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○人間牧場で育つもの(こんにゃく芋)

 人間牧場も5年目を迎えると様々な作物や果樹が植えられ、土、太陽、水などの自然の恵みをいただいて元気に育っています。梅の古木のように人間牧場開設以前に植えられたものもあれば、スモモやブルーベリー、サツマイモのようにその後植えられたものも少なくありません。そんな中にこんにゃく芋があります。一昨年春野菜の苗を妻と一緒に買いに行った松前町の園芸店で10個のこんにゃくの種芋買い求めました。もっと欲しかったのですが、3年ものの種芋は結構値段がして、園芸店の主人の話によると子芋ができるので気長に育てたら増えていくという話を聞いたものですから10個にしたのです。その年は順調に10個とも芽を出しましたが、一個は途中で枯れて9個だけが今年の春芽を吹きました。どういう品種か分りませんがとにかく親株だけは大きく育って、樹勢も力強いことだけは確かです。

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 世話といっても周りの草を刈り、芋の近くは丁寧に草を引く程度しかしていませんが、今年は芋の周りから彦生えのような芽が幾つも出ているので、多分分株したのではないかと思われるのです。今年の夏民俗学者宮本常一の歩いた道を歩くフォーラムに参加して、山深い高知県を旅した時、山村の斜面にこんにゃくが植えられていたのを見ると、蕎麦と同じように荒れ地でもできる、いやむしろ荒れ地を好むのかもしれないと勝手に思い込み、肥料もやらずに育てているのです。こんにゃく作りをしている親友の西岡さんに教えをかって、これからどうすればいいのか考えて行動したいと思っています。と同時に畑の空いた部分にこんにゃく芋の種を植え栽培面積を増やしたいと思っているところです。


 さて、勝手に育っているこんにゃく芋をこれも西岡さんの指導を受けて、今年はこんにゃく作りに挑戦してみようと思っています。幸いかまど小屋もかまども完成間近で、かまどを使ったメニューに是非こんにゃく作りを加えたいと思っています。

 私は子どもの頃から、「嫌いな食べ物を上げなさい」と言われたら、「こんにゃく、海老フライ」と言うほど、こんにゃくが余り好きではありません。良く似ている食べ物にトコロテンがありますが、トコロテンは食感もよく大好物なのですが、あのぶよぶよした食感からか子どもの頃から大の苦手でした。トコロテンもこんにゃくもダイエットアルカリ食品としてもてはやされていますが、私にとっては食わず嫌いとでもいうのでしょうか今でも苦手な食べ物なのです。田舎では山ふぐと言われるように、こんにゃくの刺身は格別だという人もいますので、自分で種芋から育て、自分でこんにゃくを作り、好きになるよう努力したいと思っています。


  「ぶよぶよの あの食感の どこがいい 食べろと妻は いつも盛りつけ」

  「こんにゃくの 芋が芽を吹き 子が育つ こんにゃく畑 もっと増やそう」

  「かまど小屋 できたぞ次は こんにゃくを 作り接待 するの楽しみ」

  「こんにゃくは まるでキリンの 足のよう 斑点無数 不思議作物」

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○人間牧場で育つもの(二本の杉の木)

 早いもので人間牧場ができて丸4年、5年目に入りました。リタイアしてそれまでの35年間の公務員生活から一変し、自由人になってからの4年間だっただけに、私にとってはあっという間の出来事のようでした。それまで雑草雑木に覆われた放任園は人の手が加わって一変し、見違えるようになりました。そんな中、取り除かれた木や草があるかともえば、生えてくる木や草もあって中々面白いものだと観察を続けているのです。中でも海に向かって建つ水平線の家のウッドデッキの両側にほぼ同じような位置に、まるで植えたかのような杉の木が二本、人知れず生えて成長をしているのです。

 東側に生えている一本は少し遅れたためまだ気づかない程ですが、西に生えている一本は3メートルに達し、来年は水平線の家の屋根を超す高さまで迫るような勢いで伸びているのです。東の成長著しい一本は、屋外の上がりかまち近くに生えているため邪魔なので、そのうち切ろうと思っていましたが何処可哀そうに思って、下枝を少し整理したくらいで成長を見守ることにしたのです。

