shin-1さんの日記

○直売所が危ないと思う今日この頃

 日本全国の市や町や村のあちこちに直売所が出来始めたのは今から20年も前のことでした。それまで野菜は八百屋、魚は魚屋と決まっていました。それまでは野菜や魚は農協や漁協や業者が直接消費地に運んで、私作る人、私運ぶ人、私食べる人というすみ分けができていて、生産地へ行っても見ることも買うこともできなかったのですから、特売所ができるということは当然の成り行きだったのです。生産者や農協や漁協ならいざ知らず近年は行政までもが道の駅や町の駅などを造ってこのような取り組みを始めたものですから、直売所乱立競争月下の時代になって、ひどいところは市町村どころか県までもが、格好いいアンテナショップなどという名称の直売所を設けて商売に乗り出しているのです。

 それらの殆どは地産地消という名のもとに産品をこれでもかと並べ立てていますが、野菜や魚を除けばそのほとんどがお土産物屋が作ったものを特徴もなく並べているのです。そして野菜や魚のいらぬ低価格競争をあおって価格破壊に一役買っているのです。

 私も仕事がら全国あちらこちらの直売所を訪ねますが、20年前のような直売所が珍しい時代はそれなりの儲けもありましたが、今はその経営や運営も四苦八苦といった嘆き節があちこちから聞こえ、行政が委託費と称して援助する費用がなければ経営が立ち入って行かない所もあるようです。また平成の市町村合併で同じ市内に幾つも同じような道の駅や直売所ができ、これまでのような隣町戦争もできず苦悩の色を見せていますが、どこかで身辺整理をしないと、ただでさえ財政事情の厳しい行政の財政をやがて圧迫することになるのではないかと危惧するのです。行政は直売所の他にも、一時流行った温浴施設にも手を出していますが、相次ぐ不況で温浴施設の経営も、当面の目標である年間12万人を割るようだと見直し対象施設のリストに載せなければならないのです。直売所や宿泊所、温浴施設などを巡る環境はこの数年ですっかり様変わりをし始めました。インターネットの出現で、その場に出かけなくても家庭に居ながらにして買い求めたり予約ができるような時代になりました。いち早くそのことに気付いた先進的な農家などは、何かと規制の多い直売所へ持ち運ぶ手間を省いて、インターネットを顔の見える商売に利用して安心と安全を消費者に売っているのです。

 農家離れや漁家離れの直売所は安心と安全が守れなくなるばかりでなく自主運営が出来なくなり、結局は無機質なバーコードなどで機会管理を余儀なくされ、直売所の本当の値打である声かけさえもできない所だってあるのです。まあいつの時代も箱モノの運営は人の善し悪しで決まるのですから、いい人によって運営すれば、物語づくりや特徴ある商売ができて、結果的にはその地域が潤うことになるのです。

 直売所の設置にいささかなりとも加担してきた私にとって、直売所の現状は目を覆ったり心を痛めたくなるようなことがいっぱいあります。また「直売所の自主的運営に任せている」とまことしやかな理由をつけ、見て見ぬふりをして説明責任を果たさない行政の担当者も目にしますが、続けるのであればもっと真剣に今一度創設の原点に戻って基本コンセプトをしっかりと考えないと、大変なことになるかも知れません。

 直売所が危ないと思う今日この頃です。


  「やみ雲に 乱立気味の 直売所 そろそろここら 整理必要」

  「いつの世も 施設は人の 善し悪しで 良くもなったり 悪くもなったり」

  「この頃は インターネットが 普及して 産直取り寄せ 居ながらにして」

  「バーコード 初めて作った その頃に ジーコード作れと 爺さん言った」

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shin-1さんの日記

○孫と一緒の休日を楽しむ

 娘やモスこの家を訪問する度に成長している姿を目の当たりにして目を細めるのですが、これまで孫の代名詞のように私の相棒を努めてきた孫朋樹が一年生になったため、そろそろ他の孫とも遊んでやらねばと思っています。息子の次男はやっと寝返りが打てるようになりまだまだですが、娘の次男と息子の長男は2歳になって片言の日本語が喋れるようになったので、仕草にせよ何かと可愛い感じがします。近頃は私がおじいちゃんだと分って安心するのか、帰るときは二人とも「おじいちゃんと一緒に行きた~い」と泣くのです。その都度「今度」と納得させていました。それでも「今度今度」と嘘ばかりついているので、思い切って二人を寄るだけ別々に預かることにしました。とりあえず孫尚樹を預かることにして出かけて行きました。孫は待っていたかのように母親が用意した大きな荷物を持って車に乗り込みました。チャイルドシートを後部座席にセットしていよいよ出発です。見送りに来た娘などそっちのけで「バイバイ」です。

