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○オホーツク寒気団との交流会

 船木さんと岩山さんと3人で、弟子屈町から本の道を津別町まで引き返しました。でてこいランドという障害者の施設での交流会に参加するためです。でてこいランドは施設の殆どが皆さんの手作りによるもので、寄付や勤労奉仕によって立てられ、ボランティアによって運営が行われているようです。施設的には粗削りな部分も見られますが、その分皆さんの思いのこもった施設なのです。私は船木さんや岩山さんと早めに到着しましたが、キッチンでは町長の奥さんが高齢者のための宅配弁当を作っていました。

 オホーツク寒気団というまちづくりグループが近郷近在から集まって来るのは午後7時過ぎなので、のんびりと過ごさせてもらいました。船木さんは自分の持参したホタテのむき身や銀シャケをさばいて調理を始めていましたが、私は本を読んだり早めにやってきた人たちと名刺交換をしたりしました。

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(でてこいランドの正面玄関と船木さん)
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(津別町の佐藤町長さんや訓子府町議会の橋本議長さんも参加されて賑やかな交流会となりました)

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(私も15分余り自己紹介を兼ねてお話をさせてもらいました)
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(佐呂間の3回講演会を全て聞いたお寺の奥さんである真如さんとツーショット)

 網走市議会の民主党幹事長平賀議員さんとは、政権交代の裏話や地方議会の変貌ぶりなどを興味深く聞きながら、夜の更けるのも忘れて大いに語り合いましたが、参加したオホーツク寒気団のメンバーはうわさにたがわず元気いっぱいで、美幌からも三浦さんや井上さんが参加していて、皆さん酒の勢いを借りてとても深い交流ができました。

 この日の交流会は深夜にまでおよび、私は明くる日のこともあるので午前1時に床に就きましたが、朝方まで飲んでいた面々はやがてその場に行き倒れのような形で眠り、まるで傷んだ掃除機のような大きないびきが私の安眠を妨げたようです。


 今回私の追っかけに徹したお寺の寺族である真如さんは、私の話を二日間で3回も聞いてくれました。多少のダブりはあってもまあ相手が違う話しに目を丸くしていましたが、それにしても隣町といいながら距離数の長い北海道を飛び回って交流に参加してくれた真如さんに脱帽し、厚くお礼を言いたいと思い、再度の出会いを期待しているところです。

 船木さんの話だと再び出会う機会がありそうだし、また船木さんがお世話している国内研修などで目的地として愛媛県を考えているそうなので面白い交流に発展するかもしれません。


  「まちづくり 心許せる 人ありて 夜を徹して 熱入れ話す」

  「掃除機の 壊れたような いびき聞き 寝付かれなくて 朝を迎える」

  「わが話 三回も聞く 凄い人 私は絶えず 彼女意識し」

  「年齢は 嘘はつかぬと 納得す 気力体力 知力も落ちて」 

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○プライベートな北海道を楽しむ

 長くも短く感じた佐呂間町での2泊3日の3回講演と2回交流会は大いに盛り上がり、今回も沢山の深いご縁をいただきました。平戸課長さん、大谷課長補佐さん、担当の阿部主事さんには忙しい時間を割いて面倒を見ていただき感謝しています。

 平戸課長さんと近くの食堂で昼食を済ませたころを見計らって、オホーツク寒気団の船木さんが迎えに来てくれました。元はと言えばこの船木さんと高知県馬路村での出会いから始まった北海道での講演ですから、一番ご縁の深い方なのです。

 船木さんの車に乗せてもらい、通ったこともないような裏道を突っ走り、一路摩周湖を目指しました。裏道といっても北海道の道は一直線の道が多く、中年暴走族ではないかと見まがうほどのスピードで走るのです。途中屈斜路湖が一望できる津別峠に立ち寄りました。ここは美幌峠のような景勝地ではなく、10月になるとあくる年の雪が消えるまで閉鎖される場所なので、多分もう二度と訪れることはないであろう穴場の景勝地なのです。

 その展望台はまるで西洋のお城を連想するようなとても立派なものでした。ツーリングを楽しむ自動二輪やパトカーまで来ていて、驚きの見学となりましたが、美幌峠と同じように眼下に屈斜路湖が見え、遠くに美幌峠や摩周湖を望むことができました。