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(西側に生えた杉の木)

 木は根っこがいたずらをするので家の近くには植えない方がいいと言われています。事実これまでに色々な樹木が家の土台や墓石を狂わせている事例を随分見てきたものですから、本当は今のうちに伐採した方がいいことは分っています。しかしふと、水平線の家の私が落伍高座に使っている150年生の高知県馬路村魚梁瀬杉の切り株のことを思い出しました。150年の年輪を刻んだこの切り株はどこに生え、どんな理由で誰に切られたのか定かではありませんが、色々な経路を経て人間牧場へやってきました。いのちのリレーを断たれた切り株は家主である私と出会い、来た人たちに150年生き続けた物語を語ってもらっているのですが、ひょっとしたらこの杉の苗木は魚梁瀬杉の化身ではないかと思ったりするのです。まさに自然が育んだいのちのリレーなのです。

 種から芽を出し逞しく伸びるこの杉の幼木は、種ゆえ鳥か風によって運ばれ、土の中で芽生えるまでの1年間を過ごしたに違いありません。だとしたら今年小学校に入学した孫朋樹と同じ樹齢になるのかもしれません。偶然でしょうが朋樹という名前に樹がついているのも因縁時見ています。また朋樹の朋は相対する二つの樹を意味しているよです。まあ東の木は少し遅れて生えたためまだ2年生なので、孫尚樹と希心に似ているような気もするのです。

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(東側に生えた杉の木)

 昨日人間牧場でこれら二本の木を写真に収めました。この木の不思議な芽生えをまざまざと見ながら、「この杉の木を育てよう」と思いました。育てるといっても別に肥料をやったりする訳ではなく観察したり、切り株がくれたいのちの物語として話すのです。面白いエピソードが頭に浮かんできました。この勢いだと西側の一本は多分来年には軽く屋根を超えるような勢いなので、邪魔ン部分を枝打ちし今からが育つのを観察するのが楽しみです。

 人間牧場には建設のために伐採を余儀なくされた樹木もあれば、みかん畑の千幕として植えられ、芯や枝を切られながらも脇目を伸ばして生き延びている木もあります。木の世界も人間のエゴに合わされて、切られたり遺されたりと複雑ですが、せめて新しい命として芽生えた二本の杉の木だけは、人間牧場の新たなシンボルとして残しておきたいと思っているのです。


  「気がつけば すくすく伸びる 二本の木 切り株化身? 気になる木だな」

  「いや待てよ ひょっとしたなら この杉は 孫と年齢 同じ成長」

  「杉の種 風か小鳥の いたずらで この地に落ちて この地で芽吹く」

  「意味もなく 生えて育った 杉の木も 意味をつければ 愛おしきもの」

 

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○美味しいミニトマト

 残暑が厳しいといっても今は季節の変わり目で、さすがに朝晩は布団が欲しいくらい冷えてきました。このころになると冬野菜の植え付けが始まるのですが、夏食卓を飾ってくれた夏野菜の数々が最後の踏ん張りとばかりに実をつけて、毎日食べきれないほどの野菜が採れるのです。

 その最たるものはナスで、秋ナスの境地に入った長ナスが沢山採れ、食べきれないので親類におすそ分けをしてあげるのです。ナスばかりを持って行ってもと思い、時には南瓜や豆を添えますが、漁師さんなどは野菜を作っていないので重宝がられ、昨日は何とお礼にアマギという魚を二箱も貰いました。さてこんなに貰ってどうしようか思案しましたが、息子の会社の人に差し上げるというので友人の水口さんともどもへ往復1時間半もかけて持って行き喜ばれました。秋ナスが思わぬ福を運んでくれました。

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(長ナスも息を吹き返し秋ナスとして伸びています)

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(ピーマンの緑は目にも鮮やかです)

 これ以外にも、ピーマンやシシトウなどは、今が旬とばかりに沢山実をつけていますし、ミニトマトはもう食べきれない程の鈴なりです。しかもそのトマトは樹枝の上で完熟したものですからとても甘くて美味しいのです。昨日の夕方発泡スチロールに一杯収穫しました。白い発泡スチロールの箱に入った真っ赤なミニトマトは、まるで宝石箱のようで何とも言えない美しさでした。今年の夏は最初、トマトの天敵ともいわれる雨続きで、せっかく実ったトマトも腐ってしまいましたが、口にするものゆえ消毒もできずにいました。ここにきて雨が欲しいほど雨が降らないため自然治癒力で樹勢が回復したものと思われます。もうしばらくの間、ミニトマトの味を楽しみたいと思っています。

