shin-1さんの日記

○高松で開かれた地域活性化推進連絡会議

 今日は朝から雨でした。今日は午後4時から香川県高松市の駅前にあるサンポート高松で、四国圏ブロック地域活性化推進連絡会議があって、特急いしづちで出かけました。伊予上灘駅から松山駅を経由しようと考えましたが、前日は雨で海岸線が運転見合わせになるなどの混乱があったので、松山駅まで車で出かけ、駅前のキスケ駐車場に車を止めました。JRでは乗車促進のため高松や岡山へ出張で往復切符を購入すれば24時間駐車場が無料になる駐車券を発券する粋な計らいをしてくれるため、運よく切符売り場に本町出身の亀岡さんがいて、そのことを教えていただいたので恩恵に浴しました。

 予讃線の特急は、特急しおかぜと特急いしづちが瀬戸大橋の袂にある香川県宇多津駅まで接続して走り、そこで岡山行きと高松行きにそれぞれ分かれて走る珍しい路線なのです。今日は雨模様に加え平日の昼間なので、乗客もまばらで、隣の席も自分の席のように荷物を置いて大名気分のような小旅行となりました。

 今日はさした役割もないので暢気なもので、ウトウトや読書を決め込んで、すっかりリラックスしながらの旅を楽しみました。お陰様で持参した本を一冊完読することができました。

 雨脚はそんなに酷くはありませんでしたが車窓を濡らし、車窓に流れる風景は一面青田で、美しい日本の原風景はこの青田だともおもいつつ、秋もせず眺めていました。

 このところ美食が進み少し栄養過多のようなので、今日は思い切って昼食を抜くことにしました。どうせ帰宅が10時近くになるから、食の門限と定めている9時以降の夕食となる予想なので、苦肉の策なのです。これまでにも昼食は忙しくて食べ忘れはしょっちゅうでしたが、労働をする訳でもないので、食べ過ぎより一食抜く方が体調保持にはいいようです。

 高松といえばうどんで、駅の構内には「連絡船うどん」という懐かしい名前の立ち食いうどん店がありますが、今日は匂いだけにしようと心に決めて、目と鼻の先にある会場となっている合同庁舎サンポート高松ビルへ向かいました。雨も止んで持っていた傘を開けることもなく歩を進めました。玄関受付で同じ会議に出席する高知大学の坂本先生とばったり顔を合わせました。いつの間にかこの会場もセキュリティが厳しくなり、まるで飛行場のような認証カードを受付を終えていただき、ゲートをくぐりました。このビルにそれほどの安全や情報的価値があるのだろうかと、むしろ行政の閉鎖性を感じたりもしました。

 会議は内閣府地域活性化統合事務局の参事官と企画官が出席し、1時間余り政府の方針を微細に聞きました。政権交代や事業仕分けで事業内容もすっかり様変わりしていましたが、四国地方の活性化に向けた新しい取り組みが机上プランで進んでいることや、それを具現化するために四国内95市町村の状況把握が少し進んでいて、少しだけいつも私が言っていることが進捗しているように思いました。

 会議終了の予定は17時30分だったので、前もって17時50分の列車に乗ることを事務局に伝えていたため、意見交換では真っ先に手を上げ、4~5分程度のショートなコメントを述べさせてもらいました。意見に対する企画官のコメントをいただき、横に座った坂本先生や徳島上勝町の横石さんの意見を聞いたところで17時30分を越えたため、事務局の声賭けで会場を後にしました。

 考えていれば、僅か5分だけ意見を述べるだけのために往復8時間をかけて高松へ行ったのです。でも国の流れを知る上で貴重な資料をいただき、お陰で帰りは企画官の説明した資料を列車の中で読み返しながらある程度理解することが出来たようです。まあいい一日だったと自分を納得させ、雨の中を午後10時に我が家へ到着し、門下野振りの夕食を食べました。


  「久方に のんびり列車 本を読む 車窓流れる 青田見ながら」

  「JR 粋な計らい するものよ 駐車券つき 乗車券買う」

  「門限を 破ってまるで 夜食なる 夕食食べて やっと落ち着く」

  「金がない それは逃げ口 知恵あれば ここは宝の 山のようです」

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shin-1さんの日記

○昨日は大雨の土砂降りでした

 何年か前、高知県馬路村へ行って安田川沿いに下った時、ワイパーも効かぬほどの時ならぬ土砂降りに逢い、高知県の雨粒の大きさに驚いたものですが、昨日の朝の土砂降りの雨粒はそれに匹敵するような大粒の雨が、バケツをひっくり返すような勢いで1時間余りに渡って降りました。

 家の周りは時ならぬ雨でまるで洪水のように水が至る所から噴き出して、日ごろは自家菜園用に給水している小さな水の取水口も、流れ出た土砂に埋まって、パイプが外れて取水できなくなったり、また水はけ側溝も水が溢れんばかりに流れて、水音のする小川のようになっていました。

若松進一ブログ
(溢れるように流れる側溝)

 松山市ではあちこちで浸水被害が出たようで、正岡子規ゆかりの愚陀佛庵は裏山が崩れ、全壊したとテレビで報じていました。私はその直後に会議のため松山市外へ入りましたが、日ごろは水無し川のような重信川も中須は水没して濁流が勢いを立てて流れていました。

 松山市ではこの大雨と登校時間が重なって、大雨警報が出たため休校になった所もあるようです。大雨の被害といえばどちらかというと、過疎地や遠隔地が多いのですが、最近のゲリラ的大雨は都会や中都市でも見受けられ、浸水や土砂災害に意外と弱い盲点も指摘されているようです。


 わが家も今年はつい最近、地下室に水が流れ込み、思わぬ被害に見舞われました。その後片付けをしていてぎっくり腰になって難儀をしたり、その修理のため入院間近な親父の心労も患わせましたが、どうにか一段落したところで、あらためて「天災は忘れた頃にやってくる」の諺をかみしめて、しっかりと防災準備をしなければならないと、思いを新たにしたのです。

 病気が回復した親父は、一日中家にいるため尼がよく降る日などは水害に遭ったら大変と、雨の降る前には必ず側溝の掃除をしたりして対応してくれているのです。昨日も朝の大雨の中を傘を差して鍬を片手に一生懸命掃除をしていました。

 梅雨明け間近を思わせるような大雨も峠を越したようです。今年は今のところ台風の発生が少ないので、そのことが原因しているのか、鹿児島県では猛烈な雨が降り土石流が何度も発生した南大隅のことを気遣いながら、梅雨明けを待っている今日この頃です。

  「少しなら 雨も風情と 思えるが これほど降っちゃ 憎くっき雨に」

  「天災は 忘れた頃に やって来る 忘れるはずも ないほど記憶」

  「雨降って 地が固まると いうけれど 地盤緩んで 裏山心配」

  「もうこれで 渇水心配 ないものと 勝手解釈 雨を悪者」

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