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 津別峠から屈斜路湖へ至る道すがら、キタキツネに出会いました。こんな身近な場所でキタキツネに出会えるのかと感激し車を下りてしばし観察しました。キツネやタヌキは夜行性のため昼間は殆ど姿を見せないそうですが、人間に臆することもなく近づけるこのキタキツネはどうやら観光客から餌を貰いそめているのかもしれないとは船木さんの弁でした。帰り道同じ場所でエゾシカの群れにも出会いました。

 硫黄山を横目に見ながら弟子屈の町を通りました。弟子屈といえば巨人・大鵬・卵焼きと形容された大横綱大鵬の出身地です。かつて40年も前に、愛媛県の国内研修団の一員として弟子屈青年の家で研修をしたことを思い出しました。ここの青年の家で食べた麦ごはんとバタージャガイモは今も忘れられない思い出なのです。

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(道端でキタキツネと出会いました)
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(霧の摩周湖)
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(船木さん。岩山さんとともに)

 霧の摩周湖と形容される摩周湖はやはり摩周岳に少し霧がかかっていましたが、それでも美しくも神秘的な姿を見せてくれました。このショートな旅には東京から来たという画家岩山さんも同行しました。彼はライトバンの車で寝泊まりしながら絵を書いたり構想を練っているそうで、船木さんの友人の友人だそうですが、かなりしっかりした考えを持っているようだと思いつつ、画家で飯が食えるようになるまでの試練を乗り越えようとしている姿に深い感動を覚えました。

 帰りの途中弟子屈の街中で大鵬の生家の前を通ったり、ソフトクリームの美味しい店に寄ったり、また屈斜路湖のほとりの砂湯に立ち寄ったりしながら、一足早くやってきた北海道の初秋を満喫させてもらいました。

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(観光客に人気の店で美味しいソフトクリームを食べました)
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(屈斜路湖のほとりにはコスモ市が満開でした)
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(屈斜路湖のほとりには砂を掘るとお湯が湧き出る場所がありました)
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(屈斜路湖の夕日)

  「行く秋を 楽しみながら 旅をする 友の案内 至れ尽くせり」

  「画家卵 縁あり出会い 話し込む こんな時代が 俺にもあった」

  「目の前に 北のキツネが 顔を出す 私の方が 逆に驚く」

  「屈斜路の 湖面を染めて 夕日落つ 今頃双海 同じ夕日が」

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○佐呂間町での講演ダブルヘッターと明くる日で講演三連戦でした

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 北海道佐呂間高校での講演を終えて夕方まで少しの時間をホテル悠輪閣で過ごしました。午後6時30分に迎えの車が来ると言うので、久しぶりに長湯をしてくつろぎました。北海道に着いた前の日はあいにくの天気ながら夕暮れには佐呂間湖に落ちる自慢の夕日をホテルの自室窓から見ましたが、この日も綺麗な夕焼けでした。主催者からもホテル側からも軽めの夕食と説明がありましたがなりました。しかし午後5時からレストランで始まった夕食は、軽めどころかホッケの炭火焼きやホタテなど食べきれない程の美食でした。好きな相撲を自室のデジタル大画面で観戦し身支度を整えたところで迎えの車がやってきました。

 この日は午後と夜の二回講演、野球流にいえばダブルヘッターです。会場は佐呂間町町民センターのホールです。演題は「新しい発想で生きる ~人間牧場・遊びの創造」です。参加者の中には子どももいて和気あいあいです。最初は空き椅子もありましたがそのうち満席になりました。夕日を地域資源にしたまちづくりの経過や、余り話すことのない人間牧場での活動について話しをしました。

 講演が終わると近くの居酒屋に繰り出して交流会をしましたが、まあ料理の凄いこと、さすが北海道です。愛媛ではこの時期になると毎年有名デパートの地下食料品売り場で北海道物産展が開かれますが、その時見たり食べた海の幸がドーンと机の上に並べられ、みんなでワイワイガヤガヤ楽しいおしゃべりをしました。

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 私は明くる日午前中同じ場所で寿大学の講演が予定されていることもあって、夜10時過ぎにお暇し、阿部さんノ車でホテルへ帰りました。

