shin-1さんの日記

○今日から3日間、全国地域づくり団体交流大会に出席するため茨城県水戸市へ愛媛県内の皆さんと行ってきます。今年の11月14日と15日愛媛県で全国大会が開かれますので、その全国大会実行委員長として今年は忙しくなりそうです。

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shin-1さんの日記

○言う事とやる事のの一致

 私たちが青年時代は「黙ってやれ」と不言実行を良しとするような教育を受けてきました。特に大正生まれで漁師をしていた親父からは、そのことをきつく教育されたものです。「これはこうした方がいい」といっても、「半人前のお前に何が分る」と随分無視され、そのことが原因で親子喧嘩とでもいうのでしょうか、何日も口を利かずお互いが意識しながらも無視するような態度が続いたものです。今にして思えばそれは少し遅れた反抗期の生だったかも知れないと思うのですが、子どもを育ててみて親というのは子どもに反感反目されるもののようです。

 映画やテレビで「武士に二言はない」という言葉を頻繁に聞きますが、私たちの知らない大昔は「言ったことは必ずやる」という心構えがあったようです。それは世間一般の常識となっていたから、わが身にかかる大事なので「滅多のことは言えない」という、自分の言葉の抑止にもなっていたようです。

 最近は大言壮語といえばいいのか、出来もしない事をやたら口にする人が多くなりました。しかもそれがメディアを使って私たち庶民に流れてくるものですから、みんなそれなりに聞きそれなりに期待をするのです。特に政治家は選挙で当選する事を目的としていますから、公約を掲げて出馬します。さすがに最近は市民の目と口が厳しくチェックして「公約違反」だと騒ぐものですから、「マニフェスト」などといっていますが、そんなに成果など上げないうちに次の選挙に突入し、「あんま膏薬」になり下がって、政治家への不信感が募るのです。

 昔は信用というものがものを言う世界だったため、余程のことがない限りは約定書など書かなかったものですが、今は法的根拠が喧しく言われるため、些細なことでも契約書をしたためます。でもその契約書ですら守れないのですから、言う事とやる事の不一致は見るに見かねる状態のようです。

 私は有言実行を旨とするような時代に生きてきました。ゆえに色々な事を言い色々な事をやって来ました。まるで夢みたいと自分でさえ思った夕日を地域資源にしたまちづくりも、苦労の甲斐あって何とか夢から現実へと具体化することが出来ました。言いながらやるのですから様々な困難にも出会いましたが、「言う事も言うがやることもやる」ということで私への信用が増したことは事実です。

 何も語らず何も行動しないことが美徳のように思われた、いや今もそんな風潮がある公務員の世界は、責任が伴うゆえに「滅多な事を言うな」と上司や先輩から、口を出すことをきつく咎められてきました。それは多分私の発言が自分に及ぶ責任ではなく、私の責任が即上司の責任に転化される、つまり責任を取らされることへの警戒だったように思うのです。しかしその上司や先輩ですら、一度成功すると、「あれは私が許可してやったから」とその果実を自分の成果にして周りの吹聴するのですからいい加減なものなのです。

 最近地域づくりの現場でよく見かけるのが、評論家まがいの人です。自分では何もやらずただ色々なところを見て歩き、さも自分がやったことのように事例を紹介している人です。確かにそんな人もつなぎとしては必要でしょうが、そんな手を汚さない話しで地域づくりができるほどやわいものではないのです。「あそこはこんな事をしている」と「であるべき」論を聞いた後、「やるのはあなたたちです」と言われて興ざめという話はよくある話です。

 私は自称実践家です。実践家は理論ではなく論理であると思います。実践の中から生まれた言葉は論理ですから人の心に感動を与えるのです。いわば実践家は感動商売人です。たとえその言葉が朴訥としていても、人の心を捉えるのです。これからもそんな「言う事とやる事の一致」するような人間を目指したいものです。少なくと「不」のつく「不一致」だけにはなりたくないと思います。

  「言ってやる これぞ究極 実践家 だから説得 出来ると信じ」

  「言わずやれ 親父に言われ 反発し 親子喧嘩も 今は思い出」

  「災いの 元とはいうが 語らずば 意思も通じず そんなのいやだ」

  「最近は 見てきたような 話しして それで飯食う 人も多かり」



 

