shin-1さんの日記

○顔も背中も自分で見れないものだから

 ~前号からのつづき~

 ⑤コンプレックスを持たない

 顔に自信のない人は何かとコンプレックスを持つものです。美しい人でさえあそこがここがと、気に入らない部分を探して美容整形するようで、豪腕な美容整形の先生の手にかかると、昔の顔は何処に行ったの?と思うほど変容するそうです。美を求めて止まない人間の嵯峨とでも言うべきでしょうが、コンプレックスの固まりのような人は対人関係も悪いようです。

 ⑥顔の状態が精神の状態をつくる

 顔は、目は心の鏡といわれるように、顔の状態が悪いと心まで悪くなり、ついには病気になってしまいます。一概には言えませんが、私自身病人となって入院した時、鏡に写った自分の顔はまさに病人のような顔をしていました。退院の日の顔の何とすがすがしかったことでしょう。顔に笑みを浮かべると心も笑みを浮かべたような状態になるものです。

 ⑦目と目の間を広げる

 眉間にシワを寄せる人がいます。自分でも怒った時は眉間にシワが寄って狭くなります。目と目の間を広くするような気持ちになると顔は温和になります。

 ⑧口と歯で美しく笑おう

 口を広げて歯を見せ笑うことはお行儀が悪いと昔は咎められました。故に女性は手を口に添えてウフフ笑いが上品とされました。しかし喜怒哀楽の喜楽を顔で表現する方が楽しいと思うのです。笑う門には福来るです。いつも笑みを絶やさず口と歯で笑いましょう。入れ歯だって気にすることはないのです。

 ⑨左右対称の顔相になる

 悪役の人の顔は左右のバランスが崩れています。つまり鏡を見て左右のバランスが崩れている人は悪い人間に見られるから要注意です。

 ⑩いい顔、楽しい顔は人に伝わる

 どうやらいい顔、楽しい顔は人に伝わるようです。自分の家で誰かが落ち込んだ顔をするとみんなが暗い顔になります。何年か前県が提唱して「太陽のお母さん運動」というのがありました。家庭の源であるお母さんが太陽のような心を顔に出して家族、特に子どもに接すれば、子どもたちは太陽と旅人の童話のように自分のマントを脱ぎ捨てるのです。

 私はこれまで自分では見れない自分の顔を何度となく鏡で見てきました。しかしそれ以上に不特定多数の人が二つの目で私を見続けてくれています。昨日も500人を超す人の中に身を投じましたが、「あら若松さんお元気」とか、「久しぶりですね」と何人もの人が気軽に声をかけてくれました。それは美しく見せようと肩肘張っていない自然体でいるからかも知れません。

 昨日嬉しいい事がありました。金銭教育で三津浜幼稚園へお話に行ったことを覚えていた若い女性がいて、試食交流会で立ち話となりました。私の講演の中ではわが子育ての失敗談を話していますが、ある人が同じようなことを失敗し同じような対処をしたという話しをしていたらしく、話に花が咲きました。嬉しい反応にお互い思わず顔がほころびました。その若い女性の素敵な笑顔が昨日はずっと心の中に残像として残りほのぼのとしました。

  「今日からは お化粧品など 金かけず 笑う訓練 美人になるよ」

  「美人とは 顔や形じゃ ありません コンプレックス 持たず生きよう」

  「お光を 幾ら着けても 生まれつき 豚に真珠と 人は悪評」

「俺の顔 親父おふくろ 合作品 息子娘も 夫婦合作」  

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shin-1さんの日記

○顔も背中も自分で見れないものだから

 鏡を使わない限り、自分お顔も背中も自分で見ることはできません。故に人間は水に写った自分の顔を見て驚き、それと同じように顔が写る鏡を発明したに違いありません。古墳から出土する銅鏡などはその最たる物で、見えにくいものの当時はかなり位の高い人でないと持てない物だったようです。時代は移り江戸時代になると外国から鏡が輸入され庶民の暮らしに広がって行き、今は高校生のバックにさえ顔がスッポリ入るほどの大きさの鏡が入っているのです。しかし人間はよくよく欲の深い動物で、見えないはずの体内まで見てしまおうとレントゲンやファイバースコープなどを発明し、病気の治療に役立てているのです。

 さて、人間は誰でも顔を持っていますが、童話に出てくるように「鏡よ鏡よ鏡さん」とばかりに、飽きもせず毎日自分の顔を鏡に写し、特に女性はそれなりの顔をより以上に見せるため、内壁、中壁、外壁と塗りたくり、まるで仮面をつけた別人と思われるように、様々な努力を死ぬまで繰り返しているのですから、考えてみれば悲しい動物としかいいようがありません。時にはこんな顔に産んだ親を憎んだり、最近まで女性の専用だったお化粧を男性さえもするようになって、益々顔の行方が気になるようなのです。しかしわたし等は「そんな暇があったらもっと別のことをすればいいのに」とも思ったりするのです。

