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○お金の井戸と知恵の井戸

 昨日近所の顔見知りのおばさんが立ち話をしている井戸端会議に偶然出くわしました。楽しそうに話しているので「何の話?」と輪の中に入ってみると、どうも近所に住むお金持ちの人の話のようでした。その人は巨万の富とまではいきませんが、私たち貧乏人が羨ましくその人の収入を詮索すれば、貸しマンションを三十戸くらい持ち、年金を受け取っている分だけでも計算すると毎月の収入が百万円はくだらないというのです。そのご主人は私もよく知っている人なので、「別に綺麗な格好をして歩いているわけでもなく、そんなには見えないけど」というと、「お金持はそういうものなのよ。貧乏人に限って見栄を張る人が多い」と、中々の洞察力です。

 最近このお金持と思しき人が旅行に凝っているそうで、国内はおろか外国へも年に数回行くのだそうです。「だってお金は生きているうちに使わないとあの世へまでは持ってゆけないものね」「それにしても羨ましいわね。汲んでも汲んでも減るどころか増える、お金の井戸を持っているのですから」「私たちは毎日あくせく働いても、貧乏人のお金の井戸は直ぐになくなってそこが見えてますからねえ」と話が発展していました。

 「ほう、上手い表現だな、お金の井戸か」と思う矢先、ひとりのおばさんが、「ところで進ちゃん、人ごとではなくあなたもお金の井戸をもっているから羨ましい」と、いきなり矢が私に飛んできました。「えっ私もですか」。「そうよ、あなたもあんな広い立派なお屋敷に住んで、毎日講演三昧でお金ががっぽがっぽ入って、お金の井戸があるのですから」といわれました。

 「いえいえ私の家はあなたが考えるほどお金持ではありません。だって私の家に来てチャイムを鳴らしてみてください。あなたの家のチャイムはピンポ~ンと鳴るでしょうが、私の家のチャイムは貧乏びんぼ~うと鳴りますからね」と笑いを誘いました。

 確かに人が詮索すれば私の家は一見お金があるように見えるのかも知れませんが、内情は「ありそうでないのが現金、なさそうであるのが借金」の諺どおり、借金こそないものの「お金の井戸」などまったくないのです。安月給で4人の子どもを育て、家もローンで新築しました。私は妻の家計簿に「亭主持ち逃げ」という項目があるほど、毎月やれ勉強だなどと全国を走り回り、お目出度お悔やみなどの交際費に加え飲み会やボランティア活動などにそれなりに使っているのですから、自分のハエさえ追えないのです。でも外から見ればそう見えるのでしょうか、私の家には実態のそぐわない「見た目だけのお金の井戸」がどうやらあるようです。

 私はおばさんたちに、「お金の井戸はないけれど、知恵の井戸ならありますよ」とお話しました。「えっ、知恵の井戸ってどんな井戸」、「はいそれは人生を生きていく上でとびきり上等な井戸です。お金の井戸は汲み過ぎるとなくなりますが知恵の井戸は汲み上げても汲み上げてもなくなりませんからね」、「なるほどなるほど、若松さんは上手い表現をされますね。一度私たちのもその知恵の井戸の講演を聞かせてください」「いいですよ、しかし私の講演料は高いですからお金ができないと聞けませんよ」「講演料って幾らぐらい要るの」「一億円です」「えっ、一億円?」「はい私の家にはひとり奥さんがいますので、お金の単位は一奥縁です」「まあ面白い」・・・・・・。延々と続く人を羨む井戸端会議を尻目にわが家へと帰りました。玄関へ入るなり、「おーい一奥縁」と声をかけると、一億縁にも匹敵するわが妻の笑顔が迎えてくれました。「何を馬鹿なことをいっているの」「寒~い」ですって。

  「俺の家 一奥縁が 住んでいる 金はないけど だから楽しく」

  「金の井戸 汲めばなくなる 知恵の井戸 汲めば汲むほど 増えるの不思議」

  「人の家 詮索話し 面白い 俺の家にも 金はありそう」

  「まあいいか 喰えたらそれで 人生は 金などあの世 持って行けぬぞ」


 

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