shin-1さんの日記

○虫の食べる野菜は健康です

 昨日サワラ流し網に大量のハマチがかかって港に水揚げされたと連絡があり、近隣の友人に差し上げるためおすそ分けをしてもらいました。昨日のハマチは少々小降りでしたが、海水温度が下がり始めたのか身も引き締まっているように見えました。最近は発泡スチロールのトロ箱が出回り、魚を冷やすために入れた氷もちょっとやそっとでは解けず、水分も外に出ないため持ち運びも便利で重宝しています。普通は近所のコンビニで1キロ200円の氷を買うのですが、昨日は港で少しいただいたのと、わが家の冷蔵庫製氷を使いました。

 わが愛車はまだ新品なので、さすがにトランクにトロ箱を積み込む勇気もなく、昨日は軽四トラックの荷台に積んで走りました。伊予市水口農園の水口まり子さんの所へ行きました。まり子さんとは更生保護女性会の研修会で知り合ってから何かと気が合い、つかず離れずの交流をしていますが、年末には葉ボタンの寄せ植えをいただいたり、季節外れのトマトやキューリをいただいています。またつい先日黒豆の枝豆が宅配便で届けられましたが、これがまたとても美味しく、ビールを飲まなくなったことを悔やんでいるのです。

 普通は社長の奥さんが事務所にいて、まり子さんはハウスの中で忙しく働いていいるため、広い農場なので中々出会わないのです。ですからもう1年近くも顔を見ていないのではないかと思うほどなのです。昨日はたまたま事務所のすぐ近くで枝豆の出荷作業をしていたため、奥さんが呼びに行ってくれました。まり子さんは相変わらずの人懐っこい声で面談してくれました。開口一番「キャベツや白菜は育っている?」でした。約1ヶ月前野菜の苗を沢山いただいて家庭菜園に植えていることを気遣っての言葉なのです。

 「先日の台風18号の吹き戻しの風にやられて倒れましたが、何とか持ち直しています。最近は青虫が食べています。虫がつかない方法はないものでしょうか」と近況報告とお尋ねをしました。即答「若松さん、虫も食わないような野菜は人間も食べれません。健康な野菜の証拠です。虫は丁寧に目と手で取ってください。人間も虫がつかないようではダメですね」と、納得な話しに大笑いをしました。

 「若松さん、枝豆とキューリを持って帰ってください。玄米食と聞いていたのでお米も差し上げます」といって、自宅の倉庫まで二人で車を走らせ、居合わせた社長さんが大きな30キロ袋をトラックの荷台に積んでくれたのですたかが魚くらいでこんなにいただく分けにはいかない」と思いましたが、甘んじていただくことにしました。それにしてもいつものことながら水口まり子さんの太っ腹な生き方にはただただ驚かされてしまいます。そして虫が食べる野菜に人間をなぞらえて、今回もいいお話を聞くことができたのです。こういう自信を持って日々を生きている人に会うと何となく勇気をいただくようでホッとするのです。

 私は色々な機会や場所で色々な人に巡り合い、色々なことを学びます。それは断片的ながら私の心の畑を耕したり種をまいてくれるのです。水口まり子さんも畑を耕してくれたり種をまいてくれる一人なので、これからも大切にしたい友人です。


  「虫喰わぬ 野菜作って 何になる なるほどなるほど 納得納得」

  「差し上げた 重さ数倍 いただいて どこか変だと 首振り帰る」

  「時ならぬ 枝豆食べつ 酒止めた ことを後悔 食卓囲む」

  「ああ今日も 人生学校 また一つ 教えいただき 少し利口に」  

 

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○浅い眠りと深い眠り

 今朝親父の隠居に行くと「近頃夜が眠れない。昨晩は眠りが浅かった」と私に言うのです。そして「○○の夢を見た」とか「○○が気になる」などと寝れない原因を並べるのです。普通は気丈な人間でこれまで余り言わなかったのですが、さすがに寄る歳波には勝てないのか、少しずつ弱音を吐くのです。妻も私も日中は殆ど家におらず、自分ひとりが留守番をしていると、ついつい考える事が多くなるのでしょが、息子の私にしか吐露できないために話しているのだと思って、もっぱら聞き役に回るのです。

 親父の話しによると最近夢に10年前亡くなった母が出てくるというのです。92歳の高齢になると死への不安とこれからの生き方、この家の将来のことを色々考えるのも無理からぬことなのです。

