shin-1さんの日記

○にいはま母親大会に招かれて

 正直いってのっけからえらい所へやって来たと思いました。午後の開会式の実行委員長さんのあいさつやオープニングを飾る寸隙に多少戸惑いました。寸劇には福田さんや小泉さんに扮した人まで出るし、平和や憲法9条、年金問題、後期高齢者、扶桑社教科書などの文字が資料のいたるところに見られるのです。何の予備知識もなく、この大会の趣旨を聞かされもせず、また聞きもせず講演に行ったのですから、無知なのか度胸があるのか、まあ驚きの連続でしたが、多少軸足を変え腹をくくって話しました。でもそういう熱い心を持った人たちの集まりだけに、想像以上の笑顔の反響に驚きながら、アドリブで90分も立て板に水の如く喋りまくりました。

 ひょっとしたら今までのどの集会よりも盛り上がったのではないかと思うほど私の話しにビンビン跳ね返って、こちらが熱くなり最後は涙が出そうになりました。


(どうです。参加者のこの笑顔は素晴らしいです)
 ふと今の政治はこうした国民の声なき声に耳を傾けているのだろかと思いました。

 私は右でも左でもないのですが、あえてこの日の大会宣言を長文ながら書いておきますのでご意見をお寄せ下さい。

 にいはまのお母さん、女性のみなさん、「いのち」のスローガンを掲げ第49回母親大会は今日ここに成功させることができました。私たちはご前中の分科会で学び合い楽しく交流することができました。「うたごえは平和の力」と思いきり歌って平和を語り、未来を語り合いました。「武力に頼らずに平和をつくる」という憲法九条は今、世界の目標となっており「九条の国際化運動」は広がりつつあります。

 「親子で遊ぼう」では子どもたちと体を動かす喜びを共に体験し親子の絆を深め合い、豊かな成長を願い話し合いました。豊かに生きる分科会では年金・医療・健康などさまざまな問題について話し合い医療現場や年金ぐらしの厳しい実態が報告されました。さらに今、大問題になっている後期高齢者医療制度は七五才以上の高齢者に対して予防から外来・入院・終末期にいたるあらゆる医療を制限し差別するものです。人は誰でも歳をとります。団塊世代が七五才を迎えると後期高齢者は二千五百万人になり、この時に医療費を徹底して削減できる制度にしようとしています。憲法二五条は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と生存権保障義務を謳っています。

 にいはまのおかあさん、女性のみなさん、本日の記念講演で私たちは知恵を出し合って豊かな人間になっていく素晴らしさを学びました。今、地球上で起こっているさまざまな事態、まったなしの地球温暖化、平和、子育て、高齢者医療、年金問題などについて、その原因をつきとめ私たちにできることから行動せねばなりません。私たちの声と運動は今、政治を動かし願いを実現する道を切り開こうとしています。そのことに私たちは、希望をもって子どもたちの未来と私たち自身の幸せと平和な日本と世界を目指してしっかりと手をつないでいきましょう。

 生命を生み出す母親は生命を育て生命を守ることを望みます。

 今日は日曜日、車で行く途中カーラジオでNHKの日曜討論を聞きました。今日はどの党も幹事長クラスの人が国会の模様を話していて、偶然にも大会宣言に書き込まれたことが殆ど話されていました。みんなわが党の正当性を雄弁多弁に語っていましたが、民意だとか国民本位と口でいってはいても、殆どが党勢拡大の話で、残念ながら国民を幸せにする話は余り聞かれませんでした。結局は私たち国民は政治家の道具にしか使われていないような気もするのです。まあその政治家を選んだ私たちも悪いのですが、もっといい方法はないものでしょうか。このままだと日本はどうなるのでしょう。私にとって今日は考えさせられた一日でした。

 追伸

 今日は出版した本を持参するように言われました。講演会場で自著本を売るのは気が引けましたが、お言葉に甘えて受付でサインまで頼まれ嬉は恥かしでした。

  「硬貨なら チャリン音する ふり向くが 紙幣落ちれば 誰も気付かず」

  「今日だけは たまげドキドキ ハプニング それでも役目 果して帰る」

  「政治家に なれる技量が あったなら もっと政治で この国変える」

  「熱い人 いっぱい集まり 熱っぽく 熱が伝わり 熱が出ました」   


 


 

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shin-1さんの日記

○孫と遊んだ一日

 一昨日の夜、五歳になる孫に電話を入れました。このところ私が忙しくて孫とゆっくり遊んでやれないため、時々かかってくる電話で、「おたまじゃくしは生まれた?」「カブトムシの幼虫はどうなっているの?」「僕の蒔いたカボチャの種は生えた?」などなど、盛んにちょっかいを出してくるのです。その度に「おたまじゃくしは大分大きくなって田んぼで泳いでいる」「カブトムシの腰痛も随分大きくなった」「カボチャの種は芽が出てご飯が欲しいと言ってる」と話しをすると、「早く行きたい」と親をせかすらしいのです。「じゃあ明日双海のじいちゃん所へ泊まりにくるか」「うん行く」の口約束が成立しました。