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 車の運転をしながら後部座席に座った孫の姿をバックミラーで確認し、会話をしながら走りました。もうこの年齢になるとお兄ちゃんの言動が乗り移っていて、マクドナルドでハッピーセットを食べたいと片言で言うのです。松前のドライブスルーに立ち寄り二人で420円のハンバーガーセットを購入し、店内で食べさせました。量が多いので私が手助けしましたが、満足の手愛でおまけにいただいたチビまるこちゃんのおもちゃを、「家に帰ってから」と約束して持たせ、歌を歌いながら双海町へ帰ってきました。

 双海町へ来ると決まったように遊びに行く場所はふたみシーサイド公園です。これまでは孫朋樹が腰ぎんちゃくでしたが、尚樹を連れた姿にじゃこ天のおばちゃんや特産品センターのおばちゃんたちも気軽の声をかけてくれ、特産品センターではソフトクリームをご馳走になったり、池の鯉に餌をやる餌までいただき、もう孫尚樹は乗り乗りの上機嫌でした。

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 やがてお腹も満腹なので少し運動をさせようと砂浜に降り、引き潮で引いた広い広い砂浜をキャンバスにして、拾った竹で色々な絵を書いて楽しみました。私が恐竜や漫画を描くと大喜びで、自分も意味不明の文字や絵を書いて、「これはお魚」などとお喋りをしていました。シーサイド公園で約1時間過ごした後家に帰りましたが、「おしっこ」も「ウンコ」も言えるようになっておむつも取れ一安心です。

 妻と三人で夕食を食べたりテレビを見たり、またお風呂に入ったりしながら9時過ぎには私と一緒の床に入って寝ました。私も孫の守で疲れていたのかついウトウトして、11時過ぎまで一緒に眠ってしまいました。孫はいいものです。今度は息子の長男希心の番です。近いうち連れ出して遊んでやろうと思っています。私と同じように孫たちもただ今サンデー毎日ですから・・・・。

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  「相棒が 変わった孫を 連れ出して 半日遊ぶ 秋のふるさと」

  「孫と俺 同じサンデー 毎日だ 楽しく遊び 二人満足」

  「じいシッコ 右往左往し トイレ入る 孫のお守りに 少し疲れて」

  「砂浜を キャンバス見立て 絵を描く 意味の分らぬ 孫の文字絵」  

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○朝フル合唱隊の練習に参加しました

 「朝フル合唱隊」なんて聞きなれない名前の合唱隊が、私の身の回りにいつの間にかできて、楽譜も読めない私もいつの間にか引っ張り込まれ、私の得意としない音楽の分野で、こともあろうかハーモニカながら、楽器で合唱隊の伴奏を担当することになりました。何日か前その震源地と目される年輪塾塾頭の清水さんからCDと楽譜が送られてきました。CDはパソコンで呼び出しスピーカーの音を出すようにセットして聞いたのですが、課題曲である「みかんの花咲く丘」はハーモニカで吹けるし歌も知っていますが、「私の子どもたちへ」という曲は初めて聞くので、どこからどのように始めたらいいのかまさに暗中模索といったお手上げの状態でした。

 一週間後に練習をするからそれまでに吹けるようにと、期限を決められても県外への出張などもあって練習することもできず、結果的にはその日ともう一回練習しただけで10月19日の練習日はあっという間にやってきたのです。

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 練習場は、楽器や声が夜のことゆえ人様の迷惑のかからないような場所をということで、わが家の隅にある煙会所と決められ、6時半の集合時間に遠いところは香川県と高知県と愛媛県の県境に位置する四国中央市新宮に住んでいる大西さんなど、物好きな10人ほどが集まりました。ご飯を食べると声が出ないという清水さんの言葉を信じて、それぞれが弁当持参しているのに、夕食も食べずいきなり練習を始めました。伴奏を担当する清水さんと大西さんは一見高そうに見えるギターを取り出してセットに余念がありません。私はハーモニカだけなのでセットする必要もなく、勝手に課題曲を吹いてみましたが、3日前から吹いていないので頓珍漢な音が出て手厳しい指導に遭いました。

 他の6人は浜田さんが指揮者になり、清水さんの指導で発声練習などを繰り返していました。隣近所が遠い位置にあるわが家の、しかも離れですから隣への心配は直ぐ横の親父の隠居くらいなものですが、幸せなことに親父は92歳で耳が遠いので、みんなの声や楽器の音は蚊帳の外の出来事なのです。耳が遠いことが幸いするなんて聞いたことのない良い環境での練習となりました。

