shin-1さんの日記

○いい時代は来ない・いい時代にする

 私の友人に多芸な人がいます。文章が書けて絵も書けるのですから、文章はともかく絵の下手な私としては何とも羨ましい限りです。その方から時々絵手紙が届きますが、その絵に添えて書いている文章が憎らしいほど上手い文章で、時には詩や短歌、替え歌など書かれた文字にハッとすることがあります。

 私もそうですが、相手に書いたハガキなどはいちいちどんなことを書いたか覚えているものではありません。多分彼もそのハガキのことなど忘れているのでしょうが、私はそのハガキを大切に木になるカバンに忍ばせて持ち歩いているのです。そのハガキは定形外と称する一回り大きなハガキで90円の切手が貼られています。判読しづらい消印は平成13・1・4の消印が押されていますのでもう7年も前のハガキです。私が書いた自著本「昇る夕日でまちづくり」を読まれた、司馬遼太郎作「龍馬がゆく」の編集者から手紙が届いた旨のことが書かれていました。「~前略~何ごとも押し進める人ありてこそ実現するんですね。理論も行動も一致しているところがすごい。233頁の・・・・見せられた・・・・」の誤植は残念。しかしいい本ができました。~後略~」と書かれています。

 表には私の名前と差出人の名前が書いた下に絵が書いてあり「いい時代は来ない。いい時代にする。動け動かせ21世紀」と墨字で書いていました。

 なるほどとうなずきながら、このハガキを講演の折どれ程の聴衆に見せながら読んで聞かせ、その考えを伝えたことでしょう。確かに今の時代は地域間格差、業種格差が広がり、合併後の閉塞感は目を覆うばかりです。多分バブル期のようないい時代は待っていても来ないのです。だとしたら自分が動いていい時代にするよう頑張らなければなりません。このハガキが届いて既に7年が経ちましたが、激しく揺れ動く時代の流れに翻弄されながら、私は自身を見失うことなく生きてきたつもりですし、それなりに目標を持って進化していると思うのですが、周りの人の中には相変わらず社会や政治が悪いとうそぶいて人にその責任を転嫁しているのです。

 昨日その友人から電話がかかってきました。彼が書いたコラム記事が誰かの文章に似ていると投書があったというのです。私も読みましたが別におかしい所はないように見受けられました。まあ著作権のうるさい時代ですから、知識人の読む人が見たらそうなのかも知れません。文章を書く場合引用先をきちんと書くのは常識でしょうが、小説や大切な文章ならいざ知らず取るに足らないほどの(失礼)コラムに目くじらを立てるのは如何なものかと、私自身は思いました。結局そのことが原因で連載のコラムから、責任と取るという形で降板されて決着がついたようです。

 私も時々本を引用しますが、その都度注意はしているものの、記憶で書くと無知がゆえに、著作権に抵触するのではないかと思われるすれすれまで近付いたことも過去にはあったようです。でも雑誌のエッセイなどは読み流し情報なので、これを引用したかどうかは書きづらいところがあるのです。

 新聞や雑誌に掲載された謝罪やお詫びのコメントを見る度に、世の中の難しさと、著作者の権利と、それを侵害されたと訴えられた人たちの水面下での心の葛藤を垣間見るのです。私は物書きではありませんが文章に人の名前を使う場合があります。厳密にはこれも個人情報ですから、いちいち相手に許可を得なければ仕えないのです。言葉で人の話しをしても余程のことがない限り叱られませんが、文章は文字として残るだけに責任の重さを感じて書かなければならないようです。

 降板した友人のことを思いながら、彼から7年も前に届いたハガキを読み返す今日この頃です。

  「この文は あれに似てると 指摘あり 責任降板 何もそこまで?」

  「著作権 立派な権利と 認めつつ 心得て書く 今日から俺も」

  「エッセイで 誹謗中傷 するでなく 表現似てる これも著作か」

  「いい時代 来ないがやる気 持ったなら いい時代にする 事ならできる」

  