 昨日は人に会う約束だけなので、理髪店で散髪をする予定を済ませ、朝松山まで迎えに行きました。週休二日が定着したのか、午前9時ころなのに松山市内はいたって静かで車も少なく双海から道後緑台まで僅か40分で到着しました。孫は既に着替えや図鑑など持ち物の準備が出来ていて私を待っていました。孫「じゃあ行ってくるね」、娘「気をつけてね」でいとも簡単な親子の別れです。

 しばらく接しないうちに孫は一回り大きく成長したような感じがしました。その分私は退化しているのかもしれないと苦笑しながら車の後ろでシートベルトをつけてお喋りをしていました。どうやらハーモニカを吹けるようになったらしく、「ドドソソララソ」などと音階をいいながらハーモニカを吹く真似をしていました。いよいよ私とハーモニカでコラボレーション演奏をすることが出来るかも知れないのです。

 妻に頼まれたパンを買うため、新しく出来た松前町の商業施設エミフルに立ち寄りましたが、もう聞き耳が出来た孫は以前のようにおもちゃ売り場やゲームコーナーをさっさと通り過ぎ、ピカチューパン一袋150円で満足なのです。エミフルも開店当時のような混雑もなくご前中ということもあって空いていました。

 わが家へ帰って昼食を済ませ遊びの行動開始です。まずシーサイド公園へ貝を拾いに出かけました。紙袋を持って渚を歩くと砂に混じって小さいながら沢山の貝類が無数に散らばっていました。その中から巻貝や二枚貝を探すのですが、孫は慣れているのか沢山拾いました。中でもアンモナイトに似ているアオガイを2個見つけ歓声を挙げていました。シーサイドのじゃこ天のおばちゃんに孫朋樹は馴染みの顔で、たこ焼きやドーナツ、お魚屋さんではスイートコーンまでいただいてご満悦でした。

 家に帰り孫が大じいちゃんと呼んでいる親父に、シーサイドで買い求めたドーナツを孫がお土産だとプレゼントしました。親父は嬉しかったのか、早速お小遣いだといって千円を渡していました。孫にとって千円札はまだそんなに価値のあるものではなく、玄関先に置いて網と虫かごを持ってチョウチョや青カエルを夢中で追っていましたし、大じいいちゃんに貰った肥料を芽が出たカボチャの苗にやったりと忙しく遊んでいました。

 やがて夕方になって夕食が終わるとさすがに疲れたのか、「ダウィンがやって来た」というビデオを見ていましたが、昨日に続いてほたるを見に行く事にしました。先週もほたる祭り来たようですが、その時はイベントだけでほたるを殆ど見ていなかったのです。妻と三人で暗闇をほたるを鑑賞しました。「どうしてほたるは光るの?」など矢継ぎ早の質問に妻はタジタジでした。子どもの頃にこんな幻想的な風景を見させることはいいことだと思いました。

 風呂に3人で入り、3人が川の字になって寝ました。孫は私のアドリブなお話が大好きで、昨晩のテーマリクエストは「リス」でした。働き者のリスと遊びの好きなリスの話をしてやりました。始まると拍手、終わると拍手です。やがて夢の中へ旅立った孫の寝息が聞こえるようになり、短くも長い一日が終わりました。

  「少しずつ 成長している 孫が来る 私と妻は 少し衰え」

  「川の字に なって布団が 狭くなる 妻はさっさと 別の布団に」

  「何故ほたる 光るんだろうと 矢継ぎ早 質問されて 妻はタジタジ」

  「子離れを した老夫婦 思い出す 昔はいつも こんなだったと」

 


 

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shin-1さんの日記

○大恩人・人間牧場へ来る・②

 ひと通り案内見学が終わって、関会長さんは私が日頃愛用している背もたれ椅子にどっかと腰を下ろして休息です。本当は高座に上がって夕日亭大根心の落伍を聞いて欲しかったのですが、時間も限られているし、何よりも夕方になると藪蚊が沢山出てきたため、田宮さんが用意した蚊取り線香では追いつかず早々に人間牧場から引き上げる事にしました。ウッドデッキで穏やかな初夏の瀬戸内をバックに記念写真を撮りました。

 夕方からは人間牧場見学の帰路、近所にある潮路という馴染みの店に前もって予約を入れ、関さんと藤原さんを交えた食事会をしました。女将さんに「滅多に食べれないものを食べさせて」と言っていたので期待をして、人間牧場を下りました。料理屋さんは人間牧場から約十分足らずの場所にあって、国道沿いの二階にある小粋なお店です。ここを選んだ理由は魚が美味いことに加え、夕日が窓越しに手に取るように見えるからです。

 予約しておいた午後6時半きっかりに店に着き、部屋に入って驚きました。料理の凄さに目を見開きました。何よりも驚いたのは超特大の岩牡蛎の刺身です。これほど長い間海沿いで暮らしていてこれ程の牡蛎を見たことも食べることも初めてなのです。最近この岩牡蛎が繁殖して漁師さんもホクホクだと伺いましたが、私たちもそのご相伴に預かり舌鼓を打ちました。関さんも藤原さんも舌の肥えている人なので、満足いくかどうか心配しましたが、ご満悦なご様子でホッとしました。