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(まるで宝石箱のようです)

 家庭菜園の世話をしている親父が、「もうそろそろトマトを片づけたい」というのです。親父は自分が世話をしている菜園が見苦しくなるのを極端に嫌う性格で、このことでいつも私や妻と意見が食い違います。昨日は収穫したトマトを見せ、「こんなに採れるのだからもう少し置いたら」と反論しましたが、いつものことだと軽くいなされました。

 家庭菜園の世話をしている親父にしてみれば、私は手伝うといっても収穫するだけしか役に立たず、雑草取りや水やりなどの雑用は全て親父に任せきりなので口答えもできないのです。まあこれも親父の長生きの秘訣だと思って適当な口喧嘩をやっているのです。

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(陽足が長く感じられるようになりました)
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(大根の芽も双葉が伸びて順調です)

 陽足が長くなって、陰と日当たりの部分の温度差が随分違い、季節の移ろいを感じるようになりました。わが家の菜園では親父が水をやった大根が二つ葉を出して伸び始めました。秋はもうそこまで来ています。


  「夏過ぎて 名残の野菜 豊作で 食べきれないで おすそ分けする」

  「長ナスが 魚に変わり 戻りくる これもすそ分け あれやこれやと」

  「ミニトマト 箱に入れると 輝いて まるでチェリーだ 宝石のよう」

  「そこここに 秋の気配の 漂いて 親父せっせと 陰で草引く」



  

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○かまどの上塗り工事

 かまどの築炉工事も築炉が終わり、いよいよ最終段階に入ってきました。この4日間仕事の都合で工事に立ち会わなかった息子は、今日も仕事で来ることができないため、朝早くにわが家へやって来て、私を誘い人間牧場へ行こうとしましたが、原稿の締め切りでバタバタしていたので、息子だけが出かけて行きました。往復1時間もたったでしょうか、息子はわが家へ帰ってきました。大体想像通り、設計通りにできているようで満足の手合いでした。今日も何の役にも立たないのに、現場監督みたいな役割を持った私が立ち会うため、色の具合を息子から聞き、細かいことは左官さんと電話で話すということで帰って行きました。

 昨日は築炉工事の終わったかまどに上塗りをしました。息子の設計図に描いた色が少し暗いイメージだったので少し赤くするようです。左官さん二人は色粉を入れて漆喰を作り、かまどに試し塗りをして色具合を確認して塗り始めました。少し派手かなあと思いつつ見ていましたが、磨きをかけたりかまどに熱が加わるともっと落ち着いた色になるので大丈夫だと左官さんは無心に上塗りをかけていました。前日中塗りにかなり時間をかけて鏝で押さえていたのが分るように、上塗りは色をつける程度の薄い仕上げでした。

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(丹念な色合わせ)
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(色合わせのための試し塗り)
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(上塗り)
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(上塗り)
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(上塗りを終了して、かまどにハガマを置いた最終雰囲気)

 いやあ長い築炉工事でした。たったこれだけの作品とも呼べる工事に二人で4日間もかけたのです。しかしもう見ることはないであろうかまど築炉工事の一部始終を見ることができて感激です。まさにこのかまど造りの生き証人となったのです。一つの耐火レンガを積み上げて行く途方もない細かい作業はまさに職人芸といわれるもので、できあがったかまどは画家が描く絵画と同じようにこれはもう立派な作品です。

 二つの焚き口の中ほどにくぼみを作っていますが、ここに長野県から送られてくる彫刻をはめ込み、煙突に幅気を入れれば全ての道具類が入ることになるのです。火を入れるのが惜しいような気もしますが、かまどは使い込んでこそ味が出る生活の道具なのですから、しっかりと使いたいと思っています。