 昨日はコープえひめの総会で美し過ぎるお姉さんを沢山見過ぎて、中々寝付かれませんでした。今朝は早く起きて書斎で読書とラジオを楽しみました。ラジオから偶然にも顔の話が流れていました。「顔を美しくみせる法」だそうで、化粧のことかと思いきや心がけ次第でいい顔になるというのです。思い当たる幾つかをご紹介しましょう。

 ①自分の顔を好きになる

 自分の顔に自信が持てなくて何で人に見せられるのでしょう。人の顔は千差万別、世の中いい顔をした人は希なのに、映画やテレビの出現によって、一応美人という基準がみんなの頭にイメージされてしまいました。小野の小町や楊貴妃などの噂はありましたが、いつの間にか山本富士子や藤原紀香が美人の代名詞になったのです。生まれてから死ぬまで付き合う自分の顔を好きになることは、顔を美しく見せる第一歩かも知れません。そういう意味でブスの代名詞のように言われていても、自分の顔に自信を持って生きている人は沢山いて、それなりに輝いてむしろそれを武器にして生きているのです。

 ②人に見られる緊張を持つ

 人間は多くの人とともに生きています。自分は二つの目でしか他の人を見れないのですが、自分は人数×2の無限大とも思われる目で見られているのです。見られているという意識は、より美しく見せたいという気持ちを生みます。こうして常に見られているという緊張が心の中にあると、スッピンのままパジャマやネグリジェでウロウロすることはないと思うのです。昔は車がなかったから身なりを整えて外に出ていました。ところが車の普及によってパジャマのまま目的地へ行く事だって出来るようになると、もうゴムが切れたパンツのようなものです。人は見ていないようで見ています。そして粗を探して自分の優位性を確認し、時にはその粗を小声で人に告げるのです。緊張は大事です。

 ③人に褒められると美しくなる

 世の中には腐し上手な人もいれば褒め上手な人もいます。腐せば腐すほど人は卑屈になってその人のことを敬遠し嫌いになりますが、褒められれば褒められるほどその人に好感を持ち好きになるものです。褒められるような人間になる第一歩は人を褒めるような人間になることです。猿の実験でも叱って教えると服従しますが覚えにくいようで、褒めると直ぐに芸を覚えるのだそうです。「こんな顔の何処を褒めるの」とお思いでしょうが、陽とに褒められた時の顔は何ともいえず美しいものです。

 ④人と違う個性を見つける

 顔は十人十色好き好きがあるのです。だからみんなそれなりに結婚しそれなりに生きて行けるのです。私のような醜いアヒルの子でも見方によれば個性があり、オンリーワンなのです。最近わたしは友人が書いてくれた似顔絵入りの名刺を持ち歩くようにしています。これは他人が私を見て書いてくれた個性です。よく特長や個性を掴んでいると名刺と顔を照合しながら離してくれます。時には実物の方がいいとか、似顔絵は出来過ぎとも批評してくれますが、人それぞれの見方もまた私の個性なのです。

   ~次号へつづく~

  「自分顔 好きになってと 人がいう 味のある顔 寅より上だ」

  「こりゃどうだ 顔も洗わず 化粧せず パジャマウロウロ 女コンビニ」

  「誰も皆 ほめられ人は それなりに 悪い気もせず 少し自信が」

  「オンリーワン 褒めているのか 腐したか どっちにとるか 自分次第で」  

 

 

 

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shin-1さんの日記

○コープえひめ第4回通常総代会に出席しました

 この2年間有識理事として関わったコープえひめの通常総代会が、県民文化会館のサブホールであり出席しました。2年前は驚きの連続だった総代会でしたが、自分の気持ちの余裕ができたのか、それとも総代会が変化したのか分りませんが、気を引き締めて参加しただけに少し拍子抜けがするほど静かな総代会となりました。

(立派な県民文化会館ロビー)
(県下各地から集まった総代さんの受付風景)
 有識理事とはいいながら何が有識理事なのかも分らぬまま、他の理事さんと共にサブホールの壇上に居並び、役割分担に沿ってテキパキとこなす女性理事さんを頼もしく思いながら、約2時間半傍観に徹しました。私が参加する集会に限って言えばコープえひめは完全に女性社会であり、私たち男たちは理事長さん、専務さん、それに常任理事さんを除けば完全に蚊帳の外でいれて大助かりです。

(ブロックごとに並んで座る参加者の皆さん)

 それでも分りやすい議案書に沿って事業報告、決算報告、剰余金処分、事業計画、予算などが承認され、改正生協法の成立・施行を受けた定款の改訂についても原案通り承認されました。総代会では賛成と反対を紙を上げて意思表示し、地区毎にその数をカウントして最後に報告するような方法がとられており、反対への意思表示もしっかりできるようになっているのです。

 参加する総代さんにはあらかじめ発言のための「わたしの想いカード」が配られ、送られてきたそのメモを精査して10人の人が選ばれて意見を述べ、その意見に対して理事が陳述するようになっています。専務さんも理事さんも手短くテキパキと答え、スムーズに事が運びました。