 明くる日は高齢者が相手です。「ニコ・ピン・コロの人生」という演題で90分間お話をしました。三度目の正直とでもいうのでしょうか、寿大学に参加した方々のほどよい乗りにも助けられて、前から2列目のおばあちゃんは大笑いをして思わず入れ歯が飛び出てしまいました。周りの人は余り気付かなかったようですが、演壇から目敏く見つけた私は笑いをこらえるのに必死でした。

 それにしても、日本の中で今一番元気なのは高齢者です。金ある暇ある元気あると三拍子そろっているのは高齢者です。このパワーは不況だなんだと言い訳ばかりしている今の社会に見習ってほしい人間力だと思いました。

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  「トリプルの 講演終わり ホッとする 青年成人 老人にまで」

  「笑い過ぎ 思わず入れ歯 飛び出して 慌てて隠す ばあさん可笑し」

  「北海の 海の幸など 美味しくて 妻の味さえ すっかり忘れ」

  「日本中 何処へ行っても 爺と婆 一番元気 見習いたいね」 


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○大量の座布団が届く

 人間牧場の中心施設である水平線の家は、周囲も天井も床も全て板張りです。したがって学習会に使う場合は椅子も机もないため座学です。人間牧場視察者や落伍ライブなど比較的短い時間の滞在ならそんなに体には堪えませんが、先月開いた愛媛大学農学部学び直し講座のような二日間で15時間も連続して講義を聴く場合は、さすがに足や腰に疲労が蓄積するようです。

 先日、チャレンジ会という異業種交流団体が研修にやってきました。遠くは山形県や熊本県、それに宮崎県、大阪府、岡山県、徳島県などから13名が集まり熱心に私の講義を半日にわたって聞きました。年齢的にかなり高かったため、用意した100円ショップで買い求めた座布団では少し違和感を覚えたようでした。


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 昨日、出張先の北海道から自宅へ帰ってみると、玄関先に何やら大きな荷物が届いていました。送り主の名前はメーカーなので分りませんが、とっさにチャレンジ会の桜井啓子さんであることを思い出したのです。というのもチャレンジ会の研修が終わって大阪府に住む桜井さんからお礼のお便りをいただきましたが、その文面に「近々座布団を送ります」と書かれていたからです。早速妻と開けて驚きました。荷物の中から出てくる出てくるです。その数何と5枚組が5組の25枚です。正直この座布団の山を見て度肝を抜かれてしまいました。

 私はこれまで座布団の贈り物を2回いただいています。一回は家の横に造っている囲炉裏部屋煙会所へ龍華堂という松山の印刷屋さんご夫妻が伊予かすりの座布団を10枚贈ってくれました。その座布団は今も大事に使っています。もう一回は人間牧場の高知県馬路村産魚梁瀬杉で作った高座に座って落伍をやっていますが、宇和島の山本さんが落伍用に立派な座布団を贈ってくれました。この座布団も大切に使っているのです。


 さて、これほどの座布団を水平線の家の何処へ収納しようか、正直迷っています。水平線の家には倉庫がそんなに多くないため、現在醸造した梅酒を貯蔵している押し入れを片づけて、夏用蚊帳とともに収納しようかと思っていますが、はてさて片付くかどうか心配です。

 連休明けの今日からかまど小屋の土間工事が始まりますが、水平線の家はもう工事で汚れることもないので、座布団の置き場を早く確保したいと思っていますが、これらの座布団が人間牧場来訪者にとって心地よいものになることは間違いのないことです。

 思わぬプレゼントに嬉しい悲鳴を上げていますが、早速桜井啓子さんにお礼のはがきを書かねばと、先日北海道へ行った美幌峠から屈斜路湖をバックに大の字のようにして記念撮影した写真をパソコン用ハガキにプリントしました。今日は遅いのではなく午前0時を過ぎた早くなので、起きてから書こうと思っています。早朝ながらとりあえずお休みなさい。


  「友人が お座布沢山 贈りくる 嬉しい悲鳴 何処へ収納」

  「三度目の 正直言わん ばっかりに 座布団の山 自宅に届く」

  「板の間に 座り半日 足腰に 堪えた答え メッセージなのか」

  「面白い 座布団一枚 ともかくも 二十五枚は 上がるとこける」  

 