 お二人とも軽く生ビールをたしなむほどで、飲むほどに酔うほどにとまではいきませんでしたが、積もる話しをさせてもらいました。

 部屋の窓越しに夕日が見え最高の雰囲気になりました。人間牧場もさることながら日本一と自認する双海の夕日も見て欲しかったのですが、この日は100点とまではいかなくても、それなりの夕日が山口県平郡島辺りに沈んで、穏やかな初夏の海と空を染め分けました。関会長さんも藤原さんも窓を開けデジカメで盛んにシャッターを推していました。私はもっぱらお二人の接待お相手なので、田宮さんに私のカメラを渡して撮ってもらいました。田宮カメラマンがとらえた夕日の写真です。刻々と表情を変える夕日の姿を見事に撮影していました。

(太陽の光が水辺に尾を引く残照の瀬戸内)
(明るい空と海の色が何ともほのぼのとした明日への希望を感じるような夕映えです)
(雲を赤く焦がし山口県平郡島辺りに今まさに沈まんとする初夏の夕日)

 夕日と食事に満足して料理屋を出た私たちは最後の楽しみである翠小学校近くのホタルを鑑賞に出かけました。関会長さんのたっての希望でもあるので、何としてもホタルを見せたいと意気込んでいたものの、ほたる祭りは先週終わり、もうそろそろ最後かと半分半分の気持ちで出かけましたが、どうしてどうしてほたるの名所唐子橋近くではまだ沢山のほたるが乱舞して幽玄の世界を演出してくれました。この日はほたる見学者も沢山いて、運良く出会った近所に住む高田さんの話によるとほたるの数は最盛期の三分の一だそうですが、いやあ安心しました。

 遠来の恩人に人間牧場、海の幸の食事、日本一と自認する夕日、そしてほたると今日のメニューは4本立てでしたが、関会長さんや藤原さんがどう思ったか知る由もないことながら、ささやかな恩返しができたとホッと胸を撫で下ろしました。

 二人をほたるの現地で送り、シーサイド公園で田宮さんと別れて家に帰った私は妻を連れて再びほたる鑑賞に出かけました。暗闇の中二人で鑑賞するほたるはまた格別でした。その様子をカメラに収めることができなかったのが返す返すも残念でした。

  「恩人に 見せたい物を 四本立て すべて段取り 上手くいったね」

  「恩返し こんなことでは いけないが 心だけでも 分って欲しい」

  「今日からは 心新たに 踏ん張って 強く生きよう 今まで以上」

  「子どもらが 植えし芋ツル 早伸びて 草に負けじと 青々繁る」

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shin-1さんの日記

○大恩人・人間牧場へ来る①

 年間いか程の人が来るか分らないくらい人間牧場へは子どもから大人まで沢山の人が訪れます。その人々には重さも軽さもなく誠心誠意対応しているのですが、今回だけは特別な意味を持った大恩人として迎えなければなりませんでした。というのも私は21世紀えひめニューフロンティアグループという小さなボランティア団体の代表をしています。昭和56年9月に結成以来既に28年を経過していますが、その間無人島に子どもたちを連れて行ってキャンプを行ったり、廃屋を借り切ってフロンティア塾を開いたり、常に瑞々しい活動を展開してきました。その活動を下支えしてもらった人は数知れないのですが、唯一資金面でパトロンとして支えていただいたのが関奉仕財団の関宏成会長さんとそのとりもち縁を持ち続けてもらった元県職員藤原茂さんなのです。パトロンといえば男と女の何か怪しげな関係を連想しますが、あの民俗学者宮本常一のパトロンが渋沢だったことは周知の事実だし、私にとっても敢えてパトロンと呼ぶに相応しい人なのです。

 関さんとの出会いは突然やって来ました。藤原さんを介して関さんが私に会いたいというのです。この様子は詳しく私たちのグループの20周年の軌跡を書いた自著本「今やれる青春」という本に詳しく書いているので省略しますが、その時関さんは私に100万円の小切手をくれました。赤貧洗うが如き貧乏グループの代表にとってこのお金は喉から出の出るほど欲しい程でしたが、お金の魔力を知っている私は格好をつけて一度は断りましたが、是非ということで結局はいただいたのです。それ以来ご縁が深まり毎年30万円づつ10年を超えて資金提供を受けているのです。普通これだけの援助をしているのですから口も出すのでしょうが、一片の報告書程度で一切それもなく今日まで、資金とエールを送り続けてくれているのです。

 そして昨年は関奉仕財団が創設した第1回教育文化賞に私を選んで下さり、副賞として30万円をいただいたのです。私はこの賞金を使って人間牧場に赤とんぼの家を作りました。勿論足りない分は親父や息子の実労支援を受け何とか完成させました。

 先日日頃のご支援お礼を兼ねて藤原さん、大野事務局長の三人で関会長さんを会長室に訪ねた折、人間牧場への来訪をお願いしたところ喜んで日程調整し昨日の訪問となったのです。