 そんな中で私の心に残ったのは、西条西ブロックの近藤和恵さんの発表でした。

 前略「ところで、きゅーりの真っ直ぐなのと曲がったのが並んでいる時、みなさんはどちらを買いますか?。真っ直ぐな方に手が伸びるでしょう。きゅうりは成長途中で曲がってくるんじゃあないんです。花の時から曲がっています。ですから味が変わらないのに小さい時に捨ててしまうんです。

 ほうれん草はチッソ成分が多ければゆぶゆぶと色も濃く育ちます。見かけもきれいで、早く収穫できますが、茎、葉の中にシュウ酸が残ります。これが「あく」といわれるものです。人の身体の中に入ると石ができやすくなります。胆石、腎臓結石などです。野菜も人間の成人病に似た症状があります。そういうものは食べてもおいしくありません。

 皆さんのご近所にも、こだわりの農業をしている変人がいらっしゃると思います。そういう人を応援していくことが地球温暖化防止になり、めぐりめぐって10年後、20年後の日本の、私たち自身の食糧確保につながっていくことになると確信しています」後略。

(真珠の間での試食交流会)
(大川理事長さんもテーブルを回って総代さんや来賓の方と親しく懇談されていました)

 近藤さんの話しを聞きながら知らなかったことを知り、異業種から学ぶことの意味を改めて教えられました。

 午後はお楽しみ試食交流会がありましたが、これまでのような激しさも見られず穏やかな昼食となりました。

(ピンクのエプロンを掛けて皆さんのお世話に徹していた理事さんたちのお陰で、試食交流会もスムースな運営ができました。どう私たち若く見えるでしょう。はい、とても若く素敵です)

  「和やかな 年に一度の 総代会 女性パワーも 少々湿り」

  「痩せたいと いってる割に 皿の上 山盛り取って 痩せるはずなし」

  「親しみが もてる顔です 私は 気軽に声を 掛けられどうも」

  「その昔 食べれば元気 今違う 喰わぬが身体 健康秘訣」 


 

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shin-1さんの日記

○「さる」の教え

 今や世界遺産になっている日光東照宮、ご存知のとおり徳川家康をお祭りしている神社です。徳川家康は三河岡崎城で生まれ、戦国乱世を平定し幕藩体制を確立、江戸時代260年の基礎を築きました。家康は駿府城で75歳の生涯をおえていますが、久能山に埋葬された一年後遺言によって現在の地に移されたたそうです。私は若い頃何かのついでに行ったような記憶があるのですが、煌びやかな陽明門などが記憶に残っているもののはっきり覚えていないのです。栃木県日光から比べるとはるかに近い広島県瀬戸田に西日光と異名を持つよく似たお寺があって、むしろ何度も訪ねているこのお寺の記憶の方が鮮明なのでダブっているようです。

 日光東照宮の境内に神厩舎というのがあります。ご神馬をつなぐ厩です。昔から猿が馬を守るとされているところから長押上には猿の彫り物が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも見ざる・言わざる・聞かずの三猿が有名で、何かにつけて引き合いに出されるため、知っている人も多いようです。

 昨日大学の講義を終えて帰り、くつろいでいるとわが家のチャイムが鳴りました。着替え中だったこともあって「少々お待ち下さい」と大声で叫び玄関に出ました。すると50歳がらみの見知らぬ夫婦が立っていました。「突然で恐縮ですが、ちょっとお聞きしたいことがありましてお伺いしました。近所で聞けば若松さんは双海町の事だったら何でも知っているらしいのですが、実は息子が結婚することになりそうなので、行く当てもなく調べに来ました・・・・・・。」と切り出すのです。その方は栃木県に住んでいるらしく、息子さんが東京で知り合った双海町出身の女性と恋仲になり、親に結婚したい旨の相談があったそうです。しかし縁もゆかりもない愛媛県のことゆえ、どうしたものか思案した挙句、飛び込みのような形で双海町へやって来たというのです。それとはなしに娘さんの家を探し当てましたが、内情は聞くに聞けずうろうろしていたら、シーサイド公園であるおばさんに会ったそうです。そのおばんさんはその娘さんの家のことを知らなかったようで、丁寧にも「双海町のことだったら若松さんにお聞きなさい」と、まあこんな具合でチャイムを鳴らしたようです。

 はてさて、あなただったらどう対処しますか?。普通滅多なことは言えないと、栃木県日光東照宮の猿の彫物のように「見ざる・言わざる・聞かざる」で通せば問題はないのですが、お節介な私は「まあお茶でも」とお茶まで出して話しを聞きました。私は人権教育を受けているし、人権教育をした人間なので、慎重に言葉を選び、そして人権教育の立場からお話をさせてもらいました。幸いご両親やそのご家庭のことは知ってたので、身の上調査にならないよう配慮をしたのです。