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○北海道佐呂間町にて

 9月16日は移動日で、羽田を経由して北海道に入ったその夜、私の泊っている悠輪閣というホテルで交歓交流会がありました。集まった人の中には井田貴子さんもいて、賑やかな交流となりました。広間の卓上には海の幸がどっさりです。中には写真のようなタラバガニの刺身まであって、足の皮をむいている身はまるで花が咲いたような料理で美味しく、テレビでは見たことがありますが食べるのは初めてで、美食の限りとはこのことでした。

 お酒の飲めない私はあいにくウーロン茶での付き合いとなりましたが、美食ゆえに大酒を飲んだ昔が懐かしく、少々残念でした。

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 集まってくれた10人ほどの社会教育関係者はボランティア精神旺盛で、飲むほどに酔うほどにそれぞれの楽しい日ごろの生き方を披露してくれました。

 そんな中に佐呂間で整骨院を営む尾崎実さんがいました。彼は髭を蓄え中々のものです。結局明くる日の昼食を尾崎さん宅で用意するから来てくれという話しになりました。酒に酔った席での発言だし、初対面なので失礼だと思いましたが、私たち4人の一行は昼前尾崎さんの整骨院を訪ねました。尾崎さんは患者さんを治療中だったので、奥さんのご案内で何年か前まで保育所をしていたというキッチンへ案内されました。

 奥さんは高齢者施設に勤務していますが、午前中休んで手間暇かけて私たちのために素敵な手料理を作ってくれました。皆でご相伴にあずかりましたが中々のお味でした。

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 さて午後からいよいよ私の仕事である講演が始まりました。最初の講演先は佐呂間高校で120人の生徒を前に講演です。1全校生徒が講堂に集まり、「青春へのメッセージ」と題して講演を行いました。県内外で高校生に話す機会は多いのですが、佐呂間高校の生徒たちは聞く態度も立派で、80分間楽しく聞いてくれました。それにしても北海道の高校生に話す機会など滅多にないものですからいい経験ができたと喜んでいます。

 私はこの日、46年前の出来事から話しを始めたようです。水産高校の練習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に行った折の、死を覚悟した大しけの海からの生還を通して生きることの大切さやふるさとの有り難さを学んだ話は少々昔のことながら、とっさに思い浮かんで話したのです。また目標を持って生きることの大切さも体験として話しました。

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  「タラバガニ 俺を喰うかと 睨んでる 諦めろよと 言いてほおばる」

  「縁もなき われに昼食 ご馳走す 整体院の 夫婦に感謝」

  「北国の 高校生に 話しする いきなり昔 思い出しつつ」

  「俺だって 昔君らの ようだった 若さはいいな 買えるものなら」 

 

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○美しいサロマ湖

 ホテルと道の駅が並んで建っているほぼ裏に、サロマ湖が一望できる小高い山があるというので見に行きました。この日は天気も穏やかで立派過ぎるほどの展望台からは300度ともいえるオホーツク海やサロマ湖、それに佐呂間町の市街が見えました。

 平戸社会教育課長さんの話によるとサロマ湖は元々は純粋な湖だったそうですが、人為的に砂洲が開けられ、オホーツク海と海続きになって海水が流れ込み現在の汽水湖になって養殖が可能になったそうですが、逆に冬場流氷が流れ込んで被害が出たそうで、狭い方の入り口には流氷が流れ込まないような仕掛けがしてあるそうです。私はサロマ湖の大きさを知りませんでしたが、周囲は有に100キロもある日本でも最大級の湖だそうで驚きました。それにしても女性の眉毛のように細長い砂洲の姿はとても魅力的でした。

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(裏山から見える道の駅と泊っているホテル周辺)

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(サロマ湖の北側を望む)

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(サロマ湖の東側を臨む)

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(全員での記念写真)

 山には東京からきたという女性たちもを始め、ひっきりなしに来訪者があって、展望台はかなり賑やかな眺望風景となり、写真を取ったり取られたりしながら、旅の思い出写真に収まっていました。

 山を下りた私たちは、千頭にも及ぶ肥育牛の牛舎や町営預託の放牧場を見学した後、牧場役場へ行き教育委員会の教育長を表敬訪問しました。香川教育長さんは役場出身の方で、前任の教育長が町長になったので後任に選ばれ残任期間の途中だと聞きました。

