shin-1さんの日記

○孫から言わせれば私は天才爺

 「おじいちゃんは天才だからできるかも?」、何処で習ったのか寝る前に、泊りに来ている孫が私にお世辞を言うのです。今年小学校に入学した孫にとってはそろそろ夏休みの宿題の仕上げが気になるところですが、宿題は殆ど終わっていますが、工作は今一のようで、「おじいちゃん何か動くものを造りたい」というのです。9時も過ぎているで「明日にしよう」と断りましたが納得せず、ペットボトルを利用して簡単な動く風車を造ることになりました。外のペットボトルを持ち込んで水洗いをして穴をあけました。そこへ手持ちの竹トンボならぬプラスチックトンボを差し込み、焼き鳥用の串を切って穴をあけ差し込みました。そして輪ゴムを3本結んで上下を結んで撚りを入れて手を離すと、ありゃ不思議風車のように回るのです。ペットボトルは軽いのでおもちゃ箱からビー玉を集めて中へ入れるとどっしりと立って倒れにくくなりました。

 「おばあちゃん見て~、おじいいちゃんは天才や~」と叫んで大はしゃぎでした。「これはあくまでも試作品なので明日になったら朋樹がこれを見本に作るんだぞ」と言って一緒に同じ布団に入って寝ました。孫は余程嬉しかったのでしょうか、その動く風車を持って夢の中へ入って行きました。

若松進一ブログ

 孫は段ボールアートが大好きです。わが家ではお中元などをいただいた段ボールを一ヶ所へまとめて置いています。毎回わが家へ泊りに来る度にこのダンボールに埋もれてガムテープとカッターで自作の遊びをやるのです。私も手伝ってやりますが、私が器用に孫のリクエストに応えて作ってやるものですから、孫は私を天才だと思っているのです。

 子どもは遊びの中で育つと言われていますが、最近の子どもの遊びは買って与えたものが多いようで少し気になっています。本当は私たちが子どもの頃のようにナイフを持たせ野外に出て思い切り遊びを想像させてやりたいのですが、中々うまくいかないのが実情なのです。しかし段ボールなどを使えば創作遊びは簡単にできますし、お金もかからないのでお勧めだと思うのです。

 私が作った段ボール遊びによる作品は特に孫のお気に入りで、遊び道具と一緒に捨てもせず大事に取ってくれているのです。


 今日は朝から孫とともに鉄棒造りと段ボールアートに挑戦します。私は午後から文教会館で講演の依頼を受けているので出かけなければなりませんが、厚狭の涼しい時間に手伝ってやりたいと思っています。

 私にはどういう訳か男ばかり孫が4人います。朋樹はその年長なので、今後5~6年間同じようなことを繰り返して孫育てに貢献しなければなりません。孫の目にはお金でおもちゃや遊び道具を買ってくれないケチなじいちゃんに見えるのかも知れませんが、そんな現代の風潮に妥協せず、孫の創作意欲を育ててやりたいと思っているのです。朝が来るのが楽しみな子ども、造るのが楽しみな子ども、遊びが楽しみな子どもに育てるには幼児少年期の今が一番大切な時期かも知れないのです。


  「じいちゃんは 天才ですよと 褒めてくれ その気になって 孫と一緒に」

  「段ボール テープとカッター あればいい 遊び道具は 買わない造る」

  「孫進化 動くがテーマ 考えて 二人で造る 廃品利用」

  「ゴミになる 運命命 吹き込んで 遊び道具に 変身させる」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○逆上がりができるようになりたい

 子どもの成長の過程でどうしてもクリアーしてほしいと願うことが幾つかあります。ひとつは自転車です。これまで歩くことしかできなかったのに自転車に乗れるようなったあの瞬間の悦びは誰もが経験していることではないでしょうか。勿論私も多分小学校2年生ころにそんな感動の場面に出会いました。私が小さい頃は家が貧乏だったためか家に自転車さえなく、自転車に乗りたくても自転車がないのです。近所に造船所をしている親類があって、船大工の叔父が大工道具を運ぶ今で言う業務用のかなり重い自転車がありました。その自転車を「親父が幼児に使うので借りて来るように言われた」とばれるような嘘をついて借りて帰り、乗る練習をし始めたのです。補助車もついていない自転車のいきなり乗ろうとすること自体無理な話で、何度も何度も転びながら練習をするのですが中々乗れないのです。足も手も転げる度に擦り傷や打ち身で痛々しほどになりました。また自転車も転げる度にハンドルが変な方向に曲がったりして、造成所の叔父に「これは遊び道具じゃない」と叱られもしました。


 それでも乗りたくて叔父が近くの船に歩いて大工仕事へ出かけて留守になるのを見計らい、人目を盗んで砂利道で練習を繰り返しました。3日目ぐらいだったと思いますが横道の側溝に落ちそうになってハンドルを切ったところ、自分の体が反応して自転車に乗れたのです。今でも思うのですが、たった2つの車輪で何故に横に転げもせず走るのか不思議な気がしつつ、自転車に乗れた感動の瞬間を思い出すのです。

