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〇二人の若者が人間牧場へやって来ました」

 昨日は午前中えひめ地域政策研究背センターから、二人の研究員が間近に迫った地域づくり人養成講座の打ち合わせを兼ねて人間牧場へやって来ました。川渕博之さんは大洲市から、大政太さんは四国中央市からそれぞれ出向していて、県都松山で仕事をしているけれど、どこかふるさとの匂いがする人たちです。

 私もえひめ地域づくり研究会議の役員を長らくやっていたため、まちセンという愛称でえひめ地域政策研究センターが呼ばれていたころから、出向研究員とは長らく付き合っていますが、出向期間が終るとそれぞれの地域へ帰って本業の忙しさに翻弄されてしまうためか、その後は中々出会うこともままなりませんが、それでも出向中に培った様々な力を発揮して、それぞれの分野で活躍をしているようです。

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(人間牧場から見える潮目、二人はこの潮目をどうせめぎ合うか)

 昨日はシーサイド公園で待ち合わせをして、かつてセンターへ出向していた本市の松本さんと出会った後、それぞれの車で人間牧場へ行きました。昨日の人間牧場からの眺めは私が人間牧場と名付けた標高130メートルからの眺望が、コスモス(宇宙)を連想するようで、水平線の家やロケ風呂に座ってしばし人生について語り合いました。

 お二人とも若いだけあって発想が柔軟で、聞かれることに答える形で経験や考えを話しました。田舎者の私ゆえ、また浅学な私ゆえ、教えるものも伝えるものも何もありませんが、ただあのロケーションをバックに話することに意味があることを少し感じてもらったようです。

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(二人の後ろには目には見えないが北極星が存在します。目指せ北極星)

 私は若いころから日本全国を駆け巡り、今も機会をとらえて駆け巡り、色々な人と巡り会ってきました。人は人によりて人となるのですから、これからも大いに人に会う努力をしなければならないと思っています。川渕さんも大政さんも松山でまちづくりについて勉強する、幸運に恵まれていることをチャンスだととらえ、全国の多くの人と巡り会って感化を受けなければなりません。多分出向を解かれて元の職場に復帰すれば、先輩たちがそうであったように仕事に悩殺されて、存在さえも分からない状態になるのです。しかし今こそスキルを最大限にアップして、一味違った地方公務員になって欲しいと思うのです。

 私の町にも3年間センターに出向していた松本さんがいます。彼は3年間に培ったノウハウと人脈を最大限に活かし、しっかりと着実にまちづくりの世界で生きています。多分川渕さんや大政さんの当面の目標は松本さんだと思っています。そして出向を解かれて帰ってからの当面の目標も今の松本さんでいいような気がします。

 ただし町を愛する、町のためにやる、町を正しい方向に導くといった3つの目標は私も松本さんも人一倍持っていて、そのことだけはこれからも基本になるので、しっかりと頭に入れて頑張って欲しいものです。私は常々「地域づくり人は土日に育つ」と思っています。土日にゴルフや遊びにふけるのも決して悪いことではありませんが、土日こそビジネスチャンスだと思って努力すれば人罪・人在を脱して人材、更には人財となることでしょう。


  「コスモスを 感じる牧場 ロケーション 人間いかに 生きればよいか」

  「松山で 仕事ができる このチャンス 活かせばきっと 大成すます」

  「若者が 一字違いの 大間違い 馬鹿者になる 気をつけ励め」

  「私にも 若者時代 あったなあ 心は今も 若松ですよ」

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〇雨過天晴雲破処(うかてんせいくもやぶれるところ)

 私の自著本「昇る夕日でまちづくり」の「はじめに」という発刊に寄せた文章に、次のようなことを書いています。

 

 漁村に育った私は子どものころ、雨上がりの西の空に何ともいいようのない綺麗な光景を見た。それが「雨過天晴雲破処」という、北宋時代の皇帝が好んだ焼き物の色と同じだと知ったのは、恩師の一通の手紙からであった。雨が過ぎて空が晴れだし、雲の切れ目を通じて最初に見える淡い青空は、やがて茜色に染まり、夕日がゆっくり水平線にゆっくりゆっくりと沈んでゆくさまは、まさに絵になる光景であった。その時から私の意識の中に、夕日に対する「想い」なるものが存在し始め、今日までどれほどの数やの夕日を、「想い」を込めて見てきたかわからない。