 この場合ある部面では「見ざる・言わざる・聞かざる」を貫くことも大切です。でも結婚はあくまでも若い二人の幸せを第一に考えなければならないので愛の深さについても「見るぞう・言うぞう・聞くぞう」で望むようお話しました。その娘さんがどんな家柄でどんな町の人かなんてことは、二人の愛の深さや強さに比べたら些細なことなのです。その娘さんは私もよく知っている人だったので幸せに結婚できるよう両親の胸のつかえを取ってあげました。お二人は明るい笑顔で帰って行きました。降って湧いた栃木県日光からのお客さんは、私に猿の教えを残して去って行きました。

  「ピンポンと チャイムを押して 知らぬ人 唐突話す 結婚話」

  「あの人に 聞けば何でも 知っている いわれる私 どうすりゃいいの」

  「東照宮 猿が三匹 彫ってある 見ざる言わざる 聞かずの教え」

  「目も口も ましてや耳も ある身ゆえ それを上手に 使うは知恵か」

  


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shin-1さんの日記

○塾の立ち上げ準備

 人間牧場での塾活動がいよいよ始まりそうです。というのも人間牧場を作った時、かつて10年間で40回のフロンティア塾のようなものをつくりたいと思っていたものの、リタイアしたにもかかわらず私の日常が余りにも忙しく、向こうが見えにくかったため伸び伸びになっていました。しかしそこら辺の飲み込みも一応できたので、そろそろ始めようかと思っていました。人間牧場を作った折、もし塾を開くのなら私が第一号とばかりに名乗りを上げ、申請書まで持参した人がいます。関西汽船に勤める浜田久男さんです。彼は不思議な人で、子どもの頃お父さんの仕事の関係で旧下灘村日喰に住んでいました。その後のことは不祥なのですが、今は民俗学者宮本常一の足跡をたどることをライフワークにして、その生き方を研究しているのです。アカデミックな凄い読書家で、私も彼から沢山の宮本常一に関する情報を得てきました。たまたま人間牧場の眼下に宮本常一の生誕地である周防大島が見えることも、彼が人間牧場に興味を示した大きなきっかけなのです。

 私はこれまで3年間、別に意図があった訳でもないのですが彼の塾生第1号希望を無視し続けてきましたが、それでも彼は足繁く人間牧場へ通い続けているのです。先日地域試政策究センターの清水研究員と松本研究員が浜田さんと一献盃を交わしたらしく、その模様を三人三様酔いたんぼの声で電話してきたのです。「機は熟したからそろそろ浜田さんを門下生に」という懇願でした。開塾となるとそれ相当な準備をしなければなりません、先日長崎へ行く途中で乗った松山観光港~小倉間のフェリーの中で坂本龍馬の船中八策ばりに、色々考えてみたのです。そのことについては志ある人に示すとして、浜田さんを塾生第一号にすることを決めました。

 さて一号で始まり一号で終わるかも知れないようでは芸がないと思い、日頃からこのことについて話している清水さんと松本さん、それに弓削島に越してきた兼頭さんと馬路村の木下さんを加える事にしたのです。このことがパソコンネットで流れて、菊間の大河内さんの耳に入り、強烈な入塾へのアピールがありました。早速返事を保留していましたが、あらかじめ用意していた名札用の板に、塾生の名前を書かなければならず、「夕やけ徒然草」出版の折、題字をお願いした伯父に名札を書いてもらうよう依頼したのです。伯父も体調が優れず高齢のため嫌がりましたが、シブシブ引き受けさせました。昨晩出来たから取りに来るように連絡があり、大学の講義日なので途中立ち寄りました。あいにく病院通いのため留守でしたが、机の上に置いているとの託けだったので、受け取ったものの文字が違うのです。塾という字の下の土が抜けているのです。困ったと思いつつ、病院から帰る頃を見計って家に押しかけ、間違った部分を書き直してもらいました。病院から帰った直ぐのドタバタだったので、これまた間違いがありまあ大変でした。

 持って帰って気がついたのですが、何とその名札に大河内さんの名前が既に書かれているのです。多分私が一昨晩書いた原稿に大河内さんの名前を、無意識のうちに書いていたのでしょう。大河内さんについても断る理由もないのですんなりことが運びました。

 さて塾長はフロンティア塾での経験から私が務めますが塾頭には清水さんになっていただくようお話しました。

私の思案ですが、塾の目指す方向にある理想の人は二宮尊徳と坂本龍馬(ジョン万次郎を加える)それに宮本常一の三人です。故に塾生はこの三人の生き方を基本とするため、誰よりも詳しく学ばなければなりません。二宮尊徳は経済と愛国、坂本竜馬とジョン万次郎は行動力と夢や発想、それに運命です。また宮本常一は日本人の心と生き方、それに愛郷心です。

 さあいよいよ船出です。血が騒いできました。

  「入門を 願い三年 経ったので ここらでそろり 腰を上げるか」

  「達筆の おじに頼みし 名札書き 土書き忘れ 半塾未熟」

  「わが名前 まんざらでなく 手にとって 付けた親父に 感謝をしつつ」

  「人の書く 文字をあれこれ いうけれど 自分の文字は まるで落書き」 

 