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 何度か練習をして、2時間ほどで切り上げました。要はこれ以上練習しても上達しないと清水さんは思ったのでしょう。練習の途中で妻が温かいお茶を差し入れてくれましたが、妻はロートルな私や鎌田さん、大河内さんを見て(失礼)、私と同じ65歳の年齢な高齢者なので、「私の主人もいよいよ新興宗教のご詠歌に心酔したのではないか?と、見紛う光景に思わず噴き出しそうになったと、後で笑いながら述懐していました。

 その後持ち寄った大河内さんのいなり寿司、鎌田さんの梅干しなど、弁当を広げて少しの時間話しこみました。他の人は別として合唱隊など後にも先にも参加したことのない私は、友人の玉井さんがコーラス部に入り口パクしている話しを聞いて、いつも笑っていましたが、いざ自分がやってみるとこれが案外癖になりそうなのです。私はハーモニカなので自慢の美声は封印していますが、思いつきで5年前に始めたハーモニカがこんな所で生かされるなんて思ってもみませんでした。私はハーモニカを吹き始めて気がついたことは音楽は楽しいということです。「音を楽しむ」と書いて音楽という意味が少し分りました。楽譜は共通の約束事ですから勉強して楽譜が読めるようになりたいとも思いました。まあ65歳の手習いですし、そのことを言い訳にはしたくありませんが、余り肩ひじ張らず少しだけ音楽を楽しみたいと思っています。本番は11月7日なのです。


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  「いつの間に 合唱隊に 入隊し 得意楽器で 伴奏してる」

  「これまでは 独奏気まま ハーモニカ 今度は人の 声に合わせて」

  「この歳に なって合唱 するなんて 思わず吹き出す 含み笑いで」

  「これは何 まるでご詠歌 集団か? 見紛う妻も 笑いを止めて」 

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shin-1さんの日記

○知らぬ土地を訪ねたら高い場所に上がって見るべし

 名著「忘れられた日本人」の著者で知られる民俗学者宮本常一について書かれた、ノンフィクション作家佐野眞一のこれまた名著「旅する巨人」の中に、宮本常一の父親が言った言葉が紹介されています。あいにくその本は来訪者の供覧のため、人間牧場・水平線の家の書棚に並べられ手元にはありませんが、宮本常一の父親が「旅をしたら訪れた町を必ず高い場所に登って見ればその土地のことが良く分かる」というくだりがあったように思うのです。その話に同調し旅のつれづれにその街の高台に登ってみると、納得することが多くあるのです。

 昨日は大洲へ行きました。公民館に勤めていた若いころには、当時師と仰ぐ松田寿雄先生が大洲市大洲、つまり大洲のど真ん中に住んでいて、折に触れて自宅を訪問し、時には破天荒な先生と大洲の街中を荒すがごとく飲み歩き、大洲の町を知り尽くしたような錯覚を持っていました。その恩師も今は亡く、国立大洲青少年交流の家や町の駅、それに大洲商工会議所に行く程度の出会いになっていることに気づき、少し早目に出て意味もなく臥龍の淵を訪ね、とっさの思いつきで大洲の街が一望できる冨士山へ宮本常一ばりに登ってみました。

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 建築物に詳しい友人である岡崎直司さんから聞いたうろ覚えの知識ゆえ記憶は定かではないのですが、大洲の名勝臥龍の淵にかかる沈下橋辺りから臥龍山荘を見ました。ここは大洲藩主加藤家の庭園だった場所です。明治の貿易商河内寅次郎が構想10年、工期4年をかけて造ったという建物が川面に映えて建っていました。私の2~3度訪ねたことがありますが、臥龍院、不老庵、知止庵の建築物は数寄をこらした匠の技ぞろいで、見る人をうならせるのです。見ながらふと宮本常一のことを思い出し、山道を冨士山に向かって走りました。

 つつじの咲く春五月は多くの人で賑わう冨士山も、シーズンオフの今は散閑として僅かに2~3台の車が登っている程度で、夏の名残の草刈りをしている作業員が草刈り機のエンジン音を響かせながら長閑に作業をしていました。一面つつじの山頂は花もなくゆっくり散策しながら歩く園内は緑のみが目立ちましたが、つつじの木々も老木老域に達してどこか元気がないようにも思えました。

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 展望台から見る臥龍辺りや市街地の眺望は澄み切った秋空がそうさせるのか絶景で、深まりゆく秋を気づかせるようにハゼもみじが赤く色を染め始めていました。180度の大パノラマに目を奪われながら見飽きぬ風景を眺めましたが、視線の向こうに大洲市柳沢一二三会(ひふみかい)の平谷さんたちが造った雲海展望台が見えました。間もなく雲海の季節かと思いつつ一度訪ねて欲しいと先日平谷さんから電話があったことを思い出しました。