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(夕観所から見た夕景)

 2000年12月31日午後5時11分(今世紀最後の夕日が双海町にしずむ一瞬の時)に書いた「まえがき」は、今読んでも手前味噌ながら面白い書き出しです。

 一昨日の日曜日は朝から大雨でした。いつ止むとも知れない雨の中でも前日までに決めた予定に沿って、またその日の行きがかりで起きたり寝たり、飯を食ったりテレビを見たり、この日のように従兄弟の新築祝いに夫婦で招かれて出席したりしたのですが、家に帰って書斎で原稿を書いていると、雨が降っているのに西日が庭の木々や裏山に差し込んで赤く染めました。

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(車庫の屋上から見た夕日夕景)

 不思議に思い外に出て西の空を見てみると、さっきまで重く立ち込めていた灰色の雲が押し上げられ真っ赤な夕日が見えるのです。急いで引き返しデジカメを持って夕観所から写真を撮りました。さらに車庫の屋上へ駆け上がって、雨に濡れながら再度夕日を撮りました。急いで撮ったためストロボを発光したため、食事中だった息子嫁は稲光と勘違いしたようでした。

 これが前述した「雨過天晴雲破処」なのだと一人納得しながら小雨に濡れながら鑑賞しました。いくら小雨でも、いくら短い時間でも傘を差さなかったら濡れるもので、ずぶ濡れになった私を見て息子嫁は、「舅は頭が変になったのでは?」と思ったに違いないのです。

 夕日をテーマにまちづくりをし、夕日に思いを寄せる私にとって、それがどうであれ夕日を見るととても気持ちが落ち着いたり、時には高ぶったりもするのです。一年の殆んどの時間を過ごしているわが町双海町であろうが、旅先であろうがその思いは変わらず、これまでも夕方になると胸騒ぎがするほどな気狂い人間なのです。

 たった一瞬だけ夕日を見ただけで、その思いの移ろいをブログに書こうと思うことじたい異常なのかも知れませんが、多分これからも死ぬまでこの異常な状態は続くことでしょう。

  「雨に濡れ 夕日眺める 姿見て 嫁も自分も 異常感じる」

  「自著本の はじめの文章 思い出す 雨過天晴を 目の当たり見る」

  「自宅から 夕日眺める 贅沢が できる私は やはり贅沢」

  「この夕日 果たして誰が 見たのだろう 私一人か しめしめ思う」

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〇大洲市田処のホタル祭り(その2)

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 ホタルは外が暗くなる午後7時30分頃にならないと見えないので、それまで体育館の中で食事をしたり展示物を見たりして雑談に耽りました。そのうち年輪塾のメンバーの清水さんがギター、青木さんがオカリナ、近藤さんがバイオリンを準備して演奏会が始まりました。地元の年輪熟生である西田和子先生も加わり、演奏に合わせて「このまちで」や「ふるさと」をみんなで熱唱しました。最後は西田和子先生の指導で金次郎の歌でしめました。清水さんも近藤さんもいつもながらの名演奏でしたが、特に青木さんのオカリナの上達ぶりには誰もが驚き、始めてからたった一年だというのに凄いと思いました。私の妻等はとても感動して、「私もオカリナを吹いてみたい」と言いました。「ホラぐらいなら吹けるが止めとけ」と大笑いをしたものです。

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 やがて薄暗くなったので運動場の隅に案内されホタルの鑑賞です。夜来の雨で増水した矢落川の瀬音聞きながら対岸を見る、と沢山の蛍が乱舞するようになりました。このホタルを見せたかった岸本本部長さんと松本秘書さんも身を乗り出すような姿でホタルに見入っていました。亀本さんたち地元の人たちも、大雨でホタルが流れたのではないかと心配していたようですが、沢山の蛍が飛んで大満足の様子でした。