 それからは少しだけお金持ちの自転車を持っている友人と、自転車に乗りたい一心で友人となり、おべっかをかいたり貢ぎ物?をしたりして訓練をしたのです。以来64歳の今日まで乗れるのですから人間は凄いと思っています。今は自動車が主流になって歩いたり走ったり自転車に乗ったりすることは随分減りましたが、それでもたまに自転車に乗ってもスムースに走れるのです。

 私はお酒を飲んでいた50代の頃、酒を飲んで車の運転ができないため、車を松山に置いて年に何度か松山から片道25キロを歩いて帰っていました。当然車を取りに行かなければならないので、あくる朝早く起きて自転車を走らせ松山まで行き、その自転車を車に積んで帰るという、今考えると面白いことをやっていました。体力の限界を感じ今はそんな馬鹿げたことはしていませんが、自転車にまつわるほろ苦い思い出です。


若松進一ブログ

 話が変な方向にそれましたが、松山に住む娘から「朋樹が鉄棒の逆上がりができないので、特訓をしてほしい」と依頼がありました。孫朋樹は夏休みのの目標に「逆上がりができるように頑張りたい」と書いているのです。そんなこと言われても、もう夏休みもそんなにないのにと思いつつ、昨日は夕方迎えに来てほしいと孫朋樹から直接電話があったので連れて帰りました。(娘はどうやら私が特訓をしてやり2日間で、孫朋樹が自転車に乗れるようになった指導力を信じているようです。)

 帰る途中ホームセンターに立ち寄り鉄棒にふさわしいステンレスの棒を1本購入して帰りました。家の庭にある大人用の鉄棒にこの棒をくくりつけて臨時の鉄棒を造ってやろうと思いました。ちなみに高さを計るため近所の小学校へ出かけ運動場で鉄棒の高さを孫の体で計ったついでに、鉄棒で早速特訓をしました。孫朋樹はいつの間にか吊り管渡りができるようになっていて、わが家の柱も器用に上れるのです。腕の力はできているのですが、何度やっても逆上がりはまだできないのです。今日は簡易の鉄棒を庭に造って早速特訓に入る予定ですが、はてさて夏休み中にできるかどうか・・・・。


若松進一ブログ
(鉄棒工事をする親父)
若松進一ブログ
(あっという間に出来上がった低鉄棒)
若松進一ブログ
(出来上がった鉄棒で練習をする朋樹)

  「逆上がり すれどもコツが 飲み込めず 手に豆出して 孫は頑張る」

  「二千円 出してステンの 棒を買い 自宅の庭に にわか鉄棒」

  「爺馬鹿 孫と一緒に 鉄棒に すがって見本 お目々回って」

  「汗をかき 残暑厳しき 校庭で 鉄棒黙々 夕日が照らす」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○見果てぬ夢を語り合う

 先日松山の温泉でギノー味噌の田中社長に会いました。社長は若いがしっかり者で、先代から引き継いだ味噌の会社を引っ張り、さつまやドレッシングなど地産地消などにも積極的にかかわり商品開発をしていて、時々新聞や雑誌にその斬新さが取り上げられているのです。何年か前に研修会でお会いしてから出会いの頻度が高くなり、時々出会って意見交換などをしているのです。田中社長も私も無類の温泉好きで不思議なことに温泉で意外な時に出会うのです。その度にサウナの中で汗をかきながら特産品開発の話をするのですから、可笑しいといえば可笑しな話です。

 「社長さん、私最近人間牧場へかまど小屋を造りよるんよ」。「えっ、かまど小屋、それ何?」「薪で炊いたご飯が食べたくてなあ」「白いご飯なら味噌汁と漬物が会いますなあ」と、会話は自然と味噌の方に引っ張られて行くのです。「かまどはいつごろできますか?」「そうじゃなあ、8月いっぱいで目鼻がつくと思いますが」「一度お伺いしましょうか」てな調子でトントン拍子に話が進み、一昨日社長から電話がかかり昨日の3時半の約束でシーサイド公園で待ち合わせをして人間牧場へ出かけたのです。

若松進一ブログ

 おおよその話は温泉で話していたので、社長は早速自社の味噌と漬物の元を持参してくれました。それから二人は1時間余り他愛のない商品開発の話に花を咲かせました。社長はいつも私の話に熱心に耳を傾け、メモを取っては実践をします。時には社員や奥さんを交えて飯を食べながらお話するのですが、その甲斐あってこんな不況な時代でも前年を上回る売り上げを記録しているのですから立派というほかはありません。

 ギノー味噌は本社工場を建設中で、これを機に発展したいと意気込んでいるようですが、若い社員と四つに組んでの新しいことへの挑戦は必ずや成果が上がるものと思われます。私が仲介した大分県大山町の梅ドレッシングも好調なようであり、愛媛県内の地産をテーマに掲げて地域づくりのお役に立ちたいという社長の意気込みを、今後も少しでも支援したいと思っているのです。