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 僅か1時間ほどの短い時間でしたが、久しぶりにリラックスし目と心の保養をすることができました。華やいだつつじ咲く頃の冨士山もいいですが、この時期のひっそりした季節をたったひとり歩いたり見たりするのも悪くはないものです。知ったつもりの大洲でも知らない場所や見所が沢山あると、展望台の掲示板に張られたポスターの数々をみて再認識しました。肱川町や河辺村、それに長浜町と広域合併した大洲には、鵜飼、シャクナゲ、屋根付き橋、長浜大橋、金山出石寺、稲荷山、白滝、矢落川のホタルなどなど、見所満載なのです。


  「常一の 親父の教え そのままに 冨士に登り 一人散策」

  「雲もなく 秋空青き パノラマを 独り占めする 冨士の眺め」

  「あの辺り 暖簾くぐりて 酒を飲む 若かりし頃 思い出しつつ」

  「工場が 不況あおりで 去るという 眼下で起こる 悲喜はこもごも」 

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shin-1さんの日記

○「お時間です」というメモの波紋

 昨日は年金友の会の研修会に招かれ大洲へ行きました。そこでとんでもないハプニングがありました。主催者から前もって「2時ころに来てほしい」という連絡だったので、30分前の1時30分に会場となっていた大洲総合福祉センターへ到着しました。プログラムには13時05分から私の特別講演と書いていたので、その通りになりだろうと思っていました。ところが私の前の人が少し長く話したのでしょうが、私の話が始まったのは2時30分近くでした。司会をしていた方が顔見知りだったため、押している時間を気にされて私の紹介は「ご存知の方」程度に抑えて話が始まりました。

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 1時間の講演時間と聞いていたので、始まってから1時間、つまり3時30分まで話をするべく自分に暗示をかけて話を進めました。ところがいよいよ話しの佳境に入った3時15分にいきなりステージの隅から係の人が、「もうお時間です止めてください」というメモを手渡されました。後10分の話は話をする人間にとってまとめになるとても大事なエキスの部分なのですが、主催者からの待ったですから1~2分お話をして仕方なく講演を打ち切りました。私にとっても聞く側にとっても昨日は後味の悪い講演となってしまいました。運の悪いことに昨日は帰る途中双海町満野の津田酒店前海岸国道でパトカー5台、救急車もも出動するような大変大きな交通事故があり、通行止めの列は延々長浜町今防を超えていました。ノロノロ運転が続き現場を通り過ぎるのにかなりの時間を要し、夕方の会場掃除が気になりながら帰宅したのです。

 ほぼ万弁に一年中講演活動を行っている私が一番気にして守っているのは講演の終わりの時間です。私が受講者という反対の立場になった時、終わる時間を守らない講師の話はいくら内容が良くっても、興ざめしてしまう経験を何度もしているからです。始まる時間は主催者が決めるので講師はどうすることもできませんが、終わりの時間を守るのは講師の責任なのです。

 退職して4年半があっという間に経ちました。その間毎年のようにほぼ1カ月に10回程度、つまり年間120回も壇上に上がって話をしていますが、この4年半で初めて味わったメモの投げ込みに少なからず動揺を覚え、自分自身では後味の悪い講演会になってしまい、受講者にすまない気持ちでいっぱいです。

 私の後には有名人の落語が予定されていたようで、私の話の時間より本命と目されている芸人の話しの方が主催者にとっても参加者にとっても楽しみだったに違いないと、自分の非力さに納得した一日でした。


 でも収穫もありました。「毎日三枚のはがきを書いたら幸せになれる」という広島に住む半田さんの話をしましたが、会場内に半田さんの近しい親戚の人が来ていて、帰りに感想や半田さんの近況を聞くことができました。立ち話だったので詳しいことは分からず断片的でしたが、火事に遭ったこと、大切なハガキなどがほとんど焼失したことなどを話されていました。今日にでも見舞いのハガキを出そうと思っています。

 毎回のように自宅へ帰ると妻が、「今日はどうだった」と聞いてくれます。その都度その日の感想を話すのですが、「今日はちょっと物足りなかった」と話すと、気持ちを察してか優しいねぎらいの言葉をかけてくれました。「そうだまた頑張ろう」と心を新たにし、煙会所に仲間を迎え入れる準備をしました。


