shin-1さんの日記

○市議会議員選挙は激戦のようです

 「合併して早4年が経ったのか」と誰もが時の流れの速さを感じながら、合併して2度目の選挙戦が幕をあけました。市長選は対立候補がなく日曜日の告示日に早々と当選が決まり、市長さんの顔も見ぬままで、どこか拍子抜けした感じもあります。それでも市議会議員選挙は無投票かと思いきや立候補予定者がいて21人に対し22人が立候補し、にわかに少数激戦となりました。

 前日まで白い掲示板だった候補者ポスター掲示板には、22人の顔写真がずらりと並び、いずれも自分では最高の男前と言わんばかりにこちらを向いて何かを訴えているようです。写真と名前の横には、活力や元気などといった市政に対するメッセージが並んでいて、公約らしきものよりスローガンが目立っているようです。

若松進一ブログ(市議会議員立候補者の皆さん)
若松進一ブログ(早々と当選が決まった中村市長さん)

 選挙戦も2日目に入ったこの日は、選挙カーが目いっぱいボリュームを上げて市民に自分への投票を呼び掛けていました。

 伊予市では前回の選挙が合併前旧市町毎の小選挙区制だったため、今回から全市一区の選挙になりました。ゆえに中山や双海といった小さな町から立候補する人は慣れない選挙戦に少なからず翻弄されているようです。というのもこれまでは小選挙区だったため得票数が少なくてすみましたが、今度は千票近くを目指さないと当選が危ないのです。つまり自分の陣地を固めながら大票田といわれる旧伊予市へ食い込まないと当選はおぼつかないのです。

 伊予市が地盤の人も中山町が地盤の人も回数こそ少ないものの今回はあいさつ回りのような形で双海町へ街宣車を繰り出して、今まで以上に賑やかな選挙戦となっているのです。

 昨日は人間牧場で草刈りの仕事をしていましたが、人間牧場のすぐ近くまで街宣車は入っていました。その度に草刈り機を止めて候補者の名前を聞くのですが、「市議会議員に立候補した○○が立候補のご挨拶に参りました。○○です。清き一票をよろしくお願いします」とウグイス嬢の声が山々にこだまして、本物のウグイスも顔負けといったところでした。しかしあいさつに見えられても候補者自身の声は結局聞こえませんでした。

 昨日ある子どもがある親に言ったそうです。「○○という選挙に出る人はみんな男だのに何で女の人なの?嘘つきじゃん」と○○候補と名乗っているウグイス嬢が○○だと思っているような話でした。ドキリとしました。凄い洞察力です。立候補者はよくよく考え、当選したら言っていることを全て実行して、公約倒れにならぬよう頑張ってほしいと願っています。

 選挙に出る人の当選したいと思う深い悩みや血のにじむような努力を思うとき、そんな境遇に追い込まれない世界にいる自分を見てホッとするのです。


  「○○です ウグイス嬢が いうけれど あれはウソつき 鋭く指摘」

  「山いあの 道行く選挙の 声高く 本物ウグイス 少し戸惑い」

  「掲示板 みんないい顔 しています まるで俳優 顔より心」

  「今朝の雨 水入りのよう 顔濡らし それでも私 お願いいいたげ」


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shin-1さんの日記

○夕日の男だのに何故か朝日新聞

 私はこれまで仕事がら、テレビやラジオ、それに新聞、雑誌等、いわゆるマスコミに取り上げられてきました。特異な存在だった夕日をテーマにしたまちづくりはその最たるもので、現職を去って4年にもなるというのに、未だに私の元へは取材の要請が随分あるのです。電話で取材の要請がある度に、「すみませんが私はもう第一線を退いていますので、市役所の観光所管の人に聞いて下さい」と電話を回すのですが、「市役所に聞いたら分からないので若松さんに聞くよう紹介されました」と答えが帰って来る有様です。仕方がないので余程のことがない限り対応するのです。

 実は先週も朝日新聞大阪本社から取材の依頼がありました。夕日の似合う男だというのに何故か朝日新聞です。いつものことながら朝日新聞の取材は他の新聞や雑誌と違って時間的に長いこと、うるさいくらい何度も取材の内容の追加取材や確認があることなどなどの腹をくくり、天気も良いので取材場所はわが家の敷地内にある東屋を指定しました。自宅での待ち合わせ予定は午後2時でしたが、記者がやってきたのは10分前でした。カーナビのついたレンタカーにわが家の電話番号を入力して、一発でやってくるとはさすがです。

 記者はこれまでにも一度取材をしていただいた見覚えのある人で、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本に付箋をいっぱいつけて、事前に私の情報をかなりインプットしていました。直感的に「この記者はできる人」と思いました。

 やがて2時間余りの取材が終わり、いきなり「人間牧場は遠いのでしょうか?」というのです。私が「15分程度」と話すと「是非見たい」といい、早速同行してシーサイドで待ち合わせしているカメラマンに少し待つよう手配をしました。私はこの日保内町川ノ石公民館で公園の予定が午後7時からあるので、片道1時間かかる場所なので、取材は最終6時までと念を押していました。夕日の取材にカメラマン同行で来たのに日没午後6時30分なのにと、多少不満顔でしたが、人間牧場の壮大なスケールの眺望を見て納得しつつも、午後6時10分まで取材を延長してほしいと懇願されました。

 待ち合わせ場所に帰ってカメラマンと面会しましたが、まあそれからが大変です、テレビでもないのにそのカメラマンは私をモデルに様々な角度から写真のリハーサルをするのです。それもこれも午後6時10分というタイムリミットのためと我慢しました。リハーサルの最中に近くを沢山の人が通りましたが、みんな不思議そうに通っていました。

若松進一ブログ(車の中からサーモンピンクに彩られた西の空を見ながら夕やけこやけラインを、西に向かって走りました)

 無事取材を終えて6時10分にシーサイド公園を出発しましたが、この日は特に夕日が美しく、隣りの大洲市長浜町まで夕日を右手横に見ながら走ることができ、自分がかかわって命名した「夕やけこやけライン」という愛称に納得しながら走ることができました。

 川ノ石公民館へは丁度19時、時間通りについてホッとしました。会場には岡村さんや安藤さん、白石さんなど顔見知りの方も私の話を聞きに見えられ汗顔でした。かくして長い長い一日は終りましたが、取材の度に「マスコミ登場はもうこれが最後」と思うのですが、視察依頼や夕日の取材はもう少しの間ホローしなければならないのかも知れません。


  「こりゃ不思議 夕日の似合う 人なのに 朝日新聞 取材来るとは」

  「夕日地図 そこに座れと 支持をされ まるでモデルの ように写真を」

  「長いぞと 腹をくくった 取材にて それでも最後 時計イライラ」

  「今日もまた 双海の夕日 落ちて行く 幸せ気分 浸りながらも」

 

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