 社長の理想は先代から引き継いだ麦みそ文化の伝承なのですが、最近の若い人は日本の食文化の原点である白いご飯と味噌汁に漬物といった食生活さえも捨て去ろうとしています。そういう意味では今回のかまど小屋の建設は食文化再興のきっかけになるかもしれないと思いました。社長は麹で作った漬物の素でニンジンや大根、キウリの即席漬けを試作して持ってきてくれました。早速二人で漬物をバリバリと食べながら見果てぬ夢を大いに話し合いました。

 昨日は社長の来牧に合わせるようにかまど小屋に建具やガラスが入り、大まかな全容が見え始めました。設計をした息子の基本コンセプトを理解できない落差を感じながらも、社長にかまど小屋の夢を見せたり語ったりしました。

若松進一ブログ

(かまど小屋入口の格子戸)

若松進一ブログ
(ガラスが入れられたかまど小屋)
若松進一ブログ

 もう間もなくおくどの築炉工事も左官さんによって始まります。ここからどんな夢が広がって行くのでしょう。人間は夢を見るから楽しいのです。そしてその夢を実現できたらこれほど充実した人生はありません。私の好きなポール・J・マイヤーは「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意をもって行動すれば何事も実現する」という言葉を残しています。今は鮮やかな創造と熱烈に臨んで行動していますが、多分その言葉通り夢は間もなく実現します。私は今が旬、田中社長はもっともっと旬な男で、ワクワク・ドキドキの毎日です。

  「今が旬 そんな生き方 願いつつ 今日も夢見た ことを実践」

  「古人いう 夢なき民は 滅びると 坂の上湧く 雲を見つめて」

  「ささやかな 小さな夢でも 楽しくて 今日より明日 進化の跡が」

  「少しずつ 息子の描く 設計図 見えてきそうな 雰囲気なりぬ」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○徳島からのお客さん

 あれは確か今年の春先3月11日だったと思います。コープえひめの理事会でいつもご一緒していたコープ四国の梶原さんが、転勤先のコープ徳島から私に講演依頼され、はるばる徳島まで出かけて行きました。8の字高速道路の恩恵を受けて徳島市内へは車で3時間弱も走れば到着するのですが、当日の私のブログ記事によると、「片道220キロ、往復440キロを日帰り」「朝5時過ぎに自宅を出て夕方5時に自宅へ帰る」「会場となった本部を目指しカーナビに電話番号入力して走ったが、到着した場所は北島町のコープ徳島の店舗だった」「少し早目に着いた」などと、徳島での出来事がリアルに記録されていました。その後理事長さんや梶原専務さんからお礼の電話や便りをいただき、そのうちいつか人間牧場を訪ねたいということでした。そして打ち合わせの結果理事さんたちが昨日やってきたのです。


 午前10時にシーサイドで待ち合わせをしました。礼儀正しい梶原専務さんだけあって到着したのは10分前でした。早速私の田舎のオープンカー(軽四トラック)の先導でつかず離れず人間牧場へ向かいました。車3台に分乗していましたが次第に狭くなる山道に不安を感じているだろうと、できるだけゆっくり走りました。

 やがて目的地近くへ到着して車を市道沿いに止め、体の不都合を訴える人もないようだったので安全のため急な坂道を歩いてもらいました。人間牧場からの眺めは、天気はすこぶるいいもののガスがかかって自慢の遠望はできませんでしたが、牧場の施設を見学したりしながら早速私が高知県馬路村産の150年生魚梁瀬杉の切り株の上に座布団を敷いて、落伍調の話を1時間半もさせてもらいました。

 蚊取り線香のお陰か昼間だったからからなのか、藪蚊の襲来もなくある人は木陰となったウッドデッキに座りながら、のんびりゆっくりリズムを楽しみました。

若松進一ブログ

 私が理事をしているコープえひめの常任理事さんはいち早く人間牧場へ来られましたが、他の理事さんはまだ人間牧場へ足を運んでおらず、多分叱られるかも知れないと思ったりしました。この日は外でかまど小屋の工事を行っていて、ガラスが入る日だったので何かと騒々しく迷惑をかけてしまいました。来られた方の中には私のブログを日々愛読していただいている人もいて、何かと話が通じることができました。

 12時のチャイムサイレン「野ばら」を耳にして我に返り記念撮影をして下山しましたが、コープの理事さんだけあって学習態度も学習意欲も非常に高く、いい交流ができました。

若松進一ブログ

 海も穏やか、空は真っ青、流れる風は残暑ながら心地よく、時折戯れるように飛び込んでくる鬼ヤンマのトンボが愛嬌を振りまいていました。下山後シーサイド公園のレストランで遅い昼食を食べ一行は次の研修地であるコープのお店へ向かわれました。袖すり合うも何かの縁でしょうが、こうしてささやかなご縁を頼りに交流ができることを幸せに思いました。その夜は手土産にいただいた徳島の特産品であるすだちを、焼き魚にかけて妻と一緒にいただきました。また何処かでお会いしましょう。