 会長さんと藤原さんは運転手の運転する黒塗り33ナンバーの凄い車に乗って約束の午後5時きっかり、シーサイド公園に見えられました。本当はメンバー全員と懇談したかったのですが、みんな仕事の都合や遠方で都合がつかず、結局リタイア組の田宮さんと私が対応する事になりました。田宮さんと私は、私の車で先導し、細い山道を走り人間牧場近くまで行き、そこから先の農道は私の車に乗り換えて人間牧場へ入りました。

 この日は一昨日前までの雨が嘘のように晴れ、絶好の天気で気を揉んだ甲斐がありました。この日は①人間牧場を見学してもらう。②海の幸を賞味してもらう。③自慢の夕日を見てもらう。④ホタルの乱舞をみてもらうという少々贅沢なメニューを用意しましたが、いずれも天気あっての物種なのです。

(まず水平線の家を見てもらいました。蔵書の多さや手の込んだロフト、囲炉裏、薪ストーブなどに興味を示していただきました)
(ロケ風呂の発想に驚かれ、眼下に見える下灘漁村の素晴らしい眺望を見ながらしばし談笑しました。先々週子どもたちが植えた芋畑も関心事でした)

(同行した運転手さんも暖簾の前で記念撮影です)
(これが関奉仕財団第一回教育文化賞の副賞をつぎ込んだ赤とんぼの館です。窪田先生の指導で作った竹トンボを手の平に乗せその奇妙さに驚いた様子でした。お土産に贈りました。
(フロンティアグループの力で作ったツリーハウスでは部屋の中に生えている生きた床柱や床下生え出ている枝にビックリ仰天でした)
(人間牧場の入り口にある樹齢二百年のヤマモモの樹や祠も散策しました)

  「恩人が 来るというので ソワソワと 朝から支度 余念なきよう」

  「珍しい 人が来るので 藪蚊たち 揃って出でて チクリチクリと」

  「山坂を 上り下って やっと着く 驚ろきモモの樹 優しく迎え」

  「ほうこれは 凄い仕掛けと 驚きの 様子ありあり ホッと胸撫で」

 

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shin-1さんの日記

○「ダイエット 犬の散歩で 犬が痩せ」。太るはずです

 私たちが子どもの頃、自分の身の回りには見渡しても太った人は殆どいませんでした。それは多分二つの理由があったのだと思います。まずひとつは食べ物が少なかったことです。私が少年時代は戦後間もない頃で、三度三度の食事にさえ事欠く有様でした。しかもサツマイモや麦飯など今では美食と持て囃されているものが日常食だったのです。子ども心に配給や闇市なんて言葉を知っているのですから、もう随分古い話です。漁村に生まれたため魚はふんだんに食べましたが、肉や甘いものは贅沢な食べ物で、年に何度かしか食べれなかったのです。故に成人病の三大原因とされる脂肪、糖分、塩分の中でも脂肪と糖分は欠乏気味で塩分の取り過ぎが問題になっていた程度でした。

 今は物が豊かになり暮しが豊かになって正直栄養過多です。しかも自分で作らなくてもお金さえ出せば外食も出来るし、スーパーに行けば惣菜だって食べたいものが幾らでも所狭しと並んでいるのです。人間は不思議なもので好きなものは食べますが嫌いなものは殆ど買わず口にしたがりません。例えば納豆はどちらかというと関西では食べる風習がなかったため、うちの親父などは生まれてこの方「あんなネバネバの食べ物は気持ちが悪い」といって納豆は食べたことがないのです。比較的好き嫌いの少ない私だって人には言えませんが嫌いなものがあるのです。私の場合胆のうを手術してから極端に少なくなった食べ物がお肉です。若い頃からそれ程好きなものではないにしても食べることは食べていましたが、今は自分から進んでは殆ど食べないのです。妻はそのことを気にして、カレーやシチュウに入れたりしてまるで好き嫌いの激しい子どもをあやすようにして食べさせようとするのですが、どちらかというとベジタリアンなのです。

 少し肥え気味の妻は傍で見ていると、確かに主食は余り食べませんが間食をよくするようです。私が旅先でお土産に貰ってきたものは箱に賞味期限をマジックで書き適当に食べていますし、飲み物も私よりよく飲みます。リタイアした私へのあてつけでしょうか、そのことを指摘すると「働いているのだからこれぐらいは食べないと体が持たない」などと理由をつけて食べています。さすがに最近は健康診断でコレステロールを指摘され9時を門限と定めて食べないようになりましたが、お陰で少し体重がダウンしたようです。まあ肥満の第一の原因は食べ過ぎ、間食し過ぎ、脂肪・糖分の取り過ぎだと思うのです。

 さてもうひとつの原因は運動不足です。どこかで聞いた川柳に「ダイエット 犬の散歩で 犬が痩せ」なんてのがありましたが、私自身を考えても運動は極端に減っています。今朝から何歩歩いただろうかと携帯電話についている万歩計を見ると、朝からの歩数は僅かに4143歩です。朝は眠い、昼間は暑い、夕方は疲れると運動しない人は体を動かさないのです。私の場合は人間牧場が出来てから草刈りや野菜の世話、人との出会いで体を動かすことが多くなったものの、毎朝5時からシーサイド公園の掃除をやっていた昔に比べたら雲泥の差です。