  「時間です いきなり貰う メモを見て 時計の針は 残りあるのに?」

  「どうだった 妻が声かけ してくれる 物足りないと ポツリ一言」

  「まだまだだ 修行足りぬと 自戒する 次はしっかり 肝に銘じて」

  「落胆の 気持ち引きずる 途中にて 事故で渋滞 少しうんざり」 

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shin-1さんの日記

○わが家の家庭用サウナに入ってリラックス

 広いつもりで30年も前に建てたわが家は、4人の子供がそれぞれ独立して家を出てから二階の4部屋全てが空き部屋となり、一番日当たりのよい場所を選んだ祖母の部屋も空き部屋となって孫たちの遊び道具を置く部屋となっています。しかしこれほど広い家も今は夫婦だけしか住んでいるのに、何故かそんなに広いと感じないのですから不思議です。一つ違いの妻は私の後追いのような形で来年は65歳になるので、そろそろ老域を想定してか、最近使わなくなった子どもの持ち物や着る物、それに使わない食器類を整理して廃品や不燃物回収に出していますが、それでも家の中は中々片付かないようで、絶えず私と口喧嘩ほどではないにしても捨てる捨てないで言い争っています。まあこれも他人から見れば他愛のないことなのです。

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(わが家のローカの隅に置かれた家庭用サウナ)

 そんなところへ3年前、息子が変な道具を運び込みました。家庭用サウナです。建築関係の設計の仕事をしている息子は、様々な建築施主さんと出会いますが、時々これは勿体ないという物品を処分方々差し上げるから引き取ってほしいと頼まれるようです。その都度私に打診があり、これまでにも食器棚や大理石の石板などをいただき、わが家の下位にランクされるものと交換して使っていますが、この家庭用サウナはまだ殆ど使用していない新品で、脱衣場にでも置いて使用したいと息子が提案しました。しかしドアで仕切られた脱衣場へは大き過ぎて入らず、結局は洗面所を兼ねている広い廊下の隅の箪笥を除けてそこへ落ち着かすことになりました。

 以来わが家には似て似つかわぬ家庭用サウナが畳半畳分をわが物顔に占拠しているのです。最初の頃は物珍しさも手伝って、息子や私が「こりゃあいいものを貰った」とばかり感心しながら交代で裸で入り重宝していましたが、そのうち狭いことから次第に忘れ去られ、夏の暑いこともあってこの半年は全く使われず終いでした。


 一昨日、かまど小屋の火入れのために戻った息子が家に帰り、久しぶりにサウナを使いたいと言い出しました。私もこのところの忙しさでひと汗かきたい心境だったので同調して利用することにしました。息子がサウナに入っている間にお風呂を沸かし、シャワーと風呂の併用で束の間の賑やかな休日となりました。

 息子も私も70度程度に上がった家庭用サウナに3回ずつ入り存分に汗をかき水の冷たいシャワーを浴びたり、最後は温かい風呂で汗を流しすっかりりラックスの日曜日でした。息子は「お父さん自宅でサウナを楽しめるなんて最高じゃろう」と自画自賛していますが、妻は「電気代がどのくらいいるのだろう」と主婦らしく入らぬ詮索をしているようですが、「家族が楽しめるのだから目くじら立てないように」とは息子の弁でした。

 最近人間牧場の整備のこともあって、息子たちと共通の話題ができたのか盛んに歩み寄って会話を交わすようになりました。自分の息子と親父の関係は意外と反感反目するものだと友人が述懐しているように、お互いが気になりながらも歩み寄れないものなのです。私の場合もそうでしたが、人間牧場を造る計画の中心に息子を巻き込んだため、お互いがお互いのことを理解し合い、時には反感反目しながらもいい親子関係が出来ている今日この頃です。


  「家庭用 サウナに入り いい気分 親子仲良く 会話を交わす」

  「電気代 妻は懐 気にしつつ 親子でサウナ 仲よき嬉し」

  「そういえば 歳とる毎に 汗をかく ことも少なし いかんいかんと」

  「本当は 外汗でなく 中汗を 出すよう運動 したいものです」


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shin-1さんの日記

○高島屋で買ってもらった名刺入れ

 私は買物があまり好きではありません。ゆえに一人でデパートやスーパーへ買い物に出かけることは殆どないのです。多分結婚してからこの方、買物は妻と決めているので、その必要がなかったからかも知れないのです。妻にとってショッピングを楽しむことは、毎日を忙しく働らいて気持ちが休まる暇のない暮らしの、息抜きのようなものなのでしょうが、同行する度理解し難いほど無駄な時間をかけるのです。

 昨日は娘から私の誕生日祝いにもらった高島屋の商品券があるので、松山では三越とともに上位ランクされている高島屋へ妻と二人で出かけました。仕事の関係上日ごろは田舎の特産品センターなどしか行かない私にとって高島屋はまるで夢の世界のようで、値札を見る度にゼロの単位が一つ違うのではないか?と見まがうほど高価な商品が、これでもかと並んでいるのです。