  「はるばると 徳島県から お客様 トンボ誘われ 部屋の中入る」

  「霞んでは いるが瀬戸内 穏やかで 秋の気配を 肌で感じつ」

  「転勤で 単身赴任 奮戦す 友の顔見て 嬉しくなりぬ」

  「意思あれば こんな田舎に 人が来る 人は人にて 人となるから」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○みかん一座25周年公演

 一口に25年といいますが、田舎の一座を仕事をしながら座長として25年も引っ張って来られた戒田節子さんは立派な方で、いささかなりとも地域づくりに関わった人間であれば、その苦労がしのばれます。その25周年記念ミュージカル公演が3日間あるという話を、2ヶ月前に友人の清水さんから聞きました。地域づくり人を自認する私たちも何かお役に立ちたいということで、私が塾長を務める年輪塾ネット会員にネットを通じて呼び掛けたところ、私や発案者の清水さんを含めて12人の方々に賛同していただき、珍しい年輪塾ネットの広告協賛と相成りました。普通演劇のパンフレットに広告を出すのは会社か個人でしょうが、私たちは一口5千円の寄付金を募り支援したのです。そんな関わりもあって賛同者は3日間の希望する一日を選んで観劇とあいなったのです。

 農協会館前の広い三差路を通って堀の内へ入りましたが、ここは橋の付け替え工事が行われていて、既に石張りの立派な橋の本体は出来上がり、水面に綺麗な姿を映していました。残暑が厳しいとはいえ、お堀の周辺にも何処となく秋の気配が感じられて、柳の緑も印象的でした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 6時半開演ということだったので、6時には並ぼうと清水さんからメールが届いていたので市民会館へ行ってみると、どうやら階上が6時半だったようで、既に来ていた清水さんや青木さん、大河内さんは夕日に照らされて暑そうに待っていました。そのうち米湊さんも見えられ、遠くに松木さんや森原さんの姿もちらほら見えて、列のあちこちから馴染みの顔が笑顔であいさつしてくれました。

若松進一ブログ

 やがて開場となり吸い込まれるように中ホールへ入りました。受付でチケットと引き換えにパンフレットをいただきましたが、広告の欄の目立つところに、「地域づくりの種をまく」と書かれた年輪塾ネットが囲みもの広告として紹介されていて面映ゆい感じがしました。会場は自由席なのでステージに向かって右側の前寄りに年輪塾ネット5人衆の席を確保して座りました。清水さんの配慮で私の両側には、大河内さんと青木さんが座って、両手に花といった嬉しい席の配置となりました。

若松進一ブログ

 ミュージカル公演の前にみかん一座25年間の歩みがDVDで紹介されましたが中々見応えのある記録でした。やがてサンシャイン・アイズ、~輝け瞳!~という演劇が上演されました。毎年同じ場所で愛媛を代表する井上佳子さん率いるイリュージョンの公演を見ている関係で比較して見てしまうのですが、戒田節子さん自身が作も演出も、更に主演までもこなすワンウーマンなみかん一座に比べ、イリュージョンは作、演出と役者が異なり、井上さんは黒子に徹している点が大きな違いだし、みかん一座はストーリが大衆向きで、イリュージョンは前衛的だと思いました。

 夢を食べると言われる動物バクの死と、アミという女性が夢を追いかけながら苦悩する姿が楽しく演じられ、最後は大空に虹の絵を描きたいというアミの夢が叶うというハッピーエンドのストーリーでした。今回は25周年ということもあって、女優五十嵐めぐみさんや旧三崎町出身シンガーソングライターサスケさん、シンガーソングライター宇佐元恭一さんなど豪華キャストが友情出演していました。そのためストーリーが薄められた感じもしましたが、25周年の3日間公演の千秋楽ですから仕方のないことかもしれません。

若松進一ブログ
(リクエストにこたえる最後のシーン)

若松進一ブログ

(戒田さんの最後の挨拶は私も少々ウルウルとなりました)
若松進一ブログ
(戒田節子さんとロビーにて記念撮影しました)

若松進一ブログ
(顔見知りの双子のシンガーソングライターサスケさんとともに)


 私は演劇の終わりにシンガーソングライター宇佐元恭一さんが歌った宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に心を動かされました。10月17日総合コミュニティセンターで彼のコンサートがあるようです。残念ながら10月17日は講演が予定されていて聞くことはできませんが、人間牧場用に是非CDを手に入れたいものだと思いました。

 田舎に住んでいると文化祭やカラオケ大会ぐらいしか文化に触れることはないのですが、こうして仲間たちと一緒に観劇すると、どことなく違った爽やかな風が心の中に吹いてくるようです。これこそ異文化ギャップなのでしょうが、これからもたまにはこんな楽しみを作りたいものだと思いました。

