shin-1さんの日記

〇共栄網加工場(その2)

 先日友人の市原実さんが千葉県からはるばるやってきた折、偶然にもチリメンジャコの生産をするであろう湯気が上がっているのを共栄網の加工場で見ました。市役所の松本さんを介して見学を申し入れ快く承諾をいただいたので、三人で見学しました。

 竣工してからまだ一度も見学をしていなかったし、一度は見学したいと思っていた矢先のことだったたためラッキーでした。運よく中積み船がチリメンジャコを積んで帰って来たため、ポンプと長いホースでチリメンジャコを水揚げする様子や煮釜で茹でて釜揚げされるまでの行程の一部始終を見学することができました。

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(沖合いで2艘船引き網で漁獲されたチリメンは中積み船で加工場突堤まで運ばれてきます)

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(中積み船の活け間にポンプの吸い口が入れられ、蛇腹ホースで加工場へ運ばれます)

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(加工場の水槽に運ばれたチリメンジャコ)

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(水槽からコンベアーに乗って煮釜に入れられボイルされます)

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(工場内のプラントは全てオートメーション化されています)

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(ボイルされたチリメンジャコが発泡スチロールのトロ箱に落ちてくる仕組みになっています。)

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(製品は例風雨で冷やされ、目視と手作業で異物を取り除き、冷蔵庫へと運ばれ製造工程を終ります)

 始めて見るチリメンジャコの製造工程は、2階の工場見学窓からも見ることができますが、機械と人間、それに魚の息遣いがじかに見れる機会は余りないのでいい同行した市原実さんも喜んでいました。先日息子の同級生で共栄網で働いている和田さんからチリメンジャコの釜揚げが一箱届きましたが、いやあ新鮮な釜揚げのチリメンジャコは美味しかったです。乾燥したチリメンジャコも釜揚げのチリメンジャコも、双海町の特産物としてもう一工夫したいものです。特に釜揚げは余り出回らないため希少価値があるようです。


 高齢化による漁業後継者不足を一般公募して乗り切り、近代化した加工場も出来上がりました。難点は漁獲時期が周年でないため、加工場の稼働率が悪いし、労働力を集中できない難点も未だ解決されていません。特産品の開発に取り組んでいるものの、ヒットやホームランを打つまでには至っていないのも実情です。幸い冷凍技術が普及しているこの時期なので、何とか新しい智恵を生み出したいと思うのですが、猟師の頭もまだまだ柔らかくないようです。


  「チリメンが 釜揚げされて トロ箱に まるで水晶 高級品だ」

  「この工場 何とか周年 執念で 動かすような 智恵を出したい」

  「おらが町 自慢のものが また一つ できたのだから 生かす方策」

  「竹かごで 各々家へ 運んでた 昔懐かし 今は隔世」



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〇共栄網の共同加工場(その1)

 わが双海町に一口株主制度として100年以上の歴史を持つ、共栄網という漁業団体があります。形式的には漁協の内部組織となっていますが、れっきとした独立団体なのです。昭和30年代まで伊予灘には上灘小網、下灘、中島、長浜などに、カタクチイワシを漁獲して煮干に加工する巾着網がありましたが、加工技術が漁獲したカタクチイワシを個人に分配して各々にまかせていたため、その重労働に耐え切れず次々と姿を消していったのです。坂の集落でイワシを各々の家庭まで運ぶ作業がきつかった上灘小網も例外ではなく、「小網だけには嫁にやるな」と言われるほど煮干を生産する労働がきつかったようです。

 そんな重労働から開放されたいと願う漁師たちは、隣の集落の空き地を求め、共同加工場を国や県の補助を得て造りました。当時の白石県知事が同じ郡内出身ということもあり、田中角栄のような選挙応援の見返りもあって、深い信頼関係の財力支援があったようです。

 最盛期には2統の巾着網が沢山のカタクチイワシを水揚げし、品質のよい丸共印の煮干として、時には天皇陛下お買い上げ等を自慢に全国に出荷されていました。

 しかし巾着網が大勢の労働力的人力を要するため、魚網自動巻き取り機導入やFRP船導入等度重なる近代化を図ったものの、漁民の高齢化もあって追々細りの感じが否めませんでした。


 折りしも郡中や松前では鶏が先か卵が先かのゴタゴタが続いていました。長い歴史を持つ巾着網から2艘フナ引き網に変身することは容易ではありませんでしたが、県の指導や許可制付与もあって、煮干と季節によってチリメンを導入することにしたものの、既に加工場や機械器具は老朽化し、衛生的な工場建設と加工機械の導入が急務となっていました。この事業には多額の資金が必要で、補助金で造った施設や設備ゆえ耐用年数が残っていたこともあり困難を極めましたが、多くの人の智恵と汗によって昨年見事に復活を遂げたのです。

 かつて双海町役場で水産を4年間担当し、加工場や漁船の近代化に紛争したことのある私なので、加工場の竣工はわがことのように嬉しい出来事でした。私の家もかつては煮干を製造していたので実情をこの目この肌で覚えているので、ことさらな気持ちです。


  「共栄網 歴史辿れば 江戸時代 一口株主 今に続いて」

  「あの村に 嫁にやるな 殺される そんな悪口 昔話に」

  「農村に 比べ漁村は 遅れてる 一周遅れ 今は先頭」

  「いつの日か 漁村の歴史 書き残し 記録しないと 記憶の外に」

 

 

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