  

  

 

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shin-1さんの日記

○過去と今を語るOB会

 私は26歳から39歳までの13年間教育委員会に勤め社会教育、とりわけ公民館に重きを置いた仕事をやりました。故に公民館関係者との交友が深く、今もその人たちと様々な活動を行っています。他の人は知りませんが、当時の私はこの仕事を終生の仕事と選び、プロに徹し思いを込めて仕事に打ち込んでいたように思います。ですから13年目に一枚の辞令で産業課に異動した時は一日中涙が出て止りませんでした。それでも様々なことを学んだ公民館をこれまた終生の恩人と選び、今も公民館の事だったらなにはさて置いても馳せ参じるようにしているのです。

 当時たもとを分かち合い、夢を語り合った人たちも年齢を重ね、一抜け、二抜けと去っていく姿を見ながら時の流れの儚さを思うのです。しかし老いや病気、それにそれなりの理由なら一抜けも納得できますが、公務員とは勝手なもので、自分が仕事の間は夢中になるのにその仕事を離れれば、「今まで言っていたことや行動は一体何だったのか」と思わんばかりに、「そんなの関係ない」的になって、私たちの視野から消えてゆくのです。

 社会教育もまちづくりも福祉も産業も、殆どの仕事はボランティアによって支えられています。ボランティア精神の必要性を仕事として説いただけなら、その人の仕事は給料のためだけだったということになるのです。公民館に勤めていた人が異動になって他部局へ変わったことを知らずその家へ電話したら、「私は公民館ともボランティア活動とも関係ない」と言って冷たく電話を切った話はそれを物語っているようです。

 昨日は公友会という公民館OBの会が催されました。道後にぎたつ会館に集まった参加者は12人で少し少なめでしたが、集まった人数など問題ではなく、久しぶりに懐かしい燃える人たちに出会い嬉しいひと時を過ごしました。欠席通知の中には病気や会議の都合で来たくても来れない人も沢山いて、コメントを寄せていました。

 近況報告では、誰もが過去と今を思いを込めてお話ししていました。中には今の公民館へのご意見や痛烈な批判もあって、衰えぬ毒舌に誰もが自分の人生や意見を重ねながら熱心に聞き入りました。しかし寄る年波とでも言うべきか、その話は過去と今の話が多く、残念ながら未来を語る部分は少なかったように思うのです。無理駆らぬ事ながら、残された余命をどう生きるか、それはとりもなおさず自分への問いかけでもあるのです。

 私は幸せな事に今は未来への夢を持ち、夢の実現に向って走れています。健康も今のところ問題もなく暮らしています。また人間関係もすこぶるよく、これといったトラブルも抱えていませんが、親父の加齢と妻の健康が気にかかり始めました。これまでどちらかというと自分だけの人生を思う存分生きてきただけに、これからは周りの人にお返しもしなければなりません。

 こうして過去と今を語る人の話しを聴きながら、今に自分もそうなる運命にあるのだろうかとしみじみ考えさせられた一日でした。

 この日私の提案で昨年卒寿を迎えられた岡島会長さんにご退任願うことにしました。20年間公友会をリードされ、私たちの星でもあり恩人だっただけにいつまでもと思っていましたが、やはり世代交代です。新会長に魚島村の佐伯元村長にご就任いただきました。岡島さんご苦労様でした。佐伯さんよろしくお願い致します。

  「懐かしい 人に出会いて 懐かしむ 懐かし話 記憶の彼方」

  「消息を 聞きつつ人は 老いるもの しみじみ思う 俺もそのうち」

  「ああそうか 過去があるから 今がある 今なき未来 ある訳もなし」 

  「恩人も ついに今年は 顔見せず 少し寂しく 体案じて」

  「

 

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shin-1さんの日記

○凡人の私でも論語から学ぶ

 この歳になると、落ち着いて本を読みたい心境になるのですが、逆に長時間本を読むと目が疲れてきて体に疲労がたまるようになりました。昨晩も本を読んでいると夢中になって、気がつけば時計は回り午前2時です。孫をトイレに連れて行くため起きた妻が、「お父さん、早く寝ないと体にさわるよ」と注意してくれました。それでもその言葉を「うんうん」とうなずきながら無視して午前3時まで読みふけりました。サンデー毎日の自由さがそうするのでしょうが、今日は朝起きるとさすがに寝不足のような気だるさを感じるようです。それでも読書によって何か体内に新しい知識が注入されたみたいで、読書の持つ魅力を感じています。

 私の場合は読書と文字書きを組み合わせているため、読んだ本の中から感じた部分を単語にしてメモします。丸写しだと自分流にならず盗作になりますので、極力単語を自分流に解説するようにしているのです。時に分らない部分はヤフーの辞書検索もしますが、それも全て書き写したりプリントアウトしたりはしないようにしています。

