shin-1さんの日記

○自悠くらぶ原稿執筆一周年

愛媛新聞社が運営する【自悠くらぶ】というサイトに「人間牧場だより」という記事を書き始めて昨日でちょうど一年になりました。記念すべ第1号の記事は昨年の9月26日付で、「夕日は今が旬」という見出しで書いたのです。以来バックナンバーを調べてみると、確実に毎週1本のペースで記事を書き、事務局宛に送り続けてきたのです。私以外の人は月に2本、つまり2週間に一本ですから、私は普通の人の倍も書いた計算になるのです。バックナンバーを振り返れば次のような見出しが載っています。

 夕日は今が旬・秋には秋の花が咲く・風呂が恋しい季節です・手づくり遊び道具・星がきれいです・今年はイノシシに勝ったぞー・木になるカバン・心のリフレッシュ・落語ならぬ落伍の高座・ふるさとの秋は素晴らしい・夕たけこやけライン・キツツキ捕獲・田舎のオープンカー・子どもと一緒に土作り・枯葉を土にする・田舎暮らしは楽しいよ・暖かい薪ストーブ・ブルーベリーを植える・葛原しげるの生家の前で・首切り大根・春の訪れと障子の張り替え・木登り・日本一の朝日を見た・日本一の夕日・菜の花ウォーク・「サツマイモ命のリレープロジェクト・めでたく卒塾・赤トンボ先生・4つの道具を手に入れた青年リーダー塾・似顔絵の名刺・石積み・人間牧場でのトラブル・えっ「うどんの花が見てみたい」だって?・「みかんの花咲く丘」・「恋人の聖地」に認定される・人間牧場でサツマイモ植え・「ほたるこい」・ジャガイモとタマネギの収穫・「恩人」への恩返し・カブトムシの幼虫・「恋人岬」で結婚式・丸木舟との出会い・友あり遠方より来るまた楽しからずや・漁師さんのストライキ・源流を探る・年輪塾始まる・エイズキャンペーンイベント・トマトとトンボ・卒寿を迎えるおやじへのラブレター・人間牧場の芋畑に非常事態宣言・夕焼けプラットホームコンサート・県内最古の木造校舎がある翠小の運動会・田舎の青年団が消えちゃいました。

 私は年間や月間の計画を立てて書く訳ではなく、その日の思いつきで書くので、ざっと拾い出してみるとまあ実に多彩なエッセイ風の文章が書かれているようです。掲載された記事はプリントアウトして一冊に綴っていますが、この文章だけでも一冊の本になるくらいの量なのです。

 元々このサイトは定年で第一線を退いたシニア世代を対象にしたものなので、執筆の内容も定年後のライフサイクルをいかに楽しく健康に生きるかがテーマですから、その年齢の真っただ中にいる私の生き方そのものがモデルだと思って書き始めました。既に私の記事を読んだ何人かの人からメールをもらい、私の講演会を聴きに来たり、人間牧場まで私を訪ねてきたりして、交流の輪も広がっていて、さすが情報社会だと感心しています。

 さてこの連載はいつまで続くか?、それは運営する人でないと私にも分かりませんが、2年目は少し視点を変えた切り口で迫ってみたいと腕まくりしているところです。

  「エッセイを 四十八本 書きました 駄作と笑う 声は聞こえず」

  「読んでます 突然メールに 戸惑って 返す方法 訳も分からず」

  「一年は あっという間に 過ぎました 来年この頃 同じ思いに」

  「締切は 四日前だと 分かってて その日過ぎねば 記事が手詰まり」 

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shin-1さんの日記

○種まき

冬野菜の植え付けのシーズンとなり、わが家でも大根に続いてカブやチンゲンサイなどの種を播くべく、少しの時間を見計らって今朝、地ごしらえをしました。親父は既に何日か前に畑の夏野菜の残骸を処分したり、野菜の垣を取り除いて耕運機をかけ中耕を終えていますので、地ごしらえといっても溝切り用の鍬で畝を作るだけなのです。

 一週間前に播いた大根はすでにわき菜ができるほど青々と成長し、今年も豊作の予感です。実は昨年もこの時期まではいい成長でしたが、台風の風が大根の葉を揺らせて散々な目に遭いました。この時期はそろそろこちと呼ぶ東の風が吹き始める頃なので、それまでに大根の根が土中深く根付いてほしいと願っています。