 この日はJRのホタルツアーも大雨のため中止になったと聞きました。小回りの聞く10数人の私たちのグループだったため中止もせず、不安ながらホタルを見学できたことはとてもラッキーでした。ホタルは僅か20日間ほどしか見れないため、土日しか空いていない人たちには梅雨の時期を考えると、見る機会はそんなに多くはありません。特に今回のような大雨の最中の見学会は送迎もままならず、ラッキーとしかいいようがないのです。

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 夜の帳が降りて辺りが暗くなると、蛍の光は一段と輝きを増します。手つくりの和紙と竹で作った行燈に火がともされ、足元を温かく照らしてくれている夜道を連れ立って、遠くに聞こえる太鼓の音を頼りに熊野神社まで夜神楽を見に出かけました。急な石段を登るとかがり火が焚かれた境内に到着しました。拝殿には見物に来た多くの人たちがいました。私たちも遠巻きに夜神楽を見学しました。

 もう20年もこの地に足を踏み入れている私なので知り人も多く、かがり火の中で沢山の人から声をかけてもらいました。そのうち「日月の舞い」という演目のめくりが表示されました。昨年は飛び入り参加で目を回し大失態をしているので、今回は汚名返上とばかりに進んで拝殿に上がり、太鼓に合わせて日月それぞれのお盆を両手に持って舞いましたがやはり難しく、昨年より格段上達して目まいは少なく、まあまあ満足の行く舞いを披露することができ、大きな拍手喝采を浴び、お礼にお餅を沢山いただきました。

 餅撒きの餅を拾ったりして時を過ごし、再び体育館まで戻り名残のホタルを見学した後、地元自慢の豆腐をお土産にいただき、元来た道を引き返して下灘コミュニティセンターまで帰って目出度く解散となりました。岸本本部長さんも松本秘書さんも大満足の様子で、別れ際握手した手から感動が伝わってくるようでした。

 自然は寂しいが人の心が加わると温かくなるとは民俗学者宮本常一さんの言葉です。山里に一生懸命生きる人たちを応援することしか私にはできませんが、今年も岸本本部長さんや松本秘書さんをお連れして、その輪を広げたことは何よりも嬉しいことでした。やがて梅雨が明けると、海の向こうや山の彼方に入道雲が湧き暑い暑い夏がやって来ます。梅雨の最中のほんの短い束の間でしたが、ホタルと神楽が私の心に温かい何かを残してくれました。私たちを温かく迎えてくれた亀本さんや西田さん、それに地元の人たちに厚くお礼をいいます。ありがとう。


  「雨上がり ホタル見学 夜神楽と 山里巡る 旅は楽しく」

  「見たい人 見せたい人が 入り交じり 綺麗綺麗と 声を上げつつ」  

  「暗闇に ホタル乱舞の 桃源郷 住む人たちは 当たり前だと」

  「夜神楽に 飛び入り参加 舞を舞う 拍手喝采 有頂天なる」


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〇大洲市田処のホタル祭り(その1)

 前日の10日は土砂降り、明くる日の12日も大雨でした。11日も朝から雨模様で、予報や予測では大雨注意報なども出ていたため、多分雨だろうと曇天の空を見ながら恨めしく思ったものでした。ところが世の中には奇跡のようなものがあって、年輪塾のために午後1時に下灘コミュニティセンターに集まった頃になると小雨になり、年輪塾の学習が始まった午後1時30分頃には雨も殆んど上がり、肱川の濁流水潮が上り潮に乗って潮目となる珍しい光景を、水平線の家のウッドデッキに出て見学できるほどに回復していました。

 午前中親類の法事があって、止む無く私に同行せざるを得なくなった妻のために、ロケ風呂にお湯を張って足湯のサービスをしてやりました。ロケ風呂ができてもうかれこれ6年が経つというのに、何故か妻はロケ風呂を楽しむ機会に恵まれなかったのです。妻は年輪塾会員でないため、尊徳翁夜話輪読や二宮金次郎像調査報告会には参加せず、もっぱらロケ風呂でただ一人足湯や昼寝ウトウトを楽しんだりしていました。

