shin-1さんの日記

○孫朋樹、鉄棒逆上がりがやっとできるようになりました

 孫朋樹は今年1年生になりました。これまでの幼稚園生活と違い、学校は全てやることなすこと初めての経験なので、親も子どもも戸惑うことが多い一年のようです。朋樹は夏休みを前に「夏休み中に苦手の鉄棒逆上がりができるよう頑張る」という目標を掲げたのです。でも鉄棒のない家庭では逆上がりの練習などできず、学校も不審者や防犯対策として門扉を閉めて中に入れないため、夏休みが終わりに近づく苛立ちを、わが家に向けてきました。娘の相談に乗ったわが家でには大人用の鉄棒がありますが、残念ながら低鉄棒がないのです。早速親父に相談して鉄棒の棒をホームセンターへ行って2千円で買い求め、鉄棒の改造計画をすることにしました。

 手先の器用な親父は鉄棒の中ほどにグラインダーで切れ目を入れ、穴をあけてステンレスの針金で固定したのです。さあ特訓とばかり夏休みに泊りにやってきた孫を相手に何度も何度も練習しましたが、腕の力と腹筋力がない朋樹は中々上手くいかず、手に豆を出した苦い経験と、夏休みの目標が実現できなかった悔しさで悶々の日々を過ごして2学期を迎えていたのです。

 9月の運動会や、わが家の愛大生訪問というお互いの家の一大行事も無事終わり、一昨日から娘婿の出張に合わせて娘の家族と息子の家族合計8人がわが家へ泊りにやってきました。それぞれ一段と大きくやんちゃになった孫たち4人は、それぞれの成長主張を行うため、家の中は泣いたり笑ったりの大戦争のようでした。

 この二日わが家では漏水個所の修理工事で水道屋さんが来ていて、土を掘り返したり、コンクリートをはつったりする騒音がけたたましく、その都度室内や室外の荷物を移動しなければならずかんり散乱した状態になっていました。帰ってきた息子も手伝ってくれて、また一年生の朋樹もそれなりの手伝いをしてくれやっと掃除や片づけを終わってホッとした時、何気なく鉄棒にすがって遊んでいた朋樹の体が鉄棒の上で逆さ中に舞い、逆上がりができたのです。私も驚きましたが、当の本人も驚いた様子で、「出来たできた」と大喜びで、コツをつかんだのか2度3度鉄棒の上で宙返りをしました。

 さあ大変です。自分の逆上がり出来るのを見てもらおうと、家族を呼び集めました。やがてみんなの見守る中自信のある逆上がりを披露しようとしたのですが、それより前に何度かやったため握力が低下して中々上手く行かなくなってしまいました。

 それでも歯を食いしばって助走をした結果どうやら逆上がりする姿をみんなにお披露目することができたのです。

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「今日は逆上がりができた僕の記念日だ」と仰々しくはしゃぐ朋樹にみんな大きな拍手をして祝福しました。早速祝賀会をしようという話しになって、朋樹のリクエストで、回転ずしを食べに行くことになりました。昨日の夕方家へ帰る途中みんなで合流して寿司屋へ行きました。寿司屋はは連休ということもあってかなり込み合い、15分ほど待ちましたが、ボックス席を2つ取り、楽しい10人の食事会となりました。朋樹は私たちのようなものは食べず、コーンのお寿司、ウインナーのお寿司、イクラの寿司などなど10皿も食べて大満足でした。支払いはおばあちゃんの財布というところが落ちでした。

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  「逆上がり 出来たできたと 喜んで ギャラリー来たが 上がってできず」

  「低鉄棒 作った甲斐が ありました 今日は記念の 寿司で悦び」

  「何気ない ことにみんなが 一喜する 孫は満面 得意になって」

  「十皿も 食べて平気な 孫朋樹 私は十皿 四苦八苦す」 


  

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○モザンビークからのお客様に目を白黒

 一昨日、グローバルネットの深井さんから、「土曜日の午後双海町の海岸清掃ボランティア活動に参加するのでぜひお会いしたい」というメールが入ってきました。深井さんは私のことを青年団、若松、剣道全国青年大会と結び付けてイメージしていたようですが、どうやらその若松とは私のいとこのことのようでした。でもグロ-バルネットのことは私も知っているのでせっかくの機会だからと、午後の予定が入っているので昼休みにお会いすることにしました。