 ある公民館の壁に貼り付けていた言葉に「少欲多施、少食多噛」というのがありましたが、その言葉に混じって体を動かすことの大切さを説いたものが幾つかありました。拳拳服膺しながら体にいいことは直ぐに実行する、体に悪いことは直ぐに止める、誰とは言いませんが太った人を見ながらそんな決意をした次第です。外は初夏、もう少し歩こうと妻の買ってくれたツバの広い麦藁帽子を被りあと5857歩、つまり今日の一万歩に挑戦です。

  「運動が 少し足りない そう思い 一万歩への 今から挑戦」

  「人のこと 気にせず自分 まず自分 いい聞かせつつ 少し早足」

  「食べたもの 果て何だった 早忘れ これで長生き できる訳なし」

  「酒止めて 幾分体 健康に 次は運動 体動かす」

 

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shin-1さんの日記

○人の噂も75日

 三日前机の上の手紙やハガキを整理していると、多くの友人から退職の挨拶状が来ていてその多さに驚きました。中にはこれまでの自分の成果を誇示するように沢山の出来事を虫眼鏡がないと読めないほど書いている人もいれば、「退職することになりました。お世話になりました」と短めの挨拶だけ書いている人もあって、あらためて「退職」という二文字の後ろに隠された人間模様の深さや広さを垣間見る思いがしました。

 そんな中から「定年退職」した後何も仕事をしていないAさん、「定年退職」したが関連の仕事についているBさん、二年も早く優遇措置で「早期退職し自宅で農業をしているCさんと、「退職」は同じでもそれぞれ別の人生を歩んでいる人にハガキを出しました。早いものでその「ハガキが届いた」と昨晩電話がかかってきました。

 定年退職後何も仕事をしていないAさん

 「いやあ自由はいいと一ヶ月は思いました。しかしその後生活のリズムが狂ったのか体調を崩して病院へ行ったところ、胃潰瘍と診断され二日に一回通院しています。好きな酒も医者から止められタバコは相変わらずやっていますが健康が気がかりです。風呂やパチンコもそうそう毎日行けるものではなく、自由は意外と不自由ですね。退職金が出たのを知ってか金融機関が毎日のようにうるさいくらいやって来て困りました。でも退職金を当てにして家を建てているので、繰上げ償還すれば半分くらいは持っていかれます。退職したら健康保険などの支払いで予想以上のお金が要るのに妻も私もビックリしました。

 定年退職したが関連の仕事についているBさん

 「毎日弁当を持って社会福祉の仕事をしています。これまで部下だった人から口では先輩と呼ばれながら、命令されるような有様でやってられません。それでも自分は退職した身だと自分に言い聞かせていますが、まあ責任が余りないので、毎日残業もなく6時には家に帰り、土日には妻とあちらへ行ったりこちらへ行ったり楽しい日々を暮らしています。給料が半分になって給料日の度に妻のため息が聞こえてきます。多分再雇用は2年程度なので次の身の振り方を考えておかないといけませんね。でもこうして働けるだけ良しとしないと・・・・」

 二年早く優遇措置で早期退職し自宅で農業をしているCさん

 「優遇措置で退職金上乗せという話しに魅力を感じ、加えてパソコンが使えないこともあって嫌気がさし思い切って辞めましたが、いやあ大変ですよ。無収入でしょう、ましてやわが家のような農業では儲かるはずがなく、辞めたことを少々悔やんでいます。でも毎日弁当を持って野良仕事に出かけ、真っ黒に日焼けして県公そのものです。外で働く妻のお陰で今は紐のような人生です。年金が出るまでにはまだ間があるし、子どももまだ学生なので金がかかるし、要は使わないことを第一義に隠忍の日々です。今年から自治会長が回ってきて、これがまた大変です」。

 三人三様それぞれの暮しを組み立てているようですが、電話の向こうから健康、経済、生きがい、人間関係、地域貢献、老後など様々な問題点が読み取れるのです。最後はAさんも、Bさんも、Cさんも異口同音に「人生を謳歌しているあんたが羨ましい」と言って長電話を切りました。

 確かに彼らが言う通り、私は羨ましいような生き方をしています。60歳で教育長を辞職して以来3年余りが過ぎましたが、それなりに健康だし、年金までどうにか食いつないで経済的には赤貧ほどではありません。夫婦・家族・親子・近所・友人などの人間関係もすこぶる良好です。人間牧場を中心に生きがいもそれなりにあります。地域貢献は人以上にやっているつもりです。老後もしっかりと見据えています。それもこれも健康と経済という2本の柱がしっかりしていなければ出来ぬことです。これからも彼らの道しるべになるよう生きて行きたいものです。

