○摘み草料理
私たちが子どもの頃は戦後間もないこともあって、食べるものに事欠き自然の中にあるものを好んでというよりは、仕方なく食べていました。ギシギシはスイジンといって食べていたし、イタドリもイタンポといって塩を付けて沢山食べました。また野山には季節の食べ物(野イチゴ、アケビ、サルナシ、しいの実、ヤマモモ)などがいっぱいあって誰にも知られたくないそれらのありかを知っているだけで、何か宝物を持っているような気分になり、頭の中には暦の歳時記のようにそれらの収穫時期がインプットされていました。
最近は不景気になったせいでしょうか、それとも田舎や健康食への回帰でしょうか、摘み草などという言葉が盛んに使われ、摘み草料理などは高級として持て囃されているようです。
初春、山野に出て食用となる野草や山菜を採取することを摘み草といい、春の七草に代表される野草を摘んで食べる比較的シンプルな摘み草料理は昔から日本人の暮らしの中にあって今もひっそりと息づいています。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草などと、母から教えてもらった言葉を今もしっかり覚えていますが、これがホトケノザ、これがナズナと現物と名前が一致しないのは、返す返すも残念です。しかし春たけなわになったこのころになると、野山は山菜の宝庫で、摘み草のような洒落た雰囲気ではありませんが、タケノコやワラビ・ゼンマイが出回り、フキやウド、タラの芽などが日曜市の店先をわがもの顔で独占しているのです。
私はカゴを持って家の裏庭を歩いてみました。食べれる物と思われる草をあらん限りの知識で摘んでみました。ヨモギ、セリ、オオバコ、テイレギ、ノビル、三つ葉、柿の若芽、ギシギシ、イタドリ、フキ、ツワブキ、クレソンなど、あっという間に10種類もの食べれる草を見つけました。これらは正直言って道端に生えている草で、足で踏みつけたり草刈り機で刈られたりする運命の、いわゆる人に嫌われる雑草なのです。
でもこれらの野草が、京都の料亭では一流の調理人によって様々に料理され、お金になる食べ物に生まれ変わるのですから勿体ない話です。直ぐにお金の話になってしまいますが、せめて田舎に生きているのですから、これら自然の植物を食べて暮らすのも悪くはないと思った次第です。
今晩は早速これらのいくつかを料理してとりあえず春の摘み草料理を妻に頼み、試食してみたいものです。今年は人間牧場のおもしろ教室でも子どもたちに、野草を食べさせてみたいと密かに思っています。何年か前わが子どもにヨモギの天ぷらを食べさせたところ、「お父さんこれ草と違うん」とけなされた経験があるだけに、しっかりと説明できるように勉強しておきたいと思います。
「家周り ぐるっとすれば 足元に 食べれる草が いっぱいあって」
「今晩は ヨモギの天ぷら 食べようか そうだクローバー かき揚げにして」
「苦味食べ 苦味ばしった いい男 なりたいものだ ヨモギを食べて」
「ノビル掘り 水で洗って 味噌をつけ これはいけると 確信したり」