 私が作った3つの畝は冬野菜なので少々広くしました。そして三列にするところを2列にしたのでかなりゆっくり目です。私の作った畝に親父は草削り用の鍬で小さな溝を掘り、そこへ小さなミクロ種を落として土を被せて行くのです。早生のカブと晩成のショウゴインカブを2列ずつ播き、さらにチンゲンサイを2列播きました。最初の早生カブは種の数が余るほど多買ったのですが、ショウゴインカブもチンゲンサイも上手く配分して少々濃いくらいに播きました。

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shin-1さんの日記

○コミュニティの再生は可能か

 昔私の町の議員さんがコミュニティという言葉の意味について、ちょっとしたハプニングを起こしました。コミュニティだのアメニティだのと、当時流行語になった横文字言葉を、意味も知らぬまま格好いいからと思って一般質問で使ったものの、答弁に立った町長さんから「聞き慣れない言葉ですが質問の中にあったコミュニティとは何ぞや、アメニティとは何ぞや」と、逆に質問されたのです。戸惑ったその議員さんは「コミュニティやアメニティも分からないでよく町長が務まりますね」と、声を荒げ強がって見せました。そしてコミュニティはコミュニティで日本語には訳せません。アメニティは飴を食べてお茶を飲むゆとりのようなものです」と答えました。他の議員さんも町長さんはじめ理事者も、本当の意味を知らなかったので、「なるほど」と感心しその場は終わりました。

 議会が終わって私の所に町長さんと議員さんから相次いで電話がかかりました。町長さん「若松君お願いがあるのだが、コミュニティとアメニティの本当の意味は何か知りたいので、助役や総務課長に聞いたが分からないという。ちょっと町長室へ来て説明してくれないか」というのです。私は物知りほどではありませんでしたが、早速町長室へ出かけて二つの意味を町長さんにレクチャーしました。

 ところが町長室を出て席に帰ると、さっき一般質問した議員さんが私のところに来ているのです。その議員さんは小声で「若松君、コミュニティとアメニティの本当の意味を教えてくれないか」というのです。私は先ほど町長室で町長さんに話したと同じように話してあげました。町長さんはにやりとし、議員さんは安心していましたが、コミュニティやアメニティという言葉を聞く度に当時のふたりの姿を思い浮かべて苦笑するのです。

 あれからかなりの年数がたちコミュニティやアメニティという横文字言葉はすっかり日本語になりましたが、はてさてその意味を正しく理解して話しているかといえば未だに疑問が残るのです。

 コミュニティ【community】とは、「居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村、都市、地方など、生産、自治、風俗などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会」と訳されますが、はてさてそのイメージをある人は集落だと思う人もいれば小学校区若しくは中学校区だと思っている人、ある人は合併前の旧市町村だと思っている人もいるようです。

 昨日の夜、伊予市生涯学習推進委員会の研修会が開かれ「地域コミュニティの活性化」について講義を頼まれて出かけました。参加者は公民館に関係する人が殆どで、顔なじみの人ばかりでした。私はまずコミュニティには地域コミュニティとテーマコミュニティがあることをお話ししました。地域コミュニティは公民館活動そのものですが、過疎や高齢化、学校統廃合などで今公民館が危ない話をしました。テーマコミュニティはまちづくりそのものですが、合併によって地域課題を解決する糸口が埋没しつつあるのです。行政は協働と参画や住民自治を進めるために、公民館をコミュニティセンターに改組し行政直結の自治センターにしようと目論んでいて、全国各地にその嵐が吹き荒れているのです。これは行政が教育の中立性を無視した非常に危険な行動であると思うのです。しかし残念なことに予算権のない教育委員会はそのことに気づいていても反論せず、行政は「住民自治」という言葉をふりかざし、なし崩し的にコミュニティ行政は走り出しているのです。

 教育行政は大きく分けて指導者養成、指導助言、条件整備という3つのことを主な任務とします。特に条件整備は施設設備を整備するハードもさることながら、地域住民の生涯教育を推進する住民組織や機関をしっかりと整備するソフト面も必要です。住民活動を導く教育行政のゆらぎが気になる今日この頃です。

  「公民館 長い歴史に 培われ なのに社会の 荒波翻弄」

  「コミュニティ 意味も分からず 行く先も 分からぬままに 議論ばかりで」

  「一人から 始める教育 一人へと 広げて行けば 案外簡単」

  「俺だって 社会教育 恩がある 恩を返さず 死ぬわけいかぬ」

 

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