 親父の一日は午前5時に始まります。起床するとまず顔を洗って神棚と仏様にお祈りをします。そして特老付近まで片道1キロ程度、往復2キロの散歩をします。近所の人の話では92歳とは思えないしっかりとした足取りで歩いているそうです。帰るとパンをトースターで温めてハチミツを塗り2枚食べます。食事が終わると午前中は天気が良ければ殆ど毎日畑に出て仕事をするのです。お昼になると近所に住んでいる姉や叔母が色々な物を持ってきてくれて昼食を済ませ、午睡をⅠ時間ほど取り、午後は主に自分の趣味である骨董品の手入れや大工仕事をしているようです。午後4時になるとご存知時代劇の水戸黄門を見て夕方まで過ごすのです。

 夕食はご飯以外は妻が運びます。私と同じように肉は余り食べないので魚と野菜が中心で、刺身は好物なのでほぼ毎日盛って行きます。こうして一日を終え、風呂に入って午後7時過ぎには床に就くのです。眠りに着く時間が早いので朝5時の起床まで有に9時間は寝ていて、午睡昼寝の1時間を加えると10時間は寝ている計算になるのです。これでは眠りが浅いはずなので、言われても余り心配はしていないのです。

 私の場合など12時に寝て、午前4時に起きるのですから一日の睡眠は僅か4時間です。したがって床について眠るまでは余程のことがない限り5分以内です。でも親父の浅くて長いダラダラ眠りではなく、深くて短いぐっすり睡眠なので、別に寝不足と感じたことはないのです。

 親父に「寝不足で死んだ人はいない」と、よく冗談交じりに話します。拷問などで寝させない話を聞きますが、人間は眠たくなったら脳も体も寝てしまうのですから別に心配はないのですが、重要なのは脳を悩ます心配ごとです。親父の話では私の息子、つまり「この家の跡取りが親と同居しない現状だと、今にこの家は潰れる」という心配もあるようです。また自分の老骨も忘れて私の体のことも気がかりのようです。まあ悩みの種は尽きないようで、そんな煩悩に悩まされるのは生きている証拠ですから、孤独にならぬよう出来る限り隠居へ足を運び、話し相手になるよう心がけたいと思っています。浅い眠りの親父と深い眠りの息子は今日も同じ敷地内で生きています。

 

  「寝れないと 言ってる割には よく寝てる 親父の日課 太陽と同じ」

  「浅いとか 深いとかいう 眠りだが 人それぞれに 違うものなり」

  「歳とると 何かにつけて 気がかりで 自分さておき 息子気遣う」

  「ああ歳は とりたくないと 嘆くけど 歳はとるもの 百パーセント」 

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shin-1さんの日記

○当然と必然、それに偶然を思う

 私は常々と当然と必然、それに偶然を思うことがあります。私の浅はかな知恵で、当然は当り前、必然は必ずそうなること、偶然は予期せぬことに出会うことくらいの意味しか浮かびません。当然と必然は毎日起こっていることなので別に気にも留めずやり過ごしていますが、これが偶然となるとその偶然に驚いたり、時には忘れられない思い出となったりするのです。

 

 昨日人間牧場の畑でお茶の木に無数の花が咲いていることに気がつきました。顔を近づけ花で匂いを嗅ぎましたが、お茶の花らしく控えめな香りに、何ともいえない癒された気持ちになりました。その花を見ながら「この花は秋になると毎年季節を告げるように咲くのに、私を含め誰ひとりとして見ることもなく、香りを感じることもなく咲いては散っていくのです。昨日あの時、たまたま私が見た偶然はこの花と私の関係において地球上で起こった凄い数の確率の偶然なのです。

 今朝当然的に4時に起き、いつものように自分の書斎に入って電気をつけ、パソコンスイッチを入れて毎日やっているようにまずGメールを開けて読み始めました。昨晩全てを読み終わり必要なものは処理して寝たので、未読メールの数はそんなに多くありませんでしたが、その中に知人からのコメントがありました。その友人は偶然なのか必然なのか分りませんが、私のブログを読んで感想を書き込んでくれていました。察するに時々私のぶる具を読んでいるものと思われますが、これも私や友人にとっては偶然な出来事なのです。