 深井さんはさすが活動家で、12時きっかりにわが家へ子ども二人を連れてやってきました。彼女のメールによるとアフリカモザンビークからお客さんを連れてくるというのです。私の家には外国人も時々来るのですが、私のようなも田舎者にとってアフリカの青年と会う機会はそれほど多くないだけに興味深々でした。居合わせた漏水修理工事の水道屋さんンも時ならぬ黒人男性の来訪に目を白黒させて遠巻きに見入っていました。

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 ティトシュさんというモザンビークの青年は紙の勉強で日本に来ているそうなのですが、英語の殆ど話せない私にとっては中々意思が伝えられず、深井さんと通訳役の高校生の娘さんを介して言葉少なに話をしました。ティトシュさんはわが家の海の資料館海舟館や私設公民館煙会所を興味深そうに見学していました。

 日本は紙の文化だとよく言われています。障子や襖で仕切られた民家も、生活の洋風化で随分姿を消してドアの文化になりつつありますが、それでも紙は照明器具や掛け軸など至る所で日本らしい文化を醸しているのです。近くには内子町五十崎の天神手すき和紙などもあって、古い伝統が今に息づいています。

 かつて海外派遣すれた人で構成している団体の県の会長をしていたこともあって、わが家へはこれまで沢山の外国人がホームスティしましたが、最近はそれも遠のいて人間牧場へ見学や交流にやって来るのみとなりましたが、余裕のできたこれからは英語も話せないけれど、交流を深めて行きたいと思いました。


 昨日は双海の青空にパラグライダーが幾つも浮かんで、長閑な秋の一日でした。明日の体育の日と合わせると三連休という人もいて、人の動きがいつもより多く、シーサイド公園も沢山の人で賑わっていたようです。私が種をまいたシーサイド公園も、こうして多くの人がボランティア活動などによって守ってくれているのです。役場を退職するまでの僅か12年間でしたが、毎朝3時間たったひとりで清掃活動をしたことも無駄ではなかったようだと、改めて思いました。

 それにしてもティトシュさんを連れてきた深井さんは娘さんがめぐみさん、息子さんが海さんという名前だそうで、深い恵み、深い海と読み替えるとこれまた楽しい名前です。めぐみさんは広島の大学への進学も2年後に外国へ留学することも決まっているそうで、外国人とこうして交流することは将来大いに役に立つようで、羨ましい限りです。


  「外国人 わが家ひょっこり やって来た お目々パチクリ 居合わせた人」

  「片言の 英語でハローが やっとです 言葉の壁を 身振り手振りで」

  「握手する 手から伝わる 友情が 心揺さぶり グッバイまたね」

  「久方に 外国人と 面談し 遠い昔の 外国思う」

 

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○実りの秋のサツマイモ掘り

 わが家では家庭菜園では作らないと決めているものが幾つかあります。その中にスイカとサツマイモがあるのですが、いずれも大好物なのにです。作らない訳は簡単で、これまで何度か試みましたが土地柄か余り美味しくないし、スイカは夏場の旬に地元東峰という産地の飛び切り上等な味を楽しんだ方が得策だし、サツマイモは毎年埼玉県北本市の友人峯尾さんから早掘りサツマイモが届くため作る必要がないのです。そんな訳でこの10年ほどは作付をしませんでした。

 ところが今年は春先、生活改善グループの総会に記念講演で招かれ、講演先で小玉スイカの苗を5本もいただきました。さてどうするか考えましたが、畑があいているのでとりあえず植えてみました。その後順調に育ち、親父の世話が良かったのか沢山実をつけ、味もまずまずで少し考えを変えて来年も作ろうかと考えているのです。

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 サツマイモも園芸店に出かけた折、一本50円のツルを10本ばかり買い求めました。また人間牧場の農場ではいのちのリレープロジェクトと称してサツマイモを種イモから芽を出させて子どもたちが栽培していますが、5月の植え付け時に余ったツルを捨てるのも勿体ないと思って持ち帰り、買った10本のツルとともに植えたのです。

 サツマイモは夏の日照りや水不足にもめげず順調に育って、実りの秋を迎えました。9月に試し掘りしましたが、比較的日当たりのよい場所の2本のツル元から10個以上のサツマイモを収穫し、これまで蒸かしイモや天ぷらにしてその味を楽しんできました。

