○異動のハガキが届いています
春は異動の季節です。会社や県庁、学校、市町村などでは3月の下旬に異動内示が出され、思いかなって異動した人、思いもよらず異動した人、定年退職した人、派遣切れの厳しい現実を突きつけられた人などなどの悲喜こもごもを感じさせて、慌ただしい季節が桜前線とともにやった終わった感じです。荷物を積んで異動したことのない私には理解できない「家族を巻き込んだ異動は大変でした」という異動ならぬ移動を余儀なくされた人からの便りも、「大過なく定年退職を迎えることができました」という便りも、その裏や周りに家族や職場の多くの人たちがいるだけに、これまた悲喜こもごもなのです。
私の友人からは季節を反映して毎日のようにのはがきが届いています。定年退職した人からの便りに書かれた文章は虫眼鏡で見ないと読めないような文字がハガキいっぱいに印刷されていました。その中に「これからはボランティア活動をしながらのんびり社会に貢献したい」という決意が述べられていました。嬉しい決意です。殆どの人が「十分休養したい」、「好きなゴルフや旅行がしたい」とあるのに既に照準をボランティア活動に置いているのです。でもボランティア活動といっても福祉も教育も環境もあって幅が広いのですが、彼は一体何を求めているのでしょうか。
ある友人は「のんびりと百姓をしながら晴耕雨読の人生を送りたい」と書いてありました。さしずめ今日は朝から雨のようなので本でも読むのでしょうが、のんびり百姓というけれど、農業はそんなに生易しいものではないと思うのです。水を差すつまりはありませんが、得てしてテレビで紹介している「人生の楽園」のような甘い収益を考えていたら足元をすくわれかねないのです。
先日その友人から電話がかかってきて、「退職して半年、早くも濡れ落ち葉となった自分と妻の確執が始まった」と吐露されました。「月々の小遣いの金額を減らしてほしいと妻から言われましてね」と苦笑いです。確かにこれからは収入の見込みを年金だけに頼る生活だとこのような冷たい喧嘩が起るのです。
暮らしの基本は経済です。年金が満額出る年齢は彼の場合まだまだ先のことですから、どこかで切り詰め質素倹約を心掛けないと池の水は干上がってしまうのです。私の自由奔放な生き方を見て「退職後は自由人になりたい」と思っていたようで、再任用の話をけって自由の身になりましたが、既にその夢は崩れ、連休明けには仕事を探そうかと言っていました。生きるためには夢も必要ですが「夢だけで暮らして行けるほど世の中は甘くはない」と話していました。「ああ人生また楽しからずや」「ああ人生悲しからずや」ですね。
「一枚の 移動ハガキに 込められた 悲喜こもごもの 人生透けて」
「夢ほどに 甘くはないぞ 人生は 百も承知で 未だ夢中」