shin-1さんの日記

○長野県南牧村からレタスとブロッコリーが届く

荷札を見て連想するくらい、毎年色々な物を届けてくれる南牧野村の元村長さんと役場職員さんから、今年も珍しい野菜が届きました。元村長さんや役場職員さんと知り合ったのはもう4~5年前でした。平成15年7月1日、国土交通省の観光カリスマ100選に選ばれたのを機に山梨県清里の舩木上次さんと知り合い、そのことがご縁で村長さんに出会い職員さんに出会ったのです。以来交流が始まり私は南牧村へ講演に行きました。その後村議会議員さんの視察研修、群馬県町村議員研修、山梨学院大学講演などの度に村長さんには出会ったものです。私のカレンダーによると2005年5月31日には商工会青年部の皆さんが村営バスで夜を徹して走り、早朝午前5時にふたみシーサイド公園に到着して、私と一緒に海岸清掃を1時間に渡ってやったと記されています。

 まあそんな深い関係の村長さんでしたが、選挙で苦汁をなめ今は別の世界で生きていますが、退職後も交流を続けていて、本当本物の友人として私の心に残っているのです。

 先日元村長さんからは高原野菜の王様であるレタスがダンボール一箱送られてきました。また役場職員さんからは茎太なブロッコリーが氷詰めにされ送られてきました。レタスもブロッコリーも冬の野菜です。だのに高原野菜として真夏に届くのですから驚きなのです。私はレタスとブロッコリーを幾つかのナイロン袋に小分けして、親類縁者におすそ分けしてあげました。差し上げた皆さんは一応に「まあ珍しい今頃?」と感嘆の声を上げました。すかさず南牧村の紹介と元村長さん、役場職員さんの話しを得意げになってお話しました。

 私たちの町は合併して少し大きな市になりましたが、南牧村は東京に近いとはいえ村ながら合併もせず生き延びています。なぜこのようなことが起こるのか解明もされぬまま、村という自治体はは益々珍しくなって脚光を浴びているのですから不思議な話です。

 レタスはそのまま食べる野菜なので冷蔵庫に保管しながら大事に2週間余りしっかりと食べました。またブロッコリーはさっと茹でて翠の美しさを味わいながらマヨネーズで今も美味しくいただいています。野菜の好きな私たち夫婦にとっては至福の食卓が当分続くのです。

 昨日はシーサイド公園でエイズを考えるイベントが開催され、漁協女性部の人が心のこもった弁当を作ってくれましたが、そのお弁当にもおすそ分けしたブロッコリーが少しずつ入れられ、私は皆さんの前で南牧村の話しをしながら昼食をとったのです。

 政変で村長さんはその役職を離れました。私も今は合併によってその頃の役職から離れています。人間の値打ちとは一体何なのかをいつも思っていますが、まさに南牧村の人とのこうしたふれあいは、人間味溢れていてこれからも大事にしたい関係なのです。人はいつまでもその役職に留まることは出来ません。特に選挙で選ばれる首長さんや議員さんは自分の意思だけではどうすることもできないのです。まあ人間は役職取ったらただの人ですから、ただの人になった時に光り輝くような人間になりたいものです。

 私ももう一度そのことを深く認識し、光り輝くような人間になるよう努力したいし、そんな本当に値打ちのある人探しをしたいと思っています。

  「役職で 人の値打ちを 決めたがる 俺など無官 何の値打ちも」

  「海渡り 珍し野菜 どっさりと おすそ分けして 村の宣伝」

  「嬉しいね 辞めてからでも 俺のこと 覚えてくれて いてくれるとは」

  「食卓に 南牧村 並べられ 口にする度 村人語る」

 

 

 

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