shin-1さんの日記

○使わない筆記用具

 わが家には机の上、電話台の上、居間のペン立てなど3ヶ所余りに何本かのボルーペンや鉛筆、マーカー、万年筆などが置かれてます。でもその殆どは使えるのに使わず、これからも使われることもないであろうに、千日持って一日の用をもなさぬまま無造作に放置されて、外観上は見苦しく見えるのです。私たちが子どもの頃は貧乏な時代でもあったので、鉛筆はおろかボールペンや万年筆は飛び切り上等な筆記用具でしたから、大事に使ったものでした。ところがボールペンやシャープペンシルが出回るようになると、それらの殆どが使い捨ての部類になって、今ではボールペンなど道端に転がっていても、だれも見向きもしないものになってしまったのです。

 ボールペンは便利なもので、インクが外にこぼれることもなく、また蓋をしなくても乾燥することもなく直ぐに書けるのです。普通ボールペンはインクがなくなるまで使うことは珍しく、途中で何処かへ無くしたり、インクが出なくなって別のものに変えるですが、このところ机の上で日常的に使っていた2本のボールペンがインク切れ、つまり最後の寿命まで使い切り、久しぶりに「やったー」って感じになりました。外から見えるインクゲージはまったくインクの色が見えませんでした。寿命が消えたボールペンは何処か可哀想で、捨てるのが惜しい感じがしましたが、再利用する当ても無く勿体ないと思いつつゴミ箱へ捨ててしまいました。

 今日は午前中2小グループ、午後小2グループを人間牧場に案内して夕方からはスケジュールが空いているので久しぶりに机の上の筆記用具とペン立ての中の掃除をしました。既に使えなくなったもの、紙にためし書きをしてインクの出の悪いものなどに分けて、要らなくなったものは金具を危険物にし、他のものはプラスチックゴミに分類しましたが、分類といいながら結局「勿体ない世代に育った私ですので、捨て切れずもとの鞘に納まっているのです。

 筆記用具の中に珍しい万年筆を見つけました。私がアメリカへ行った折買って帰ったパーカーの万年筆です。もう長い間使っていないため、使用不可能と思いきや、熱湯で中やペン先を洗って、机の引き出しにあったカートリッジインクを差し込むと、それは綺麗な文字が書けるのです。さして字が上手くない私ですが、弘法筆を選ばずではなく、弘法筆を選んでハガキを3通書いてみましたが、ボールペンにはない味のある文字が書けました。

 ペン立ての中には何本もの筆ペンがありました。多分香典返しで祝儀袋や不祝儀袋とともにいただいたものでしょうが、今月も幾つかの葬儀やお見舞いの度にこの筆ペンで名前を書いたに違いないのですが、毎日書くわけでもないので、どれも全て使えるようで、これも捨てることは出来ませんでした。

 最近この筆ペンが役に立つようになってきました。というのも私の自著本にサインをして送って欲しいというリクエストが何件かあるのです。先日は岡山県笠岡市で講演の後のサイン会があったし、長崎県諌早市の松本さんからは自著本にサインを入れて送って欲しいと20冊もの注文がありました。字の下手糞な私としては躊躇するか辞退するところですが、勇気を持って迷わず書きました。今頃はこの本を手にとって「何て下手糞な字なんだろう」と噂しているに違いないと思うのです。

 それでも筆記用具は随分整理整頓ができました。孫が来る度に使う鉛筆類は木のペンケースに入れました。これで迷わず必要な筆記用具が使えそうです。

  「使えるに 捨てなきゃならぬ ボールペン 役に立てたい 気持ちはあるに」

  「自著本に サイン頼まれ 書いてみる 今頃みんな 何じゃあこれわと」

  「最後まで 使いきったる ボールペン 捨てるの惜しい 勿体ないな」

  「役所辞め ペンなど要らぬと 思いきや 毎日ハガキ 三枚書くペン」

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shin-1さんの日記

○長野県南牧村からレタスとブロッコリーが届く

荷札を見て連想するくらい、毎年色々な物を届けてくれる南牧野村の元村長さんと役場職員さんから、今年も珍しい野菜が届きました。元村長さんや役場職員さんと知り合ったのはもう4~5年前でした。平成15年7月1日、国土交通省の観光カリスマ100選に選ばれたのを機に山梨県清里の舩木上次さんと知り合い、そのことがご縁で村長さんに出会い職員さんに出会ったのです。以来交流が始まり私は南牧村へ講演に行きました。その後村議会議員さんの視察研修、群馬県町村議員研修、山梨学院大学講演などの度に村長さんには出会ったものです。私のカレンダーによると2005年5月31日には商工会青年部の皆さんが村営バスで夜を徹して走り、早朝午前5時にふたみシーサイド公園に到着して、私と一緒に海岸清掃を1時間に渡ってやったと記されています。

 まあそんな深い関係の村長さんでしたが、選挙で苦汁をなめ今は別の世界で生きていますが、退職後も交流を続けていて、本当本物の友人として私の心に残っているのです。

 先日元村長さんからは高原野菜の王様であるレタスがダンボール一箱送られてきました。また役場職員さんからは茎太なブロッコリーが氷詰めにされ送られてきました。レタスもブロッコリーも冬の野菜です。だのに高原野菜として真夏に届くのですから驚きなのです。私はレタスとブロッコリーを幾つかのナイロン袋に小分けして、親類縁者におすそ分けしてあげました。差し上げた皆さんは一応に「まあ珍しい今頃?」と感嘆の声を上げました。すかさず南牧村の紹介と元村長さん、役場職員さんの話しを得意げになってお話しました。

 私たちの町は合併して少し大きな市になりましたが、南牧村は東京に近いとはいえ村ながら合併もせず生き延びています。なぜこのようなことが起こるのか解明もされぬまま、村という自治体はは益々珍しくなって脚光を浴びているのですから不思議な話です。

 レタスはそのまま食べる野菜なので冷蔵庫に保管しながら大事に2週間余りしっかりと食べました。またブロッコリーはさっと茹でて翠の美しさを味わいながらマヨネーズで今も美味しくいただいています。野菜の好きな私たち夫婦にとっては至福の食卓が当分続くのです。

 昨日はシーサイド公園でエイズを考えるイベントが開催され、漁協女性部の人が心のこもった弁当を作ってくれましたが、そのお弁当にもおすそ分けしたブロッコリーが少しずつ入れられ、私は皆さんの前で南牧村の話しをしながら昼食をとったのです。

 政変で村長さんはその役職を離れました。私も今は合併によってその頃の役職から離れています。人間の値打ちとは一体何なのかをいつも思っていますが、まさに南牧村の人とのこうしたふれあいは、人間味溢れていてこれからも大事にしたい関係なのです。人はいつまでもその役職に留まることは出来ません。特に選挙で選ばれる首長さんや議員さんは自分の意思だけではどうすることもできないのです。まあ人間は役職取ったらただの人ですから、ただの人になった時に光り輝くような人間になりたいものです。

 私ももう一度そのことを深く認識し、光り輝くような人間になるよう努力したいし、そんな本当に値打ちのある人探しをしたいと思っています。

  「役職で 人の値打ちを 決めたがる 俺など無官 何の値打ちも」

  「海渡り 珍し野菜 どっさりと おすそ分けして 村の宣伝」

  「嬉しいね 辞めてからでも 俺のこと 覚えてくれて いてくれるとは」

  「食卓に 南牧村 並べられ 口にする度 村人語る」

 

 

 

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