 昨日は台風や秋雨で降った水分が渇いたようなので、サツマイモを掘りました。長く伸びたツルを鎌で切り分けてどかせ、マルチ用の黒いビニールをはがせてさあ芋掘りです。最初の一鍬で地上に出てきたのは人間の頭ほどもあるそれは立派な、今まで見たこともない赤イモでした。

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 畑に二列植えているのですが長さは8メートルくらいはあり、順調に掘り上げて行きました。普通サツマイモは細長い恰好をしたものを連想しますが、今年の芋はどういう訳か殆どが丸くんでいるのです。したがってその一番芋にツルの栄養分が集中したのか、数は2~3個くらいですが、まあ太さは抜群でした。中には4~5個もついて、農林水産省の米の出来を示す指標を参考にすると、キャリーに二杯も採れて作況指数100の豊作だったようです。

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 夕方仕事から帰った妻は早速この丸々太ったサツマイモを細切りにしてケンピみたいな感覚でから揚げにしてくれました。そこへ娘家族と長男家族が久しぶりに泊りにやって来て、妻の揚げ立てアツアツのサツマイモをつまみ食いし始めました。お塩をパラリ振ったスナック風のサツマイモは夕食の食卓用だったのに、大人気で作るほどに無くなって完食となりました。妻も孫たちや子どもたちがこれほど喜んでくれるとは思っていなかったので大喜びで、「おばあちゃん、また作ってとせがむ孫の笑顔に、「また作ってあげるからね」と笑顔で返していました。トンビならぬ孫たちに油揚げさらわれた感じがして、私の口には余り入りませんでしたが、今夜あたりお通じの良いサツマイモのことゆえ、みんなが屁をこいたら家じゅうが臭くなると、これまた楽しいジョークに大笑いをしました。


  「丸々と 太った芋が 次々と 地中にゴロリ 美味しそうだな」

  「早速に から揚げにした サツマイモ 美味い美味いと 孫たちつまむ」

  「ジンクスを 破って作った サツマイモ 味は抜群 来年作ろう」

  「芋のツル 投資金額 五百円 五倍以上の 成功報酬」

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○小さな小さなわが家の台風被害

 日本の各地では大型台風18号の甚大な被害が連日のように新聞やテレビで報告されています。テレビに映し出される被害状況を見るにつけ、全国各地に住んでいる知人や友人の安否や被害が気にかかります。メールで

その都度確認しますが、北は北海道から南は沖縄まで知人友人のいる私にとってそれをすべて掌握することは難しく、顔や訪ねた場所をを思い出しつつ心を痛めている程度なのです。

 大型で強い台風が直撃するかもしれないと早くからその対策をしてきましたが、幸せなことに私たちの町では台風の被害は殆どありませんでした。わが家でも裏山が近くてこれまでに2度も大きな災害に遭っているため、私と親父は早めに溝をさらったり吹き飛ばされそうなものを収納して対策を講じました。妻も懐中電灯や長靴、合羽などを用意していましたが、ことなきを得てホッとしたところです。

 昨日の夕方郵便局の顔見知りの職員がリンゴの宅配便の注文書を持ってきました。わが家では年中リンゴが必需品なので毎年買い求めています。多分このリンゴ宅配便の発祥は何年か前台風で落ちたリンゴを地域支援の目的もあって始めたものなのですが、それがいつの間にか訳ありリンゴ、つまり落ちたり傷がついたりしたリンゴとなって続いているようです。

 今回も台風の風で長野県や東北ではリンゴが随分落ちたと報じれれています。落ちたリンゴはまだ未熟のものもあって出荷できず、地中に穴を掘って埋めている様子がテレビで映し出されていました。収穫を楽しみにしていた矢先の打ちひしがれた農家の苦悩を思うと、胸が痛くなるのです。今年も訳ありリンゴの宅配便を利用したいと思っています。