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 年輪塾の学集会は延々3時間続きましたが、白熱していて誰も長いと感じないような充実した学集会でした。午後4時30分になったので学習会を切り上げ、帰る人と亀本さんたちが主催するホタル祭りに出かけるグループに別れました。私は皆さんたちを見送って簡単な掃除片付けや戸締りをして、昨年に引き続きホタル祭りに同行する妻とともに県道豊田・大洲線まで出て、先発の松本さんや稲葉さんたちと合流し、岸本本部長さんたちの一考を待ちました。携帯電話で連絡を取りつつみんなで待っていると少し遅れて米湊さんが先導して岸本本部長さんたちを連れて上がってきました。米湊さんは仕事の都合でホタル祭りには参加せず、ここで見送ってもらい分かれました。

 車三台に分乗してさあ出発です。朝ヶ峠までの県道沿いにはウツギ、別名卯の花が可憐な白い花をいっぱい咲かせ、たっぷりと雨を吸って一際艶やかに咲いていました。しかし前日からの雨で沿道には小枝や小石が散乱し、あちらこちらに小さな土砂崩れが見えました。朝ヶ峠を越えるとその光景は益々酷くなり、枯れた松の大木が倒伏して道を塞ぎ、車がやっと通るほどしかなかったり、小川が氾濫して水路を塞いだりしていました。

 戦どうした私の車の中で妻と後を気にしながら走りましたが、何とか田処の街中を抜けてホタル祭りの会場となった旧田処小学校の運動場へ車を止めました。昨年は児童3人だけの小さな学校でしたが、今年の3月末で田処小学校は閉校となってしまったのです。人気のなくなった学校は寂しいもので、窓を閉ざした校舎はどこか物悲しくも思えました。私たち一行は案内されて体育館の中へ入りました。中は写真や書画、盆栽等が飾られ、さしずめ文化祭の会場のような雰囲気でした。21世紀ニューフロンティアグループが差し上げたブーメランテーブルのかけらを利用した机の上には、手づくりしたという生キャラメルや三歳の料理が沢山並び、あいさつもそこそこに席について早速夕食をいただきました。

 地元の駐在さんも岸本本部長さんや松本秘書の時ならぬ来訪で少し緊張して同席してくれました。田舎では駐在さんといえどもまちづくりにとっては貴重な戦力で、手品はするし歌は上手いし、時には駄洒落も連発して会場の雰囲気を和ませてくれました。


  「妻のため 初めて足湯 プレゼント うっとりウトウト 束の間休む」

  「珍しき 潮目眼下に 眺めつつ 双魚の思想 得意説明

  「大雨で 大木倒れ 石落ちる 田舎山道 縫うよう走る」

  「山菜の 料理歓待 山里に 生きる人たち 温かもてなし」

   

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〇久しぶりの年輪塾

 昨年に続いて大洲市田処のホタル祭りの案内を、年輪塾生亀本幸三さんと西田和子さんからいただいたので、応援のつもりで小さなエクスカーションに仕組むことにしました。どちらが主体でどちらが客体かは分からないもののそれだったら年輪塾の学習会をやろうと役員会で思いつき、ネットでその旨を配信し準備をしました。今回の学習会は大きく分けると2本立てです。まず1本目は二宮尊徳翁夜話の輪読学習です。今回は塾頭に233話の中から東日本大震災にちなみ、「復興」をテーマに5話選んでもらい、その解説をお願いしました。

 第12話や139話、192話、199話などを選んで輪読しましたが、今般の世情は大震災の復興は勿論のこと、政治の混迷も目を覆うばかりで、二宮尊徳は大学を引用して、「一家仁なれば一国仁に興る」を引用して、一家が治められない者に一国を治められる訳がないと説いていて、そのことを日本の政治家は肝に銘じて欲しいと思うのです。国家とは国と家なのです。

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 昨日の年輪塾のもう一つのテーマは今年の春に行なった金次郎像調査の集計結果の中間報告と、塾生がそれぞれ関わった調査の裏話を聞くことでした。清水塾頭は二宮尊徳については人一倍思い入れが強く、夜話の解説ネット配信に続いて今回の調査手順の周知や調査、それに取りまとめに関する集計のデーターべス化を一手に引き受けてやってくれました。パソコンに疎い私などとても真似のできない仕事だけに、いつもながらの熱心な努力に敬意を払うのです。