 機能や安さ重視の私たちのような庶民にとってデパートはまさに高根の花で、手に取って商品を見ていると、店員さんが気軽に笑顔で声をかけてくれるのです。スーパーなどではそんな暇で余裕のある店員さんはいないため、自分勝手に品定めができるような自分中心の買物癖はここでは通用しないことに気がつきました。

 革製品の店を通りかかりました。自分の名刺入れがくたびれてきたので、そろそろ買い替えの時期なので今後の参考にしようと、陳列品の値踏みをしていたら、店員さんが傍によってきて、「名刺入れをお探しですか?」とさりげなく声をかけてくれました。その店員女性の感じが良かったものですから、ついついその口車に乗って、買う予定もなかったのに、行きがかり上仕方なく品定めとなってしまいました。追い打ちをかけたのは妻です。私の名刺入れを毎日のように見ているものですから、「それなんかどう」と後押しの発言です。結局8千円もする高い高い買い物をしてしまう羽目になってしまいました。

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(右から古い順番の名刺入れ、今使っているのは右から3番目)

 私が今使っている名入れは、21世紀えひめニューフロンティアグループが、コカコーラ環境教育賞をいただいた折、賞金とともに副賞としていただいたものです。それまで安物しか持ち合わせていなかった私にとって、特注の名刺入れは目映いばかりの代物でした。以来田舎者の私には似つかわしくない名刺入れのようでしたが、10年以上にわたって大切に使っているのです。私はこれ以外にも木で出来た名刺入れや革製の名刺入れを代替え用に使っているのですが、コカコーラからいただいた名刺入れは今も私の大切な宝ものなのです。

 リタイアしながらまちづくりなどと深い関係を今も持っている私にとって、名刺入れは大切な商売道具です。減ったとは言いながら1年間で1000枚程度の名刺を使いますが、似顔絵入りの名刺は私を表現する最大で再興の武器なのです。

 新しく買ってもらった名刺入れは年齢からしてもう最後の名刺入れになるのかもしれませんが、妻が娘の商品券で高島屋で買ってくれた名刺入れをこれからもせいぜい活用したいと思っています。それにしても買い物に付き合うのは疲れるものですね。少々疲れました。


  「高島屋 桁が違うと 思いつつ お目目白黒 右往左往す」

  「お探しは こんなのどうと 店員に 声をかけられ ついついその気」

  「誕生日 プレゼントにと 妻娘 シックな色の 名刺入れくれ」

  「くたびれて いるが気に入り 名刺入れ 手放す気には なれなく使う」


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shin-1さんの日記

○プロや○○家とは

 私はかつて25歳から60歳までの35年間も双海町役場に勤めました。その間教育委員会、産業課、企画調整室、地域振興課とそんなに多くない3回の人事異動で辞令を貰い、定年前の58歳で教育長に就任するため一度退職辞令と就任辞令をいただいて、平成の市町村合併でその役目を終えたのです。私にとってこの長くも短い35年間は橋梁をいただいて働いたのですからプロなので、給料に見合った以上に働き、自分の評価なので周りの人がどういうかはわかりませんがそれなりの成果を上げてきたように思うのです。

 プロとアマとはどこが違うかと聞かれたたら、皆さんはどう答えるでしょう。その仕事で飯を食べてる人をプロと言うのならば、世間の殆どの人がプロなのでしょうが、世間一般ではプロ野球選手、プロゴルファー、プロレスラーなどはその呼び名からして一目瞭然で、契約金も年俸も私たち庶民とはケタが外れた破格のお金を手にしているのです。大相撲の関取りもプロと言う枕詞がついていなくても相撲で飯を食べているのでプロなのです。聞くところによると大相撲の世界では給料をもらうのは関取りと呼ばれる十両以上で、その下は部屋に囲われて食事を提供してもらい、親方から来ず会を貰って生活しているのだそうです。大相撲にはまるでプロとアマが同居しているようなものなのです。

 さて私たちの周りには余りいませんが、東京などに行くと作家、音楽家、画家、噺家、陶芸家など芸術家と言われる人がたくさんいて、それで飯を食べています。俳優や歌手などの呼び名の下には家という字かないものの、こちらも高額なお金を稼いで、セレブと呼ぶにふさわしい人もうらやむ暮らしをしている人もいるのです。

 「○○家」と呼ばれる人たちは、その仕事で家が立てられる人を言うのだそうですが、画家や音楽家がその道一本で飯を食べることは容易なことではなく、その道一筋で飯を食べている人は少ないようです。駆け出しの画家や作家が色々な職種を転々として細々稼ぎ、やがて大成してゆく話はテレビで度々目にする光景なのです。