 最後の工程は磨きだそうで、上塗りが渇いたらピカピカに磨き上げるのだそうです。私は所用で午後から始まる磨き始めの行程を見ないで人間牧場を後にしましたが、台所の貴婦人とでも呼びたいかまどはいったいどんな化粧をするのかこれまた楽しみです。

 最初の薪はクヌギで焚きたいと思っています。急いでクヌギの木を調達して薪を作らなければなりません。さあ人間牧場に薪割りという新しいメニューが加わりました。今年はクヌギが葉っぱを落とす冬にクヌギを確保して薪を作りたいと思っています。10個植えたこんにゃく芋も一つが枯れただけで順調に育ち子芋の葉っぱも見えてきました。こんにゃく作りも楽しみです。かまどの完成によって、ここにきて夢は一気に広がってきました。

 それにしても4日間、草刈り作業をしながらかまどの築炉工事に立ち会ったため、厳しい残暑で真っ黒に日焼けしました。「若松さんお元気そうですね」と会う人ごってそう言われます。もう日焼けを気にする歳でもないので、すっかり精悍になった自分の顔を少し好きになりました。


  「四日間 二人の左官 手間暇を かけたかまどが ついに完成」

  「かまどなど 昔のものと 思ってた いやあ驚き ついに手に入れ」

  「火が燃えて かまどぶくぶく 湯気が立つ そんな連想 早くもしつつ」

  「さて次は 何に取り組む 次の夢 聞かれて内緒 実はあるんだ」 

 

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○夕日の前で結婚式の前撮り写真

 夕方テレビの天気予報を見ると、このところ晴天の日が続いて県下各地に晴れマークがつき、明日は何かいいことがありそうな予感がするのです。でも実際明くる日が今日となり一日が終わってみると、「今日も残暑が厳しかったなあ」くらいで終わってしまうのです。まあ人生なんてそんなものの連続だと、諦めて過ごしていますが、それでも双海の海にジューンと音を立てるように沈んでゆく夕日を見ると満ち足りたような幸せを感じるのです。

 一昨日も昨日も人間牧場で作業をして帰り際綺麗な夕日を見ることができました。もう20年余りも夕日にこだわって生きていると、夕暮れ時になると胸騒ぎのようなものを感じるし、夕日の写真を撮ったり、夕日を見ている人の姿を眺めたりしながら右往左往する自分の姿にハッと気がついたりするのです。

 最近はシーサイド公園から見える夕日の認知度が高まり、夕暮れ時になるとどこからともなく人が集まり、別名夕日の観覧席と呼んでいる階段式護岸に座って夕日を見ながら物思いにふけっている人をよく見かけるのです。下の写真は一昨日の夕日の写真ですが、よく目を凝らしてみると砂浜に何やら白い服を着た人たちが歩いていました。とっさにそれが若いカップルであり、結婚式の前撮り写真の撮影であることを察知しました。

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 最近の若い人はオリジナルな結婚を好む風潮があって、中にはシーサイド公園で結婚式を挙げるカップルもいるほどです。当然白い砂浜、青い海、茜色の夕日とくれば、写真撮影には絶好のスポットで、まるでプライベートビーチのような感じもして人に邪魔をされることもないので、多くのカップルが利用しているのです。

 私のように古い時代の人間は恥かしさが先に立つのですが、最近の若者は人の目など気にせず自分の世界を作り上げて行くようです。

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 白いウエディングドレスとタキシードは良く夕日が似合います。夕日の色に染まる二人の姿は幸せそのもので、時にはシルエットとなってピンク色に染まるのです。塩けた砂がウエディングドレスを汚しはしないかと要らぬ邪推をしてしまう愚か者の私でも、二人に幸せを祝福する大きな拍手を送ってあげたいような心境になるのです。

 こんな幸せな人生のスタートをしていながら、最近の若者は直ぐに離婚してしまうことも解せないといえば解せないのですが、ひょっとしたら彼らは減点人生を歩むからではないかと思うのです。減点、つまりお互いが100点からスタートすると、「こんなはずではなかった」と減点し続け最後には破局を迎えるのです。私たちのように最初は0点でしたが少しずつオア互いの長所を認め合いながら加点し、まだまだ100点には届かないものの、今に100店に到達すると信じて暮らして行けば、人生は楽しいと思うのです。いい人生、それは減点ではなく加点であると思うのですがいかでしょうか。