 金次郎の銅像は喧嘩の学校に180体もあって、調査にはかなり時間と労力がかかりました。何故二宮金次郎の銅像はこんない多くあるのか、誰が一体何の目的で建てたのかなどなど、まさにミステリーにも似た謎の多いことにみんな驚きの声を上げていました。二宮金次郎像は銅像、石像、コンクリート像、陶器像などがあり、顔や容姿も様々で、調査の過程で知り得たとても興味のある話をみんな楽しそうに話したり聞いたりしていました。

 私はこの記録には載らない、武田信之さんの協力でサンフランシスコ・リトル日本の銅像の逸話や、今は無くなった下灘小学校の金次郎像の逸話などについて、今度の調査の裏話として記録しようと思っています。

 昨日の発表は集まった皆さんの足で稼いだものであり、今後の額集会の話題となりそうです。11月19日~20日に行なわれる予定の年輪塾公開セミナーや集録DVOの発刊が今から楽しみでワクワクしています。それまで昨日皆さんが話された調査の内容や面白い逸話はマル秘にしておきたいと思っています。


  「県内に 百八十も あるという 調査の結果 ただただ驚き」

  「金次郎 読んでる本は 殆んどが 大学一節 偉いもんです」

  「顔形 それぞれ違って 味がある 造った人に 聞いてみたいな」

  「久方に 夜話輪読を 当てられて 大きな声で 読むぞ嬉しき」

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〇伯母の17回忌法要に参加

 母の姉が亡くなってから17年が過ぎ、昨日は17回忌の法要があるという案内を従兄弟からもらい、妻と二人で町内の親戚へ出かけました。伯母が死んでから1周忌、3回忌、7回忌、17回忌という区切りの法要に最初はころは両親も参列していましたが、7回忌からは高齢の親父に代わって私たち夫婦が参加するようになり、今回も親父への案内はあったものの思うに任せず、私たち夫婦だけが参加しました。17回忌ともなると伯母の兄弟姉妹も全てなくなって、残っているのはわが親父だけとなっているため、今回の法要は私たち夫婦を除けば、10人の子どもに繋がる身内のごく内輪だけなのに、40人を越える沢山の人たちが集まって、伯母からすれば子供、孫、曾孫、曾々孫などの若き世代の活気ある姿に接し、繁栄の後を垣間見て頼もしく思いました。

 昨日はあいにく雨模様の一日でしたが、10時30分から自宅の座敷に設えた祀壇の前で、お坊さんの読経や有難い説教を聞きながら伯母の遺影や位牌を眺め、伯母のありし日の姿を頭の中に思い浮かべました。伯母は10人の子どもを産み育てましたが、若くして交通事故で製材業を営んでいた叔父を亡くしたものの、後を継いだ長男がしっかりしていて、焼杉材の商品化によって社運は大きく開け、商工会長や教育委員長なども歴任する町の有力者となりました。その後その息子も県の木材青年協議会の会長を務めたり、輸入住宅への取り組みが順調だったため、親父以上に社運を伸ばし、最近は息子の息子も帰郷、次の世代へのバトンタッチも順調に推移して、人も羨む世代移譲がが行なわれているようです。

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 伯母の思い出は尽きませんが、私の妹が生前中伯母にわが子のように大事にしてもらった恩もあるので、晩年は時々自宅を訪ねて世間話をしたことが懐かしく思い出されるのです。伯母の子どもたちもそれぞれ立派に成長され、久しぶりの再会に懐かしい話に花が咲きました。お互い年齢を重ねると昔の思い出が懐かしく、他愛ないことでもつい昨日のことのようで、伯母もさぞかし喜んでいるだろうと思いました。

 お坊さんは顔見知りで、読経の実力もさることながらその説教の素晴らしさは群を抜いていて、いつも感心して聞くのですが、昨日は東日本大震災を例に色々と含蓄ある話を聞きました。大雨注意報が発令されているにもかかわらず、裏山の墓地に向かう頃には雨も上がって、久しぶりに墓地から小雨に煙る下灘の港周辺の景色を見ることができました。

