shin-1さんの日記

○赤トンボの小道具

 このところ落伍家「夕日亭大根心」という芸名で高座に上がって落語ならぬ落伍をやっていますが、よく使う小道具は竹で作ったトンボのおもちゃとハーモニカです。特に赤トンボは埼玉県熊谷市に住む龍前宏さんが送ってくれた向田邦子さんのテープを聞いてから思いついたお話です。向田邦子さんはよく外国へ旅行をしたそうです。発展途上国へ行くと子どもが観光地で物売りをしている姿をよく見かけるのだそうですが、子どもの生き生きとした姿に感動したそうです。私もかつて訪ねたメキシコでそんな光景を目の当たりにしたことを思い出しながら彼女の講演テープを聞いていました。

 ある国に行くと子供たちは到着した観光バスに群がって物売りをするのですが、その観光客が何処の国の人なのか言葉や顔つきで瞬時に見分ける事に驚いたと述懐していました。日本人だと思うと女性観光客には「美人さん」、男性観光客には「ヤンマー」と口々に叫びながら、日本人の心理を掴んで物を売る姿は実に逞しいものです。どうやら日本人女性は「美人」という言葉に弱いし、「美人」に憧れているというのです。

 この話を聞いてとっさに考え付いたのが、渥美清演じる「フーテンの寅さん」でした。寅さんは旅の行く先々で恋をして、啖呵をきりながら大道商売を続けるのですが、それもヒントにして赤トンボの何とも奇妙な動きを落伍に取り入れたのです。

 この赤トンボは私が教育長時代、教育委員会の職員の力を借りて大量生産し管内同和教育大会で参加者の度肝を抜いた経歴のある曰く因縁のある手作りおもちゃです。私は当時の窪田中学校長さんからご指導を受け少し手伝っただけでしたが、その時の赤トンボが5つほど手元にあったので、それを世に出したいとも考えているのです。まあそんなトンボですから落伍に使うのは知恵がいると思いながら、向田邦子―フーテンと寅さん―落伍家夕日亭大根心とつないで高座の友となりました。

 「さてお立会い、今日お集まりの皆さんの中で美人になりたいという女性は手を挙げてください。はいじゃあ今度は私は美人であると自認している女性は手を挙げてください。おっ、いましたね。自分で言っているほどは若くも美しくもないのに、美人だと自認している、あんたは凄く偉い人です。(笑い)さて、美人と自認するあなた、誠に恐れ入りますがちょっと前に出て来てください。実は今日私は美人測定トンボというのを4匹連れてまいりました。ここに取り出したる4匹の赤トンボは別名美人測定トンボというのです。一匹目は普通美人測定トンボ、二匹目は中美人測定トンボ、三匹目は上美人測定トンボ、四匹目は超美人測定トンボです。先日も藤原のりかという美人を相手にテストをしましたが、4匹とも留まり見事超美人の称号を獲得したのです。さてお立会い、まず左手の人差し指を出してください。おっ、普通美人測定トンボは見事留まりました。さて左手の小指の思い出を出してください。はーい、これも見事クリアーです。さてこれからが難しい、愛媛県ではまだ三匹目のトンボが留まった人はいませんが、うーん凄いですこれもクリアです。さて超美人測定トンボが留まればあなたは愛媛県一の超美人というお墨付きをいただいて、記者会見となるのです。わー凄い、そこのカメラを持ったお兄さん、世紀の一瞬です、明日の記者会見の証拠写真として記念に一枚撮ってあげてください。(大笑い)」

 まあこんな筋書きで話す予定なのですが、まだまだ未熟な小話で、会場を笑いの渦に巻き込むことはできません。いずれ真打にでも昇進する時期がくればもっと赤トンボの小道具は生き生きとすることでしょう。向田邦子さん、渥美清さん、ネタの提供有難うございました。