 昨晩読んだ本の中に論語が出てきました。論語は「論語読みの論語知らず」といわれるように昔から何かと引き合いに出されるものの、原本などは浅学な私には到底理解できず、解説本を読む程度なのです。論語学而編では天与の尊い道を「温・良・恭・倹・譲」という五つの言葉で表現しているようです。この五つの言葉は道徳真髄を表しているようですが、解説で「温」とは柔軟な義、「良」とは善良にして人を愛する、「恭」とは容貌、起居、動作などの敬虔にして篤実な事、「倹」とは他人を敬って他人に快感、満足を与える事、「譲」とは他人に対して当然自己の受くべき名誉、若しくは利益を譲り与える事と書かれ、シンプルな漢字一字も解説によって随分深みが出ると思う反面、解説に解説を加えなければいけないような迷い道へと入ってしまいました。

 まあ余り深いことを考えず、漢字の読み方そのままにポジティブに考えれば大体の意味は通じるのです。「温」は暖かい思いやりの心を持つことだし、「良」は良い行いをすればよいのです。「恭」は比較的馴染みの薄い文字ですが敬うことぐらいでしょうか。「倹」は読んで字の如く倹約です。「譲」も譲るですから相手に渡すことです。

 日々の暮しを反省してみると、言うは簡単ですが行いとなるとこれまた難しいものです。特に倹約は自分の暮らしの中で実行しなければならないし、譲ることも相手があることですから譲るものや地位名誉も対象となります。

 今朝は倹約について考えてみました。数日前部屋を掃除していて沢山ストックしていた紙ごみを焼きました。この量たるや半端なものではなく、キャリーに5杯分は処分したでしょう。本来ならこの紙ごみは分類して資源ごみに回すべきなのでしょうが、シュレッダーにかけなければならないような個人情報が多く、その分類をする暇もなく処分してしまったのです。もし私に資源ごみという意識があったら、日頃から廃棄紙ごみと情報処理ごみに分別していたらこんなことにはならなかったのです。一方では環境問題を語り一方ではこんな事もできないとはお粗末な話です。

 このところ、電気を小まめに消すこととつもり貯金を始めました。コーヒーを飲んだつもり、タバコを飲んだつもり、お酒を飲んだつもりで貯金箱に小銭をれて行くのです。ちょっとしたことですが、これが意外と貯まるのです。わたしはこんなささやかな小銭しか融通しかできませんが、「一円を笑うものは一円に泣く」の姿勢で人間牧場という大きな成果を得たことを思えば、これからもつもり貯金で自分の次なる夢を是非手に入れたいと思っています。

 

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shin-1さんの日記

○カブトムシの幼虫

 今年の梅雨は結構メリハリがあって、降る時と降らない時がしっかり区別されているようで、晴れと雨が交互にやって来て随分助かります。でもこれから梅雨の終わりごろになると雨の量も次第に多くなるので気をつけなければなりません。雨といえば二つのことを思い出します。ひとつは大雨による裏山の崩壊です。急峻な地形のわが町では雨が降る度に各地で土砂崩れが起こりますが、わが家でも例外ではなく覚えているだけでも3度も土砂崩れに見舞われ、5年前にはあやうく家が土砂に埋まりそうになりました。そしてその片付け最中にチェンソーで足を切り救急車の搬送を得て入院手術、車椅子の暮しを余儀なくされたのです。幸い大事だったのに大事に至らずどうにか回復しましたが、今でも時々右足の古傷を見る度に、当時のいまわしい大雨を思い出すのです。

もうひとつは高知県の雨粒の大きさです。隣県ということもあって、高知県の殆ど全ての市町村へ講演などでお邪魔していますが、その度に雨の洗礼を受けています。高知県には四万十川や安田川、仁淀川など全国にその名を知らしめている名だたる川がありますが、何度大雨に出会ったことでしょう。特に旧西土佐村と馬路村での雨との出会いは忘れられない思い出です。

 昨日は昼から孫朋樹がわが家に遊びに来ました。松前町での講演の後迎えに行ったのですが、最近は私の仕事が忙しく、中々出会わなかったのです。昨日は土曜日と重なってお休みだったのでお目当てのカブトムシの話で盛り上がりました。

 かなり激しい雨の中、田舎のオープンカーに乗って人間牧場へ行きました。朋樹のリクエストによるものです。というのも人間牧場赤とんぼの館の倉庫には、県庁職員からいただいたカブトムシの幼虫が、ポリバケツに入れられ養殖されているのです。孫はそのことがいつも気になっているらしく、電話の度に「カブトムシの幼虫はどうなっているの?」と訪ねるのです。晩秋に貰ってからもう半年が過ぎました。人間牧場へ行く度に蓋を開け中を観察するのですが気まぐれな幼虫はずっと腐葉土の中に潜んでいて、中々ご尊顔を拝せないのです。それでも時々幼虫が1~2匹表面に出ているのも見ることがあって、おおよその状況は逐一電話の向こうの孫に報告していたのです。

 昼なお暗い大雨の中を人間牧場に着いた私たちはポリバケツの蓋を開けて驚きました。17匹もの白い幼虫が表面に出ているのです。朋樹は「わあ~凄い」と思わず歓声を上げました。