 おそらく列席した従兄弟たち全てと、顔を合わせることはもうないものと思われますが、お互い元気で余生を生きたいと誓い合い、次の日程が予定されていたので昼食会場を見送られて後にしました。

 

  「十七年 あれからそんなに 経ったのか 法要案内 妻と二人で」

  「懐かしき 従兄弟の顔を 目の当たり 子どもに帰り 色々話す」

  「坊さんの 説教さえも 学びゆえ 心の襞に 書き留めたり」

  「人は皆 こんな運命 辿るのか 俺もいつかは 伯母のようなる」 

 

 

 

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〇タマネギの収穫

 このところ梅雨を実感するように雨が頻繁に降り始めました。雨は植物にとって大切なものなのですが、こう足繁く降ると収穫時期となっているタマネギやジャガイモの収穫作業ができないのです。ましてやサンデー毎日のリタイア組とはいいながら、作業日程を自分の仕事日程に合わせなければならないため、天気が良くても作業ができない日もあって、悶々の日々が続くのです。

 その点親父は毎日週間天気予報を見ながら暮らしているので、「今日と明日しか日和がなく次の日は雨だ」と言って勝手に作業工程を組むのです。


 4日前にも私のそのようなことを言ってたまねぎの収穫作業を手伝うように促しました。ところが私は今週は3回も人間牧場で研修会が予定され、そのほかサイコーダイガク、史談会、学校評議委員会、愛媛海区漁業調整委員会などなど会議も多くて、ましてや人間牧場梅林の梅の収穫もしなければならず、タマネギの収穫どころではなかったのです。

 それでも92歳の親父一人に任せる訳にも行かず、寸暇を惜しんで日和を気にしながら、畑に植わっているタマネギを引き抜て畑で乾燥させ、キャリーに入れて夕観所まで一輪車で運び、親父が川を剥いたり吊り下げて保存するために縛ったりする段取りをしてやりました。

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 お陰様で雨に濡らすこともなく収穫作業や吊り下げ作業を殆んど終ったようです。わが家のタマネギは普通の家から見ればそんなに作ってどうするの?と言われるほど作っています。それは近所に菜園を持たない親類や兄弟が沢山いて、お裾分け用に使うからなのです。

 今年も腰や膝が痛いと言いながら親父はタマネギの除草や施肥、収穫保存作業を一人でこなしてくれました。私はタマネギ引きと保存のため軒先に吊るす程度の手伝いしかできませんでしたので、大助かりでした。年寄りの仕事はパワーこそないものの持続力でカバーして、仕事量はむしろ私より多いのですから感謝しなければなりません。もう少し元気で頑張って欲しいと願っています。

 それにしても軒先に吊り下げられた真っ白いタマネギは絵になる光景です。これから一年間軒先を吹き抜ける涼しい風を感じながら保存されて、わが家の食卓を彩るのです。昨日は早速オニオンスライスを食べました。とても美味しかったです。元気が出ます。


  「親父アリ 私はまるで キリギリス 結果的には 親父存在」

  「新タマを スライス水に 晒したる 白いオニオン 食欲そそる」

  「軒先に 今年もタマネギ 吊るしたる 絵になる光景 写真に写す」

  「新タマを あちらこちらに お裾分け これも大事な 年中行事」 

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〇キンリョウヘンの株分け

 ミツバチの師匠である西予市野村町山奥組の井上登さんに一鉢いただいた、キンリョウヘンという日本ランに今年初めて花が咲きました。庭の隅に他の洋蘭類と一緒に置いて大事に育てていたキンリョウヘンですが、去年夏の猛暑とこと春の寒波に見舞われ、これまで時々観察はしていたものの春先まで何の兆候も見れませんでした。井上登さんのご厄介になり、今年も4月8日人間牧場の巣箱に蜜蝋を塗り、5月始めにキンリョウヘンの切花を巣箱の入り口に設置して入居を待ちましたが、結局越冬種蜂の巣箱を除いて2つに入居しただけで、残りの巣箱2つは空き部屋のままなのです。それでもわが家の裏山に増設した4つの巣箱には全て入居し、ただいまは働き蜂たちが活発に飛び交って蜜を集めているようです。