若松進一ブログ

  「二十五年 うーん凄いと 感心す 女の力 巌も動かす」

  「いい友を 持てばいいこと 巡り合う 友が私の 心揺さぶる」

  「演劇も さることながら 歌に惚れ CD探し 聞いてみたいなあ」

  「カラオケも いいがたまには 観劇も 感激レベル 四から五へと」





 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○行きつけ馴染みの店

 かつて大酒を飲んでいたころは松山の街に私の行きつけの店が何軒かあって、二次会に繰り出すと財布の中身も考えないで、深夜まで飲み歩いていました。その都度10円タクシーと称して、片道25キロの道のりを自家用車で迎えに来ていた妻のことを考えると、すまない気持ちでいっぱいになります。でもあの飲み歩きで人と人のネットワークが随分広がり、後の私の人生を支えてくれた訳ですから、一概に間違いだったともいえないのです。

 でも酒を飲まなくなった10年前からは、その行きつけの店にも顔を忘れられない程度に顔を出し、仲間たちに紹介しているのですが、私の行きつけだった店は安い、親切をモットーにしている店なので、こんな不景気な時代でもどうにか乗り切って細々とお店を営んでいるのです。

 昨日は戒田節子さんのみかん一座25周年の公演が松山市民会館中ホールあって、仲間とともに出かけたのをいいことに、公演終了後飯でも食べようと相談がまとまり、市駅前の「いよじ」という飲み屋に立ち寄りました。板場さんと女将さんの二人だけでやっている小さな店ですが、もう20年も通っているお店です。昔は「一週間に10日来い」という歌があったように、一週間に3回も通った常連のお店です。ここの女将さんは白い割烹着のよく似合う女性で、ひいきの店なのです。板前さんは段々畑で有名な宇和島市の出身で、当然料理も南予系の美味しい食べ物がカウンターの上には並んでいます。私が一押しな料理は片口イワシの煮付けと天ぷらなのですが、酒を飲まない私はイワシの煮付けをおかずにして梅海苔茶づけを注文しました。大河内さんと青木さんも同じようなものを注文しましたが、清水さんと米湊さんはとりあえず生ビールを飲んだ挙句に日本酒を飲み始めました。

 飲むほどに酔うほどに話は面白おかしく大きくなって行くものです。盃ひとつで盛り上がり、酒の銘柄ひとつで薀蓄を語り、料理のメニューを見て昔を語るのです。隣に座った大河内さんとは同年代ということもあって短い時間ながら色々なことを話しました。ブログのこと、孫のこと、今年のみかんの出来栄えなどなど、積もる話をしました。酒飲みと下戸では話のテンポが合わないため、私と大河内さんは先に勘定を払って残りの人を置き去りにして店を出ました。二人で歩く花園街界隈もさすがにこの時間になると人通りも少なく、客待ちのタクシーが乗って欲しいような素ぶりで通り過ぎて行きました。日銀前の交差点付近も旧シャトーテルが取り壊され、一階部分にコンビニが入り、目の広場は憩いの広場に生まれ変わりました。それでも都会は昼と夜の落差はそんなにないと思っていましたが、東京などの大都会と違い、地方都市はさすがに夜は寂しい感じがしました。

 大河内さんとは農協会館の前の交差点で別れ、駐車している地域政策研究センターまで夜道の一人散歩を楽しみました。日中は残暑が厳しいもののお盆が過ぎてさすがに夜は涼しくなってきました。今年もあと10日ほどで8月が終わり、1年の3分の2が終わることになります。時の流れの速さを感じながら30分余りで家に着きました。昨日家を出るとき妻が「お父さん今晩は何時に帰宅予定、ご飯の都合が」と聞くので、「9時過ぎに帰るので晩ご飯は帰ってから食べる」と言って家を出ました。そのことをすっかり忘れて11時前の帰宅です。妻は美味しいにぎり寿司を用意して待ってくれていました。「食事はすんだ」とぶっきらぼうにいいましたが、少しだけ反省して風呂から上がり、寿司を食べました。本当は口の門限を9時と決めているのですが、昨日ばかりは門限破りでした。「いよじの女将さんがお前によろしく言っといてくれ」と言いよった。と話しながら12時になったので床に就きました。それにしても昨日は久しぶりに楽しい一日でした。


  「行きつけの 飲み屋の女将 いらっしゃい 大酒飲んだ 昔懐かし」

  「板前の 作りし料理 食べながら 昔回顧の 夏の夜深け」

  「止まり木に 止まって茶漬け すする音 ビール片手の 友は悪口」

  「いいもんだ 酒の勢い 借りながら 水も知らない 人と会話す」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○お金を貯めるコツ

 人間牧場を訪ねてくる殆どの人に、「人間牧場を造るのに幾らくらいお金がかかりましたか?」とよく聞かれます。セカンドハウスや隠れ家を持つことは男の夢だから、手が届けば自分もと思うのは当然かも知れません。しかし最近までセカンドハウスや別荘を持つことはお金持ちか道楽者くらいにしか思われていませんでした。ところが私は一見普通のそこら辺のおじさんだし、お金持ちでもないようなのにセカンドハウスを手に入れたのですから奇異に感じるようです。