 昨日も多分今日も綺麗な夕日が双海の海と空を染め分けて沈んでゆきます。明日はその夕日が朝日となって昇ってきます。今日もいい一日でありますように。


  「このところ 綺麗な夕日の 連続で 何か幸せ 感じています」

  「カップルが 夕日の前で 前撮りを 幸せになれ 大きな拍手」

  「減点か 加点かにより 人生は どっちに転ぶ 考え次第」

  「身と心 夕日が染めて 沈みゆく 明日幸せ 予感がしつつ」 

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○通夜でのお坊さんの教え

 田舎に住んでいると、私のようによく家を空ける人間にとっては、近所で起こった出来事する知らないことがいっぱいあるのです。「海岸国道のあそこで自動車の衝突事故があった」とか、「あの人が怪我をして救急車で運ばれた」とか、はたまた「あの人は入院しているがどうやら病状が思わしくない」などなど、好ましくない話題も結構多く、今ではすっかり蚊帳の外になっている自分を腹立たしく思ったりすることがあるのです。幸いわが家は妻が近所の歯医者さんに勤めていて、この手のうわさは散髪屋や風呂屋、医院が火元と言われるように、あることないことの話題を知ることができるのです。

 田舎は遠縁だったり縁もゆかりもなかったりしても、葬儀には参列する風習のようなものがあって、そば耳を立て網の目を張っていなければ、ついうっかり葬儀に行くこ時期を逸することだってあるので、特に新聞のお悔やみ欄には目を通すようにしているのです。しかしお悔やみ欄で通夜や葬儀の情報が分っても、予定が立っている私には参列も叶わず、香典を知人に託すこともあるのです。

 先日友人のおばあちゃんが亡くなりました。その情報は新聞のお悔やみ欄で知ったのです。しかし葬儀のある時間はどうしても外せない予定があって、どうしようか悩みましたが、通夜に参列することだったらできるかも知れないと、夕方出かけて行きました。自宅で通夜をするという話を聞いていたものですから、近所に車を止めて歩いてゆきました。初秋のこの季節は午後7時はもう暗くなっていて、通夜の寂しさがそうするのか何処か沈んだ気持ちで受付を済ませて中へ入りました。

 通夜は隣組の人も大勢駆けつけ足の踏み場もないほど室内はいっぱいでした。順次亡くなったおばあちゃんの前に進んで穏やかな顔を拝ませてもらいました。やがてお坊さんが枕教のためにやってきました。お坊さんは念入りなお経をあげた後、おばあちゃんの枕元で説教をしました。故人へのねんごろな言葉と縁者知人への戒めの話はとても参考になるお話でした。

 お坊さんは「人は二度死ぬ」と「欲しがるものと与えるもの」について話されました。「人は二度死ぬ」という話は最初「えっ」と思いました。一度は本当の死です。もう一度は人に記憶から消えるときだそうです。特に人の記憶から消えないようできるだけ故人のことを思って欲しいということでした。確かにわが母がなくなって10年が経ちましたが、死んだ直後から比べると母の記憶も薄れています。今一度そのことを思いながら過ごそうと心に念じました。もう一つの教え「欲しがるものと与えるもの」の話も納得しました。人間はえてして欲しがるものです。金品や地位、名誉など数得ればきりがないほど欲張りです。特に最近は自分のことしか考えない人も多いようです。もう少し人や社会や自然に与えることを考えればどんなにか社会は明るくなることでしょう。

 通夜の説教で、何気なく見過ごされている私たち人間の日々の暮らしのあり方を、随分分り易く教えていただきました。これも故人の人徳と受け止めて、おばあちゃんの在りし日の姿を思い出しながら自宅へ帰りました。妻は玄関先にお皿に塩を入れて待ってくれていました。これも妻が私に与える気配りとして、有り難く体と心を清めその話を妻にしてやりました。


  「お通夜でも 坊さん説教 身に染みて 二つのことを 教わりました」

  「二度死ぬと 言われて『えっ』と 思ったが なるほどそうか 殺しちゃならぬ」

  「欲しがるな 与えた方が 上手く行く そうは言いつつ 欲の塊」

  「玄関に さりげなく置く 皿の塩 妻の配慮に 感謝しつつも」

 