 数日前の日曜日、私は妻と二人で松山市内の温泉に行きました。妻と私は混浴でないため時間を打ち合わせ、男女それぞれの暖簾をくぐって温泉に入ろうとすると、「若松さんではありませんか?」とた声をかけられました。私はとっさのことゆえ失礼ながらその人の顔も名前も忘れていましたが、自己紹介をされた言葉で私の脳のカンピューター回路が動き始め、名前と顔が一致して「はい覚えていますが、こんなところで会うとは珍しいですね」と昔を懐かしんだのです。こんな偶然はしょっちゅうで偶然と言えるかどうかわかりませんが、私とこの人の関係においては凄い確率の偶然なのです。

 ある人から頼まれて私がにわか思いつきで書いた文章が、先週佳作程度の入賞を果たしたと主催者から連絡がありました。私はこれまでにもNHK青年の主張の原稿審査もパスして県代表になった経験があります。また海外派遣30周年記念論文募集では総務庁長官賞もいただきました。これも私が応募する当然も必然もないのですが、書くという作業によってのみ与えられた偶然と言えば偶然なのです。駄作ゆえ人に読んでもらうほどの文章ではなく、東京での表彰式には出ないことを決めていますが、もしあの友人の言葉を真に受けず書かなかったらと思うと、今回の受賞も偶然なのかも知れません。

 こうして当然と必然の繰り返しの毎日の中で、時々突発的にやって来る偶然は、加齢とともに数こそ減ったり思い出すことすらできなくなってくるのでしょうが、確率が高いほどその偶然は驚くのです。もし毎年妻がささやかな夢として買っている宝くじに当たって前後賞合わせて3億円を手にすることがあったとすると、これはもう青天の霹靂で、偶然としか言いようがないのです。当然そんな偶然はないと思うのですが分りませんよ・・・。まてよ、妻と出会って結婚したのは当然か必然か、いや偶然かな?。


  「この花を 今の瞬間 見てるのは 世界で私 一人なのです」

  「偶然に 見つけたブログ コメントを 書き込み意見 これも偶然」

  「わが妻と 縁結ばれ 結婚す これは当然 必然偶然」

  「偶然は いいことばかりじゃ ありません 事故に遭うの 偶然ですから」

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○人間牧場にも秋がやって来ました

 今日はこのところの忙しさですっかりご無沙汰していた人間牧場へ草刈り作業に出かけました。妻に握り飯3個を握ってもらい、少々のおかずを入れて出発しました。途中町内のガソリンスタンドで草刈り機用の混合ガソリンを4リッター仕入れ、また時々魚を貰う親類の漁師さんにトロ箱の返品と、先日掘ったサツマイモを持って行きました。あいにく留守でしたが、分かるだろと勝手口に置きました。

 今日は一日中天気も良く、ましてや北海道では佐呂間町では氷点下の寒さになったと友人からメールが入ったように、日本列島もこの秋一番の冷え込みになったようです。

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 人間牧場は海にせり出すように建っていますが、日向と日影の部分があって、日陰の部分を見つけて草を刈ると暑くもなく丁度よいのです。このところ温度が下がったためか藪蚊もなく快適順調に草刈り作業は進んで行きました。草刈り作業中は戸外ながらエンジン音がかなり高いため、携帯電話の音が聞きとれないので、バイブにしていましたが、午前中に7本、午後に8本、合計15本の電話が入りました。そのいくつかは着信表示で、休憩中に相手を呼び出し連絡を取りましたが、携帯電話で要件は片付くものの作業効率が悪く、その都度エンジンを止めての対応を余儀なくされるのです。作業中故予定表も持っていないのでかなりあやふやな返答をしたものもあるようです。

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 今日は草刈りの度に草刈り機の邪魔になる枯れて地上に横たわっている木々や小枝を広場まで運び野焼きをしました。こうすれば草刈り作業中に焼却処分ができるのです。沢山集めた枯れ木も帰るころには全て燃え尽き灰になっていたようです。

 人間牧場には秋の気配が漂っています。今年の春草刈り十字軍がやってきて草を刈った折、大洲市田処の亀本さんが親株から出ている枯れた茅を刈り取ってくれたものが、遅ればせながら綺麗にススキの穂を出し秋の訪れを告げていました。まるで花瓶に活けた活け花のようで見事でした。

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 また、春の新芽をお茶に加工したお茶の木には無数の花が咲いて、ほのかなお茶の匂いを漂わせていました。真っ白なな花の雌しべは黄色でそのコントラスは秋の青空に見事にマッチしていました。ツワブキの黄色い花も少し花が開いてきたようで、いよいよ秋本番なのです。