 人の噂も75日、そろそろ忘れられる年代になりました。

  「退職は 冥土の旅の 一里塚 ここから先が 最も大事」

  「退職を したら責任なくなるが 金が入らぬ 知ってか早期」

  「自由人 なって始めて 不自由を 感じるようでは 遅い気もする」

  「ああ人生 あっという間に 駆け抜ける 気が付きゃ後は 余命いくばく」

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shin-1さんの日記

○コンニャクイモの芽が出ました

 昨日も今日も予報だと雨で、今日も雨かと思いきや、今日は次第に晴れだして昼過ぎには上天気になりました。明日は長年私たち21世紀えひめニューフロンティアグループのパトロンとして、支援をしてもらっている関奉仕財団の関会長さんが藤原さんとともに人間牧場へ見えられるので、無様な姿を見せられないと思い人間牧場の草刈りに出かけました。昨日の雨の余韻を引きずっているため、少々の雨だったら合羽を着てやろうと決心し、合羽持参で出かけましたが、お陰様で合羽の世話になることもなく草刈りを始めました。

 ところが人間牧場全体で灯油の臭いがするのです。草刈機でもないしと思って風呂の焚き口へ下りてみると、灯油ボイラーと燃料タンクを結ぶゴム製のパイプが裂けてそこから灯油が噴出しているのです。先日灯油を満タンにしたばかりなのに、燃料タンクは殆ど空なのです。急いでタンクのコックを閉めましたが最早後の祭りでした。水平線の家に引き返し電話番号簿で索引して携帯電話をかけました。運良く社長が電話に出て直ぐに修理に行くからと快い返事でした。

 私はそれまで頑張ろうと草刈機で辺りかまわず作業を進めました。古くなった草刈機ですが何故か絶好調で、特に今日は草が昨日からの雨でぬれていることもあって切れ味抜群で仕事が随分片付きました。

 昼前給排水設備会社の社長は人間牧場へやって来ました。実はこの灯油ボイラーは元をただせばこの社長がくれたものなのです。五右衛門風呂を造り薪で風呂を焚く計画までは順調だったのですが、薪の調達や風呂を沸かす時間のことを考えると、薪と灯油ボイラー兼用にした方が効率的と考え、新品ではなくどこか中古品はないか探していました。すると顔馴染みの社長が取り付け工事代だけでタダで譲るというのです。中古なので故障しても保証しないという約束でしたが、これは立派なお下がりでこれまで何のトラブルもなく働いてくれました。しかし燃料タンクの足は腐り、ゴム製パイプも劣化していて心配はしていましたが、まさかこんな事にあるとは夢にも思わなかったのです。

 修理は30分ほどですみ、ゴム製パイプは真ちゅう製パイプに新しくなりました。もう大丈夫です。修理代は仕方がないとしてまずは一安心です。これで明日は足湯のサービスが出来そうです。

 社長が帰ってからも草刈りは午後3時頃まで続けました。お陰様で先日梅畑の草を刈っていたので、一通りは全て草刈り完了です。

(ツリーハウスの横の畑に仲良く並んで芽吹いている蒟蒻)

 ブルーベリーの畑も今年から始めた蒟蒻畑も草に覆われ、何処に植えているのか分らないほどになっていました。こんなことを想定して竹の杭を立てていたので、草引きもスムースに行いました。ブルーベリーは今年の春植えただけなのに何粒か実がなっているものもあるようです。蒟蒻は10個植えた芋が全て芽吹き、まるでキリンの足のような斑な茎がニョキニョキ出ていました。

(蒟蒻は世にも珍しい格好をしています)

 コンニャクイモは収穫するまで3年はかかるそうですが、今年植えた種芋は2年ものなのでもう一年辛抱してコンニャクイモも命のリレーをしなければなりません。大事に育てて蒟蒻作りにも挑戦したいものです。

  「パイプから 燃料こぼれ 大被害 環境汚染 最小食い止め」

  「えっこれが 蒟蒻になる 嘘ほんと それでは豆腐 どんな格好」

  「中古品 やっぱりタダは 要注意 それでも社長 誠心誠意」

  「さあこれで お客迎えの 支度終え 後は真心 誠心誠意」

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shin-1さんの日記

○愛でられぬ花

 本格的な梅雨となって昨日は朝から夜まで一日中雨でした。「天に向ってブツブツいうな、雨の日には雨の日の仕事がある」と思っている私は、まるで雨の楽しみ方を知っているように楽しく過ごしているのですが、それでも戸外に出れないと何となく運動不足になったような気がして、昨晩は寝る前布団の上で柔軟体操をやりました。若い頃公民館で習った「命の貯蓄体操」は、全てでなくても幾つか組み合わせ、自分流の体操として今でもずっと続けていいます。お陰様でこの歳になっても周りの人が驚くほど股はよく開き、自分はまだ若いし健康だと信じきっているのです。私に比べ体の硬い妻は股など殆ど開かず、何度か挑戦したものの諦めてしまいましたが、次男は演劇集団「イリュージョン」に所属し、ダンスや振り付けなどを指導していた関係上毎日風呂上りの柔軟体操をやったお陰でずいぶん体が柔らかくなったようです。それでも股の開きは私の方が一枚上なのです。

 書斎の窓から見える庭の隅々には庭木の下に、雨を吸った雑草が随分生えてきました。この雑草もビオトープだと思えばよいのでしょうが、やはり日本庭園ですからそれなりに雑草を抜かないと、配置した石も庭木も映えないので、雨でも上がった引こうかと思っています。