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○かまどの築炉工事3日目

 大分県への出張が先方の都合により急遽取りやめになったため、今日は人間牧場への視察と取材をこれまた急遽引き受け、朝から人間牧場へ行ったり来たりで午前中は忙しく過ごしました。午後は昨日刈り残した草刈りを継続しましたが、草刈り機の替え刃も切れ味が悪くなり、思い切って新品に変えたところ、見違えるような作業効率です。草刈り機も私と同じでそろそろ寿命と買い替えを検討しているのですが、エンジンの調子は絶好調なのでもう少し使おうかと思っています。

 さて今日も左官さんによるかまどの築炉工事は昨日に続いて行われましたが、相変わらず私は暇を見つけてその様子をデジカメで記録しているのです。

 昨日の夕方は、友人のおばあさんの通夜があって一足早く下山したたのですが、左官さんたちは今日の仕事の段取りをきちんとして帰っていました。大工さんは昨日息子と一緒にかまどの煙筒つを買いに行ったようで、今朝は早くから壁に煙突用の穴を開けていました。

 
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(煙穴のマク板を取り除き、かまどの上の部分の中塗り)

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(中塗りにはマホランの繊維を塗り込みました)

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(マホランも今では中々手に入らないそうです)

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(中塗りの粗塗り完了)

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(中塗りの粗塗り後は何度も銅の鏝でなじむよう抑えて行きます)

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(上の中塗りが終わったら前と側面の中塗りです。焚き口も据え付けられました)

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(息子の書いた設計図に基づいて上台と下台の化粧です)
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(赤いレンガをより引き立させるためにレンガに赤いベンガラを塗ります)
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(金輪を置いてハガマを据えてみました。夕日に照らされ中々のでき具合です)

 左官さんの話だとこれまでの作業はほぼ完ぺきなようで、明日はいよいよ上塗りにかかるそうです。私などは「恥の上塗り」なんて言葉しか知りませんが、左官さんが一番気を使うのはやはり仕上げでしょう。明日上塗りをしたら磨きにかかり、約1ヵ月間じっくり自然乾燥してから使うのだそうです。でないとひび割れが来るので、まああせらずに果報は寝て待ちましょう。

 エネルギー革命によって度の家にでもあったかまどは殆ど姿を消しました。昔の左官さんはかまどや風呂が築けなければ一人前ではなかったようですが、今の左官さんはかまどなど見たこともなく、ましてや造ったこともないのです。ゆえに半人前かも知れないと笑っていましたが、私たちが子どもの頃はかまどで煮炊きすることが当り前だったのです。冬の薪割りも、かまどで火を焚くことも日本人の暮らしの中から消えてしまったのです。


 さて、かまどが現実のものとなった今、人間牧場でのプログラムは俄然幅が出てきました。ご飯やみそ汁は勿論のこと、ふかしイモや味噌作りなど様々な応用が考えられるのです。それは昔を懐古するだけではなく、日本の食文化を正しく伝えることにもなるのです。まあこんなことを考えていますが、はてさてかまど小屋の工事がそろそろ終わるころなので、そろそろ資金繰りを考えなければならないようです。自転車操業の人間牧場の一番の悩みはやはり資金なのです。まあ「金は天下の回りもの」ですから・・・・・。


  「この腕も 使わなければ 持ち腐れ 時代進んで 伝える人なく」

  「かまど見りゃ 幼き日々の 思い出が 浮かんで消える 古き人間」

  「煙立つ 湯気の向こうに 米の飯 夏かし日々の 幸せ思う」

  「焦げ飯に 潮つけ握る 母の味 かまど造りは そこが原点」


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○かまどの築炉状況写真

 息子からかまどの築炉状況を詳しく写真で記録するよう依頼があって、一日目は何とか時間を割いて対応したものの、二日目の昨日は残念ながら午後3時まで仕事が入って記録することができませんでした。ここにきて順調に進む築炉作業がどうしても気になって、遅まきながら3時から人間牧場へ出かけて行きました。築炉作業はかなり進んではいましたが、それでもかまどの肝心な部分の写真は撮れました。