 草刈りは午前9時から午後4時まで、一生懸命やったお陰で随分はかどり、前回の草刈りから間がないこともあって背丈も短く凄いスピードで進んで行きました。後少しのところで妻から電話が入り帰りに親類の漁師さん宅へ立ち寄ってお魚をいただいて帰るように伝言されました。

 今週の土曜日にはかまどの火入れ、来週には沢山の人たちが人間牧場へやってきます。綺麗に散髪したように見える人間牧場を楽しんでほしいと持っています。


  「今年また 季節巡りて 秋来たり ススキ茶の花 青空映えて」

  「ほどほどの 涼しさゆえに 藪蚊さえ 何処へ行ったか 姿も見えず」

  「さあこれで 客人来ても 恥かかず 牧場説明 力がこもる」

  「携帯も 便利なようで 手を取られ 都度にエンジン 止めては話す」

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○日本銀行松山支店長さんにお会いしました

 日本銀行といえば「お金を発行している所」くらいしか知らず、私たちの日々の暮らしとは直接関係のないように思える銀行なのですが、その政策業務一覧を見ると、金融政策、金融システムの安定、決済システム・市場基盤、銀行券・貨幣の発行、国庫・国債・対政府取引、国際金融、調査研究、統計、対外説明・広報、災害対策・業務継続などなど、実に多彩にして幅広い仕事をこなしている銀行なのです。

 全国には9ブロック毎に32の支店と10の事務所があって、東京にある日本銀行本店とネットワークされているのです。私たちに最も身近な四国には高松、高知、松山の3つの支店と徳島に事務所がありますが、私は松山支店にちょくちょくお邪魔しているのです。

 「あなたのような貧乏人が何で・・・」と言われそうですが、実は私と日本銀行松山支店とはかなり長い関係なのです。最初の出会いは日本銀行松山支店内に貯蓄推進委員会というのがあって、その委員会が貯蓄運動を推進していて、当時公民館主事をしていた私はこの運動を推進したり、委員会にあるフィルムライブラリーから映画のフィルムを借りて盛んに活用していました。また貯蓄推進実践地区に指定されると3年間財政的支援や資料配布などの指導支援を受けられることから、漁協婦人部などを実践地区に推薦指定してもらい、私は地区推進員としてその指導に当たり、研究集会などに出て積極的に発言していたのです。

 その姿が推進委員会事務局の目にとまったのか、昭和51年に貯蓄一般推進員に推されたのです。その後貯蓄推進委員会は時代の流れに合わなくなったため金融広報委員会と改名し、貯蓄推進員も金融広報アドバイザーと呼ばれるようになったのですが、私は公民館~産業課~企画調整室~地域振興課~教育長~リタイヤと所属部署や環境が変わりながらも、一貫して30年を超えてこの運動に携わってきたのです。貯蓄推進員になった私は全国で一番若い部類の推進員として注目を集めましたが、今は65歳になってロートルのそしりを免れなくなって、そろそろ引退をせねばと思っています。でもこの運動は年齢でするものでもないので、周りを見ると年齢的や気力的にはまだ少し余裕があるのかも知れないのです。

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(秋山日本銀行松山支店長さんとともに)

 昨日はその金融広報アドバイザーの研修会が日本銀行松山支店内の会議室でありました。演劇鑑賞や飲み会などご入魂にしていただいていた丹治前支店長さんが北九州支店に異動になり、本店から新しい支店長さんが来られました。私の都合でまだ一度もお目にかかっていなかったので、同席したのを機会に名刺交換させてもらい懇談しました。新聞やテレビでしか拝見していませんでしたが、秋山支店長さんも気さくな方で、既に県内各地を回られているようで、シーサイド公園にも立ち寄られた話をされていました。

 昨日の研修会の講師であるえひめ産業振興財団プロジェクトマネージャー渡邊憲一さんの酒席話しも、中々面白く参考になるお話でした。

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(楽しい酒席話しの講演をする渡邊さん)

  「三十年 あっという間に 高齢者 そろそろ荷物 降ろす日近し」

  「貧乏な 私が何故に 日銀へ これまた不思議 自分で思う」

  「支店長 知識と知恵の 塊りで 愛媛グイグイ 牽引願う」

  「この仕事 私一番 得をした 設計通り 人生生きれて」

 

