので、薪小屋ピザ釜小屋を手作りしなければなりません。不器用な私ですがホームセンターで資材を購入して少しずつ作業を進めたいと思っています。さて上手く行くかどうか、楽しみです。

  「入梅で 作業したいが 限られて あれこれ思い あれこれ手掛け」

  「サツマイモ 少し遅めの 植え付けを したが果たして できるかどうか?」

  「一日中 草と戦う 親父さん 九十二歳 思えぬ働き」

  「台風の 風が思わぬ いたずらを タマネギなどは 全て倒伏」

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〇コスモスを感じる人間牧場からの眺望

 秩序整然とした統一体としての宇宙のことをコスモスといいます。私のような凡人には言葉の持つ深い意味など分かりませんが、それでも海と空が一体となったように見える人間牧場からの眺望を見ていると、目に見える俗世より目に見えない空想の世界を思わせるのですから、人間の思考にとって景観とは大切なものなのです。

 私の誘いの言葉に乗って人間牧場へ来られる人の中には、「人間牧場」というからには牧草が広がっているのだろうと、勝手に想像してやって来ますが、来て見ると牧草どころか急峻な地形で、まるで海まで転がり落ちそうな錯覚さえして、創造と現実のギャップに時には落胆して帰る人さえいるのです。

 でも精神修養ができている人で、海と空を一体の牧草と見立てている私の真意が分かる人はなるほどと頷き、精神論を語るのです。

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(思想魚を育てるために必要なコスモスを感じる人間牧場からの眺望)

 人間にとって目に見える世界はリアルで具象なので誰にでも分かります。しかし目に見えない空想の世界はバーチャルで抽象なため余程心眼を開かないと広さや奥行きを感じることはできないのです。刻々と変わる海や空の色、流れ行く雲、小鳥のさえずり、山の色、吹く風の音や香りなどが否応なしに五感を通して体に入ってきます。何も感じようとしないとそれらに体全体が支配され、空想の世界には入り込めないのです。私は時々水平線の家の板間やウッドデッキに座ったり、背もたれ椅子に座って無我の境地へ入り込もうとするのですが、雑念が多い時などは心の対話ができず、現実の世界を行ったり来たりすることしかできないのです。

 一年に何度か濃い霧が出て自慢の眺望の全てを隠すことがありますが、かえってこの時の方がコスモスを感じるから不思議です。人間はどうやら見え過ぎるゆえに見えない部分が多いのかも知れません。

 中国の思想に双魚という概念があります。人間の体の中には必ず二匹の現実的魚と思想的魚がいて、凡人は目に見える部分の魚が大き過ぎるため目に見えない部分の思想的魚は殆んどいないのです。逆に偉い人は俗世の目に見える魚の部分が殆んどなく、思想的魚が大きいのです。人間は訓練や修行をすれば思想的魚を大きくすることはできるのですが、その域に達するには雑念の多い私などには到底到達することができないのです。でもそういう意識を持っているだけで随分考え方に変化が現れます。現に私などのような凡人でも、人間牧場を造る七年前と、七年後の今とでは随分思想的魚の大きさが違っているように思えるのです。

 昼間人間牧場からは太陽や月など以外満天に輝く星は見えません。でも人間牧場に何度か泊まって春夏秋冬の星空を見ている私には、銀河系宇宙にも似た星の存在が空想として描けるのです。双魚の思想魚をもっともっと大きく育てたいと思っています。


  「双魚図と いう概念を 意識する 目に見えねども 人を支配す」

  「思想魚を 育てる努力 することを しないと人は 役に立たずに」

  「俺って変? 時々思う ことがある 意味もないこと 考えたりし」

  「牧場に 座して色々 考える 暇があったら 積小為大」 

 

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