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(前日組まれたレンガの上にかまど工事が始まりました)
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(炉心部分の工事)
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(かまどの周りに耐火レンガが立てられ、心臓部分が見えてきました)
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(漆喰で周りを固められる煙道型枠)

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(かまどの周りは熱吸収と余熱利用のため砂で埋められました)
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(かまどの焚き口には鋳物の窓が取り付けられました)
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(排煙型枠の上にハガマを乗せたかまどの内部)

 左官の大将は職人とは思えぬ優しい方で、年齢的にはおそらくこれからもかまどを築くこともそんなに多くはないと思っていて、写真撮影にも快く応じてくれました。またもう一人の左官さんは40年間左官をしているのにかまどを築炉するのは初めてだと言って、私と同じように工程の全てを作業をしながら写真に収めていました。

 耐火レンガをサンダーで切りながらの作業は予想以上に手間のかかる仕事だと思いました。切ったレンガを水に浸しセメントとスサワラ、石灰などを調合した漆喰のようなもので固めて行くのですが、素人の私にはどこから排煙するのか説明を聞かなければ分りませんでした。発泡スチロールで丸い型枠を作って組み立てていましたが、どうやらこの型枠が煙の道となるようです。一晩養生をして明日は型枠を外せばそれが分るのだそうです。


 昨日は友人松本さんのおばあちゃんが亡くなってお通夜に出席するため、後ろ髪を引かれる思いで人間牧場を下りましたが、今日は人間牧場の取材や見学が来るため作業工程を写真に収められそうです。

 左官さんの話によると、後二日くらいで目鼻がつくそうですが、工事が終わってもひび割れを防ぐため自然乾燥に約1カ月くらいかかるそうで、早くても10月の新米の出回る時期に初釜のようです。味噌汁や漬物の準備も着々始まって、何かワクワク・ドキドキしてきました。日本の食文化のルーツとも言えるかまどについて、もっと勉強して楽しみたいと思っています。それにしても息子は設計の仕事をしているとはいいながら、よく調べて取り組んでいるものだと感心しました。


  「凡人が ゆえにかまどの 姿まだ 見えずオロオロ 写真に収め」

  「なるほどと 感心しつつ ウロチョロと 邪魔ともいえず 左官付き合う」

  「いつの間に 息子と左官 話し合い こんな計画 練っていたのか」

  「夕暮れに なると藪蚊が 肌を刺す 夏の名残りの 平手でパチン」

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○かまどの築炉工事が始まりました

 人間牧場の整備を5カ年計画で初めて5年目を迎えました。これまで4年間は目標通り順調に進んできましたが、最終年のである今年のかまど小屋建設は8月2日に着工したものの、早1ヶ月が過ぎたというのに小屋は殆ど完成しているものの、肝心のかまどの築炉が未着工のままでした。というのも築炉をいらしていた左官さんが交通事故にあって入院してしまい、回復を待つといういとも長閑な雰囲気で、仕事の元請け大工さんに少々苦情を言う場面もありましたが、左官さんが少し回復したので昨日から仕事に取り掛かりました。設計を担当した息子は松山に住む左官さんのところへ出かけては期限を取りつつ材料を集めたりして相当苦心をしているようですが、昨日は一日がかりでレンガを積んで下台だけ完成して一日の作業を終わりました。


息子から、かまどを造ることなど滅多にないので、しっかりと記録写真を撮るよう言われましたが、かまどができる間ついているわけにもいかず、まあとりあえず昨日は草を刈りながら要所要所の写真を撮りました。しかし息子の書いた図面は見ていますが、作業工程が全く分からず、写真に収めようもどれをどう取ってよいのか苦心しました。

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(かまどの墨出し)

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(耐火レンガの積み始め)

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(耐火レンガの上積み)
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(耐火レンガの積み終わり)
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(かまどの土台づくり)
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(モルタル工事のフエルト張りと金網張り)
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(モルタルの地ならし)
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(第一工程・下台の完成写真、この上にかまどが築かれる)