 私が気楽な気持ちで「そうですねざっと見積もって1千万円ってとこですかね」と言うと、「失礼ですがそのお金はどのようにして・・・」と聞き返してくるのです。私が「退職金の一部を・・・」と言えばすんなり行くのでしょうが、私は「はい10年がかりでコツコツ貯めました」。「えっ、退職金ではなくコツコツ貯めたのですか?」と信じられないようなのです。それもそのはず役場に勤めていた安月給のしがない公務員だったことを知っているからなのです。


 「若松さんどのようにして1千万円のお金を貯めたのですか」と尋ねられました。「そうですね、お金を貯めるのにはそれ相当の意思力が必要です。Plan・Do・See・Checkを基本原則にして努力すれば簡単にできますよ」と話すのです。「たとえば私は大好きなお酒を月に10日間休みました。休んだ日には飲んだつもりで千円貯金しました。一ケ月で1万円、1年で12万円、10年で120万円貯まりました。まあこんな具合です。「それにしても後の880万円は?・・・・」と果てしなく1千万円の金策を説明するのです。

 「お金を貯めるコツは大木流しの木端拾いにならないことです。たとえば500円のうどんを食べに出かけた時480円のうどんで我慢する人を木端拾いといいます。20円得をしたような感じですが、たとえばそれで千円集めるのには50杯も我慢をしなければなりません。それよりも経常経費を節約すること、たとえば車を軽自動車やレンタル契約にするとかする、私が1千万円を貯める過程では勘弁のつもりで携帯電話も持ちませんでした。

 1千万円貯めるということは容易なことではありません。でも私は貯めようという強い信念で貯めました。多分私が退職金の一部で人間牧場を造ると家族に相談したら反対されていたでしょうし、今のような意味付けもできなかったものと思われます。自分が我慢し、自分でコツコツ貯めたから意味があるのです。人間はできることなら楽がしたいものです。しかし楽で得た成果物は想いもこだわりもないような気がするのです。

 今週も3組の県外からのお客様が人間牧場へやってきます。その都度私の「夕日つれづれ草」を木戸銭のような形で押し売りし、視察料から得た何がしかの収入で電気代や汲みとり量などなどの必要経費を稼いでいるのです。みみっちいと思われますが、ない袖は振れないので割り切ってお願いしています。これはお金をためるコツであると同時にサスティナブル、いわば人間牧場を発展的に継続していく経済学なのです。

 「1千万円を10年間で貯めて夢をつかんだ男」、いやあ恰好いいと思いませんか。


  「一千万 十年間で 貯めました 夢をつかむにゃ 努力必要」

  「次々と プラン・ドゥ・シー 繰り返し 次なる夢に 向かい邁進」

  「貯めるコツ 聞かれ答えは ただひとつ 使わないこと これに尽きます」

  「牧場を 造り変わった 人生観 それほど大きな 挑戦でした」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○お茶汲みは若い女性の仕事なの?

 つい最近、色々な職場を訪問して「あれっ」と思うことがります。それはこれま「新入社員や若い女の子の代名詞のように言われてきた「お茶汲み」の仕事がなくなって、男の人がお茶を入れて持ってくるのです。顔見知りだとさすがにバツが悪いのか、お茶を出すときに「こんなご時世ですから」と暗に人権配慮をちらつかせたり、「男ばっかりなので」と、逆にお茶は女性の仕事だが女性がいないだけなので」と人権無視のような言葉を述べたりするひともいて、千差万別なのです。

 確かに最近まで、いや今もお茶汲みは若い女性の仕事だと何の疑いもなく決めている人が随分います。夫婦なら暗黙で役割分担しているのですから余り文句は言えませんが、「若い」と「女性」というだけでお茶汲みの仕事を押し付けるのは決して好ましいことではないのです。しかし一方で若い女性がお茶汲みを「何で私たちだけがしなければならないの」と反逆するのもある意味どうかと思うのです。

 ある意味とは、若いと女性にとってお茶汲みという仕事が仕事の合間の雑用と思っている人が案外多いのです。接遇にとってお茶汲みは明るい挨拶と同じように雑事ではなく、来客とのコミュニケーションを取る上で最も大切な仕事だと位置づけるべきだと思うのです。私がある会社へ行ってまず感じるのは、会社へ入った時に受ける印象です。明るい笑顔の挨拶で迎えてくれれば誰だって気持ちがいいし、さりげなく言葉をかけてにこやかにお茶を出してもらえば、その会社への好感度は最高にアップするのです。「見た目8割」という言葉は商品を見た瞬間のお客さんの反応のことを言っていますが、挨拶とお茶汲み、それに整理整頓が生き届いた雰囲気を見れば会社の経営状態や経営方針がある程度分かるのです。

 ところが逆に「見ず知らずの人におへつをかくことはない」とばかりに挨拶をしなかったり、「何で私がお茶を汲まなければならないの」と不満タラタラの顔でお茶を出されてもお茶など飲みたいとは思わないのです。要は挨拶もお茶汲みも真心であることを肝に銘じるべきだと思うのです。