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○集落問題勉強会

 「集落問題を考える会」の定例会が昨晩中山町佐礼谷犬寄にあるゴリラハウスで行われました。まるで動物園のオリの名前のような施設名に最初は私も戸惑いましたが、春のひな祭り行事が行われた折妻と二人で訪ねていて二度目なので驚きもせず、待ち合わせ場所の市役所双海事務所でえひめ地域政策総合センターの松本さんの車に乗せてもらい、15分足らずの山道を総勢5人で登って行きました。夜の帳が降りた山道は少しさみしい山村の風情を醸していましたが、ゴリラハウスの中は煌々と電気がついて、持ち主の松浦さんが温かく出迎えてくれました。ご主人の松浦さんは私より少し若いのですがかつて若いころ青年団活動をともにした間柄だし、奥さんの千枝子さんは市役所の福祉部長を最後に退職されましたが、若いころ保険所に勤務していて、公民館の講座に度々来ていただいた方なので、疎遠といいながら気心の知れた方なのです。

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 集まった方々は研究会のメンバーに加え市役所の職員もいて15人ほどになりました。世話人の徳本さんのリードで2時間ほどの話しあいは和気あいあいのうちに進みました。この日は長年福祉行政に携わった松浦さんの話を聞くためのものでしたが、言葉の端々に鋭い指摘が沢山出てとても参考になる意見でした。また愛媛大学法文学部に通う木下さんという大学生も参加していて、フレッシュな意見を述べてくれました。

 何の束縛も拘束力もない、年に4回程度開く集会ですが、過疎や高齢化、少子化の進む田舎の疲弊しきった姿に妙案を出しつつ話はいつも堂々巡りとなるのですが、それでも少しずつ焦点化し始めていると、回を重ねることの重みを感じました。

 次回は双海町の順番で、奥東集落の地域通貨について学習することを決めて散会しました。

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(思いを込めて話してくれた松浦千枝子さん)
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(いつも参加していただく市会議員の武智さん、今回泉県議は出張欠席でした)

 かつては隣町だった中山町の松浦千枝子さんや武智実さんも、加えて参加した全員が今では私と同じ伊予市民です。合併してまだ四年余りしか経っていないため、まだ多少の違和感がありますが、それでもこの人たちと自分の住む街の将来について語り合えることは合併のメリットであると思うのです。合併は未だデメリットばかりが諦め声として聞こえてきますが、夏の終わりに開いた鱧祭りといい、合併によって旧伊予市民だった人の知恵が加わって新しい風が吹きつつあることを嬉しく思うのです。

 地域の自立に向けて旧双海町もいよいよその真価が問われそうです。わが住む町、息子や孫が住む町だからみんなでいい町にしたいと願っています。昨日はほのぼのとしたいい会でした。次回も楽しみにしています。


  「隣町 隣の人と ついついに 思うが今は 同じ市民だ」

  「味のある 話を聞いて ホッとする さすが極めた 人は違うと」

  「無駄だけど 無駄に中には 無駄がない 無駄口叩き ほのぼの帰る」

  「動物園? ゴリラハウスの 名前聞く 都度に説明 何度しただろう」

 

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○飛び込みのお客さんへのお接待

 昨日飛び込みで東北からお客さんがやってきました。この方のおっしゃるのには私を紹介した朝日新聞の記事を読んだそうで、四国を回る旅の途中道の駅ふたみシーサイド公園に立ち寄った際、突然そのことを思い出したそうです。特産品センターふたみんCの職員に私のことを伝え、電話がかかってきたのです。運よく自宅にいた私が電話に出ると、「急ぐ旅でもないのでどうしてもお会いして話しが聞きたい」と、半ば強引に迫ってきました。昨日は頼まれた原稿書きの締め切りが近付いていて、どうしても昨日中に仕上げなければならないと意気込んでいた矢先だっただけに、内心は断りたかったのですがそうもゆかOKしてしまいました。

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(わが家果樹園のみかんの木)

 そのお客さんは岩手の方だそうで、聞けばご夫婦でのんびりと退職記念の旅を続けているのだそうでした。少し肌寒かったので私設公民館煙会所の囲炉裏部屋に通し、友人浜田さんいただきもののお菓子を添えて温かい素茶を出しもてなしました。ここ解けの話ですがその茶葉は葬儀のお返しにいただいた八女茶なのです。

 ひとしきり話し込んだ後私がお茶碗の後片づけをしている間、外に出て海の資料館海舟館や家庭菜園を見て回っていました。わが家の家庭菜園には続いて果樹園があり、極早生のミカンが黄色く色づいて収穫の時を迎えているのです。目敏く見つけたその方はみかんの木になっているのが珍しいのか、急いで車に戻ってデジカメを取り出し、夫婦お二人で盛んに写真を撮っていました。二人並んだところを撮ってあげ、彩果鋏を用意して収穫したらと勧めるととても喜んで、みかん狩りを楽しんでいました。二人は思わぬチャンスに感激し、自分で摘んだみかんを美味しい美味しいと連発して食べていました。

