shin-1さんの日記

○夢はドリームではなくターゲットである

 昨晩というより今朝早くという方が正しいのかも知れません。午前2時に寝たため、久しぶりに日常より1時間も遅れて午前5時に親父の声で目を覚ましました。「雨が降りそうだから、土用干ししている梅干を影に入れるように」というのです。早速身支度を整え外に出ると、小さな雨粒が顔に当たりました。大変だと思いつつ大慌てで梅を干したサナを両手で抱え、東屋や地下室上の部屋にしまい込みました。親父は鼠径ヘルニアの手術をしてまだ日が浅いので、重い荷物はご法度とばかりサナを置いていたみかん箱キャリーを一緒に片付けてくれました。梅を取り込み終わると親父の注意どおり雨が降り始め、間一髪で濡らすことなく無事終わりましたが、かなりの作業だったため大汗をかきました。

 昨日に続いて今日も遠出です。合併して鬼北町となった旧広見町にある北宇和高校で、トライアル研修というのがあって、私は毎年スキルアップの講師とし招かれ、お話をするのです。今年はこの高校が金融教育の指定校に選定されているので、金融広報委員会のご支援をいただくことになりました。私は金融広報委員会のアドバイザーをしていることもあって、県内外の高校へお話をしに出かけますが、自分では若いと思っていても既に65歳、果たして私の話が高校生に受け入れられるか、いつも多少の戸惑いを感じながら出かけますが、午後12時40分からの一時間、しかも会場が和室という多少のハンディーを背負っていたものの、今日の高校生の聴く態度を見た限りでは、何らかのお役に立ったのではないかと、ホッと胸を撫で下ろしました。

若松進一ブログ

 私は今日の講演で夢を持つこと、夢の実現に向けて日々コツコツ習慣化した実践を積み重ねると、夢は必ず実現することを、私が青年の頃描いていたアメリカ行きの実話を元に話しました。他愛のない私のささやかな経験談ですが、今にして思えば夢はドリームではなくターゲットのような気がするのです。

 控え室となった航行の事務所では、高校野球愛媛県大会の決勝戦の模様がテレビで放映されていました。宇和島東と済美の試合は結局3対2で宇和島東が甲子園行きの切符を掴みましたが、どちらの高校も甲子園出場を夢見てこの一年、地とのにじむような練習をしてきたに違いありません。結果的に勝利の女神は宇和島東に微笑みましたが、負けはしましたが済美高校が得たものは、勝った宇和島東より多かったのかも知れないのです。

 北宇和高校野球部も今年は大活躍でした。甲子園へこそ行けなかったものの、失敗や挫折もまた高校生にとっては大きな将来への力になるはずだと思いました。

 夏の雨そぼ降る中を、歯長峠を越えて宇和町から高速に乗り、無料化実験事業の恩恵を受けて伊予市まで走理由方わが家へ帰ってきました。


  「五十ほど 歳の差開く 高校生 俺の話に 熱心耳を」

  「願わくば 昔の俺に 帰りたい 思ってみても 帰れないから」

  「夢持って 小さなことを 積み重ね いい人生を 送って欲しい」

  「若者にゃ 明日があるさ 明日がある 歌の文句に どこか似ている」 

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shin-1さんの日記

○往復370キロの日帰り講演小旅行

 片道165キロ、往復370キロを、しまなみ海道10の橋を渡って愛車を運転、広島県世羅町まで講演に出かけてきました。高速道路を使っても往復8時間以上かかる一人の運転では、講演という気を使う仕事も組み込まれ、加えて講演が終わるのが午後9時30分という時間設定では、これが限界といった感じの距離でした。その辺のこともあって主催者側から、事務局長さんの自宅へ民泊するよう手配してくれていたのですが、事務局長さんが海外旅行で体調を崩してしまい、近くのビジネスホテルを代替用意していただいていたのに、どうしても私の明くる日の日程が積んでいて、結局はホテルをキャンセルしてもらい、深夜1時過ぎに無事自宅に到着しました。

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(世羅町役場)

 深夜の走行はカーナビのお陰で迷うことなく満月の真ん丸い月とランデブーしながら、中国地方の国道に設置された温度計の温度22度~24度を観察するように走りました。深夜のしまなみ街道はさすがに車の交通量も少なく、「熟年暴走族」といわれない程度、少しスピードを上げながら注意をして走りました。

 世羅町での講演はこれが三度目ですが、三次市川西地区での講演の際も142号線を通っているし、尾道と合併した御調町へも講演に招かれているので随分安心していました。

 自治サンターの丸山さんから夜の会までに大見地区内を見て欲しいと言うので、少し早めの午後3時に世羅町役場前で待ち合わせしました。大見自治センターでは旧友の田中一裕さんが待っていてくれました。田中さんは過疎逆のメンバーで、私の自宅や人間牧場へも来ているし、アウトドアーの名手で彼の作った燻製ベーコンは一流なのです。

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(今年で閉校する大見の小学校)
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(寺本さんの農耕文化伝承館山里)

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(せらワイナリー)

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(訪れた世羅高原農場のひまわり畑)
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(もう一週間もするとこのようなひまわりの花が咲くそうです)

 自治振興会の会長である世羅幸水園の寺本稔さん、丸山さん、田中さんの案内で町内を巡回しました。小学校が今年で閉校になること、高齢化が進み限界集落もあること、世羅町の観光客が年間180万人に達したこと、広島空港までのアクセス道路が整備されつつあること、この地域が分水嶺で一方は瀬戸内海へ一方は日本海へ川が流れていること、そのためワニ(サメを食べる)文化があること、絶滅危惧種になっているブッポウソという渡り鳥の営巣活動を築をあげて取り組んで成果を挙げていること、珍しい車で走れば森の熊さんの音楽が聞こえるメロディロードのことなど、道すがらの説明にも熱が入りました。

 寺本さんは自分で農耕文化伝承間を持っており、その収集資料の多さには驚かされました。同じ世羅町に住む知人の金丸さんの資料には叶いませんが、それでも70歳を越えなおかくしゃくとした寺本さんの生き方にも強い共感を覚えました。

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(珍しいブッポウソウの剥製)

 夕方、三次市の過疎逆メンバーである和田さんや宮崎さんと落ち合い、一緒に積もる話をしながら夕食を共にしました。和田さんも宮崎さんも相変わらず元気いっぱいで、今回も大きなパワーをいただきました。和田さんも宮崎さんも私の講演会に参加していただき、この夜の講演会は参加者も多くて、いつになく賑やかな講演会となりました。

 田舎に地域づくりのエリートを育てる話で大いに盛り上がりましたが、合併して役所がだんだん遠くなった感じのする今こそ、自分たちにつながる人たちにどんなバトンを渡せばいいのか、いよいよ私たち世代のラストチャンスがやってきたようです。私もそのことに力を入れていますが、人間牧場をフィールドにしたエリート(本物)育てにもっともっと力を注ぎたいと思っています。

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(講演会に集まった参加者)

  「旅先で 懐かしき人 訪ね来る 旧交温め 話に花が」

  「こりゃ凄い 農耕道具 これでもか 集め集めて 私的に展示」

  「この地区も 今年で学校 閉校と 寂しく話す 日本の田舎」

  「ブッポウソウ 始めて見たが 瑠璃色の 羽を広げて 巣立ち表現」

 

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