○わが家のツツジが咲き始めました
わが家の庭と家庭菜園は約100メートルにわたって続いていて、その畦には白や紫のツツジが沢山植えられていて、このところの初夏のような暖かさに誘われて、早くも花が見ごろを迎えようとしています。元来つつじは五月といわれるように五月の花なのですが、やはり温暖化の影響でしょうか、四月も半ばだというのにもう四分咲きといった感じです。春の花は一年間待った割には意外と花持ちが悪く、チューリップなどはあっという間に花を散らしてしまいますし、今年は長持ちしたといわれる桜だってもう葉桜になってしまっているのです。
私の家は少し高台にあるので、畑の畦に植えられたツツジはまるで花の帯のように連なって、道行く人の目を楽しませてくれるのです。昨日も近所の人と出会いましたが、「若松さん、あなたの家のツツジは私たちのために咲くようで、これからしばらくの間目を楽しませていただきます」と言ってくれました。確かに目線の向こうに見えるツツジの帯はまさに借景に値する風景のようです。
このツツジは元々私が役場でまちづくりを担当していた頃、エプロン会議が5万本のツツジの挿し木をしました。しかし残念なことにそのほとんどは枯れてしまいました。その折私も余った穂木を300本ばかり、勿体ないと自宅に持ち帰り挿し木をしました。世話の甲斐あって私の挿し木は殆ど全部ついたのです。
大きくなったので畑に植えて育ててさらに大きく育て、自宅の横の家庭菜園の畦に植えました。家庭菜園の畦には当時杉の防風林があったのですが、それを一本一本ノコで切り焼却処分をしました。その後に植えたツツジはその後畑の養分を吸って大きくなり、親父の手によって選定や消毒、施肥料を繰り返し、今では立派な庭木として私たちの目を楽しませてくれているのです。
挿し木をしてから早くも20年以上が経ちました。「播かない種は生えない。植えない木は育たない」といいますが、こうも立派に育つとは考えませんでした。
親父はこのところツツジを見に来るであろう親戚の人のことを考えてツツジの根元の草削りに余念がなく、動き働き過ぎたのでしょうか、昨日あたりから脛が痛くて歩くのがつらいといい始めました。今朝は私の書斎へやってきて、病院へ連れて行ってほしいとせがまれました。所用がありますが私の分は後回しにして、午前中は伊予市の病院へ連れて行ってやりたちと思っています。
年老いた親父は町内に住む兄弟姉妹たちに花見に来るよう誘っています。今年も皆さんが来るのでしょうが、行動範囲の狭い親父にとっては、ツツジの花の咲くこの季節が一番いい季節であるはずなのに、脛が痛いのは何とも辛いことなので、早く直してやりたいと思っています。
(ツツジの咲く横の畑には甘夏柑が鈴成りです。甘夏柑の美味しい季節となりました)
「丹精を 込めたツツジが 今年また 立派に咲いて 親父楽しみ」
「足腰が 少し痛いと 言う親父 今日は病院 連れて行かねば」
「花咲いた 見に来るように 伝えとけ 兄弟姉妹 加齢気がかり」
「挿し木した ツツジ大きく なりにけり 二十数年 手塩にかけて」