 その雑草に混じって白い花びらが咲いています。ジュウヤクの花です。先月草削りをした折、綺麗に取り除いたはずなのに、したたかに根は生き続けその後鼻目を出したのでしょうが、まるで水芭蕉のような雌しべを出して可憐に咲いています。ジュウヤクもこの庭では雑草であり、間もなく引き抜かれる運命にあるのですが、雨を楽しむための一趣として傘を差してデジカメ片手に庭へ出て、一枚写真に収めました。

 季節は巡り県内のあちらこちらからはバラや菖蒲の花が見頃だと新聞、テレビで報じていますが、これほど素敵な花なのに、ジュウヤクの花などは見向きも報道もされず、ひっそりと咲きひっそりと枯れてゆくのです。「ああジュウヤクの花よいとおしい」と思う私は、一風変わっているのでしょうか。

 パソコンにジュウヤクの写真を取り込み「ジュウヤクの花」と書いたつもりが、ジュウヤクは重役と変換されて驚いて手直ししました。「重役の華」と変換すれば社長や専務、部長といったどこか偉い人を連想しますが、ジュウヤクは薬草なのです。

 ジュウヤクは10の薬効があることから十薬とも書かれ、一般的にはドクダミとも呼ばれています。私たちの町でもこの効能を信じて毎年この時期になると野山にジュウヤク取りに出かけ、刈り取ったものを陰干しにして煎じ茶にして愛飲している人がかなりの数いるようです。お茶にすると独特の臭みも消えて薬だと思って飲めば結構飲めるようです。薬局ではジュウヤクはかなり出回っていて東洋医学の代表選手のようでもあります。

 ジュウヤクの花を見ていてふと思ったのですが、四枚の花弁が上から見ると漢数字の十に見れ、十薬とよぶのかも知れないと思ったり、どこか十字架花とでも名付けたいような気持ちになりました。

 「愛でられぬ花」はスマップが歌って大ヒットした、「世界にひとつだけの花」のようでもあります。ここだけにしかないオンリーワンを誇るように咲いているジュウヤクの花にあやかり、私もオンリーワンの花を咲かせたいものです。

  「庭の隅 人知れず咲く ジュウヤクの 花に思いを 寄せる雨の日」

  「ジュウヤクを 重役変換 パソコンに 臭い匂いを 感じて直す」

  「この花は 上から見ると 面白い 花弁十字か 十字架似たり」

  「ドクダミの 煎じたお茶を 飲んでいた 祖母の姿を 思い出しつつ」   

 

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shin-1さんの日記

○優しい妻にご用心

 私の妻は私よりひとつ年下の62歳です。正式には11ヶ月しか違わないのですが、どちらが先に死ぬか分らないのでまあそんな違いは五十歩百歩といったところでしょうか。若い頃はもう少し若い人の方かよかったと少々悔やんだこともありましたが、それでもこの顔ですのでよくぞ私を選んでくれたと、妻に感謝の日々なのです。特に公民館やまちづくりなどに熱中し若い頃は殆ど家にいない駄目亭主であったにもかかわらず、年老いた祖母や父母の面倒を見ながら4人の子どもを育て、仲間から言わせると神棚に祀りたいような出来た妻だといってくれるのです。

 その妻が最近、前にもまして何処となく優しいのです。そんな折、「妻が優しい時はご用心」という本を読みました。妻が優しい時は「何か後ろめたいことがある時」「何か欲しいものがある時」「相手の体が心配な時」などなど、まるでこちらが妻に優しくしてとりなそうとする時と一緒であると苦笑いしながら読みました。しかし後ろめたいことも、欲しいものがある訳でもないし、ましては私の健康状態もこのところすこぶるよいので、思い当たる節がないのです。

 昨日は仕事を終えて帰った妻から「温泉へ行かないか」と誘われました。畑仕事で疲れていたので本心は行きたかったのですが、原稿の締め切りが今日までのがあり、昨日中に送らなければならないため断りましたが、妻はそそくさと一人で出かけて行きました。夕食の準備を済ませ午後6時に家を出た妻は午後8時過ぎに帰って来ました。湯上りの香りがほのかにする姿でです。先に食事を済ませていた私は原稿書きを途中で止め妻と居間でテレビを見る事にしました。

 「はいお父さん。ちょっと早いんだけど父の日のプレゼント」といって、元気人村という温浴施設の入浴券を30枚もくれるのです。そして夏が近づいてくたびれていたサンダルをくれました。「益々怪しい」と思うのは当然かも知れません。「えらい優しくなって気持ちが悪い」といいながら「明日は雨でも降らなければいいが」と茶化して見せました。いったとおり案の定今日は朝から雨ですが、この優しさは何なんだろうと不思議に思うのです。

 「ひょっとしたら」と強いて思い当るのは、私の健康かも知れません。最近葬儀などの仏事が多く、四月には伯父が亡くなりました。また友人の子どもが若くして亡くなり健康の大切さを思い知らされました。私は胆のうの手術をして以来2ヵ月毎に病院で定期検査をしています。長年一緒に暮らしていると連れ添いの体の調子がどんな具合かは分るものなのです。この2ヶ月妻は更年期はとっくに過ぎているのに、まるで更年期のような不調に悩まされ、風邪引きが抜けず2ヶ月間も続いたのです。昨日はその暗いトンネルから脱出できたからかも知れないのです。加えてその間妻のマッサージを優しく?してやりました。嬉しかったのでしょう。

