shin-1さんの日記

○ふたみシーサイド公園はオレンジデーの震源地

 「若者が主役になるまちづくりはないものか」、いつもそんなことを考えていました。かつて私たちが若かった頃は青年団活動が活発で、まちづくりといえば青年たちがやるもの決まっていました。夏の盆踊りも村祭りも全て若者たちが仕切っていました。ゆえに多少危ないことをしても地域の人たちは、青年たちを温かく見守ってくれていました。いつの頃からか青年が一人減り二人減りといなくなって、青年団活動といえば役場と農協と郵便局という田舎では三大企業?に働く若者たちが仕方なくやるものに変わっていました。しかしその義理的活動もやがてなくなって、まちづくりの世界から若者が完全に姿を消してしまったのです。

 何とかしたいと思いつつ、残念ながらその答えが見つからないまま長い時を過ごしていました。多分もう田舎では若者によるまちづくりはできないだろうと完全に諦めていました。ところがどうでしょう。最近双海町で若者ではない若者(若者とは概ね20代までをいうのですが、最近は若者の概念が変わって30代も立派な若者)が少しずつ頭を持ち上げて、イベントを中心に活性化しようという動きが出始めたのです。

若松進一ブログ
若松進一ブログ

 私が役場に勤めていた若いころ、若者らしい活動を再燃させようと様々なことにチャレンジしました。夕焼けコンサートや海外に青年を派遣する人づくり10年計画、青年会議による桜並木づくりはそれなりの成果を収めて他地域よりも元気な活動として評価されていましたが、それらの活動の牽引者であった私たちが第一線を退くと、それらは闇に消えたようでした。しかし夕焼けコンサートも人づくりも桜並木づくりもどこかで細い糸をつないでいたのです。

 昨日まで双海町では青年(私から見れば青年も含む)たちが中心になってオレンジデーというイベントが催されました。バレンタインデーやホワイトデーなどのように、オレンジ産地としての心意気を示そうと企画されたのです。まだ始まったばかりで「えっ、オレンジデーって何?」と思われるほどまだまだ知名度の低いイベントですが、こと双海に関して言えばもうエンジン全開といった感じのイベントに仕上がり多くの人をひきつけました。

 特にこのイベントを企画したのが若者たちであり、運営に携わったのも若者ですから、動かす人も双海の子どもたちにお願いして廃油で作ったキャンドルを2000個も並べ、会場となったシーサイド公園を幻想的な雰囲気にさせました。

 また恋人岬では結婚式もあり、日没前には「海の夢」~詩・ダンス・音楽のコラボレーション~などなど、私たち大人の想像を超えた素晴らしいものでした。まさに恋人の聖地で出会う恋という表現がぴったりでした。

 私は残念ながら別の会議などがあって断片的な参加でしたが、企画や運営に携わった人の感想として確かな手ごたえを感じました。特に1市2町が合併してどちらかというと僻地の感じがしていたのですが、合併によってちりじりになっていた旧双海町の若手職員が勝手連のような形で骨身を惜しまず働いてくれたことは称賛に値する行動と胸が熱くなりました。

 私たちのような古い時代と違い、インターネットなどの情報を駆使し、若者のアンテナにキャッチさせて参加させる技法も、資金集めまでしっかりと目論む姿はさすが若者です。これからはこうした若者のやる気をしっかりと後押ししてやりたいものです。

 夕日の色もオレンジもどこか似ている愛の色、来年も4月をお互いの愛を確認しあう日・オレンジデーとして全国に発信したいものです。若者たちにご苦労さんと声をかけてやりたいものです。