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 私の家でもブルーベリーの鉢植えが倒れて木が折れたり、ブロッコリーが軒並み倒れたという記事を書きましたが、昨日は裏庭から太指ほどの竹を切りだし、竹の支柱を立てる作業をしました。70センチほどの長さに切った竹の根元を槍のように尖らせて立てて行くのです。親父が手伝ってくれて、私が立てた支柱にブロッコリーを一つ一つ丁寧に起こしてビニール紐で結んで行くのです。お陰で1時間余りの作業で何とか復元することができました。ブロッコリーやキャベツ、それに白菜などはかなり大きく成長していますが、気候が暖かかったため青虫がかなり発生して葉っぱを食べられていました。本当は自家菜園なので消毒はしたくないのですが、このままだと全滅する恐れがあるので、青虫を手で一つ一つ取っていましたが、追いつかないため今日の午前中親父と一緒にスミチオンの軽めの消毒をしました。

 食べれるのはまだまだ先のことなので、このまま順調に成長してほしいと願っていますが、農業も中々難しいようです。


  「吹き戻し 風に倒れた ブロッコリー 親父と二人 支柱で戻す」

  「訳ありの リンゴ宅配 いかがかと 郵便局員 したたかやるね」

  「あの人の 地域はいかが 思い出す 顔を浮かべて どうかご無事で」

  「周到な 用意したけど 何事も なくて良かった 今度の台風」  

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○漏水修理工事

 「若松さん、あなたの家の水道メーターを取りつけた時、どこも水を出していないのにメーターが回っています。漏水かも知れませんので一度調べたほうがいいですよ」と、知人の水道屋さんが私に耳打ちしてくれたのはもう3ヶ月も前のことでした。そういえば最近「水道の使用量が多いなあ」と思っていたので、「済みませんがお暇なときに調べてくれませんか」と頼み、「そのうちに」という返事でした。

 時々その方に会う度に思い出すのですがすっかり忘れていました。ところが先週になって漏水調査をしたようで、ある程度漏水箇所を突き止めたので工事をしたい旨の電話連絡があり、私の在宅を選んで昨日の午後

水道屋さんはやって来ました。

 馴染みの顔の二人の従業員さんは目当ての場所のコンクりートをカッターで切り削岩機で掘り始めました。何せ目に見えない地中のことなので一度で掘り当てることはできないだろうと、掘る方も見ている方も半信半疑でしたが、二ヶ所目に水の吹き出し口が見つかり、余分に掘った場所から水がかなり勢いよく噴出していました。

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(二ヶ所目で漏水個所が見つかりました)

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(漏水個所は土台のすぐ横でした)

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(エルボのL字部分が割れて水が噴き出していました)

 わが家が新築したのは昭和52年です。前年総理府派遣青年の船に乗船しアメリカへ行ったのでよく覚えていて、築34年が経過しているのです。家は30年も住んでいるとあちこちに傷みが出て、その都度修理をしていますが、わが家は古民家ほどではなくてもかなり大きな家なので、修理も半端ではなくその都度臨時出費がかさむのです。でもこれは家を守るために必要な宿命みたいなものなので、早め早めこまめこまめをモットーにやっています。

 やがて元栓を閉めて修理も終わり、埋め戻し作業をしてから元栓を開けましたが、どうももう一ヶ所漏水個所があるようで、ボイラーの温水器辺りからの配水パイプのようだと分りましたが、夕方になって結局は時間切れとなってしまいました。仕方なく工事を中断し水道屋さんは今日も来るからと言い残し引き揚げて行きました。

 30年も前の建物なので工事用の図面なども残っていなくて、今後もこのようなハプニングが起こるものと思われますが、私と同じく老域を迎えつつある建物だけに気を引き締めて守って行きたいと意を新たにしました。

 さてこの家も息子家族と同居する話が持ち上がっています。かつては子ども四人が占拠していた二階の4部屋は子どもたちが自立して家を出たため空き部屋となっているので、息子家族が帰ろうと思えば直ぐにでも入居可能なのですが、同居といっても台所などを考えなければならず、改造を余儀なくされそうです。息子嫁も同居を理解しているようですが、生活の場を変えることは容易なことではありません。ましてや隠居に暮らしている親父を含めると三世代同居となるのですから、お互いの暮らしを侵さないようにもしなければならないのです。

 息子夫婦も安い月給で高い家賃を払ってマンションに住んで、子ども二人を養うことの大変さが少し重荷になっているような雲行きで、同居の決意を固めているようです。これからは息子たち第一、私たち第二を心掛けて行きたいと決意していますが、はてさてどうなることでしょう。