 今日ゴルフの全日本選手権をテレビで見ていたら、石川遼選手が優勝争いをしていました。高校生なのに早くも頭角を現して賞金ランキングのトップを行く彼の姿は目にまばゆいばかりの活躍で、日本中の大きな話題をさらっていますが、彼もプログルファーなのです。年齢と努力がその道の奥儀を極めると思っていた世間の常識やジンクスをはねのけて活躍する彼は生まれながらの天才なのかもしれません。でも人知れず努力したからこそ花開いたのであれば、彼こそプロ野球選手イチローと同じく努力する天才なのかもしれません。

 そんなことを考えると、税金の中から給料を貰って暮らしている公務員はもっとプロに徹してもらわなければならないと、次回の念を込めて思うのです。先日市役所女性ながら部長職で退職したMさんの話を聞きました。彼女は持ち前の行動力で福祉の分野で大きな功績を残しました。私から見れば彼女こそプロだった思うのです。彼女が合併した大きな市の市役所職員になって思ったことは、挨拶もしないし、仕事に情熱を燃やしていない職員が多くいたそうです。これはプロとかアマとか論じる以前の人間性の問題で、市民らしくない職員の存在はわが住む街の将来に暗い不安を投げかけているようです。

 ある雑誌で平田さんという方が、「自分をプロだと思う者はプロである」と述べています。同感ですがプロと思って欲しい人がプロと思わないのも何だか寂しい気がするのです。


  「プロ意識 持って欲しいが 持たぬ人 何とかせねば この国滅ぶ」

  「ハーモニカ 吹くよになって 早五年 変換間違い ハーモニ家となる」

  「天才と 言われる人の 人知れぬ 努力している 姿感激」

  「曖昧な プロと素人 境界線 プロと思えば プロと言えるが」

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○かまど小屋完成とかまどの火入れ

 今年の8月2日に着工していた人間牧場のかまど小屋とかまどがこのほどやっと完成し、昨日お世話になった左官さんのご家族を招いて簡単な火入れ式を行いました。「お父さん、かまどは大事だから神様のお祓いを受けておかないと」という妻の助言を元に、氏神様である天一稲荷神社の宮司さんに拝んでもらい、授かったお札を窓辺に供え、更には75歳の左官さんが塩とお神酒を供え、みんなで敬虔な祈りをしていよいよ初釜です。

 前もっておかまの中の広さと深さを測って薪を割り、焚きつけに杉葉を拾うなどして用意周到に準備をしました。何せ初釜ですから、失敗せずマッチ一本で着火するようにと心がけました。みんなの見守る中私が火をつけ、火は次第に大きな災となってクドの中で赤々と燃え始めました。かまどは二連式なので同じようにもう一方にも火を入れましたが、火の引き具合、煙の出具合など、何度もあちこちを点検しながら左官さんとかまどのでき具合を調べました。

 お釜はアルミ製で息子が購入してきた説明書には最初米の研ぎ汁を入れてお湯を沸かしてから使うようにと書いていたので、その通りにしました。

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(慎重に薪を入れ始めました)
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(孫希心の見守る中いよいよ火入れです)
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(最初は米の研ぎ汁で空炊きです)

 この日の朝、四万十市西土佐の親友和田修三さんがわざわざ130キロの道のりを、奥屋内の篠田幹彦さんが手塩にかけて育てた新米を一袋持参してくれました。和田さんとは20年来の付き合いで、今年の春には草刈り十字軍として人間牧場の草刈り作業にも参加してくれていますし、年輪塾ネットのメンバーでもあるので、ネット上で私がかまど小屋を造っていることを知っていたのです。何はともあれ友人の心温まる差し入れに感激しました。

 この米を取り出して息子は米を研ぎました。そして湯釜のお湯を捨てて早速飯炊きです。水加減は左官さんの奥さんと娘さん、火加減は左官さんが担当してくれました。ご飯は僅か20分ほどで焚き上がりました。火蒸しをしたお釜の蓋を開けると何とも言えないほのかなご飯の香りがかまど小屋の中に広がり、どこか子どもの頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

 本当は茶碗でご飯を食べたかったのですが間に合わず、息子は用意した紙のお皿にご飯を注ぎ分け、早速みんなで試食会です。味噌汁も漬物もない、ご飯だけのシンプルな試食ながら、ご飯の美味しさは格別で、夜勤で少し遅くなった次男を含めた7人でご飯はあっという間に底をついてしまいました。特に孫希心は美味しかったのか沢山食べて満足そうでした。

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(美味しく炊きあがったご飯)
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(愛大病院に勤める本田左官さんの娘さんも駆けつけてくれました)
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(ウッドデッキで炊きたてのご飯を食べました)

