shin-1さんの日記

○何でこんなに忙しいのだろう

 妻いわく、「退職してやっと自由になったから、家にいるだろうと思っていたのに退職して4年間、前にもまして忙しく動き回って、家には殆どいない」と・・・・。そうです。自分でも不思議なくらいあれやこれやと藪用があって、毎日家を留守にしているのです。最近は妻も予定表に私の予定を書き込み、私も台所のカレンダーに一ヵ月分の予定を書くようにしているのです。そうすることで妻は安心するのですが、今朝もその予定表で今日一日の予定を説明してやりました。ちなみに最近は年度始めとあって新任の人たちが、新任あいさつに沢山見えられるのです。その殆どはアポを取って来るのですが、昨日などは何と7組も次々にあいさつに見えられ、本人も余りの多さにびっくりした次第です。

 今日は天気も良いし、明日の午後人間牧場で研修会がもたれれる予定なので、掃除がてら出かけました。「そうだ、今日は草を刈ろう」と急な思いつきで草刈りを始めました。先週水平線の家の周辺は草刈りを終えましたが、人間牧場への入口付近の道沿いが大草で見苦しいので、そこら辺を重点的に草刈りしました。マメ科の植物やハコベが春の暖かい日差しを浴びて勢いよく伸びていて、草刈り機のエンジンが鈍い音を立てて草を刈りながら進んで行くのです。

 草刈りは2時間ほどで終わりましたが、サツマイモの種を伏せているミニ温室のビニール越しに中を見ると、しばらく見ない間に雑草が芽の出た部分を隠すほど生えていました。倉庫から金づちとバールを持ち出して温室のビニール被覆を取り、畳2畳分のサツマイモの種を隠すほどに伸びている雑草を丁寧に引き抜きました。有に30分はかかったでしょうか、すっかりきれいになり、サツマイモの芽もこれで順調に伸びてくれるものと思われます温かくなって春が来たと言いながら朝晩は冷えるため、再びビニールで被覆し横の部分を少し開いて温度が高くならないよう窓をあけました。

 再び草刈りを続け、その後2時になったので食用にフキを採りました。今年もフキは豊作のようで、わが家の分と朝約束をしていた妹に渡す分をかなり多めに採りました。今年初のフキ採りです。茹でて皮を剥き、佃煮にするとこれがとびきり美味く、毎年お茶づけのお供にするのです。このフキは植えた訳でもないのにどんどん広がって、昨年はシーサイドのじゃこ天のおばさんたちや姉や妹におすそ分けして喜んでもらいました。今年もそうしたいと思っています。野も山も春まっ盛りとなりました。今が旬の山菜もその気になって見れば沢山あるのです。

 今日は夕方舞たうん100号の出版を祝う飲み会に誘われ、大いに気を吐きました。実は出版を祝うというのはカモフラージュで、むしろこれからの活動の在り方や自分自身の生き方を考える会でした。年輪塾と宮本常一を考える会の今後の在り方について真剣に話し、いい方向性が出せたように思うのです。浜田・豊田・清水・若松と、最後に小番頭の松本が加わり、焼鳥屋の夜はふけて行きました。


  「忙しい 言いつつ過密 スケジュール 慌てふためき 一日暮れる」

  「忙しい 人ほど暇を 作るもの 俺より上手 周りにいない」

  「理由つけ 結局最後 飲み会に 見え見えだけど 断りきれず」

  「草刈り機 間もなくダウン 寸前に 更なる出費 これはたまらん」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○何処へ行っても桜・桜・桜で~す

 この一週間中国地方を旅して来ましたが、何処へ行っても桜の花が満開で、今年くらい桜を見たことはないくらい桜の花を堪能しました。春先から季節外れの寒緋桜やさくらんぼ桜、彼岸桜を見て、吉野桜へと移り、最近は山桜が目につくようになり、昨日は近所で桜餅と桜茶までご馳走になって、もう桜三昧の日々です。

 私の町は私が役場企画調整室でまちづくりを担当していた頃、まちづくり青年会議という組織を発足させました。その時私の発想で海岸国道に桜の木を千本植える花いっぱい運動を提唱して植えました。国道沿いやJR予讃線沿いの空き地に勝手に植えました。というのも「菜の花を植えるので植えさせてほしい」とJRに言ったら、駄目だというので勝手に植えました。大目玉を食らいましたが、種をポケットから落とす妙案で乗り切りました。そのことがあってしばらくしての桜の苗木植えなのでこれまたJRからきついお叱りを受けたのです。でも諦めることなく植えた桜の木がもう20年も経って、今ではすっかり一人前の木になって立派な花の帯を作っているのです。

 ところが桜の寿命は60年とも70年とも言われているのに何本かは枯れたり、急峻な裏山からカズラが伸びてからみつき、木を覆って枯らされたりするものも出始めてきました。役所の関係者にその話をしますが一向乗ってこず、このままだと桜の帯を16キロの海岸線に作る夢は潰えてしまうのです。昨晩その話を妻にすると、「お父さん、いつまでもそんな心配をしないで」と言われましたが、やはり誰かが花守となって守らねば花は咲かないのです。

若松進一ブログ(三島神社楼門の夜桜)
若松進一ブログ

 そんなこんなで桜を見たからでしょうか、昨夜桜の夢を見ました。夢なので余り覚えてはいませんが、海岸線16キロに桜を植える運動をやった私が、得意げになって季節限定のトロッコ桜列車の中で桜の自慢話をしていました。乗り込んできたアナウンサーが「若松さん、16キロの桜の帯は見事ですね。ひょっとしたら日本一かも知れませんね」とインタビューされました。「どうです見事でしょう。これぞオンリーワンの日本一です。桜と夕日は似合いますね」などと自慢していました。ふと夢から覚めて、自分の枕元に置いているメモ用紙に、無意識のうちに「桜を植えたい」と書いていました。私はこれまでにも夢に出てきたことや布団の中で考えふぁ浮かんだことをメモして実行してきました。そうだ「平成の花咲か爺になろう」と決意をしましたが、やはりこの運動は同士を募らなければできないようです。

 昨日わが家へ新任職員とともに訪ねて来たえひめ地域政策研究センターの松本さんが、「若松さん海岸線の桜が見事でした」と褒めてくれました。そうだ松もさんがいる。そして今年から観光の担当になった河本さんと商工会で会ったため、河本さんも米井さんも赤尾さんもいる。久保さんもいると指折り数えて可能な人に声をかけようと思いました。お金は宝くじでも使おうかと勝手に思っているのです。

 今年はもう間に合わないので来年の2月頃植えなければならないので、もう作戦を開始しなければなりません。町を花で飾りたいというまちづくり草創のころの夢がまた少し頭を持ち上げてきたようです。

  「二十年 前に植えたる 桜の木 今は立派な 花を咲かせて」

  「平成の 花咲か爺に なる夢を メモしたからにゃ やらずばならぬ」

  「俺植えた 桜の帯が 今頃に なって咲くとは 息が長いね」

  「あと何回 桜を見るか 指折りて 老いが近づく 桜とともに」

 

[ この記事をシェアする ]