  「漏水の 箇所が見つかり 修理する 新た漏水 見つかりう~ん」

  「三十年 過ぎるとあっち こっちでも 傷み始めて 思わぬ出費」

  「目に見えぬ 地中の傷み 探し当て まるで温泉 掘り当てたよう」

  「息子たち 同居の決意 固めたが それなり家を 改築せねば」 

  

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○この歳になって合唱隊とは

 「年輪塾朝フル合唱隊」というまだ産声を上げていない集団に参加しょうとしている人たちの生の声が、私のメールにどんどん入って、ネット上が騒がしくなっています。音楽が苦手な私としては参加したくても楽譜も読めず、ましてや美声の持ち主でもないため未だに躊躇しています。しかし私の独学で始めたまやかしのハーモニカを聞いた人たちは、私のハーモニカの技術を過信し、勝手に私を伴奏者に仕立て上げて、どんどんスケジュールを進めているのです。何とか断る理由をと思っていた矢先、今度は年輪塾塾頭の清水さんから楽譜とCDが届き、更には私の携帯へ「近々若松さんの家で音合わせをしたい」旨のメールが入り、とんでもない方向へ進んでいることを実感しながらビクビク日々を暮らしているのです。

 北海道行きと埼玉行きという私にとっては大事な仕事も一応一段落し、少し余裕ができたので台風一過のこともあって、今朝初めて清水さんから送られてきたCDをまじまじと聞きました。一昨日浜田さんが夕方やって来て、CDは聞きましたが一人で聞いたのは初めてなのです。

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 音楽に無頓着な私は清水さんが推奨する笠木透さんというアーティストも知りませんでした。今回の課題曲になっている「私の子供たちへ」という曲を聞くのも見るのも初めてなので、どちらかというと童謡や歌謡曲、それにフォークソングの一部しか知らない私には心地よい響きの曲ではあるのですが、さっぱり歌えないのです。これでは足手まといになるだろうからお断りをしようと思っている矢先の先ほど、清水さんから電話が入り、「10月19日の夜6時30分からわが家の煙会所で練習をする」ことで押し切られてしまいました。

 「さあどうする若松進一」、いやあ困りました。早速CDをパソコンで呼び出し、とりあえず歌ってみました。てんでだめです。そこで木になるカバンからハーモニカを取り出し、AとAm二本のハーモニカからAを選んで吹いてみました。中々上手く吹けません。困った困った藤田まこと、しまったしまった島倉千代子です。

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 私がハーモニカを吹いていると、玄関でチャイムが聞こえました。近所のおじさんが栗を持ってきてくれたのです。私のハーモニカを聞いたのか「優雅ですなあ」と皮肉交じりに言葉を残し帰って行きました。心を入れ替えてハーモニカを吹いていると、今度は親父が書斎の窓越しにその音を聞きつけ、何処かへ行ったと思っているわが息子が何とハーモニカを吹いているのですから驚いて、なにごとかと部屋の中を見つめていましたが、そのうち立ち去りました。

 まあこんなドタバタな朝を迎えていますが、それでも楽譜も読めないのに楽譜を見ながらCDを聴いていると、まあ音だけは出るようになりました

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(10月1日のお月さま)


 私は得意ではありませんが、自分のハーモニカのレパートリーの中から「月の沙漠」をAmのハーモニカを選んで吹きました。これはもうピカイチでいい音色が書斎いっぱいに広がり何とも爽やかな気持ちになりました。

 19日まではまだ時間がるので少しだけでも毎日吹いて練習しようと思っています。それでもだめなら19日に合唱隊の演奏から外れようと決意した朝でした。

  「いつの間に 私もメンバー 合唱隊 自信もなくて 一喜一憂」

  「優雅だな 近所おじさん いきなりに 音色を聴いて 呆れて帰る」

  「何してる 窓の外から 親父さん 耳が遠いと いいつつ聞こえ」

  「この歳に なって大恥 かくかもと 覚悟を決めて ハーモニカ吹く」  

 

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○金銭教育指定校指導訪問

 子どもたちが保育園児や小学生の頃は妻が通い、高校生になると私が通った保育園や学校も、子どもたちが成長して社会人になると遠遠くなるものです。しかし私の場合は小学校・中学校・高校の学校評議員などを続けてしているため、この歳になっても一定の間隔で年に何度か学校という場所へ出かけるし、PTAなどの講演会にも招かれるので、ダントツに学校と縁の深い男だと自負しています。

