shin-1さんの日記

○電話の向こうで「覚えていますか?」

 「若松さん、覚えていますか?」と唐突に携帯電話がかかってきました。流調な関西弁の相手は徳島県の内藤さんからでした。聞けば7~8年前に知人の大阪に住む桜井啓子さんたちとわが町へ研修にやって来たのだそうです。「覚えていますか」と言われてもこの歳になっては思い出せないはずですが、そこは人の顔や名前を覚えるのが仕事ゆえ、かすかな記憶を頼りに思い出したのです。

 私の携帯電話は個人情報なんて糞くらえと思ってオープンにしているため沢山の方から電話が入ります。この日も役場から「徳島のある方から、若松さんにどうしてもアポを取りたいので電話番号を教えて欲しい」と電話がかかり、担当者はわざわざ私に「教えてもよいか」打診があったのです。

 「実は今度私は昔そちらへ研修に行ったグループの会長をすることになりました。是非夏ごろ人間牧場へ研修に行きたいと思っています。ついては事前に人間牧場を見学したいのですが、今日か明日か時間は取れないでしょうか」という話でした。昔なら徳島からこちらまで有に5時間はかかっていましたが、今だと2時間半で来れるからとお互いが逆算し、「私は今日なら空いている」と言ってしまいました。「ほんならこれから行きますわ」です。

 口約束をして電話を切ったのは12時前でした。内藤さんは高速道路をひた走り、3時前には「伊予インターを降りました」といい、そのうちわが家のチャイムが鳴ったのです。さすがナトウという雑貨のお店を徳島県北島町で手広く手掛けているだけあって、足腰の軽さはさすがと感心しました。一度会ったきりですが確かに見覚えのある顔でした。あれから7~8年も経っているのにお互いの顔もそれなりに変っているのにです。

若松進一ブログ

(徳島から「今すぐ」といって3時間後にやって来た内藤さん)
 早速わが家の海の資料館「海舟館」と私設公民館「煙会所」を見学して人間牧場へ向かいました。狭い山道にすっかり驚いた様子でしたが、人間牧場からの素晴らしい眺望に感心しながら、私が初めて内藤さんと出会った折、「人間牧場を作りたい」と夢を語っていたそうで、その夢を実現していることに感動しているようでした。

 私は自分の実現可能な夢を人に堂々と話すようにしてこれまで生きてきました。多分それは自分への挑戦でもあったのです。「夕日を日本一にしたい」とか「人間牧場を作りたい」とか、人様から見ればまるで夢のような夢を語る姿を見て、ある人は「若松の大ぼら吹き」と思ったに違いないのです。でも夕日も人間牧場もそれなりに成就すると、「若松は言うことも言うがやることもやる。さすがだ」と信頼はより以上に高まるのです。勿論言ったことを実行するにはそれ相当のな準備と覚悟、家族をはじめ多くの人の協力があってこそ成就するするものですが、私はことごとく言ったことを、有難いことに実行してきたのです。

 かくして内藤さんは私と、9月2日と3日の研修を人間牧場でやるよう組み立てて元来た高速道路を走り去って行きました。内藤さんが会長を務めるであろうチャレンジ会は僅か8人のこじんまりした会ですが、桜井さんや内藤さんのように凄い経営者の集まりです。そんな凄い経営者に私が何をすればいいのか戸惑うばかりです。でも役場の地域振興課長をしていた7~8年前と同じように、「人間の生き方の基本は一緒」と肩の荷をおろしてしっかりと対応したいと思いました。あれから7~8年、私もそれなりに進化しているので、自信を持って不足のない相手に立ち向かいたいと思っています。