 昔私の結婚話があって、妻の職場へ私の叔父が偵察に出かけました。あえて長靴を履いた田舎者の恰好をして職場を訪ねた叔父にわが妻は愛想よくお茶を出したそうです。偵察から帰った叔父は私の父に「あの娘はええ子だから是非この話は進めた方がいい」と進言したようです。勿論そのことだけで結婚を決意したのではありませんが、それも大きな判断材料となりました。

 最近はお化粧や会社の制服も垢抜けしていて、ぽっちゃり方の美人が多く容姿に目が行きますが、私だと笑顔の挨拶とお茶を差し出す作法に目が行くのはやはり古い人間でしょうか。これも役場であった話ですが、仲人を頼まれた人が私の叔父と同じように役場へその娘の人となりを偵察にやってきました。顔も素敵なのですがたまたまその娘は少し汚れた靴のかかとを踏んで仕事をしていたようです。その姿を見て結婚話は破談になったようです。靴のかかとを踏んだくらいで破談とは乱暴な話ですが、これも身だしなみの一つだと思いました。

 要はお茶汲みを若い女性の仕事と決めつける職場の古い体質を人権という視点から直さなければなりません。と同時に若い女性も職場の人も、職場の顔としてお茶汲みを重要な仕事の一部だと考えて欲しいのです。


 ある役場が「お茶汲みは職場全員ですることに決めました」という記事が新聞に載りました。あなたはこの記事をどう感じますか?。


  「お茶汲みは 若い女性の 仕事だと 思うようでは 仕事はできぬ」

  「お茶汲みに 来たのではない 反論の 若い女性よ それは間違い」

  「挨拶と お茶で八割 見られてる そんな気持ちで しかと対応」

  「接遇は 何といっても 真心で 今を大事に 客を大事に」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○バッグの忘れ物

「あっお父さん、私バッグどこへ置いたかしら?」。突然妻が言うのです。走らせている車の中を見渡しましたがどこにも見当たりません。確かにさっき妹方を出るときは持っていたし、「まさか人間牧場で休憩した時水平線の家へは持って入らなかっただろうし」と言うと、「そうそうあそこへ置いた」と思い出しました。でも帰る途中に農家の人に出会いハウスミカンまでいただいた庭先を引き返すのには余りにもバツが悪いので、明くる日私が草刈りに出かけた時取って来るよう頼まれてそのまま自宅へ帰りました。妻は言葉には表しませんがバッグのことが気になるようでした。だって一昨日私のいとこがわざわざ手縫いして持ってきてくれたものなので、紛失でもしたら合わせる顔がないと言わんばかりでした。

 一昨日いとこ夫婦がわが家を訪ねた手土産にくれたバッグは妻も相当気に入って、早速使おうと八幡浜へお墓参りに行くのに早速方にかけ長浜の妹方に立ち寄った時はバッグを開いて妹に自慢をしていたのですから無くす訳にはいかないのです。

 今朝私は人間牧場へ草刈りに行きました。今週はコープとくしまの理事さんたちが人間牧場へやってきますし、週末土日は35人の愛媛大学農学部の学生が学び直し教育で集中講義をするためやって来るのです。そのため今日は水平線の家やロケ風呂、ツリーハウスの掃除を丹念に行いました。特に水平線の家は床にワックスをかけ、毛布類をウッドデッキに広げて干しました。お陰さまで久しぶりに綺麗になりましたが、妻が置き忘れていたバッグは落伍高座の上にちゃんと置かれていて、お陰さまで失せものが見つかりホッとしました。

 妻も含めて私たち夫婦は最近物忘れしがちで、これも歳のせいだと思ったり、またひょっとしたら痴呆が始まったのかと心配もしますが、置いたところを直ぐに思い出した訳ですから、そこまでは進んでいないようで安心しました。私も最近は忘れてはいけないと、様々な工夫を凝らして出かけるときと帰るときは確認しているのです。私が毎日出かけるときに必要なのは、時計、携帯、免許証、財布、カバンくらいなものなので、5本の指で十分なのですが、妻の場合は持って行く物や要件が多過ぎて、私のような単純なものではないことは確かですが、ひいき目に見ても妻の忘れ方は少し多いような気もするのです。


 人のことを言える立場ではありません。ここだけの話ですが私も今夕、人間牧場から帰る途中「はて鍵をかけただろうか」と心配になって、昨日の今日なので引き返しました。引き返してみるとかぎはちゃんと架かっていました。人間は無意識のうちにやるべきことはやるものだと安心しましたが、直ぐ先に鍵をかけたことを忘れるのですからいい加減なものです。

 結局このブログをかきながらふと思い出したことは、「ツリーハウスの押し上げ窓と入り口の鍵をかけ忘れて帰ったことでした。10時近くになって思い出すのですから時すでに遅しです。まあツリーハウスの中は生きた木がハウスの真ん中に床柱として立っている程度なので泥棒も入りようがないので安心しているところです。明日は所用で出かけるので、かまど小屋の建設作業に来る大工さんに電話連絡して鍵を閉めてもらおうと思っているところです。人のことは言えません。私もそろそろ地方、いや痴呆症かも知れませんね。