 まあ優しいことに越したことはなく、甘んじてその優しさを邪推することなく受け入れることにしました。人間不思議なもので優しくされたら優しくしてやりたいものです。私たちもそろそろ夫婦がいたわって生きる年代になったということです。リタイアで降ろした荷物がまた元通りになってしまいすっかり忙しくなってまたまた駄目亭主のレッテルを貼られていますが、少し荷物を軽くして緩やかな老いへの道を夫婦で楽しみながら歩きたいと殊勝にも思った次第です。

  「優し過ぎ 何か魂胆 ありそうな 邪推を捨てて 妻に感謝を」

  「父の日を 先取りされて プレゼント 母の日何も しない私に」

  「お互いが いたわり暮す これからは そんな気になる 歳になったか」

  「明日は雨 予測の雨が 本当に やはり気になる 優しすぎます」

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shin-1さんの日記

○探し物の多いこの頃

 「免許証がない?」。昨日の昼過ぎ車に乗る時、自分の背広のポケットに入れているはずの免許証が見当たらないのです。居間や書斎など置きそうな身の回りを探しましたが一向に見つかりません。携帯電話だと家の電話で呼び出せば居場所が分るように着信音が鳴るのですが、免許証ばかりはそんなことも出来ず、さてどうしたものかと思案しました。「迷ったら元の場所へ戻れ」とは親父の口癖なので、ジャガイモの収穫をした場所へ行きました。すると野外東屋の机の上に免許証がポツリと置かれていました。「そうか、鍬でジャガイモを掘り、掘ったジャガイモを運ぶためポケットに入れた免許証が痛んではいけない」と、ちょい置きしたのを思い出しました。作用が万事このように、まるでアルツハイマーか認知症になったようで、探し物が多いこの頃なのです。

 この原因は一体何かと考えてみましたが、どうも近頃忙しくて身の回りの整理整頓が出来ていない事に気がつきました。書斎を見渡すと机の上は書類の山、机の下も書類の山で足の踏み込む場所もないほど整理整頓ができていないのです。そうだこの際綺麗に片付けようと掃除を始めました。私の掃除は簡単で書類類を要るものと要らないものに分けて、要らないものを捨てれば済むのです。でもその見極めが難しく、捨てると決断するのに時間がかかるのです。「あっ、こんな所にこんな物があった」などと読み返していると、ついつい捨てられなくなって元の鞘に納まるのです。

 私が一番捨て難いと思うのはハガキや手紙類です。私は毎日三枚のハガキを書くことを日課にしているため沢山のハガキや手紙が届きます。一ヶ月も貯めると山のようになるのです。特に4月は異動の季節で沢山の退職通知や転居通知が届いていて、住所録整理が追いつかないのです。仕方なくこれもうず高く積み重ねてしまうのです。整理整頓のコツは捨てることと分っていても、「勿体ない世代」に属する私は中々その決断が出来ないのです。

 昨日掃除をしていて嬉しいことがありました。紙類の中から祝儀袋が出てきたのです。祝儀袋といっても熨斗や水引のついたものではなく、簡易な封筒形式の物なのですが、中を開けて見ると何と9千円が入っていました。表書きがないのでどこでいただいたかは定かでないのですが、多分どこかの講演会場で講演お礼にいただいたものでしょうが、その日の資料の中に紛れ込んでいたのです。普通だと紙ごみとして出されたり畑の隅で焼却処分される運命にあった9千円は私の嬉しい所得となりました。本来なら妻への申告が必要なのでしょうが、そんなに申告を深刻に考えず私のポケットマネーに収まりました。目出度し目出度しです。

 紙類と同じように最近は電子文字の整理も煩雑になってきました。自分で書いた文章なのにハードディスクの整理が悪いため、文章を探すのに一苦労です。でもないと諦めて新しい文章を書く方が新鮮な事だってあるのです。最近はパソコンの記憶をいいことに、前回や前年に使った資料を焼きなおして使うことがよくあります。それは何も私だけではなく、公文書でも明らかに昨年の起案文書を直して使っているような手紙が時々届きます。直し忘れでしょうが、「第○○回」とか「○月○日(金)」「○○時から」などの間違いが多く、時にはとんだハプニングさえ起きるのです。

 物忘れ、それは歳のせいもあるでしょうが、基本は整理整頓さえしていればある程度の物忘れはカバーできるようです。大切なもの故大事にしまい忘れることだってあるのです。私のように目出度しになればいいのですが、無くしたものが全て手元に戻るとは限りません。しっかりと肝に銘じて探し物が少ない日々を過ごしたいものです。

  「紙ごみの 中から祝儀 見つけたり 妻には内緒 言っちゃ駄目だ」

  「歳のせい? それとも私 認知症? この頃ど忘れ 多くて困る」

  「眼鏡何処? かけてることを 忘れてる 親父笑って 俺も笑われ」

  「これからは 綺麗にするぞ 思いつつ 毎回同じ 進歩がないね」 


 

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