 町の中心は私たちの町のような土地の狭さではないので、広々として中心地にお年寄りのためのパークゴルフ場18ホールがあるという信じ難い光景で、緑の芝生が穏やかな初秋の太陽に照らされキラキラと輝いているように見えました。何ともうらやましい限りです。

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(町営放牧場のなだらかな山並み)

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(パークゴルフに講じる高齢者)

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(町の開基80年を記念して作られた講演の真ん中にそびえるモニュメント)
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(開基80年の時植えられた青ダモの木、野球バットの原料になる木です)

 佐呂間町は人口が六千人余りの過疎の町です。毎年人口が100人ずつ減っているそうですが、合併協議が頓挫して合併せず独立独歩の道を歩んでいました。ホタテを中心とした養殖漁業や畑作・畜産などの農業が主産業のようですが、今後はかなり厳しいと漏らしていました。でも皆さんが一生懸命まちづくりに頑張っている姿はとても頼もしく思えました。

 冬はマイナス20度を下回る厳しい自然の猛威もあるようですが、先人たちが命がけで取り組んで大きな成果をもたらしてきたホタテの養殖事業など、見るべきものがいっぱいありいい町だと思いました。


  「サロマ湖を 一望できる 山に立つ 砂洲が囲んだ 眺望圧巻」

  「ここらでは パークゴルフが 大流行り パター片手に 粋なじいさん」

  「凄い町 町の真ん中 ゴルフ場 年寄り元気 顔がほころぶ」

  「百年の 歴史を刻む モニュメント 秋空高く 天を仰いで」


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○佐呂間の海沿い漁港界隈

 サロマ湖は周囲100キロにも及ぶ全国でも5本の指に入るほどの大きな湖です。砂洲で囲まれた姿は日本三景と称される天橋立に似ていますが、汽水湖のためホタテなどの養殖漁業が盛んなところです。この湖のほとりに住む船木耕次さんと高知県馬路村で開かれ私が基調講演した全国地域づくり大会で知り合いました。以来社会教育委員を務めている船木さんの手配で紋別市での大会に招かれ、そのご縁で今年の2月美幌町、今回の佐呂間町と美幌町のジョイント講演会が実現したのです。前回ニアミスのような形で少しだけ出会った井田貴子さんからはその後ホタテが届き、親密な交流へと深まっているのです。

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 二日目は午後からの講演まで時間があるので午前中井田さんの働いている漁港を訪ねました。ホタテで名を成している漁村だけあって、ホタテ御殿を思わせるような立派な家がそこそこに見られる中を走り、漁港が一望できる展望台に登りました。漁港が幾つかあるので、初めてのことゆえ何処をどう通ったか、またどの位置なのかは車の中なのではっきり覚えていませんが、井田さんの職場は漁港の中に浮かぶ作業筏の上でした。運よく井田さんのご主人が養殖船で帰ってこられました。

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(ホタテの養殖かごを積んで寄港した井田さんの漁船) 

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(作業小屋は筏の上に浮かんでいました)
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(井田さんご夫妻とともに記念写真を撮りました)
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(井田さんの漁をするもう一隻の漁船)
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(立派な井田さんの自宅)
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(広い北海道らしく井田さんの自宅の名前が書かれたバス停、こんなの初めて見ました)

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(ソフトバンクの携帯電話のCMに出てくるのとそっくりな井田さん宅の北海道犬)

 さっと駆け足でしたが、念願の働き者の井田さんご夫妻に出会い感激でした。その後サロマ湖が一望できる裏山に上りましたが、まあ絶景でした。


  「海育ち 浜で育った 私には 何処か懐かし 磯の香りが」

  「ホタテ貝 宅配便で くれる人 こんな所で こんな作業を」

  「ホタテ貝 水槽泳ぐ 姿見て 手間暇かかる 育て納得」

  「個人宅 前に立ってる バス停の 看板見つつ 広い実感」

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○仔馬の死に遭遇しました

 二日目の朝は、北の国特有の日の出の時間が早いため少し早目の目覚めでした。着替えをして思い切って戸外へ出ました。10度近くまで下がった朝の気温は体をしゃきっと引き締めるようでした。ホテルから道の駅さろままでの遊歩道をゆっくりと歩き上手牧場まで行って写真を撮り始めて、一瞬驚きました。母馬が寄り添うように悲しげな姿をしているその傍にポニーと呼ぶべきなのかどうか分りませんがめんこい仔馬が死んで倒れているのです。最初は横になって眠っているのではと思っていましたが、動かないところを見るどうやら死んでいるようでした。馬に襲われたのか、あるいは拍子なのか、「ああ旅先でもこんな出来事に巡り合うのか」と思いつつ、急いで引き返しフロントの女性に牧場管理者へ知らせてもらいました。