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 わが家のキンリョウヘンに7個の花芽がつき、それが伸びて花を咲かせたのは分封が一段落した5月の終わり頃でした。井上登さんの住む野村町山奥組から比べると、双海町は海沿いの町で気温も高めに推移しているはずなのに、何故に花の咲くのが遅れるのか不思議な感じもしますが、桜の開花が他に比べ少し遅いことを思えば、冬の厳しい北西の季節風が花芽の表皮の水分を奪って、硬くしているからではないかと勝手に推測したりしているのです。

 それでも遅まきながら花が咲き、働きの薄い裏山の巣箱の入り口に置いたところ4~5日でその巣箱も他の巣箱と同じように活発な活動が見えるようになってきました。

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 花が終ってかれてしまったキンリョウヘンの一鉢はプラスチックの小さな植木鉢に植えられていました。よく見るとすでに根が張り詰めていて、株分けした方がいいのではと勝手に解釈し、枯らすといけないのでとりあえず包丁で半分に切り分け二つのラン蜂に上か変えました。蜂底に発泡スチロールのトロ箱を割って入れ、根を水ゴケで巻いて土を使わず植えました。この水ゴケは20年も前に私が黒山から採取したもので、ポリ袋に入れて倉庫の隅で眠っていましたが、ここにきて利用できるとは思いませんでした。

 順調に育っていつの日にかには井上登さんの手助けもなく、自前で分蜂のための花を確保したいものですが、その楽しみはまだまだ先のことのようです。


  「キンリョウヘン 何故にミツバチ 集まるか 俺もフェロモン 出して女を」

  「一株を 二株にして ネズミ算 せめて10株に 増やす目論見」

  「開花時期 何故に遅いか 謎のまま 今年初めて ランの花咲く」

  「二十年 前に採集の 水ゴケを 使い株分け 後が楽しみ」

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〇愛媛県公民館連合会主事部会研修(その2)

 主事部会研修二日目は人間牧場での私の講演が予定されていました。共栄網の工場見学が多少伸びて、予定より10分余り遅れて到着しました。昨日の二日酔いが少し残っているような人も何人かいましたが、天気も良いので水平線の家の観音開きの戸を全開して、外の風をいっぱい入れ、私が昼までお話をさせてもらいました。

 私たちが現役の頃公民館には女性職員が殆んどおらず、いても事務やお茶汲み程度で研修の機会等殆んどなかったのですが、昨日の研修会には西条や新居浜から沢山の女性職員が参加していて、私も嬉しそうな顔でお話をさせてもらいました。

 公民館活動に携わる職員にとって何よりも優先するのはやる気です。公民館に来たことを左遷だと思ったり、やる気がなければうんざりで、地域にとっても地域住民にとっても不幸なことです。その点昨日集まった人たちはそれぞれのブロックの代表ですからやる気満々のようでした。

 公民館職員は活動を運動に高めて行かなければなりません。例えばつい最近川が汚くなったという話を聞けば、汚くなった場所の写真を撮って展示や広報を行い、学習活動を仕組みます。そうすれば気づきが学習を誘発できるのです。学習で意識が高まれば学習した人たちを組織化し、川の清掃やホタル等小動物の保護活動が始まり、環境問題へと発展してゆく、これこそ活動の運動化の道筋なのです。

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 翠校区の環境活動は30年間にわたってこうした地道な活動を展開した結果、ホタルが住むような川になり河川の改修や学校の改修、そしてグリーンツーリズムとして大きな成果を挙げて地域と住民が生き生きと輝いているのです。これこそ持続可能な文化運動なのです。

 また公民館職員はやったことを記録する重要な役割も担っています。やりっぱなしでなく、やったことで変わったことや換わらなかったことをしっかり記録して、次に伝えなければならないのです。そのためには絶えず学習のために異文化ギャップを感じるような場所へ出かけることです。仲間・主張・ふるさと・感動・夢といった内示する道具を研ぎ澄ます研修はとても大事で、私のような田舎者でも、その気になれば県内外の多くの人と出会うことができたのですから、智恵と汗を出さねばなりません。