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shin-1さんの日記

○ムカデに刺される

 私たち夫婦は仲がいいのか悪いのか測定器がないのでその度合いは測りかねますが、結婚してから今日まで40年近く一緒の布団に寝ています。一緒といっても子どもが小さいごろは三本川、四本川とその数を増し、多い時は六本川の字になって寝ていました。そのうち子どもたちが大きくなるに従って、一抜け、二抜けと抜けて行き、今は元の二本川の字で夫婦だけとなってしまいました。

 友人たちに聞いたり、家庭学級などで講演の折手を挙げてもらって聞いたりするのですが、最近の人は夫婦であっても別々の布団に寝るのだそうで、ひどくもないひどい人は夫婦別々の部屋、もっとひどくもないひどい人は一階と二階に別れて寝ると聞いて、ひょっとして夫婦が同じ布団に寝る私たちが可笑しいのではないかと思ったほどです。

 私の両親も同じ布団に寝ていたため、私たちはそれが当たり前だと思っていたのに、夫婦同床は少数派と聞いて私は考えました。私たち夫婦が可笑しいのではなく一緒に寝ない人が可笑しいのではないかと思うのです。人間は人生の三分の一を寝て過ごすといわれています。しかもその寝ている時間の殆どは夢を見たりはしますが殆どの時間は無意識に過ごすのです。ですから一緒に寝ても、隣に相手がいることを感じるのは僅かな時間なので、別に同じ床に入らなくてもいいと、夫婦別床派は科学的に分析していいますが、人間は化学で推し量れない何かがあるから面白いのです。

 先日妻にその話しをしたら、「お父さん私たちも○○さんや××さんのように別々に寝てみる」と大笑いをしながらひょうきんな提案があり実践してみました。ところがどうでしょう。長年の馴れとは不思議なもので横に妻がいないと寝れないのです。妻も私と同じようだったそうで、一日だけで止めてしまいました。

 酒を飲んでいた頃の私はいびきをかいて眠れなかった夜もありました。また子どもが夜泣きをして眠れない夜もありました。その思い出の一つ一つがわが家の、そして夫婦の思い出なのです。

 前夜の朝方の出来事です。もうそろそろ起きようかと両手を布団の外の畳に伸ばした瞬間二回蚊に刺されたようなチクリとした違和感を覚えました。豆電球の下だし、まさかそれがムカデだとは思わなかったのでそのままにしていましたが、起きて手の甲と腕を見ると二ヶ所虫に刺されたような跡があり、少しかゆくなってきました。虫刺され用のウナクールを塗りましたが、少し腫れてきたので妻が「お父さん、ひょっとしたらムカデかも知れないので病院へ行ったらどう」というのです。朝のあいさつに行ったら親父も「それはムカデだからアロエをつけろ」と庭の隅にあるアロエの葉っぱを割いて塗ってくれました。

(ムカデに刺され大きく腫れ上がった左手)
(正常な私の右手)

 昨日は妻の自転車が故障したため、トラックに積み込んで買った伊予市のお店に修理に出かけたり、締め切り原稿を送ったり、細々した身の回りの仕事で対外的なこともなかったので助かりましたが、夕方日が翳り始めて涼しくなった時間を見計らい、裏庭の草引きや畑の横の畦刈りをしました。それがいけなかったのか、今朝私の左手は別人の手と見紛うほどに大きく腫れて、妻は昨晩からタオルで湿布をしたりてんやわんやです。

 もし夫婦別床だとこんな心配や湿布はしてくれなかっただろうと苦笑しました。痛む訳でもないし、これまでの経験だと2~3日すれば治るので病院には行かないつもりです。ふって湧いたムカデ騒動でしたが、その憎いムカデは果して何処へ消えたのか、謎は深まりどうやら犯人は特定できず迷宮入りで完全犯罪になりそうです。

  「百の足 数えてみたが 百もなし 百足と書き ムカデ読むとは」

  「刺した奴 今はどうして いるのやら 犯人見えず 完全犯罪」

  「同床の 妻は時々 手を撫でて 痛さ分ちて 感謝感激」

  「左手は まるで横綱 腫れ上がり 右手はまるで 御仏のよう」  


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