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(死んだ仔馬の近くで悲しそうな母馬(右手前))

 道の駅まで通じる別の道を再び散策し、南瓜のトンネルを見に行きました。パイプハウスの横と上には無数の観賞用カボチャが鈴なりにぶら下がっていました。後でシンデレラ夢まつり実行委員会かぼちゃ班長である役場保健福祉課補佐の武田さんから聞いた話ですが、ここ佐呂間町はカボチャが特産品だそうで、それにあやかり50種類ものカボチャを作り、彼自身もカボチャ博士と呼ばれているそうです。全国各地へ自作の種を送り届けてカボチャ交流をしている話しにすっかり魅了されてしまいました。渡された記録集にはカボチャの種の送り先から届いたカボチャと記念写真を撮ったスナップ写真と感想文が手づくり文集らしくほのぼのと載せられていました。

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(カボチャのトンネル)

 朝が早かったため、道の駅の中へは入れませんでしたが、店員さんの一人がシルバーウィークのお客を当てにしているのか無造作に椅子や机を並べていました。道の駅もひところはブームで全国各地に普及しましたが、指定管理者制度という新たな制度の導入によって無機質なものも見られるでけに関心がありましたが、残念ながら中や経営状況を見学することはできませんでした。聞けばこの道の駅は冬の交通量が少ない難点はありますが、経営的には好調のようでした。

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 悠輪閣というホテルの朝食は一流で、食べきれない程の海の幸が温かく出てきました。ホタテ汁や炭火の上で焼く食材はどれも満足いくものでした。仕事がらこれまで全国の色々なホテルに泊まり朝食を食べましたが、ここの朝食はナンバーワンだと思いました。お陰さまで朝から至福の時を過ごし、今日も一日いいことがあるような予感がしました。

 ホテルは2泊するとよく分ると言います。つまり料理のバリエーションが見えてくるのです。佐呂間町のご厚意でこのホテルに2泊することになっていましたが、二日間とも全く違ったものが出てこれも大きな満足でした。


  「母馬の 目に涙する 仔馬の死 朝の牧場 悲しく明けぬ」

  「カボチャでも 博士呼ばれる 人ありて 町は何だか 活気ありそう」

  「旅の宿 二泊もすれば 化けの皮 ここは凄いぞ 穴場を見つけ」

  「旅先の 宿にコールの 電話あり 妻は私の 体を案じ」

  

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○サロマ湖の夕日も美しい

 能取湖から佐呂間町へ向かう途中、車窓から異様な光景が見えました。平成の貝塚とでも言うべきホタテ貝の貝殻の山です。愛媛県でも南宇和郡辺りでは真珠貝や広島で見た貝の貝殻の山と同じような光景でした。この貝殻を何かに使えないものかと素人ながら考えましたが、それにしてもこの堅い貝殻が貝柱と同じように成長する不思議も私の頭では解明できない不思議なのです。

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 天都山と能取湖を見学した私は一足早く悠輪閣という道の駅のすぐ後ろの小高い丘の上にあるホテルへ、少し早目にチェックインさせてもいました。ゆっくりとお湯につかり旅情を満喫しましたが、目の前眼下に広がる周囲100キロといわれるサロマ湖の風景が一望できて何とも贅沢な感じでした。やがてホテルの窓から夕日が差し込んできました。地元の人が自慢するだけあってここの夕日も格別でした。

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 今頃わが双海町でも西瀬戸に沈む美しい夕日を沢山の人が見ているのだろうと思いをはせながら、同じ太陽を見ている不思議を感じました。木とない位置する北海道ではわが町より30分も早く陽が暮れるようで、この日は講師である私を囲んで、社会教育関係者による夕食会が予定されていて、10にい余りの人が集まってくれました。