 幼虫は間もなく成虫になるのでしょうか、以前より茶褐色を帯びてきたように見えるのです。「おじいちゃん、ウインナーみたいだね」と上手く表現した孫は、早速持ってきた虫篭にこの幼虫の一匹を入れて持ち帰りたいと注文しました。本当は触ってはいけないのでしょうが初めてのことなので、腐葉土を少し虫篭に移し、幼虫を一匹入れました。そしてその上からまるで布団でくるむようそっと腐葉土を掛け手やりました。雨が次第に激しくなってきたので早々に下山する事にしましたが、4WDの田舎のオープンカーに同乗した孫は大事そうに自分の膝の上に置いたままでした。途中西嶋さんの家でラッキョウを加工しているところに出会い美味しいビワをいただきました。またカブトムシの幼虫を自慢したくて妹のお店「くじら」にも立ち寄り、朋樹は知ったかぶりのカブトムシ談義を得意げに話していました。

 昨晩は私と一緒に寝ましたが、カブトムシの幼虫で興奮したのか、風呂にも入らず夕食が終わるとテレビの前で寝込んでしまいました。9時ごろ起して風呂に入れましたが、おとボケて泣きました。それでもカブトムシの幼虫と寝るのだといって、枕元へ虫篭を運んでやると嬉しそうに夢の中へ旅立ちました。

 間もなく暑い夏がやって来ます。電話の度に「カブトムシの幼虫はどうなってる?」と問いかけてくるでしょう。今年はスーパーでカブトムシを買わなくても済みそうです。男の子の虫に対する憧れはいつの時代も変わらないロマンのようです。

  「わあ~凄い 思わず歓声 ウインナー 上手い表現 孫は夢虫に」

  「枕元 虫篭置いて スヤスヤと どんな楽しい 夢を見てるか」

  「幼虫が 成虫になる 日も近し 少し黒ずむ 命の不思議」

  「雨などは カブトの幼虫 比べたら 目じゃないように ずぶ濡れなりつつ」

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○同級生の前で講演しました

 伊予市・伊予郡で合併するはずだったのに、砥部と広田と松前が抜け、伊予市・中山・双海が合併して伊予市となり、3年が過ぎました。広田と中山と双海は旧伊予郡の中でも過疎地域の弱小町村だったため、対等合併といいながら引きずられるような形で合併し、合併後も悲哀をなめるような気持ちになっているのが偽らざる気持ちのようです。そこへ行くと広田を巻き込んだ砥部と単独で残った松前町はそれなりに知恵を出し合い、前にもましていい町をつくろうとする機運が高まって、積極的なことが目立っています。特に松前町は中国四国最大級といわれる商業施設エミフルが誕生し、連日多くの人を集めているようです。

 そんな松前町で開かれているひまわり塾で話しをして欲しいとお誘いがあり、のこのこ出かけて行きました。今日はあいにくの雨でしたが会場となった文化センターの2階会議室には沢山の人が集まっていました。三年前までは同じ郡だったこともあって知人友人が多いのですが、この日は小中学校で同級生だった二人の馴染みの女性が参加していました。同級生の前で、ましてや女性の前で話すのですから何ともやりにくいのです。一人は洋子さんといって私の従兄弟です。学校で失敗したりして立たされたりすると、必ず親に筒抜けだったため最も嫌な相手です。ご主人の仕事の転勤先が徳島だったため、娘が徳島大学在学中、姉の娘と共にずいぶんお世話になったりしましし、年齢が一緒ということもあって、従兄弟では行き来の多い人なのです。もう一人は万寿恵さといって洋子さんと仲のよい同級生で松前町へ嫁いでいます。お互い六十の坂を越えていよいよ初老を迎えますが、男性の私に比べお世辞抜きで女ざかりを少し過ぎた程度で若く見えました。私も日頃大学生たちと出会うためか比較的若い心を持って生きているつもりなのですが、やはり女性の若さにはとてもかなわないのです。

 最初は二人を意識して話していましたが、直ぐにそのことを忘れ平常心に戻ってお話をしました。今日のテーマは「退職後の生き方」なので、私の最も話せるジャンルなので思いつくまま90分を越えてお話しました。特に人間牧場の話は何時もより多く話してしまったようです。

 松前町では生涯学習をこれまでのように教育委員会が丸抱えすることなく、自主的に発想し自主的に運営する方法に切り替えているようです。そうすることで自律や自立の心が生まれ参加者も会場いっぱい、しかもかなり意識の高い塾に育っていて、今日は第一回の学集会でしたが、講演後の意見交換も和気藹々で今後の成長が楽しみです。教育の終局の目標は自立ですから今後の成長を陰ながら応援しています。