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(焚きたてのご飯を美味しそうに食べる孫希心)

 わが家は私で4代目ですが、5代目の長男息子一心と6代目の長男息子孫希心の三代が見守る中での火入れでした。五年計画で進めてきた人間牧場の整備もこれでやっと最終章です。設計を手掛けた息子のこだわりもあって、今回のかまど小屋およびかまどの築炉には思わぬ予想い以上の出費となりました。最後は少し妻の援助をいただいてしまいましたが、幸い21世紀えひめニューフロンティアグループの絶大なる援助を得て完成することができました。

 リタイアして5年目の秋を迎え、65歳という私の人生にとって区切りとも思えるこの時期に、夢が一通り実現したことは大きな喜びです。先日ある人から「あなたの次の夢は何ですか」と、唐突に尋ねられました。65歳の今日まで夢に描いていた夢をことごとく手に入れてきましたが、当面は自分が85歳まで心も体も健康に生きること、人間牧場を使って家族や社会に恩返しすること、思いつきで始めた落語ならぬ落伍の小話を150話作りながら夕日徒然草火の書・風の書・空の書を出版公演すること、4年間続いているブログ「shin-1さんの日記」を10年間書くことなどなど、平凡と思えることを毎日続けながら非凡に変えて生きて行きたいと思っています。

  「二ヶ月半 やっとの思い 完成す かまど火を入れ 命吹き込む」

  「四万十の 里で育ちし 新米を わざわざ持参 友に感謝し」

  「息子・孫 私含めて 三代が 見守る果報 大事にしたい」

  「飯を炊く 湯気の匂いに 亡き母の 顔が浮かんで 少ししんみり」

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shin-1さんの日記

○双海町のグルーンツーリズムは楽しいです

 双海町も色々な人の思いが入り混じって、最近沢山の人が訪ねて来るようになってきています。昨日もえひめ地域政策研究センターが主催する地域づくり人養成講座のメンバーがバス一台を仕立ててやってきました。伊予市から出向している松本研究員の配慮によるものですが、せっかく双海町に来るのだから顔をのぞかせようと思い、ピザ釜まで出かけて行きました。

 県内各地からやってきた参加者はピザ焼きに挑戦中でしたが、請われるままに私も参加して生地をこね焼き上がったピザのご相伴にあずかりました。昨日は研修会ということで、市役所もグルーンツーリズムのメンバーも沢山集まり、それはにぎやかな研修会となったようです。

若松進一ブログ
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 グリーンツーリズム活動も関係者のひたむきな努力と、施設なども一つ一つ手造りで増えてゆき、今では観光バスもやってくるようなすっかり有名な場所に変身して、年間3000人を超えて観光客が来ているようで、喜ばしい限りで、20年前に私たちは始めた草創期を思うと隔世の感がするのです。特に先進的に取り組んできた漁協女性部の皆さんたちはこの日も、魚食を入れたピザの新しいメニューをツーリズムの皆さんと試作するなど、何かと協力的で頭が下がるのです。

 この日は4基の窯全てがフル稼働で、翠小学校の見学会やほたるの里加工場で西岡さん夫婦指導によるコンニャクづくりも体験したようで、皆さん満足したようです。


 考えてみれば双海町といえば何にもない地域です。ゆえに20年前までは誰もが何にもないと嘆いていました。まさに田舎嘆きの10カ条でした。それが夕日や花やホタルがきっかけで情報発信し始め、合併で双海町の歴史を閉じるころには県下でも屈指の話題の多い地域になっていたのです。その後もグルーンツーリズムが加わり、「何にもないことは何でもできる」と言わんばかりに発展を遂げているのです。

 やはり地域づくりは人の善し悪しだとしみじみ思うのです。ある意味黎明期は行政が誘導してきましたが、むしろ合併を機に自主独立の道を歩む好ましい方向に向かっているようにも思えるのです。地域自立は「私にできることを私がやる」、そんなこの指とまれ型の人を沢山作って、みんなが楽しんでやることですから、理想に近づきつつあります。もうひと押し、そしてこれを参考にみんなが目覚めて新しい生き方をすればもっともっとこの町はよくなると思っています。私も私にできることを私がやろうと今日も張り切っています。


  「ピザ釜を 作ったところ 大人気 ワイワイ粉こね ガヤガヤ食べる」

  「日本の子 ご飯食べずに ピザが好き まるで外国 理解苦しむ」

  「ツーリズム 自分にできる ことをする コンニャクだって メニューのひとつ」

  「手搾った みかんジュースを 試飲する これは美味いと 下鼓み打つ」 

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