 その中には前回2月に美幌町へ来た時出会った人たちも駆けつけていただき、特にこれまで一度だけしか出会ったことはないのですが、あれ以来ホタテを送ってもらったりして、すっかり友だちになっている井田貴子さんも見えられていて、再会を喜び合いました。それにしてもさすが海産物の本場だけあって、夜の交換会にはタラバガニの刺身や、美味しい刺身がこれでもかと並べられ、久しぶりに美食を味わいました。妻を連れて来ていたらどんなに喜ぶだろうと、少しだけ思いました。

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 夕食交換会はホテルで行われたため、10時過ぎに終わり、ホテルの方たちと色々なお話をさせてもらいましたが、このホテルはかつて町が建設したものだそうですが、今は民間が経営をしていて行き届いたサービスは心地よいものでした。

 この日は移動日なので講演もありませんでしたが、いよいよ明くる日から一日2回講演が始まるので、パソコンからも解放されて早めの12時に床に就き、北の大地で夢の世界へ旅立ちました。


  「タラバガニ じっと私の 顔を見て 食べていいのか 躊躇しつつも」


 

  「この夕日 わがふるさとの 人々も 見ている不思議 電話中継」

  「貝殻の 山山々を 見学す 聞きしに勝る 貝塚のよう」

  「二度目だが 旧友会いに 来てくれて 交換交流 楽し夜ふけ」

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○北海道一日目は移動日のため流氷館とさんご草を見学しました

 今回の北海道への旅行は季節もよく、人もうらやむような4泊5日の旅でした。しかし旅行の前に「講演」という極めて重い仕事がついているため、人がうらやむほど軟い旅ではないのです。前日の15日の夜は、11月に予定している年輪塾公開セミナーの打ち合わせと松山大学で講演がダブルで入っていて、遅い帰宅となりましたが、早い朝の旅立ちのため私は普通に起きてブログを2本書いて妻の運転する車に乗り込んで家を出ました。9時の飛行機ですから別に慌てなくてもよいのですが、妻は私を飛行場まで送って引き返し、8時30分からの仕事に間に合うようにしなければならないため急いだのです。お陰で松山空港ロビーで早朝読書ができていい旅立ちとなりました。

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 今回は佐呂間町と美幌町の招きなので、行きは全日空、帰りは日本航空で羽田を経由し女満別空港へ飛びました。女満別は今年の厳寒2月22日に猛吹雪で東京に壱日足止めされるというハプニングに見舞われた経験があるので、私の北上とほぼ並行して走る台風の動きが気になって、「もしや飛行機がストップするのでは」と嫌な予感がしましたが、台風が東寄りのコースを通ってたため難を逃れることができました。しかし女満別空港に到着するころからその予感が的中し、着陸したころからかなり激しい雨に見舞われました。後で聞いたのですが女満別空港近くの網走では時間雨量20数ミリのこの時期にしては記録的な雨が降ったそうです。

 空港へは佐呂間の大谷さんと阿部さん、それに美幌の三浦さんも出迎えに来ていただき恐縮してしまいました。美幌での講演は19日なので三浦さんとは一端別れ、網走市街が一望できる天都山頂上にある流氷館へ立ち寄りました。あいにくの雨でしたが、マイナス15度の流氷館に入り保管している流氷に出会い、タオルをぶんぶん回すと瞬く間に凍ってピンと立つ実験もさせてもらいました。

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 佐呂間へ向かう途中日本一の呼び声の高い能取湖卯原内地区のサンゴ草を見に行きました。サンゴ草は海岸の湿地帯に自生する汽水域で成長する珍しい植物です。一度は見てみたいと思っていただけに、サンゴ草祭りを間近に控えた見ごろの時期とあってとてもラッキーでした。あいにくの雨で見物急悪もまばらでしたが、その分じっくりと桟橋のような橋の上から見学することができました。

 サンゴ草の広場には芹洋子さんが歌った「サンゴ草の咲く日に」の歌が流れ何ともロマンチックな気分になりました。

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  「いつの日か 見たい思った サンゴ草 念願叶い 北の大地で」

  「前に見た 大雪大地 青々と しかしいつしか 夏から秋へ」

  「流氷を 見たい人あり 冷蔵庫 マイナス15度 保存展示し」

  「天都山 網走市内 一望も 雨にかすんで 視界が効かず」 

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