 それにしても同級生とはいつになってもいいものです。私たちの育った小学校・中学校時代は戦後の混乱期を脱して、日本がいよいよ発展しようと船出する時代でした。子どもの数も多く学校も活気に満ち溢れていました。同級生の半分以上は高校へ進学しましたが、中学校を出ると集団就職列車に乗って都会の雑踏の中に消えた人もいたし、家の跡を次いで農業・漁業に携わった人もいます。この年齢になるとさすがに殆どの男性がリタイアし、女性もリタイアするような年齢の男性と結婚しているため、人生の岐路に立っています。ゆっくりと過ぎ越し人生をかたりたいと思いつつ、忙しそうにそれぞれの生き方をしています。洋子さん、万寿恵さんどうかお元気でお過ごし下さい。

  「会場で 何とばったり 同級生 少し心が 動揺しつつ」

  「それぞれの 人生生きる 同級生 健やか生きろ 夫と共に」

  「今頃は 食卓囲み 今日のこと 思い出しつつ 笑い転げて」

  「お互いに 六十路を越えて 生きてきた 笑顔と白髪 物語るよう」

 

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○お金の井戸と知恵の井戸

 昨日近所の顔見知りのおばさんが立ち話をしている井戸端会議に偶然出くわしました。楽しそうに話しているので「何の話?」と輪の中に入ってみると、どうも近所に住むお金持ちの人の話のようでした。その人は巨万の富とまではいきませんが、私たち貧乏人が羨ましくその人の収入を詮索すれば、貸しマンションを三十戸くらい持ち、年金を受け取っている分だけでも計算すると毎月の収入が百万円はくだらないというのです。そのご主人は私もよく知っている人なので、「別に綺麗な格好をして歩いているわけでもなく、そんなには見えないけど」というと、「お金持はそういうものなのよ。貧乏人に限って見栄を張る人が多い」と、中々の洞察力です。

 最近このお金持と思しき人が旅行に凝っているそうで、国内はおろか外国へも年に数回行くのだそうです。「だってお金は生きているうちに使わないとあの世へまでは持ってゆけないものね」「それにしても羨ましいわね。汲んでも汲んでも減るどころか増える、お金の井戸を持っているのですから」「私たちは毎日あくせく働いても、貧乏人のお金の井戸は直ぐになくなってそこが見えてますからねえ」と話が発展していました。

 「ほう、上手い表現だな、お金の井戸か」と思う矢先、ひとりのおばさんが、「ところで進ちゃん、人ごとではなくあなたもお金の井戸をもっているから羨ましい」と、いきなり矢が私に飛んできました。「えっ私もですか」。「そうよ、あなたもあんな広い立派なお屋敷に住んで、毎日講演三昧でお金ががっぽがっぽ入って、お金の井戸があるのですから」といわれました。

 「いえいえ私の家はあなたが考えるほどお金持ではありません。だって私の家に来てチャイムを鳴らしてみてください。あなたの家のチャイムはピンポ~ンと鳴るでしょうが、私の家のチャイムは貧乏びんぼ~うと鳴りますからね」と笑いを誘いました。

 確かに人が詮索すれば私の家は一見お金があるように見えるのかも知れませんが、内情は「ありそうでないのが現金、なさそうであるのが借金」の諺どおり、借金こそないものの「お金の井戸」などまったくないのです。安月給で4人の子どもを育て、家もローンで新築しました。私は妻の家計簿に「亭主持ち逃げ」という項目があるほど、毎月やれ勉強だなどと全国を走り回り、お目出度お悔やみなどの交際費に加え飲み会やボランティア活動などにそれなりに使っているのですから、自分のハエさえ追えないのです。でも外から見ればそう見えるのでしょうか、私の家には実態のそぐわない「見た目だけのお金の井戸」がどうやらあるようです。

 私はおばさんたちに、「お金の井戸はないけれど、知恵の井戸ならありますよ」とお話しました。「えっ、知恵の井戸ってどんな井戸」、「はいそれは人生を生きていく上でとびきり上等な井戸です。お金の井戸は汲み過ぎるとなくなりますが知恵の井戸は汲み上げても汲み上げてもなくなりませんからね」、「なるほどなるほど、若松さんは上手い表現をされますね。一度私たちのもその知恵の井戸の講演を聞かせてください」「いいですよ、しかし私の講演料は高いですからお金ができないと聞けませんよ」「講演料って幾らぐらい要るの」「一億円です」「えっ、一億円?」「はい私の家にはひとり奥さんがいますので、お金の単位は一奥縁です」「まあ面白い」・・・・・・。延々と続く人を羨む井戸端会議を尻目にわが家へと帰りました。玄関へ入るなり、「おーい一奥縁」と声をかけると、一億縁にも匹敵するわが妻の笑顔が迎えてくれました。「何を馬鹿なことをいっているの」「寒~い」ですって。

  「俺の家 一奥縁が 住んでいる 金はないけど だから楽しく」

  「金の井戸 汲めばなくなる 知恵の井戸 汲めば汲むほど 増えるの不思議」

  「人の家 詮索話し 面白い 俺の家にも 金はありそう」

  「まあいいか 喰えたらそれで 人生は 金などあの世 持って行けぬぞ」


 

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