 私は日本銀行松山支店内にある愛媛県金融区報委員会の金融広報アドバイザーを、30年を超えてやっていますが、ここの事業として実践地区と金銭教育研究校という制度があって、地区と研究校をそれぞれのアドバイザーが担当して指導するようになっているのです。その中で私は研究校を2つ持っていて、今治市大西小学校と八幡浜市宮内幼稚園を担当しているのです。

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(台風一過の星の浦公園と瀬戸内海)
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 宮内幼稚園はこの2年間、立ち上げからずっと面倒を見ているので先生や保護者とすっかり馴染みとなっていますが、大西小学校は今年初めて担当したので、様子が全然分らぬまま、昨日指導訪問に出かけました。

 大西町は高齢者講演会など何度も訪れているし、年輪塾ネットの大河内さんが住んでいる地域なのでよく知っていますが、大西小学校はどこにあるのかも知らぬまま、「多分あの辺だろう」と当てずっぽで行くことにしたのです。大西町に入ると星の浦公園という道の駅に似たような場所があります。いつも散閑として休まる雰囲気がいいので、ここでトイレ休憩をして少し休みました。

 車が新しくなったため搭載のカーナビはまだ使いこなすことができません。幸い少し時間があったのでカーナビをいじくってみました。電話番号も分らないので文字入力して大西小学校を見つけました。しかしそこを目的地にすることができず、場所的に理解できたので検討をつけて移りつつある現在地を走りました。


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(大西小学校校庭の懐かしい教え)
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 学校前の道は狭いためか一方通行の矢印が出ていました。学校の正門近くに行くと教頭先生が駐車場まで出迎えにやってきて案内してくれました。500人規模の1町1小学校の比較的大きな学校だけあって、終業前の掃除時間でしたが元気な子どもたちが挨拶をして出迎えてくれました。

 県教委の指導主事さん2名、それに金融広報委員会の山下さんとともに研究事業を参観しました。僅か45分の授業でしたが、前もって送られてきていた教案に沿って授業が行われましたが、10年経験のベテラン先生だけあって素晴らしい授業を子どもとともに展開してくれました。

 参観後は全員の先生が図書室に集まり、授業の感想を述べあいました。私も他の3人とともに参加して、感想や指導意見を述べさせてもらいました。私はどちらかというと社会教育の世界で生きてきた人間なので門外感な話しをしてしまいましたが、指導主事さんの話も先生たちの話もとても参考になりました。

 帰りは委員会の山下さんとご一緒して、日ごろの話に花を咲かせながらドライブをしましたが、夕闇せまる台風一過の吹き戻しの風を流れる雲や波立つ海で感じながら、さらには台風情報をカーラジオで聞きながら午後6時近くにわが家へ帰ってきました。


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(研究授業と研究協議)
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  「流れ雲 波のざわめき 見るにつけ 台風被害 なくてホッとす」

  「今頃は 友人何を してるかな 思い馳せつつ 車走らせ」

  「学校の 先生前に 門外の 私感想 言えと言うから言う」

  「この歳に なっても反省 しきりなり 終業足らぬと 自分戒め」

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○愛媛大学の後期授業が始まりました

 8月・9月と続いた大学の長い夏休みも終わりいよいよ今週から授業が始まりました。私の授業日は毎週水曜日の2時限目、つまり10時30分から12時までの90分否が応でも束縛されるのです。前期授業が木曜日だったため、コープえひめの理事会とバッティングしてしまい、コープえひめに随分迷惑をかけてしまいました。ところがホッとしたのもつかの間、11月のコープえひめの理事会計画を見てみると、何と11月は25日水曜日となっているのです。はてさて困ったと今から気を揉んでいますが、25日には理事会を人間牧場でどうかという打診もあって、大学側を休講義日にするべく学生たちに話をしているところです。世の中中々上手く行かないものです。