 二人の左官さんが勘を頼りにレンガを積んで行くのですが、左官さんは病み上がりと言うこともあって何ともゆっくりしたペースです。それもそのはず赤い煉瓦はグラインダーカッターで短く切ったり、細長く切ったりと中々苦心をしているようでした。4時過ぎにモルタルを塗って作業を終えましたが、私のような素人にはまだどんなかまどができるのか知る由もないのです。左官さんの話によるとレンガで囲った空洞は薪を入れる収納庫だそうですが、「えっ、かまどじゃないの?」と思わず言いたくなるような雰囲気でした。


 今日は午前中から午後3時ころまで所用で出払っていて写真を撮ることができず、やきもきの一日となりました。でも凸凹コンビのような左官さん二人が「明日もまたきますから」と言い残して人間牧場から帰って行きました。私は道具類もあるのであちらこちらの鍵を閉めて追いかけるように下山しました。

 松山から帰ってブログを一本書き、早速人間牧場へこれから行ってみたいと思います。楽しみですね。

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○今日は朝から不完全燃焼

 このところ朝が忙しく、ブログを書く暇がないため夜寝る前に書いたりしています。今日は久しぶりに朝4時に起きてブログを書こうとアメーバブログのトップページを開けたところ、今日は午前2時~午前8時まで、メンテナンスにつきブログが使えないという表示が出てました。アメーバブログは無料なので文句も言えないと諦めていますが、月に2回程度のメンテナンスの日はどことなく一日のリズムが崩れたようでイライラしてしまうのです。そのくらいブログはこの4年間、すっかり私の暮らしの一部になってしまっているのです。

 まあ仕方がないかと思ってGメールを呼び出して、メールの整理をしました。毎日のように入ってくるメールもおびただしい数で、ちょっと整理を怠ると千台を軽く超えてしまうのです。中には見落としてしまって連絡を取ることもなく、ほったらかしのメールもあって、お詫びを書きながら送信しました。


 そうこうするうちに食事の時間となり、そうこうするうちに今日は東雲公民館へ9時30分までに行かなくてはならないため早々に家を出ることになりました。息子と娘の家族に、いただき物のハウスミカンなどを持って行って欲しいと妻から頼まれて、朝の慌ただしさの中で訪問し、久しぶりに孫の顔を見て心が和みました。

 さあ急いで東雲公民館へ直行です。公民館は松山東警察署のすぐ横にありました。玄関先に入ると大西館長さんが迎えてくれました。大西さんはかつて第5回青年の船に乗船したことがあるらしく、気さくに話しかけていただきました。会場は2階のホールでしたが、手狭な公民館のためいきなり会場へ通され私が一番乗りで皆さんの来場を会釈しながらお迎えしました。

 やがてお世話いただいた司会の真下さんから長々と私の紹介を受け、壇上に立ちました。会場には知った顔の人も何人かいて、手を振ったりにこやかにあいさつをしてくれました。


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 今日は申し込みが90人もあったそうで、嬉しいことに席は前から後ろまで満員でした。公民館の前に松山東警察署があるので不審者の侵入もなく(笑い)、反応のいい参加者に助けられて、楽しいおしゃべりをすることができました。今日は元気活力事業の一環として行われた健康づくり講座だそうです。むしろ私の話は体の健康ではなく心の健康についてお話ししました。

 車を駐車した有料100円パーキングに行って清算のため財布を出すと、貧乏人のくせにあいにく小銭がなく、公民館に引き返しお金を崩していただきました。参加者がぞろぞろ話しながら帰っていました。私がいるのを知ってか知らずでか、「今日の話はよかった」「久しぶりにいい話を聞いた」「時間が短く感じた」「あの話だったらお金を出してもええ」などと、高齢者らしく大きな声で話しあって歩いていました。「ご苦労様」と声をかけると皆さん一応に驚いた様子でしたが、私にとっては朝の不完全燃焼が完全燃焼に変わった一瞬でした。

 人間の心は、いや私の心は変わり易いものですね。


  「さあやろう 勇んだ心を へし折られ 何処かもやもや 半日続く」

  「ええ話 だったとみんな 口々に 聞いた途端に 完全燃焼」

  「孫四人 今では俺の 活力素 会うと何だか 元気が湧いて」

  「満席の 人に話すは 気持ち良い こちらも馬力 かけつつ話す」

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