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shin-1さんの日記

○地域資源を生かす

(フォーラムパンフレット)

 昨日は高知市文化プラザかるぽーとという、凄い施設で開かれた中小企業基盤整備機構の主催する「地域資源活用促進フォーラム」のパネラーとして、壇上に上がりました。新聞や雑誌で時々お目にかかる玄代表の政所利子さんの「四国ブランド活性化戦略」と題した基調講演を聞き、「素材とマーケットの出会い」とうテーマでパネルディスカッションをやりました。四国地域支援事務局ゼネラルマネージャーの三井文博さんの軽妙なコーディネートで、三重県伊賀の里モクモク手づくりファーム専務の吉田さんと私、それに政所さんの三人で話しをする予定でしたが、会議が始まる前に高知県馬路村の東谷組合長さんから会議に出席したい旨の電話が私に入り、折角来るのだったらパネラーに加わってもらうという事務局の判断で、急遽四人の賑やかな討論となりました。

(政所利子さんの基調講演)

 僅か1時間半余りの短い時間だったため、議論ではなく事例の発表に留まりましたが、地域づくりの現場で働いてきた私の主張は、何十億円も売り上げる吉田さんや東谷さんの生き方と全く違うため、参加した人たちの目と耳にどう映ったか、少し心配になりました。

(吉田修さんの話に魅了されました)

 吉田さんの生き方は農事組合法人を設立して自然・農業・食農をテーマにした農業公園をつくり上げ、ユニークな手法と情熱で、創業以来消費者の心の中に隠れたニーズを掘り起こし農業の新しい価値をつくり上げたとして、観光カリスマ百選を受賞しています。

 東谷さんは農協職員として特産品であるユズを地域資源にしてごっくん馬路村という商品を開発し、人口1100人余りの村で年商30億円も業績を上げて注目を集める人です。

 片や私はどうか、第三セクターは設立以来13年間一度も赤字にならなく黒字経営、しかも5パーセントの配当、そして年間55万人がやって来ると胸を張っていますが、たかだか年商数億円程度の道の駅に甘んじているのですから、勝負にはならないのです。吉田さんは法人経営、東谷さんは組合運動と微妙に違う生き方を披露されましたが、時代の要請に応えながら成長し、後戻りの出来ない企業になっているようでした。最近まで「大きいことはいいことだ」と右肩上がりを誰もが狙ってきましたが、最早それは私たちのやっているまちづくりや村づくりでは手の届かない世界のように思えました。参加した人たちにとって吉田さんや東谷さんの話はため息の漏れるような凄さです。そこへ到達するための並々ならぬ知恵と行動に大きな拍手を送りました。

(会場はまるで東京の施設のようでした)
 

 私の持論は「身の丈で持続可能な成長」を考えています。身の丈とは田舎のおじちゃんやおばちゃんでも頑張れることです。面白可笑しく、それでいて生きて働けることを実感できるということです。持続可能とはそんなに売り上げ高を伸ばすことなく、しっかりと経営することです。30億円売って2千万円の赤字を出すより、2億円の売り上げでも2百万円の黒字を出し、地域に還元するする方がいいという考えです。そんな考えが浸透して、田舎のおばちゃんの集団が「じゃこ天で儲けてヨーロッパに行こう」などと、それなりに夢を持って生きているのですから世の中は不思議です。

 先日えひめ地域政策研究センターの丹羽部長さんと話しをしていて、地域資源を漢字で表すとどうなるかという話しを聞きました。優・少・凡・負・棄・未ではないかというのですが、私はもう一つ美を加えて7つにしました。美しい地域資源とは何か、私の取り組んだ夕日も花も美しいのです。夕日は自然の美しさ、花は人の心で咲かせる美しさがあって、むしろ作り上げる地域資源です。でも地域資源をひとまとめにすると「感」かも知れないと思いました。結局感動しない地域資源は人の心に届かないし経済に結びつかないような気がしました。

 「オンリーワン」を貫くこともまあいいかと思いつつ帰路につきました。

  「それぞれに 違う生き方 あればこそ 議論成り立つ それでいいんだ」

  「会いたいと 思う人あり 会えました 思われるよな 人にならねば」

  「二時間の 話のために 三百キロ 往復時間 無駄には出来ぬ」

  「回り道 やったお陰で いい事を 学ぶ出会いが 知識を増やす」

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