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 昨日は後期授業の最初の日ながら、9月27日にフィールドワークの授業で双海町の調査研究をしたため、本来なら休講義日にしてもよかったのですが、次の予定もあるので4人の班長に電話連絡して授業を組みました。昨日は7月2日の松山市堀江地区、7月16日の伊予市佐礼谷地区、7月30日の内子町立川地区、それに9月27日の伊予市双海地区をフィールドワークの現地調査で回った感想をそれぞれ振り返りながら発表をして貰いました。今年のフィールドワークは4班がそれぞれ担当する地区を決めて重点的に調査をする方法を取り入れました。その結果学生たちはそれぞれの地域のことをより深く学んでいて、参考になる意見を19人それぞれに沢山述べてくれました。一人僅か3分ほどの発表でしたが、想像以上にいい視点で調査研究をしていて安心したところです。

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 私の講義も今年は後8回です。12月には早々と60時間の学習時間が確保でき、余程のことがない限り学生に成績をつけ4単位を付与する予定です。今年の学生も真面目で優秀なのでこれからの授業が楽しみです。

 愛媛大学はこの2~3年間、構内至る所で耐震工事が行われていましたが、法文学部学舎かいわいの工事も殆ど終わって、外観上は見違えるように綺麗になりました。中庭に植えられた欅の緑陰もいつの間にか紅葉し始め、季節の移ろいを感じるようになりました。一歩戸外へ出ると、昨日は松山地方祭で〆縄の張った大通りや狭い道を、雨に濡れながら神輿を担いでいる集団に沢山出会いました。せっかくの秋祭りだと言うのに台風の接近で散々だったに違いありませんが、神輿守の人たちには思い出になったのではないかと、横目で見ながら車で通り過ぎてしまいました。


  「夏休み 終わり学生 日焼けして 少しけだるく 元気に学ぶ」

  「折り返し 中間意見 発表す 中々視点 鋭く突いて」

  「見上げれば ケヤキ並木も 色づいて 雨脚強く 落ち葉濡らしぬ」

  「出勤簿 一つ二つと 増えて行く 押印の数 に凝り少なく」

 

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○わが家の小さな台風被害

 「今年は台風が来なくて良かったねえ」と台風シーズンが過ぎホッと胸を撫でていたのに、大型で強い台風が昨日から今日にかけて日本列島を直撃しています。昨晩は台風の動きが気になって12時過ぎまでテレビを観ていましたが、どうやら四国上陸は免れたものの、今朝5時過ぎに愛知県知多半島へ上陸しスピードを上げながら北上しているとのことでした。台風の目指す先には実りの季節を迎えたリンゴ畑があるはずで、農家の心労を思うと他人事ではないのです。

 私たちの町は四国山脈を背にしているため、台風の風はいたって平穏で、昨晩から台風が近づいているとは思えない静けさでした。雨も大したことはなかったようで、警報が注意報に変わり西の空も明るくなっているようです。今朝6時に親父の隠居に行くと、「庭のブルーベリーの鉢植えが一鉢転げている」というのです。行ってみると一番大きな株の鉢植えがゴロリ横になっていました。早速元に戻すべく鉢底を少し鍬で堀り、蜂を埋めるような形で起しました。そして親父と二人で鉄筋を4本ハンマーで打ちこみ、小さなロープで固定しました。これでどんな風が吹こうとも安心です。

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(ブルーベリーの復元作業を手伝ってくれる親父)

 ブルーベリーの鉢植えが今年の春わが家に届いた時、親父はこうした風を想定して鉢の周りに鉄筋を打ち込み竹を通して固定してくれました。その時は「何でそんな仰々しいことをするのか」と鼻で笑って見ていました。その後も風など吹かなかったため、ブルーベリーの鉢植えは倒れることもなくスクスクト育って収穫期を迎えたのでした。その後は伸びるにまかせていて、少し頭でっかちになってはいますが何とか秋の頃を迎えているのです。今日倒れた一本は一番大きいのに固定することを忘れていたもので、今朝の惨状を見るにつけ、目先だけでなく将来のことを考えた親父の周到な準備に感心した次第です。

 さてわが家庭菜園も台風が通り過ぎた後に吹く、吹き返しの洗礼をまともに受けて、これまで順調に育っていたブロッコリーがことごとく倒れてしまいました。今日は竹を切って根元に立て、根寄せをして元に戻す作業をしなければなりません。まあこのくらいの被害で済んだのですから有り難いことなのです。

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(吹き戻しの風でなぎ倒されたブロッコリーやキャベツ)

