shin-1さんの日記

○プリンターのスキャナーが使えるようになりました

 恥ずかしい話ですが、パソコンを使っているしエプソンのプリンターを使っているのにこれまで、写真や絵、それに新聞のスクラップを画像にするのには、デジタルカメラで直接撮影してデジタル化していました。要はプリンターに内蔵されたスキャナーを使ったことがないと言うだけでの話なのです。2年前私の誕生日に子どもたちがプリンターをプレゼントしてくれました。その説明書きにはスキャナー内臓と大書していましたが、忙しさにかまけてロクに説明書も読まず、むしろプリンターはプリントアウトする道具だと思い、ブログの記事や送られてきた文章をプリントアウトするだけに使ってきたのです。スキャナー機能を一度は使ってみたいと思っていましたが、昨日お盆で帰省した息子が突然朝日新聞から送られてきた写真を見て、スキャナーでデジタル化してくれたのです。

 こんな使い方ができるのかと感心しながら目を丸くして見ていましたが、操作はいたって簡単であっという間にマスターしてしまいました。

さあそれからスキャナーの使い方の練習のつもりで、これまでの写真の中から幾つか選んで入力してみました。

若松進一ブログ

 上の画像はえひめ地域づくり研究会議が20周年を迎えた時、記念誌を編集発行しました。当時代表を務めていましたので記念号にふさわしい表紙にしようと相談して、五十崎の旧友山田さんにご無理を言って版画で山里の棚田風景を彫ってもらいました。

 その時の原画が手元にあって、思い出の一枚だけに保存したいと思っていましたが、スキャナーで綺麗に画像入力することができました。スキャナーとはパソコンの画像入力措置のことですが、写真や絵からの反射光の強弱を電流の大小に変換することによって入力する優れモノです。意味は分っていてもどんなメカがそんな仕事をするのか、私のような凡人には知る由もないのです。私の浅はかなパソコン能力に強い助っ人ができました。これからはスキャナーをしっかりと使って残したい資料をデジタル化したいと思っています。ついでにもう一つ新聞のスクラップをスキャナーで処理をしました。

若松進一ブログ

 この記事は2009年2月23日月曜日付山形新聞の夕刊一面の「気炎」というコラムに星寛治さんが撫心庵人というペンネームで「伊予の人間牧場」と題して書いた記事です。年輪塾の公開セミナーに訪れ、「農の魂(こころ)を求めてー宮沢賢治と私ー」という演題で話した時の感想がリアルなタッチで描かれています。

 星さんが私に送ってくれた新聞ですが、うず高く積まれたスクラップの中に埋もれて、今後も陽の目を見ないであろう記事がこうしてデジタル情報処理されて、しまっている場所さえ覚えておけば劣化することなくいつでも引き出せるようになったのです。

 資料収集家ではないのでそれほどこだわった収集や分類はしていませんが、それでも整理整頓ができるという点では偉い進歩なのです。これで無智によって生ずる不幸は知ることによって避けられるといいますが、無智によって失われる記録が知ることによって失われることなく保存されるのです。


  「大切な 写真や記事を スキャナーして 記録に残す 術を覚える」

  「色あせた セピア色した 新聞も スキャナーすると 綺麗修復」

  「前ばかり 見て活動の 俺だけど 後ろ振り向き 整理もせねば」

  「カタログを 読みもしないで 使ってた も一度読んで 使いきりたい」

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shin-1さんの日記

○ちょっとした騒動

 昨日はお盆や終戦記念日、それに甲子園での高校野球なども重なって、何となく賑やかな一日でした。朝から小降りの雨が降っているにもかかわらず、私が造ったシーサイド公園のビーチには大勢の人が訪れて、わが町のお盆は田舎が田舎でなくなる日かもしれませn。私たちが子どもの頃お盆に泳ぐと河童に足を引っ張られるから泳ぐな」と言われたものですが、そんな伝説や迷信も何のそので、まるで裸ではないかと思われるような水着姿の若い女性が、ビーチでキャーキャー言いながら泳ぐ姿を見て、日本も変わったと思いました。

 田舎ではお盆の帰省に合わせて色々な催しが行われます。そのひとつが同級会です。中学校時代の仲間が帰って来るのに合わせ、地元で暮らす物好きな人たちが幹事になって同級会を開くのです。公民館を借りた質素倹約型から、地元の料理屋さんを借りた普通型、松山に繰り出すちょっと豪華型まで、その様子は様々ですが、恩師を呼んで久しぶりに懐かし顔々が揃うのもお盆なのです。さすがに還暦を過ぎた私たちには、お盆の仏事や子どもの帰省などの世話があって同級会どころではないようですが、昭和47年生まれの長男も、昨日6時から近所の料亭で予定されている同級会に出かけて行きました。

 孫に食事をさせたり風呂に入れたり寝かせたりと息子のいない分をカバーして一息ついた9時半ごろ息子は歩いて帰りました。私の血筋を受け継いでいないのか、息子は缶ビール一本が限度のような下戸なのです。それでも同級会とあって少し度を過ぎてお酒を飲んだらしくて、体中真っ赤になって、まあ赤尾にではないかと思うほどでした。帰ったころは酒の勢いもあってかなり饒舌に同級生の消息を私たちに話していましたが、そのうち暑いので裸になって居間のテレビの前横になってしまいました。顔は少し朦朧としていました。

 やがて気分が悪いといってトイレへ駆け込み、ゲェーゲェーと吐き始めたのです。妻と息子嫁は洗面器やタオルを用意したり、背中を撫でたりと、時ならぬ騒動に付き合わされてちょっとした騒動となりました。飲んだものを吐いたせいかそのうち収まって、居間で寝てしまいました。二人は布団をかけて様子を見ていましたが、1メートル80センチもある大男を動かすこともできず、そのまま眠らせることにしたのです。

 その姿を見ながら妻は、かつての新婚時代の私を見ているようだと述懐していました。実は私も余りお酒は得意な方ではありませんでした。でも酒は世渡りに必要とばかりに、漁師仲間や青年団仲間、それに役場仲間に誘われて飲み続け、お陰さまでアルコールなしでは生きていけないような雰囲気になていたのです。その過程では飲んでは吐き、吐いては飲むといった風に涙ぐましい努力をしました。特に新婚時代は妻にそのことで随分迷惑をかけたように思うのです。息子の穏やかな寝顔は私の昔と同じに写ったのかも知れません。

 10年前から胆のう手術の後遺症で酒を止めているゆえに、余計昨晩のちょっとした騒動が印象的に思えました。私が酒を飲んで吐く姿を見て昔親父が、「酒は大いに飲め、飲んでも飲まれるな」と口癖のように言っていた言葉を反芻しながら、久しぶりに大人になった息子の寝息を聞きながらお横になりました。

 午前2時までは確かに私たちの近くで横になっていた息子が、いつのまにかいなくなり、二階の家族の元へ去ったようでした。家族が恋しくなったのでしょう。お盆休みだし今朝はゆっくり寝かせてやろうと、妻は自分の朝寝坊の理由をつけて今もゆっくり休んでいます。

  「そうだった 下呂吐く息子 横目見て 若かりし頃 思い出しつつ」

  「酒は飲め 飲まれちゃならぬ 言っていた 親父の言葉 今頃なって」

  「横たわる 息子の寝顔 しみじみと 同じ道のり 歩いているか」

  「あの人が あんな人生 生きている 時の流れに 棹差しながら」

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