  「若松さん 覚えていますか? いきなりに 電話の向こう 記憶辿りて」

  「そういえば カンピューターが 動き出す 俺の記憶も 未だ錆ずに」

  「経営者 やること早い 今すぐと 三時間後に 早くもわが家」

  「われ磨く 相手にとって 不足なし 進化の姿 見せたいものと」 

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shin-1さんの日記

○整形外科病院のロビー

 「脛が痛くて歩くことができないから病院へ連れて行ってくれ」と、昨日の朝親父がいうものですから、伊予市内の整形外科病院へ行きました。「昨晩は痛くて便所へ行くのもやっとで、眠れなかった」と、少し疲れた弱々しい声で話す親父は、病院の受付が8時30分からだというのに8時前には早々と準備をして、まるで子どものように「まだかまだか」とせがむのです。仕方がないので急いで食事を済ませ車に親父を乗せ8時に家を出ました。少し耳が遠くなったもののこの1年は風邪も引かず何とか元気に過ごしていただけに、足腰の衰えは少々気になりながらも20分ほどで病院に到着しました。

 受付10分前だというのに病院の玄関は既に開いていて、受付ロビーは人が入れないほどいっぱいなのです。人をかき分けるようにして受付一覧表に「若松進・初診・ひざ」と書き込み、親父を少し空いている椅子に座らせ、私は外で診察が始まるのを待ちました。聞けば昨日は病院の都合で午後休診だったとか、加えて昨日は金曜日で、土日休診のため毎週このように混雑するのだといわれ納得しました。

 病院の診察は9時きっかりに始まりましたが、親父の順番はこれほど早く来ても40番以降なので当分は診てもらえないと思い、患者さんが物療に入って少しロビーの椅子に空きができたので座って待ちました。意外と速く9時30分ころ診察室へ呼び込まれ院長さんの診察が始まりましたが、付き添いで診察室に入った私を見て院長さんは「若松さんお父さんは久しぶりですね」と声をかけられました。「とりあえずレントゲンを撮りましょう」とレントゲン室へ、ここでもレントゲン技師の女性から「若松さんお久しぶりです。相変わらず講演活動でお忙しいのでしょう」と愛想良い会話を交わし、レントゲン台の上で脛を中心に2枚撮影されました。

 「しばらくお待ちください」からが長く、レントゲン写真を見ながらの説明やひざ患部への注射や処置所見の説明を受けて診察が終わったのは10時ころでした。説明を受けながら薬とシップをもらい病院を出ましたが、病院のロビーは何をか語らんといった感じでした。

 病院のロビーは殆どがお年寄りでした。通院の長い人もいてみんな顔見知りの人らしく、つけているテレビの音など全く聞こえないほど大きな声で喋りまくっていました。病気の悩みから最近の時事ニュース、近所の人の悪口など、耳を澄ませばまさに人生の縮図のようです。時折通る市会議員選挙の候補者の話も、あの人は大丈夫、あの人は危ないなどと勝手気ままに批評し合っていました。その気になって聞けば結構楽しいものです。

 車に親父を乗せて帰りながら、久しぶりに色々な話をしました。行きと違って帰りは病院の先生の見立てが良かったためか、幾分晴れやかになって、重たかった口も饒舌になっていました。メル友である谷岡さんのメールにお母さんの話が書かれていて、「あなたは岡さんがいて幸せ」と書けば、「あなたはお父さんがいて幸せ」と返信されたばかりだったので、少し感傷的になって親父のこれからについて考えました。

 確かに谷岡さんが言うように、父親がいるだけ幸せなのかも知れません。しかも91歳の今日まで何とか自分のことだけでなく家のこともしっかりやってくれることは嬉しいことなのです。これからも親父を大事にしたいと改めて思いました。昨日の夕方隠居へ様子を見に行きましたが、少しは回復の兆しがあり、時ならぬ息子の優しさが嬉しかったようでした。


  「脛痛い 病院連れて 行けという 親父の姿 少し小さく」

  「病院は 爺婆の 養殖場? ボリュームいっぱい 大声話す」

  「久し振り 笑顔の院長 声をかけ 繁盛秘訣 人に優しく」

  「あの人は 落ちるか通る 評論を 案外当たって 落ちるかもなあ」 

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