shin-1さんの日記

○数学は先人の文化の伝承である

 毎日色々な人に出会い、色々な人から色々なことを学ぶのが人間であり、生きている証です。しかし人間は歳を重ねたり様々な役職を経験すると、プライドが許さないのか人の言葉が耳に入らず、ついつい傲慢になるものです。特に相手が自分より目下や役職が下だとその傾向は顕著で、端から相手にしないものなのです。

 私などは学歴もなく、浅学非才なものですから持つべきものや見栄や外聞もないので、吉川栄治の「人みなわが師」という言葉どおり生きていて、むしろ人から生きざまの智恵を学ぼうと心がけているので、案外すんなりその人の何気ない一言が耳に入るのです。

 今日は朝からある採用試験の試験官を頼まれて出かけました。朝から夕方まで拘束された試験官としての仕事は、緊張している受験者に質問をして、その的確性やその人間の特徴を探ろうとするのです。私などは何を質問したらいいのかさえも分らず、思いつくままに質問をしましたが、慣れている私以外の3人は極めてシンプルに、それでいて的を得た質問をしており、受験生よりも私の方が質問の仕方、受け答え方を学んだ一日でした。

 私は理系ではなく文系だと先日もブログに書いたとおり、どちらかというと国語が得意、英語や数学が苦手と自分で思い込んでいある所があるのです。

 ある百戦錬磨の試験官が「数学」について質問しました。受験生は分らず右往左往していましたが、助け舟を出したその試験官は「数学は先人の文化の伝承である」と明快に教えていました。その時私は「えっ」と思ったのです。数学にそんな意味があろうとは凡人の私には分りませんでした。だとしたらある意味で文系も理系も目指す所は一緒ではないかと思われ、今までの心のモヤモヤが晴れたような気がしました。

 私は忘れ丈がいいので、小さな付箋にそのことをメモし、ワイシャツの胸ポケットに締まってわが家へ帰りました。家へ帰るんと妻はまだ仕事から帰っていないようでしたが、家に入るなり電話と宅配便が届きバタバタしているうちにそのメモのことをすっかり忘れてしまいました。食事が終って妻が洗濯をするためポケットを点検して、「お父さんはまたワイシャツのポケットの中にメモを入れたのを忘れている」と叱られてしまいました。「このメモ要るの?」というので我に返り「それは今日一番の大事なもんだ」といって、見つけてくれたことを感謝し、早速今晩のブログネタにした次第です。

 若し私がブログを書くことを日課にしていなかったら、この言葉は試験会場で「ああいい言葉だなあ」と感心しただけに留まっていたでしょう。僅か5時間前の気付きもこうしてどんどんと過去という川に流されて行くに違いないのです。メモを取る、そのメモをもう一度考えて文章にして残す、願わくばそのブログを読み返し知識を智恵にして生かすならこれほど大きな効果はないのです。

 「数学は先人の文化の伝承である」という言葉の直ぐ後に、子どもたちが授業を通して新しい発見をしたと感じるような数学授業をすることが必要だとも付け加えられました。なるほどなるほど奥は深くて広いものです。子どもたちの理数科離れというけれど、数学者の秋山仁先生の話しを聞いたことがありますが、先生の話は数学嫌いな私でも分りやすい話だったと、一変に数学のとりこになったことを覚えています。難しいことを分りやすく話す人は奥義を極めた人だと思います。得てして奥義を極めていない人は分りやすい話を難しくしたがるものです。

 さてさて私はさしずめ、分りやすい話を分りやすく話す部類だと自分では思っていますが、人の耳にはどう聞こえるのでしょうか。

  「数学は 文化の伝承 聞いた時 世の中達人 いると感心」

  「ちょっとした 言葉一つも 奥深い 聞く耳持てば 心開いて」

  「ああ俺は あんな言葉は よう吐かぬ も少し修行 心せずんば」

  「数学が 苦手な人は 多いはず どこで階段 間違ったのか」

 


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shin-1さんの日記

○眠れない夜

 昨晩は孫たちが3日間も逗留してその対応に疲れていたため、夫婦が早めに床に着きました。早めといっても妻は台所の片付けや洗濯物もあるので10時半を回っていましたが、私は10時に床に入って寝ながらテレビを見ていたのです。やがて妻が電気を消し夢の世界へ入りましたが、あることが気になって2時頃に目が覚め、疲れているはずなのにどうしても眠れないのです。

 あることとは友人の病気のことです。昨夕知人がやって来て外の夕観所の椅子に座り色々な四方山話をしました。その知人の従兄弟に当る人は私の友人というより、私より三歳年上の先輩なのです。私は若い頃青年団に入団していましたが、その方も青年団で団長を勤め、一歩先行く人として私をリードしてくれました。その後も仕事柄酒を飲んだり交流したりしていましたが、最近健康が優れないというのです。先日会った時にも小柄な体が少し太り気味になったいたので尋ねると、リュウマチの治療で飲んでる薬の副作用だと聞いたのです。妻もよく知っている人なので妻ともその話しを台所で食事をしながら話し案じておりました。

 従兄弟の知人の話によると最近体調が思わしくなく、抗がん剤を打ったというのです。リウマチの治療とばかり思っていたのに抗がん剤とは驚きです。その友人はもともと酒は弱いのですがタバコはめっぽう好きで、私が「陸蒸気」とあだ名をつけたほどヘビースモーカーでした。そんなにタバコを飲んだら今に肺がんになるぞ」と注意しても「タバコを止めるくらいなら死んだ方がましだ」とか、「タバコを吸って死ねるなら本望」と強がっていました。しかし最近「タバコを止めたい」と何度か思い挑戦しているようでした。禁煙パイプを口にくわえ、いらだたしそうにしている姿を見て、「命が惜しくなったの?」と茶化してみたりしました。でも長続きせず、最後の言葉は「タバコを止めれないなんて可笑しい。私はもう7回も止めた」とまるで落語や漫才のネタのような話しを笑ってしていました。

 彼は今農業をやっています。長い間勤めに出て家を留守にしたため、農業はもっぱら奥さんがやっていました。その奥さんも少し健康が優れなくて最近は奥さんに代わって農業をしていて「俺は最強の熟年農業後継者だ」と、すっかり日焼けして逞しくなった腕をまくって酒席で胸を張って豪語していました。その彼が抗がん剤とはと思うと、人毎ながら顔がちらついて眠れなかったのです。

 今朝は午前3時という早めに起きました。そして彼宛にハガキを一枚したためました。病気のことなど書けないので、近況の報告をしてさりげなく近々会おうと書きました。元々人とのコミュニケーションは苦手な方でしたが、私には家族のこと、人生のこと、これからのことなど、何でも話してくれたので、気分を一新すべく会いたいとおもっているのです。

 身近な人が病気になったり、私より若い人が死んだりと、加齢とともに親父が毎日愚痴る気持ちが少しずつわが身に降りかかってくるようになり、どこか気持ちが湿りがちになるのですが、人を思いやる気持ちだけは大事にしたいものの、自分自身は健康に生きるために、常に明るく前向きに生きてゆきたいと思っています。

 知人の健康回復を心より祈っています。

  「抗がんと 聞いてはてさて 困ったな ハガキしたため 一度会おうと」

  「無理をして 農業するな 愚か者 いってやりたい だけどいえぬな」

  「人のこと 言えぬわが身で ありながら 人を気遣い 眠れぬ夜を」

  「これからだ 楽しいはずの 人生を 楽しく生きろ われも生きるぞ」

 

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