  「あら不思議 指先留まった 赤トンボ 美人願望 女性誰でも」

  「寅さんの 啖呵を学ぶ つれづれに 人の心理の 難しことか」

  「ちょっとした コツでほのぼの 大爆笑 笑いはいいね 元気の基だ」  

  「小道具を 使って話す 落伍家も 顔は悪いが 目だけは自慢」

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shin-1さんの日記

○ほどほどな出会い

 私には沢山の知人友人がいます。その中には一週間に二度も三度も出会うような人もいれば、半年ぶりというような人もいます。また年賀状を出してもあて先に届かず音信不通で帰って来る気になる人もいてまちまちですが、それらを含めて63年間の人生を生きて得た知人友人だけにこれからも大切にしたいと思っています。

 2~3日前、わが家に帰って玄関の戸を開けると、何やら白いビニール袋が置かれていました。おっつけ仕事から帰った妻に聞くと、「長浜の菊池邦求さんが自分で作ったお米なので食べてください」と、わざわざ持参してくれたそうです。菊池さんとはかつて公民館主事をしていた頃、県公民館連絡協議会の主事部会で役員をやり今も肝胆相照らす中なのですが、その後の職場がお互い違ったために多少遠のいてました。私も彼もリタイアして少し自由になったこともあって、最近は電話や先日のえひめ地域づくり研究会議年次フォーラムで再開し、見事音信が復活したのです。世の中には生き方が似ている人がいるといわれていますが、菊池さんも鏡に写せば私とよく似た人生なのです。

 青年団活動を経て社会教育の世界に入ったり、公民館主事集団「煙仲間」を組織したり、いい公民館活動をやったことなどは完璧に一致です。最も彼と似ているのは「NHK青年の主張」という今では神話になった主張大会の私が第十四回県代表、確か菊池さんは第十五回の県代表だと記憶しています。菊池さんはもの書きが得意で彼の論文は全国でも高い評価を得て、私に相当な刺激を与えてくれました。その後私の論文も海外派遣30周年記念論文が総務大臣賞を受賞したりしたのも、彼の影響と思っています。リタイア後の今は民生委員などをして社会活動をしていますが、菊池さんと出会うと何時間でも話したい心境になるのです。

 もう一人、何となく気になる人がいます。松山に住む玉井恭介さんです。玉井さんは海難事故で有名になったわが母校、愛媛県立宇和島水産高等学校の先輩です。早朝ミーティングでひょんなことから知り合い、広告会社に勤めていた頃私の自著本「昇る夕日でまちづくり」や21世紀えひめニューフロンティアグループの「今やれる青春」という本の出版を手伝ってもらいました。その後リタイアしたものの、砥部町の坪内家再生や高齢者福祉などで再三再四知り合い、先輩後輩ではない人間的なお付き合いを続けているのです。玉井さんは詩や絵が堪能で、司馬遼太郎に傾注していてよくその手の手紙が届きます。コーラスなどもやる、私流にいわせると風流な人なのです。「考える村村長」「今日閑人」などの肩書きを平気で使い分ける玉井さんから昨日、長い長い電話がかかってきました。彼が今夢中になっているのは放任園のミカンだそうで、私の友人の料理人真鍋さんに頼んでミカンドレッシングを作っているそうです。まあこんな具合で楽しくも何処か気になる変なオジサンなのです。

 今日は香川県小豆島へ講演に行くため朝4時前に起床し、パソコンに向いネットを開きメールの返信をし終えて、ブログを書き始めました。さて何を書こうかと思いながら手と頭がついつい二人の顔にたどり着いたのです。

ブログに人の名前を書くのは個人情報のこともあるので慎重にと思いつつ、平気で知人友人の名前を書いてしまう悪い癖は今も健在のようで困ったものです。知人友人の皆さんお許し下さい。

 さて私は今夜の帰りが遅くなるのでもう一本ブログを書こうと心に決めて朝早起きたので、この辺で菊池さん、玉井さんの話は続編ありということで終わります。

  「あの人は どうしているか 顔思う 俺のことなど 忘れていように」

  「米届き 炊きたてご飯 卵かけ 昔馳走の 思い出語る」

  「今日閑人 何とも素敵 ペンネーム 電話の向こう 楽しお話」

  「気になりつ ついつい疎遠 なりにけり 友を訪ねし 旅に出たいね」

 



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