shin-1さんの日記

○訪ねてきた宗教普及者

 最近二人または三人男女連れで、何の前触れもなくチャイムを鳴らして訪ねて来る人がいます。身なりもきちんとしていて穏やかな物言いはセールスマンでもなく、宗教であるのに宗教臭くなく、先日もついつい引き込まれて話しを聞いてしまいました。「先日お邪魔した時、ご主人さんは熱心に私たちの話しを聞いていただいたので、関心があると思いやって来ました」というのです。「関心がありというより、あなたたちが熱心に話すから聞いただけです」といいましたが、とにかく読んでくださいということで、「エホバの王国告げ知らせるものみの塔」と「目覚めよ温暖化・地球の危機」という2冊の薄っぺらい本をいただきました。一方で地球の危機を訴え、ものみの塔では、もうすぐ良い時代がやって来るというのです。結局最後は集会に参加してお話を聞きませんかと誘う宗教の話でした。

 お話は概ね次の5つでした。

 ①聖書は将来について予告しています。その約束を信じることができるのは何故か、4つの理由をかんがえてみましょう。

 ②親は、聞いても答えようとしないしない十代の子どもにどう話しかけたらよいでしょうか。

 ③子どもが感謝の気持ちを表せるようになるため、親はどんなことができるでしょう。

 ④イエスは同胞のユダヤ人に宣え伝えたとき、神の名前を用いたでしょうか。

 ⑤「若い悪魔たち」と呼ばれるメキシコの不良グループの一員だった人が、生き方を大きく変えたのは何故でしょう。

 その答えは「ものみの塔」という本に書いてあるので読んで欲しいというのです。

 ①や④はキリスト教徒でもない私には興味がないので読むつもりはありませんでしたが、教育など煮た携わった経験のある私は、②、③、⑤について、本をいただいた方が帰ってから読んで見ました。

 書かれていることの解決策は聖書を読むことから始め、聖書の導くままに行動すれば何ごとも上手くいくというのです。聖書の存在は知っていても聖書を呼んだことすらない私には、いささか戸惑いますが、この2冊のキリスト教の手引書は中々よく出来ていて、もしこれが宗教でなかったらかなりの部分で共感できたと思うのです。

 日本人の宗教に対する考えはかなりいい加減で、仏式で葬式したり、教会で結婚式を挙げたり、新年には神社へ初詣に出かけてお祈りします。しかし外国の人が教会へ日曜礼拝するようなことを、菩提寺ですることはありません。近頃は仏壇や神棚さえない家庭が増えているのです。春や秋の彼岸にお墓参りする先祖の供養も滞りがちのようです。「朝に礼拝夕べに感謝」という言葉も仏壇屋のコマーシャルだと思っている若い人もいるのです。

 日本の世の乱れは宗教心を家庭で教えないからだと指摘する人もいますが、それが全てではないにしても

ある部分はそう感じるのです。仏壇にご飯やお茶を供え、線香やお光を手向け両手を合わせて先祖へ感謝の気持ちを表すことは、有形無形子どもの教育にも役に立つのです。

 宗教の話になると胡散臭い話が多いため敬遠しがちですが、ちょっとした機会をとらえ立ち止まって自分の生き方を考えてみるのも悪くはないようです。

  「ピンポーンと チャイムが鳴って 出てみれば キリスト教の 勧めお話」

  「なるほどと 聞き入る姿 興味あり 勘違いして 次もまた来る」

  「予言など いうから神は 信じれぬ 科学万能 今時古い」

  「信じれば ホントに幸せ なれるのか 努力なしでは 不可能思う」

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shin-1さんの日記

○日本はどうなっているの?

 議論すべき野党第一党の民主党が代表選挙も行わぬまま小沢さんを党首に選び、開かれていなはずの与党第一党である自民党が党首を選ぶのに5人も立候補するなんてと、前代未聞の茶番劇に首を傾げたくなる今日この頃です。民主党も口では国民生活第一といいながら、相変わらず政権奪取というシナリオで動き、国民など通行人程度の出番でセリフもなく、自分たちが政治の裏舞台から表舞台へ出ることしか考えていないようです。華々しく打ち上げている政策シナリオもお金の手立てなど、政権を取ったら考えるといった甘さが見え見えで、そのことを突かれる沈黙したり開き直おって相手のあら捜しをするようでは、第二党とはいえないようです。

 しかしこれと同じく呆れるのは自民党党首の交代劇です。衆参ねじれ現象に疲れた阿部、福田二人の首相は僅か一年の短命で、まるでリリーフピッヤーのような雲行きです。しかもそのリリーフさえ1イニングももたず、リリーフ失敗を隠すため民主党の投手選びにタイミングを合わせての辞任発表は、政治学者の話しを聞くまでもなく、私でさえそのシナリオの不味さを指摘できるのです。

 与党第一党の政党である自民党の総裁が選ばれれば、自動的に首相になる今の日本で、はてさて5人の中の本命と目される人が果してどんな政治をするのか、阿部、福田と同じようにサラブレッドとして蝶よ花よと失敗経験など殆ど指されるまま育てられた雲上人たちに、果して今の政治が出来るのか疑問だらけで、国民は総裁選と同じく、さて次の人はともう次の投手ならぬ党首の行方を予想しているようです。

 最近の新聞やテレビの傾向を見ると、年金や食の安全に関する話題が多く、一つ何かの問題が発生するとまるでイモヅルのように次から次へ問題が明るみに出て、その殆どが監視体制の甘さから問題を大きくしているように思えるのです。特に農林水産省の体たらくは目に余り、私たちの暮しに直接関わるだけに憤りさえ感じるのです。人数が足らないから検査ができないというのでしょうが、ウナギもお米も産地を偽証して儲けているのですから、警察の力を借りてしっかりとお仕置きしないと、倒産を繰り返して大きくなる理論は許せないのです。

 外米が検査で農薬に汚染されているのに農林水産省は何故在庫にするのでしょう。そんな汚れた米をそもそも輸入すること自体可笑しな話です。検査で汚染が確認されれば送り返えして引き取ってもらうことぐらい子どもが考えても分る話です。安い米を少しでも高く売りたいのは人間の常識でしょうが、それは安全な米にだけ与えられた競争の原理です。汚染の姿形も見えない汚染米を学校給食や病院給食に出されたらこれはもう殺人未遂です。

 間もなく始まり。間もなく終る自民党の総裁選の後の臨時国会は汚染米の責任問題が大きな焦点となり、解散総選挙へとシナリオは移って行くのでしょうが、農林水産大臣が自殺する過去のいきさつを考えれば大変な役柄です。

 折りしも解散総選挙を見越して、愛媛県内も候補者探しが本格化して、昨日まで地域づくりの世界で一緒に活動してきた人たちに白羽の矢が当たり、立候補を決意した旨のニュースが新聞やテレビで報道されるようになりました。サッカ-選手が代議士になり、キャスターが政治家先生になる時代ですが、なった瞬間から庶民の暮らしの場から姿を消して江戸に住み、選挙に時まるで参勤交代のようにちょこっとしか顔を見せない政治家は、どこか江戸時代に似ているような気もします。せめて徳川吉宗のように新さんと称して巷の問題を解決して欲しいものです。朝から政治の話しを引き合いに出して愚痴ってしまいました。

  「シナリオの どこに国民 出番ある 全てあなたの セリフばっかり」

  「日本の 何処か可笑しい 茶番劇 心開いて 笑えないのだ」

  「ああまたか 国会来る度 嫌になる 責任取らぬ 誰が責任」

  「国会も 相撲の世界 同レベル 米ドーピング 薄頭下げ」 

 

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