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(この枝を切って差し上げました)

 たわわに実ったみかんの枝を果実がついたまま切り取り、段ボールを用意して摘んだみかんの上に乗せ10キロ程度差し上げました。見ず知らずの飛び込みの客にこうまですることはないのですが、私にとってはこれが我が家流のおせったいなのです。

 結果的にその夫婦はわが家で2時間も過ごし、居合わせた親父とも会話をして帰って行きました。お陰で私の原稿書きは完全にストップして、夕方予定していた集会に出席するため諦めてしまったのです。でも「まあいいか」と袖すりあった人との出会いを喜んだ午後のひと時でした。

 夜遅く集会を終えて自宅へ帰ると時ならぬ携帯電話です。電話に出ると、道後温泉に泊まっているという昼間の夫婦からお礼の電話でした。「嬉しかった」「初めてみかん摘みを体験し感激した」「お土産にいただいた枝ごとみかんは今夕宅配便で自宅に送った」「あなたの親切は忘れない」「いい生き方を見習いたい」などなどでした。傍にいた妻に昼間のことや電話の内容を話してやると、「お父さん、今日はいい一日だったね」と感想を述べてくれました。妻の言うとおり本当にいい一日でした。


  「ありふれた みかんの木なり 東北じゃ ない故心 ときめきながら」

  「お接待 何気ないから いいのです 葬儀いただく お茶を差し出す」

  「夜遅く 泊まる宿から 電話入る 旅先受けた 恩に感謝し」

  「今頃は 私の摘みし 枝みかん 宅配便にて 東北目指す」


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○前期高齢者と後期高齢者の違い

 私が10月3日の誕生日で「前期高齢者」の仲間入りをして10日余りが経ちました。それまでは何とも感じなかった「高齢者」という3文字がやたら目につくようになったのは、やはりそのことを意識しているからかも知れません。特にこれまで無頓着に振る舞っていた「後期高齢者」になっている親父との関係も、少し変化が出てきたのでしょうか、いちちその動きが気になるようになってきたのです。

 親父と私の暮らし方の根本的な違いは完全リタイアとセミリタイアです。私は65歳までは働こうと思っていましたので、本当は今年の誕生日を機に全てを投げ出そうと思っていましたが、今までの流れもあってそうは問屋が卸さないのです。まあ当分は残務処理だと思い成すがままに生きて行こうと思っていますが、成り行き任せにも行かないので当分は軸足を少しずらしながら完全移行したいと思っています。

 親父は家の外へは自転車で行く病院通いと買い物以外は殆ど出ません。それに比べ私は毎日外へ出ない日は殆どないのです。最近買ったトヨタカローラとスズキ軽四トラック、それにヤマハのバイクの3台を使い分けて外へ出るのです。勿論遠方は飛行機や新幹線、特急などの公共交通機関を使いますが、私の行動範囲はこの年齢にしては飛び切り広くて北は北海道から南は九州沖縄まで、気の遠くなるような距離を動くのです。当然毎日会う人の数も半端ではなく、時には2度3度と会うリピーターも多く、深くて狭く、浅くて広い人間関係は記憶するのがやっとですが、これが私の財産だと思い、手紙やはがき、それにメールで無事や近況を確認しているのです。

 親父の情報源はテレビとたまに訪ねてくる人から口伝えに入るもの以外はありません。最近の私の情報源はインターネットが主流を占めて、本や雑誌といった活字からも手に入れるし、前述した出会いの多い交流によって人から入ってくるのです。その量たるや親父の何倍になるのか想像もつきませんが、その殆どは聞き流し情報として時の流れの中で忘れ去られているようです。

 親父は朝早く起きますが、寝るのも早く太陽とともに暮らして寝る時間が長いようです。私の場合は朝は親父と同じですが、寝るのが深夜になるので睡眠時間は一日4時間とまあ普通の人よりはかなり短いようです。

 親父は家の周りの仕事を毎日のようにこなしています。そのスピードや量は一回ごとそんなに多くはなくても、まるで亀の歩みのように集まれば凄い量になるのです。一方私は機械類にものを言わせて、親父が10日もかかる草刈りを僅か坂地でこなすのですから、えらい違いなのです。

