hin-1さんの日記

○心に残る運動会

 大方の予想だと週末の今日は雨模様の天気予報でしたが、大型台風の行く手を高気圧の壁が覆っているようで、絶好の運動会日和となりました。先週は上灘中学校の運動会、今日は翠小学校と由並小学校の運動会と2週続けての運動会となりました。子どもも卒業し孫もまだ小学校にいないことから、運動会の見学は少々気が引けましたが、それでも上灘中学校と由並小学校の学校評議員をしているので、上灘中学校へ行ったこともあって由並へは行かなければならない義理があるのです。加えていつも何かと世話になっている翠小学校の運動会も見たくて、今日は小学校2校の運動会を梯子していまいました。

(由並小学校の広々とした運動会風景)
(子どもたちはみんな主役でした)

 9時過ぎにまず由並小学校へ出かけました。4人の子どもたちの母校なので違和感もなく入り、馴染みの人たちと会釈をしながら本部席まで行きました。案の定校門で「進ちゃん、誰の応援?」とか「孫の応援ですか?」と尋ねられましたが、「はいはい」と軽くいなして通り過ぎました。

 由並小学校は児童数100人そこそこの学校なので、応援も多く賑やかでしたが、それでも走るのは4人走が殆どでした。由並小学校では体の不自由な子どももしっかりと出番つくり、校長先生はじめみんなが温かい声援を送っていたのが印象的でした。

(翠小学校の木造校舎と万国旗は素敵でした
(トラックも外周も入退場門も杉の葉っぱで見事にディスプレイさえて、オンリーワンながら日本一でした)
(31人の子どもたちはみんなノビノビしていました)

 その後、宮栄公民館長さんと青木郵便局長さんに誘われ急な思いつきで、単車を走らせて翠小学校へ行きました。由並と比較すると三分の一の31人しかいない翠小学校はやはり狭い運動場も広く感じられましたが、入場門は子どもと先生とPTAの合作による恒例の杉の葉っぱを使って作られていました。またトラックも外周も杉の葉っぱが埋め込まれていて、日本のどこにもないここだけのオンリーワンがありました。校長先生にご無理をお願いして2階校長室の窓から写真を撮らせていただきましたが、実に見事な会場設営でした。子どもの数が少ない分をPTAや参観者がカバーしてアットホームな雰囲気が木造校舎の雰囲気とあいまって、いい運動会を見させていただきました。

 私がこれまで三年にわたって毎日ブログを書いていたパソコンがいよいよ寿命となり、原稿書きは既にこのパソコンになっていたのですが捨てきれず、延び延びになってましたが、思い切って今朝からこのパソコンに移動して書くことにしました。私のようなメカに疎い人間は本当は元の使い慣れたパソコンが一番なのですが、故障続きで息子や娘婿に迷惑をかけてしまうので、思いきって新調した次第です。今までのウインドウズXPに比べると進化しているはずのウインドウズVisutaは使い勝手が悪く、慣れるのに一苦労の感じがします。

 せっかく撮影したデジカメの写真も取り込むことができず、少し時間がかかりそうなおのです。「まあ仕方がないか」と自分に言い聞かせ、色々挑戦していますが、早く使いこなせるように努力したいと思っています。それでも新品だけのことはあって、立ち上がりは早いし、液晶画面のバックライトも明るくて、気分が楽になったような心境です。前機種はソニーでしたが、今回は東芝にしました。私のレベルを考えて娘婿がインターネットで購入してくれました。妻に無理を言って10万余りの出費をしてもらいましたが、年金暮らしの私ですので少々気が引けました。でもこれは私にとって大切な仕事道具えもあるのです。大事に使いたいと2本目の記事を書きながら思った次第です。

  追伸

  色々といじっていると、デジカメの写真が圧縮されブログに画像を取り込むことに成功しました。私も中々のものだと自己満足しています。

  「梯子する 小学校の 運動会 それぞれ個性 輝き増して」

  「不自由な 子どもも主役 隔てなく 思わず胸が ジーンと熱く」

  「杉の葉で 会場立派 オンリーワン 児童少ない 感じもせずに」

  「来年は 孫が入学 するものの 余所街ゆえに 少し寂しく」 


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shin-1さんの日記

○妻の誕生日

 わが妻の誕生日は昭和20年9月12日です。たった5分の見合いで結婚を決意してからずっと、9月12日は自分の誕生日10月3日とともに忘れたことはありません。その日が来るとささやかながら、妻に誕生日のプレゼントを欠かしたことがないのも私の自慢です。そのことが私の誕生日や子どもの誕生日に影響して、これもささやかながら妻は家族への誕生日のプレゼントを欠かさないのです。親父の誕生日、子供の誕生日に加えて娘や息子の連れ添いの誕生日、さらには孫の誕生日と増えつづける誕生日を、自分の誕生日さえ忘れるよな年代になっても、なお欠かさず祝っているのです。

 昨晩娘と息子の家族がやって来て、ささやかながら妻の誕生パーティーをしました。ショートケーイに毛が生えたような小さいフルーツバーズデーケーキが用意されローソクを5本立てました。妻の年齢は私より一つ下なので63歳なのですが、ケーキについているローソクが5本だったため、「若く見るのだからまあいいか」と省略してローソクに火をつけ電気を消しました。ローソクの光りは幻想的で、孫朋樹が「ハッピーバーズデーの歌を歌って妻はローソクの火を思いきり息を吹きかけて消しました。再び灯りがついてケーキを切り、おしゃべりが弾みました。


 孫二人は何が起きたのか分からず、電気が消えたり点いたりするので、怖くなって泣いたり笑ったりでした。

 私と妻は一つ違いですが正式には20日間同い年の日があるのです。若くありたいと願う妻にしてみれば、それを言うと少し不機嫌にないますが、年齢は如何ともし難い事実なのです。結婚して38年間もこうして健康にいられたのも元はといえば妻のお陰で、特に私の場合は内助の功は一筆啓上に出てくる妻以上だと心ではいつも感謝していますが、いざとなるとそんな気持ちを言葉にいい表すこともできず今日まで来ました。

 妻は八幡浜市の出身です。妻の両親は既に他界していますが兄が二人八幡浜に、妹が嫁ぎ先の長浜にそれぞれ住んでいます。今朝は妹を誘ってお墓参りに孫朋樹を連れて出かけました。病気がちの妹は車の運転ができないので、時々妻が誘っているようですが、姉妹水入りの束の間の一日を楽しんで来るよう送り出しました。

 私はまだおやじが健在です。兄弟姉妹5人のうち4人までもがふるさと双海町に住んでいます。妻に比べるとかなり幸せです。それでも妻は私の親父、兄弟姉妹と仲良く付き合い何の文句もいいようがないくらいです。

 53歳の誕生日を迎えたのを機に、長年パートで勤めている仕事もそろそろ辞めるよう話しましたが、察するに今仕事を辞めうと毎日が90歳になる親父の面倒を見るだけで終わりそうな気もするので、親父の自律の意味からももう少しだけ勤めさせてやりたいと思うこのごろです。

  「誕生日 迎えた妻の ローソクは 五本しかない ただそれだけで」

  「孫歌う ハッピーバーズデー 妻嬉し 五十三歳 私と同じ」

  「誕生日 嬉しいけれど 歳をとる 複雑気持ち 顔に現る」

  「わが妻は 美容院にて 髪染める 若さ回復 惚れ直したり」

 

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