 今日は台風の襲来で、計画されていた研修会も様子見の状態だと昨日電話連絡がありました。間もなく出勤した担当者から第一報が届くものと思われますが、中止だと人間牧場へ出かけて台風後の点検したいと思っています。ここまで書き終わると、金融広報委員会の担当者から電話が入り、予定通り研修会をやるから出席をしてほしいとのことでした。

 今日は今治市大西小学校へ金銭・金融教育実践校訪問で出かけます。帰りは夕方になるものと思われますが、台風一過の少し強めの風の中を安全運転で出かけます。


  「台風の 吹き戻し風 鉢倒す 親父と二人 元に戻して」

  「ブロッコリー 風の行く手を 見るように みんなお辞儀し 風になびいて」

  「今頃は わが友信州 台風に 翻弄されて いるのだろうな」

  「自然とは 偉いものだと 思いつつ 侮るなかれ 心新たに」 

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○忌まわしい過去を思い出す雨の朝

 「お父さん、台風が来そうなので長靴を買ってきたよ」と、昨日の夕方荷物を提げて妻が仕事から帰ってきました。今年は台風上陸ゼロだと喜んでいたのに、台風18号が進路を北寄りに向きを変え、本土上陸を覗っているようなのです。秋めいて日本付近の海水温度が少し下がってきたためこれ以上台風が発達することはないと思われますが、テレビで見る限りは台風の目もしっかりしてかなり強力な台風であることは間違いないようです。

 わが妻が台風に過敏な反応を示すのは、わが家が過去2回も台風の洗礼を受け、裏山が崩れ土砂災害に遭っているからなのです。同じ場所が二度も崩れているのですから台風や大雨は不安で寝れないようで、○○症候群という一種の病気なのかも知れないのです。

 一回目の土砂崩れは公民館主事をしていたころですからもう30年も前の出来事です。朝方何か鈍い音がしました。起きて勝手口の窓ガラスの向こうに何やら庭木のようなものがあることに気がつきました。勝手口は既に土砂に埋まって開きませんでした。急いで着替えて玄関から外に出てびっくり仰天、大量の土砂が庭を埋め尽くしているのです。かなり大きな土砂崩れでした。当時の愛媛新聞夕刊には、「双海町役場公民館主事の若松さん宅の裏山が崩れ・・・」と書かれているのです。

 この災害は長雨被害対策という事業に組み込まれ、その後1割の負担を余儀なくされましたが、大きなコンクリートの防災工事が行われました。


 二回目の土砂崩れは私が教育長をしていた時ですからまだそんなに時間は経っていないのです。防災工事も完了して安心していましたが、その時は未曽有の大雨と大風で裏山がひとつ動くほどの災害で、愛媛県下に大きな台風被害が出た時でした。ご多分にもれずわが屋の裏山も大量の土砂が防災堤防を乗り越えて襲ってきたのです。消防団が出動し援助の手を差し伸べてくれましたが、土砂の除去と片づけは自ら行わなければならず難儀をしたことを覚えていますし、その落ちてきた木々をチェンソーで伐採中に誤って向こうスネをチェンソーで断裂して救急車で県立中央病院に運ばれ手術の結果20日間の入院を余儀なくされたのです。スネの古傷を見るにつけ当時の忌まわしい過去が蘇ってくるのです。

 今は天気予報が驚くほど発達して、特に台風情報は刻々と変化する情報が瞬時に入ってきます。またインターネットでも見ようと思えばもっと詳しく情報を入手することができるのです。今回の台風18号もこれまで日本を襲った台風とコースや勢力がよく似ている昨日あたりから情報が流され警戒を呼び掛けているようです。

 教は大学の授業があって留守にしますが、妻は早くも「仕事が終わったら早く帰ってね」と言っているし、昨晩は早々と明日の会議が中止になるかもしれないという予告電話が入ってきました。今日は一日日本列島の各地は台風モードになるものと思われます。つくづくと自然の力の大きさに感心しながら雨の朝を迎えました。


  「雨・台風 聞く度うずく 古傷を さすりてどうか 何事もなく」

  「早々と 妻長靴を 買い帰る 台風接近 合羽も用意」

  「やけ静か 嵐の前の 仕業かも 準備おさおさ 怠りなきよう」

  「松山は 秋の祭りと 張り切るが 水を差すよな 雨にたたられ」


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