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 私は前期高齢者になったのを機に、やがて迎えるであろう後期高齢者になった時のことを想定して親父の生き方を少しずつ見習おうと思っていますが、親父が毎日何気なくやっている庭や家庭菜園の草引き、庭木の剪定などなどは早速始めようと思っても腕が着いて行けず、今は自信がないのです。親父が元気なうちにその手ほどきを受けてしっかりと伝授してもらいたいと思っています。

 今朝も親父はわがyそ歳から見える裏庭に出て、一生懸命庭木の手入れをしています。今日あたり少し手ほどきを受けようかと思っていますが、締め切りの近づいた原稿書きがあるため、またまた気持ちはあってもお預けのようです。


  「わが家には 年寄り部類 二人いて 前期と後期 それぞれ生きる」

  「あのように アリのごとくは 生きられぬ キリギリスだと 自分で認め」

  「耳遠い 要らぬ情報 入らぬため 人間上手く 出来ているもの」

  「行く路の 先に見本の 親父いる 自分の後に 息子近づく」

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○行く秋を楽しむ

大型で強い台風18号が大きな爪痕を残しながら日本列島を縦断してから、一週間があっという間に過ぎ去りました。自然とは偉いものであれほど長く続いた残暑も台風一過であっという間に気温がぐんぐん下がって、昨日の朝久万高原町では朝の気温が6度まで下がったと報じられていて、一気に秋が深まろうとしています。昨日の体育の日で各地の運動会は一応終わりましたが、変わって新聞やテレビは連日のように県内各地の秋祭りの様子を詳しく報じていてるようです。

 わが家や人間牧場にも南国四国と言いながら少し遅い秋がやってきて、そこここに秋の気配が漂い始めました。まずわが家の直ぐ下の田んぼは秋田こまちという早生系の稲が8月下旬に刈り取られ、そのあとに蕎麦が蒔かれていたようです。今年は9月に少雨状態が続いて傍の背丈が伸びませんでしたが、ここにきて背丈は低いものの蕎麦の白い花が一斉に咲き乱れ今が満開のようです。バラやスイセンなど見る花もいいですが、蕎麦や菜の花のような生産のための作物の花も群生するため見方によっては美しい景観として深い味わいがあるのです。通り過ぎる皆さんはその蕎麦の花にあまり関心を示さないようですが、私は美しい田舎の風景としてとても大好きななおで、昨日の夕方外出先から帰ってカメラに収めました。

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 昨日はたまたま外出先で妻と二人昼食に蕎麦を食べました。ゆえに蕎麦の花を見てまだ胃袋の中に残っているであろう食べた蕎麦を思い出しながら、新蕎麦の出回る晩秋を心待ちにしているのです。そしていつの日か私も畑に蕎麦の種を播いて蕎麦の花を楽しみ、蕎麦打ちを体験したいものだと思っているのです。

 昨日は友人浜田さんと人間牧場へ行きましたが、私が植えたツワブキの株が随分繁殖して、株の中から無数にツワブキの花が頭を持ち上げていました。わが家の裏庭周辺にも野菊やヨメナの花に交じってツワブキの黄色い花がそこここに見えるようになって深い秋の気配が漂い始めているようです。

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 野の花はじっと見ていると、派手さこそないものの深い味わいがあります。これまでは忙しい日々を過ごしていて、野の花や自然の移ろいをないがしろにして暮らしてきましたが、65歳を迎えたのを機に少しだけ軸足を自然との共生に置き換えて生きて行きたいと、蕎麦の花やツワブキの花を見ながら思いました。

 昨日の夕方、近所の子どもたちが花摘みを楽しんでいました。遊びは何もテレビゲームや漫画だけとは限りません。道端の草花を摘みながら美しいと感じる情操豊かな心を育てることもできるのです。そのためにはまず親が草花を見て綺麗と思う心を持たねばならないのです。幸い私は母の影響を受けて、そんな優しい心根が育っているようで、今にして思えば嬉しい限りです。今年は行く秋を思い切り楽しもうと思っています。


  「行く秋を 惜しむがごとく 咲く花に 思い巡らせ 一人楽しむ」

  「この花も 私が見ねば 誰も見ず 散って行くのか 私だけでも」

  「蕎麦の花 眺め新蕎麦 思うとは 愚かなりけり 花を愛でねば」

  「花を摘み 遊ぶ幼子 二三人 頭を撫でて 心を褒める」

 