若松進一ブログ

  「オレンジの 色と夕日を かけ合わせ 恋人聖地 若者集う」

  「おらが町 まだまだ捨てた ものじゃない 若者力 しっかり発揮」

  「シーサイド 公園ここは 震源地 オレンジデーが 社会面載る」

  「二千個の キャンドル子ども 手助けて 幻想的な 雰囲気醸す」

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shin-1さんの日記

○コープえひめ機関紙「ラヴィ」へのエッセー連載終わる

 私はこの一年、コープえひめの機関紙であるLavie[ラヴィ]というタブロイド版に、「進ちゃんの暮らしのエッセー」というタイトルでエッセーを連載してきました。そんな機関紙があることすら分からず、とりあえず何度も書いてということで書き始めましたが、あっという間に一年間が過ぎてしまったのです。最後の2009・5月1日号(4月20日付)とともに連載した1年分の機関紙が担当者のお礼状とともに送られてきました。

 どれ程の人に配布されたのかは分かりませんが、察するにコープえひめの組合員さんに配布しているのならこれはもう凄い数で、読む読まないは別として多くの方々の目にふれ、心ある人は愛読していただいたものと思うのです。愛読していただいた方から感想文やお便りが届いて嬉しい反応も何件かあった一年でした。

若松進一ブログ (一年間私のエッセーが連載され送られてきたLavie)

 昨日の朝私は台所で送られてきた機関紙をめくりながら、妻にエッセーを読んで聞かせてやりました。勿論妻はコープえひめの組合員でもないので、私がこんなエッセーを書いていることは全く知らないし見たことも読んだこともないのです。コープえひめの組合員である松山市に住んでいる娘からは時折、「お父さんがコープえひめの機関紙に面白いエッセーを書いているのを読んだ」と小耳に挟んではいたようですが、中身までは知らされていなかったのです。


 エッセーは短い文章なので読み聞かせるにはもってこいです。妻は笑いながらエッセーを読む私の声を聞いてくれました。それらを目次的に記録しておきます。

 「花の咲く町に住みたい」(2008・5月1回号)

 「リンキャベ」って一体何ですか?(2008・6月1日号)

 ハガキを書いたら人生が楽しくなる(2008・7月1回号)

 性格美人が「美人」への近道(2008・8月3回号)

 肩書のない私は値打ちのない人間(2008・9月1回号)

 臭い話ですみません(2008・10月1回号)

 幸せって何ですか(2008・12月3回号)

 服装で人間の値打ちは変わるのかな?(2009・1月号)

 あんたなんぼまで生きるん?(2009・2月号)

 おばあちゃんの携帯電話(2009・3月号)

 人間進化論(2009・5月1回号)

  一回一回は何を書こうか迷うものですが、こうして集めてみると結構面白い話題を提供しているようです。ちなみに最終回は「人間進化論」を書きました。

 -前略-進化論といえばチャールズ・ダーウィンといわれるくらい、誰もが知っているイギリスの植物学者です。彼は測量船ビーグル号で南半球を周航して育種動植物の異変をもとに、生物の進化を解き明かしました。ダーウィンは「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るのではなく、唯一生き残るのは変化できるものである」という有名な言葉を残しています。つまり生き残れる生き残る人というのは、最も強い人でもなければ最も知的な人でもなく、最も変化に適応した人間が生き残れるということなのです。

 進化の基本がダーウィンのいうように「変化への適応能力」だとしたら、私のような凡人でも学習によって適応能力さえ身につければ、生き残ることができるのだと内心喜び、変化への適応能力を磨いてきました。その結果今の自分があると納得するのです。-後略-

 長分の論文にしろ短文のエッセーにしろ、文章に自分の思いを書くことは難しいものです。でもその難しさに挑戦し続け、自分らしく文章が書けるようになるのも進化なのでしょう。脳が衰えないうちにもう少し進化を遂げたいと思っています。

  「書きし文 読み返しつつ 相槌を ほうーこんなこと 思い書いたか」

  「ダーウィンの 進化の言葉 納得す 生き残る者 強者知者でも」

  「何につけ 適応能力 磨かねば 進化もせずに 一生終わる」

  「エッセーの ような短い 文章も 人に納得 させる難し」

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