  「お父さん いきなり妻が 大声で バッグ忘れた 車の中で」

  「物忘れ する妻笑う 実は俺 鍵かけ忘れ 自分を笑う」

  「歳のせい 笑いごまかす 妻を見て 俺はもう一つ 上のはずだが」

  「物忘れ 互いに呆れ かえってる 目くそ鼻くそ どちらも一緒」



[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○お盆は帰省する人も帰省される側も疲れますね

 お盆をふるさとで過ごした人たちがそれぞれの場所へ帰って行き、今日からまたそれぞれの人が平常な生活に戻りました。帰省した人も疲れたでしょうが、案外見落とされるのは帰省した人を迎える側の疲れです。わが家は貧乏で小さいながらも本家です。祖祖父母、祖父母、父母、私たち夫婦と長男家系四代目なため、さすがに祖祖父母、祖父母関係の付き合いはお悔やみやお目出た程度に減っていますが、父母関係は田舎でしかも近所に住んでいるため律儀な人が多く、お彼岸や盆正月のお墓参りは必ずと言っていいほど、欠かさずやって来るのです。お墓はさておき仏壇にお祈りを捧げにやって来る親類縁者のために、盆正月やお彼岸は家を空けることもできないのです。その都度母亡き後は妻が対応してきたのです。最近まで帰省していた私たちの兄弟帰省もすっかり遠のきましたが、変わって私の子どもたちが家族とともに帰省して来るのです。娘夫婦家族は娘婿の実家である大阪へ逆帰省して盆正月は幾分楽ですが、長男家族と次男が帰って今年も賑やかなお盆となりました。

若松進一ブログ
(生後3ヶ月の孫奏心君もこんなに大きくなりました)


 お盆や正月が近付くと妻は帰省する人たちの人数を想定して、掃除と夜具や食料品の準備をします。日本家屋で家の間取りが広いわが家なので掃除も夜具の準備も大変です。民宿と見まがうほどの夜具を押し入れから出して天日に干したり、敷布をつけたりする作業は帰省客が帰れば帰ったで同じような作業をしなければなりません。また食事の量も半端ではなく三度三度の食事を作る作業も、片づけなどを含めるとまるで一日中食事を作っているようだと妻は述懐するのです。

 最近帰省や土日が終わると妻の肩や足腰にサロンパスが目立つようになってきました。肩こりなどの疲労感が蓄積するようになったのです。やはりこれも歳のせいでしょうが、今後も続くようだと少しストレス解消法を考えなければ妻の身が持たないようです。その簡単な解決方法は私のサポートで妻の仕事量を軽減することでしょうが、残念ながら亭主関白の私は屁のツッパリにもならず、むしろ私があれこれ津悠紋をつけることが多く、それもストレスを増大させていると気づいていますが、多分これも止みそうにないのです。


 昨日は息子夫婦家族が息子嫁の実家に里帰りするため昼前に帰って行きました。掃除も片付けも一段落したので、妻の実家である八幡浜のお墓参りに行くついでという理由をつけて、妻の慰労をすることになりました。海岸国道を通った方が八幡浜へは近いので、双海~保内~八幡浜の夕やけこやけラインを選びましたが、お墓参りはさておいて、まず保内から潮風メロディーラインを通って伊方町亀が池温泉へ行きました。この温泉は妻が気に入っている温泉です。さすがにお盆とあって少々混んでいたようでしたが、ここでたっぷり温泉やサウナを楽しんでリラックスしました。温泉の欠点は混浴でないため夫婦で入浴できないため、打ち合わせた1時間半の時計を気にしながらの入浴です。

 少し遅めの食事は久しぶりに外食となりましたが、昼時を過ぎているのに温泉のレストランはあいにく満席で、思い切って八幡浜まで走り、馴染みの店で少し張り込んだ食事をしました。最近は食事の量も減ったので、二人が別々のものを頼み、それを半分ずつ食べて二つのメニューを楽しむ術を覚えたのです。

若松進一ブログ
(人間牧場の背もたれでリラックスする妻)

 食事後お墓参りをして再び海岸国道を走って帰りました。途中長浜で妻の妹宅へ立ち寄り、人間牧場へも立ち寄って、ゆっくリズムの慰労会は終わりました。多分これからも盆と正月には子どもたち家族の帰省は続くものと思われますが、こんな二人だけの慰労会もいいものだと、妻はすっかり喜んでリフレッシュしていたようです。さあ今日からわが家も平常に戻り、妻は仕事、私も仕事といえるかどうか分りませんが、忙しい日々を元気に送りたいと思っています。


  「お盆くりゃ 子どもや孫が やって来て 楽しいけれど 疲労蓄積」

  「温泉で 気分一新 リラックス 夫婦の慰労 自分自身で」

  「ふと見れば 妻の背中の サロンパス 私に暗示 しているようで」

  「今日のごみ 帰省した人 食べ残し 両手に重く 置き場へ歩く」

[ この記事をシェアする ]