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○懐かしい下灘界隈を歩く

 昨日夕方私の携帯にメールが入りました。携帯メールの苦手な私はメール番号を特定の人にしか知らせていないので、滅多にメールは入りませんが、「明日の予定はいかがですか。できれば昨年亡くなった商工会長をしていた三井典行さんの墓参りに行きたいのですが」と友人の浜田さんからメールです。私も慣れない手つきで、「明日は友人が病気なので見舞いに行くので留守と」返信メールを送り返しました。しかしメールを送ってから、「待てよ、相手の浜田さんは松山から下灘まで汽車でやってきて、できれば人間牧場へも立ち寄りたいというのだから、歩かせる訳にもゆくまい」と、電話で「朝早くの午前中なら何とか都合がつくのでご一緒したい」旨の電話を入れました。

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(下灘駅の朝の風景)

 昨日は親父の隠居にある地下室に雨水が流れ込んだ片付けや、漏水修理工事の後片付けなどに朝早くから夕方まで息子と二人忙しく働いて疲れていたためか、今朝は久しぶりに5時過ぎまで目が覚めずぐっすり寝込んでいました。モーニングブログを一本書き終わったらもう7時過ぎでした。急いで身支度を整え軽四トラックで浜田さんとの待ち合わせ場所であるJR下灘駅へ行きました。

 列車は7時52分着なので少しの時間駅前の日通に、西田利子さんを訪ねました。西田さんは一週間前埼玉県寄居町へ講演で出かけた折出会った永田さんの妹さんなので、会ってお礼が言いたかったのです。西田利子さんのご主人も私と一緒に青年団活動をしていた間柄なので、短い時間ながら色々な積もる話をさせてもらいました。やがて駅構内に列車が停止したブレーキ音が聞こえたのでお暇し急いで浜田さんを迎えに出ました。

 浜田さんは愛想いい笑顔を浮かべてリュックを背に駅のプラットホームに降りて来ました。

 浜田さんを乗せて三井さん宅まで行き、店番をしていた奥さんに墓地の場所を聞きました。かつて住んでいた生まれ故郷なので勝手知ったる場所ゆえに運動公園に車を止めて矢野上さん宅前の急な坂道を線路を超えて昇って行きました。奥さんの言われた通り昇りつめた墓地の手前にお墓はありました。浜田さんと三井さんの詳しい出会いは分りませんが、私が二人を知っていること、宮本常一と下灘の水仙が円であることなどなどのようで、浜田さんは律儀にもお墓参りに来てくれたという訳です。浜田さんはこまめな方で用意してきたシキビを立て線香に火をつけ、二人で手を合わせて拝みました。

 ここは桜の名所として春には毎年美しい花を咲かせていますが、いつの間にか老木になっていて、少し元気がないように感じました。この墓地に私の母方祖母や祖父のお墓がありましたが、今は子どもの住んでいる伊予市へ引っ越しています。何度かお墓参りに来たことがあるのです。

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(お墓掃除をする浜田さん)

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(三井さんの墓地)

 墓地からは下灘小学校や下灘の町が一望できました。この風景も忘れかけていた懐かしいものでした。浜田さんと違う道を通って上浜の商店街に出ました。小学校の正門に上がる急な道も、園協前の道も酒井商店横のガードも昔のままの姿なのに、自分の背丈が大きくなってせいでしょうか、どこか小さく感じられました。

 坂井焦点の前ではたと気がつきました。この商店の二階で私は妻と初めての見合いをしました。僅か5分間の見合いでしたが、結婚を決意し今の私たち夫婦が誕生したのです。少し気恥ずかしい感じもしますが、半世紀近くも前の出来事が昨日のことのように思い出されました。このことを思い出しただけでも浜田さんに感謝しなければなりません.。浜田さんとは、私が友人の病気見舞いに行くためシーサイド公園で別れましたが、思わぬ昔の感傷にしたるいい一日となりました。

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(下灘地区の中心地の風景)

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(下灘小学校正門前の急な坂道)

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(園協前の路地とガード)

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(商店街の中ほどにある左手が坂井商店、この家の2階が見合い場所です)

  「友人に 誘われ友の 墓参り 懐かし風景 少し変わりて」

  「背が伸びた せいかも知れぬ そこここの 小さく見える 路地を歩きぬ」

  「半世紀 前にこの店 二階にて 見合いした人 今はわが妻」

  「人影も 見えぬ街中 寂しけり 過疎ゆえ仕方 ないと諦め」 


 

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