shin-1さんの日記

○大洲市田処ホタルと夜神楽エクスカーション②

 外が暗くなった頃、私たちエクスカーションの一行は、600メートルほど離れた熊野神社へ夜神楽を見に出かけました。ひなびた田処山村の街中をゆっくりと歩きながら、小学生の頃遠足で急な峠道を歩いて越え来た当時のことを思い出していました。夜の帳が降り始めた県道の沿線には手作りの行灯に灯が入れられ、その行灯を道しるべにしながら熊野神社の灯篭をくぐって石段を上りました。

 夜神楽は既に始まっていて、かがり火の焚かれた境内も神社の拝殿も人が沢山集まって、神楽の舞いに見入っていました。境内には樹齢400年を越える県指定天然記念物のカヤの木や、二抱えもあるような杉の大木が繁り、雰囲気は最高でした。

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 聞けばこの藤縄神楽は今年愛媛県の無形文化財に指定されたそうで、知人もそのメンバーとして活躍しているので再会を楽しみにしていましたが、奥さんにはお会いしたものの神楽の裏方が忙しく、声をかけることは出来ませんでした。

 神楽の舞には色々な演目があるようですが、素人の私たちには中身がまったく分からず、めくりがめくられて演目が変わるたびに神楽面が変わったり、道具が変わった様子を人の頭越しに見る程度でした。やがて拝殿から私の名前が呼びあげられました。驚いた私は何事か飲み込めないまま拝殿に上がりました。どうやら両手に円盤投げの円盤に似た道具を持って踊れと言うのです。烏帽子を被った神官がその前に踊った踊りを真似をして踊るのですが、大太鼓小太鼓、鐘のリズミカルな拍子に合わせて、両手に持った三日月とお日様を書いてある円盤を落とさないよう体をぐるぐる回すのです。普通は目が回るのですが、この円盤を見ながら回転すると不思議なことに目が回らず、鳴り止まぬ大きな拍手大喝采をいただき、多少有頂天になって踊りました。神様の前で悪ふざけをしたことを今は悔やんでいます。踊り終わるとお礼にお持ちをいただきましたが、境内の観衆めがけて撒いてあげました。

 
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 夜神楽の宴もたけなわでしたが、私たちはホタルの飛び始める8時になったので神社を後にして元来た道を引き返し麓川沿いに学校まで帰りました。そして学校に架かる橋を渡っていつの間にか満車になっている運動場の横を通ってプールの近くまで行き、ホタルの乱舞を見学しました。田処のホタルは乱舞という言葉がぴったりで無数のホタルが光を発しながら飛び交っていました。「まあ綺麗」「来て良かったね」と口々に暗闇の中で言葉を交わしながら、しばらくの間過ごしました。

 やがて9時近くになったので、子ども参加したり今治や西条からの参加者もいることから、皆さんにお礼を言ってお暇をしました。西田和子さんや亀本幸三さん、それに沢山のボランティアの人たちに随分迷惑をかけてしまいましたが、田舎の山里で夜神楽やホタルなどで久しぶりに、心を癒していただきました。


 追伸

 えひめ地域政策研究センターのアシスト事業で助成をした「いこい」という手作りの集会施設が、その後活動の拠点として立派に運営されている姿をまのあたりにすることができました。審査に加わった一人としてこんなに嬉しいことはありませんでした。

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(西田さんが自慢げに話す集会私設「いこい)



  「夜神楽に 呼ばれ飛び入り 舞を舞う 神を冒涜 したかも知れぬ」

  「学校が 消えてなくなる 予定だと 寂しく語る 山里訪ね」

  「同級生 この山里に 嫁いでる 久方ぶりの 再会嬉し」

  「山菜を ふんだん使った 手作りの 弁当美味い 味は忘れじ」

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shin-1さんの日記

○田処エクスカーションは楽しかったです①

 昨晩は私が塾長を努めている年輪塾の塾生に家族が加わり、大洲市田処の矢落川にホタルを見に行くエクスカーションが開かれ、私も日ごろ不義理をしている妻を誘って参加しました。午後5時に双海町下灘コミュニティセンターへ集合と決めていましたが、早い人遅い人のばらつきがあって、出発は30分ほど遅れてしまいました。双海~内子線は県道ですが急峻な山ゆえ九十九折の道のため、迷子になったら大変と私が先導、松本・清水さんがしんがりを固め、6台の車を連ねての行脚です。朝ヶ峠を越え、平家の落人集落法師を過ぎて田処へ入りました。私の車には妻に加え晴美さんと浜田さんが乗り、楽しいおしゃべりをしながらののんびり旅でした。

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(このテーブルは21世紀えひめニューフロンティアグループが差し上げたものです)

 会場となる活性化センターは小学校と併設されていて、運動場広場に車を顔見知りの誘導者の言うがまま駐車して中へ入りました。この会場へは講演やホタル祭りなどで何度も来ているため知人友人も多く、早速世間話に花を咲かせました。

 この日は私たち20人ほどの一行のために昼からボランティアの皆さんが丹精真心を込めて手料理を作って待っていてくれました。地産品をふんだんに使った料理が並べられているのは、21世紀えひめニューフロンティアグループが10年間で40回のフロンティア塾をやった折、塾に使っていた手作りのテーブルを譲ったものなのです。重くて大きいテーブルも活性化センターのホールでは小さく感じるほどでしたが、程よく収まり花を添えているようでした。

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(美味しかった手作り料理の数々)

 大杉塾の代表である西田和子さんと事務局の亀本幸三さんのコンビネーションもすこぶるよく、ホタルの生態に関するスライドショーや二宮金次郎の歌の唱和など、ついつい田処流の地域づくりに引き込まれながら、押ししいい料理に舌鼓を打ちました。天ぷらも筍の煮付けも、お寿司も、そしてソーメンも全て美味しく、私は完食して終いました。私たちのために昼から田舎料理を作ってくれたボランティアスタッフの方々にお礼を言いたいと思います。ボランティアスタッフの中には中学校時代の同級生中野貞子さんもいて、ご主人ともども久しぶりに旧交をお温めました。中野貞子さんと松本さんの母親も同級生で奇遇を難じました。

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(スタッフの皆さん)

 スタッフメンバーの中に徳田糸江さんもいました。糸江さんも双海町出身で、ご主人が経営する建設会社が私が役場産業課で水産を担当していた頃、下灘漁協の荷捌き所を作った折落札して施工をしてもらい、その後筆まめな糸江さんと筆不精な私のはがきのやり取りが何度かありました。春先にも先日建設業協会女性部での講演会後も心温まる絵手紙を届けてくれました。嬉しい限りです。これからも皆さんとは仲良く付き合って行きたいものです。

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(今年の春4月19日、徳田糸江さんから届いた春を告げるイタドリの素敵な絵手紙です)



  「一山を 背中合わせに 住む人の 懐かし顔に 会えて嬉しい」

  「手作りの 山里料理 舌鼓み 全て平らげ 幸せでした」

  「10年も 使い古した 思い出の テーブル囲み 過ぎし日思う」

  「お互いに おじさんおばさん なったけど 心は若く あの頃同じ」


  

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