 主事部会の研修会は午前中で終り、それぞれの思いを胸にそれぞれの地域へ帰って行きました。今日からまた忙しい日々が続くと思いますが、いい地域をつくるための拠点として、特徴ある公民館を課長さんや運営審議委員さんたちとともに汗を流して下さい。

 今年は先月県公連新任職員研修かに招かれました。そして9月には中四国大会への出番も予定されていて、専門委員会や機関紙伊予路への登校等を含めると、最近にない県公連とのかかわりです。変わったこと、変わっていないこと、変えなければならないこと、変えてはならないことなどを見極めながら、これからも公民館に深く関わり、恩返しをしたいと思っています。


  「公民館 今年は何故か よくお声 微力ながらも やる気触発」

  「二日間 出会い重ねて 声を聞く 変えてはならぬ ことを気付かせ」

  「最近は 女性職員 多くなり 羨ましくも 記念写真に」

  「梅雨晴れ間 窓を開けて 風涼し 鳥の鳴き声 長閑に聞こえ」

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〇愛媛県公民会連合会主事部会研修会(その1)

 もう遠い遠い昔のことになってしまいましたが、かつて私は勤めていた双海町役場で、公民館に13年間も在籍していました。私の社会に出てからの人生を語るなら、一期目は水産学校を卒業ご家の漁船若吉丸の船長として漁師を7年、二期目は病気で転職して入庁した役場で公民館活動を指導して13年、三期目は町名変更騒動のあおりを食って産業課で村おこしや水産を担当して4年、四期目は復権して企画調整室でまちづくりを担当して7年、五期目はたった一人の地域振興課で課長としてやはりまちづくりを担当して9年、そして六期目の最後は教育長や中央公民館長を市町村合併で町がなくなるまで2年と、丸42年間をプロとして働き、長い短いはあったもののそれなりにそれぞれで輝いて生きてきました。

 公務員生活は35年間でしたが、駆け出しの公民館は私にとって一生忘れられない思い出の職場なのです。この時期は公民館主事として読む・聞く・見るで潜在能力を大きく膨らませ、書く・喋る・実践で潜在能力を顕在化する術を学んだのもこの頃です。

 請われて望んで県公連の主事部会長を6年間やりましたが、一生涯社会教育をやる、夢は日本一の公民館主事とどだい果たしえない大きな夢を持って元気はつらつと働き、青年の船の班長に選ばれてにっぽん丸で建国200年のアメリカまで行く幸運にも恵まれ、病気で転職の暗いイメージを払拭してのめり込んでいました。

 ゆえに公民館と聞けばなにをさておいても、恩返しのつもりで働かなければならないと自分の肝に銘じているのです。

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 昨日と一昨日、愛媛県公民館連合会主事部会の宿泊研修会が双海町で行われました。一昨日は夕方から翠小学校近くのピザ釜体験工房で交流会が持たれ、私もゲストとして招かれましたので、近くでもあり単車で出かけました。私が到着した17時30分にはピザ体験活動の真っ最中でした。そのうちピザが焼かれ、ビール等の飲み物も配られて楽しい酒盛りが始まりました。教育長や公民館関係者も顔を揃え、食べるほどに飲むほどに酔うほどに、あちらこちらに交流の輪ができて、名刺を交換したり活動の自慢話をしたり、まあそれは賑やかで、かつて公民館主事だった昔を懐かしく思い出しました。

 ホタルが出揃う頃に一次会を長締めしたようですが、私は原稿締め切りの日だったので明くる日の再会を約束して8時前、急いで引き返しました。


  「懐かしや あんな元気な 時期あった 反芻しながら 色々話す」

  「教育長 いきなり昔 言ったこと 引き合い出して 私持ち上げ」

  「故郷を 語れる人に なりたいと 思い巡らし 実践したな」

  「恩返し しないとバチが 当たるぞと 言い聞かせつつ 今も真摯に」

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